2019年3月

強風の日曜日 心に響け明日の元号。

2019年3月31日(日曜日)

気温上がらず寒かったが皆様にご来場頂いた日曜。連日の大賑わいではなかったものの、今年開館から17日間の入場者さんは昨年同期より70名近く伸びたという。早々にご来場頂いた皆様に心から御礼申し上げ、この先の励みにしたいと思います。

強い風の為、低い雲は見る見る移動し、高い雲は先端が毛羽だっている。
陽が射したかと思うと、陰っては降るを繰り返した。

 

美術館入り口、向かって左の庭に辛夷がある。間もなく満開。
本日時たまの青空が似合ったいた。

 

これは木蓮の反対、向かって右側で咲き始めた可憐な箒桜(ホウキザクラ)。

 

本日午後の樹下美術館。右端の赤味が箒桜の色。

 

久し振りにほくほく線を見に行ったところ、短時間小さな虹が架かった。

 

明日新元号が決まり発表される。まごころ込められた元号を願っている。

外れると思うが、二文字の頭はE、J、K、の組み合わせは?
永、栄、光、貴、恒、仁、順、などだが、当たり前過ぎて没であろう。

夕べに白き樹下の木蓮。

2019年3月30日(土曜日)

美術などに造詣深い方がお見えになり、ついつい閉館過ぎまで四方山話は尽きなかった。
色々教えて頂いているのに万事自然で謙虚。こんな方とは少々時間を過ぎる位が丁度いい。

 

拙歌)
樹下暮れて文化を語りし人は去り庭に木蓮雪のごとかな

一花と二鳥。

2019年3月28日(木曜日)

めまぐるしい寒暖の三月が間もなく終わる。
余りに色々で、何時あたたかく何時寒かったかよく覚えていない。
そんなこの頃、本日は寒く午後の外出には雪が降りそうな気がした。

昨日、美術館でハクモクレン、本日は仕事場の庭でジョウビタキと美術館のカフェからカワラヒワを撮した。
ちぐはぐな暦と陽気のなか、花も鳥も初々しかった。

 

一心に開花に向かう昨日のハクモクレン。

数日来、仕事場の玄関を開けるとジョウビタキが見えた。同じ鳥か否か、本日運良くカメラに収まった。

 

 

一瞥の後、どこかへ飛んだと思ったらすぐそばにいた。
この鳥は雀よりずっと人なつこい感じを受ける。またウグイスに似て低い場所を好むようだ。

 

美術館のカフェから向かいの桜にいたカワラヒワ。
早くも巣立ったのか、給餌をしているように見えた。

 

写真で見ると確かに給餌のようだ。もう巣立ちとは。

ところでよく春を謳歌する鳥と言う。
だが今ごろから夏まで、鳥は巣作り、抱卵、給餌と、毎日必死なのではないのだろうか。
上掲の親はヒナに餌取りを覚えさせると、すぐ二番子を抱卵し再度養育に専念すると考えられる。
彼らには、若鳥たちと過ごす晩夏から秋、そして早春の求愛が謳歌の季節といえるかもしれない。

あらためて陶板額を見た 小学1年生の僕の絵。

2019年3月26日(火曜日)

去る日、展示中の陶齋の陶板額の文字を一緒に読んで下さったK夫妻が昨日見えられた。ネットで検索して万葉集と分かったが、詳しい読みまでは分からなかった、と仰った。それにしても万葉の歌詠みの人々、時代下って陶齋や棟方たちの教養には驚く、と話され、あらためて陶板額を眺めて一同で感心した。

本日お天気に恵まれ、少し賑わった。午後から可愛い小学一年生と乳母車の坊やをつれたお母さんがお見えになった。お兄ちゃんが館内のノートに絵を残された。

アプローチの石板の色々な形と動き、丸い水盤、餌台と餌、花、鳥たち、花の支柱、建物、、、。とても良く観察し、描きたいものが沢山あったのですね。絵を見て私も楽しくなりました。また描いてください。もう少しカラーボールペンを増やしましょうか。

昨夜、陶齋の陶板額の詩歌が万葉集だと分かった。

2019年3月24日(日曜日)

長く樹下美術館にあって、現在展示中の齋藤三郎(陶齋)の辰砂陶板額。
民家ともくもくたる雲の空には詩が漢字で力強く書かれている。
鉄絵の具の焦げ茶、呉須の青、辰砂の赤い地色も良く、文字に力こもった陶齋の優品の一つであろう。
当館における氏の書に寒山詩、王維があり、焼き物に千字文が引用され、良寛の漢詩も数点見られるので、陶齋の文といえば漢詩しか浮かばなくなっていた。

