初雪?の日 最近のお客さん 買い物の日。

2024年12月7日(土曜日)

朝方うっすら白くなったらしいので初雪になるのだろうか。
午前の仕事を終え美術館に出向いた。妙高市の美術家東條麗子さんがお見えになっていた。現在展示中のジョケラ氏は地域の外国人をはじめ皆さんに驚くほど顔が広く館内は連日内外の方達で賑やかにしてもらっている。

昨日はニュージーランドご出身の男性や設計家のA子さんが見えられた。ニュージーランド男性は映画「ふみ子の海」の撮影で使われた髙田の名建築・旧小柳医院を改築、所有されておられる。
ジョケラ氏のお知り合いは自然志向が強いこと、創造や造形を得手とされ、古きを尊び自由な雰囲気を有しておられるのが共通している。
ニュージーランド氏は山田五十鈴や高峰秀子、乙羽信子が好きだと仰り、蓄音機のこともよく御存知。最後はカフェの蓄音機に手許にあった三橋美智也の「相馬盆唄」を掛け皆で盛り上がった。

本日東條さんからは長く主宰された垣根の無い「スタジオ・ゼロ」での「実験」の話、熱心なある写真家の生活、そしてお身内の介護など興味深い話をお聴きした。彼女は私と同世代でお元気、とてもシンパシーを感じた。身につけておられたアウターが鮮やかでお似合いだった。

美術館を後にしてイオンへ行った。今夏両眼の白内障手術をしていたので遅まきながらメガネを新調するのが第1の目的。いつものメガネ館で慎重な検眼をしてもらい、気に入ったフレームに出会えた。ついでに旅行用のリュック、来年度の手帳や運転用の手袋も求めた。
12月と買い物の相性やお元気な東條さんとお話したせいなのか、不思議と気持が高まり久し振りの買い物は楽しかった。ただし突然のセルフのレジに困惑した。説明の方が付いていなければどうなっていたことだろう。

以下は冠雪した近隣の山々。頸城連山。

米山。

尾神岳。

外出中車の外気温は3から4度だった。日中一帯に積雪は無く一旦少し気温は上がるようだが来週末には再び雪マークが現れている。
しばらく見ていない白鳥たちは雪国らしい寒さとなり喜んでいることだろう。

雪が足許までやってくるとほどよい緊張感をおぼえる。しかしドカ雪だけは勘弁してもらえないだろうか。

二つの高瀬舟。

2024年12月6日(金曜日)

11月中旬の去る日、岡山県倉敷市から寄られた早川正弘さんから良寛椿と同地の名物羊羹「高瀬舟」を頂いた。一口大の羊羹が一個ずつ小舟の形をしたパッケージに入っていて、手を汚さずに上手く開けられる仕様になっていた。

 羊羹「高瀬舟」の外観。
お茶のお伴にとても良い。

 開いたところ。
シャリと呼ばれる砂糖が
吹いているのが美味しい。

高瀬舟とは底が平たく、浅い川でも往き来出来る舟。岡山県西部の高梁川(たかはしがわ)はじめかつて各地で見られた小舟で、このお菓子と同じ岡山県真庭郡落合町(現真庭市)が発祥とされている模様。同町には同窓の院長がいて50年も前結婚式に参列したことがある懐かしい地名だった。

さて聞き覚えがある高瀬舟。早川氏からおみやげを受け取った妻は「森鴎外の、、、」と言った。鴎外の高瀬舟は京都の高瀬川を行き交う舟上における話で、こちらの方が知名度が高いかも知れない。

