小3の凄まじい体罰 その2 終章。

2025年9月9日(火曜日)

二十歳になった初夏でしたか、在京のE君が連絡してきて二十歳の祝い会を分校の級友みんなでやろうと言いました。二人が落ち合った場所は渋谷ハチ公前でした。

E君ほかの皆さまの世話で1962年のお盆、私達はまだ新しい鵜の浜温泉の旅館に集合しました。約60名いたクラスから23人が出席しました。中学生になると髙田の学校に行きましたので、10年振り、社会人の人が沢山いて僅かの間にみなすっかり大人びていることに驚きました。

C君の顔が見えました。心配だったB先生も出席でした。また後に防火用水の一件を話した才女Dさんも出てきたではありませんか。本欄に書いた物語の人達が10年後揃って集まっていました。

会では当然ながら忌まわしい話題に触れる人はだれもいませんでした。
しかしC君とB先生はどのように挨拶し再会したのでしょう。当日C君はB先生を避けたかもしれませんし、先生が歩み寄った光景もありませんでした。みな当然といえば当然のことです。B先生にしても辛い時間だったかもしれません。

63年前の集合写真。
以来この会は生徒だけで長く続きました。

写真でC君と私は肩を組んでいます。彼は相変わらずどもっていました。しかし皆はCちゃんCちゃんと呼び彼と話したがりました。彼は今や周囲から多く声が掛かる人気者であるばかりでなく、腕が立ち良い弟子を育てる職人として早くも尊敬される立場になっていると聞きました。
C君はお酒が好きで座持ちが良く歌が上手かったと先日のAちゃんが言っていました。言葉と違って歌はとてもなめらかだったというのです。

ああ人生は分からないものです、大事なことに気がつかなかっただけかもしれません。

皆さまのお陰で幸運にも私は診療所、自宅、小さな美術館を建てました。C君は亡くなりましたがいずれも彼の一番弟子と言われる方の世話になりました。
B先生はかなり以前に、そして今やDさんまでも亡き人です。生きながらえて皆のことを書いている自分には皆さんのように真剣な物語があったでしょうか。

本日で分校時代小3で目にした体罰の物語は終了させてください。
登場した亡き皆さまはじめ分校の亡き級友すべてに対しまして心からご冥福をお祈りいたします。

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