一昨日夕刻のお台場 年に一度の贅沢な食事 東京と地方 本日の異常高温 気象と人。 

2019年11月18日(月曜日)

若き日同じ医局で過ごした級友三人と、長年今ごろになると夫婦で毎年集まる。
土曜日に食事し翌日はどこかの美術館に行く。食事場所は適当に幹事を回して予約、近時ホテルはKが取ってくれるので有り難い。

この度一昨日土曜日午後、夕暮れのお台場を見るべく早めに上京した。一昨年にはじめて行ってみて、都会ならではの海辺の風景が気に入り、このたび再度予定した次第。
時間に余裕がないのでホテルからタクシーに乗った。
タクシーは大きなレクサスで、5ナンバーに乗っている私は広さと静かさに驚いた。運転手さんに聞くと新潟から積算4万キロで出た車だという。私たちも新潟から来ました、と伝えると喜んでくれた。
車内に「小舟」と「WAVE」がモダンなアレンジで流れ、いいですねと褒めた。

先回帰りのタクシーが掴まらず苦労したので、到着後出来ればメーターを倒して待っていてくれますか、とお願いしてみた。
すると、いいですよ、待っている時間の料金は要りません、本でも読んでいますのでゆっくりしてきて下さい、そこに居ますと仰った。ここまでの料金を支払って降りたが、多分こんなドライバーさんは珍しい。50才くらいの人でメガネを掛け、スッキリした感じの人だった。

夕暮れのお台場は一種別天地だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

湖のような浜辺に良い時間が流れ,
運転手さんは待っていてくれた。

ホテルへの帰路、道すがら見えるオリンピックの選手村、取り壊し中の旧築地市場、大きな豊洲市場を説明してもらった。
清潔なビル群、美しい東京を見てふと思った。
ここは何も東京の人だけの場所ではないだろう。同じように地方もまた地方だけの場所ではないはずだ、と。

 

暮れてホテルで浜松の級友と会い、六本木の店に行き、都内の友人と合流した。
毎年顔を合わせる夫婦6人、年は取ったが同じ顔ぶれで会えるのが嬉しい。

 

 

各地の香辛料や野菜を使った前菜が出る。

 

ぱりぱりとした愛知の海苔と青森の牡蠣に海水のジュレがあしらわれた皿。
ジュレはまさしく海の味がして、何とも言えぬ懐かしさが拡がった。

 

厚岸(あっけし)のウニ。

濃厚な味のオマール海老。ナイフの柄までおしゃれだった。
ワインは白が続いた。

メインのシャラン鴨料理。紫ニンジンなどの根菜、サツマイモとアンズのピューレ、あえ物は九州は陽田の梅を使ったという。産地の説明を聞いていると旅行をしている気分になる。

 

飲み物はいつもKが選ぶ。ジェニファーのハートフォード・コートというカリフォルニアの赤ワインに変わった。よく香り、軽い甘みが美味しく、皆で褒めた。

メニューが進みチーズが出る。六種のチーズから特に
匂いが強い4種を取った。チーズは食事の楽しみの一つ。

熊本の栗とパッションフルーツのムースのデザート。
ほかに二種のデザートが出てエスプレッソでお終い。
手間を惜しまない料理は深い魅力を湛え、ことごとく美味しく親しめた。

 

デザートの途中で、シェフがデザインしタイの職人が作っているという鉄製のオルゴールを沢山見せてもらった。
赤いのがとても気に入り、樹下美術館のカフェに置こうと考え、お願いして買わせてもらった。

 

かってのシャンソンバー「銀パリ」や自由が丘にあったジャズ評論家いそノてるヲ氏のライブカフェ「ファイブ・スポット」、雨期になるとトラックで家を運ぶカンボジアの話、カルーソーを讃えたパヴァロッティの歌、酒を美味しく飲むための生活、映画は「静かなる男」「アフリカの女王」「Once Upon a Time」などが語られ、日本人が大好きだった女優ジェニファー・ジョーンズ、例によってローマの休日のオードリーヘップバーン、外国の女優達の社会奉仕、ふる里は高知県だが酒盗が嫌いで芋料理が好きと言う話、医局時代に通った床屋から当時の中華料理やロシア料理店のこと、今は亡きミッシェル・ルグラン、お気に入りのシャルル・アズナブール、飲んでいるサプリメントや級友の消息などを話した。
幸い個室だった事もあり延々4時間の食事になった。
不思議な事に例年健康の話を沢山するはずが、今年は殆どしなかった。

 

それにしても本日日中の天気は凄かった。
上越市髙田で25,9度とは、まったく理解に苦しむ。

気象(自然)は私たちには手に負えないモンスターと言ってもいい。
生命を、人類を、たぶん社会まで作りだしたのは自然にほかならない。
信心深い方に叱られるが、私たちが作ったのなら少しはコントロールできるはず。
それが出来ないのは、手に負えない者が作ったからであろう。
なにがしか調和に必要なのは、謙虚に徹する以外見当たらないと思うが、どうだろう。

翌日曜日のことは後で書くつもりです。

去る日曜日午後、新潟市美術館でワイエスの絵を観た。

2019年11月15日(金曜日)

