正月二日の日中は望外の晴天 雑煮は田舎風?

2022年1月2日(日曜日)

午前から午後しばらくの間、きれいな晴れ間があった。

 

 

 朝昼兼用の食事。

冬から春までの穏やかな日は海を見に行く習い性。晴天とは言うものの波高く釣り人も僅かだった。ビーチコーミングをしている家族がいてシンパシーを感じた。

 

柿崎の帰路吉川区西野島付近でアトリの大きな群を見た。猛禽が一羽付いていて、田で餌をついばむ群は突然飛び立つなどとてもいそがしそうにしていた。アトリは明日掲載しようと思います。

 

夕食の雑煮。
ゴボウと鶏肉の味が効いている。
東京のお宅の雑煮を食べた事があるが、とてもあっさりしていた。
色々入れるのは田舎風かも知れないが美味しいと思う。

 

お抹茶を飲んだ。水ようかんは知人の作。
冬の水ようかんは当地の風習でしょうか。
美味しかったです、ご馳走様でした。

絵を描いたり海辺のカフカを読んだり、それなりに楽しい正月。あと三日も休みがあるとは、贅沢なことだと思う。

夕方から荒れてきた。

明けましておめでとうございます。

2022年1月1日(土曜日)

新たな年になりました。

災い少なく幸せ多い年でありますように。
樹下美術館が皆様の幸せの一助になりますように。

昨夜は床の中で「海辺のカフカ」を少し読みました。
変わった始まりをする変わった本だな、と思いました。この先が楽しみです。

今朝は寝坊したあと、11時ころサラダとジャムとパンを少々、それに牛乳を60ミリリットルほどの朝食で、昼は抜きです。少ないようですが、心臓などがその日その日の計算しながら私のルールを決めているようです。

夕食は雑煮だそうで写真が撮れましたらこの後に載せたいと思います。

小島正芳先生ご出演「良寛さんの修行時代 ~円通寺と諸国行脚」

2021年12月31日(金曜日)

数日来の荒天で文字通り正月寒波。
夜空にヒュウヒュウ鳴る風切り音と雪がバタバタと窓を打つ音がする。果たして明日元旦はどのようなことになっているやら。昨年並みのドカ雪だけは許してもらいたい。

さて午前中、知人の知らせでNSTテレビの放映「良寛さんの修業時代 ~円通寺と諸国行脚~」を観た。解説は樹下美術館でお世話になっている全国良寛会会長の小島正芳先生だった。

 

中央に小島正芳先生。
手前に真保恵理アナウンサーと書家の泉田祐子さん。

岡山県玉島の円通寺に於ける長年の修業後、国仙和尚から授かった良寛の悟りを認める「印可の偈(いんかのげ)」が紹介された。

印可の偈
詩のようだと語られた印可状。

師は良寛に
“愚かに見えるお前が求めた道は深く広く、自然に身を任せる心境は他者の理解を越えている”と讃え、偈と共に一本の杖を授けた。
杖は身を支えかつ方向を示す拠り所となるものだった。何と麗しい子弟関係だろう。

越後と異なり、玉島では雪も無く年が明ければ梅が咲き、その先には桜が待っている。故郷で人間関係に辛酸をなめた良寛さんにはそれだけで幸せだったことだろう。あとはひたすら厳しい修行に励んだことが想像される。

全て詳らかではないようだが、その後の旅について自筆資料と共に様子が紹介された。

旅日記の一節。
端整で上品、
乞食の長道中とは思われない美しい文字。

お知らせ頂いたAさん、大晦日にとても良い放映でした。
有り難うございました。

本日の絵でバックを描いてみたところ、イメージが浮かんできた。
正月には絵画だけでなく村上春樹の「海辺のカフカ」を読んでみたい。ノルウエイの森は一回で終了とさせてもらった。

正月休み一日目。

2021年12月30日(木曜日)

12月30日は正月休みの一日目。画材の追加で髙田は大嶋画廊へ行ったほか、終日小さなキャンバスに絵付けをした。

 

机を二つ使ってチョコマカと行っている。
古い絵の具は蓋が開かなかったり、溶けなかったりで
使えないものが多い。

 

