激しい雨、めまぐるしい空 今年はどんな晩秋か。
10月に入った。この所のお天気はめまぐるしく変わる。本日などは一日の中に晴れ、大雨、曇り、雷などが次々に入れ替わり、まるでお天気ショーのようだった。特に最近の雨は雷を前触れにしていっとき非常に激しく降る。
本日夕刻、妻に柿を1個もいでもらった。
栗は非常に甘味がありよく熟れている。いっぽう柿は渋みが無いものの甘さはいまいち。もう少し待った方が良いかもしれない。
近隣の田圃はあと少しで刈り入れが終わる。ともすれば日中蒸し暑さを感じ、ところにより県内でも25℃に達する日もある。
しかし信じがたいがあと数週間すると北の国から白鳥がやってくる。蒸し暑い昼下がりには白鳥の訪れなど本当かと思うが、例年はそんな風に過ぎている。今年はどんな晩秋が待っているのだろう。
熱い番茶が美味しくなってきた。
回復の途で「何が食べたいですか?」に意外な返事。
夏の終わり頃、暑いさなかに二ヶ月ほど来院されなかった方が来られた。かなりのお年だがしゃんと反応していたのに言葉無く、表情が失せ、前身がむくみ、末梢の酸素濃度は80%代と別人化していた。
心不全に肺炎の兆しもあり、採血、注射、投薬の調整をして、しばらく通いますと伝えて往診を始めた。
数日後むくみや酸素濃度が改善されはじめ、栄養補助食を追加すると問いにも応じられるようになった。
どうですか、お腹空きますか、と聞くとうなずかれたので、何を食べたいですかと聞いてみた。しかし黙ったまま返事は無い。
帰り支度を始めるとベッドから「タコ焼き」という声が聞こえた。
「タコ焼きが食べたいですか」
本人は「はい」と言い、傍らの介護者が笑いながら、好きなんです、と仰った。
そうか、少し返事に時間が掛かったがタコ焼きという手があったのか。スイカやメロン、時にはあんパンというのもあるがタコ焼きかー。やや微笑ましく妙に胸を打たれた。
これだけの話だが、こんな時一つでも食べたいものがあるのは頼もしい。しかも具体的なのは元気が出てきた証拠にちがいない。
家で作るのではなく、スーパーのが好きなんですと、介護者さんが仰った。
長野市からの団体さんと倉石隆の作品。
昨日午後長野市からバスで美術愛好家の一行18人様が来館された。皆さま全て女性のお客さまだった。皆さまは熱心に集中され倉石隆の絵画、齋藤三郎の陶芸を観て頂いた。
特に今年の絵画は「男性像」では、人物は勉強したり、一所懸命だったり、不安にかられたり、大きくみせたり、おどけたり、詩人になったり、決意したり、孤独に身を置いたりする。皆さんのご主人や周囲の男性を思い浮かべながらご覧になるせいか、とても良い反応を示される。
倉石氏の人物画はモデルを掘り下げ自らを投影し、あまつさえ自画像としても描くため作品には深々とした余韻や真実みがあり、結果として観る方の良い反応につながるのではないかと思われる。
集中して頂き有り難うございました。
可愛いシーマ観光バスを見送る。
お天気に恵まれ有り難うございました。
加齢で不自由になる生活を「老化ゲーム」で。
時間と日によって涼しい、寒い、蒸す、暑いなど色々な空が現れて落ち着かなかった9月は終盤になってきた。ゴルフに行ったり八千浦の中学生さんたちが来館されたり,新発田市から亡き同級生の奥様一同が見えたり、元気だった方の悪化と回復や遠縁の相続放棄手続きなど、何かと忙しかったのは事実。
いっぽう加齢により日常生活の場面や動作において何かと神経を使うようになっているため、この半年ばかりは普通に過ごすのにも新たに漠然とした忙しさのようなものを感じるようになった。
つまり外出の身仕度、自宅や出先での忘れもの、要注意な運転カ所、他者への失礼、座位からの起立歩行、階段の昇降、靴の脱ぎ履き、あらかじめのトイレ、服薬のチェック等々用心が増え続けるのである。
