ふと耳にしたラジオの「楽曲」と「曲」の違い。

2022年9月24日(土曜日)

本日はまた別の台風がシトシトと雨を降らせた。

話は変わりつまらない事かも知れないが、比較的若者向けの放送などで、かって私達が「曲」と言っていた和製のポップスなどをしばしば「楽曲」と呼称することに大げさだな、と違和感を覚えていた。

一昨日午後、美術館から仕事場へ戻る車中の若向けのラジオでおや?と思うことがあった。ディスクジョッキーが「楽曲」と「曲」を、聴いている限り自然に使い分けたのだ。

言うまでも無く楽曲の語感は固く、クラシック音楽の用語のようでもあり、短縮や省略の傾向を好む若者言葉からしてもわざわざ曲を楽曲とは何故?その昔シンガーソングライターの登場あたりから出て来たようでもあり、謎の一つだった。時には楽曲、楽曲の連呼がある放送などは耳ざわりで、スイッチを切ることもあった。

さて数日前の放送です。
30代の人か、若者向けの音楽を熱く語っている。楽曲、楽曲と30秒に10回も言ったのでは。切ろうとした時、次の「曲」は○○です、と突然言葉を変えた。そして“上京する前夜友人とカラオケに行き、この「曲」を二人で歌った。歌いながら途中から涙が止まらなくなり、その時の自分の気持とビッタリな「曲」だった“と話したのだ。

なるほど、彼は二つの言葉を使い分けている?どこが違うのか後にネットで調べてみた。すると“曲は歌詞で楽曲はメロディーが合わさったもの”というものから、“クラシックの曲”、あるいは“どちらも同じ”という記載まであり、すっきりしなかった。

しかしラジオのおしゃべりからすると、少なくとも自分あるいは自分たちが実際に歌う時の歌は「曲」。解説や総論では「楽曲」というのかな、と推量した。但しネットには“偉そうに言う時は楽曲”という皮肉めいた小さな記事があり、少しつかえが取れた。

 


宮城県の長持唄。
いま宮城県の親族が来ていて、新婚さんもいる。

赤倉でゴルフ プレーとともに人柄を楽しむスポーツ。

2022年9月23日(金曜日)

本日秋分の日。台風が残した雨がポツポツシトシトと降ったり止んだりした。約束通り友人A氏ご夫婦に誘われている赤倉CCでゴルフをした。賢く良い人柄のご夫婦と何一つ嫌な思いをすることも無くラウンドし食事をした。

良いプレーを褒めあいミスを悔やみながら、上下を求めず、何気ないことを話ながら人生を認め合うことなども楽しむのだ。

 

妙高山と赤倉観光ホテル。


ナットキングコール「Tenderly(テンダリー:優しく)」

本日夕刻、ギッギッギとモズの高鳴きが聞こえた。いよいよ秋が深まる。

台風一過の芝生と夕暮れ。

2022年9月21日(水曜日)

昨日は台風が均等に散らした落ち葉を書かせて頂いた。休館日の本日、芝生を一緒に管理しているYさんが落ち葉を掃き芝も刈って下さった。

今年の芝生は全体にまあまあだったが、最後まで上手くない場所が残った。Yさんはエアレーションをしてみましょうかと提案され、道具を調達してみると仰った、
エアレーションは芝生に均等に小孔を多数開け土に酸素を与え、はびこった古い根を切ってやる作業。かなり以前に一度やったことがあったがかなりきつく長続きしなかった。

今秋は良くなかった場所を選んで行い、上から目土を施すことになった。ほどほど上手く行ったら来春に再度試みようと思う。

 

昨日と打って変わり爽やかになった芝生。

今夕、台風で拭き清められた夕刻の海岸に赤々とした夕焼け雲がきれいだった。

思い思いに休息しているような雲。

先週末6人の接種を終わり7月から始めた4回目の個別接種が終了した。

14号台風が散らした落ち葉。

2022年9月20日(火曜日)

九州、四国に被害をもたらした台風14号。昨夜半から当地でも風の音が強まり直撃を心配しながら床に着いた。歴史的とも言われた台風だったが、当地ではさほどの被害もなく、温帯低気圧となり東北地方の太平洋へと抜けていったと聞いた。