だが件の作品の文字(詩文)はどうしても読み下せない。
作品のテーマゆえ、分からなければ持ち主として、館主として失格であろう。
その昔ある骨董店主に読みを尋ねたが、読めません、と言われたままになっていた。

このたび熱心なK夫婦に促され、展示中の陶板額の前で、あらためて一緒に読んでみた。
どう眺めても、読めるのはせいぜい天、近、光、響、見、恐、不などで、他に者?悲?がせいぜい。
特に天、響 悲に続く文字が分からず、恐には不可が続くのか?など判然とせず、結局ギブアップだった。
読める字だけ拾っているとぼんやり意味が浮かび、読めなかった字が埋まることがある。
結局それも叶わなかった。

奥様の父上は古文書が読める。それで作品を撮って父に聴いてみる、と仰って携帯を向けられた。
あるいは、幾つかの文字を並べて該当する漢詩が出るか、ネット検索してみたいとも仰った。

昨夜のこと、お別れの食事会から帰ると詩文のことを思い出し、パソコンを点け、「漢詩 天、光、響」を打ったり「詩 天 光 響 恐」を試した。
頭は冴えていたが、いずれも期待した応答はない。
待てよ、者→「は」あるいは「ば」で、助詞では?
これは漢詩ではないかもしれない。
ためしに「天 光 響 恐」だけで打ってみた。
すると驚いた事に、この文字を含んだ万葉集が一首、すらりと現れた!

 

辰砂陶板額。

「天雲 近光而 響神之 見者恐 不見者悲毛」 が原典で、詠み人知らずだった。
“天雲(あまぐも)に 近く光りて 鳴る神の 見れば恐し(畏し) 見ねば悲しも”
五七五七七のちゃんとした短歌だ。

意味として、
天空の雲に光る稲妻は、見るのは恐ろしい鳴る神か、と言って見なければまたせつない

恋の歌として、
高みにおられるあなた様は天雲で鳴る雷光のようで、逢うには畏れ多く 逢わなければ悲しいのです。

陶板を原典に照らせば、「天(あま)」の下の字は“雲”であり、「光」の後に“りて”と充て、「響」は鳴ると読み、「神」が続いていたことになる。
原典に「神之(かみの)」とあるが、陶板に之が見当たらない。
「見者恐」は“見るはおそろし”で、以下「不見者悲毛」と続き、“見ねば悲しも”と読み下すことが分かった。
「悲」の下には雲の輪郭線に紛れて「毛(も)」が書かれていたことになる。
言われればそうかな、と思うものの、原典を知らなければお手上げで、このたびはインターネット様々だった。

昭和30年前後に我が家にやって来た陶板は、ちゃんと読まれる事も無く、布にくるまれるなどしてどこかの隅で窮屈に過ごしてきた。
それが立派な万葉集を戴いていたとは、本当に気の毒をしたと思う。
調べを進めると、棟方志功の扇面に鷺(さぎ)の絵とともにこの一首が書かれていることも分かった。

詠み人知らずとはいえ、何と気宇の大きい恋歌だろう。
万葉集とは、陶齋や志功の何という教養。
昔人の創造性と感性、知識と表現に比して、今日自分の非力と貧しさは如何ともしがたい。

それらは今後の課題として、館内で鳩首し作品を判じてみたK夫妻はどのような結論に達しただろう。
近日中にお会い出来るようだが、万葉集でしたね、と仰るにちがいなく、楽しみだ。

読みをプリントして、作品に添えようと考えています。

再びまみえん。

2019年3月23日(土曜日)

一昨日の25度から一転、本日車が示した午後の外気温は6度。朝早くは雪が舞ったと聞いた土曜日。

こんな日は美術館など、どなたも見えないのでは、と思っていたところ9名の方に寄って頂いた。
助かります、有り難うございました。

そんな夕刻、あるご夫婦が転地されることになり、2組の夫婦が加わって食事をご一緒した。
優しく美味しい料理のOSTERIA SAKAZUME(オステリアサカヅメ)の3時間余、文字通り名残を惜しんだ。
尽きぬ話に、その昔の忘れていた事を細かに覚えて下さっていて胸が熱くなった。

 

行きがけの直江津港。

 

ご馳走様でした、とても美味しかったワイン。

会うは別れの始めとは、はそれでいい。一方、“別れは再会の始まり”もあろうと思った。

拙句)
再 び と手 を 差 し 出 し た春 の 夕

柏崎市、富山市からのお客様。

2019年3月21日(木曜日)