これらは面倒な気遣いだが、意識し動作するたびに何故か近時面白い、あるいは楽しいと感じるようになった。
日常次々現れるこれらの一つ一つがその昔子供から借りて行ったゲームのようではないかと感じ始めたのだ。
ゲームなら危機を越えるたびに強くなっていく。しかし加齢によるリスクはいくら回避出来ても、最早強くはなれない。ただ「無事」というごく小さな喜びが一瞬かすめるだけであるが、それで十分ではないだろうか。
今後ますます不自由は増え、ゲームには限界がありそうだ。だが待てよ、この先にはまた別次元の新たなゲームが待っているかもしれない。今は深く考えず淡く期待してみよう。但し深刻な認知症だけは避けなければ「老化ゲーム」は成立しないように思われるので、それだけは気を付けたい。
昨日のオーケストラアンサンブル上越公演 ピアノとティンパニーのスリリングな即興演奏。
昨夕6時30分開演、オーケストラアンサンブル金沢の今年度の上越定期公演を聴きに行った。会場は上越文化会館で二曲のプログラムはいずれもベートーヴェンだった。
ピアノ協奏曲「皇帝」に於ける若きトム・ボローの演奏は圧倒的で人間の感情の全てが重厚にあるいはビビッド極まりなく奏でられた。スマートな氏は人気者になる予感を覚え、演奏後のサイン会には長蛇の列が出来ていた。
「皇帝」の第二楽章だっか終盤に即興的なパートがあった。ピアノは優雅なメロディをシンプルに奏で唯一ティンパニーがそれに同調した。他は静まり返り二人の奏者によるユニゾンが(変奏的に)出現した。
そもそも果たしてこの曲にこのような部分があったものだろうか。よく響くティンパニーだけに微妙なユニゾンを外さないか心配で手に汗して耳を澄ませた。36小節だかが続いたあと最後の一音まで見事にシンクロして終わった。ジャズなら盛大な拍手が巻き起こるシーンだがクラシック、それもベートーヴェンなら行儀良くしているほかない。
後半のプログラム「田園」を終えるとアンコールにビゼーのアルルの女から付随曲「アダージェット」が演奏され、後に拍手に応えて指揮の広上淳一氏が各パートをねぎらった。長いソロを繰り返したフルート、そして最後にティンパニー奏者が立った。ずっと我慢していたので真っ先に大きな拍手をした。ティンパニー氏の「田園」における雷の熱演も凄かったのである。
同オーケストラは黎明期1900年代の終わり頃にはじめて聴いた。何か地味で一生懸命な楽団というイメージを抱いていた。それが今やベートーヴェンを輝かしく演奏し、世界的に有望なピアニスト相手に私の思い違いでなければスリリングな即興パート(カデンツァ)も聴かせてくれる。
近いうちに会員になり富山や金沢へ通いたいと思った。
ちなみにアンコールのアダージェット。もとより詳しくないがマーラーのほかにビゼーのがあるとは知らなかった。
秋深まる夕べに心洗われる良い音楽会だった。
柿のカラス対策、お彼岸のオハギ、今日の食事。
昨日は秋のお彼岸。春秋の彼岸に必ずオハギを差し入れされる方がいてもう15年も毎年この日に持参される。今年もかなと思っているとちゃんと届けて下さった。ゴマ、キナコ、アズキの三種は小ぶりで美味しくまた食べやすい。ほかのお客さまと分け合って食べた。
さて今年の当館の柿は豊作で5、60個は実をつけた。豊作は良いのだがカラスが来ては突っついて行くので見かねたスタッフがブドウ用の袋を被せたりカラカラ鳴るカラスよけを吊したりして、懸命に防御を試みてくれる。
今のところ袋を被せた実が20個、未だ被せてないものが20数個あるので、上手く行けば40ばかりの収穫がありそう。昨年のブログをみると10月10日に採れているのでもう少しすれば時期が来そう。
昨年10月10日の収穫写真。
パリパリした甘柿は美味しい。
久し振りの食事写真です。
朝食の麦ご飯と目刺しと昆布巻き。
