明け暮れ 我が家 お出かけ
京都滋賀の旅 最終日は延暦寺。
4泊5日の京都滋賀旅行は本日延暦寺を参拝して終わる。この日は延暦寺のみなのでいつもより遅く出発した。
この度はケータイにSuicaを入れてきた。初めのうちは不慣れだったが、次第にさっさと改札出来るようになった。ちなみに全部で13回の改札、4670円を電車代に使った。
一方タクシーは12000円ほど乗っている。がめつく言うと二人とも昼食を摂らない分およそ2600×4日=9200円を節約できているので、一定分タクシーの埋め合わせにはなっている。
比叡山ケーブルカー坂本駅。
京阪電駅からバスで10:30ころ到着。
昭和2年に建てられた駅舎は国の有形文化財に登録されている。
時々現れる晴れた琵琶湖を眺めながら11分で延暦寺駅に到着。
護摩祈願が行われる根本中堂は2026年まで10年がかりで大改修中。受付で二人分の祈祷を申し込む。ともに「家内安全」と「健康祈願」にした。間もなく暗い堂内で20人分ほどの護摩祈祷が始まった。
私達はやや高い所の椅子に並んで座る。不動明王を祀った祭壇の前に僧が座り読経を始める。こちらから見えないが6、7人の若い僧が堂内に居て経を唱和する。
祭壇に小さな火が灯され、僧は経を唱えながら絶え間なく印を結び法具を操る様子。大勢の僧の唱和が堂内に響き荘厳な雰囲気になってくる。前段は辺りを清め、不動明王をたたえながら呼び寄せる儀式と思われた。
読経の響きが高まると護摩の火は一段と大きく立ち上り明王が現れたらしい。
祈願を申し込んだ者の県と名、祈願内容が読み上げられていく。終盤、私達一人一人の祈祷になった。祈願を書いた護摩木が焚かれあらためて炎が立ち上った。唱和のなか何とも言えぬ有り難みがこみ上げ胸が熱くなる。終わってお札とお守りを一式もらい暗い堂から出た。妻は目を赤くして感動したと言った。
護摩供養
延暦寺ホームページから。
まさにこのように見えていました。
外でずっと梵鐘が鳴り続けている。祈祷を終えて鐘楼へ行くと次々に参拝者が撞いていた。
私達も列に並んで撞いた。
さて以下は中学二年生の秋に行った関西修学旅行における延暦寺・根本中堂の写真です。
当持は二眼レフが大流行。みな親にせがんだカメラをぶら下げて歩いた。私は父に連れられ柏崎のカメラやさんで買って貰った。
如何にも山中の寺院に見える。
周囲は狭いが正面はどうだったのだろう。
根本中堂は大きくて恐らく二眼レフには入りきらなかったのであろう、右手に回って斜めから撮っている。
比叡山を占める延暦寺は150余の堂塔があるといい世界文化遺産になっている。他にも魅力的な所があったが、護摩祈祷を受けたあと鐘を一つ撞くと晴ればれとしてしまい、他所を見ることなく下山することにした。
早いか遅いか、長いか短いか、歳月はどちらも合っている。修学旅行から70年近く経ったが、振り返ってただ一言“何とか生きて来ました、本当に有り難うございました”としか言えない。
私達の旅行は不思議と買った切符よりも早く帰ることになる。このたびも買い換えた。
どっとお腹が空いたので京都で買ったお弁当を車中で食べ、帰宅すると延暦寺のお札を並べて妻作のはりはりとお蕎麦を食べた。
はりはり。
祈祷と祈願のお札、それとお守り。
運転、作業、健康にいっそう気を付けけよう。
濃茶を練って旅行の無事に感謝。
石山寺で求めた井筒製のお菓子が美味しい。
旅行中は慌ただしい晦日にも拘わらず、2日もお付き合い頂いたAさんご夫婦には感謝に堪えません。お陰様で何倍も楽しい旅になりました。どうかお元気で、またお会い致しましょう。私達も身体に気を付けその日を楽しみに致します。
何日も長々と書き連ねて失礼致しました。今年もどうか宜しくお願い致します。
本日は終日風と共にみぞれが降り辺りは再び白くなっています。今後の二日間寒波の再来です。
2024年大晦日の 渡岸寺十一面観音、八幡掘、ラコリーナ近江八幡 日本という国は。
さて12月31日大晦日は旅行4日目となり、滋賀県・湖北地方の 長浜市高月(たかつき)を目指した。
渡岸寺は高月駅から徒歩10分ばかりの所にある。一帯の寺には優れた観音像が安置されているというが、特に渡岸寺の十一面観音は日本屈指と称され明治30年に特別国宝指定となっている。
旅行前に、ここは是非という知人の言葉もありこの日は特に早く出かけた。懐かしい米原で東海道本線を北陸本線に乗り換え7駅目が高月。 風景は山が近い京都と違ってとても平坦だった。
高月、 渡岸寺の地図。
一帯に賤ヶ岳や姉川の古戦場があり往時の戦渦は過酷だった。
目的の十一面観音は他の仏様とともに収蔵庫に収められていた。
極めて繊細緻密な国宝十一面観音。
衆生を救わんと圧倒的な聖気。
( 渡岸寺発行の絵はがきから)