19年、開館後初めての祝日は春分の日。午後外へ出てみてあまりの暖かさに驚いた。
上越市髙田で24,5度ということ。暖かさというより突然の暑さ、半袖になった人もいたのではなかろうか。

そんな日、柏崎市や富山市からお客様がお見えになった。柏崎の方は熱心な美術ファンで感心させられたと妻の述懐。午後には富山の方とお話ができた。
樹下美術館のカフェに架かる「午睡」を描かれた篠崎正喜さんの熱心なファンで、氏のホームページなどを通して当館を知ることとなり、本日来館されたということ。展示と雰囲気、立地や庭のあしらいなどお褒め頂き、「富山県には無い」とまで仰って頂き、本当に恐縮かつ光栄だった。

 

2010年12月13日、樹下美術館を訪ねられた篠崎正喜さん。
カフェに架かる氏の大作「午睡」の前で。

 

 

 


今夕、庭をいじった後で大きな月をみた。

樹下美術館、今年の新規図書その2

2019年3月21日(木曜日)

昨日に続いて新しい図書を掲載しました。図版が多く読みやすい本が中心です。

 

「香月泰男 一瞬一生の画業」 監修香月婦美子 著/香月泰男 小学館 2004/2/5発売
シベリア抑留生活が自他の生命の同一化をさらに深める。

 

「新しい教科書 民芸」 監修濱田琢司 プチグラパブリッシング 2007/2/1発売
ブームにとらわれず、民芸の本質に迫る一冊。

 

「マティスの切り絵と挿絵の世界」 解説・監修海野弘 パイインターナショナル2016/2/5発行
マチスが晩年にたどり着いた幸福な世界。

 

「観じる名碗」 世界文化社 2018/10/31発売
十五代楽吉左右衛門が多方面の著名人と語る楽茶碗の魅力。

 

 「カラー版 日本洋美術史」 美術出版社; 増補新装版 2002/12/25発行
時代と美術の相、国外からの影響など重層する歴史がコンパクトにまとめられている。

 

「カラー版 西洋美術史」 美術出版社; 増補新装版 2002/12/10発行
古代から20世紀末までこまやかにまとめられた充実のハンドブック。

 

「カラー版 20世紀の美術」 美術出版社; 増補新装版2013/8/9発行
今日に続く二十世紀の劇的な美術変革の流れが分かりやすく示される。

 

「懐かしのわが街 上越 新潟日報事業社 2008/10/1
福岡市生まれの著者が復員後生活した上越の暮らしと風景への愛情写真。

 

「死ぬまでに見ておくべき100の建築」 マガジンハウス 2016/09/30発行
モダニズム建築の巨匠作品を含め遺跡や庭園、プール、空港、ホテルまで
100の劇的な建築が紹介されている。

 

「ABERTO GIACOMETTI 」 監修 オリヴィエ・キャプラン 長尾光枝 TBS発行
独自の細い彫刻と制作への没頭で今なお絶大な人気を博しているジャコメッティ。

 

「雪の妖精 シマエナガ Snow Fairy」 嶋田忠著 銀河出版 2017年12月24日発行
世にこんなに可愛い鳥がいるとは。

 

「鳥散歩をはじめよう」 鳥くん(永井真人)著 主婦の友社 2017/10/27発売
愛らしい鳥たちと出会えるコツとヒントが満載。

 

「白鳥」 写真袋谷芳樹 日本写真企画 2016年7月30日発行
国内と遠い繁殖地における白鳥とその親子は、ただただ美しい。

 

「 YASUYAKE FUNAKOSI」 求龍堂 (2014/11/1) 発売日: 2014/101/24
いにしえの石工への憧憬を胸に祈りを形に変える探求。

 

「1001 必ず見ておくべき 世界の絶景」 昭文社 2007年3月発行
英国で発行され、世界10カ国以上で翻訳されている1001もの絶景写真集。

 

「アートギャラリー ルオー」 集英社 1986/08発売
世界の苦悩と悲しみを受容し、愛をもって描いた20世紀最大の宗教画家ルオーを観る。

以上新たな本をどうかお手にとってみてください。

樹下美術館、今年の新規図書その1。

2019年3月20日(水曜日)

今年カフェの図書を30冊購入し、これまでの一部と入れ替えました。左右のラックと本棚の上段に置きましたので、どうかご覧下さい。
15 冊ずつ二回にわたってご紹介したいと思います。

 

「ビジュアル 日本史 ヒロイン1000人」 世界文化社 2011/12/23発売
神話時代から現代まで歴史を彩った女性を画像中心に網羅。

 

別冊太陽「川瀬巴水 決定版」 平凡社2017/6/26発行
便利優先で失われた大正昭和の美と情緒がしっとりした版画として残っている。

 