ほかにトマトとレンコンの唐揚げ。
トマトは同じ、他の野菜が変わることがある。
夕食の野菜とコーンのラーメン。
基本昼は抜き。気が向けば
美術館で紅茶にサラダを摂る。
美術館が終わると着替えて肥料入りの用土を作り、50分ほと蒔いた。雑草取りの妻が「ラーメンだから遅くならないで帰って」と言って先に上がったので早めに終えた。
美術館の庭は肥料っ気の無い砂の庭。常に赤玉土と腐葉土にトンプンなどを交ぜてこれから何度も蒔く。とにかく肥やしっ気を増やしていかないと草木が伸びないばかりか花数もいまいち。
ようやく涼しくなった今秋は今日で4回目、時間があれば少しずつ蒔いている。1回の量が少なくなったが来年の元気な庭に期待して楽しみながらくべているところ。
オハギのお客さま、大変ご馳走様でした。
遅くなりましたが上越市長の三田発言から「三田青磁」。
いささか旧聞に属しますが今年7月、上越市長はふる里納税に関連してかって住んでいた兵庫県三田市について”お酒は美味しい。でも米はまずい”といった主旨の発言をされました。全国ネットで取り上げられるなど大変な騒ぎになりましたが、その後三田市へ謝罪に訪れるなどしてようやく収まりました。
当時この件で三田と聞いてすぐ思い出したのが「青磁」、それも「三田青磁」でした。
三田青磁は中国の龍泉青磁、韓国の高麗青磁にならび世界三大青磁と言われるほど有名でした。この事は陶芸の書物には必ずと言っても良いほど載っています。しかるに上越市長の迷言から始まった三田と上越の騒動がお米だったので当初不思議な感じを受けました。
そもそも三田青磁は江戸時代、三田に釉薬の元になる青磁石が発見されたのをきっかけに栄えましたが、昭和の始めに途絶えています。
しかし後年再興の取り組みが行われ拡大しつつあるのはとても喜ばしいことです。
さて以下ちなみに樹下美術館で収蔵する青磁の一部からです。
高麗青磁の雲鶴(うんかく)茶入
この茶入れは二度ほど茶席で使ったことがあります。淡い褐色とうす曇りの空を思わせる青味が混じり合い、味わい深くとても気に入っています。来年6月に予定しているお茶席に濃茶を加え、是非この茶入れを用いようと考えています。
当館には龍泉青磁がありませんので、齋藤三郎の青磁面取り花瓶を掲載しました。
青磁は釉薬に含まれる鉄分の濃度、焼成温度と還元の度合いにより黄味~褐色、そしてヒスイ色まで様々な発色をします。
その昔、陶芸に造詣深い方に、一体どんな色が最も青磁らしい青磁ですか、と尋ねた事がありました。すると“貴方の所にある齋藤三郎さんの青磁です”、と明言されたではありませんか。
上掲した花瓶がそれで、面取りの峰(角)と他の部分の緑のグラデーションの妙、そして色自体がとても深く静かです。一度聴いた言葉のせいもあり、以来青磁を見る時にはこの花瓶を基準として観るようになりました。
鉄分を多く含ませるためギリギリの厚さまで釉薬を掛けるため底の部分に分厚く釉薬(緑のガラス質)が溜まっているのも魅力一つではないかと思います。
当記事は上越市長の三田米に関する発言当時に書こうと思っていましたが、今や落ち着きましたので本日三田関連として記載した次第です。
2025年、樹下美術館秋の催し三題
“2025年、秋の催し三題”
●10月の樹下茶会
長く暑かった季節を越え10月には爽やかな秋の風情が期待されます。樹下美術館では10月に以下の様に2回の薄茶茶会を催します。秋のひとときお暇をみてお気軽にお寄り下さい。
・期日
10月5日(日曜日) 10時および11時30分の二席
10月11日(土曜日) 13時30分および15時の二席
・会場:樹下美術館自宅茶室
・客様数:一席7名様以内
・参加費:お一人さま1500円
いずれも館長がお点前をさせて頂きます。
●ケーキフェア(モンブランイベント)