全面黄色に下塗りしたものの中から乾いたのを色別にさらに下塗り。
本日は10ヶ済んだ。
この先乾かしながら濃淡、影、バックを細かに進めるつもり。
時間は掛かっても、雑にならないよう気を付けながら。

一気に寒くなり寒波も来たが、仕事場など近隣の積雪はあっても数センチ程度。

近隣。

 

寒さと共に食卓も変わった。

 

鍋焼きうどん。

 

ぶり大根

 

ギンナン

 

剥きました。

 

弟が育てた豚肉とジャガイモなど。

 

麻婆茄子

 

黒豆の時期になった。

今年もあと一日。
年越し、正月へと淡々と過ぎるが晴れ間が見られそうもないのが残念。

本日仕事納め 野鳥の群 果たして新型コロナはどうなるのか。

2021年12月29日(水曜日)

色々あった一年の仕事が本日で一応終わった。
検査とワクチンで新型コロナに神経を使い、在宅で8名、施設で1名の方の看取りがあった。
本日の最終日は僅かの方が来られたのみで、予定の30分前に終了とさせて頂いた。

昼休みに田に野鳥を見に行った。
先日のカワラヒワの飛翔がピンぼけだったので、もう少しうまく撮りたいというのが目的。

 

数カ所でスズメ、カワラヒワ、アトリの各群、あるいは混合した群を見た。
上掲の写真でAはアトリ、Kはカワラヒワです。

先日よりピントが合ってきた飛翔。
翼が黄色がカワラヒワ、首が赤いのがアトリ。
形が似ていて、モニターで大きくしないとよく区別できない。

ところで今後の新型コロナ。
せっかく国内全体が減少したところへオミクロン株が世界中で拡大し、あたかもターミネーターの如き有様。この株は感染力が強い一方、今のところ罹患者の重症度はやや低めといわれる。
症状が軽めで強力な感染力という様式により、我が国でも未曾有の拡大が懸念される。このことは際限なく増殖したいウイルスにとって、願ってもないパターンであろう。
あくまでも想像だが新型コロナは最終形に近づいたのか。一方でそろそろ有効な抗ウイルス薬が実用化され、コロナ禍が新たなフェーズに入る事を期待したい。
果たしてどうなるのだろう、いつまでも同じ繰り返しという訳には行くまい。

白鳥雪田に入る。

2021年12月28日(火曜日)

禅語に「白馬入蘆花(白馬蘆花に入る」)がある。中国から入った禅の書「碧巌録(へきがんろく)」にある言葉だという。
白馬が白い芦原に入ると互いは明確に存在しながら一体となって溶け合う。禅では生死、清濁など相対する有様も同じように捉えようとする。
このことは一定のイメージは出来るものの、禅が欲するような理解はなかなか難しい。

ところで白馬ではないが、白鳥ならいま近隣にいる。
雪が降るまでの田で白く際立っていた白鳥。それが本日雪の田では近づかなければ分からないほど雪田と溶け合っていた。

 

黒いくちばしと足が見え、動くと居るのがはっきりする。
日射しが強ければ影が出来るので分かりやすい。
しかし本日のように曇りだと影もわずかで区別が付きにくくなる。

 

若鳥の灰色はある種幽玄で、その上表情はとても優しい。
来年は真っ白になって飛来するのだろう。

雪中の野鳥 白い恋人たち 悲しみの昨今。

2021年12月27日(月曜日)

寒波が来ている。
山陰地方や琵琶湖が影響する滋賀県は相当降られた様子。
“数年に一度の”と形容されたものの、当地はいまのところ昨年のドカ雪のようではない。仕事場の上越市大潟区は本日日中の積雪は10センチあったかどうか。

昼休みに柿崎のホームセンターへプリンターのインクを買いに行った。
車を降りるとチュンチュンと賑やかなスズメの鳴き声。センターの三角柱を連ねたような屋根にスズメが沢山いた。そこは風雪を避けるのに誠に良い具合に見えた。

 

 

 

主として今年生まれた若鳥のようだ。
北から渡りをしている途中か、一帯に居ついている群かは分からない。

 

