ほくほく線電車&乗り物
1月3日夕刻と4日午前の高松市、美しい松と命の讃岐うどん。
遅々として進まぬ正月旅行記ですが1月3日午後遅く、直島から四国へ、ようやく後半の高松市に入った。雨でしたが傘をさすほどでもなく助かりました。港、駅、主なホテルがほぼ一地区にまとまっていて、交通の利便が計られていました。
高松港の2本のモニュメント。2010年に開催された瀬戸内国際芸術祭に設置された大巻伸嗣氏の作品。その後2022年の瀬戸内芸術祭を経て長く高松港のシンボルになっている。
JRホテルクレメント高松の部屋から見た高松駅方面。大都会だと思いました。反対側、ホテルの裏手は港です。
香川、高松といえば何といっても讃岐うどん。夕刻駅で明日の列車マリンライナーの切符を買い、ホテルで傘を借りてうどんを食べるべく街へ出ました。
食べ物屋さんがある繁華街のアーケードはすぐ近くと聞いたのですが、中々着きません。今や健常な層と異なり年寄りの足は距離や時間が違うのでしょう。傘を開いたり閉じたり、幾つも街角を曲がってようやく店を見つけました。
お願いしたうどんは熱々の桶に入り、海鮮が効いた甘めのタレも器ごと熱々でした。
妻には内緒でしたが、入店して座ると何故か頭がぼーっとして上手く気が回らない感じがしていました。三日間毎日1万歩は歩き、当日もすでにそれを越えていました。
昼を抜いているのですから、低血糖気味だったのかもしれません。慌てずにまず熱いつゆを口にし、ゆっくりうどんを噛みしめながら食べました。
ああ讃岐うどんは大学病院時代、専門店が近かったのでどれだけ食べたかわかりません。こちらに来て足かけ49年、久し振りのうどん、それも正真正銘、本場の讃岐うどんです。持ち上げてみる非常に長くてずっしり重く、滑らかさ、湯がき方、熱さ、風味、分量、申し分ありません。
立派なことに桶などに入れてある。ゆっくり食べ始めると間もなく頭がしっかり働き出しました。高松の夜歩き疲れて食べた讃岐うどんは生涯忘れられない事でしょう。
地元の家族さんらしき方達も皆うどんですし、出がけにお金持ちそうな黒づくめの外人さんご夫婦が嬉しそうに入ってきました。
さて翌4日、昨日とは打って変わり気持ち良く晴れました。朝早くからホテルのすぐ近く高松城跡(玉藻城跡)である玉藻公園に行きました。玉藻は万葉集で柿本人磨が讃岐の国の枕言葉に 「玉藻よし」と詠んだことに因み、一帯が玉藻の浦と呼ばれたことによるそうです。
自分が世話になった大学病院の前に渋い木工椅子テーブルの喫茶「玉藻」がありました。懐かしい店ですがエプロンをした粋な主は高松の人だったのでしょうか。く
高松という都市名の由来が良くわかりました。南陽に映えて生き生きとした松でいっぱいの公園。実際正月早々、松の手入れに勤しむ職人さんたちを見ました。
石垣も美しく三方海に囲まれていたという城跡はブラタモリで観ていました。海水を取り入れた構造で、いまなお海とともに生きている城という雰囲気があり、歩くと元気が出ました。
桜御門。戦前国宝指定の前夜、空襲によって焼失。令和4年に再建されている。
入り口両側の積み石は見事で現代的な造形そのもの。いにしえの人々が有した美的センスは現代と遜色無いレベルではなかったかと思いました。自然や建造物と調和させる、という点で言えばなおさらです。、
園内の一角でみたソテツ。温かいところだとこんなに葉が茂り幹が太くなるのかと驚きました。
琴電が忙しく往き来していました。
その琴電に乗って高松市立美術館へ。駅で降りると晴れ着を着たワンちゃんと出会いました。忘れるところでしたが、お正月だったのですね。
美術館ロビー。
現代絵画と香合の展示を観て館内のカフェで一休み。
昼が近づき高松駅へ。
この年になってようやく出会った瀬戸大橋と特急列車。およそ10㎞にわたって瀬戸内海の島々を繋ぐひと時は壮快でした。
一昨年でしたか、一種興奮とともに読んだ村上春樹の「海辺のカフカ」。登場人物達はそれぞれの因縁に導かれ次々と高松へとやってきます。