樹下美術館のカフェが長くお世話になっている菓子工房「caramel・キャラメル」さん。美術館のホールでお菓子作りを実演し、食べて頂く会は二回目です。この度は三和区の栗農園で採れた栗の美味しいモンブランです。今年の栗ケーキはどんな味でしょう。
・期日:10月22日水曜日
・会場:樹下美術館
・時間:10時30分から、 13時30分から、 15時から の3回
・予定参加者数:1回15名様
・参加費:モンブラン1個&プチケーキ1個と工程見学付き、お一人さま2500円(お茶代は別になります)
※生産地の栗高騰のため参加費が2000円→2500円に急遽変更されました。
大変申し分けありません、どうか宜しくお願い申し上げます。
●良寛さん講演会
越後が生んだ聖僧・良寛。長年良寛の足跡を追い探求される全国良寛会会長・小島正芳先生を講師としてお迎えし5回目の講演会です。複雑な現代こそ良寛さんのお話は心に響くことでしょう。お暇をみて振るってご参加下さい。
・演題「佐渡島金山と良寛の母の愛」
・期日:10月25日(土曜日) 14時開始
・会場:樹下美術館陶芸ホール
・予定参加数:50名様
・参加費:大人お一人さま1000円
●お申し込みはいずれも樹下美術館へ電話025-530-4155(良い午後)でどうぞ。
「小3の凄まじい体罰」をお読みいただいて。
本日昼すぎ美術館で元小学校教師の方とお会いしました。当館の貴重な常連さんのお一人です。彼女は小学校の言葉の教室の先生でした。
過日当欄で3回にわたり掲載しました「小3の凄まじい体罰」を読んだと仰いました。言語や諸発達を受け持つ先生ですから吃音については専門家です。様々な取り組みから理解や共感は勿論、二人で同じ物を読むトレーニングの有用さを教えられ、言葉に対して過度に「流暢さ」を求める弊害を指摘されました。
彼女が体罰と同じくらいびっくりされたのは佐藤トシ先生の事(「小学校に上がるまでジャンケンを知らなかったAちゃん」)」だと仰いました。敗戦でまだ貧しかった時代に1クラス60人もの低学年を受け持たれた事など普通には到底考えられない。そればかりか60人をまとめ、生徒から等しく慕われていた事に驚いたと言うのです。
その佐藤先生がなぜ3章の20才の会にお出になられなかったのかを、指摘されました。文中触れませんでしたが、会の際にはみな先生に会いたいと待ったのですが欠席だったのです。何故なのかそれぞれ思案しましたが結局分からずじまいでした。
中学一年の時に映画「二十四の瞳」を学年100人全員で観に行きました。しかし佐藤先生は60人の生徒をを毎日学校に行きたくなるように導かれました。元教員の女性はあの2年生のクラス写真にはしっかりとしたまとまりが感じられ担任の力量が伝わると仰いました。
昭和24年の2年生クラス写真の再掲。
写真の先生は右端でそっと佇んでおられるだけなのです。
上越市八千浦中学校の皆さま。
本日午後、上越市の八千浦中学校から同校で発信する地域の文化施設についての取材のため、1年生の生徒さんが来館されました。
熱心に展示を観て説明を聴いて頂きました。
皆さんのリュックが重そうでした。重いバッグを床に降ろして再開です。絵画では人物画の面白さ、鑑賞法などを説明させてもらい、陶芸は染附と色絵の技法をお話ししました。
最後に
冷たいお茶を飲み設立のいきさつや
作品保存法など質問を受けました。
引率の先生を含めて9名の皆さま。熱心な取材有り難うございました。とても嬉しかったです。
上越妙高駅前の釜蓋遺跡を見学した後の来訪ということ、疲れていたのではと思っています。
でも軽々とした足取りで帰る様子を見て若いっていいなあと思いました。
どうか情報発信の方を宜しくお願い致します。皆さんのことを立派だなあと感じ、私もまた頑張ろうと胸に誓いました。
