安全が大事な「安心安全」。

2021年6月27日(日曜日)

今から10年前、大震災と原発事故に関連する政府のコメントに「安心安全」というフレーズが盛んに使われた。
その言葉の曖昧さがとても気になって、当時安心・安全の愚とブログに書いた。具体性が曖昧のまま事態が流れる印象を否めなかったからだった。

安心安全、また安全安心は、2000年に始まった介護保険制度の議論の中で盛んに登場するようになったやに思う。画期的な制度の議論で、自治体の要人たちは安心安全を常套句とした。述べられるものは役所が用意した数字などであり、責任者としての意識と意欲は薄かった。

挨拶などの終わりには「制度も大事だが、体を鍛えて福祉の厄介にならないようにしよう」などとよく結んだ。
体は鍛えてもらうのは良いが、その後に巡りくる不自由を手当てするのが介護保険。
制度の意味が理解出来ず、肝心な話の方向が違うのであり、委員会では精一杯抵抗し理解を促した。
どれだけ鍛えたか知るよしもないが、その方達は後に、忌み嫌っていた介護保険にしっかりお世話になったはずである。

介護保険、大震災、コロナ禍とオリパラ、、、多用される「安心安全」。
そもそも安心させたいのであれば、安全を十分確保しなければならない。
ちなみに交通安全週間と言うが交通安心週間とは言わない。職場で労働安全週間と言うが安心週間とは言わない。
これらで安心と加えた場合、途端に気が緩みそうである。

安心という言葉には危険な側面がある。
安全を掲げたビル建築工事の下は、工事が完成するまで安心ではない。最初から安心を掲げたら「ウソだろう?」という事になろう。

過日の西村長官の会見は「安全・○○」(○○は確実だったか?)と述べ、「安心」が外されていた。
ある意味正直だと思い、むしろほっとした。

安全は科学的、可視的で明らかなものである。
一方安心は心理の問題で漠然としている。
安全でもないのに、上手いことを言われて安心してしまうことは、世間ならどこでも起こり得る。

国が行うのは安全を可能にする科学を徹底させ一日でも早くコロナ禍を終わらせることだ。
弁を弄して曖昧な「安心」を繰り返すことではない。
ぼんやりだが、私達は安心と安全のちがいを認識していて、聞かされる「安心安全」に違和を感じ、「安全」が薄められるのを心配するのである。

以下は今週末の写真です。

昨日見た近隣のタチアオイ。

 昨日新しいベンチで読書する人。

 

昨日、蓄音機でシャンソンやクラシックを掛けました。

 

5,6カ所で咲き始めた庭のテッポウユリ。

 

次第に一種「森」的な雰囲気が出てきた本日美術館の雨の庭。
お客様も庭を愛して下さっていることが伝わる。

本日閉館前にコーヒーを飲んだ。

国は、ふだん国民が色々考えたり国を批判することを好まない。
だが近時、過酷なコロナによって、ものを考えることが自然に増えた。

タチアオイの花巡り 夕刻はタヌキと対面。

2021年6月24日(木曜日)

昨日夕刻近くの田でタチアオイが風情良く咲いているのを見た。明日午後は休みの日、お天気が良ければ近隣のその花を観て回ろう、と考えた。
そして本日、晴天となり午後のいっとき、車を走らせた。

 

昨夕6時半ころ、大潟区のタチアオイ。

以下は本日午後に見た花です。

頸城区で。

 

頸城区で。

以下三枚の写真も頸城区です。

 

 

 

 

地名は分かりませんが同じ場所です。小さな流れに沿って沢山咲いていました。

 

頸城区で。

 

 大潟区で。

 

 

大潟区で。

 

頸城区で。

 

頸城区で。

およそ50分の花巡りでした。タチアオイは水田集落に良く合いますし、この時期の晴れ間は特に映えるようです。

そして夕暮れの電車を撮りに再び出かけますと、

夕陽を浴びて電車がきました。

 

 

実はその直前まで近くに現れたタヌキを撮っていたのです。

 