「現代の数寄」 淡交社 2007/5/31発行
形式から解放され茶心を楽しむ数寄(すき)の世界。

 

「小さな美術館 棟方志功」 青幻舎 2018/8/2発行
志功の版画はだれも真似出来ない。

 

「おとぎ話の幻想挿絵」 パイインターナショナル 2011/9/21発行
物語をふくらませる挿絵の世界。

 

チェコの挿絵とおとぎ話の世界」 パイインターナショナル 2014/12/10発行
アニメーション大国チェコは絵本も大国。

 

「一度見たら忘れない奇跡の建物」 編集藤本卓英
エムディエヌコーポレーション 2017年2月12日発行
驚きと美しさ、世界から心打つ100の建築物を紹介。

 

「青海と崑崙 伝説と祭を訪ねて」
勉誠出版 (2002/06)  2002/06発売
神々のふる里、崑崙山脈の入り口で伝承される幻想的な文化。

 

「村山槐多」 窪田誠一著  新潮社1997/4/1発行
森鴎外が名付け親の槐多。22才の短い生涯の強い作品。

 

「Hidden Gardens of Japan 日本の秘庭」 ランダー・ジョン著
IBCパブリッシング2017/9/28発行
日本に魅せられ、庭を見尽くした著者渾身の一冊。

 

「小さな庭づくり」 朝日新聞出版 2018/4/20発行
草木と共に自らも成長する庭造りの楽しさ。

 

雑木のある小さな庭づくり」 家の光協会 2015/10/13発行
雑木による優しさと癒やしの庭は樹下美術館も意識しています。

 

「英国で一番美しい村々 コッツウォルズ」 小学館  2002年06月発売
絵画のような田園は英国人の心の故郷。

 

「イギリス湖水地方」 JTBパブリッシング 2014年5月1日三刷発行
ピータ-ラビットのふる里が当時のまま残る湖水地方の美しさと物語が収められている。

 

「大家さんと僕」 矢部太郎著 新潮社(2017/10/31発行
素朴は愛の原点、互いの人生を越えて心通わせる大家さんと僕。

残りの15点は後日掲載させて下さい。

卒業と旅立のお祝い。

2019年3月17日(日曜日)

不肖私が名付けた孫が高校を卒業して進学のため間もなく上京する。今夜上越市は大潟区の野菜フレンチ「サブリーユ」で食事をした。
親を離れる新天地の生活には希望とともに不安も大きい。人生はいつもそうだが、青春時代のそれは特別なものに違い無い。

 

ところで食事した店のシェフは数学を勉強した人で、独特の美しい絵を描き、徹底して野菜を追求されている。ここに来ると野菜のイメージが一変する。

 

小学生のハンバーグプレート。

 

魚を選んだ大人のプレート。

 

肉を選んだ大人のプレート。いずれも芸術品のように美しくおいしい。お皿も良かった。

 

お祝いのケーキ皿。

 

暖かかった店内のストーブ。

夜泣きが止まず、何十分も負んぶして外を歩いた娘が手品か魔法のように大きくなっている。

家族の希望や心配もまた自然でとても良く、一緒に食事出来た私も幸せでした。

土曜日午後の柿崎海岸と美術館の餌台。

2019年3月16日(土曜日)

一週間前の予報よりも実際のお天気のほうが少しずつ良くなってきている。本日土曜日は、午前にしとしとと降っていた雨が、午後から次第に止んできた。
2時過ぎから柿崎海岸を歩いた。まだ寒さが残り、のどかな海というわけにはいかなかったが穏やかな眺めだった。

海岸を補修する重機の跡がどこまでも続く。

 

憩っているカモメ(ウミネコ)の前をそっと通り過ぎる。

私はジャンパーの襟を立ててのそのそと砂浜を歩き、カモメは軽やかに翼を広げて空に舞う。

 

美術館に戻ると餌台にスズメが来ていた。
昨年はカフェの真ん前に下げたが近すぎて鳥には不人気だった。
今年は少々遠い水盤の上に移すと早速やって来た。
カフェ左側の窓から見える場所に下がっています。

 

今年の新メニュー、ベーグルサンド。
チーズ、ハム、トマトが挟んである。
ピクルスとフルーツ、それにポット珈琲がついて1000円。
遅い昼食に食べたところ、もちもちしてボリュームがあり、美味しかった。


クリスマスローズばかり載せましたが、椿とヒュウガミズキ、よく見るとイチゲも咲いていました。

今年の樹下美術館が始まった。

2019年3月15日(金曜日)