主人公がたどり着いた高松市のクラシカルな図書館は、作者の若き日に親しんだ西宮市のものだったことは知っていました。しかし一種神秘的な空気を漂わす小説ゆかりの場所に淡く期待していましたが、図書館は勿論深いジャングルのような森と寂しい農村などを探す時間はありませんでした。
僅かな滞在でしたが、陸海が一体化した交通、美しく健康な松と立派な石垣の城跡・玉藻公園、そして讃岐うどん!四国高松はそれで十分でした。
学生時代と大学病院の医局時代、13年間をともにしたNは高知の人でした。若き日、休みになると宇高連絡船と急行など10時間も掛けて東京・高知を往き来したと聞いていました。
今回お洒落なフェリーでしたが、昭和30年代中頃~40年代の高松市や宇高連絡船はどんなだったのでしょう。元気なら色々話したかったNは一昨年亡くなり、気がつくと寂しくなります。
1月3日の倉敷と直島。
前回記載の1月2日午後の大原美術館は15時閉館ということで観ることが出来ず、翌3日に回され予定に少々の詰まりが生じた。
3日午前に同館を観終わり12時には宇野港へ行き直島を目指す予定となった。
大原美術館の創始者・実業家大原孫三郎は、孤児院の運営に粉骨するプロスタントの篤志家を知り、自らもプロテスタントとなり文化の社会貢献を目指して昭和5年、日本初の大規模な私立西洋美術館を設立した。
本館入り口左に
ロダンの「カレーの市民」
勇敢な人々の像は50年前も
ここにあった気がする。
同じ作家でも作品は様々にランクを生じる。大原美術館は主に孫三郎が支援した画家児島虎次郎がパリを中心に各地で懸命に収集。作品は作家の名ではなく完成度によって真摯に集められている。
このたび広大な展示場の館内でエル・グレコの暗色効果を生かした劇的な「受胎告知」から中心部の白が目を引くアンリ・ルソー、眩しいシニャック、ルノワールの若く幸福な裸婦、私には珍しく重厚なマティス、さらにムンクにロートレック、ルオー、モネ、ピサロ、ゴーギャンほか淀みなく並ぶ近代西洋画の代表作を観た。みな懐かしく、倉石隆が憧れたパウル・クレーも良かった。
日本人が描いたこの国の人々の深い味わいに一段と思いを新たにし、突然現れた松本俊介の青い人物も嬉しかった。
図録「大原美術館+作品と建築」
の見開き小出楢重「Nの家族」。
民藝の不動の人々、河井寛次郎、濱田庄司、富本憲吉、バーナード・リーチ、棟方志功、芹沢圭介のあまた一級品をを咀嚼するように堪能した
絵画では開館した昭和初期、日本で西洋名画の実物を目にする機会は乏しく、収集品は日本洋画壇の向上に貴重な役割を果たしたという。
50年ぶりとなる広大な館内を、まさにおぼろげな記憶とともに歩きながら、これは見納め、拙い自分のなにがしかの責任の一端を今果たしているという気がして安堵を覚えた。
米倉を用いた民藝・東洋館。
染織家芹沢圭介の紅型に
ちなみ独特の赤色をしている。
さて大原美術館の後は直島へ急がなければならない。宇野港からフェリー。しかし電車による岡山経由の行程は宇野港を頂点に岡山と倉敷が底辺となり三角形を構成していて相当不効率に思われた。時間を考慮し最終的にタクシーを依頼し宇野への直行を図った。
一帯に詳しい地元のタクシー運転手さん。運賃は掛かったが妻と二人で昼食を抜けば少しは足しになる。道中先々の話を聞きながら走った。現れては消える倉敷川を観て倉敷が物流の一大中心地だったことを納得した。
野を越え山越えて宇野港へ到着した。
宇野から目と鼻の先、直島宮浦港まではわずか20分だった。
宮浦埠頭に
草間彌生さんの赤いかぼちゃ。
一斉にこどもたちが走った。
直島のアート巡りは施設と野外がある。施設のほとんどは予約制で迂闊にも私達はそれをしていなかった。残念だったが野外作品を主に観で回る事にして一台だけあったタクシーに乗り込んだ。
小さな船着き場に設置された黄色いカボチャで写真を撮るのにしばしば数十人待ちになるらしい。私達の時は誰もおらず後から混んできた。