上掲は先日の上京の際車中で読んだ岩波文庫の「山椒大夫・高瀬舟 他四篇」。江戸時代、流刑の罪人を京都から大阪まで運ぶ月夜の高瀬川を行く高瀬舟。舟上の罪人と彼に付きそう役人の心と姿が描写されている。清々しい表情をしている罪人は、苦しい病によって自死しようとするが死にきれない弟に乞われ手を貸し、死なしめたことを咎められ流罪になっている。
罪人の心境と金銭感覚に役人が打たれる短い物語だが、医師でもあった森鴎外が光を当てた先は今日でも全く同じ問題として存在し、時に表在する安楽死の深刻なテーマだ。
行為は罪に問われるが、小説では月の光の揺らぎを浴びる罪人を形容して、「その額は晴れやかで、目には微かななかがやきがある」と述べ、困難な課題に挑んだ者を潔しとして擁護している印象があった。この点現代の倫理観とは異なるところだが、留学を経験している鴎外は問題を提起しながら氏が学んだ当時のドイツの方向を暗に反映させたのかもしれない。

京都の高瀬舟。
きょうと修学行ナビより引用。

本日は風強く荒れ模様の一日、病院紹介が必要な緊急用件が二つ続いた。
今週末寒波が到来し雪に見舞われる予報が出ている。気温が下がりいつ降ってもおかしくない状況になった。

時間を掛けて押す注射 ほぼ一年振りに替えた机上メモ。

2024年12月3日(火曜日)

午前は曇り、午後雨降り、夜は上がっている三日火曜日の夜中。今年も少なくなった。

例年どおりインフルエンザのワクチンを行っている。注射法では、特に小学校低学年ころまでの人には「優しくやるからね」とか「そーっとやりましょう」などと言ってから時間を掛けて注入する。
痛いがすぐ終わるのと、痛みは少ないが時間が掛かるのではどちらが良いか、今も迷う。だが火が点くように泣かれたり大暴れたりされるよりは良いかと思い、ゆっくり打つのを続けている。

続けていると言えば、数日前に机上の大きなメモ用紙を更新した。このメモをいつから始めたのか調べてみたら2020年2月19日のブログに前年の8月19日からと書かれていた。仕事やブログで調べ物がある場合、ちょこっとメモするのに便利ではないかと感じ、5年近く続いていることになる。

上掲の紙は今年1月6日に更新したもの。手前から書いて行くので、途中上下逆さにして使う。用紙はカレンダーの裏などを用いている。鉛筆、ボールペン、マーカー、ほかに赤、黒など色も変えながら、あるいは囲みを付けて使う。お茶をこぼしたりするので汚れている。

今回は少し小さめの用紙。

ある日の美術館で、“私も同じように机上メモを始めています”と仰るお客さんと出会った。その後続けておられるでしょうか。

昨日から一泊の上京。

2024年12月1日(日曜日)

昨日から一泊して上京した。同級生夫婦二組と亡きA夫人の5人の食事会だった。もう30年は続けたが一昨年Aが亡くなった。やはり寂しい。先に逝った方が良いのか残された方が良いのか、答えは見つからない。

着いた夕刻4.5年振りでお台場へ行った。

かってより人が多い感じ。

夕陽、海、高層ビル、飛行機、雁行、
色々見られるお台場。

夕食のメニューから。

翌日は迎賓館へ行く。

前を通るばかりだった迎賓館。荷物検査を受けて入館する。国賓を迎える国を代表する場所ならもう一段深み、重みが欲しいと感じた。

 あるホテルで見たクリスマス飾り。

冬の関東は晴れ渡る。あまりに晴れるとピンとこなくなる。曇ったり降ったりしているほうが違和感がない。年のせいか、色々不思議な感覚が起きる。

大潟区公民館活動の方々の樹下美術館来訪、小山作之助係累の話をさせて頂いた。

2024年11月30日(土曜日)

一昨日は忙しかった。午後妻と木村茶道美術館へ行ったことは前回書いた。実は午前大潟区の公民館事業として皆さまが樹下美術館を訪ねてこられ、お相手をさせて頂いていた。
樹下美術館や私は小山作之助となにがしかの縁があることを当欄に何度か書いてきた。この度は作之助のひ孫でバイオリニスト「中島幸子さん」のお話しさせて頂いた。