さる先々週の日曜日、柏崎市を訪ねて念願の庚申塔に出合った。
その日柏崎の後、新潟県立美術館でアンドリュース・ワイエス展を観た。

ワイエスを知ったのは樹下美術館の開館間もないころで、東京のお客様からこのブログに載せた雁子(がんご)浜の写真がワイエスの雰囲気に似ている、と言われたのがきっかけだった。
インターネットで取り寄せた画集は素晴らしく、直ぐに好きになった。画集をみて、確かに荒涼とした雁子の風景は、どこかワイエス風かもしれないと思った。
※この時の画集は当時から美術館のカフェに置かせて頂いています。

そんなワイエスの展覧会が新潟市美術館に来ていると知り、このたび念願叶った。
館内は120点もの水彩画が掛けられている。画家が親しみ30年も暮らしたという米国はメイン州クッシングの静謐な土地。草地の丘のオルソンの家という大きな建物と、そこに住む兄妹の生活が、深みのある良い色を用いて克明に描かれている。

 

展覧会カタログの表紙

様々な角度からの家と周辺の草地や畑そして海辺、さらに農具や作物、卵や小舟などが描かれている。家は屋根や雨樋から煙突まで、内部は厩、納屋、風になびくカーテンやランプに到るまで詳細である。それらの折々には家の住人である兄妹が描き込まれ、彼らが営む慎ましい生活が静かに語られている。
最後に二人の住人が亡くなり主を失った家が、文字通り空ろに描かれていた。
空気に風、その音や匂いなど目に見えないものまで伝えたワイエスの作品は一点一点が詩であり、作家の情熱と技量に驚嘆せざるを得なかった。

 

〈クリスティーナの世界〉の習作である絵はがき。
オルソンハウスの住人クリスティーナは足に障害がある。
草地を這って丘の家をめざす力強いクリスティーナを描いたシリーズの習作。

 

さて話戻って以下は2007年12月から撮った雁子浜の小屋で、地元の人の漁具が仕舞われていた。

 

2007年12月7日

 

2008年1月28日

 

2012年12月5日。
周囲に自然に生えた松が大きくなり、一方小屋は傷んできた。

 

2018年1月15日。
厳しい浜で頑張った小屋は持ち主が亡くなると、ついに潰れていった。

オルソンハウスは現存し、2011年に米国の歴史建造物の指定を受けているそうです。

「アンドリューワイエス展 オルソンハウスの物語」は、
2020年1月19日まで新潟市美術館で開催されています。

お二人の名前。

2019年11月13日(水曜日)

とうに90才を越えられて今なお元気なクマさん。もうこれ以上こどもを死なせたくない、という親の願いが込められた名前のことを2012年1月に書かせて頂いた。

狭い私の世界なかから、本日はその後印象に残ったお名前を二つ書いてみたい。いずれも短い時間にお聞きしたものですが、時代を越えて親の願いが伝わってくる。

“ヤサシ”さん。
亡きお母さんの名が「ヤサシ」さんという方に出合ったことがありました。優しいのヤサシです。
実際はどうでしたか、と尋ねますと、厳しい母だったと仰いました。ヤサシさんは若いうちにご主人に先立たれ、お一人でお子さん達を育てられ、普段決して優しくはなかったそうです。しかしどんなに叱られた時も、本当は名前の通り優しい人なんだと思うようにしていたので、不安になることはありませんでした、と伺いました。
私自身はじめて耳にした名前“ヤサシ”。出来れば名付けたお爺さんお婆さんのことも尋ねてみたいと思いました。ご両親は昭和初期のお生まれではないか、と想像しました。

“栞(しおり)”さん。
ご本人のお名前です。長く当方に通われ、特に名を気にとめなかった栞さん。ご本人が80才半ばになるころ、気になって尋ねてみました。
名の由来が考えていた以上のお話で少々驚いた次第です。以下お話の趣旨をしるしました。
「私の母は当時としては進んでいたのでしょう、“平塚らいてう”に心酔していたようです。貧富や男女の差別に立ち向かい平等な社会を目指そうと生きる“らいてう”を尊敬していたのです。
「栞」という名は、文字通り本に挟むシオリ。
読書で、これまで読んできた所にしっかりシオリを挟んで区切りとし、明日からその先へ新たに歩むという、意味だと聞きました。らいてうを尊敬する親の思いがこもった良い名前だと思っています」
というお話でした。
東京の大手会社で長年重要な部所の事務をされ、ダンスが好きだったと仰り、油絵も描かれる。来院以来いつも検査結果をしっかり確認され、生活のアドバイスを求められる栞さん。夏休みに大勢の孫ひ孫さんが来れば、民宿です、と言って台所に立つ人。お話を聞いた後いっそう生き生きして見えるようになりました。

掲載の椿はいずれも「西王母」で、現在美術館の入り口向かって左側に咲いています。
暑さ厳しい夏でしたが例年に比べ花数が多く、びっくりしている次第です。ただ傷んでいるものも沢山あり、良いのを選びました。

コハクチョウの小さな群 一羽のハクガンがマガンに混じって降りた。

2019年11月13日(水曜日)

