本来なら本日は開館の日だった。

2020年3月15日(日曜日)

3月15日の日曜日は樹下美術館今年の開館日でした。展示プランを考え、本や食器を買い足し、庭の手入れを続けましたが延期に致しました。開館を楽しみにしていらした方々には本当に申し分けありません。

本日は晴れ間が覗いたものの少々寒い日でした。11時ころから散歩に出ましたが、寂しさは否めませんでした。皆様もまさかこんな春になろうとは、というお気持ちではないかと思います。

 

柿崎海岸

 

勝手に瑞天寺道と名付けている道。

 

アトリ

 

ホオジロ

 

水路のヒメオドリコソウ

 

 

樹下美術館の梅の枝。

美術館のクリスマスローズ。

駐車場はひらいていますので、宜しければ庭などをご自由にご覧ください。

政治の良い面がなかなか伝わらない分、個人のちょっとした心づかいなどがうれしく感じられます。
普段の健康にいっそう配慮し、本を読んだり、庭や畑、あるいは近隣の自然に親しむのに良い機会ではないでしょうか。ランニングやウォーキングの人を見かけるのも頼もしいことです。

本日のマスク。

2020年3月13日(金曜日)

感染しているかもしれないと仮定してマスクを意識するようになった。
来院する方達も皆さん付けて来られる。先々の不安からますます不足し、出入りの業者さんはじめ町のストアから衛生用品が消えている。私たちは少し早めにネットで購入したためため、当分なんとか間に合いそうだ。

本日午前に同級生のTちゃんが来た。マスクの上で眼が笑っている。いいマスクじゃないの、というと、いつものようにオホホと言って、自分でつくりました、と仰った。新聞だか雑誌に付いていた型紙に合わせた、ということ。お母さんが裁縫の先生だったTちゃんは普段色々なものを自分で作る。今日はふっくらと軟らかそうなマスクが似合っていた。

今度は同級生のY君が来た。マスクが無くてすみません、と申し分けなさそうに言う。診終わって、少ないけど良かったら使って、と言って引き出しから4,5枚出して差し上げた。

そんな夕、お茶の稽古から帰った妻が、先生から、亡くなられたご主人が残されたマスクを頂いた、と言って箱を二つ取り出した。

 

なんとまあ手つかずの二箱。

 

初めての丸型マスク。耳ではなく顎と頭に掛ける本格的なもの。
鼻の部分はアルミで形を作り、その裏にスポンジが施されている。
〝これで余裕ができ助かります、、先生本当に有り難うございました〟

 


ヘンリー・マンシーニのDreamsville(夢の場所あるいは夢の町?)
1958-1961年のTV探偵シリーズ ピーターガン の挿入歌。
60年前とは思われない新鮮さ。

施設の出会い 美しい「白梅」。

2020年3月12日(木曜日)

午後に施設回診があった。新型コロナウイルスは恐いが、幸い同園は静かに推移していてほっとする。

比較的新しいお年寄りの女性を診た。いつも大人しい方である。
二三話してから
「ここにいて寂しくないですか」と訊いてみた。
「寂しいなんて思っていたら、いられません」とかなりはっきりした口調で仰った。
普段ぼそぼそと話される人の明瞭な返事に少々驚き、
「あなたはとてもしっかりしていますね、こんなに本当のことをちゃんと言えるんだから」
と言った。すると、
「先生は○○先生ですか」とばそぼそいう。私のことを知っているみたいだ。
「ええ、潟町の○○です」
「わたし昔先生に掛かったことがあります」と突然仰って驚いた。
続けて、
「先生、変わりましたね、年取られました」と言われた。
ドキッとしながら、ああこの方は何でも本当のことを仰るんだ、とまた思った。
「はい、年取ったと思います、父にも似てきましたし」
と答えたものの、いつどんなことを診たのか全く覚えていない。その時、何か間違いをしていなければいいが、と心配がよぎる。
「また、二週間したら会いましょうね」と言って頭にさわった。
「有り難うございます」とぼそぼそ返事をされたので、また話をしてみたい。