戦中戦後のある時期、作之助の未亡人松さんと長男蕃氏はお子さん4人とともに大潟区潟町の作之助実家に疎開されていた。その後皆さまは順次東京や関東に住まわれ当地とは相応に縁遠くなった。
ただお孫さん達の中で長女の翠さんとは後年樹下美術館展示の画家倉石隆夫人として、香織さんとは長女幸子さんが作之助が設立に尽力した東京音楽学校に学び著明なバイオリン受賞歴をもってウイーンに留学、大活躍の緒に就かれる経緯があるなどで間接的に関係づくことになった。

当日参加された皆さま。
前市長村山秀幸さんはじめ
お世話になっている方ばかり。
熱心に聴いて頂きました。

当日作之助との関係を簡略な系図をもって説明し、幸子さんの事は若干の資料お示ししてお話させて頂いた。
今年は作之助生誕160周年にあたり、来年2月に幸子さんのことなどを大潟区コミュニティーブラザで筆者が話す予定になっている。どんなことになるか心配だが、お暇をみてご参加頂けましたら有り難く思います。

本阿弥光甫のお茶碗で飲みたくて木村茶道美術館を再訪。

2024年11月28日(木曜日)

先週の日曜日に柏崎の木村茶道美術館を訪ねた事を3回にわたって書かせて頂いた。お席の晩秋の趣き、駐車場の事、郊外の野道などを記した。その折、当日お正客に出された本阿弥光甫(号:空中)のお茶碗があまりにも素晴らしく、年内にもう一度伺い是非ともそのお茶碗で飲んでみたいと書いた。

帰宅して光甫の素晴らしさを妻に伝え、もう一度行くが一緒に行かないかと話した。本日休診の日、風強くあいにくの空だったが二人で出かけた。

不思議な事だがライトアップは終わったのに園内の紅葉は前回よりも鮮やかだった。

お正客になれれば空中の茶碗で飲めると踏んで時刻を計って到着した。だが順番通りにならず目指す茶碗に当たらなかった。しかし有り難い事にスタッフさんは私も飲めるよう配慮して下さった。

最上屋製のお菓子「初霜」
リアルだが美味しい。

赤楽と名付けられてはいるがカテゴリを越える素晴らしい茶碗。しみじみとした風情、ひたすらデリケーで美しいとしか言いようがない。思わず空中とはどんな人だったのかよぎった所、「私はここにいます」と茶碗が答えている気がした。
当初から人気で美術館のポスターになっているが、長年の使用により変化が進み実用の限界に来ているという。それで今年限りで仕舞う予定と説明された。

ああそれならなお再来して良かった。願いがあれば諦めてはいけない、本当に今日来られて幸運だった。
出されたお茶を服す。柔らかでほどよく熱い。大切な茶碗にしっかり両手を添える。碗は思ったより歯ごたえがあった。名残を惜しんで五口で飲んだ。お別れなのでもっとしっかり吸い切りをすれば良かったと思った。手にしている間、茶碗は身を固くして少し緊張しているように感じ、意外に大きいと思った。

上掲は前回撮影し忘れていた宗旦の花入れ。詫びに徹した人らしくひたすら簡易。だが長く愛された年月の重みが現れている。ミソハギの紅葉とハマギクが時を惜しんでいた。

以下帰路の園内。秋は詰まりに詰まり、木々と落ち葉は渾身の鮮やかさだった。

 帰りの福浦八景はひどく荒れていた。

荒れるのもご馳走のうちか。

 美術館に帰るとスタッフが
ホットサンドを作っていた。

新潟からお見えのお客様、ホットサンドは如何だったでしょうか、お寄り頂き有り難うございました。

柏崎、上越、晩秋の野道 斎京まさ子さんの本。

2024年11月26日(火曜日)

24日日曜日に訪ねた柏崎は木村茶道美術館。二服のお茶を美味しく飲んだあと同市米山台の西方面へと向かった。そこから県道鯨波宮川線に抜ける林道でかってエナガを撮影したことがあり、くねくねした道の春秋も気に入っているため寄り道をした次第。
残念ながら目指す鳥の姿は無かったが、落ち葉の道で赤い木の実などを観ながら車を降りては歩き、戻ってはまた走るを繰り返した。