カザッと言う音がしてタヌキ(多分)が現れました。

向こうへ逃げると思いきや、近づいて来ます。

座りました。

物憂げなポーズを取る風情。

間もなく草むらに去り、その後電車が来たというわけです。
10数メートルほど離れた対面。こんな近くでタヌキを見るのは初めてでした。

夕暮れにタヌキと出合う。
どこか人慣れしている風で親し気でしたので、一瞬化かさているのかな、と錯覚しました。

キツネは痩せていて、辺りに紛れてサッと現れスッといなくなります。
一方丸いタヌキは、一般にこのようにうまく近づいてくるのでしょうか。

だとすると人を化かす、だます、と言い伝えられる二種のこれら動物。
上記の二通りは、社会に於いても欺しの基本的な態度かもしれない、とふと思った次第です。

キツネ、タヌキには申し分けありませんが、昔の人は良く観察し、上手く比喩に用いたと感心します。

上下浜のマリンホテルハマナスの夕暮れ 折角の接種。

2021年6月21日(月曜日)

今夕、一時夕焼けがみられたので、上下浜へ行きホテルを撮ってみた。

 

良い時間はとても短い。

 

ロケーションに恵まれているホテル。

 

チガヤの白い穂が優しく揺れている。

 

さて本日接種は18人で、うち二人は在宅の人だった。かかりつけに限定して予定した376人の2回接種がようやくく終わろうとしている。
自分で打っているため一人一人とても神経を使う。
また副反応については多様さに驚きを禁じ得ない。それでも何とか克服されているようであり、今後も無事に推移することを心より願っている。

一方、一昨日の土曜午後は2回目の集団接種の問診に出向いた。前回4時間半の缶詰めだったが、今回は予定通り4時間で終了した。前回、湯も茶も無い4時間半は少々きつかった、と担当に言ったところ、本日はペットボトルを一本買ってきてくれた。他の出務者はどうしているのだろう、またの機会には自分で水を持参しよう。

新潟県のコロナ報告が一両日ゼロになり、全国的にも数字が減少している。
頼みの接種は進み始めたが、相手には執拗に機を窺う一種ターミネーター的な側面が見え隠れする。
心晴れるその日まで、まだ油断は出来ない。
最前線の病院が何とか一息つければ良いのだが。

緑の庭とベンチ そよ風と私。

2021年6月18日(金曜日)

先日美術館に行くと、スタッフが“裏のベンチで小さな赤ちゃんを連れたお母さんが座ってお茶を飲まれた”と嬉しそうに、話してくれました。
良いお天気で、爽やかな風が吹き、とても気持ちよさそうに見えたといいます。

お伝えしていますように樹下美術館には、以下のように三つのベンチ席があります。最近の緑のベンチを載せてみました。

 

開館以来の裏手のベンチ。
水田に面していてますが、稲が随分伸びてきました。

 

昨年こしらえた鉄の椅子、テーブル席。
建物の真裏にひっそりとあります。

 

今春しつらえた駐車場に隣接する木製のテーブル&ベンチ。

これからの季節、晴れた日にどうかお座りになってみてください。いずれの席でも飲食が出来ます。

 

以下は「そよ風と私」、原題は「アンダルシア」。カテリーナ・ヴァレンテが歌った曲でしたね。

 


ジョン・ノーマン指揮のコーラスで「そよ風と私」。

 


ペペ・ハラミジョのピアノで「そよ風と私」。

本日6月18日、当地も梅雨入りしたと報じられています。
今年はどんな梅雨になるのででしょう。
宜しければ晴れ間に外の椅子に座り、海からの風に当たってみてください。

NHKのプロフェッショナルで辻村史朗氏を観た 樹下美術館の辻村作品。

2021年6月16日(水曜日)
15,6年前に東京のデパートの展示会で味の良い伊賀風の壺を購入した。
辻村史郎の作品だった。

昨日NHK総合放送の番組フェッショナルで辻村氏のドキュメントが放映され視聴した。

「作ることが、生きること 陶芸家・辻村史朗」のタイトルで、サブタイトルは-孤高の陶芸家・辻村史朗 山奥で生きる日々に密着-だった。

 

奈良県山中の仕事と生活はまさに自然とともに営まれている。そこで土と炎にまみれて汗する作家の姿に感銘を受けた。

 

 ご長男・辻村唯氏の平茶碗。

 

茶を飲むと美味しい。

独学で、まあよくもここまで、と感嘆させられる氏の作品。
世間の名を求めず、失敗を肥やしに造形家として、美への執念ひと筋に生きる賜物ではないだろうか。
嘗て氏のことを知らず、ただ良かった、というだけで作品を求めたが、放映を観て素晴らしい人であることを知った。