一度あったことは二度あるのか、先ほどの方の帰りにホールを通った。
そこである老人が介護士さんと居て、筆を執って字を書いていた。
ちょうど書き終わった時で、これ白梅と読むんですって、と介護士さんが言う。
一分の隙もない美しい白梅が書かれていた。
この方の字は廊下に幾つも掛かっている。いつも感心して見ているが、実際書かれているのを見るのは初めてだった。
「本当にお上手ですね」
「いえ、とんでもない、先生の花の絵にはかないません」と仰った。
またドキッである。
お訊きすると同じ町に住んでいた方だった。
私の受け持ちではないが、いつも通りすがりに深々と会釈をされる。
この方もまったく静かな人で、笠智衆をきりっとさせたような方だなあと思っていた。

 

よくもまあこんなに上手く筆が運ぶもんだと感心した「白梅」(やや下から撮りました)
コロナウイルスによって過日鎌倉の梅を諦めたら、素晴らしい白梅に出合った。
もらっていいですが、と尋ねると「どうぞ」と仰った。

この分野は知らない者同士でも十分やっていける。
しかしかって会ったとか、実は知っていたなどで、知己があらたまると、新しい親しみが生まれ、次ぎにお会いするのが楽しみになる。

休館のお詫びに「銀の匙」の一節から その2

2020年3月11日(水曜日)

本日はお詫びというわけでもありませんが、気にいって読んでいる中勘助の本「銀の匙」から以下のように一節を紹介させて頂きました。

幼年の主人公「私」は神田で生まれ間もなく小石川へ移ります。
歩ける年になってもひたすら強い愛情と保護を注ぐ伯母さんに背負われる生活をしている主人公。時代は明治半ばの頃。博覧強記で深い仏心の持ち主である伯母さんの訛りと気っぶにも、不思議と郷愁を誘われます。本日は昨日の続きです。

〝あらたにこの調和しがたい新参者が加わったために子供たちはすっかり興をさまされていつまでたっても廻りはじめない。それを見てとった伯母さんは輪のなかへはいり景気よく手をたたいて
「あ、ひーらいた ひーらいた なんのはなひーらいた」
とうたいながら足拍子をふんで廻ってみせた。子供たちはいつか釣りこまれて小声でうたいだしたので私も伯母さんに促されてみんなの顔を見まわしながら内証(ないしょ)で謡のあとについた。

「ひーらいた ひらいた、なんのはなひーらいた、れんげのはなひーらいた…」
小さな輪がそろそろ廻りはじめたのをみて伯母さんはすかさず囃したてる。平生ろくに歩いたことのない私は動悸がして眼がまわりそうだ。手がはなしたくてもみんなは夢中になってぐんぐん人をひきずりまわす。そのうちに
「ひーらいたとおもったらやっとこさつーぼんだ」
といって子供たちは伯母さんのまわりへいちどきにつぼんでいったもので伯母さんは
「あやまった あやまった」
といって輪からぬけだした。

「つーぼんだ つーぼんだ、 なんのはなつーぼんだ、れんげのはなつーぼんだ…」
つないだままつきだしている手を拍子につれてゆりながらうたう。
「つーぼんだとおもったらやっとこさひーらいた」
つぼんでいた蓮華の花はぱっとひらいて私の腕はぬけるほど両方へひっぱられる。五六遍そんなことをやるうちに慣れない運動と気疲れでへとへとにくだびれてしまい伯母さんに手をほどいてもらって家へ帰った。〟

 

 

 

上掲2枚の写真は2014年5月20、樹下美術館近隣の畑の蓮華です。
まじまじ見たのは初めてで、こんなにきれいなものだとは知りませんでした。

 

さて、こどもたちには少し優しいコロナウイルス。このウイルスはよほど人間のことを知っているのかもしれません。それで大人は余計に油断が出来ないのではないでしょうか。

休館のお詫びに「銀の匙」の一節から その1

2020年3月10日(火曜日)

本日はお詫びというわけでもありませんが、気にいって読んでいる中勘助の本「銀の匙」から以下のように一節を紹介させて頂きました。
国が富国強兵に被われる直前、のどかさがまだ残る明治20年代ころからの子供達、あるいは社会の一コマです。