熟れたガマズミの実。
鳥でなくても食べたくなる。

アケビ。

キヌガサソウに似たクルマバハグマ。
よく見るが名を覚えられない。

陽に映えるモミジ。

以下は樹下美術館付近の道で見た赤い実です。

ヒヨドリジョウゴ。

マユミ。
樹下美術館にも自生している。

ノイバラ。

この日の午前はかなり降った。午後は上がり時々明るい陽が射し赤い実や紅葉は晩秋の野に映えた。

ところで上掲のクルマバハグマの名が中々分からなかった。ネットや本で色々調べるが出てくるのはキヌガサソウばかり。検索を色々変え、偶々一つだけヒットたので助った。そんな中、ひょっこり本棚から現れた一冊の本があった。

著者は上越市のお茶人斎京まさ子さん。四季折々の野草の写真集だが、写真、文とも隅々神経が行き届いている。花は花器の風情と相俟ってまことに麗しく、これだけで茶のエッセンスに触れる事が出来そうだった。

「頸城野 雪が育む花」 著者斎京まさ子
新潟日報事業社2014年12月2日発行。

晩秋の部の最後に以下の俳句があり文が附記されていた。

めぐり来て また問答の 萩薄   まさ子

 紅葉の季節も過ぎ、晩秋ともなれば枯れ野に木の実、草の実が鮮やかである。色とりどりの木の実が点々と、葉の落ちた梢を彩る。実の形や色を頼りに、木の名前を思い出しながら歩く。冬を間近に控えた、華やぎと寂しさが同居する山も好きである。

美しいページをめくりながら四季移ろう自然への敬いにも似た愛しみを感じないわけにはいかない。厳しいお茶修行を積まれたお人柄が滲む素晴らしい一冊だと思った。

かってまさ子さんから以下の香合を頂いている。

齋藤三郎作 拍子木香合。

木村茶道美術館の貴重、庭園の紅葉ライトアップと駐車料金。

2024年11月26日(火曜日)

一昨日は柏崎市の木村茶道美術館を訪ねたことを書かせて頂いた。しかしまだまだ貴重なエッセンスがある。その一つが訪問者への気遣いだ。
同館茶室は最大20名の着席が可能で、いわば大寄せの会と言える。一般に大寄せのお茶碗は正客、次客、三客あたりまで特に選んだ碗が出され、多くの場合それ以下はいわゆる「数茶碗」と称される同じ形状のものが出されることが多い。
しかし同美術館では末客まで展示室に飾られる貴重な茶碗が供される。事実今年のある席で、15番目あたりのお客さんは人間国宝の田村耕一の味わい深い茶碗で飲まれ、傍目にも羨ましかった。

当日の席で、「皆さまから同じお金を頂いていますから、最後の人まで展示のお茶碗でお出ししています」と学芸の方が説明された。またお客様により希にお道具が傷つくことが起きるらしいが、「それもまたお道具の運命と考えています」と述べられた。いずれも同館創始者・木村翁のお考えと言うことで、何と心こもった言葉だろうと思った。

一昨日のお釜の鐶付き(かんつき)は
愛らしいトンボだった。

さて斯く木村茶道美術館は全国的にも貴重な施設だが、一昨日の駐車場にはいささか不満があった。駐車場は美術館の直近、赤坂山公園第4駐車場をいつも利用している。伺った時間は午後早い時間で30台のスペースはガラ空きだった。だが普段出入り自由なのに安全ベストを着けた係り員が大勢居て物々しい。小屋の窓口に寄ってと言われ1000円の料金を払った。松雲山荘の紅葉時期なので有料になっているらしかった。


同所はどう過ごしても1~2時間であろう、1000円は如何にも高いと実感する。但し書きにライトアップ駐車場運営協力金として、と書かれていた。時刻は午後1時頃でライトアップでもない。それに備えた協力金と理解するにしても、一般的に公共の駐車場は2時間居てもせいぜい200~300円程度ではないだろうか。