本日の開館に合わせたように日中晴れた日、今年の樹下美術館が始まった。
待ちかねた常連さんはじめ、鵜の浜温泉に泊まられた方達などをお迎えて今年のスタートとなりました。

 

12月までの期間、健やかな年でありますことを願ってやみません。

2019年3月14日、仕度整った日。

2019年3月14日(木曜日)

樹下美術館が80日の冬期休館を終えて、明日13年目の開館日を迎える。小規模な個人施設なので華やかなことは無理だが、今年は上越市立小林古径記念美術館のご協力を得て同館が収蔵する倉石隆の油彩を特別展「倉石隆 油彩&挿絵小品」としてご供覧出来る幸運に恵まれた。
もとより狭小なスペースのため、油彩は二ヶ月毎に三回展示替えを行い、計8点を架けることになった。公私の施設が協力し合い、互いの作品を活かすことは地域にとって意義深いことであり、古径記念美術館には感謝を禁じ得ない。機会に恵まれた折には、是非とも当館収蔵品の貸し出しに協力したい。

また今夏には二代陶齋、齋藤尚明氏のご協力で、約一ヶ月半の「陶齋親子展」が開催の運びとなった。白磁、青磁メインの涼やかな展示が期待される。

本日絵画および陶芸ホールは以下のように仕度が出来ました。

絵画ホールの「倉石隆の油彩&挿絵小品」。正面の三点が小林古径記念美術館収蔵作品。

以下にその三点を大きくしました。

スペースの関係で肩を寄せ合うように架けさせて頂いてます。いずれも倉石隆の各年代を代表する力作。
これらを囲むように同氏によるスクラッチボードの小さな挿絵原画6点を架けました。

陶芸ホールは「陶齋の辰砂」です。

入ってすぐ正面のケースに「辰砂掻き落とし牡丹文大皿」を展示しました。


幅37センチの大皿。昭和50年陶齋は二回目の登り窯を築きましたが、その時の初窯作品です、

 

正面のテーブルは暖かな色調の鎬(しのぎ)文水指と壺(むこう)。

 

ほの赤く、磨かれた形の水指。
樹下美術館収蔵の作品から辰砂を18作品、29ピースを展示しました。

 

 以下は入館者様にお出しする予定の展示案内です。

午後陽が射した樹下美術館。

 

 

 

三月になって続いた暖かかった陽気が一転、この数日非常に強い寒さが戻りました。昨日などは猛烈な風とともにみぞれが降りました。
本日夕刻はさすがに風が止み、きれいな夕焼け雲がみられ、明日は晴れる予報です。

今年も皆様には年末までお世話になりますが、どうか宜しくお願い申し上げます。
このように開館できますことを一同喜び、この先を励みたいと思います。

修理なったアプローチ、皆様を待つクリスマスローズ。

2019年3月12日(火曜日)

珍しいほど暖冬の休館を終え、15日に樹下美術館は今年の開館となります。
連日今年の予定などをお知らせしてきましたが、本日は駐車場のアプローチのことです。
昨年11月6日のノートで、以下の様に駐車場を通るアプローチの傷みが進んでいる事を記しました。

 

一、二カ所数カ所で始まった傷みは、連鎖反応を起こしたように飛び火をはじめました。

そこで今冬、左官の親方にお願いして修理を施してもらいました。親方は2007年の建設工事でお世話になった方で、去る3月初めから取りかかって頂き、美しく頑丈に仕上げてもらいました。

本日のアプローチ。竣工した時のようなさわやかさが蘇りました。

 

次は本日の午後の庭です。数日かけて分厚い落ち葉や雑草を大方片付けると、クリスマスローズがしゃんとして現れました。

 

辺りの広葉樹はまだ眠っているようですが、二十日もすればもう桜が咲き始めることでしょう。

15日金曜日開館、良い樹下美術館であればと願っています、どうか今年も宜しくお願い申し上げます。

あれから8年 何故か今懐かしいノンちゃん。

2019年3月11日(月曜日)

東北の大震災から8年経った日、終日寒い風雨に見舞われた。8年前の現地も時間とともに雪が降り始めていた。その日、夜間に南三陸町が津波によって壊滅、というニュースが流れた。そこは弟一家が住む町だった。
音信が無いまま数日経過し、弟の友人から四日経った日に無事の知らせを受けた。一家は山間に入った場所に住んでいたため難を逃れ、子どもたちが通っていた学校は高台にあったので無事だったという。