幼年の主人公「私」は神田で生まれ間もなく小石川へ移ります。
歩ける年になってもひたすら強い愛情と保護を注ぐ伯母さんに背負われる生活をしている主人公。博覧強記、そして深い信心の持ち主である伯母さんの訛りと気っ風にも、不思議と郷愁を誘われます。都合で本と段落が変わていることをお許しください。

〝で、伯母さんは一生懸命私の遊び仲間によさそうな子供をさがしてくれたが、そのうち見つかったのはお向こうのお国さんという女の子であった。
ーお国さんのお父様は阿波の藩士で、そのじぶん有名な志士であったということは近頃になって始めて知った。ー
伯母さんはいつのまにかお国さんが体が弱くておとなしいことから頭痛もちのことまでききだしてもってこいのお友達だと思ったのである。

ある日伯母さんは私をおぶってお国さんたちの遊んでいる門内のあき地へつれてゆき
「ええお子だに遊んだってちょうだいも」
といいながらいやがる私をそこへおろした。みんなはちょっとしらけてみえたがじきにまた元気よく遊びはじめた。私はそのひはお目見えだけにし、伯母さんの袂につかまって暫くそれを眺めて帰った。

その翌日もつれてゆかれた。そんなにして三日四日たつうちにお互いにいくらかお馴染みがついて、むこうでなにかおかしいことがあって笑ったりすればこちらもちょいと笑顔をみせるようになった。

お国さんたちはいつも蓮華の花ひらいたをやっている。伯母さんはそれから家で根気よくその謡(うた)を教えて下稽古をやらせ、それが立派にできるようになってからある日また私をお向こうの門内へつれていった。そうしていじけるのを無理やりにお国さんの隣へわりこませたが意気地の無い二人はきまりわるがって手を出さないので、伯母さんはなにかと上手に騙しながら二人の手をひきよせて手のひらをかさね、指をまげさせて上からきゅっと握ってようやく手をつながした。
これまでついぞ人に手なぞとられたことのない私はなんだか怖いような気がして、それに伯母さんに逃げられやしないかという心配もあるし、伯母さんのほうばかり見ていた。〟

 


「かごめかごめ」はしたことがあるように思います。
蓮華の花ひらいた、は聞いた覚えがありますが、遊んだか否か微妙でした。

かすりの着物にへこ帯であろう子供たちの様子は愛らしく映ります。
門内:もんない、と読むのでしょうか、具体的な意味が分かりませんでした。いわゆる町内でしょうか。
夏目漱石から「子供の世界の描写としては未曾有」と絶賛され東京朝日新聞に連載された「銀の匙」
大人には特別な出来事が起きるわけではありませんが、繊細な主人公にとって毎日は事件でした。

押しつけがましく致しまして申し分けありません。

家にばかりもいられない、新型ウイルスの日曜日。

2020年3月8日(日曜日)

本日も近隣の新潟県立大潟水と森公園を歩いた。
体を動かしたいのと、外気と紫外線はウイルスに悪ろうはずはないというのもある。

さて、突然長い春休みになってしまったこどもたち。突然昼間から家族が増えてまごまごするお年寄り。走り回る生徒さん。
気のせいか園内は何か普段と違う、どこかよそよそしげな、ある種の緊張なのか、少し変わった空気が漂うように感じた。
(いやいや、私だけが緊張しているの?)

 

とても上手にボールを蹴る親子がいた。

 

サーフィンのようにして滑る子もいる。

 

私たちは出来るだけ外にいたほうが良いみたいだから、と仰ったお二人。
お互いに気をつけて頑張りましょうね。

 

 

スマホをいじる人がほとんといないのも公園の良い所。

 

帰京している孫が遊びに来た。

家で孫達とお茶を飲んだ後、ホームセンターへ芝生の肥料などを買いに出た。
帰りに海洋芸術ではないが、直江津港と火力発電所に寄った。

 

 

赤と緑のタグボートはおしゃれだ。

 

 

 