現在樹下美術館はコロナの影響を考え、月末の呈茶を中止していますが、再開の際には、齋藤三郎作品とともに辻村氏親子の器を用いたいと考えています。

庭の可愛い花たち。

2021年6月14日(月曜日)

ソメイヨシノやバラのように豪華ではないが、命盛んな季節に小さな花たちも一生懸命に咲いている。

 

実の色を暗示しているムラサキシキブ。

 

枯れた花びらが小さな実を包んでいる柿。
昨年15個ほど花をつけ、実が膨らんだと思ったら全部落ちてしまった。
今年は最後まで頑張れるか。

妖精の髪飾りのようだ。

 

今年ネットで購入したオカトラノオがまず一本咲いた。

 

例年ここで咲くクガイソウ。

 

何故か胸打たれるホタルブクロ、しかも白。

 

数年前に植えたクレナイアジサイ。

 


ザ・ピーナッツの「可愛い花」
19才の時に初めて上京すると隣のアパートからよく聞こえてきた。

今夕の冷やしうどんと最後のジャックダニエル。

2021年6月12日(土曜日)

6月上旬が1年で最も雨が少ないことが、先日のテレビで示されていた。
ひどい風も無く、雲も気温も庭も良いこの時期は、本当に穏やかで貴重な季節だと思う。

雨が降らないのは良いが、美術館は砂地なので、かんかん照りでなくても草花の一部はしおれてくる。そのため庭の一部と芝生は水やりが必要になった。

特にエピソードの無い本日は申し分けありません、久し振りに夕食です。

冷たいうどん。

 

オカズは弟の豚肉と野菜。
毎年頂くタケノコノの獲り主は、年のせいで今年は遅くなったと仰った。

以下はもう一方の主役です。

 

底に残ったウイスキー。

 

昨年6月7日から飲み始めておよそ1年、ジャックダニエルを今夕飲みきった。

 

 

今から20年前、バックパッカーとして中国南西部からベトナムに入った長男。
このグラスは最後のチェコからの土産。

次はスコッチのシングルモルトに決まっていて、すっかり味が変わる。
私はからきし酒が駄目で、美味しいと分かっていても、こんな風にしか飲めない。

酒飲みの風上にも置けない人間ですが料理によって、また気が向いた時だけ1ccほど口にしています。

本日は樹下美術館15年目の開館記念日でした。

2021年6月10日(木曜日)

本日6月10日は樹下美術館の開館記念日でした。うっかり者の私はそれを忘れていました。午後休診日の本日、昼食を摂るや青空の下ゴルフ場へ直行し、午後の9ホールをお一人様で回ったのでした。

その間にIさんからお祝いのメッセージを頂戴していて、本当に感謝しています。皆様の方がよほど館長のようになってしまった樹下美術館。それも当館の一つの形でしょうか。

皆様への御礼かたがた、ざっとですが、あらためて建設の過程を振り返ってみました。

 

06年4月雑木林の伐採が終わって更地に。

 

06年6月17日ささやかに地鎮祭。
設計監理の大橋秀三さん、施工の久保田誠一さんらと。

 

06年8月基礎工事が仕上がってきた。
爽やかなコンクリートの形状をとても美しいと思いました。

 

06年10月鉄筋工事。
おぼろげに今後の空間を現す鉄筋も幻想的でした。

 

06年11月下旬コンクリ-ト工事が進む。

冬期間に内装、水・電気工事などが進み年を越えた。

 

07年3月、寒空のもと外構工事。

 

07年3月末、陶芸ホールに展示ケースが来る。

 

同じ頃、絵画ホールでピクチャーレールの高さを決める。

 

07年4月庭工事。

 

4月末、カフェに家具が揃った。

 

07年6月5日、ほぼ全ての工事が終了。

開館して15年目となり、収蔵品が少しずつ厚くなり、建物が渋みを増し、庭が育ち、当初よりも皆様に愛好して頂いている樹下美術館。
しかしいつも、どこかが、何かが足りないのを感じながら歩んだ半人前の零細施設です。

この日にあたり、成長の無い館長の怠惰をお許し頂けるならどんなに有り難いことでしょう。
これからもどうかどうか宜しくお願い申し上げます。

本日の米山水源カントリークラブ。
時折ホトトギスの声が聞こえ、高く飛ぶ姿が見えました。
昔の田植え、朴葉、初がつお、気象、6月特に上旬はやはり素晴らしいです。
良いお天気のもと、お陰様でワクチンストレスを緩和できました。

