「ふるさと上越 主体美術協会の人々展」のご紹介 その2。

2022年8月13日(土曜日)

本日は11日に引き続き展示中の「ふるさと上越 主体美術協会の人々展」から、簡単ですがさらに3点、三人のご紹介です。

作品の解釈、感想は観る人それぞれにゆだねられますが、ご紹介が何かの手がかりになるなら有り難いです。

暑さ厳しくコロナ激しい夏です。
そんななか遠方からお訪ね下さる方もいらして感謝しています。過日は小杉放菴記念日光美術館 の学芸員の方が来館されました。齋藤三郎ゆかりの人々展をご覧頂き、心ばかりの小杉放庵コーナーをお褒めいただきました。本当に有り難うございました。是非貴館をお訪ねさせてください。

「ふるさと上越 主体美術協会の人々展」のご紹介その1。

2022年8月11日(木曜日)

昨夜は来館者さん向け配付資料、新たな案内葉書などをこしらえプリントしているうちに日をまたいでしまい、午前3時に寝た。
そして目が覚めると12時近く。あれれ、妻は起こしてくれないし、今日は患者さんが来ないので昼まで寝かされたのかな、と時間感覚がはっきりしない。
ああ休日なんだ、と分かったものの配付資料を届けなければ、来館者さんは手ぶらで観なければならない、、。慌てて美術館に出る。

ちょうど主体美術のお仲間が大勢いたしていたので手渡し。若干お話をさせていただいた。筑波先生が引率された皆さまは熱心で、聞こえるお話も面白い。前後に20名ほどの来館者さんが見え、「ふる里上越 主体美術協会の人々展」は樹下美術館にしては良い初日だった。

今後毎回3名の作家さんと作品をご紹介して行きたいと思います。
本日は以下の三点と作者の概要です。配布資料からの勝手な私見をどうかお許しください。

昼まで寝たお陰で体が楽になった。
9月20日までの展示です。どうかお暇をみてお楽しみ下さい。

チームワークを発揮? 良い展覧会の予感。

2022年8月11日(木曜日)

昨日午後は11日から始まる「ふるさと上越 主体美術協会の人々展」の展示作業を行った。出品者9名、各一点ずつの展覧会といえども初の複数作家の絵画展。過程はこれまでとは異なる神経の使い方が必要で、少々疲労はしたが最後に充実感を覚えた。

新たなチラシ。
倉石隆の作品を「秋」に変更したのでチラシも改めた。

物故者を交えた作品は上越在住主体美術の筑波進先生と涌井和子ご夫婦のお陰で、私が到着したときはほぼ位置決めが終了。近隣の施設回診を終えて戻ると全てが壁に架かっていた。

皆さんが帰ったあと照明を調整するスタッフ。

大小、色調、志向などがバラバラに異なる個性的な9点は専門家の手に掛かり実に自然で生き生きと見え始めた。
ささやかな展示だが、さすが主体美術協会。9点はあたかも良い野球チームのラインナップのようであり、楽しい展覧会になる予感がした。

作品ごとの拙く短い紹介文を作った。

 

9月8日まで延長した好評の「齋藤三郎ゆかりの人々展」

どうか両展ともご一緒にお楽しみください。

二日続けて古径美術館の「齋藤真一展」へ ジャンゴに似ていた 何時まで続く感染。

2022年8月8日(月曜日)

昨週末土曜日は来客中の二方とお別れし、南城の舟見里留さんを訪ねた。間もなく始まる「ふるさと上越 主体美術協会の人々展」にむけて舟見倹二さんの作品をお借りするためだった。

樹下美術館には舟見氏のシルクスクリーンが二作品収蔵されそれを出品しようと考えていた。しかし色調が暗めなのが気になっていて、里留氏に相談した。すると明るい作品を揃えて待っていて下さり、伺って二人で一点を選んだ。
南城界隈の変遷と居住する人々の事もお聴きして楽しいひとときだった。