安否は友人のネットワーク、および衛星携帯電話、Twitter、Google Person Finderなどメディアを経由して確認された。この間、一家は被災された家族の世話などに忙殺されていたといい、繋がった電話所の元気な声に胸をなで下ろした。高台の校舎から、波に呑まれていく町を見ていた生徒が気を失って倒れた、という姪の話はとてもショッキングだった。被災地は弟、子供、義弟などの家族が住んでいて暗澹たる思いだった。

ところで原発被災者とそのふる里の現状も辛い。今夜、新たな公共施設など現地のシンボリックな場所をきれいに拾って映し、それで良しとしたテレビ局があった。しかしいまだ多くの人が不安定な身分のまま、解決されないストレスを抱えて転々とせざるを得ない状況がある。
この現実に対して、交通事故に比べれば、原発災害は死亡が少なく些細という言説が見られ、本当に悲しくなる。

仮に一家に一台原子力炊飯器などがあり、それが事故を起こしたのなら、無理してでも交通事故と比較すればいい。交通事故は深刻だが、それによって何の非も無い10数万人の地域住民が、一夜にして転校、転職、転院、離郷を強いられることが普通に起こるだろうか。未経験、異質の大事態に対して、奇妙な比喩を持ち出し、二分して切り捨てようとする。苦しむ同胞に対する何という冷酷さ。かってない無謀な論調は、二分法が基礎であるコンピュータが社会にもたらした悪しき水脈の現れなのか、本当に情けなくて悲しい。

話変わって亡き仙台の妹は、30年ほど前、当地でノンちゃんというペルシャ猫を飼っていた。
ある日、旅行に行くので預かってといって猫が家に来た。気が強く、人を寄せ付けないといわれていたノンちゃんは当然私に懐かない。触ろうとするとフゥーッ!と爪を立て、近づくこともままならなかった。
折角の美形が台無しだった。
何とかしてみたいと思い、毎日の食事時間ごと、容器をわずかずつ自分に近づけ、寝転がりながら「ノンちゃん、ノンちゃん」と精一杯優しく呼んでみた。何日かすると、私のすぐそばで食べるようになり、ある日そっと触った。触る場所によっては厭がる素振りもあったが、そのうち頭や背中などを撫でると喉を鳴らすまでになった。

懐かしいノンちゃん。

 

一週間はかかったか、ついに膝に乗るようになった。帰ってきた妹が見て、エッと言って絶句した。

あまり厳しくしないでね、と妹に告げ、以来仲良く暮らした。
ちなみにノンちゃんはある女優さんの所から姉を経て妹の許へ来たということでした。

早春の大潟水と森公園 夕刻に旧潟町村小学校分校同級会。

2019年3月9日(土曜日)

上越市髙田で12度になろうという暖かな土曜日、午前の仕事の後大潟水と森公園を歩いた。
お目当ては数日前の地域の新聞に載ったミズバショウを見ることだった。数本の花が遠慮がちに開花しいるだけで、多くはまだ苞を閉じていた。
場所は小高い森に囲まれている場所は清水が湧いている。水は冷たそうだが、澄んだ色合いが気持ちが良かった。

 

高いクルミの枝で囀るカワラヒワ。

 

 

精一杯咲くミズバショウ。

 

 

オオイヌフグリが春陽を浴びている。

 

 

公園を巡る人達。

 

公園の後、ホームセンターで買い物を少々。その後美術館で芝生に施肥。施肥はあと三分の一でこの度の終了の予定。次回は桜が咲くころにしてみたい。

午後6時から地元鵜の浜温泉で、小学1~3年生まで通った旧潟町村小学校分校の同級会に参加。


昭和24年、分校における小学二年生時の写真。
一学年一クラスで、数えてみると61人がいた。
後ろの校舎は立派でこれが分校とはピンと来ない。

実は私たちの旧潟町村には戦前小学校が二つあった。戦後、それが一つに合併され、もう一つは新生中学校の校舎になった。当然小学校に全生徒は入れない。そこで三学年しかない中学校の余った教室が分校として用いられた。分校へ3年間通うと4年生から本校へ通うわけだが、そのため分校とはいえ、立派な校舎(中学校)で写真を撮っている。
この変則は本校が分校の3クラスを吸収できるまでかなりの間、続いていたと思う。

さて本日の集まりは地元民ばかりが10人。みな認知症もなく、アクは抜け切って、ミズバショウが咲いていた清水のように澄んでいる。何の利害もなければただただ安心で、親戚でもなし、独特の気楽さを覚える。
出席している一人の男の話が出た。彼は母親に大変可愛がられ、入学式はおろか6年生まで遠足に母が付いてきたという。皆にはやされたが、私は初耳であり、貧しかった時代にそんな同級生がいたことにとても驚いた。立派な仕事を営む明るい人柄の同級生の話だった。
女子は、えこひいきをする担任がいて、いやだったと話した。自分のことで精一杯だった私は、いずれの話も全く知らなかった。