細い坂道を上ったり下りたり、写真を撮ったり、島の歴史と現状を聞きながら回った、精錬から文化の島へ痛々しさの克服。今日までの長い努力を思わない訳には行かなかった。
家プロジェクト地区にあった「ANDO MUSEUM」。予約無しで入館できる貴重な場所。しかし、ちょうど昼休みで入れなかった。
午後次第に崩れる天気。
ポツポツ始まるころ
高松へ向けて出航した。
直島の主だった宿泊や展示施設には(株)ベネッセの関わりが大きい。室内展示で是非観たい場所や作品があり予約をせず未練を残した。だが彌生さんの二つのカボチャほか楽しい作品に触れて満足して高松へ向かった。
高松までおよそ一時間、海路で見る瀬戸内の島々は想像以上に大きくて驚いた。
正月の西国旅行 一日目京都。
昨年正月は隣県長野の別所温泉の一泊旅行をした。安楽寺の国宝三重の塔は静寂の中、夜半に降った僅かな雪で各層の縁が白く染まり、それは美しかった。
今年はせっかくだから温かい地方へということで、京都、倉敷、高松に一泊ずつして西へ向かい、4日午後最後に備中玉島へ赴き、江戸時代に若き良寛さんが修行した円通寺を訪ね、何とか無事な正月旅行を終えた。
一日目の午後京都で知った能登半島地震。終始気をもみながらの旅だったが、間もなく82才を迎える旅行記念として本欄上に拙い足跡を残すことにしました。
京都の宿は駅に繋がったホテルで移動には便利だった。
早速のめあてを訪ねる
「泉涌寺(せんにゅうじ)」の長い参道。
同寺は数ケ寺の塔頭を有する皇室の菩提寺。
初めに左手前の「戒光寺」
寺院の正月花はいずれも見事だった。
大きさと美しさに圧倒された
「戒光寺」の「丈六釈迦如来立像」
運慶・湛慶親子の作とされる。
戒光寺を出て長い参道を歩くと深閑とした山あいに「御寺 泉涌寺(みてら せんにゅうじ)」の大きな伽藍が現れる。
宗代の「楊貴妃観音菩薩」
異国情緒の表情と宝冠。
(絵はがきより)
泉涌寺の水源である「泉湧水屋形」。
左手に清少納言の歌碑があった。
歌「夜をこめて鳥のそら音ははかるとも、よに逢坂の関はゆるさじ」は百人一首に。
泉涌寺を出て歩くと右側に「即成寺(そくじょうじ)」。境内裏手に那須与一の大きな墳墓があった。
数日後、高松往復の海上で源平合戦の那須与一にまつわる屋島が繰り返し見え隠れし、旅情を誘われた。
即成寺の高札を観ているときに頭がくらくらとして、何か発作が起きたと思った。間もなく東京の長男から電話があり、能登地震を知らされた。
京都は泉涌寺とその塔頭二ケ寺を回った。
雪はこの程度にしてもらいたい。
ほくほく線の夕暮れ電車 どうしても撮影と言えない その昔父母の呼び方を変えた。
夕方の空が良さそうな時は海岸かほくほく線、あるいは上下浜のホテルを写しに行く。本日はほくほく線だった。
ところで私には中々「撮影」という言葉が使えない「性」がある。
若い頃から「撮影」は映画かプロのカメラマンのようにお金をもらってする専門家の「仕事」だという観念が染みこんでいる。だからヘタでもあり、素人の自分がやっていることを「撮影」と呼べないのだ。
ならば「写真を撮る」、あるいは「写真を写す」、と言うことになるが、これは「頭痛が痛い」クラスの重複語(重言)となりダメである。
カメラの説明書やネットはもっぱら撮影と述べられているので読み聞きするのは平気だが、自分の事として使うとなると言えないから不思議だ。
思い切って「撮影」と言ってしまえば直ぐに慣れるようにも思われるが果たしてどうだろうか。
学童時代、父母のことを「とうちゃん、かあちゃん」と呼んでいた。周囲もそうだったので全く平気だった。
ところが姉が東京の私立高校へ入った夏休み、帰省するなり「おとうさん、おかあさん」に変えよう、と強く提案した。家族は戸惑い、呼び合うたびに顔を見合わせ、照れ笑いを隠せなかったが、かなり早々に慣れてしまった。
呼び名を変えた前後で父母への敬慕に変化はなく単に見た目の悪さを直しただけだったが、それで良かったと思う。果たして「撮影」はどうだろうか(どうしても変えられない気がする、、、)。