 

夕刻の庭の一角に咲いていた自生のホタルブクロ。
何故か感動しました。

昨日、雉子(キジ)の物語を読んだ夕方雉子が現れた 急に髪が白くなってきた。

2021年6月9日(水曜日)

ふとしたことで中勘助の「銀の匙」を読むと、作者に興味を持ち氏の他著書も色々読むようになった。現在手許のは12話の「鳥の物語」で、過日の白鳥の後、昨日昼休みに「雉子の話」を読んだ。
少し長いですが、以下は拙あらすじです。

物語は、ある昔の長柄(ながら)の寒村に架かる橋と人々の話です。
村の川は急で大雨のたびに橋は潰れ、作る後から次々に流された。ついに離村まで覚悟する村人は最後に村の宮へ参る。願を掛けられた神官の娘である巫女は倒れるほど苦しみながら、神のお告げ“継ぎ袴(つぎばかま)で通る者を人柱に立てよ”と下す。人柱選びは村人を辛く追い込み、村は活気を失うまでになる。ついに神主自身が継ぎ袴を着けて村へと下る。それを知った娘は駆けつけるが父は人々の前で、掘られた穴に入った。

時は過ぎ、優しい青年の妻となった娘だが、父の犠牲に苦しみ、ついに病の床に着く。橋は立派に完成し、神主は北の国で雉子に生まれ変わっていた。雉子の父は娘恋しさにふる里を目指すが途中で猛禽に襲われ、右肩を負傷する。歩くだけになった雉子だが、かろうじてふる里に辿りついた。
一方、娘の容態を案じた夫は滋養の足しにと弓矢を手に狩りに出る。草むらで雉子の鳴き声を聞き、放った矢は雉子を貫いた。

その晩、娘の夢枕に立った父は、“私は北国で雉子に生まれ変わっていた。お前会いたさに、ようやく村までたどり着いた。しかし嬉しさのあまりお前を呼ぼうと鳴いた所、的になってしまった。お前は目ざめたら柱に架かる雉子の右肩を見てくれ、その傷が私である証拠だ”と告げる。翌朝、柱に架かった雉子の肩を見た娘は悲しみのあまり自ら命を落とす。

以上“雉子も鳴かずば撃たれまい”という言葉通りの結末です。人柱というものが本当にあったのか、いささか信じられませんが、伝説などはあるようです(数年前板倉区の人柱供養堂の前を通ったことはありますが、、、)。

 

 「鳥の物語」 1983年1月17日 (株)岩波書店発行。
鶴やひばりなど12の鳥が身内の物語を述べる形式。

野尻湖にある中勘助の詩碑は「ホオジロの聲」だった。博識の氏は愛鳥家でもあったらしい。

さて雉子の物語を読んだ昨夕、庭に出ると南の端に雉子がいた。本を読んだせいではないだろうが、久し振りに近くに現れた。

 

鉄ベンチの向こうでこちらを見ている。

 

ややあってあぜ道に出た。

 

雉子が向いている方を見ると、ハクセキレイがからみ合っている。
この鳥のつがいの情愛はこまやかで、非常に美しい場面があると聞いていた。
何とか写った一枚だが、確かにただならぬ雰囲気がある。
中氏にはハクセキレイも書いてもらいたかった。

 

鳥の世界でもハクセキレイのことは有名なのか。
うらやむように雉子がケンケンと鳴き。

 

ドドドドと羽ばたいた。

 

 

その後しきりに毛繕いを行い。

 

植え終えた田に入っていった。

本日午後、福祉施設の接種で2回目の問診を行った。残り2回、無事を祈っている。
ところが帰ると、ある事業所の担当者が、社員の接種の相談に来た。
自院、施設、集団と現在三つ同時に関わり、その半ばに差し掛かるや、今度は企業が入ってくる。
さらにたたみかけるように今夜一般接種について市の説明会があり、スタッフとリモートで参加した。

黒かった私の髪が後頭の一部で真っ白になっているらしい。

会長時代に聞いた言葉、“ものを頼むなら忙しい人に頼め”を何とも言えない気持で思い出している。

長かった1回目接種 現場に続く緊張。

2021年6月7日(月曜日)