この日、お茶が終わりスタッフさんと言葉を交わしたときに“今年の紅葉は1000円も駐車料金を払った割りにいまいちですね”と述べた。すると彼女は慌てた風に“ここへ来るなら500円でいいはずです。お金をお返しするか、良ければ外のお茶席でもう一服どうぞ”と仰った。
別に入館料を払う美術館の利用者向けに500円の駐車券があるらしかった。だが現場では何も訊かれずに1000円を払っていた。美術館の応対が常に丁寧であるだけに何も説明しない駐車場はあまり良い印象とは言えなかった。

美術館を出てすぐのあずま屋に野点(のだて)席があり着物のスタッフさんおられた。美術館で勧められたように寄ってみた。

温かく美味しいお茶をまた頂いた。
お客さんの姿がなく寂しい。

次々の来園者さん。

陽が射してサザンカとともに
美しく映える場所もあった。

柏崎市は様々な宗教の寺があり木喰仏や庚申塔も多く、如何にも自由な気風と信心深さが垣間見られる。商人や文化人、茶人や工芸家、酒造家に趣味人などを輩出し多彩な文化を誇り、好きな街として暇を見ては通っている。

このたび1、2時間の駐車に1000円も取るなら、せめて東屋のお抹茶席で一服飲んで頂くなど「もてなし」を付けたらどうだろう。行列が出来るくらいでも良いではないか。あるいはライトアップに費用がかさむなら、30台の駐車場に5人6人のスタッフは要らないかもしれない。

お終いに、当欄にしては珍しく他所の不満を書き悪いことをしたように感じる。どうか世間知らずとしてお許しください。

木村茶道美術館の寒月茶席に伺った 素晴らしい本阿弥光甫のお茶碗。

2024年11月24日(日曜日)

本日日曜日、日中雨模様だったが午後次第に上がってきた。特に予定は無い日は柏崎市の木村茶道美術館へ足が向く。

本日は寒月茶席だった。松雲山荘庭園の紅葉ライトアップ期間中だった。庭園の紅葉は全体に例年の鮮やかさが見られず今夏の長い暑さの影響ではないかと思った。

一時過ぎの到着だったが始まったばかりのお席に入れて貰った。相客に芸術家かお茶人を思わせる若い男性がお一人いらっしゃった。

茶席は今月いっぱいで終わる。同館の茶の美味しさとお道具の貴重さは特別だが、それにも増してスタッフ皆さまの変わらぬ温かさに心癒やされる。折々に訪ねたくなるのはそんなことがあるのだと思う。

この日のお道具も興味深かった。

本席床「利久像 画賛」(大心義統は
江戸時代前期-中期、臨済宗の僧)

軸は禅僧らしい力強さで書かれ、不勉強ながら左から読むのを珍しいと思った。私には読めないが利休を称える画賛ということだった。

初霜というお菓子(最上屋製)は今どきの時候満点の風情だった。

桃山時代の織部の菓子器。
如何にも織部らしい烏帽子鉢。


拝見時のお道具。手前から蓋が赤い松喰鶴蒔絵の薄茶器、
松平不味(ふまい)作茶杓と本阿弥光甫(こうほ)の赤楽茶碗。

上掲写真の奥に私が服した井戸脇茶碗が見える。井戸脇茶碗は茶趣あふれるものだったが、何といってもお正客の光甫茶碗が素晴らしかった。光甫は本阿弥光悦の孫に当たる人ということ。赤楽と名付けられてはいるが、写真でしか観ていない光悦のすっとした形、巧みな口縁の山道、高台の浅さ、深い色合いと薄さなど独特の赴きがありありと観て取れた。

光甫は空中斎と称し光悦同様、総合芸術家のようだが楽家三代道入に習ったという信楽を思わせる赤楽が優れていると書かれていた。

ところで見れば見るほどこのお茶碗で飲みたくなる。年内最終日の11月末日までまだ日がある。機会を見てもう一度伺い、是非とも念願を叶えたいと思う。

本日は裏千家流のお点前だった。

ゴルフ場でトマトジュースの汚れを口を使って落としてみた。

2024年11月22日(金曜日)

