2025年9月6日

小学校に上がるまでジャンケンを知らなかったAちゃん。

2025年9月6日(土曜日)

去る9月3日の豪雨が上がると一両日は涼しくなり本日は30度止まり。長く続いた厳しい暑さとは別の空だった。
あの激しい雨は患者さん達の菜園を襲い,出水を免れたがせっかく世話した秋野菜の苗や種を流し、盛り上げたウネを平にしてしまったと聞いた。

ところで私の所には小学時代の同級生たちが10数名通って来られる。もう83と84才になるが、短い診察ながらそれぞれ年取った姿に小学生のあどけない面影が重なり、何だか愛おしいような不思議な気持になる。

そんな昨日Aちゃんが見えた。亡きお母さんは和裁の先生で、冬になると遠くの里の生徒さんたちは泊まりがけで習いに来たと聞いたことがあった。Aちゃん自身は洋裁が上手く、母が残した着物を洋服にしたりバッグにして人前に出るほど腕が立つ。

診察を終え、分校時代のB先生がC君に行った凄まじい体罰(教育?)の事を知っているかと尋ねると知らないと言った。その時目にした現場の話に目を丸くしたあとAちゃんは分校の1,2年生の受け持ちだった佐藤先生の話をした。

初めて聴く話は短いながら心温まるものだった。
以下Aちゃんの話です。

 私は小学校に上がるまでジャンケンというものを知らなかった。担任の佐藤トシ先生はそれに気がつき、わざわざ家まで来て母と私にやり方を教えてくれた。母も知らなかったとみえ習った後で二人で練習をした。
大通りには同級生が沢山いたが通りから離れた家の周りには遊ぶ友だちがなく、ジャンケンを知らずに育ったのだと思う。

 

筆者はジャンケンをしますがそれを何時覚えたかなどはまったく思い出せません。しかしAちゃんのようにきっかけが明瞭で心温まるエピソードを持つ人は珍しいのではないでしょうか。聞きながら羨ましく思いました。

ちなみに担任の亡き佐藤先生はクラスの誰もが懐かしい表情になり、良い先生だったと述懐します。
良い先生とは、少なくとも生徒たちを毎日学校へ行きたくさせる人のことではないでしょうか。

2年生の記念写真。
佐藤トシ先生は右端に座っている。
Aちゃんはそのそばに立っている。

佐藤先生のすぐ後ろに立ったAちゃんにとって佐藤先生は特別な存在だったかも知れません。
本校、分校の教室事情があったにしえも、これだけ大勢(60人)のちびっ子を先生一人がみていたとは。しかし生徒たちはみな佐藤先生が好きでした。

次回から文中触れたCちゃんに対するB先生の激しい体罰をDさんのことと共に記してみます。

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