一週間ほど前、コハクチョウが150羽ほどいました、とある方から聞いていた。
そこで一昨日日曜日、午後から田を見に行くとそう遠くない場所で50羽ほどの群を見た。

 

 

見ているとほかから時々数羽が降りてきた。
この写真ではマガンも一緒だが、彼らの群は数百メートル離れた所にあり、
ハクチョウだけがまず田に降りる。

 

すると頭上をマガンが通っていった。

驚いた事にその中に一羽の白い個体が見える。ハクガンに違い無い。北国のどこかで、マガンに混じってしまったのだろう。たった一羽で一緒にここまで来るとは。

 

ぐるっと東に回って地上のマガンの群に向かって行く。

 

左か二羽目、間違いなくハクガンであろう。今後沢山来て欲しい。

 

帰路、ススキの土手にスズメの群。毎年減っていることばかり報じられる。
こうして少し大きな群に出合うとほっとする。

つぶさに観察している訳ではないが、これまで初めてハクガンを見るは大抵年明けた1~2月だった。一度だけ2010年は11月20日だった。わずか1羽の飛来ではあるが、例年よりも早くはないだろうか。

次第に冷えてきて冬鳥たちには丁度良い季節になった。どんな鳥に出逢えるか、北から山から沢山やって来て欲しい。
また雪には余り降って欲しくない。

去る日曜日の柏崎行き。

2019年11月12日(火曜日)

私の庚申塔探訪は言葉は悪いが、近郊ドライブの「眼なぐさみ」、あるいは一種気まぐれとして、細々と続いている。
先々で出合った石塔周辺の自然や社寺あるいは集落の印象などから、そこの風土や暮らしぶり、あるいは昔人の願いなどを思ったり、気づかされたりして楽しむという風で、研究などの上等なものでは全くない。

さて昭和41年発行の「越後の庚申信仰」には以下の丸い庚申塔が掲載されている。

越後の庚申信仰:尾身榮一 大竹信雄 共著 庚申懇話会 昭和41年10月28日発行

「越後の庚申信仰」にある写真。
何かとても可愛い印象。
下の基壇から上へ、構成している各部分のバランスが良い。

青面金剛が円形の石に掘り出されている一見和やかな石像だ。様々な様式がある中で、本尊が円いふち取りに収まるのは珍しく、是非とも見たいと念願していた。
くだんの本には柏崎市四谷2とあり、実は今年1月妻と車で周辺を巡ったものの見つからなかった。

このたびは去る11月3日日曜日、新潟市に用事があり、途中再度の柏崎行きを試みた。
目的の同市四谷の通りは隅々まで家が建つ。村落の庚申塔ならば集落の境や社寺の門前などでよく見るが、街中ではよほど目立つ場所か、所番地が明瞭でない限り中々見つけ難い。
この日も道を変えながら色々回ったが、駄目だった。最後に近くの柏崎警察署で聞いてみて、駄目なら諦めようと決めた所で、とある庭から婦人が出てこられた。

その方にお声を掛け、本の写真を見てもらい、近くにありませんか、と尋ねた。
「庚申塔ですね、多分あそこでしょう」
「え、あるのですか!」
「すぐそこですよ、主人は今出ていますが、この方面の専門家です」
ああ、こんなことがあるのだろうか、偶々遭った人のお身内が探しあぐねていたものの専門家とは。
女性は私たちがその前に立っている「三忠呉服店」の女主人だった。

利発そうなその方は道を挟んだ向かいの路地に入って行かれ、私は後に付いた。30メートルほど歩くと、傍らに以下のような石仏・石塔が突然固まって現れ、大変驚いた。
本当にすぐ近くだった。

 

右の奥まった場所(白矢印)に、ああ、ひっそりと円形の石塔が見える。
そこには庚申塔に石仏、墓碑、、、。
昔人の真摯な魂が宿るここはパワースポットでは。

 

下から基壇、やや長い柱、請花(うけばな)、三猿、本尊と丁寧に設えられている。
背景が本の当時と異なっているように思われた。

さらに寄ってみた。

 

三猿はデザイン化され、金剛の顔は横にらみ風に見え、どこかユーモラス。
本よりも一段と白カビが生え、持物などはっきりしない。
見える二臂のうち左手はショケラ、右手は羂索?あるいは剣を握っているようだ。
本尊はやや稚拙だが、このように変わった庚申塔を彫り上げた石工(いしく)は
一体どんな人だったのだろう。
若い人なのか、こんなに丸く円を切ったり彫ったり、素晴らしい。

あたりを見ると、石塔群の先に遺構があり、尼寺の跡だという。案内された方も尼寺の往時を知っておられ、後からお二人の女性(お店のお客さんということ)が加わり、ひとしきり尼さん(安寿さん)の話になった。
小生の近くにもかって尼寺があり、早春に涅槃図の前で説話を聞き、撒かれたダンゴを木の枝に刺して持ち帰ると、長火鉢であぶって食べた。柏崎の尼寺の跡で昔を偲ぶとは、この日は色々お土産が付く。

 