昨日ゴルフをした。好天に恵まれあるホールで自販機に寄った。そこでトマトジュースを買って飲んだのだが、残りを飲み干すためぐっと上向きをしたところ、白っぽいグレーのセーターにポタポタとこぼした。

普段私は飲食でよくこぼすが、口が小さいためと言い訳をしていた。それでも絶えないので以前から“まえかけでも買いましょうか”と妻に言われている。特に白い衣服を汚すと大変で、時間を置くとさらに落ちにくくなり、カレーやトマトジュースが問題なのは分かっていた。

ゴルフ場のトマトジュースはすぐにハンカチで拭いたが殆ど取れなかった。プレーに待ち時間があったので試しに汚れを摘まんで口に含んだ。含んだまま噛み噛みしながら唾液をグチュグチュさせ、ジュッと吸ってみた。ジュースの味がしてそれを吐き出すと汚れが落ちているのが分かった。数回繰り返したところ完全に消えた。

5,6カ所こぼし跡があったので順次グチュグチュやっては吸って吐いた。汚れを口に含みタンパク質や糖質を溶かす唾液ですすいで吐く。汚れ落としに叶っていうよう、何といってもその場で出来るのが利点では。

かくしてゴルフの成績はいまいちだったが帰って妻に報告し、本日は美術館と診療所スタッフにも話した。みなさん口を使う方法は知らないと言い、美術館ではパチパチと拍手する人もいた。
これまで自ら見出したいわゆる「裏技」などまず無いが、かって書いた「痛みの少ない注射法」はそれにひっかかるかもしれない。

今後万一ジュースやカレーあるいはスープなどが飛んで付いた汚れについて、上記の方法を試してみては如何でしょうか。特に外出先では使えるように思われます。

先日のゴルフ場で。

晩秋、驚くほど当たる天気予報のゴルフ 朝日池のコハクチョウ。

2024年11月21日(木曜日)

本日休診の木曜日、ゴルフに行った。予報は晴れのち傘のマークが出ていた。8:56のスタート時から空は澄み、風も無く冬間近のこの時期とは思われない好天だった。

 

米山水源ゴルフ場の一部は朝日池に面している。青空、雲、湖沼そして澄んだ大気は美しく、心身の栄養になった。

但し後半最後のホールあたりから次第に雲が垂れ込め、いっときパラパラ始まった。

それにしても天気予報は驚くほど当たる。この日も午後から崩れてくると報じられていた通りになった。様々な指標を演算のうえ実際の雲の動きを重ねるのだから、専門家は手に取るように把握できるのだろう。

空は夕刻に向かって落ち着き、暗くなる頃朝日池へ白鳥たちの様子を観に行った。

10月なかばから飛来しているコハクチョウ。これまで隣の鵜の池をねぐらにしていたが、本日夕刻は朝日池に沢山降りていた。数日続いた風雨によって枯れ蓮が減り水面が拡大したのでサイズが大きいこちらに移ったのでは。

ゴルフは失敗も少なくないが良いショットもあったので来年また続けたい。

かって認知症だった人、晩年の「ありがとう」は「すき」と書かれた。

2024年11月19日(火曜日)

本日は寒い日となった。午後の在宅回診時の車の外気温は9度を示していた。雪の目安になる米山にはまだ雪が無く平地の初雪ももう少し先の模様。

午後のひととき風が止んでいたのでシーグラスを探しながら柿崎海岸を歩いた。まだ波浪が強くシーグラスが含まれるような砂利自体が少なかった。

数日来の風によって
本日まだ高い波浪。

寒い日に温かい話を一つ。
ある方は長年遠隔地で働き、定年後久し振りに実家の母を訪ねた。帰るなり認知症になっていた母に「あなただれ?」と言われて強いショックを受けた。しかし一旦帰る別れ際「嫁さんに宜しく」という言葉を聞き、まだ望みがあると思った。
その後毎月1週間から10日ほど滞在しては母を看た。あえて外出を試みスーパーや公園など様々な場所へ一緒に行った。旧知との出会いや買い物を喜ぶうち周囲への関心が広がり、表情と反応が豊かになるのが分かった。
必要を感じ勉強して介護福祉士(ヘルパ-)の免許を取った。年とともに認知症は改善されたが、身体の衰えに従って下の世話から食事や入浴、移動、受診などの介護量が多くなった。それでも一貫して外出を心がけた。