舟見宅を辞して小林古径記念美術館へ行った。好評の「生誕100年 斎藤真一展」を観た。年代順、テーマ別など齋藤作品を見ながらを齋藤氏への理解が深まるよう配慮されていた。

「さすらい」 1960年

草原でヴァイオリンを弾くご本人か。この絵をみた瞬間ジプシー出のジャズギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトを思い出した。互いに顔や服装、志向など、似ていると感じた。


ジャンゴのギターで「 Nuages(ヌアージュ:雲)」

会場に何カ所も小型の動画モニターあり、ある場所の映像には小さな音量でジャンゴのこの曲が流れていた。ジャンゴもまたさすらうように生きた音楽家だった。アールデコ調からミッドセンチュリーへ、イメージが重なる。

多くの作品の中でサイズの大きな以下2点が興味深かった。

「雪の花」 1990年。

「チューリップの少女」1991年。

見慣れた瞽女さんと異なり、上掲二作品は大きい。図録によれば「雪の花」は横130,3センチもある。それは沈む夕陽を背景に瑞々しくも成熟した裸の女性が描かれ、「チューリップの少女」はマフラーをしたあどけない少女だった。いずれも瞽女さん、なかんずく杉本キクエさんへの色鮮やかなオマージュではないのかと思った。

さて翌日日曜日はある所の薄茶席に座り、素晴らしい良寛の扇面を観た。俚歌(りか)、俚謡と呼ばれる民衆の戯れ歌が、細めの筆でこよなくも上品にしたためられていた。席の後、主客を務められた全国良寛会会長小島正芳さんを古径美術館へご案内した。

この日は、回廊に展示Jされているお春と太郎の悲恋のシリーズが目を惹いた。赤が使われない灰色一色の何点かは物語の結末が痛々しく描かれ誠に切なかった。

前日年間入場券を求めたが早速翌日また使うとは思っていなかった。図録の笹川修一氏の「音楽を奏でる絵画」はためになり良い一冊だった。小島氏の学芸への造詣深さにいつも感心させられる。

以下は8月5日の雲と鳥追いのカイトです。

 

大変なことになっているコロナ。これまでガードがきつかた福祉施設なども一挙に突破してくる。一家7人全員、あるいは88才独り暮らしの方などの感染もあった。おしなべて早めに回復されるので胸を撫で下ろしているが、重症化リスクや後遺症は克服されたわけではないと思う。

帰宅時や外来の合間に顔を洗い歯を磨き、鼻腔までうがい洗浄をする。マスクをしていても談笑や物を含めた接触で感染するのであろう。

一方接種は決して慣れること無く今も一人一人緊張する。される人もする側も、いつまで続くのか、ため息を禁じ得ない。

ワクチンの合間に奉公の話 柿崎区馬正面の桃。

2022年8月4日(木曜日)

4回目のワクチン個別接種が半ばを過ぎている。猛烈なコロナは軽症者中心だが未曾有、世界最多の感染となり死亡者が増加し始めた。現行の流行株に対するワクチンの効果減衰が言われている。
大流行の中で自身は後期高齢者かつ三大疾病の有病者。そして毎日何名かの陽性者を診る現場の末席にいる。ワクチンは頼みとする重症化予防の期待にだけは正しく応えてもらいたいと願っている。

注射は看護師が詰め、私が打っている。

一人一人直前に「そっとやりましょう」と言って注射する。打たれる身には「チクッとすます」と言われるよりは良いのかなと思っている。昨年は最大一日30人を接種したが、今年は午前12、午後6人なので何とかやれる。

ある午前、接種が終了した普段の診療で大正12年生まれの方の番になった。とても小柄なその人は99才、かって半年ほど不安定な時期があったが再びお元気になった。
丈夫になりましたね、と言うと以下のように仰った。
小学生のころの自分はとても弱く、あまり学校へ行けなかった。温情のような形で小学校を卒業、数年後に東京は下谷の呉服商の家に奉公に出た。
不思議なことに東京の6年半の生活は病気一つせず子守や丁稚奉公が出来た。あるじ夫婦から大事にされ子どもたちはとても良くなついた。
戦争で空襲が激しくなると一家は愛知県の田舎へ疎開することになった。是非一緒に来てくれと頼まれたが、年季期奉公の自分は郷里に帰らざるを得なかった。最後の日、夫婦は手紙を書くと言い、こどもたちと泣いて別れた。
田舎に帰ってみると、弱かった自分は東京で死んだという話が伝わっていてびっくりした。疎開先のご夫婦から手紙が届いたのはとても嬉しかった。