ほど良い加減の空が続いた本日、私の所で高齢者の1回目の個別接種が終了した。
376名(うち在宅19名)の接種であり、普段短い三週間を異常に長く感じた。
5人の方が中止されたり問診で不可となったが、予備リストに登録された方が直ちが対応して下さり一本の無駄もなく打ち終えた。

ほかにこの間、昨土曜日の午後に集団接種に問診で出た。こちらは午後1時から5時半まで缶づめのまま200数十人の予診を行った。4時間半の閉所で相当参った。個別と異なり、注射をしなくても良いが接種の最終判断と会場全体の医療に関わる。対象の多くは知らない人なのでやはり緊張を禁じ得ない。

ほかに50名近くの特養利用者さんとスタッフの問診があった。
明日から3週間の2回目、個別と一回の集団出務、さらに施設でもうワンクール携わることになる。

一点、集団接種で問題を感じたことがあった。柿崎区のコミュニティプラザの会場が三階だったことだ。接種は車椅子の方がかなり多い。付き添う人が高齢ということもままある。都合4回の乗り降りの不便、障害を考えると、会場は一階にすべきであり、現地で三階と知りかなり驚いた。

もう一点、様々な不便を越えて折角3階までたどり着いた人たちに対して、問診後、本日は止めましょう、と中々言いにくい。
一般に同調圧というのだろう、高齢者には家族、隣近所、社会から「注射して」という圧力が掛かっているのがそれとなく分かる。

一方各現場では、接種に一定のリスクがある人が混じるため気が抜けない。
在宅酸素のボンベを携行しハアハアしていた人(主治医はOKと書いている)の酸素飽和度は問題だった。20年以上前のインフルエンザワクチンで急性のアレルギー反応を起こし以後全ての接種を中止している人。数種の薬剤で薬疹を生じる人。7,8年前にハチによる二度の激しい即時型消化管アレルギー反応を起こしている人。重病の治療が始まりふらふらしている人。数日間一定のめまいが続いている人、、etc。
確証や経験もなくその場で接種の可否を決めなければならない。出来るだけ接種を広げたいが、君子危うきに近寄らずも点灯する。

いわれる“打たない利益より打つ利益のほうが勝る”という概念はあるものの、前掲のような案件には迷わざるを得ない。安全性が高いと言われても、かつて注射後ドサッと倒れたり、ハチ毒の処置後にも拘わらず駐車場で真っ青になって倒れた人、あるいは採血直後に失神し痙攣した若者などを経験していれば、何十年前のことでもフラッシュバックが起きる。さらに特異的な遅発型反応の存否や知見などはこの先の大切な課題であろう。

幸い個別では、神経質で心配ばかりしていた方たちも意に反してけろりとされ、直後の重篤な反応も見なかったが、2回目もいっそう慎重を期したい。

さて以下は在宅での一コマです。観察時間があるため接種後一定時間お宅で過ごす。初めてのことだったが、雑談をしたりちょっとした楽しみでもあった。

 

勧められては遠慮していたジュースを初めて頂いた。

 

ピンぼけですが、茶の間に掛かっていた箱根駅伝のポスター。
お孫さんは某大学でかって箱根駅伝の一区を走ったという。
ここの家は長距離ランナーを何人も出している。

 

注射そっちのけで、採れたばかりのサヤエンドウを心配していただいた。

介護者は直前まで接種券を探したのだろう。
隣の部屋に役所の書類が沢山出してあった。

 

いつ伺っても片付いているお宅。

そのお宅は消毒用品一式が用意されていた。

 

イレウスのリスクを考えて中止している超高齢者宅のビワ。
頂いて看護師さんと分けた。

家で食べるとするりと皮がむけ、甘くて美味しかった。

中止せざるを得ない人は一定数ある。1日でも早く抗コロナウイルス薬の開発を期待したい。

専門的な見地から真剣に心配する尾身会長を批判する関連大臣や要人がいる。地位は高く金持ちかも知れないが、心が貧しいとしか言いようが無い。

6月上旬の麗しい土曜午後。

2021年6月5日(土曜日)

ほど良い気温に何気ない風、おおむね晴れた空であれば、やはり6月は良い季節だなと思う。

 

あるご夫婦と久保田成子さんなどの話をした。
アイスコーヒーが美味しい午後だった。

着物を着て遊びにいらした三人組。
樹下美術館は着物も良く合う。

夕方に芝生の撒水をしてから電車の場所に行った。思わぬ大茜が現れてきれいだった。

 

 