寝たきりとなった最晩年のとある日、お礼を書きたいから紙を用意してと言われた。「ありがとう」と書くつもりらしかったが用意出来た紙は長さが足りなかった。
短い紙に書かれたのは「すき」の二文字だった。
思いつけも無い言葉に驚いたが「ありがとう」よりもずっと嬉しかった。

以上はお聴きした話の概要です。
ありがとうが心の言葉なら好きは感情であろう。お母さんの「好き」には「ありがとう」も含まれていたことだろうし、せがれさんも全く同じだったにちがいない。自分が好きで無ければ相手も好きにはなってくれない。

心と感情の満足。人間関係にこれほどの幸福があるだろうか。
短い紙しかなくて本当に良かった。
母亡き後、その方は地域の茶の間や外出、送迎の支援を仕事にしていると仰った。

妙高市はいもり池の近く「ギャラリー峨々」を訪ねた。樹下美術館も紅葉。

2024年11月16日(土曜日)

本日、午後から妙高市は池の平にある「ギャラリー峨々」を訪ねた。多くの画家達が描いた妙高山の絵画はじめ古布、道具や機器類、ガラス、陶器あるいは漆器などの個人コレクション館である。
一貫したコンセプトは「手作り感」や「時代感覚」あるいは「不思議」や{愛着」と言ったもので、あるじ夫妻の郷土や自然へ愛情が色濃く感じられた。

多岐のカテゴリの中から本日は特に印象的だった猫をあしらった古布作家・なー猫さん作品のコレクションから一部を掲載しました。

古布にさらに古いほつれが
あしらわれた猫たち。

これもなー猫さんの作品か。

中央の展覧会で受賞した
大作のほんの一部から。

 翼が付いた猫を二つ求めました。
往診鞄に付ける予定です。
ラベンダーの香袋を付けて頂きました。

最後は玄関の看板と李朝の壺です。壺は茶壺でしょうか木製の蓋がついていました。とても良い風合いでした。

あるじの藤田ご夫妻、本日は貴重なお時間を有り難うございました。家に帰ると椅子に座っていた木製の猫ちゃんを美術館のカフェに置きたくなりました。

晩秋の妙高山と落ち葉が美しい午後でした。
館内にそっと流れていたジブリの音楽も素敵でした。

 

一人前に樹下美術館も
紅葉の盛りになりました。

再び良寛椿の苗。

2024年11月15日(金曜日)

今年正月、京都、倉敷、髙松を巡り最終日には良寛修行の地である倉敷市玉島の円通寺を訪ねた。
当日時間が詰まっていたが親切に円通寺へと案内して頂き、帰りは新倉敷駅まで送って頂いたのが新潟県ご出身の早川正弘氏だった。

氏は同地に於ける良寛さんの顕彰に尽力され、円通寺境内の覚樹庵(かくじゅあん)に長年咲き続けたすえ、樹勢が衰えた白椿を「良寛椿」として挿し木で蘇らせる運動をされている。成果は実り、円通寺公園の広い一角に「良寛椿の森」として多くの苗木が植樹され管理されるようになった。

春になると氏から良寛椿の苗が届けられ、喜んで美術館の庭に植えた

植えた日の「良寛椿」

植えて半年経ったが苗はじっとしているばかり。成長が止まっているのは夏の長い暑さのせいなのか、ずっと心配していた。
そんな折、昨日倉敷から早川氏が来館された。ご自分のふる里である当県和島村へ赴く途中お寄り下さり、わざわざ5本の良寛椿の苗木を持参された。