尼寺跡。

石塔群には多数の庚申塔があり、地蔵菩薩のほか僧侶のものと思われる先端が尖った丸い墓碑(卵塔、無縫塔というらしい)が数多く見られ、二十三夜塔もしっかり認められた。

 

青面金剛と二十三夜塔。

 

石祠も置かれている。

路地を挟んだ向こうにお堂があり、以下のように地蔵尊が三体安置されていた。

 

真ん中の像は中越沖地震で倒壊し、後に継ぎ合わせて復元されている。
痛ましい姿だが地元の方達の温かい信心が伝わる。
脇の二体はほかから運ばれたものとお聞きした。
新しい花が日射しを受けて幸せな光景だった。

ご近所さんも加わり、良いひと時。

 

お尋ねした方のお店「三忠呉服店」
後日の調べでご主人は元柏崎市博物館館長さんだった。
奥様は地域の故事風習に触れる活動をリードされておられる。
あこがれの庚申塔を探すに、これ以上ない家の人に尋ねたことになる。
こんな幸運があろうとは。

さて柏崎市では、古来大晦日から1月下旬まで学問の神様である天神様の掛け軸や人形を祀る習わしがある。また9年前から地震による中断を挟んで「天神街道 天神さまめぐり」が行われている。お店はその幹事をされているらしく、市内30カ所の参加店舗・家庭の中で要のひとつとして展示をされる

ところでこの日、嬉しい事に、最初に名刺をお渡しすると、“樹下美術館なら私たちは良く行きますよ、とても気に入っています”と仰って頂いた。樹下美術館にはドナルド・キーンセンターや木村茶道美術館、地域活動のグループの方々ほか、柏崎の皆様にお寄り頂いていて、普段から感謝に堪えない。

同市は、庚申塔はじめ道祖神から風神まで石塔が多い。市のもとはといえば柏崎長勝と能「柏崎」の物語、桑名藩領としての歴史、貞心尼の足跡、幾本もの谷筋ごとの文化と産物、、米山信仰、番神岬の日蓮、由緒ある寺々、焔魔堂、随所の木喰仏保存、魅力的な綾子舞や大和舞、そして越後ちぢみの商いによって輩出された趣味家、文人に名コレクターなど、文化は鮮やかで深く、一方でポンツーンを連ねた海辺のハーバーは清々しい。
このたび思ってもみない出会いのお陰で余計柏崎が好きになった。来る1月には天神さまめぐりをするため、是非とも伺わせていただきたい。
(そういえば、私のところでも昭和20年代のある時まで、父が正月に天神様の軸を掛けた淡い記憶があります)

思えば2007年5月10日樹下美術館が開館してほぼひと月余、中越沖地震に見舞われた。館内で台に立てかけた皿が一枚倒れたものの無傷で済んだ。しかしお客様として開館早々お尋ね頂いた柏崎市のあるコレクターさんが、まともに被災され悲しいお手紙を受け取った。
地震の際、直後から柏崎市医師会長とコンタクトを取り、夜間に同市米山の避難所を巡回したことも今は懐かしい。
いずれにしても民家、社寺の損壊、あまたある石塔石仏の倒壊などは如何ばかりだったか。まだ課題が残るもしれないが、よくも立ち直ったと、あらためて感心させられる。

追加:当館の開館直後、同市の湿原の展開に合わせ、拙生の植物画の絵はがきをショップで販売させて、と博物館から申し出を受けた。大変恐縮し、お願いすると沢山売って頂いた。
御地の皆様、これからもどうか宜しくお願い致します。
ついつい長くなりました。

本日午後「蓄音機でSPレコードを聴く会」が終わって。

2019年11月9日(土曜日)

本日午後「蓄音機でSPレコードを聴く会」が皆様のお陰で無事終了した。
いつもながら無事とは有り難いこと、とつくづく感じさせられる。

エディット・ピアフ「バラ色の人生」と「三つの鐘」から始まった会。リュシェンヌ・ホワイエは名曲「聴かせてよ愛の言葉を」、シャルル・トレネは「パリに帰りて」「ラメール」、高英夫の後はイヴ・モンタンで同じ「枯葉」、エレナ・ゲルハルでシュ-ベルトの「冬の旅から「辻音楽師」、最後はエンリコ・カルーソーでビゼーのオペラから「真珠採り」の9曲を聴きました。
レコードを持参されたS氏はとても趣味が良く、「真珠採りなど涙がこぼれた」という声が聞かれました。

休憩では十六茶に飴とクッキーをお出ししました。

 

セッティングを終えた場内。

その後次々お客様が来られ20客近く追加しました。
(この写真はお客様からお借りしました)

後半は拙生のレコード。米国のミルドレッド・ベイリーやダイナ・ショアによる「ザ・ロンサム・ロード」「ソー・イン・ラブ」「アニヴァーサリー・ソング」、続いて戦後の暁テル子の歌、美空ひばり「あの丘こえて」、伊藤久男「あざみの歌」、フランク永井に続き、川田孝子と安西愛子kの「月の砂漠」、最後に絵入りのテイチクレコードで「ジングルベル」を掛けて終了しました。