上掲の2枚はくびき駅着18時59分の上り。

 

 

およそ20分後に通過した下り電車。
美しい夕暮れ時に乗車している人は幸せだ。

夏は来ぬ。

2021年6月4日(金曜日)

いつしか6月になっている。
以前から6月が最も好きな月、と言ったり書いたりしてきた。しかし写真を撮りブログを書いているうちに、どの月も好きになった。ただし落ち着いた気象、あるいは植物の旺盛な感じでは、やはり6月が一番かもしれない。

 

6月1日:近くの高速道路の土手の卯の花。

 

6月1日、同じ場所のアザミ。

 

6月2日、裏の草むらから現れたキジ。

 

6月3日:次々に新芽を伸ばすトクサ。

 

6月4日、雨とバラ。

 

6月4日、駐車場の卯の花。

 

6月4日、患者さんたちから頂いた夏大根とサヤエンドウ。
スタッフと分けました。

 

熊本の先輩から頂いた桃。

 


唱歌「夏は来ぬ」

この歌の作曲者小山作之助の母は小生の高祖父・玄作(文政元年、1818年生まれ)の娘トヨです。父や叔父叔母たちは作之助のことを叔父さんと呼び、家に集まると声を合わせては「夏は来ぬ」を歌っていました。学生時代の父は晩年の作之助を見舞うなど、作之助はずっと身近な人だったようです。

「Viva Video!久保田成子展」を楽しく観てきた その2。

2021年6月2日(水曜日)

昨日に続いて新潟県立近代美術館の「「Viva VIdeo!久保田成子展」その2です。
特に興味深く観たのはヴィデオ彫刻と名付けられる立体作品で、作品環境をともにするなどインスタレーションの側面もあり楽しめました。

以下は昨日の続きで、まず「三つの山」です。

 

三つの山に関係したドローイング。
My Father’s Countryとタイトルされている。
久保田さんの故郷、新潟県の山の印象。

 

「三つの山」は奥の二つのピークと手前の噴火口を有する三つの造形からなっている。
奥の山は体内を見せるように2カ所ずつえぐられたような構造で、
様々な鏡面がモニターを囲み、映像をさらに複雑に映し出す。

手前の噴火口。
モニター映像と写り込む人が混在して華やかな万華鏡像になる。
山と人が歴史を共有しているイメージが浮かぶ。

 

続いて「ナイアガラの滝」。

滝の水音が続く水面は細かく波立ち、滝の裏側の造形物とモニターと照明を美しく映し出す。
非常に爽やかな場所になっている。

 

 

滝の裏側を覗いてみた。
反射板でもある構造物とモニターが取り付けられ、照明
と映像が混み入った光の世界を創り出している。
ここを観ているだけでも面白い。

さらに「スケート」。

 

 

 

ロボットのようなスケーターがクルクル台上を回っている。
美しく反射される照明からスケートのファンタジーが伝わる。
角度によってポーズが異なって見える。
ポーズが決まるまでかなり試行錯誤があったのではと思った。

 

最後に「韓国の墓」。
1984年、パートナーであるナム・ジュン・パイク氏は34年振りの帰国を果たした。その際の墓参のイメージから制作されている。

 

 

墓である半球から大小の突起が出ている。
それを通して内部を窺え、内部からは先祖の魂や声が放出されるようでもある。
美しい光が交錯して霊魂を慰めている。

 

大きな突起を覗くとモニターが見える。
パイク氏の家族、先祖の写真などが次々に映し出される。

 

最後の方の一部です。

「韓国の墓」のためのドローイングか。
時間が渦巻き魂が放射される。
“ヴィデオは時間のARTである 時は流れ、過ぎ去るものは常に美しい“
とコメントされている。

 

「パイクから成子への手紙」
シゲ子千手観音(せんじゅかんのん)と赤で書かれ、千手観音と思われる絵が描かれている。
“シゲ子へ 私達が若い時、あなたは最高の恋人
老いた今、あなたは最高の母であり最高の仏様 ありがとう”と書かれている。

 

さて以上が「Viva Video!久保田成子展」の略々でした。
前衛的なアートにおいてもふる里の山河や両親や伴侶、そして人生・宗教観などの脈絡が通底していることが垣間見られ、僭越ながら人間久保田成子を身近にすることが出来た。

