年末旅行最終日は岡山市から旧閑谷(しずたに)学校へ。

2026年1月7日(水曜日)

前回の備中高梁の駅隣接ビルの記載で蔦屋を蔦谷などと記載してしまい、申し分けありませんでした。
本日は旅行の最終日、岡山市内と旧閑谷(しずたに)学校行きです。

実は旅行の三泊目を瀬戸内が見晴らせる倉敷市児島を予約していましたが、岡山市周辺を調べると「閑谷(しずたに)学校」という聞き慣れない場所を知りました。やはり吹屋同様山間にひっそりと、しかし確固たる存在感を漂わす魅力に惹かれ児島から岡山連泊に変更した次第です。

この日は夕刻までにに岡山を発たなければなりません。以下簡単ですが31日午前の岡山市の後楽園と岡山城です。

入園早々岡山城が見える後楽園。

後楽園は広大で池と水路などふんだんに水があしらわれる庭園でした。

 

舟置き場。

蓮田、茶畑、蘇鉄(そてつ)畑など
随所の田畑は印象的でした。

茶で言えば中国から日本に茶を紹介した臨済宗開祖・栄西は岡山県の人だと知りました。同園では田植え、茶摘み、観蓮、月見、能楽、芝焼きなど四季折々の催事が行われ、開かれた庭園として広く愛されていることが覗われます。

公園側から見た岡山城。

上掲の撮影後旭川(あさひがわ)に掛かる橋を渡って岡山城を眺めに行きました。

時間が来ましたのでお城の後岡山駅から山陽本線で「吉永」駅へ普通列車に乗りました;。約35分で到着後、目的地「旧閑谷(しずたに)学校」へはタクシーを利用しました。

山間に入ってすぐに目的地、国宝や重文の建造物群を有する特別史跡「旧閑谷学校」でした。
※学校に「旧」の文字を付ける付けないは最後まで判然としませんでした。

校門である鶴鳴門(かくめいもん)。

鶴鳴門の荘重な屋根瓦。
雨水の傷みに備え緻密な構造。

国宝の講堂。冬以外は芝生の緑に囲まれるようです。

 

塀の上面は侵入の手がかりにならぬよう丸い。
高さ幅とも2メートル、総延長700余メートルです。

昭和天皇お手植えの楠(くすのき)

旧満州、奉天生まれの私ですが、
故郷を訪ねたような懐かしさ。

建物の膨大な瓦は全て備前焼で、耐性保持のため特に高温で焼成されたと言われます。長年にわたり大量の瓦を支える木造部分の強さにもほとほと感心させられます。建造物全ては今日も耐えるよう創意工夫され、維持した後世の人々にも感心です。

閑谷学校の始まりは早く、寛文十年(1670)、岡山藩主池田光政により庶民のための学校として30年も掛けて創建され、他藩をも問わず子広く子弟を集めていたということです。

当然ですが江戸初期からの歴史ですから浮沈が見られ衰退ごとに有力者らによって再興され現在でも保存を旨とする運営財団は寄付を募っています。

藩校として長く存続、明治時代以後は中学校としても使われ大正時代まで実用されたようです。

池田公墓所へ椿の道。

学校の右手に椿の道があり、池田光政公の墳丘へ続いているということです。当所一帯はまだまだ見どころ多い場所。いつか叶うなら花の季節に再訪したいと思いました。

本日で年末旅行記事は終了ですが、吹屋も閑谷も遠い所でした。しかし両所とも古い学校が格調高く保存され、この度の旅行を意義深いものにしてくれました。

長々と拙旅をお読みいただき有り難うございました。
今回、地域の隆盛は地勢・環境も大事ですが有能な殿様と城下の学問は決定的であろうとつくづく感じました。

帰路は東京を経由して北陸新幹線でした。東京駅で乗車後すぐ肘掛けの脇にタブレットの忘れ物を見つけました。
携帯の置き忘れをしたばかりなのに今度は私が発見者、急いで車掌さんに届けた次第です。
旅は本当に色々なことが起こりますね。

到着した上越妙高駅は雪降りの最中で今週末は大雪が待っています。

しかし3月15日、樹下美術館は20年目の開館です。
休館日など少し変わりますが今年もどうか宜しくお願い致します。

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