お若いカップルさんにも来て頂き、喜んでいる次第です。
シャープなCDと異なり、SPレコードの音は柔らかく、聴いていて疲れないというお声を聞き、なるほどと思いました。皆様にはそれぞれ思い出の歌があり、ハミングが聞こえたり、目頭を熱くされるなど、心打つ会ではなかったでしょうか。
電気、電子を用いない自然な再生音は今や新鮮、また歌を通して洋の東西と時代背景を体験出来たことも有意義だったと振り返っています。

今回で樹下美術館主催の今年のイベントは全て完了。ご協力頂いた方々、ご参加下さった皆様に厚くお礼申し上げます。

今年の樹下美術館は12月20日までの営館です。
あと40日余。晩秋初冬にも良い日があります。あf暇をみてお寄りください。

美術館の庭でジョウビタキとシジュウカラが水浴び 他県のお客様。

2019年11月8日(金曜日)

去る10月31日に「秋の庭に昆虫と鳥」を掲載しました。
そこでカフェから撮った庭の灯りに止まるジョウビタキ(同日のショウビタキから改めました)を載せました。ところで昨日の昼、同じ鳥でしょうか、灯りに止まり、その後水盤に移動しました。

 

よく滑りそうなのに灯りの上は人気?。

 

水盤に止まってあたりを伺う。

 

そーっと、水につかり。

 

翼で激しく水を振るい飛ばす。

 

逆立ちして体を震わせる。

 

シジュウカラが来ている。

 

「失礼します」、「どうぞどうぞ」

 

もう一羽シジュウカラが待っている。

 

ジョウビタキが去り、さらにシジュウカラが加わって三羽で浴びる。
シジュウカラは今春~夏に近隣で巣立った若鳥ではないでしょうか。

ジョウビタキは秋~冬に掛けてやって来る渡り鳥。春は4月上旬までいるようです。
以下は2017年4月6日のメスです。北国へ帰るころ、あるいはその途中かもしれません。

オスに比べメスは全体に地味ですが、心なしか顔が可愛い。
この時もカフェから見える庭の灯りに止まりました。

ジョウビタキは縄張り意識が強いということ。先日からのオスは樹下美術館を縄張りの中に入れ、巡回しているのかも知れません。
寒くなりましたが、水浴びをする野鳥をみていると、きれい好きで元気な事に感心させられます。

昨日は斑尾にお泊まりの京都のグループの皆様にお寄り頂きました。
本日は長野のお茶道の皆様にお越し頂きました。
小さな個人美術館なのでご来館は口コミでしょうか。近隣の皆様のほか、遠路お寄り下さる他県の方々に深く感謝申し上げます。

今週9日、土曜日はSPレコードを聴く会。

2019年11月7日(木曜日)

電気を用いない蓄音機に昔のレコードを乗せて聴くSPレコード鑑賞。
レコードが録音されたおよそ1930~1950年代ころまでの音楽がよみがえります。

このたびは特集として、シャンソン、ヨーロッパ歌曲、スタンダード曲、古い日本歌謡、童謡などの「歌」を掛けますのでどうかお暇を見てお寄りください。

午後3時始まりです。

以下は予定のプログラムです。

【前半】 シャンソン、クラシック歌曲
「バラ色の人生」 エディット・ピアフ
「三つの鐘」 エディット・ピアフ
「聞かせてよ愛の言葉を」 リュシェンヌ・ホワイエ
「パリに帰りて」 シャルル・トレネ
「ラ・メール」 シャルル・トレネ
「枯葉」 高英夫
「枯葉」 イヴ・モンタン
「辻音楽師」 シューベルト作曲 エレナ・ゲルハルト歌
「真珠採り」 ビゼー作曲 エンリコ・カルーソー歌

休憩

【後半】 ヴォーカル、日本歌謡・童謡
「ザ・ロンサム・ロード」 ミルドレッド・ベイリー
「ソー・イン・ラブ」 ダイナ・ショアー
「トゥー・ヤング」 パティー・アンドリュース
「東京シューシャインボーイ」 暁テル子
「あの丘こえて」 美空ひばり
「あざみの歌」 伊藤久男
「有楽町で逢いましょう」 フランク永井
「月の砂漠」 川田孝子・安西愛子
「みかんの花咲く丘」 川田孝子
「きよしこの夜」 テイチクレコード

以上19曲、多少順序が変わるかもしれませんがお楽しみください。

去る週末の谷根、野田行き 秋冬の楽しみ。

2019年11月6日(水曜日)

柏崎市は石仏、石塔が良くみられ、街中のほか特に周辺部に多く残されているように思われる。主に庚申塔の探訪に、今年は1月中に三度柏崎へ出かけた。
その後温かくなり樹下美術館が開館すると一旦小休止、このたび秋深まるとまたぞろ車を走らせるようになった。
去る11月2日土曜午後は柏崎市の谷根(たんね)と野田へ、翌3日日曜日に柏崎市内へ行ってみた。

2日午後の谷根と野田行きは直ぐに日が暮れ、翌3日は新潟市への途中で市街の四谷へ寄った。
以下は2日の柏崎行のひとこまです。

 

谷根は霊峰米山の真裏にあたり、谷根川に沿って集落がある。
奥まった場所のイメージはあるが案外近く、あっという間に到着する。

 