久保田さんのことは2014年、一緒に食事をしたご夫婦から初めて聞いた。ご夫婦はこの度の展覧会をご覧になり、私に話してくださり、長岡行きのきっかけになった。

知ってみると、久保田さんとは過去にごく小さな縁があったことが分かった。
・小学校5年生の時にピアノを習うため、直江津高校の直ぐ下のトンガリ屋根の久保田家に通い、成子さんのお母さんに教わった。
・母校髙田高校3年生の校長は成子さんのお父さん(久保田隆円先生)だった。
・当展覧会最後に成子さんに関するヴィデオ・コラージュ作品があった。そこで北川フラムさんのインタヴュー映像を観た。その中で氏は、姉が若い日、年上の成子さんと美術を通して親交していた事を話された。
私はその姉という人と附属中学校でクラスが一緒だった。

余談ながら、その人は美しく聡明で美術に造詣深かった。ある日の美術のテーマが「壊わす」だったかで、それについて描くことになった。私は困り、何故か下駄が燃えている絵を描いた。すると彼女がやってきて、いいね、いいね、と盛んに囃したことを覚えている。

そんなこんなで、作品の興味とともに、この度の久保田成子展はこれまで観た美術展で最も親しめ楽しめる催しとなった。
時間が紡ぐ運動と現象、それに関わる私達の意味。見過ごしがちな深いテーマをヴィデオによって切り取り探り、作品化を試みる。
若くして渡米し、現代芸術の巨匠たちと親交し、ヴィデオアートの可能性を先駆的に切り開き、世界に認められた久保田成子さん。上越でもっと知られ評価されるべき人ではと、自分を棚に上げて、思った。

6月6日(日曜日)までの会期ですので、道中気を付けてご覧になっては如何でしょうか。

今後本展は
国立国際美術館で2021年6月29日(火)– 2021年9月23日(木・祝)
東京都現代美術館で2021年11月13日(土)- 2022年2月23日(水・祝)
を巡廻する予定です。

一昨日「Viva Video!久保田成子展」を楽しく観てきた その1。

2021年6月1日(火曜日)

一昨日日曜日のこと、午後の美術館で良く知っているお客様とお会いした。すると、いま長岡の県立近代美術館で「Viva Video!久保田成子展」を観てきた、と仰った。久保田さんのことは知っていたが、展覧会のことは知らなかった。しかも6日に終わるという。

周辺の催事などについて、いつもボヤボヤしているので肝心なことは皆様から教えて頂くことが多い。最終日の今月6日はあまりに近く、当日何があるか分からない。急がなければと考え、これから行って来ますと言って席を立った。

上越市出身の現代芸術家、久保田成子さんは直江津高等学校のご出身。美術に優れ高校時代から頭角を現し、進学した筑波大学を卒業すると一時国内で発表されている。本日会場で見た若き日の作品は創作への情熱や強固な意思が溢れていた。
1964年に渡米、活気に満ちていたであろうニューヨークを軸に実験的あるいは挑戦的な活動が始まっている。

このたびの長岡展では初期のグラフィックから、70年代から始まるヴィデオを駆使した意欲的で美しい立体作品を楽しく観ることが出来る。

 

会場入り口の大きな看板。

 

以下特に目を奪われたヴィデオアートを載せました。

 

「ヴィデオ・ポエム」
作者の顔が映る砂嵐状のモニターを包む赤い袋は、
送風されフワフワと気持ちよさそうであり、思わず触ってみたくなる。
傍らの短詩によると女性器の表象でもあるらしい。

以下は「デュシャンピアナ」シリーズから。久保田さんは思わぬ出会いにより現代美術の大御所マルセル・デュシャンの知己を得、敬愛し親交したといいます。

 

「デュシャンピアナ:マルセル・デュシャンの墓」
天井から連なるモニターは床の鏡によって上から下へ、
あるいは下から上へと視覚を刺激し無限な連続を想起させる。

 

「デュシャンピアナ:階段を降りる裸体」
現代美術と階段は相性が良い。
もう少しゆっくりモニターを観たかった。

「デュシャンピアナ:ドア」。二つの出入り口に一つのドア。
デュシャン作品と同じ構造のオマージュ。
中の声はデュシャンの「アートは蜃気楼だ、、、」という呟きらしい。
壁には、「ドア/あなたの精神を開く ドア/あなたの精神を閉じる」
と書かれている。

以下はデュシャンの「自転車の車輪」を引用した作品。

 

 

 

 