近くの田に降りて落ち穂や二番穂などを食べている。

 

帰路大潟区の田んぼでカワラヒワの一群に出合った。
明るい黄色の羽根が印象的。
(よくピントが合わず残念)

野鳥にとって厳しい季節であろう。毛で覆われているとはいうが、翼の付け根の下などには少々皮膚が露出する部分がある。羽ばたいているときや吹かれているときなどは寒くないのだろうか。

 


音楽はフランス、グルノーブルの冬季五輪の記録映画「白い恋人たち」のテーマ曲。
勝ち負けにまったく関係なくひたすら選手たちを撮った。
映像は以前にも出しました映画「個人教授」です。

1968年のグルノーブル大会の後、札幌五輪が開催され、誰が活躍したか忘れたがよくテレビで観た。なぜかナディヒというスイスの女性選手のことを覚えている。

さて以下は当時のザ・ピーナッツ「白い恋人たち」です。


ボサノバにフルートは如何にも当時の趣き。

昔の曲は失恋を歌ったものが多い。
“忘れはしない愛し合ったあの幸せ”と結んでいるが、いまどきこんな風ではそうそう聴いてもらえないかもしれない。
現代は昔より一般に失恋や悲恋が少なくなったのか。それとも昔は一日中失恋の歌を聴けるほどマインドが強かったものか。

もし前者なら社会が優しくなり悲しみが減っているといえる。
だが優しさには相応の強さが必要だ。果たしてどうなのだろう。

先ず始まった小さな3Dキャンバスの油彩。

2021年12月26日(日曜日)

来年を云々すると鬼が笑うと言われます。
鬼に叱られるより笑われる方が良い、という解釈も出来るかもしれません。それで言わせて頂くと、来年秋、恐らく9月~11月の間、樹下美術館で拙い私の作品展をするつもりで仕度を始めているところです。

10×10×3,5×3,7センチの3Dの小さなキャンバスから手を付けていて、今まで3種類の椿の下絵を描きました。正面のほか上下左右の5面を使うことになりますので花を中心に置き葉を脇の4面に散らす構図になります。

今回はサムホール用に描いたヤブツバキの下花を用いました。

 

3D用に下絵を展開させます。
脇の部分にも葉が来て全体も収まり良いように変えます。
決まったら輪郭線をトレーシングペーパーに写し取ります。

 

キャンバスです。
多少細密的に描きたいのでジェッソを塗り、
三種のサンドペーパーを掛けて表面を滑らかにしています。

 

下絵をキャンバスに転写するためチャコペーパーを置きます。

 

上にトレーシングペパーの輪郭線を乗せテープで要所を止め、
ボールペンで輪郭線を強くなぞります。

 

チャコで写した線を鉛筆でなぞります。
写真では4個のキャンバスに転写しています。
一部葉の位置を変えました。

 

現在以下の2種の椿についても同様の作業を終え、おつゆ描きと称する下地を塗り上げたところです。

 

ヤブツバキ

 

西王母

西王母の下地塗りです。
果たしてこの色で良いのか否か分かりませんが、
素人の私の場合とにかくやってみるしかないのです。

30個の下地塗り後乾かしています。
時間が許せばもう20個は足したいところです。

二種の椿は3Dより大きなサムホールサイズ(227×158㎜:はがき2枚少々のサイズ)のキャンバスにも描く予定です。最大10号の風景と静物も一応想定しています(果たして出来るのか未定ですが)。

前回2014年、遊心堂さんの作品展で描いた3D作品を20個、サムホール15枚ほどの油彩を展示販売しました所幸運にも完売しました。私の場合作品は販売し、少しでも美術館の運営を助けたい目的がありますので、買って頂けるよう真剣に取り組まなければなりません。

前回の準備期間はわずか6ヶ月でした。この度は10ヶ月を見ることが出来、少々早めに手を付けられて良かったと思っているところです。

ところで今夏、丈夫と自負していた自分でしたが、突然心筋梗塞に襲われました。来年早々に3回目のコロナワクチンが始まります。絵の制作は十分ペース配分を考慮して取り組みたいと考えている次第です。