路傍の一群の石仏の中に庚申塔(左・文字塔、右青面金剛の石仏塔)。
事物として下の二臂は弓と羂索、上の右臂は鎌ですが、左は分かりません。
この像では、青面(しょうめん)金剛に脇侍として二体の童子が小さく配されている。
※掲載時、金剛の脇侍に菩薩と記しましたが、調べますと「二童子」ということ
でしたので、訂正しました。
二童子は青面金剛像の庚申塔で、三猿、鶏と並び約束事の一つということ。
宝珠や香合を持つらしいのですが、この像では今や判然としません。
二童子が掘り出された像はそう多く無いようです。

 

もう一基の青面金剛になる庚申塔。
合唱する手を中心に弓矢と宝剣?および掴んだヘビが円弧を描いて配されている。
(荒ぶる青面金剛は時としてヘビを掴む)
いずれも本尊の下に三猿が彫られている。

村落に真言宗豊山派の慈眼寺がある。拙家の宗派でもあり親近感からお参りに寄った。

 

 

慈眼寺の山門。

 

境内の右・弘法大師碑と左・宝篋印塔(ほうきょういんとう)

 

慈眼寺門前の二十三夜塔。
その昔谷すじのある夜、二十三夜の月は如何ばかりだったか。
集った女性達は勤行し、四方山話に花を咲かせ、世を徹して過ごした事だろう。

 

谷根を少々奥へ進むと米山の登山口がある。そこに4基の石塔が並んでいる。

 

左から馬頭観音菩薩、山の神の文字塔、二基の請雨三尊。

 

 

馬頭観音。

 

馬頭観音の頭上に馬の顔がシンボルとして彫られている。
村落を守護するとともに、大切な牛馬を供養する意味が附されている。

 

 

雨乞い三尊と呼ばれている三体仏が並んでいる。
“今に夕立がくるやら~”と甚句に歌われた米山は雨が多い所といえる。
それでも雨乞いをしなければならないほど甚大な干ばつ被害があったことが窺われる。

谷根からもう一本東の鵜川の川筋に野田集落があり、そこにも寄らなければならない。日は短く早々に谷根を後にした。

 

野田で称名寺を目指した。寺の手前に焔魔堂(えんまどう)がある。

 

焔魔堂の左手に二十三夜塔と庚申の文字塔。
男性中心の庚申待ち、女性の二十三夜の月待ちは、ともに村落維持に重要で、
ひとときの娯楽でもあった。
しばしば二つの塔は並んで建っていて微笑ましい。
石塔は先人への供養であり、生存の証しあるいは感謝の記しであろう。
手を掛けて生活の痕跡を残した昔人の心ばえが偲ばれる。

焔魔堂の先、小高い杉木立の中に浄土宗称名寺(しょうみょうじ)がある。

 

 

重厚な唐破風向拝(からはふうこうはい)。

 

精緻な彫刻があしらわれた向拝柱と木鼻。

 

向拝の天井。
枡目の中に四弁花を連ねた紋様が整然と彫られている。

 

優雅な窓を設えた欄間障子。
称名寺は安政4年(1857年)再建とある。

 

 

岡田地区の石屋さん。その昔石工(いしく)と呼ばれていた家かもしれない。
一帯は石仏石塔が多く、石工が大活躍していたことが偲ばれる。
名工ともなると各地から声が掛かったようだ。

 

路傍の随所で見たオヤマボクチ。

 

称名寺境内のサザンカ。

秋の山里を巡ると気持ちが和む。
以前も暇があるとそうしていたが、今は寺や庚申塔などが眼に入るようになった。そられの眺めにはふる里やいにしえの生活、および昔人の願いが偲ばれ、そこはかとない懐かしさや共感が去来する。

秋冬の気象は良くないが、里や鳥、荒海や雲など、この季節ならではの趣きに触れる事が出来、それなりに楽しめると思う。

翌日3日、柏崎市四谷のことは後日記載させて頂きます。

上手く踊る、楽しく踊る もう一つのワールドカップ。

2019年11月4日(月曜日)

ラグビーWCが終わった。力とスピードがてんこ盛りの競技は、私の様な者にもそれなりに理解出来、テレビさえ点ければ面白く観ることになった。
試合のほかスタジアム周辺では、大会を盛り上げる取り組みがさまざま伝えられている。

YouTubeにそれらが紹介されていて、その中の一つで以下の静岡市会場となった袋井での動画がとても興味深かった。

ロシア対スコットランドの試合から始まる動画は、場外のおもてなしブースに移る。そこでは静岡の有志によるカントリーソングのラインダンスが行われていた。そこにスコットランドサポーターが加わるや、場内は次第にヒートアップ、一種カオス寸前に。
だが終了を告げられると、不満も見せず舞台を降りる人々。そしてその後のスコットランド人とバグパイプの関係も分かりやすく、ワールドカップのもう一つの顔が丁寧に捉えられていて感心させられた。

 


投稿者のコメントも良く興味深い内容だった。

初めおそろいで上手に踊っていた地元ラインダンスの方達も、最後は各国入り交じった無心自由ダンスに司会とともに同化してしまう。
上手いダンスとは、楽しいダンスとは、幸せとはを垣間見た良い投稿だった。