以下台風一過の美術館の庭。

 まだ青いままの落ち葉も多い。
意図したように広く満遍なく散らばっている。

ひどい風であれば庭の端か隅に落ち葉を集めるか、一斉にどこかへ吹き払ってしまう。それがなぜこうも上手く均等に散ったのだろう。

今回も一度は払うよう吹いたが、弱まる頃は置くように吹き終えたのか。以前紅葉のモミジがこの様に散って感心したことを思いだした。雨で濡れた地面や草が落ち葉を抑えていたというのもあったことだろう。

明日お天気ならばスタッフは落ち葉掃きに大変なはず。どうか宜しくお願いします。

My condolences(弔意)。

2022年9月19日(月曜日)

ドイツびいきだった父は朝鮮戦争のころから米国の写真雑誌LIFE(ライフ)を数年間購読した。ひなびた農村の道を左右2列で進軍する米軍のモノクロ写真を何度も見た。

ある日華々しくも豪華な式典の写真が載った。エリザベスⅡ女王の戴冠式だった。特に目を奪われたのはカラー写真の王冠で、小さな脳みそが溶けそうなほどきれいだと思った。

あれから70年、国葬で柩の上に置かれた王冠(NHKの画面より)。下段の輪の中央にある317カラットの巨大なダイアモンドはかって南アフリカ共和国政府から贈られたもの。発見当初採掘現場でダイアと分からず、水晶として一旦捨てられたことがあったという。

 

1946年自室の王女(上)、2008年国会へ向かう女王(下)
写真はいずれもgettyimages提供

今夕女王の国葬中継があった。画面から英国の国力と随所に現れる(恐らく真っ当な)キリスト教の教義と儀式を興味深く視聴した。
戦後何度か浮沈を繰り返した英国。今ウクライナへ並々ならぬ支援を継続しているにも拘らず、完璧な葬儀と国民が現す弔意はさすが英国というほかなかった。

中継から三つの事が興味深かった。
○NHK地上波にはさまざまな説明キャプションのほか台風情報まで貼られてゴチャゴチャとして見ずらい。一方BSはこれらが少ないのですっきりして観やすかった。

○弔辞、返礼などは一切無く、大統領が一言聖書の一節を述べただけだった。ずっと聖歌が続き葬送の意義は明瞭で非常に洗練されていた。

○遺影が無い。
僭越至極だが、小生もずっと前から自分の葬式に遺影は飾らないで、とお願いしている。冷たくなって柩に横たわっている本当の自分を感じてもらえば十分だからだ。ただし女王の柩のように自宅の花を、バラで無くとも良いが少量添えてもらえるなら有り難い。

お客様に恵まれる 伝統の萩 ブットレアにヒョウモンチョウ 何度も聴く「枯葉」。

2022年9月18日(日曜日)

本日日中の車は37℃を指していた。台風の影響で一定の風が吹き、暑くはあるが気分が悪くなるようなものでは無かった。

12時頃の駐車場。
新潟日報の記事のお陰もあり夕刻までお客様は途切れなかったと聞いた。
一日二度来館されたお二人様有り難うございました。

美術館の紅白の萩。
秋の伝統の花が暑さの中、笑みを浮かべていた。

仕事場のブットレアはヒョウモンチョウを誘っていた。

 


若い頃は、また「枯葉」かあ、と言っていたが、
何度聴いても飽きなくなった。
紅葉になったらまだ別の「枯葉」を出してみたい。

若い人達にルンバと言っても何?と言うに違いない。

雲の上下浜 三峯神社のお札と延喜箸。

2022年9月17日(土曜日)

晴れて暑い日だったが、沖縄方面には強力な台風がある。910hPaの超低気圧、予想最大風速が75メートルというのだから恐ろしい。最悪の被害が避けられることを祈るばかりだ。

当地の本日日中、雲は華やかで夕刻は上下浜へ行った、

ホテルと雲は良く似合う。
東西どちら側から撮るか悩ましい。

どうしてこうも色々な雲が出るのだろう。
手前の黄色の実はハマゴウ。蚊取り線香の良い香りがしていた。
今年はこの実を沢山獲って小さな枕にしてみたい。

 