お顔にあどけなさが残る小柄なおばあさん。この方の15,6才からの話ですが、可愛い娘さんだったことだろうと想像し、いつまでもお元気でと願いつつ自分も元気でいなければ、と思った。
かって10代のころから遠い都会へ奉公に出た方が少なくない。別世界の暮らしと仕事。田舎の里から都会へ、境遇を運命と定め、あるじ夫婦の教えに従い仕事に勤しむ。さほど遠い昔の話では無いだけに彼女達の忍耐と努力、従順さには驚かされる。

この方の場合、都会の恵まれた栄養が身体を健常にしたのではと想像される。強くなったことを喜び、励みとした娘さんの幸福が伝わる話だった。

柿崎区は馬正面のN氏から頂いた桃。
自作され、本当に良い食べ頃のを頂戴した。

本日食べた幸福の果物。

Nさん、いつもお心に掛けて頂き有り難うございます。こんな立派な桃を作られるとは!

所変わり季節変われば。

2022年8月1日(月曜日)

昨日長野カントリークラブでゴルフをした。昔は遠かったが、いま高速道路で一時間少々で着く。スコアは良くなかったが飯綱の山影を間近に、すみずみ手入れが行き届いたコースは素晴らしかった。

スタートホール脇にリンゴの木がずらりと並び、少し感動した。
所変われば山変わりゴルフ場も植栽も変わる。

 

黒姫山。
帰路は山や雲を眺めながらゆっくり走った。

 

雲間から妙高山が覗いていた。

 以下は本日の当地の空。

幾重もの帯状の雲は時間が経った飛行機雲だと思う。

あまりの暑さに関田山脈に湧く積乱雲が
息を吐いているように見えた。
たまたま遠近別の雲が重なったようだが変わった眺めだった。

ところ変われば樹下美術館の柿。
二か月前は20前後あったものが8個ほどに減っていた。

隣り合っていた実を一つ間引きして取ってきた。
ういういしいお嬢さんの感じ。

季節変われば果物変わる。秋になったら信州のリンゴは勿論、ぜひ樹下美術館の柿を食べてみたい。

8月11日~9月20まで二つの記念展が同時開催。

2022年7月30日(土曜日)

今年15周年の樹下美術館。記念の一つに8月11日から9月20日まで絵画コーナーで「ふるさと上越 主体美術協会の人々展」を催します。展覧会は当館が常設展示する倉石隆が所属した主体美術協会で発表を重ねられるなど協会ゆかりの皆さまの作品展です。

この度は倉石隆はじめ三人の物故者を含めた9名の展示になります。ささやかな会場ですが、賀川隆、矢野利隆両氏のように上越での発表が珍しい方もいらっしゃいます。真夏から初秋へ、どうか個性あふれる作品をお楽しみ下さい。

 

出展者は大口満、賀川隆 ※、倉石隆 ※、篠原真智子、関谷昌夫、筑波進、舟見倹二 ※、矢野利隆、涌井和子の9名です。
倉石、賀川両氏の作品は樹下美術館収蔵品を出展致します。

さて6月23日から始まっていたもう一つの15周年記念「齋藤三郎ゆかりの人々展」。同展が終了する8月9日が近づいていますが、リピートする方や「2度3度と観たい」と仰る方がおられるなど、お陰様でご好評を博しています。

そこで会期を先の「ふる里上越 主体美術協会の人々展」の終了日9月20日まで延長することに致しました。
結果、二つの記念展覧会は8月11日~9月20日まで同時開催となり、行事に厚みが出ることになりました。