少々長いですが、こちらの動画は同じ会場での始終が撮られています。
残り三分の一あたりから会場全体が熱く変わります。

これらの歌は何故か60~70年代の古いものが多い。若い人達も楽しそうであり、私のような年寄りには嬉しい。

南アが優勝して良かったラグビー。

2019年11月2日(土曜日)

雲一つ無い晴天は誠に久し振り、美術館は忙しかったらしい。
遅い昼食後、柏崎市は谷根(たんね)と野田に石仏を見に行った。日は短いうえ5時からラグビーWC決勝を見なければならないので、急ぎ足。2時間半かけて回ってきた。この時の拙写真は後に掲載させて頂ければと思う。

さてイングランド対南ア(南アフリカ)のラグビーWC決勝戦。
南アは強く、本日も終始イングランドを相手に優勢に進め優勝した。
強いチームが勝ち、番狂わせが少ないのは、ラグビーのルールが上手く考えられているからであろう。さらに正確な審判とTMO(テレビジョン・マッチ・オフィシャル:ビデを判定)の導入、そして選手のルール遵守が徹底していることも大きいと思う。
そのことを考えると2015年のWC予選で日本が南アに逆転勝利し、スタジアムと世界を湧かせたのは本当の奇跡だったのだろう。

 

優勝した南アチームの主将は初めて黒人が担った。
私が物心ついて知った南アのアパルトヘイトは執拗だった。だがその後年月を掛けたマンデラ氏の解放と首相就任で平等政策は進んだものの、いまだ差別として人種問題が残っているという。
優勝インタビューで主将は“自分の国にはまだ多くの課題や人種問題があるが、皆で協力すれば克服出来る”という主旨の率直な話をした。このたびのどう猛なまでの強さには、厳しい軋轢を克服する「虹の国」づくりの過程で得られた本物感が滲んでいる。

その後の表彰式のテレビで微笑ましい情景をを目にした。

金メダルを掛けてもらった選手がこどものように嬉しそうにメダルを見るのである。
今ではその順位は落ちたが、南アは長く世界一の金産出国だった。穿ってみれば、美しい金メダルを手にして、話に聞いていたかっての自国の栄光を晴れて実感しているかのようで、なごまされた。

このたびなるほどな、と思った事がもう一つ。
決勝前日、日本を代表する選手三人が次ぎのようにテレビで予想した。
“決勝ともなると当たり合いが強く、恐らく日本が出来たような華やかなトライは少ないでしょう。代わりに密集や相手のペナルティで稼いで行くような一見地味、ある意味玄人好みの試合になると思う”と。
みなまでは分からなかったが、本日そのような流れとなり奥が深いものだ、と感心した。

秋の庭に昆虫と鳥。

2019年10月31日(木曜日)

何かとぱっとしないお天気の昨今、本日はさわやかに晴れた。
澄んだ空に真綿をちぎったような雲が浮かび、美術館の庭に赤とんぼが行き交った。

 

 

 

昼過ぎお客様と話をしていると、窓際の女性から、あら!という声。
大きなカマキリが窓ガラスに止まっている。
右下の茶色の塊(矢印)に興味を持ったらしい。

 

お腹が大きく、卵を抱いているようだ。
目指した物は食べものではなく、間もなく去った。
お腹を空かした雌は忙しい。

そうするうち、正面の庭灯りの上に鳥が来た。

 

ショウビタキのオス。
綺麗な鳥にもかかわらず雀などより人との距離が近い。

 

秋晴れを惜しむトンボ。
実は秋晴れを惜しんでいるのは私で、
トンボは無心に温まっているだけなのであろう。

雲、鳥たち、夕暮れ、本や音楽そして美術館。日は短くなったが秋ならでの良い季節になった。

大橋秀三さんの額装された建物模型 秋の陽にアオハダの新緑。

2019年10月30日(水曜日)

過日樹下美術館で講演をされた設計家大橋秀三さんは、ご自分とクライアントのイメージ作りのために進んで模型を作られる。樹下美術館についても大小、部分など幾つも制作された。

過日のお話の際、幾つも模型を持参されたが、その中に額に入ったものがいくつかあった。とてもいいので、譲ってと言うと、お金は要りませんお貸しします、ということでカフェに2点飾らせて頂いている。建てる前に資料の一つだったものが、10数年経って今みるとメモリアルとしてあらためて親しみを覚える。

 

樹下美術館全体の平面模型。
実物も模型も静かで力がある。

 

カフェの断面模型。
右にカウンター、外構に石が見える。
2点はいずれもA3大の大きさ。
作品は親子のごとく漆喰壁に溶け込んでいる。
どうかご来館の折にご覧下さい。

 

さて季節は進み間もなく11月。中旬からは庭の木々に紅葉が見られる季節を迎えた。
しかし今期、何度も台風に見舞われ、木によっては早々に茶枯れしてしまい、すっかり葉を落としたものがある。その中で以下のアオハダは全て落葉し、がっかりした。しかしこの10日間ほどで再び若葉を展開させ驚いている。
紅葉が始まる時期に一人新緑に包まれているアオハダ。
それはそれで嬉しいのだが、少々困惑している。