発電所防波堤の人出に驚いた。
今日は特別釣れたのだろうか、日が暮れているのに大勢残っていた。

嵐の海の絵 東北大震災のエネルギー。

2020年3月7日(土曜日)

走ればすぐ海へ出る所で育ったので、季節ごとに何かと海へ行った。冬の最中に海辺の砂丘でスキーをした。荒波が打ち付ける波打ち際の砂の上まで滑るのである。
そんな訳で荒海のドラマチックな景観も好きで、先日も写真をのせさせて頂いた
先週末にかけて荒れたため飽きもせず近隣の海を写してきた。

 

爆弾低気圧と伝えられた日の四ツ屋浜。

 

漁港の防波堤と波。
どんなに激しく何年打ちつけても、小さな漁港の防波堤だがびくともしない。

もうじき3月11日、東北大震災の日がくる。
ちょうど新潟市の知足美術館で拙個展の最中。弟はじめ三つの親族が南三陸町と仙台に住んでいた。すぐに個展などは上の空になったことが昨日のように蘇る。

大震災の津波は1回で、あまたの港の防波堤をことごとく破壊した。その力は広島型原爆のほぼ3万個分のエネルギーだったという。上掲の堤防などは砂を盛った如くあっさり潰されたに違い無い。普段地下のプレートが如何に強大な力を我慢しあっているかも知らされた。

加えるに原発4基の破壊と爆発。東北を越えた未曾有の災禍に広がった
日頃自分一人生きるのも大変な人生を生きている。だが時に立ち止まり、このような災害と事故を自分のことのように置き換えて振り返ることには非常に意味があると思う。

さて冒頭で爆弾低気圧の漁港を取り上げたが、美術の分野には海洋芸術あるいは海洋画というものがある。
陽光を湛えた穏やかな海を描いたものが多い中で、以下のように嵐も少なくない。

 

ウイリアム・ターナーの「嵐の中のオランダ船」

 

レンブラント(レンブラント・ファン・レイン)の「ガリラヤの海の嵐」

 

イヴァン・アイヴァゾフスキー「第九の波濤」

海にまつわる説話や聖書の逸話など古くから海は多く描かれている。わけても嵐の海は風波や雲の観察、光の効果、波乱を支える構図の安定感、さらに物語の構成など素晴らしい。

日本画の激しい波浪といえば、何と言っても葛飾北斎と曽我蕭白であろう。機会にめぐまれたなら勉強をして、取り挙げてみたいと思います。

樹下美術館の開館を延期することに致しました 新型コロナウイルスの随想。

2020年3月4日(水曜日)

このたび熟慮を重ねた結果、
新型コロナウイルスの感染拡大に備え、樹下美術館は3月15日からの今年の開館を延期することに致しました。

樹下美術館は、まず人であふれかえるようなことが無い小さな施設です。休館、開館、どちらがどのような影響があるか全く見当がつかず、悩みました。
最終的な判断は、2月29日、首相から全国の小中高の学校に対して休校の要望が出されたことで決まりました。
再開を何時にするかも難しい問題でしたが、期限を設けず小学校の推移に準じさせてもらう事にしました。

この機会に新型コロナウイルスへの気ままな覚えを以下に並べてみました。

小中高の休校と首相の言葉。
休校の目的は社会とこどもの感染防止です。当然学業の維持がありますので、休めば良いだけでは済まされないでしょう。いざ直面して、当事者たちはとても困惑しているのではないでしょうか。皆さんはそう強い立場ではないだけに、あたかも新型コロナウイルスの人為的な二次災害の側面としてみえてしまうのです。
以前に、政府は愛情を示してと書きましたが、面倒な事でしょうか。困難の克服は方法のにみあらず、時には心打つ言葉が待たれるように思うのです。
苦労されている首相にはぜひ自らの心の内も吐露して頂き、同じ国民として一緒に頑張りましょう、というメッセ-ジを待ちたいと思います。きっとみなを勇気づけるにちがいありません。