熱さとコロナの盛りですが館内は十分に換気を心がけています。マスクを着用されどうか展示やカフェをお楽しみください。

クリームソーダーがカフェ・メニューの仲間入りしました。

熱さつのる日の雲。

2022年7月28日(木曜日)

雨や暑さが行ったり来たりしながら夏が過ぎて行く。午後、日射しは強いが風は秋めいているように感じた日。ベンチのお客様は風が通るのでここが一番と元気に仰った。

お休みの午後、ゴルフの練習に行く時間があった。クラブを短く持ったり長くしてみたり、力を入れたり抜いたり、色々してみるが果たして練習になっているのか怪しい。

終えて美術館に戻って8月11日から始まる「ふる里上越主体美術協会の人々展」に向けて届いた作品の写真を撮った。さまざまな志向の作品を見るのはとても楽しい。小規模ながら面白い会場になる予感がした。近々是非一端をご紹介したい。

夕刻関田山脈の方向に力強い雲が広がったので出向いた。

ごく近くの田んぼで。

20分後別の場所で。
秋に向かって雲が多様に変化する。

そう言えば昨夏の退院後夕焼けの海で自動シャッターを切って自分を写していた。大病などすると自分を撮っておきたくなるらしい。大きな雲を見て恥ずかしいが自分も入れた。

愛知県からのお客様に励ましを受けた。

2022年7月27日(水曜日)

日中美術館に居る妻が折々その日の事を話してくれる。
過日の二組の方たちには直接お会いしたが、一昨日聞いた愛知県からのご夫婦のことは妻からの伝聞だった。

以前お二人は富山県からよく来館されたということだが、愛知に移ってからここが遠くなった。このたび思い切って来てみたが、展示が非常に素晴らしかった。カフェや庭も以前のままで、“樹下美術館ほど素敵な所は無い”と仰ったという。

これだけで十分感激なのに拙ブログを知っておられ、昨年倒れた小生の体の事がとても心配と、涙ぐまれたという。

コロナ、戦争、自身の病、、、良くないことが続くなか、何と有り難い話だろう。多忙に明け暮れ年令を重ねると、ふと悲観に襲われることがある。
遠くからのご夫婦に温かな励ましを受け、つくづく“美術館をやっていて良かった、生きていて良かった”と気持が改まる。
また訪ねると仰って、帰路に向かわれたそうだが、心からお待ち致します、遠路本当に有り難うございました。

仕事場のキンカンにきていたクロアゲハ。
何度も蜘蛛の巣に止まり産卵するような動作をする。
糸に絡まないか心配だったが全く恐れを見せなかった。

秋になったら美術館のブットレアのそばにもキンカンも植えたい。

深田久弥著「わが愛する山々」の火打山と齋藤三郎。

2022年7月26日(火曜日)

去る6月26日のブログ「齋藤三郎とゆかりの人々展その9」で登山文学者・深田久弥に触れさせていただいた。その折り著書「わが愛する山々」に火打山があり、そこに齋藤三郎が出てくることを書かせて頂いた。

幸い文庫本サイズの本はネットですぐ買えた。今回、北は斜里岳から南は九重山まで取り上げられている23の山に関する著述から我が齋藤三郎が登場する15ページにわたる火打山をご紹介してみたい。

深田久弥著「わが愛する山々」 山と渓谷社発行
2011年6月5日初版第1刷の2020年4月5日初版第2刷

出身地が福井県大聖寺の深田氏は1960年三月下旬の白馬山麓のスキーで妙高連山を見て以下のように述べられている。
“三月下旬ではまだ全ての山は雪を置いていたが、とりわけ火打は白かった。こんなに一点の汚れもなく真っ白になる山は私の知る限り加賀の白山と火打山以外にはない。”と感嘆される。そして妙高連山のうち火打山だけが未踏であり、是非登ろうと決心されるのである。

同年6月19日深田氏は髙田に到着。かねての読者I氏の案内で金谷山、春日山城、五智を訪ね、市内で山岳講演をされる。この間に終始上越山岳会副会長の饒村義治氏(小生高校時代の恩師)と髙田山の会会長の齋藤三郎の世話になったと記されている。