 

鮮やかな緑色の4本の木がアオハダ。
繁りは春ほどではないが新緑はやはり浮いて見える。

この先、ひと月もすると本格的な季節風が吹き厳しい冬になる。いま新緑の木々は再度落葉するはずであり、来春に向けてもう一度発芽の仕度をしなければならない。繰り返す発芽によってゆっくりしている暇が無く可哀想だ。
出来ればどこかで手を抜いてほしい。正直すぎると時に辛いことがあるのは、人も樹木も一緒だ。

関川大橋のコスモス畑 300年前のアンティークスプーン。

2019年10月28日(月曜日)

久し振りに晴天の本日午後、所用のあと関川大橋を通過した時、河原の右岸に一面コスモスが咲いているのが見えた。
左折して川沿いの小さな駐車場に止めて花畑を見に降りた。

このコスモス畑の事は毎年新聞に出るが、実際に現地で見るのは二度目
今年は台風の熱風や深刻な冠水被害に遭ったはずだが、見事に咲き誇っていてとても驚いた。回復に尽力された方々のご苦労に深い敬意を禁じ得ない。
花畑は地域の人々と対岸の新潟労災病院の皆様へ心の和みにと、リバーサイド夢物語(NPO法人徳合ふるさとの会)の方々が小学校の生徒さんの協力を得て植栽されている。
膨大な花の種は、秋に生徒さんたちが花殻から採取しているというので行事の連続が可能になっている。種蒔きは7月の梅雨開け時期に行われると言うが、ヤブ苅りや雑草取りの労力がしのばれる。

 

 

思えば久し振りの晴天。無数の花たちは晴れ晴れとした表情をしていた。
素晴らしい景観を作られる生徒さん、徳合ふるさとの会の皆様に感謝いたします。

 

話変わって昨日日曜日のこと、あるお客様がイギリス製になる銀のアンティークスプーンを持参され、拝見した。柄に打たれた刻印(ホールマーク)から1713年製だという。音楽好きのその方は「バッハ28才の時代」と、嬉しそうに仰り、誠に幸福そうだった。

 

柄の先端が折り上げられ、手が掛かるようになっている。

ボール(カップの部分)は大きい。その裏側に柄から続く細長い三角形の部分が見られる。
ボールが折れないように強度を強めるための設えだという。
形が鼠の尻尾に似ていることから「ラットテイル」と呼ばれているらしい。

1713年、、、、世に出て300年は経っているスプーン。今日それを手に入れて幸せそうな人。バッハを聴きながら程よい加減のスープを飲む、、、さぞかし美味しかろう。
かように1つのスプーンがどれほど多くの人を幸福にしたことだろう(一方で辛い出来事のため泣きながらスープを飲んだ人がいたかも知れない)。
人から人へ世から世へ。普段倹約しながらアンティークに親しむことは、かって同じ品を手にした見知らぬ過去の人たちへの親しみ、あるいは品物が通過した時代への共感など、特有の世界にひたることが出来る。そのうえ実用することも出来るので、とても良い趣味だと思う。銀製の食器類は人気のコレクターズアイテムの1つに違い無い。

素晴らしかったヴィクトル・マザーチェク氏と市村幸恵さんの演奏会。

2019年10月26日(土曜日)

本日午後、上越市吉川区出身のピアニスト市村幸恵さんとチェコ・フィルの第一ヴァイオリン奏者ヴィクトル・マザーチェク氏によるコンサートが大潟区のコミュニティプラザで行われた。

現在、NHKおよびサントリーホールに於ける東京公演はじめ横浜など日本各地をツアー中のチェコ・フィル。お忙しい第一ヴァイオリン奏者と市川さんの演奏は大変貴重で、心ゆくまで楽しませて頂いた。

 

ぴったり息が合ったお二人の演奏。
共催した樹下美術館からの花が見えた。

1部はモーツアルト:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 作品378、ドヴォージャーク:ソナチネ 作品100。
二部は日本の歌から「夏は来ぬ」「赤とんぼ」「里の秋」、マルティヌー:インテルメッツォからヴァイオリンとピアノのための4つの小品、スーク:4つの小品、スメタナ:我が故郷より が演奏された。

演奏は懐かしげな繊細さと圧倒的な力強さ、そしてモダンな旋律や心弾むリズムで私たちを虜にした。
アンサンブルはチェコ人の最も好むところ、と過日市村さんにお聞きしていた。ご本人たちが心から楽しみながら意気を合わせる演奏はとてもスリリング。互いに反応し合う様子から時に即興演奏の如くに聞こえたほどだった。

 

花束が贈られ笑顔を見せるお二人。

休憩を挟んで2時間、素晴らしい演奏会はあっという間でした。明後日は熊本で演奏するマザーチェク氏、充実の市村さんは昨年チェコ大使館で演奏されました。
このたび二人は福岡でもデュオの予定とお聞きし、益々のご活躍をお祈りしています。

 

コンサートが終わって見た美術館付近の夕暮れ。
良い音楽を聴くと風景がいっそう美しく感じられる。

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