大雪前夜の年末。

2021年12月25日(土曜日)

今年最後の週末土曜日、午前中の外来に少し変わった雰囲気を感じた。
寒いから、あるいは押し詰まってきたからは例年通り。しかし今年は正月が大雪になりそうだ、オミクロン株が拡がってきた、の二つが加わり、常よりも年末の慌ただしさと不安が増しているようなのだ。

そんな中、三日間発熱が治まらない大人に行うコロナとインフルエンザの抗原検査があると思えば珍しくこどもたちが来る。感染性胃腸炎の流行と遠い地域の学校クラスターが受診を促しているように感じられた。
そんなこんなで午前中はずっと落ち着かず、ふと心臓に重圧を感じては肝心な自分は大丈夫かと少々心配した。

1時間ほどの午睡で体が休まり、暗くなって年賀状のプリントのためインクを買いに出た。
車のキーを押すと「メリークリスマス」と車がアナウンスした。途中で可愛いイルミネーションの家を見たとき、これで十分クリスマスは味わったと思った。

 

今夜の外。雪はまだ数センチ、これから降るのだろう。

カードが入ってなかったカメラ 齋藤三郎の5枚一組「草花文陶板」。

2021年12月24日(金曜日)

本日はクリスマスイブ。
食卓の品、なかんずく昨日一緒に食事をした友人の奥方が焼いたパンなどを撮ったにも拘わらず、後で見たら“カードが入っていません”という表示が出ていました。
注意していれば“no card”のサインが出ているのですが、気づかないといくらでもシャッターが切れるのです。そそっかしい私にはたまにこのようおなことが起き、せっかく撮ったものがパー、ということがあるのです。
本日はそれがあった日でした。

それで食卓の代わりに、最近樹下美術館にやって来た齋藤三郎の作品を紹介させてください。

当館には生前父が購入したと考えられる齋藤三郎の古い陶板が一枚ありました。

表:横にすると太い縞模様、あるいは縦に見ると竹の文様に見える。
24,5×16,0センチ、厚さ1センチ少々で、志野の釉薬が掛かっている。

裏返してみると、

裏:殆ど釉薬の無い素地に近い面に富本憲吉の「竹林月夜」風な文様が描かれている。
私達子どもの仕業と思われる赤いインクが付いている。
表裏に絵が描かれた一種不思議な作品。
署名から制作年は昭和20年代後半~30年前後と考えられる。

このはっきりしない文様の陶板を何かの作品のテストピースかな、と考え、敢えて展示もしませんでした。

ところが過日、ある作品がやって来ました。

大きな箱が来た。「草花文陶板」とある。
(箱のサイズ:30,0×23,0×高さ19,0センチ)

 

中はレコ-ドケースの様に五つの仕切りがしてある。

それぞれの仕切りにうこん布に包まれた作品が入っていました。取り出した作品は最初に掲げた陶板と同じ様式でした。

以下に2枚ずつ上下に並べ、裏表を撮りました。

一枚目と二枚目の表 上:秋草、下:椿

ひっくり返します。

 それぞれの裏 上:石榴(ざくろ) 下:柳

三枚目と四枚目です。

 三枚目と四枚目の表 上:縦縞模様 下:竹林

ひっくり返します。

 

それぞれの裏 上:竹籠に撫子 下:萩

5枚目です。

表:横縞模様

 

裏:薄(すすき)

以上板状に陶土を伸ばし(たたら作り)、ざっくりとほどよい大きさ(24,5×16,0センチ)に切った陶板が5枚。それぞれ裏表に鉄絵で四季の草花や縞模様が描かれていました。
形の自由さ、5枚の数、風まで描かれた文様の風情からみて、飾るものではなく使うものだと考えました。これにあえ物と漬け物、あるいは五つほどの寿司など盛ったらどんなに美味しかろう、と想像しました。

いずれも表(仮に)は釉薬が掛かりすべすべしており、裏は素地がそのままで、ややざらざらしています。乗せる食べ物との相性で表裏を使い分けるように意図されているようなのです。こんなことは通常には無いアイディアです。