翌朝田口駅(現妙高駅)でパーティー9名が全員集合。そのうち上越山岳会の一人は私の中高時代の二つ上の先輩松川太賀雄さんだった。9名のうち7名が若者、残りの深田夫妻と齋藤三郎の三人が中年という具合ながら、深田氏からムッシュと呼ばれた齋藤氏は若者に劣らず山で強かったと書かれている。

当地から見る冠雪の左・火打山、 右焼山

読み進むにつれ地元の山男たちは深田夫妻の“お供をする”などというものではなく、途中途中の美しい景観や可憐な花々を案内、楽しい休憩と山菜採り、さらに用意した山海の珍味で深夜に及ぶヒュッテでの宴など、登山を通して精一杯の“もてなし”をしたことが分かる。

景観を愛で行程と地元の風土に親しむ。登頂に成功するばかりが登山ではなく、断念の山行にも楽しい思い出がいくつもあるとする深田氏の登山哲学を理解し、壮大な火打山をもって夫妻を温かく迎えた上越の山男たち。本は劇的な自然と人々の行為が織りなす文学として感動的に綴られていた。

一行は赤倉温泉でお別れの晩餐をする。そこで、上越山岳会は先鋭分子だが、齋藤氏が会長の髙田山の会は、生け花や謡曲の会と並んで文化団体として扱われていることが披露され大いに盛り上がり、どんな山の登り方があっても良いと、記されている。

火打山で出会った深田久弥と齋藤三郎は後も交流されました。

私より少し若い?二組のお客様との話 あれから一年。

2022年7月25日(月曜日)

過日私より少しだけ若く見受けられた二組のお客様とカフェで話をした。一組は柏崎の女性二人で、最初お二人は柏崎は何も無い、としきりに嘆かれた。しばしば他所から見える方はそんな風に地元のことを嘆かれる。

が私が知る柏崎は先ず桑名藩との関わりなど歴史が古く、謡曲「柏崎」があり、市内に寺が沢山あって、お寺の宗派が色々のうえ焔魔堂まであり、天神様飾りの習慣があり、随所に庚申塔など石塔が多く、越後ちぢみで代を為した大コレクターが大勢居て今日諸美術博物館の礎になっている等々を述べ、にわか知識ながら柏崎は何も無い所ではない、と弁護した。

そう言えばそうだわね、と話が進み、柏崎の人は確かに信心が厚いかも知れないと仰った。
一つとして、よそ様から何かを頂くと子どもさえ先ずお仏壇に供える、と話された。私自身かって柏崎をめぐるなかで、郊外を含め市全体に信心深さが漂うのを感じていた。
私が知らない風情の良いお寺を教えて頂いたり、かってお参りした御嶽社を口にすると、うちは直ぐそのそばと話が弾んで楽しかった。何も無いなどと謙遜しなくても、まず信心深さが漂うだけで素晴らしい市ではないかと思い、教えて頂いた寺を訪ね、いつか必ず綾子舞いを見たいと願った。

樹下美術館のキキョウ。

同じ頃お会いした上越市内二人の男性との話。
立ってお聴きしただけだったが、お二人とも写真好きとお見受けした。拙ブログや写真をあげ、特に鳥は素晴らしい、と褒めて下さった。
また昨7月倒れたことを知っておられ、もう一年ですねと仰り、もう一方は「机上メモ、私もやっています」と話されたのにはびっくりした。

以前はもっとお客様と話したが、コロナになって少なくなった。しかしこのように接してみると、色々楽しくかつ励みになり、続けてみたいと思った。

昨年7月24日夕刻に心筋梗塞で倒れ半分死にかけた。循環器の手術場で寒さに震えながら冠動脈拡張術を受け、三ヶ月一度の通院を続け、お陰様で一年無事過ぎた。
主治医師に勧められていることを口実にするゴルフ以外何かと用事に追われる日々。現在4回目のワクチン接種の最中で、本日自分も受けた。