電車の何がどうと言うわけではないが、待ったり見たりしていると何となく一日の緊張をほぐせるので空が良いと来てみる。もしかしたら「子どもの時間」かなと思う。
以下は何気なく歌われる「Twilight Time」。
ジャネット サイデルの「Twilight Time」
初めて聴く歌手だが、
私が知っている曲をよく歌っているようなので
かなり古い人ではないだろうか。
この曲のようなのをよくスタンダード曲と呼んでいる。ジャズの演奏で頻繁に使われ、大昔、大橋巨泉氏がジャズの「歌」は深刻に歌うのではなく、鼻歌のように軽く歌うのが好きだ、というのを聞いた事がある。ジャネットさんはそのように歌う人のようだ。
昨日の夕暮れ電車、本日の夏空 接種の現況 我が大切な看護師。
昨夕の空は清々しく赤味を帯び本日の好天を示唆するようだった。
今日の空は青く雲白く、まるで梅雨が明けたような眺めだった。
我が大切な看護師の膝は負傷後24,5日が経った。一昨日退院してご主人と一緒に挨拶に来てくれた。表情はさわやかだったが、右手にストックを持ち小さなリュックを背負う姿は、どこか可愛いがやはり病み上がりを否めない。
それでもリハビリにと言って、本日から午前午後の2回、ワクチンの注射詰めに来てくれることになり、私は随分楽になった。
昨日から事業所と一般の接種を始めている。数を高齢者の半分近くに減らし、午前12人午後6人のペースで6週間余。その後、出来れば個別を止めたいと考えているが、どうなるものか。
6月上旬の麗しい土曜午後。
ほど良い気温に何気ない風、おおむね晴れた空であれば、やはり6月は良い季節だなと思う。
あるご夫婦と久保田成子さんなどの話をした。
アイスコーヒーが美味しい午後だった。
着物を着て遊びにいらした三人組。
樹下美術館は着物も良く合う。
夕方に芝生の撒水をしてから電車の場所に行った。思わぬ大茜が現れてきれいだった。
海の、田の、電車の、川の夕暮れ。
現在の日没は直江津港で午後6時45分ころのようです。
日が長くなり、仕事の後でもゆっくりと夕焼け写真を撮ることができるようになりました。
今夕は薄い帯状の雲が日没とともに次第に茜に染まり、海、田んぼ、電車、川を、空が赤いうちに回る事ができました。
四カ所の優しい夕焼けをほぼ20分で撮りました。
いつも同じような場所を夕方にウロウロしていますので、最初のうちは農家の方にジロジロ見られました。電車に向けてカメラを構えていると、運転手さんがパーンと警笛を鳴らしてくれる事があります。
それにしましても「ウロウロ」といい「ジロジロ」といい、オノマトペは便利で不思議な言葉ですね。
良寛さん出家の謎、小島正芳先生のテレビ出演 ほくほく線電車が上る 樹下美術館の雪。
本日午前NST新潟総合テレビで9時50分から30分間、「良寛さん出家の謎」が放映された。今秋樹下美術館で「齋藤三郎と良寛さん」を講演された小島正芳先生が案内役として解説、出演された。
若き日の良寛の筆跡にすでに見られていた生真面目さを等を説かれる小島先生。
今夏から全国良寛会会長の重責を担われた。
領主見習いとして家と地域の諍いに苦労の絶えない良寛。
ある夏の日、出雲おけさを一心不乱に踊り明かし、翌朝光照寺を訪ねて仏門に入る。
右・書家泉田祐子さん、左・真保恵理アナウンサー。
このほか光照寺でご住職との対話もある。
書物のき覚え書きに見つかった10代のころの筆跡(左)。
右は晩年の書。
青春時代と晩年の書。専門家が見れば変わりなき手筋や人柄が見えるのだろう。
波乱をまじえて光照寺への入門前夜のことがリアルに伝えられ、とても良い放映だった。
さて大雪と言われたが本日美術館周辺は10センチ前後積もっただけだった。
昼食を抜き、昼前から鳥たちや電車をゆっくり見に出かけた。時折地吹雪が起こり日中とても寒かった。
悪天のなか時間通りに上って行ったほくほく線電車。
(向こうへ走っています)
本日の美術館。寒さをこらえている風だった。
あとふた月半したら開けに行きますし、その前には庭仕事もします。