かって当館自宅で「陶齋の器で食事をする会」および「陶齋の器で寿司を食べる会」を催したことがありました。
今回作品を見て、是非ともそのような会を再び催し、陶板の裏表を使った料理を食べてみたいと思いました。

古くからある陶板がちゃんとしたシリーズの1枚だったことが分かり、齋藤三郎の才能にあらためて感嘆させられました。

ちなみにこの作品を見て私が琳派のようだ、と言いますと、傍らに居たA氏は与謝蕪村のようだ、と言われました。琳派であり蕪村でもあるのでしょうか。

作品をお出し頂いた方に深く感謝致します。

生きているアベノマスクもある 熊本のみかん 私の快気祝い。

2021年12月23日(木曜日)

月一回、あるお爺さんが外来に通って来られる。足が弱ったと仰りながら歩いて来院される。
実直なことにずっとアベノマスクをしてこられる。洗い洗いされているマスクはいっそう小さくなり、色褪せてほころびもみえる。

こんなに大切に使われている一方、配布元の政府には8000万枚も倉庫に余っていて、1100万枚が不良品。保管料だけで6億円も掛かっているらしい。
為政者の金銭感覚、内容、方法、、、、みな異常でいい加減だ。
事実は
“いい加減なことをしても、知らん顔していれば大丈夫です”という不思議な人がリーダーだった不思議な国の出来事というほかない。

 

このたび引き出しから出て来た4枚のアベノマスク。
前記のお爺さんに訊いて、ほしいと仰ったら差し上げよう。

 熊本の先輩から届いた柑橘は南国の色。
熊本地震の時、営む高齢者施設で足りないという米を60キロ送った。
助かったと言って、今でも御地の果物を送って下さる。

今夕、直江津の美味しいイタリアンで同業夫妻と食事した。私の快気祝いということだった。ほぼ同じ年、何から何まで真っ当で、頭が良く、そのうえ面白いお二人。快気祝いなどと過分で楽しい時間を誠に恐縮でした。

冬至カボチャ。

2021年12月22日(水曜日)

今日は冬至。これまであまり気にしたことが無かったのに、何故か今年はその日が近づくのを意識した。これも夏の病以後、以前より日にちや時間を気にするようになったせいかなと思っている。

そのような折、数日前に「冬至カボチャ」をネットで見た。妻に今年はそれを作ってみないか、と話したところ、やってみる、という返事。

今夕食にそれが出た。

カボチャの甘みを染みこませたようなアズキのうま味。
ネットのレシピを見て作ったという。

カボチャとアズキは牧区の親戚から頂いていたもの。お米も野菜も牧のものは美味しい。
心こもった野菜を有り難うございました。

少しずつ日が長くなり、昔から運気が上がると言われた冬至。これから冬本番だが、そのような言い伝えがあるだけで心が温まる。

嵐が去った海、久し振りのチドリとシーグラス 良い感じがしないコロナ 昨日北陸道の通行止め。

2021年12月20日(月曜日)

数日来の強風が緩んだ日、昼休みに柿崎海岸を歩いた。寒かったがいつもよりも多めに歩いた。
激しい波浪は落ち着き、珍しくチドリを目にし、形の良いシーグラスがあった。

 

ようやく落ち着いた海。

 

チドリがいた。
近寄るとツツツと逃げ人の足跡のなかに入った。隠れているつもりらしい。

昨年からチドリを見ないか、見てもわずかに1,2羽だった。それが本日少なくとも5羽はいたので安心した。
もしかしたら一組のつがいが子を孵したのかもしれない。

 

一羽を撮っているとこちらを見る瞬間があった。
荒れすさぶ環境で生きているとは。

かって柿崎のチドリを母の化身のように感じていたが、本日それを殆ど忘れていた。どこかで続いていた母ロスが薄まったらしい。今夏、私自身が倒れ、母どころか自分ロスになりそこなったせいだと思う。

 

珍しくシーグラスを沢山見つけた。
ペンダントヘッドに出来そうなものが幾つもあった。

少しでも穏やかな日があるのは良い事だ。但し、新潟県のコロナ報告がくすぶっていること、オミクロン株が国内に伝播されていること、渋谷のごった返しの映像など、全体はあまり良い感じがしない。