小3の凄まじい体罰 その3 終章。
二十歳になった初夏でしたか、在京のE君が連絡してきて二十歳の祝い会を分校の級友みんなでやろうと言いました。二人が落ち合った場所は渋谷ハチ公前でした。
E君ほかの皆さまの世話で1962年のお盆、私達はまだ新しい鵜の浜温泉の旅館に集合しました。約60名いたクラスから23人が出席しました。中学生になると髙田の学校に行きましたので、10年振り、社会人の人が沢山いて僅かの間にみなすっかり大人びていることに驚きました。
C君の顔が見えました。心配だったB先生も出席でした。また後に防火用水の一件を話した才女Dさんも出てきたではありませんか。嬉しい事です、本欄に書いた物語の人達が10年後揃って集まっていました。
私の知る限り幼少の忌まわしい話題に触れる人はだれもいませんでした。
しかしC君とB先生はどのように挨拶し再会したのでしょう。当日C君はB先生を避けたかもしれませんし、先生が歩み寄った光景もありませんでした。もしかしたらB先生には少し辛い時間だったかもしれませんが兎に角皆で先生を囲んで記念写真を撮りました。
63年前の集合写真。
以来この会は生徒だけで長く続きました。
写真でC君と私は肩を組んでいます。彼は相変わらずどもっていました。しかし皆C君と話したがりました。彼は周囲から多く声が掛かる人気者であるばかりでなく、腕が立ち良い弟子を育てる職人として早くも尊敬される立場になっていると聞きました。
さらにお酒が強く座持ちが良くて歌が上手かったと先日のAちゃんが言っていました。とくに彼の「嫁自慢」は有名で会えば必ず「うちの嫁は良い嫁」だと自慢をしたそうです。何から何まで素敵なC君ではないでしょうか。
彼にとって吃音などはあたかも何の問題でもなかったようであり、彼の素質と強靱な精神に驚かざるを得ません。また後年の見聞などから愛すべき素晴らしい人だと感心させられます。
人生は分からないものですね、今でもそうですが、色々大事なことに気が付かずに過ぎます。
B先生はかなり前、C君はその後、近時Dさんが故人になりました。生きながらえて皆さんのことを書いている自分には彼らのように真剣な物語があったものか不甲斐なさを感じざるばかりです。
本日で分校時代小3で目の当たりにした体罰の物語は終了させてください。
登場した亡き皆さまはじめ分校の亡き級友すべてに対しまして心からご冥福をお祈りいたします。
小3の凄まじい体罰 その2。
昨日はB先生によるC君の吃音に対する暴力的な振る舞いを記しました。先生が行った方法は軍隊やかつて話題になった戸塚ヨットスクールのそれに類する教育あるいは矯正だったのかもしれません。
しかし私達には決してそんな風に見えませんでした。行為はC君を徹底的に痛めつけ疲労困憊させれば忌まわしい吃音も姿を消すだろうという妄想的な執念に包まれた暴走にしか思われません。
その後の私は運動場の一件で事態は終わっていたと長年考えていました。また後年級友たちと話す場合一様に話題は運動場の柔道場面だけ、それで十分でした。
しかしたまたま2013年と15年に樹下美術館を訪ねてきた分校同級生D子さんによってまだ続きがあったこと、それはさらに深刻だった事を聞くことになります。
Dさんについて少し触れますと彼女は分校、本校、中高などを一貫して非常に優秀な成績で通し、東京の最難関女子大を現役で突破する秀才でした。そのうえスポーツ面でも花形、何より際立っていたのは声の良さと美しさでした。
二回目の来館の折、B先生とC君の話を知ってる?と訊かれました。柔道で投げ飛ばした話でしょう、と言うと、実はあの後も続いたんです、と言って以下のような会話になりました。
私)まだあったの。
Dさん)そう、学校の前の庭に深い防火用水があったでしょう。あそこへC君を連れ行って投げ込んだの。
はーっ?