バーチャル感染とバーチャル抗体。
荒唐無稽な事を掲げましたが、宜しくお願いいたします。
このところ、できるだけ私は〝すでに感染している〟と考えることにしました。ウイルスの潜伏期間が長いこと、発症してもまずは軽症であること、の二点が明らかにされています。さらに感染拡大と経路の不明確さも重なり、ますます普段の感染・非感染の区別がつきにくくなりました。
そんな状況下で〝いま自分は元気なので大丈夫、と考えるのは油断と感染拡大に結び付きかねません。
むしろ〝症状は出ていないが、すでに感染しているかもしれない〟と考えるほうが、より慎重な振る舞いに繋がりやすいように思われます。
少なくとも二週間大丈夫なら、ああ感染していなかった、と喜び。この先また二週間やってみよう、と繰り返すのです。
これだとマスクにも積極的な意味が生まれますし、他者への配慮も良くなろうかと考えられます。本当のワクチンや抗体の獲得まで、出来ればバーチャル感染と称しこれを繰り返し、各自が行うことで得られる結果としての予防行為には意味があるように思われます。〝社会におけるバーチャル感染とバーチャル抗体〟の概念です。あるいは心の免疫応答と言えばいいのでしょうか、如何でしょう。

あまりに楽な冬の後にあまりに厳しい春のお返し。
雪国の一般人にとって、雪が無いあまりに楽な冬が終わりました。このままだと田植え時期や盛夏に必要な水が心配だ、と周囲が案じていました。しかし暖かい冬の途中から新型コロナウイルス感染が広まりました。庭の雪囲いを外し、花のつぼみが膨らみ、周囲から花の便りが聞かれ始めた途端、とんでもない病が襲ってきて、世界は凍り付き一変しました。
医療の大混乱、流通チェーンの破壊、経済の冷え。教育の混乱、文化・スポーツの中断、、、。病は世界に広がり収束の目処は立たず、暖冬の恩恵など一夜にして吹き飛んでしまいました。
思えば暖かかった冬は、大津波の前にいっとき潮が引くような、一過性の現象にさえ思われてきます。今訪れた感染症こそが自然が狙った本番だったのでしょう

自然への冒涜としっぺ返し。こどもに対する自然の本性。
昔の人のように考えてみると、これは長年の大人の油断、なかんずく自然軽視のしっぺ返しかと見ることが出来ます。過日そのことを指摘した患者さんがいました。
汚染、破壊、失調、、、、自然が被った損失は計り知れませんし、止みそうにもありません。そこへコロナウイルスの大インパクトでした。符丁を考えてみる必要はないでしょうか。
ところで、このウイルスには、こどもたちを避けようとする奇妙な態度をみることができます。わずかですが強大な自然が秘めている本質としての母性が覗いているように見えるのです。はっきりわかりませんが、垣間見られるこの方面への探求は、当ウイルスの克服、もしかしたら共生にも及ぶヒントになるかもしれないと、想像(空想)している次第です。
※翌日、最後の一行少々の表現を変えてみました。

 

 

 

 

随所に不遜とファンタジーを交えて記載致しました。

最後ですが、駐車場は時間通り開けますので、よろしければ庭などを自由にご覧下さい。
その際、出来れば互いに2メートル前後は離れ、宜しければ大声を控えるのが良いかもしれません。

みなで乗り越えられるよう頑張りましょう。
感染者や感染元を優しく思いやりましょう。

3月1日日曜日、再び大潟水と森公園 鵜の池にオオハクチョウ さらに美術館から上下浜へ。

2020年3月1日(日曜日)

暦が前進して3月1日を迎えた。
今年の春は色々な意味で1日1日が貴重になりそうだ。自分が感染を免れる保証は一切無く、不意にヒヤリとする。

せめて1日気を紛らわせて無事に過ごさなければならない。
日曜日の本日、予報より良く晴れたので、昨日に続いて再度大潟水と森公園へ出向いた。同じ所へ繰り返し行くのは本と同じ、気楽なのが動機であろう。

バドミントンをしている。健康な家族だ。

 

 

上の写真の池に鯉がいた。
冷たそうな水の中、そーと泳いでいる。

 

 