お客様の娘さんに三峯神社の神官がおられ、お願いしていたお札が届いた。

 

お箸を早速使って頂き物の赤飯を食べた。

以下Fun!Chichibuのホームページから三峯神社。

古くから名高い神社は海抜1100メートルという高地にある。

行ってみたいが年と現況からは無理。有り難いお札とお箸の御利益に預かり健康に留意して行こうと新たな気持になった。

借り物だったキーボードを止めて本日小さな無線のを買ったがまだ慣れない。

嬉しい新潟日報の記事。

2022年9月16日(金曜日)

過日新潟日報の取材を受けていた。開館15周年記念企画「齋藤三郎ゆかりの人々展」および倉石隆にちなんだ「ふるさと上越主体美術協会の人々展」についての取材だった。
上越支社の記者Wさんは地域や芸術について広い見識を有され、要点をしぼりながらの取材はお話していて楽しかった。本日その記事が朝刊に掲載された。

取材時間はかなり長かったのでどんな記事になるか心配だったが、想像以上のボリュームにもかかわらず読みやすく、ほっとして感激した。

「上越の芸術文化にふれ」のタイトル、樹下美術館15周年・記念企画展のサブタイトルが付いていた。タイトルに格調があり、二つの企画展それぞれの概要が樹下美術館の紹介とともにとても上手くまとめられていた。

申し分けありません、右下の汚れは朝食のイチジクです。
よろしければ全体を大きくしてご覧下さい。

構想2年。2007年、65才で突然のように開館。精一杯の個人美術館の15年は無謀、冒険の指摘も耳に入らないほどただ夢中に、そしてしばしば楽しく過ぎた。心身に良いものは美しくまた美味しく楽しいはず。それの豊かさを文化と呼んで頂けるなら幸せなことだ、と光栄も感じた。

このたびの記事を読み、私の願い以上のものが自然な文体で書かれ、記者さんの力量に深く感銘を覚え、掲載に感謝を禁じ得ない。
世界と世相は決して明るくない。この度の記事がともした一灯の有り難みは身にしみる。歳は重ねたがこの機会に精一杯歩みを進めたい。

本日、さっそく県内遠方から何組も来館者さんがあった。

二つの企画展の期限は今月20日までだったが、貴重な紹介記事を生かして以下のように延長致します。

「齋藤三郎ゆかりの人々展」「ふるさとゆかり主体美術協会の人々展」
につきまして会期を10月25日(火曜日)までに致します。

ホームページのお知らせは週明け20日に直る予定です。

残りの期間までどうか宜しくお願い申し上げます。

秋の庭の虫や果物。

2022年9月13日(火曜日)

9月のことを名月を除いて「はきはきしない月」と書いた。残暑もその一つで、ここのところかなり暑い。例年のことなのか、蒸し暑さは夜まで続き、キリッとした秋の感覚とは遠い。

そんな昨今の庭に蝶が舞い、アゲハ類の幼虫が葉を食べ、キンカンが実をつけ、柿が黄色味を帯びてきた。

以下は仕事場の庭のクロアゲハと幼虫。

 

腰を器用にくねらせて反対方向へ向かった幼虫。
蚕のようにポニョポニョして触ってみたくなる。

 

幼虫が取り付いているキンカンに実が付いている。
幼虫が食べるのは今年出芽した柔らかい若葉だけ。

 

色づいてきた美術館の柿。現在9個がしっかり枝にしがみついている。
夏を越えて今ごろまで実が付くのは初めて。

18年5月17日のブログに、本日柿を植えたとあった。
4年ほどの苗だったので「桃栗3年柿8年」でいうと
今年は初収穫が出来るかもしれない。

甘柿だから獲って直ぐ食べられる。カリカリ甘い柿を美術館のお客様と一緒に食べてみたい。

仲秋の名月の夜。

2022年9月10日(土曜日)

今夜の月は仲秋の名月。東の空に雲が厚くやや手間取ったが、18時15分過ぎ雲を割るよう顔を出し赤く、まあるい顔を出した。雲から出てくる時はヒナが卵の殻を破る如くメリメリと力強かった。