あっという間の二時間を終えてあっさり解散。この先も続けるか、話題になったが、参加者が8人になったら考えようという事になった模様。

6月2日、須川展也 サクスフォンコンサートのお知らせ。

2019年3月7日(木曜日)

本年6月2日(日曜日)に樹下美術館で催されます「須川展也 サクスフォンコンサート」のお知らせです。

 


樹下美術館陶芸ホールで14時開場、14時30分開演。
入場料大人お一人3000円、中高生は1500円です。
定員50名様を予定しています。
お申し込みは樹下美術館窓口、またお電話で樹下美術館025-530-4155
(受付開始は開館の3月15日からとなりますのでどうか宜しくお願い致します)

以下はお二人のプロフィールです。輝かしい音楽歴からかいつまみました。

サクソフォン・須川展也:日本が世界に誇るサクソフォン奏者。
ハイレベルな演奏とオリジナルレパートリーが世界で熱狂的な支持を集めている。東京藝術大学卒業。第51回日本音楽コンクールなど主要コンクール最高位受賞。NHK連続テレビ小説「さくら」のテーマ演奏はじめメディア関与も多い。また坂本龍一、チック・コリアなど意欲的な作品委嘱を実現。内外の主要なオーケストラと多数の共演があり、表情豊かな演奏は他の追従を許さない。東京藝術大学招聘教授ほか多くの指導的役割にも応えて活躍。

ピアノ(クラビノーバ)伴奏・小柳美奈子:上越市出身、東京藝術大学卒業のアンサンブル・ピアニスト。
伴奏者として感受性に優れ、しなやかな演奏によって豊かなアンサンブルを創造する。20カ国におよぶ海外演奏、ほか数多くのリサイタル、レコーディングで高い評価を得ている。須川展也、ドルヴェール・クヮルテットの準ソリストとしてのキャリアも長く多くの録音に参加。安川加寿子、梅谷進、秦はるひ、今井正代、長谷川玲子、本村久子の各氏に師事。

聴く者の感性のすみずみに響く魔法のようなお二人の演奏。緑美しい季節のコンサートが楽しみです。

今夏の陶芸特別展は「三郎・尚明 陶齋親子展」

2019年3月5日(火曜日)

今年7月18日(木曜日)~8月27日(火曜日)は陶芸特別展で、齋藤三郎と齋藤尚明の陶齋親子展を開催致します。

※開始日が一週間早まり7月18日になりました。絵画の搬出搬入と重なるため、変更いたしました。

樹下美術館初めての親子展は白磁をメインに青磁をを交えて展示致します。
先代陶齋(齋藤三郎)は絵付けの人のイメージがありますが、白磁と青磁にも優れた作品を残されました。さらに尚明氏(二代陶齋)は長年それらと熱心に取り組まれています。鉄釉の高温還元焼成は決して容易な技ではありません。どうか親子ともどもの懸命かつ爽やかな作品をご高覧下さい。

以下は展示予定の一部です。お二人併せて25~30点ほどになろうと考えています。

夏の陶芸ホールは、きっと涼やかな眺めになることでしょう。
親子お二人の作品を二つ一緒に並べるケースも用意する予定です。

髙田公園、春の庚申塔(庚申塔その18)、根上がり松。

2019年3月3日(日曜日)

今冬あこがれていた髙田公園内の庚申塔を見たのは1月下旬だった。
小林古径美術館の宮崎館長にお聞きしたその石塔は、意外にも良い場所にあった。新雪があった日で、場所を聞いた髙田育ちの妻が果敢に先導した。

 

雪の日の庚申塚(塔)参り。池にかかった橋を渡った後小高い場所へと向かう。

 

それから一ヶ月少々の本日、所用で通りがかり気になって寄ってみた。公園は雪も消え、春陽のもと大勢の人が思い思いに憩っていた。

 

訪れる人も無く、静かに佇む石塔。

 

蓮弁風の台座、三猿。合掌する青面金剛は残りの4臂で弓矢、斧、剣を握っている。
上方左右に日月紋様が彫り出され、なかなかの格調。

たまたま下を二人の女性が通りかかり、上がってこられた。これは何ですか、と訊かれ、簡単にお話すると、知らなかった、面白いですね、と仰った。

ところで、むかし猿の檻があった場所の背後に築山がある。通ると、かなり見事な根上がり松が見えたので近づいてみた。

 