この先、去る日、齋藤三郎ゆかりの人々でご紹介した深田久弥著「我が愛する山々」から齋藤三郎が登場する火打ち山の一節を書かせて下さい。

一昨年植えたブットレアに蝶が来た カサブランカが咲いている 映画カサブランカのテーマ 猛烈化したコロナ。

2022年7月22日(金曜日)

2020年10月美術館の北の庭と西の庭にブットレアの木を植えた。下の幹からある種暴れるように何本も長い枝を伸ばし赤紫色の房花を付ける。

もとは仕事場の庭にある木で、何も知らずに「よく蝶が来るなあ」と感心して眺めていた。あまりの蝶に調べてみると「蝶を呼ぶ木」ブットレアだと分かった。だが不思議なことに、いつ誰が植えたのか分からない。それなら美術館の庭にもということで一昨年秋、ネットで取った苗を植えたという次第。

昨年は数輪花を付け、今年はもっと咲いた。蝶はまだかと見ていたが一昨日昼キアゲハが熱心に取り付いているのを見て初めて撮った。

暇があれば一日中見ていたい。

特別良い匂いがするわけでなく、見かけもまあまあの花。しかし蝶はぐるぐる花に取り付きながら熱心に吸密し、一通り終わると飛び立ちまた引き返してくる。なにが惹きつけるのか、蝶に対して強い未練を残すらしい。

ブットレアの脇に同じ時期ヒヨドリ草も植栽したので間もなく開花を迎える。この花も蝶を集め、とくに驚異的な長旅をするアサギマダラが好むというので、まだ見ぬ美しく強靱な蝶を一目見てみたい。アサギマダラは台湾など南方への旅で知られているが、山形県や北海道にも現れたということ。なんとか我が美術館にも寄ってもらいたい。

あちらこちらでカサブランカが咲き、庭を香らせている。

今年は雨が少ないため傷まずに伸び伸びと咲いている。今のところ今年の梅雨は百合向きだ。

 


ビージー・アデールのピアノで
映画カサブランカのテーマ「「As Time Goes By」

コロナが猛烈化している。

第18回卯の花音楽祭 SPレコードで聴いたクライスラーの名曲と長崎の鐘。

2022年7月18日(月曜日)

本日海の日の祝日。月曜日が休みだと大変気持が和らぐので貴重な日になる。

午後「卯の花音楽祭」が頸城区の希望館で開かれた。“小山作之助を讃えて”とサブタイトルがある音楽会はコロナ禍によって3年ぶりだった。
作之助の母は我が家の人なので例年名札付きの席に座らせられ正直恥ずかしい。本日は新潟市から後藤丹もと上越教育大学教授が隣に座られ、光栄かつお変わり無く懐かしかった。

大潟オカリナアンサンブル、大潟ギターアンサンブル、コーラスゆりかご、シニアコーラスさざなみ、コーラスおおがた、卯の花合唱団の地元グループのほかゲスト「サックスアンサンブル E7SS」が招待された。

 

メジャー、ローカル、ファミリー、さまざまな音楽活動がある。耳障りでさえなければ音楽はどのレベルでも楽しめる。本日はグループごとに個性があり楽しく聴いた。
わけてもコーラスおおがたが歌った小山作之助作曲「鏡が浦の驟雨」は後藤丹氏の編曲で、メンバーは9人と少なかったが鮮やか、かつ爽やかなハーモニーが印象的だった。積み重ねられた真剣な練習のたまものにちがいないと思った。

会場の全体換気と休憩を終えた後サックスアンサンブルE7SSがダイナミックな演奏を終えた午後3時ころ、残念だったが所用のため会場を後にした。

本日夕刻美術館でA氏とお会いし持参された2枚のSPレコードを聴いた。1枚は藤山一郎の「長崎の鐘」もう1枚はクライスラーの名曲「愛の悲しみ」「愛の喜び」だった。乾いた夏の庭が雨と出会ったように三曲のレコードは胸深くしみ込んだ。