堂々たる名月。

だが上って間もなく厚い雲に隠れてしまった。

樹下美術館のベンチにススキにオミナエシとキキョウを飾りキャンドルを灯し、お弁当とノンアル、お抹茶を用意して再び月が現れるのを待った。

 

中々顔を出さない月を待ちきれず、お弁当を食べてお抹茶を飲んだ。

 

すると45分近く経ち雲が晴れ、煌々たる月が上った。
月が隠れている間、疲れている妻はベンチで私のカバンを枕にぐうぐう。
目を醒ますと月明かりに声を出した。

 


1956年制作映画「THE EDY DUTIN STORY(愛情物語)」から
「SHINE ON HARVEST MOON」
タイロン・パワーとキム・ノヴァク主演のちょっと切ない物語だった。

美術館のベンチで月見をしたのは4回目。今日のお月様、ありがとうございました。

新潟日報のインタビュー 樹下美術館の拠り所。

2022年9月8日(木曜日)

本日新潟日報の取材があった。
当館15周年の二つの記念行事「ふるさと上越主体美術協会の人々展」「齋藤三郎ゆかりの人々展」が目的だった。展覧会と同様に美術の現況と樹下美術館、これからの樹下美術館など幅広い話に及んだ。
記者のWさんは美術はじめ地域の動向に詳しく、話題も深掘りでさすがと感心させられた。

二つの展覧会では前者はアーティストの個性と、展示して初めて分かる所属団体の気風あるいは漂う「まとまり」のようなものを述べさせてもらった。後者の展示では齋藤三郎の個人的魅力と他に類を見ない戦後疎開文化があらためて話題になった。

途中、メインコレクションの一つであり、主体美術協会に所属した倉石隆の作品と人となりに話が移った。作品に滲む作家の人生、垣間見られる人間とはの問いを考えてみることは、一般論としても意味があり、この度の取材の意義を感じた。

後段には樹下美術館の今後が訊ねられた。これは「収蔵品」「環境」「建築物」への個人的な愛情と責任をどう維持継承するかの問題であり、「もう一人の私のような人間」を必要とする面倒なテーマにほかならない。具体的な解決策があるわけで無く、模索に当たり一日でも長く精魂込めて維持するだけ、とお伝えした。

実際どのような紙面になるのだろう。
ささやかな規模ゆえ樹下美術館は一種「狭さ」から免れない。一端門戸を開き、多くに任せたら、直ちに漂流し荒れ果てる予感を開館の日から危惧し今日に到った。ただ一点、ゆっくりだが樹下美術館はお客様を増やし続けている。そのことが明日への希望に繋がるのではと漠然と期待している次第です。

 


デビット・ナディアンのバイオリン
フランツ・ドルドラ「Souvenir(スーベニール:思い出)

当地は熱風が吹き今年最高気温37,2度に。

2022年9月6日(火曜日)

過日9月のことを「はきはきしない月」と呼んだところ、本日今年最高の37,3℃の暑さとなり驚いた。怒ったというのもあるが、日本海を北上した台風の影響で、強い風にも見舞われた。但し明日はぐっと下がるらしい。一日中吹いた風は来たる満月に向けて空を吹き払ってくれたなら大したもの。

稲刈りをする方達は長く続いた雨に、もう少し気温が上がればとか、田が緩んでいてコンバインがつらいと仰っていた。朝からの熱風は稲や田のためには良かったのでは。

午後の近隣で。矢印は岩野古新田と共に風向きも示していた。

夕刻の南の空。
昼間晴れていたが色々な形の雲が出て来た。

17:50ころのほくほく線くびき駅へ上る電車。

およそ5分後さいがた駅へ下った電車。

 


ウエス・モンゴメリーのギター「Windy」。強風のことらしい。
今はこんなジャケットでは売れない。
このレコードも長く聴いた。

ずい分日が短くなった。

やっと良い天気になりましたね。

2022年9月4日(日曜日)

日曜日の本日も絵を描いた。風景画は乾かすことにして長く休んでいた椿を描いた。水彩のように薄く薄く塗り重ねているので大した失敗も無く描き進めた。もう少し進んだらここに出してみたい。

