11日の茶会の掛け軸「秋夜弄月」など。

2025年10月13日(月曜日)

去る5日に続いて11日(土曜日)、以下の会記のように秋の樹下茶会(薄茶)を行いました。ちょうど予定席どおりのご参加を頂き和やいだ会になり、お集まりの皆さまには厚く御礼申し上げます。

 

良寛筆「秋夜弄月」

「秋夜弄月」につきまして簡単な説明です。この軸は亡き父の寝室の床の間に長く掛かっていました。分からないながら上品な書だと感じて観ていましたが、署名がありません。お茶を始めた昭和60年代の頃もしかしたら良寛かもと思いました。
2020年秋、読みも分からず伝良寛として拙茶室に掛けたところ全国良寛会会長・小島正芳先生を知る方がご覧になり写真を先生に送って下さり、ご意見を訊ねて頂いたことがありました。

先生のお返事は「良寛禅師の五合庵時代の真蹟。良寛禅師50歳ころのもの。名品である。良寛の漢詩「秋夜弄月(しゅうやろうげつ)」の最初の部分を揮毫したもの。新出の遺墨である。-以下省略ーのお返事でした。
訳として

月は四季それぞれに眺められるが、月を賞でるにはまことに秋の今がよい。秋の山は高くそびえ、秋の川は清らか、果てしない晴れた空に鏡のように丸い月が渡っていく。しかし月の光は照らしているのではなく、知覚の対象となる所もそうである。この月の光と知覚されるものを共に忘れるのはまた非である。

内容は

「碧巌録」の「光の境を照らすに非ず境も亦存するに非ず」の言葉を月をもながら反芻していると覆われる。「一」に徹することの大切さを説いた詩。哲学的な詩で難解なところがあるが良寛さんは「月」に悟りの象を見ていた。

とありました。

「美しい月の存在」、「それを知覚する自分」。双方は自分の「意識」によってのみ存在すると言っているように思われます。
詳しくありませんが事象に引き算を重ね残ったエッセンス(原理・真理・美)に迫ろうとする禅。最後に残るのが「意識」ならば意識を磨けば知覚が鋭くなり月の光など事象はより真実さ(美しさ)を増す、という公案あるいは演繹のように思われるんですが、如何でしょうか。
こう見ると最も大切なのは「意識」ということになりそうですね、再び如何でしょうか。

なお「碧巌録」は中国の仏教書(禅の語録)として宗代にまとめられたもので、禅文学の価値も大きいとされる(Wikipediaより抜粋)ようです。

以下前回お出しした鈴木秀昭さんの金銀彩天空茶碗と新登場の棗(なつめ)です。坂一男作「独楽蒔絵棗」です。

右は坂一男作「独楽蒔絵棗」。

 

香合は倶利香合です。
中国のものと考えられます。

 

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