デュシャンの車輪は椅子に固定されているが、この三つには1個→3個までモニターが付いていて、しかも時間が来ると回る。私が居たとき、間もなく回りますと言われ引き返して観た。像が映るモニターを回してしまうとは面白い着想で、こどもも興味を持つにちがいない。直裁的だが輪廻転生をイメージさせるらしく、確かにそう見える。

デュシャンを離れて以下はオリジナルの「河」です。

 

磨かれたステンレスの河に鮮やかな光が反射する。

 

 

光は真上の三つのモニターから投影されている。

この作品はとてもきれいだった。次々に変わる光の色と形状は河の輪廻転生を表象しているという。

以下は作品に添えられていた「河」のドローイング。
“ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし”の方丈記冒頭を連想させる詩文が書かれている。

高低の水流に輪廻転成を。

 

季節ごとの美しい流れにも輪廻転生を。
末尾に“For Father”と献辞されている。

展示の前半に帰国して闘病する父を見舞った際の映像が観られる。好きだったお酒の代わりにジュースを飲む寝間着姿の父親を愛おしそうに撮っている。何かと父への愛情が垣間見られました。

さて長々となりましたが、まだ終わりではありません。
もう少し続きがありますので、明日などに掲載しようと思います。

揃って花をつけたナツハゼ シジュウカラの水浴び 災難と化しつつある五輪。

2021年5月29日(土曜日)

よく晴れた金曜日。
今年は春先から例年を上回るクリスマスローズと芝生の成績が良く、その後トサミズキ、スミレ、エビネ、キバナホウチャクソウの花々のほか樹木も例年以上に勢いが感じられている。
以前ブログ上で、それは今冬1月の大雪に押して貰ったせいかもと書いたが、それより翌年の準備が始まる昨年の初夏以降の天気が植物向きだったのかもしれない。

本日何気なく見たナツハゼが沢山花(実)をつけていた。
カフェ正面の奥の方、日陰ぎみの場所にナツハゼが3本植わっている。この木は大きくならないが、以前から一種風格があると感じていた。
ちなみにその昔購入した雑木の庭の本には必ずと言って良いほど載っていた。ひっそりしているけれども直ぐにそれと分かる爽やかさと存在感があった。そもそも以前の大潟区の松林や雑木林でよく目にした。

何が良いかと言えば、あまり群れないこと、葉が爽やかで水平な感じに付くこと、小さな割りに枝振りが良く一種貫禄があること、秋いち早く上品に紅葉すること、秋に真っ黒で艶やかな実を沢山つけ、それを鳥が好むことなどであろう。当館では数年かけて、複数の店舗から通販で3本購入して植えた。

だが実をつけたのは1本だけ、以後他は外見だけナツハゼだが全く花も実もつける事はなかった。
かって木に詳しいお客さんが、これはナツハゼでは無いかもしれない、と仰ったこともあり残念が続いていた。

それが本日、前述のように駄目だった二本がしっかり花をつけていたのである。

 

赤みがかったものと黄色のが見られた。

 

 

初めて花をつけた二本の木の様子。
夏以後の葉や実を楽しみにしたい。

来館されていたお客様と庭でナツハゼの話をしていると、あっシジュウカラ、と仰った。
見ると水鉢にシジュウカラが何羽も来ている。

 

恐らく今期生まれた若鳥であろう。
既に親の給餌が終わり独立したばかりと考えられる。

さて世紀の祭典であるオリンピックが、災難の印象を強めている。
そもそも優れたアスリートほど体調に敏感でその管理に日夜気を使う。ワクチンは開催の鍵になるが、これから接種する場合、選手のコンディションは少なからぬ影響を受けるはずである。また鍛えられてはいるが、アスリートたちは必ずしも感染症に強いとは言われていない。
大谷翔平選手の開幕当初の不調はワクチンだったと本人が述べているとおりである。外野のお祭り騒ぎをよそに、選手達は、感染と接種についてかなりナーバスになっているのではないだろうか。これらを考慮すると今後接種スケジュールが健全な形で間に合うのか、心配される。
いずれにしても真剣な彼らは、コロナの事を決して「単なる風邪」などとは思っていないはずである。

世界が感染症を克服しないままの五輪は、選手が気の進まない実験をさせられているようで、傍目にも喜べない。
そもそも強気一本のIOC会長ほか要人たちは、その時ちゃんと来日するのだろうか。

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