台風後の上野駅から大潟町へタクシーに乗る その2。

2025年9月4日(木曜日)

さて昨日の続きです。昭和40年代、父の急な入院で急遽帰省することになる。秋だったのか、大きな台風が去ったばかりの上野駅は全面運休。意を決して駅前に並ぶタクシーに声を掛け、直江津まで行ける車を探し乗車した。本日はその続きになります。

道中記憶のあるエピソードは夕暮れの大宮だった。大宮が近づくと運転手は駅に寄っても良いですか、と聞いてきた。こんな日の駅には足が無くなった人が大勢いる、もし良ければ相乗りは構わないかという。
車中色々話ながら来ていたが運転手の人柄については不安を否めなかった。これも災害時、一先ずいいですよと言うと車は駅に着き運転手は降りて行った。激しく雨が降るなか二人の中年女性を連れて戻ると私が助手席に移り三人の相乗りになった。

車中のことは詳しく覚えていないが、かなり走って相客の二人は雨の中を18号線沿いで降りた。私は再び後ろの後部座席に移動しウトウトしはじめた。

何度もうたた寝と目覚めをくりかえしながら高崎市に入った。深夜の街で、碓氷峠の状況を聞いてみます、と言って車は電話ボックスの脇に停まった。雨のボックスでなにやら話す運転手。間もなく戻ると、110番で聴いてきました、峠は大丈夫のようです、と言った。

深夜くねくね曲がり続ける雨の峠は怖くて眠っていられなかった。そもそすれ違う車など無かったように思われる。
なんとか無事に峠を越えると今度は千曲川の安否確認だった。小諸と上田でそれぞれ電話あるいは無線も使って道路状況を尋ねたように思う。長野市を越えたあたりから夜が明け道路沿いに泥をかぶった水田や果樹園が目に入った。

まんじりともしないまま上越市に入ると目がしゃんとしてきた。直江津近くの18号線は一部冠水し、浜線に入ると港町の佐渡汽船周辺も水浸しだった。
上越市内は何カ所か迂回しながら一晩かかけたタクシー帰郷が終わった。家に到着すると3万何千円が掛かっていた。運転手は相乗りをしたので3万円でいいと言い、母から残りを出してもらい、丁重に礼を述べ別れを告げた。

上野駅で燃料と距離を計算したうえ乗車を引き受け、大宮で困っているであろう客を拾い、峠や川の状況を確かめながら当地まで無事運んでくれた運転手さん。最初は半信半疑、大丈夫かなと不安を感じていたが途中から責任感のある立派な人だ、と印象が変わった。

見舞った父はイレウス管が挿入され回復に向かっていて手術を免れた。
あたかも夜間台風を追うように走った上野ー大潟町のタクシー乗車。50数年経ったが二度と無いことだろう。

仕事場のブットレアに来ていたキアゲハ。
アゲハはこの花が大好き。
去ってはまた戻る。

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