2007年7月

行水の花 -姫檜扇水仙-

2007年7月23日(月曜日)

梅雨から盛夏へ庭隅、路傍によく見られる花です。佐賀県出身で92才の母は、「子供のころ、行水をするといつもそばで咲いていた」と言います。
この花に似つかわしい話だと気に入っています。姫檜扇水仙(ひめひおうぎずいせん)と言うそうですが、長い名なので私の中では「行水の花」です。

地震・続報

2007年7月20日(金曜日)

 ようやく国道8号線が復旧しましたので、19日午前6時、混雑を避けながら柏崎市へ向いました。現地直視と柏崎市医師会長との面会が目的でした。みどり麗しい刈羽の地が醜くうねり、ひび割れ、倒壊して痛ましいばかりの変貌でした。一帯を一瞬にして悪夢と化させた自然の威力には、特別な意味が含まれているように思われてなりませんでした。
 そして惨状に対して僅か168センチばかりの人々が集まりあい、気力を尽くして復興に向かう姿も本当に印象的でした。 
 先日当美術館を尋ねて下さった方が、倒壊した家屋とともに被災者としてテレビで放映されていました。強く胸が痛みました。どうかどうか頑張ってください。
 被災された方々に心からお見舞い申し上げます。

館長

     
     

地震

2007年7月17日(火曜日)

樹下美術館館長は上越医師会の役員をしています。地震発生の16日当日、自家では10個ほどの器類が破損した程度で済みました。また美術館は展示ケース内の皿が一つ倒れましたが、無傷で助かりました。身辺を確認して、念のため医師会と市役所に出向きました。途中で多くの救急車と出会いました。ふだん目にしない遠隔地からの車が多く、上越市内の病院が中心被災地の患者さんを受け入れていることが分かりました。
 かなり安定して見えた上越中心部でしたが、柏崎市に隣接する柿崎、吉川の両地区では相当に状況が異なることが午後から分かってきました。そこで夕刻、同地の7つの診療所を回りました。物品や医療器具が散乱し手が付けられない状況の高齢医師宅。駐車場に大きなダメージを受けた中堅診療所など想像を超える状況を目の当たりにしました。
 夜になって中心被災地の柏崎市医師会長と連絡がつきました。彼は「柏崎市内にあって、こちらから入っていけない避難所がある。上越市側から入れる可能性があるかもしれない、行って見てほしい」という訴えがありました。
 事務長を伴い22時近く同地へと向いました。国道は通行止めでしたが選んだ裏道から幸運にもまっすぐ入る事ができました。停電断水の真っ暗な集落の体育館には100人を越える被災者がいました。係の方の案内で外傷を含む4人の患者さんを診ることができました。一回りし終わる頃、大変驚いたことに福島県から重装備のDMAT医療チームが避難所に到着しました。医師二人のほか看護師など4人、救急搬送も宿泊ケアも可能な頼もしいチームです。彼らに骨折の疑いがある患者さんの搬送依頼と同夜のケアを引き継ぐことが出来ました。隣接市で孤立している避難所医療で他県のチームと一定の連携ができてたことは貴重な経験でした。帰路、念のため夕刻訪れた上越市側の被災地区避難所にも寄りました。具合のすぐれない方が何人かおられ一通りのケアをして深夜に帰宅しました。
 大変残念なことですが、この数年新潟県は災害に見舞われ続けています。「待つより行ってみろ」、かつて耳にした経験地医師の話が実感として分かりました。突然の被災に対する組織と個の対応で現実的なヒントの多い一日でした。

 

 

     

 

     

 

     

 

   

福島県から到着した医療チームの車
(DMAT)

梅雨の晴れ間 -潟町海岸の合歓-

2007年7月9日(月曜日)

 

合歓の花はとても弱く雨でひどく傷みます。数日の梅雨の合間、合歓は無邪気に咲き喜ぶ風でした。
蓮(はちす)こそ仏のしとねと伝うなら たれの夢かぞ合歓の花糸

梅雨の晴れ間 -三屋浜の椅子-

2007年7月9日(月曜日)

日本海を見たいという友人のため海へ向かいました。
夕涼み用でしょうが、意外な椅子の情緒。

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