地震

2007年7月17日(火曜日)

樹下美術館館長は上越医師会の役員をしています。地震発生の16日当日、自家では10個ほどの器類が破損した程度で済みました。また美術館は展示ケース内の皿が一つ倒れましたが、無傷で助かりました。身辺を確認して、念のため医師会と市役所に出向きました。途中で多くの救急車と出会いました。ふだん目にしない遠隔地からの車が多く、上越市内の病院が中心被災地の患者さんを受け入れていることが分かりました。
 かなり安定して見えた上越中心部でしたが、柏崎市に隣接する柿崎、吉川の両地区では相当に状況が異なることが午後から分かってきました。そこで夕刻、同地の7つの診療所を回りました。物品や医療器具が散乱し手が付けられない状況の高齢医師宅。駐車場に大きなダメージを受けた中堅診療所など想像を超える状況を目の当たりにしました。
 夜になって中心被災地の柏崎市医師会長と連絡がつきました。彼は「柏崎市内にあって、こちらから入っていけない避難所がある。上越市側から入れる可能性があるかもしれない、行って見てほしい」という訴えがありました。
 事務長を伴い22時近く同地へと向いました。国道は通行止めでしたが選んだ裏道から幸運にもまっすぐ入る事ができました。停電断水の真っ暗な集落の体育館には100人を越える被災者がいました。係の方の案内で外傷を含む4人の患者さんを診ることができました。一回りし終わる頃、大変驚いたことに福島県から重装備のDMAT医療チームが避難所に到着しました。医師二人のほか看護師など4人、救急搬送も宿泊ケアも可能な頼もしいチームです。彼らに骨折の疑いがある患者さんの搬送依頼と同夜のケアを引き継ぐことが出来ました。隣接市で孤立している避難所医療で他県のチームと一定の連携ができてたことは貴重な経験でした。帰路、念のため夕刻訪れた上越市側の被災地区避難所にも寄りました。具合のすぐれない方が何人かおられ一通りのケアをして深夜に帰宅しました。
 大変残念なことですが、この数年新潟県は災害に見舞われ続けています。「待つより行ってみろ」、かつて耳にした経験地医師の話が実感として分かりました。突然の被災に対する組織と個の対応で現実的なヒントの多い一日でした。

 

 

     

 

     

 

     

 

   

福島県から到着した医療チームの車
(DMAT)

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