午後やや遅くカフェに行った。紅茶とケーキを頼んだ。持って来たスタッフが
「やっと良い天気になりましたね」と言った。
短い言葉だったが非の打ち所の無い一言だった。
光の庭を見ながらお茶とお菓子が美味しかった。
遅い夏休みをする庭でムクゲとサルビアの残花と、奥の方にはオミナエシが咲いていた。

芝生でゴルフボールを打っていると空がきれいになっていたので海へ行った。

帰りの道で釣りを終えた私より少し若い方に出会い、歩きながら話をした。
車が沢山ありましたが、何が釣れたのですか、と訊ねた。
私はダメだったが、早く来た人はイカを沢山釣ったようですと仰った。

長野県の人だったので、信州は山と雲が良くていいですねと言うと、いーえ、海がある新潟県の方がよっぽどいいですよ、と仰る。
無い物ねだりですね、とほとんど二人同時に言ってお別れした。

はきはきしない月といえども。

2022年9月2日(金曜日)

8月の酷暑をい癒やすようにこそりともせず庭は雨に打たれている。そもそも9月はどこか気の毒な月で、残暑を引きずっては蒸し暑いと言われ、朝晩寒いと文句を付けられる。

それでも畑をする皆さまは「蒔きものをしてます」と言って夏の棚を片付け、石灰と肥料をくべて鍬を打ち、ダイコンや白菜の種を蒔く。
雨は、遠くでもじもじしている台風の影響を受け、一日一回は忘れずに降るので、畑には良いが雑草も元気になるので恨めしい。

どこか気の毒な9月といえども、満月の時だけは「仲秋の名月」の冠をかぶり期待は大きい。はきはきしない台風が去り、空の具合が良くなって来たる10日には煌々たる月が上りますように。

まだ諦められず木を進めてみた。
根気よく絵の具が乾くのを待ったほうが良さそう。

風景を描き始めたものの 老人ゆえ危ない橋を渡らせられる。

2022年8月29日(月曜日)

幾つかの予想があったように月末に来てコロナが減少に転じ始めた印象がある。

色々現況に問題を残しているが、やってくる予定にも備えなければならない。その予定の第一は拙「館長にひごろ展」だ。
2月3月のころはまだ半年も先と、たかをくくっていたいたものが一ヶ月先まで迫っている。写真はこれまでの中から選び、写真屋さんにお願いすれば良いが問題は絵画だ。

描きためた水彩植物画だけで展示点数は足りるが、この誌上で予告的に書かせてもらったことの中に、新たな油彩があった。そもそも絵を描くのは仕度を含め気持が集中できる出来ないが、取りかかれるか否かの分かれ道になる。間の悪いことにコロナだ心臓だと騒ぐなかで中々キャンバスい向かう気持になれなかった。

それでも一種約束を自ら科したことは事実なので、遅ればせながら先週末から絵筆を執ってみた次第。
以下取り組んだ3点で、いずれも縦27×横43㎝の小さなサイズです。

 

遠くに海が見える土底浜屋敷跡公園の風景。

現在左上の2本の榎木と格闘中。
いずれも土手に白い野菊の群生を描き、遠くに二人の人物を入れる予定。

木を描ければ一通りの風景画になる、と思っているほど木は難しく大切。だが上掲2枚の木の大きさと描き方は文字通り手探り。手探りのほかにもっと「勉強」が必要だと痛感している。最悪の場合木を省略することも頭をよぎった。

 

金原の郵便車の絵。
描き進んでから吹雪のように雪を降らせて冬の絵にする予定。

ほか風景は数点の構想があり、上手く描ければ観ていただけるのではないかと考えている。
だが残り期間は短い。色々やってみてダメなら今年は写真と植物画だけにして油彩はまた先ということも考える必要があるかもしれない。
たとえ自分が満足してもまずい絵はあろう。まして不満足なら恥さらしのほか皆さまを不快するだけのはず。

まことに悩ましいがまず自分が少しでも楽しめる秋になれば。

 

だが果たして秋を楽しむことが出来るだろうか。

 

コロナの相談は車まで行くが、雨の日はカーポートでお会いする。

 

過日の往診。
在宅といい、コロナといい、老人ゆえ危ない橋を渡らせられている気がしないでもない。

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