あれから8年 何故か今懐かしいノンちゃん。

2019年3月11日(月曜日)

東北の大震災から8年経った日、終日寒い風雨に見舞われた。8年前の現地も時間とともに雪が降り始めていた。その日、夜間に南三陸町が津波によって壊滅、というニュースが流れた。そこは弟一家が住む町だった。
音信が無いまま数日経過し、弟の友人から四日経った日に無事の知らせを受けた。一家は山間に入った場所に住んでいたため難を逃れ、子どもたちが通っていた学校は高台にあったので無事だったという。

安否は友人のネットワーク、および衛星携帯電話、Twitter、Google Person Finderなどメディアを経由して確認された。この間、一家は被災された家族の世話などに忙殺されていたといい、繋がった電話所の元気な声に胸をなで下ろした。高台の校舎から、波に呑まれていく町を見ていた生徒が気を失って倒れた、という姪の話はとてもショッキングだった。被災地は弟、子供、義弟などの家族が住んでいて暗澹たる思いだった。

ところで原発被災者とそのふる里の現状も辛い。今夜、新たな公共施設など現地のシンボリックな場所をきれいに拾って映し、それで良しとしたテレビ局があった。しかしいまだ多くの人が不安定な身分のまま、解決されないストレスを抱えて転々とせざるを得ない状況がある。
この現実に対して、交通事故に比べれば、原発災害は死亡が少なく些細という言説が見られ、本当に悲しくなる。

仮に一家に一台原子力炊飯器などがあり、それが事故を起こしたのなら、無理してでも交通事故と比較すればいい。交通事故は深刻だが、それによって何の非も無い10数万人の地域住民が、一夜にして転校、転職、転院、離郷を強いられることが普通に起こるだろうか。未経験、異質の大事態に対して、奇妙な比喩を持ち出し、二分して切り捨てようとする。苦しむ同胞に対する何という冷酷さ。かってない無謀な論調は、二分法が基礎であるコンピュータが社会にもたらした悪しき水脈の現れなのか、本当に情けなくて悲しい。

話変わって亡き仙台の妹は、30年ほど前、当地でノンちゃんというペルシャ猫を飼っていた。
ある日、旅行に行くので預かってといって猫が家に来た。気が強く、人を寄せ付けないといわれていたノンちゃんは当然私に懐かない。触ろうとするとフゥーッ!と爪を立て、近づくこともままならなかった。
折角の美形が台無しだった。
何とかしてみたいと思い、毎日の食事時間ごと、容器をわずかずつ自分に近づけ、寝転がりながら「ノンちゃん、ノンちゃん」と精一杯優しく呼んでみた。何日かすると、私のすぐそばで食べるようになり、ある日そっと触った。触る場所によっては厭がる素振りもあったが、そのうち頭や背中などを撫でると喉を鳴らすまでになった。

懐かしいノンちゃん。

 

一週間はかかったか、ついに膝に乗るようになった。帰ってきた妹が見て、エッと言って絶句した。

あまり厳しくしないでね、と妹に告げ、以来仲良く暮らした。
ちなみにノンちゃんはある女優さんの所から姉を経て妹の許へ来たということでした。

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