シジュウカラの群の一羽。

 

この辺りでミズバショウを保護し増やしている。歩道が新しくされた。

 

苞が開き始めているのがあった。

 

オオイヌフグリが喜んでいる。

 

雪が無かったせいなのか、苔の緑が素晴らしい。

園内から見た鵜の池の南方面に白鳥の群が見えたのでそちらへ回った。

 

鵜の池の水門。ずっと向こうに白鳥たちがいるはず。
このあたりは公園の区域外になります(対岸が公園)。

 

ここで白鳥を見るのは初めて。
普段白鳥は隣の朝日池に居る。ただ毎年季節の終わりになると鵜の池でよく見た。

モニターで大きくしてみるまで分からなかったが、この群はコハクチョウとオオハクチョウが一緒だった。
当地でオオハクチョウを目にすることは普段ほとんど無い。

 

見慣れたコハクチョウ。

 

このグループはくちばしが長く、黄色の部分が前に伸びている。
オオハクチョウだと思われる。大きさも少しだけ大きい。

 

写真で右の、よくみると9羽がオオハクチョウ。左の5羽がコハクチョウであろう。
遠目にも大きさが違うようだ。

すでに隣の朝日池には、当地に馴染みのコハクチョウの姿は無く、みな北へ帰った。本日見た群は北陸や山陰から北国へ帰る途中の群ではないかと考えられた。日本海沿岸を訪れるオオハクチョウは当地ではなく、主に北陸・山陰へ渡る。しかしなぜ彼らは北への帰路で朝日池を避け、鵜の池に降りるのだろう。
これまで冬の終わりに、鵜の池で白鳥が見ることがあり、コハクチョウが二つの池を移動するのかと思っていた。本日の写真にオオハクチョウが見られたことから、北陸、山陰からシベリアなどに帰る途中のお客さまたちでは、と新たに推測された。それにしてもなぜ朝日池でなく鵜の池なのだろう、詳しい人に色々訊いてみたい。

池を去って美術館の庭に戻った。私があちこちウロウロしている間に、妻が雑草取りをしていた。

ひっそりと咲いていたタチツボスミレ。
寒そうだった。

 

盛大になってきたクリスマスローズ。

 

裏の水田で鳴いていたキジ。

何かしていないと落ち着かない私の性分。夕暮れまで時間はあるので上下浜へも行った。美術館から10分少々で近い。

 

 

 

いつもと反対の東側へ回り、そちらからマリンホテル「ハマナス」を写した。
ワイエスの絵みたいだ、とまた言われそうだ。

本日はゆっくり出来たが、いま病院はかってない緊張の日々であろう。私の外来でも普段より細かなやり取りが必要になっている。上越地方が大事に到らないことを祈るばかりだ。

公園では散歩の人と何度も出合って会釈したが、いつもよりほっとする。

本日の新潟県立大潟水と森公園 当面新しい文化で。

2020年2月29日(土曜日)

本日、新潟市で一例目の新型コロナウイルス感染が確認された。
それでも空は晴れ、午後、近くの新潟県立大潟水と森公園をほぼくまなく歩いた。

今冬雪の日がほとんど無かった園内は、例年よりも早くきれいに仕度されていた。

 

 

 

 

 

 

 

できるだけ閉じられた混雑を避ける丁寧な手洗いをまめに行う。食べ過ぎ飲み過ぎを少々慎む。
当面、どこかしら新しいこのような文化に親しみつつ頑張るので良いのだと思う。

今朝の雪より驚いたこと。

2020年2月28日(金曜日)

今朝がた突然雪が降り驚いた。午後の在宅回りでは、少し海岸から離れると雪は見られず、海沿いだけ帯状に降ったらしい。

 

今朝の潟町の庭。

さて雪よりずっと驚いたのは昨日首相から発せられた小中高の一斉休校の一声だ。
いま行う全ての対策はこどもを学校に通わせ続けるために行うくらいの覚悟が必要なはずである。学校や教育はそれほど貴重で、社会の最上位レベルにある。
それをこうもあっさり止(と)めてしまうとは何なのだろう、本当に驚いた。