泳げないCちゃんは浮いたり沈んだりおぼれそうになり、先生はあわてて服のまま飛び込んでC君を陸に揚げたのよ。
えー!完全に事件だね。
そうですよね、、、。
※防火用水池::縦5メートル横3メートルほどの池で大人でも背が立たないと聞いていました。
彼女は驚くべき話をある種淡々とまた最後には一種しんみりとした口調で終わったのです。運動場での柔道事件については大抵の級友が知っていますが防火用水の一件を耳にしたのは初めてで大変驚きました。もしもDさんだけが見ていたならそれも謎ですが、残念ながら来訪時に聞き漏らしました。
以後10年ほどが経ち私達は二十歳を迎えました。幼年だった同級生は郷土の希望、新しく出来た鵜の浜温泉の一室に集まって祝いをしました。
時間がかなり過ぎましたので続きは次にさせてください。
小3の凄まじい体罰 その1。
時々ここに書いている小学校低学年(昭和23年:1948年入学)の3年間通った分校時代。そのなかで特に記憶に残るのは体罰(教育?)事件です。もう75年も前ですし、時代は変わり私も年取り、不思議なことに関係する方たちはみな亡くなりました。もう書いても構わないかなと感じるようになりましたので本日机に向かった次第です。
小3になると担任は優しい佐藤先生から怖い顔の男性B先生に変わりました。B先生は軍隊上がりで図工が専門、浪花節が得意という方でした。
ある日、国語(読本)の授業でC君が当てられました。C君のことは皆知っていましたがかなり重度の吃音(きつおん:どもり)がありました。私達は固唾を飲んで見守りました。
C君は最初の字はおろか続く文もまともに読めません。ただ「ス、ス、ス、、、」などと顔を歪めて苦しそうにするばかりでした。
どうしたんだ!と先生が急かします。
しかし先生が手本を示そうが、落ち着け!と言おうがC君は進めません。
困った先生はショックを与えれば直ると考えたのでしょう、C君の胸や背中を叩きましたがそれで変わるのでしょうか。悪いまま事態は続きました。
先生はC君を階下にある小さな運動場へ連れて行きました。柔道で直してやるというのです。私達はゾロゾロと後に続きました。
運動場では凄まじい場面が始まり、みな唖然となりました。
背負い投げだ!と言って痩せたC君は床に叩きつけられ、巴投げだ!と言っては激しく投げ飛ばされました。柔道ワザは繰り返されワーワーと泣き叫ぶC君。
何度か「勘弁してくれ」と言ったような気がしましたが、もしかしたらそれはC君の代わりに皆が心の中で叫んだ声かも知れません。
普段は独特の楽しい雰囲気を醸し出しみんなにCちゃん、Cちゃんと親しまれる彼は嗚咽をもらしながら先生の足許にうずくまっていました。先生に帰るように言われたのか、残酷な出来事をみた後私達は三々五々家に帰りました。
しかし実はこの後もっと大変なことがあったというのです。それを語ったのは7年ほど前、東京から樹下美術館を訪ねてきた非常に優秀な級友D子さんでした。
続きは次回に、本日はここまでにさせてください。
小学校に上がるまでジャンケンを知らなかったAちゃん。
去る9月3日の豪雨が上がると一両日は涼しくなり本日は30度止まり。長く続いた厳しい暑さとは別の空だった。
あの激しい雨は患者さん達の菜園を襲い,出水を免れたがせっかく世話した秋野菜の苗や種を流し、盛り上げたウネを平にしてしまったと聞いた。
ところで私の所には小学時代の同級生たちが10数名通って来られる。もう83と84才になるが、短い診察ながらそれぞれ年取った姿に小学生のあどけない面影が重なり、何だか愛おしいような不思議な気持になる。
そんな昨日Aちゃんが見えた。亡きお母さんは和裁の先生で、冬になると遠くの里の生徒さんたちは泊まりがけで習いに来たと聞いたことがあった。Aちゃん自身は洋裁が上手く、母が残した着物を洋服にしたりバッグにして人前に出るほど腕が立つ。
診察を終え、分校時代のB先生がC君に行った凄まじい体罰(教育?)の事を知っているかと尋ねると知らないと言った。その時目にした現場の話に目を丸くしたあとAちゃんは分校の1,2年生の受け持ちだった佐藤先生の話をした。
初めて聴く話は短いながら心温まるものだった。
以下Aちゃんの話です。