本日は大晦日。新型コロナウイルスに押さえつけられていた1年だった。
開館を二か月半遅らせ、6月は午前のみの営館にした。強力なエアコン導入、思い切った換気、カード対応ほか一般的な備えをした。裏手の庭に椅子テーブル席を新たに設置し、カフェではマイセンとイッタラの食器を加える一方、二種の軽食メニューを中止し簡素化した。
当地も一定数の感染報告があったが、来館者さんは昨年よりも増えた。特に若い世代が伸び、毎月前年比10~15%多く来て頂いた。郊外型施設のイメージが受け入れられたのかもしれない。
展示物も熱心に見て頂き、全ての来館者様には感謝に堪えない。
どこかの街のスゥインギーなジャズ・ライブ。
「We’ll meet again(また会いましょう)」
お年寄りのクラリネットとピアニストは歌といい、中々です。
こんな楽しい所があったなら毎日でも通いたい。
皆様、良いお年を。
来年またお会いしましょう。
鵜の浜の展望台の夕空 ほくほく線を撮り続けている一つの訳。
本日も似たり寄ったりの写真で相申し分けありません。
仕事場の西向きに高い天井窓があり、切り取るように空が見えます。
仕事終わりの夕方、良い感じの空や雲が見えると、四ツ屋浜や上下浜、あるいは土底浜または鵜の浜など時間と様子で気の向くまま場所を決め、カメラを持参します。
このところ鵜の浜の西にある展望台に行っています。
今夕も高い空に青さを残した茜雲がこまやかに現れ、八の字の展望台と釣り合いが良く、綺麗な空でした。
明るさがまだ残っていましたので、これもまたいつものほくほく線を撮りに行きました。
嘗て特急はくたかが走った時代、もっと夢中になっていました。
はくたか去って後、普通電車を撮り続けているのは、以下2014年に撮った写真が今日も尾を引いているからなのです。
2014年9月26日撮影の電車。
夕空の光と色、雲、電車の明かりなどが良く、人物まで写り込みました。
ポストカードにしましたところ、珍しくお褒め頂きました。
およそ本日と同じ季節、時間帯ですが、その後は中々上手く撮れません。
電車の本数が少ない上、日が短くなります。
仕事の終了時間と電車の通過時刻、および日の入りが上手く重なるのが次第に難しくなって来ます。
ただ秋は雲が良いので、休日や午後フリーの日など粘ってみたいと思っています。
裏の田ににコンバイン 駐車場からダッジ 若い人の合理的な行動 最近は多様なお客様 土底浜の夕暮れ。
朝夕やや涼しくなったが日中はかなりの暑さの本日。
美術館は静岡県ほか遠方からのお客様で賑やかで、沢山展示も観て頂いた。
また上越教育大学の芸術分野の教授とお弟子さん達や着物の方達はじめ当地の皆様に恵まれた一日だった。
裏手に出るとどーどー、と大きなコンバインが音を立て、稲刈りの真っ最中だった。
どんなに倒伏していても刈り取ってしまう凄い機械のように思われた。
カフェでお客さんと話しをしていると、突然駐車場でどーどー、と言う音。
びっくりして出て見ると、遠くへお帰りになるお客様の新しいダッジのチャレンジャーがエンジンをかけたところ。ボロロロロ~という音で去って行かれた。
またおいで下さい。
雲がよかったので大潟漁港へ。
夕刻の海辺はどこも主に若い人達や家族ずれでいっぱいだった。チェアでくつろいだりテントを張ったり、若者が戸外や自然をを楽しむ姿は見ていて気持ちちが良い。
コロナで生活が内向きになったことがあるのか、この人達には、今後お仕着せでない、自立した生活感覚を持って生きて行く感じを受け、希望を抱かされる。
静かな土底浜の草の丘に行った。お父さんと坊やが来た。
小さな丘の小径を走って上り下りする坊やが可愛い。
本日はカフェがいっぱいで、6名様が展示だけでお帰りになった。
コロナで席数を減らしていていますので、とても申し分けなく思っています。
最近、これまでにない多様なお客様がお見えになり、とても嬉しく思っています。
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