陽が射したり雪がぱらついたり 「銀の匙」と麦こうせん。

2020年2月27日(木曜日)

午前中は暖かいと言う人も寒いと言う人も居た本日木曜日。
午後休診とはいえ、ここのところよく往診が入った。本日は看護師が上手に調整してくれてちゃんとフリーになった。

風が強い日だったが夕刻にはいっとき雲が赤くなった。うまく時間が合えば夕焼けのほくほく線電車が撮れるかもと期待して田んぼへ出向いた。残念ながら時刻が合わず、あまつさえモクモクと黒い雲が現れて空を被った。

 

 西の空。この後一面真っ黒となり、たちまち山も見えなくなった。

 

帰りましょう、と車の向きを変えると、しばし道が白くなる。

 

現在二回と半分読んでいる「銀の匙」
しばらくどこかへ見失ったが、また出て来た。
年令のせいだと思うが、同じ本を繰り返し読む。
父の晩年に似てきたが、楽に読めるので仕方が無い。

以前も触れた通り、物語は明治前・中期におけるこども時代の回想として進められる。
祭、食べ物、遊び、囃しことば、親族、もの売り、植物、生き物、庭や風景、男女のこども、、、。これらと引っ込み思案な主人公との、どこかもの悲しげで美しいやりとりが、こまやかな言葉で綴られる。野尻湖の枇杷島(弁天島)で執筆されたというのも親しさをおぼえる。

 

本には驚くほど色々なお菓子(今で言う駄菓子)が登場する。
右は文中に登場した江戸・明治以来の「麦こうせん」。
左は遅ればせながら本日初めて口にしたタピオカ。

麦こうせん。粗めのラクガンであろう。かってよく食べた気がする。

麦こうせんはネットで買った。香ばしい麦粉の匂いがぷんぷんしている。私だけかもしれないが、タピオカよりも美味しかった。
本には沢山のおもちゃやお菓子が登場する。それらが売られている様子や扱いには何とも言えない情緒が漂う。
今、情緒や風情などというものは、どこか遠くへ行ってしまった。時に周囲でそれらしいものも顔を出すが、人集めであり、生活感もなく作り物ばかりで残念だ。

新型コロナウイルス検査一つの考え方 かけらでも良いから愛情を。

2020年2月26日(水曜日)

昨日政府から新型コロナウイルス対策として基本方針が発表された。
過去にSARS、MERSの国内感染が無かったこと、有効な抗ウイルス薬とワクチンが無い事、さらにPCR診断が十分行き渡らないことなどから決定的な機軸が示されないまま苦しい内容にならざるを得なかった。
新たといえば、クラスター感染という概念が示され、当面それを管理抑制するのが課題という考えが伝えられた。

医療は、重症者を優先し医療資源を保持すること。感染拡大が危惧されるため、不用意な病院受診を控えること、の二点が強調され、以下のような以前からの具体策が継続されるようだった。

【受診要点】
初期のかぜ症状であれば基本家で療養。
受診の目安として以下①,②のいずれか。
37,5度以上の熱が4日続く(※高齢者あるいは基礎疾患のある人は2日)。
または強いだるさ、息苦しさの症状。
受診相談は最寄り保健所へ電話する。
今後感染が大幅に増えた場合、感染が疑われる患者さんを一般の医療機関でも受け入れる。

【問題】
疾病の重い軽いを自分で判断するのは簡単ではない。診察において、一見大した事がなさそうな人のレントゲンで肺炎が見つかることがある。熱にしても、「ありませんでした」と言う人を耳の赤外線で計ると38度あることは、そう珍しくない(熱ははかり方で全くちがうことがある)。
そもそも4日間、症状と微熱を抱えたまま家にこもるのは容易だろうか。心配が増幅され、かえって関係機関の電話が鳴りっぱなしになる、という逆効果を考えなくていいのだろうか。
問題は診断であるが、驚いたことにクルーズ船の段階から、この国ではコロナウイルスのPCR検査能力が極めて不足していたという。日本はこんな国だったのか、「残念」で「恥ずかしい」と言わざるを得ない。ようやく増えたというが、まだ十分ではなさそうだ。