複雑な根上がりを見せる赤松。

根上がり松は土が自然に流出して根が現れるものと、庭園で意図的に土を盛って育て、順次土を除きながら仕立てる二通りがある。
果たしてこの松はどちらだろう。山のテッペンにあり、かなり傾斜が急なので自然に現れた印象を受けた。幹が微妙に反り、バランスを取っているようも見える。

本日公園の帰りに、芝生の肥料を50キロも買い美術館の庭に撒いた。例年晩秋に行っていたのを、今年は春先に試みている。まだ半分ほど撒いたところだが、今年は回数を増やし、よりきれいな芝生になるよう関わってみたい。

今年の絵画展示は「倉石隆 油彩と挿絵小品」。

2019年3月2日(土曜日)

2019年の絵画展示「倉石隆 油彩&挿絵小品」のご紹介です。

油彩は上越市立小林古径記念美術館のご協力によって、同館が収蔵する倉石隆の貴重な作品の展示が実現しました。

 

 

展示期間:3月15日~9月10日。
この間数点の油彩を二ヶ月毎に入れ替えます。

1回目の期間は3月15日~5月14日。
小林古径記念美術館の「月の光」「粉雪が舞う」「人間の風景」の三点を絵画ホール中央に、その左右に樹下美術館収蔵の挿絵原画作品を展示します。

以下は第1回目の油彩三点です。

 「月の光」 115,0×90,9㎝ 1950年
©上越市立小林古径記念美術館

 

「粉雪が舞う」 146,5×98,6㎝(縦×横) 1985年
©上越市立小林古径記念美術館

 

「人間の風景」 162,1×130,3㎝ 1988年
©上越市立小林古径記念美術館

 

倉石隆(1916年ー1998年 上越市本町生まれ)は1943年に自由美術協会に入会、1964年に主体美術協会の設立に参加し生涯その会員でした。
この度の油彩3点は自由美術協会時代の「月の光」および主体美術時代の「粉雪が舞う」、そして1987年に脳梗塞で倒れた後左手で描いた「人間の風景」で、主要な時代を代表する作風がご覧になれます。

次は樹下美術館の収蔵品から、かって新潟日報新聞に連載された文芸欄「コント」に添えられた倉石隆の挿絵原画です。展示予定の6点から一部を掲載しました。今後9月10日まで3回に分けて、各6,7点ずつの展示を予定しています。

 


郵便待ち

 


タイトル不詳

 


別れのヘアピン

いずれもスクラッチボードに刻まれ、長辺が最大で10㎝の小さな作品です。
込められたこまやかな感情や表情、あるいはファンタジーをお楽しみ下さい。

今年の陶芸展示は「陶齋の辰砂(しんしゃ)」。

2019年3月1日(金曜日)

今年の陶芸「陶齋の辰砂」のご紹介です。
辰砂は銅を主原料にした釉薬(うわぐすり)で赤色系の発色をします。但し焼く温度や窯の酸素の管理で容易に黒色や緑色に変化し、あるいは飛んで行ってしまうなど、大変難しい技法といわれています。

一般的に濃厚な色として用いられていますが、陶齋の辰砂はやや淡く、時には濃淡があり、穏やかな表情をしています。
辰砂に限った展示は今回が初めてで、作品数が足りるようになりましたので、今年は常設展示として取り上げました。

以下その一部をご紹介致します。

 

 辰砂壺。おっとりとした構えに癒やされます。

 

辰砂陶板額(しんしゃとうばんがく)。亡き父が残しました。
雲が湧く空に詩文が書かれていますが、いまだに読めません。

 

辰砂彫椿文花瓶(しんしゃほりぼたんもんつぼ)。
妹の形見です。

 

 

辰砂彫露草文(しんしゃほりつゆくさもん)花瓶。

 

辰砂窓絵椿文壺(しんしゃまどえつばきもんつぼ)。
美術館に来て三年目ほど。思い切った窓にゆったりと雪椿です。
地模様にも力がこもった大らかな作品です。

辰砂葉文マグカップ。亡きコレクターさんからの品です。

 

 

明るく上がった辰砂の水指。左が牡丹文で、右は山帰来(さんきらい:さるとりいばら)文です。
明るくおっとりした形が親しめます。

食器などを含め20点の合計30ピースの展示を予定しています、どうかお楽しみください。

陶齋(齋藤三郎)は髙田開窯の当初、辰砂は難しいと漏らしていたといいます。そのため当時のお弟子だった志賀茂重氏を京都の河合寛次郎の許へ派遣し、研究の緒に就きました。志賀氏の旅費、滞在費は棟方志功の支援を頼んだと聞きました。

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