私は小学校に上がるまでジャンケンというものを知らなかった。担任の佐藤トシ先生はそれに気がつき、わざわざ家まで来て母と私にやり方を教えてくれた。母も知らなかったとみえ習った後で二人で練習をした。
大通りには同級生が沢山いたが通りから離れた家の周りには遊ぶ友だちがなく、ジャンケンを知らずに育ったのだと思う。
筆者はジャンケンをしますがそれを何時覚えたかなどはまったく思い出せません。しかしAちゃんのようにきっかけが明瞭で心温まるエピソードを持つ人は珍しいのではないでしょうか。聞きながら羨ましく思いました。
ちなみに担任の亡き佐藤先生はクラスの誰もが懐かしい表情になり、良い先生だったと述懐します。
良い先生とは、少なくとも生徒たちを毎日学校へ行きたくさせる人のことではないでしょうか。
2年生の記念写真。
佐藤トシ先生は右端に座っている。
Aちゃんはそのそばに立っている。
佐藤先生のすぐ後ろに立ったAちゃんにとって佐藤先生は特別な存在だったかも知れません。
本校、分校の教室事情があったにしても、これだけ大勢(60人)のちびっ子を先生一人がみていたとは。しかも生徒たちはみな佐藤先生が大好きでした。
夕刻に登っていた月。
満月はあさって9月8日ということ、
皆既月食だそうです。
次回から文中触れたCちゃんに対するB先生の激しい体罰をDさんのことと共に記してみます。
台風直後の上野駅から大潟町へタクシーに乗る その2。
さて昨日の続きです。昭和40年代、父の急な入院で急遽帰省することになる。秋だったのか、大きな台風が去ったばかりの上野駅は全面運休。意を決して駅前に並ぶタクシーに声を掛け、直江津まで行ける車を探し乗車した。本日はその続きになります。
道中記憶のあるエピソードは夕暮れの大宮からだった。大宮が近づくと運転手は駅に寄っても良いですか、と聞いた。こんな日の駅には足が無くなった人が大勢いる、もし良ければ相乗りは構わないかという。
車中色々話ながら来たが運転手の人柄については不安を否めなかった。災害時だ、一先ずいいですよと言うと車は駅に着き運転手は降りて行った。激しく雨が降るなか二人の中年女性を連れて戻ると私が助手席に移り三人の相乗りになった。
車中のことは詳しく覚えていないが、かなり走って相客の二人は雨の中を18号線沿いで降りた。私は再び後部座席に移動しウトウトした。
何度もうたた寝をくりかえしながら高崎市に入った。深夜の街で、碓氷峠の状況を聞いてみます、と言って車は電話ボックスの脇に停まった。雨のボックスでなにやら話す運転手。間もなく戻ると、110番で聴いてきました、峠は大丈夫のようです、と言った。
深夜くねくね曲がり続ける雨の峠は怖くて眠られなかった。そもそすれ違う車など無かったように思われる。
なんとか無事に峠を越えると今度は千曲川の安否確認だった。小諸と上田でそれぞれ電話あるいは無線を使って道路状況を尋ねたように思う。長野市を越えたあたりから夜が明け道路沿いに泥をかぶった水田や果樹園が目に入った。
まんじりともしないまま上越市に入ると目がしゃんとしてきた。直江津駅近くの18号線は一部冠水し、浜線に入ると港町の佐渡汽船周辺も水浸しだった。
何カ所か迂回しながら一晩かかけたタクシー帰郷が終わった。
家に到着すると3万何千円が掛かっていた。運転手は相乗りをしたので3万円でいいと言い、母から残りを出してもらい、礼を述べて別れた。
上野駅で燃料と距離を計算したうえ乗車を引き受け、大宮で困っているであろう客を拾い、峠や川の状況を確かめながら当地まで無事運んでくれた運転手さん。最初は半信半疑、大丈夫かなと不安を抱いていたが途中から責任感のある人だ、と印象が変わった。
見舞った父はイレウス管が挿入され回復に向かっていて手術を免れ、その後退院まで代診をした。
あたかも台風を追うように走った夜間そして朝の上野ー大潟町のタクシー乗車。50数年経ったが二度と無いことだろう。
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
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- 小3の凄まじい体罰 その3 終章。
- 小3の凄まじい体罰 その2。
- 小3の凄まじい体罰 その1。
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