クライスラー自身が演奏する二曲のSPは貴重で、YouTubeに出ていたが共有に制限があったので「長崎の鐘」を以下に掲げました。

この歌で思い出すのは昭和43年夏、ある大きな団体が行う九州旅行の医療班のアルバイト。
特に長崎市で平和祈念像や浦神天主堂を巡った後、バスガールさんが美しい声で歌った「長崎の鐘」は思い出深い。狭い通りを走りながら説明と歌を聴いて切なく胸に迫るものがあった。

新幹線は一部のみで、車中や船の寝泊まりを入れて5泊6日?、とにかく強行軍だった。真夏の九州をバス10数台を連ねて走り、時々私達はタクシーで最後尾に付いた。湯の児温泉の朝の爽快さのほか、阿蘇のつづら折りで一台が故障した時ずらりと並んだ壮観なバスの車列が妙に印象に残る。
帰りの船中で起きた大規模な船酔い騒ぎ?のほかは大した用件も無く、当時の人たちは強かったなあ、と思い出す。

週末二日のお茶とゴルフ、そして夕暮れの渋柿浜。

2022年7月18日(月曜日)

週末土曜日午後は薄茶の呈茶を行い、本日日曜日はゴルフコンペに出た。
晴れ間となった茶席は知らない方同士3組様が集って6人の和やかなお席だった。

お道具は前回そのまま、お花を一部替え、
診療所のハナミョウガ、美術館のミゾハギなどが入った。

カフェの正面に咲いている黄金オニユリ。
今年は沢山花を付けています。

茶が終わって美術館に戻ると仲良しのお二人のお客様から
お菓子を頂いた。「こんにゃくゼリー」と「妖怪きびだんご」。
どれも初めて。お腹が空いていたので沢山食べた。

そして本日のゴルフコンペ。成績は散々だったが、どういうわけか楽しかった。ちなみに成績はブービーメーカー。初めての結果かもしれない。今年初めのころは良かったのにどんどん下手くそになっていく。
主に体のことで「良い事があれば親のお陰、悪いことは年のせい」。自作の迷言を思い浮かべて納得した。

昨夜の土砂降りで比較的涼しかった本日。夕刻は大潟漁港の西隣の突堤で夕焼けを「写した」。

こうして戻り梅雨の二日が過ぎた。

「戻り梅雨」と言うらしい 4回目の接種、7波の流行。

2022年7月15日(金曜日)

短い梅雨が開けてカラ梅雨模様となり畑や庭が乾き、溜め池の貯水量が心配されていた。
それが4,5日前から雨が降り始めると、再び梅雨の空模様になった。「戻り梅雨」という語があるようだが、ぼんやりしていたせいか記憶が無い。

本日夕刻西の空に茜が射したので仕事の後四ツ屋浜へ夕空を「撮り」に行った。
陽が沈んでしばらくの間、雲がきれいに染まり、いっとき見応えがあった。

 

 

海沿いの道の傍らに大きな水溜まりがあり、美しい空が写っていた。

今月11日から4回目のワクチンが始まっている。通常の仕事の合間に午前12人、午後6人の接種がほぼルーチンになる。これがお盆休みを除いて8月いっぱい続く予定。
昨年は18人を残して7月24日に心筋梗塞を発症して倒れた。個別を希望される方が想像以上に多いのでやむを得ないが、今年は一人一回接種なので健康に気を付けて何とか乗り切りたい。

それにしても第7波。それも急峻な上昇カーブで流行している。新たなウイルスには免疫逃避のメカニズムが加わったため、より感染力が強まった。
ワクチンや実際の感染による免疫獲得と変異ウイルスによるすり抜けのイタチごっこが始まった。ワクチンの有効性強化と対コロナに特化した特効薬が今こそ期待される。だが果たしてインフルエンザよりも動きが軽そうな新型コロナの動向に追いついて行けるだろうか。向後長いスパンの複雑な流行を想定しなければならないかもしれない。

戦争はじめ嫌なことが止まない。本当はそのようなことをしている場合では無いのに。

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