【一つの方法】
疑いのある人が病院に出向くのに感染拡大の懸念があるなら、検査だけでも家で受けられないか。訓練された保健師などがPCRの検体採取セットを持参して巡回するのである。
あるいは現医療機関をつのり、基準を設け検体採取に回る。
巡回が目立つため差別を生むのであれば、個人が保健所に出向くのはどうだろう。希望者はマイカーで寄り道を謹み、検査だけに限定するのである。(一般と動線を区別された小さなスペースで良い、保健所にはいくらでもあるように思われる)。
※いずれも双方十分なガウンテクニックを採用し、接触を短縮するため問診は電話かメールで済ませる。検体採取は入り口など浅い場所で素早く行い、サインして終わる。費用は特別な措置のもと公費を検討すれば良い。

○患者さんが来る、こちらが行く。どちらにどのようなメリットとリスクがあるだろう。費用対効果は如何ばかりか、難しいところだが、一つの考え方ではないだろうか。

【朗報?】
今夕のニュースである製薬会社が小型の迅速診断機器を開発したと伝えていた。3月末までに実用化可能、15分で結果が出るらしい。抗体検査なら一定の経過を経る必要があるが、PCR法に準ずるのであれば大変な発明である。補助診断でも朗報であろう。

【イベント】
首相から大規模なスポーツや文化イベント自粛の勧めがあった。Jリーグは残念だが一昨日のゲームとスタンドはやはり異様だった。

【いずれにしても】
新型インフルエンザの時はタミフルやリレンザがあった。しかしこのたびは丸腰である。
医療に格好などつけなくても良い、政府は国民に対してかけらでも良いから愛情を示してもらいたい。

大潟沖の船とカモメ Jリーグは大丈夫か。

2020年2月24日(月曜日)

昨日は風強く寒く、大潟漁港では手が冷たくて往生した。一転して本日日中はよく晴れ、風も弱まり温かかった。

 

本日昼カモメを撮っていると直江津港からタンカーが出て来た。

 

ところでこれまで何度か新型コロナウイルスの件を書いてみた。免疫やこどものこと、消化器合併症と栄養などに触れた。一般的な経験則を拠り所に、さほど間違ったことは書かなかったつもりだが、動向には注意深く接して行きたいと思う。

目立ったところでひとつ、Jリーグが歌などを自粛して開催された。しかし今は問題ではないだろうか。

明日、国から全体について新しいまとめが公表されるらしい。

大きな海 小さな小さなウイルスの理解。

2020年2月23日(日曜日)

昨夜から台風にまさるとも劣らない風が吹いた日曜日。
大潟区渋柿浜の大潟漁港の波は圧倒的だった。カメラのレンズに絶えずしぶきが吹きつけ、何度も拭かなければならなかった。

 

 

いっとき陽が射した時間に堤防に当たる波しぶきは迫力があった。
このような時に一瞬虹彩がかかることがあるが本日見られなかった。

目に見えない小さな小さなウイルスがひきおこしている災禍の日常で、大きな海の動静を眺めるひとときは少し気が休まる。

いま季節は移り、移動、進学、引っ越し、歓送迎会、スポーツイベントと観光シーズンがはじまっている。コロナの状況はようやく日本人メインになってきた。対応の中に多くの外国人が介在したこれまでに比べて、状況に幾分整理がついてきた。ここに到っては、大声のマスイベントなどは暫く見合わせ、新たな封じ込め対策を実直に実行し確実に克服に向かった方がいいと思う。

経済のダメージは大きいが、だらだらと進めて、何時終わるともしれない深みにはまるのが最も良くない。緩むこと無く綿密かつドラスティックな対策を是非履行してもらいたい。

今ウイルスは何を求め、どんな環境を喜び、何を嫌やがるかを知り、どんな状態に置かれているかを理解することは、私たち一人一人にとって有益ではないだろうか。敵を知り己を知るのは戦の基本。〝本当の専門家〟の話を聴いてみたい。

2020年4月
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