昨日北陸道の中之島見附から先、新潟市内までが事故で閉鎖され、途中引き返した新潟行き。長い区間の通行止めは10数件の事故が発生したためと今朝の新聞に載っていた。
午前11時前から5時間にわたり通行止めになったという。大した雪でもないのに、、、。

新潟行きは県央から先の事故でUターン。

2021年12月19日(日曜日)

新潟市美術館で開催中の「生誕110年香月泰男展」は来年1月23日で終わる。
この先、厳冬へと入るため伸ばすほど新潟行きはきつくなる。そこで予報から雪はさほどで無いとみて本日午前新潟へ向かった。

米山まで雪はほとんどなく高速道路の路面もきれいに出ている。長岡もそれほどの積雪には見えなかったが、事故のため中之島見附から新潟東まで通行止めの知らせが出た。随分長い区間の閉鎖であり、事故は一件ではないようだった。

中之島見附の出口に向かって次第に渋滞、そこを出てから帰りの高速道路に入って帰宅した。

高速道路を下りて料金所へ向かう車の列。
{助手席の妻撮影)

降雪量が原因というより、スピードの出し過ぎ、あるいはタイヤの不備が幾つかの事故を引き起こしていたのかもしれない。。

雪国、なかんずく県都を隔てると、こんな風に文化からも遠くなる。
冬の余暇は何かしら籠もって行う活動に集中するのが良いのか。私の場合、いっそう絵の制作に励もうと思った。それにしても残念だった。

冴えない話題に代わって「ヴァーモントの月」を二つ載せました。

 


アンディ・ウイリアムスの「ヴァーモントの月」
画面でみんなは何をあぶっているのでしょう。

 


ジョニー・スミス(ギター)とスタン・ゲッツ(テナー・サックス)の
「ヴァーモントの月」(1952年演奏)。

この曲の主なテーマはめずらしく愛ではなく、ヴァーモント州の風景の素晴らしさです。ヴァーモントはアメリカ東海岸のカナダのすぐ近くの州のようです。

流れに写る月影、冬のスキートレイル、秋のカエデの落ち葉、春の草地、、、。
最後に“貴方と私とヴァーモントの月”で終わります。

一般に冬の歌としてよく取り上げられるようです。

強いと予報された寒波で当地上越市頸北部は初雪 多少ゆとりの年末。

2021年12月18日(土曜日)

テレビから今期一番の寒波が予報されていた週末土曜日。昨夜から激しく風が吹いたが雪は僅かで、胸を撫で下ろした。

午後のいっとき、すでに下絵を描いてあった10×10×3,7センチの小さな3Dキャンバス8枚に最初の色を塗った。何も知らないので油絵は教則本やYouTubeを眺めながらおっかなびっくり試みている次第(かって描いた方法をすっかり忘れている)。
全てが試行錯誤。油絵は上塗りが出来るので、出来れば楽しみながら行いたい。

昨夜来の降雪は、当地上越市の頸北部の初雪ではないだろうか。
その後、陽が射した時間に近隣を走った。

 

雲に見え隠れする尾神岳も大して降らなかったよう。

 

あちらこちらの田でマガンの群がみられた。
どうかハクガンにも来てもらいたい(出来れば沢山)。

 

田を回ってから上下浜に出た。
時々陽が射す海はひどく荒れている。

 

陽が射す方にカメラを向けた。
自分が監督ならこの一帯を映画に使いたいところ。

 

夜、先日のお客人から頂戴した香炉園の濃茶を練った。
本当に美味しかった。
お菓子は髙田は大山のお製。

例年、美術館は20日まで開館していた。今年はそれを15日までとして早めに閉めた。
そのせいか年末の推移に心なしか余裕が感じられる。皆様にはとてもご迷惑をお掛けしてしまったが、どうかお許しください。

来年3月15日(火曜日)、クリスマスローズ満開の開館はしっかり準備をして始めたいと思います。
(いつもつい怠けて過ごし、あっという間に開館になるのです)

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