良寛椿の苗木。

早川氏は和島で福祉活動にも関係され、折々遠隔を往復されている。短い滞在時間だったがお聞きした高齢者や認知症の方の接遇の話はとても感銘深かった。

11月は中ばになりました。明日は晴れるようですが当地らしく寒い日、荒れる日へと移る時期です。仕事の方はインフルエンザワクチンと一部コロナワクチンに押されるような忙しい日もあり、本日はそんな日でした。“来週は荒れるから今日来ました”と仰る方たちからこの先のお天気を聞かされた次第です。

1本の木にキンカンとカラタチの実が。

2024年11月13日(水曜日)

医院の庭にキンカンを植えている。木はアゲハ蝶の好物で、好んで産み付けられた卵から孵った幼虫が新しい葉を食べるので中々大きくなれなかった。
それが一昨年ころから食害を越えて成長しはじめ、私の身長よりずっと高くなった。すると今春、木に白い上品な花を沢山付けた。

だが不思議な事に花は木の一部分にだけ咲いた。清潔な白い花を気に入り、今年4月23日のブログに写真とともにキンカンの花として掲載した。

キンカンとして載せたカラタチの花。

ところで今秋、りキンカンの実が沢山付いたのだがその一部がおかしかった。

この部分の実は確かにキンカン。
枝にはトゲが無い。

その反対側に大きな
黄色の実がいくつもなっている。

樹の下に実が落ちている。
ピンポン球よりも大きい。

最初はこのキンカンは何かのせいで一部に大きな実をつけるのだろうかと思った。しかし一つの木に二通りの実など実際にあるものだろうか、不思議だった。

この日、草刈りや雪囲いでお世話になっているAさんが庭にいた。Aさんもおかしな木だなと思っていたと言い、寄ると一つをもいでがぶりとかじった。
イヤ、こりゃダメだ!と言うなりペッ、ペッと吐き出した。これはキンカンではありませんね、接ぎ木かも知れないぞと言う。

根の部分を見ると確かに微妙に色あいが異なる2本の木がくっついている。

右の木は左のよりも白っぽい。

大きな実がなる枝には
鋭いトゲ。

ああこのトゲなら見たことがある。今年の正月旅行の際、倉敷の大原美術館の通りの垣根にあったのと同じではないか。その時調べたらたしかカラタチだったはず。そのトゲだらけの垣根の中で、こともあろうにエナガがさえずりながらピョンピョン跳び回っていたではないか。
A氏にこの実はカラタチですねと言った。すると♪カラタチのトゲは痛いよ♪という歌がありますもんね、と口ずさまれた。

根は下図のように、元はAのカラタチを台としてBにキンカンを穂として接がれているようだった。また黄色の実がなる枝にだけトゲがあり、キンカンの実がなる枝にはないことも確かめられ、それぞれの性質に合っていた。

調べると、ミカンを中心に柑橘類は丈夫なカラタチを台に若い枝を穂として接いで増やすと出ていた。この方法だとタネの少ない品種を得たり、旺盛に成長し病虫害に強い木が出来るとも書いてあった。時には1本のカラタチに何十種もの柑橘類を接ぐ場合もあるらしい。

今日まで接ぎ木と知らず、良く調べもせずに木全体をキンカンと思い込んでいた。そのうえカラタチの白い花を見ながらキンカンは美しい花を咲かすとブログにも書き皆さまには申しわけ無いことをしたと謝りたい。

あらためて思うにこの木の生産者は接合した後カラタチを切り忘れたか、2種の木を楽しめるように仕立たのかもしれないい。

本日夕食後、妻にこの話をすると“実は私も、大きなキンカンがなっていると思って食べてみた”と言った。
妻はどんな顔をして吐き出したのだろう。A氏が試したようようにカラタチは熟しても酸っぱくて食べられないとあった。


「からたちの花」
北原白秋作詞、山田耕筰作曲。

この歌には花とともに実もトゲも垣根も歌われている。倉敷で見たのも垣根だったが、私たちの一帯ではまだ見たとこが無い。

恥ずかしながら家にキンカンとカラタチの2種の柑橘類があったことになる。植えてから5,6年は経っている。温暖な地方の木がこの雪国で育っていることを幸運としたい。

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