奈良時代に作られた本仏像は室町時代の度重なる戦乱の際、地域の人々によって土中に埋められたという。寺は向源寺だが、今も積極的に観音を護る土地の名が冠され「渡岸寺の十一面観音」と称されている。
続いて彦根へ。是非ともお城を見たかったが大変な混雑。時間を区切って入場するようになっていて長時間待たなければならない。残念だが非常に立派なお堀を見て近江八幡へ向かった。彦根城は一大観光地化していた。
近江八幡は先ず遠い湖畔の曹洞宗長命寺へ参り、駅に戻りながら観光することにしてタクシーの客になった。
運転手さんには、いかつい外見とは裏腹にこまやかな対応をしてもらった。
寺院は湖畔から240ートルの高さにある。車は幾つも曲がりながら坂を上り駐車場に着いた。そこからは徒歩で三つの急な石段を上らなければならない。上ろうとすると運転手さんが事務所から専用の杖を2本持って来てくれた。
それを手に上り始めるなり妻は、私には無理と言い、写真を撮ってくるからと私一人が行くことになった。
170段ほど上り長命寺境内に着いた。赤く塗られた諸堂は丹精され、冬なのに杉とともに濃い緑に囲まれていた。照葉樹林文化という言葉を思い出した。
向こうに鐘楼が見える。
建物配置のリズムと
赤が印象的な境内。
当寺の建造は3,4世紀、開基は聖徳太子と言われる由緒があり、建物はじめ阿弥陀仏、勢至菩薩、釈迦三尊像、十一面観音などは重文指定されている。
鐘楼を回ると目の前に開ける琵琶湖。
そろりそろりと下り、待っていた妻にカメラのモニターを見てもらい、良かったよと伝えた。
因みに前回触れた1818年生まれの高祖父・杉田玄作じいさんが40ページにわたって綴った文久2年(1862年)の「上京日記」には近江八幡(八万)のページがあり、本日出かけた長命寺を記した図が見えた。
※この時代の上京は京都へ行くことですね。
遠くの山に長命寺、手前の集落は八万(八幡のことであろう)と記されている。小舟木という地名も見える。
やはり私達は文久時代に祖先が旅した同じ場所を移動していたようです。
身内のことで大変恐縮ですが、見聞する玄作さんは何かと立派で、恥ずかしい私は穴があったら本当に入りたい。あの世から何てヘマな奴だと腹立たしく見られていると思う。
実際どう生きれば良いのか、残りの人生を何とか頑張ったら勘弁してもらえるだろうか。
さて現実に戻り、駅へ向かう車は途中八幡掘へ。
運転手さんに撮ってもらう。
江戸の設定である鬼平犯科帳はよくここで撮影されたという。吉右衛門の犯科帳が好きだった弟に見せてやりたかった。
以下は当日最後の訪問地
“土や水、自然とともにあるお菓子づくり”という「たねや」。裏手の広大な敷地に栄養たっぷりと見受けられる用土作りの一角が見られた。
人口的な社会構造が進む反対則で「自然」「健全」「健康」のコンセプトはいっそう一般化すると予感した。
日本は世界の何処よりも平和志向が強く健康な質と可能性を有する希な国だと信じられる。
よそ見をせず、そのことに価値と自信と希望をもって大晦日の振り返りとした。
この度の京都・滋賀旅行は明日1月1日の比叡山延暦寺が最後の目的地。延暦寺では護摩炊きをしてもらう手はずになっている。
本日1月6日、実生活の仕事始め。長い正月休みだった。診療所スタッフに石山寺のおみやげと僅かなお年玉を配った。
本日の外来は平穏だったが、休み中本当に無事だったのか気がもめる。
京都、滋賀の旅 2日目の京都。
京都滋賀の旅、12月29日、2日目京都です。宿の山科近辺から勧修寺、随心院、長岡京へ飛んで粟生光明寺、戻って智積院、涉成園、京都庵an、清水寺、八坂庚申堂を回るてんこ盛りの予定、ダメなら中止も交えた予定で朝早めに出発。
初めに庭を観たかった勧修寺が年末のため閉門ということで小野小町の随心院へ。
更衣として宮仕えをした歌人小町は死後平安時代後期にはすでに美女、恋多き女として語られ始めたらしい。当院は小町が住んだ山科区小野にあることなどから小野小町ゆかりの寺院として今日に到っている。
金剛菩薩と薬師如来。
上掲は百人一首九番目、
古今集から採られた小町の
「花の色は」の歌碑。
“花の色は 移りにけりな いたずらに 我が身世にふる ながめせしまに”。つまるところ春の長雨をぼんやり眺めている間にも私は老いていく、という心境を歌っている。恋多き絶世の美人ならではの嘆きかもしれない。
因みに、我が身世にふる:時の経過とともに、花が冒頭にあるため春の雨降りが想定され、最後にこの寺の創始者が「雨降り僧正」と呼ばれていたことへも掛かるのではないかと想像しました。巧みな歌作りは小町の凄さを伝えているようです。
上品でどこかなまめかしい随心院を後にJR東海道線の電車で長岡京へ。ここでは時代劇の斬り合いシーンで好んでロケされている西山浄土宗総本山「粟生(あわお)光明寺」の石段を観ることが目的。
粟生光明寺の幅広い石段。
時代劇俳優が颯爽と
殺陣を行うシーンジが浮かぶ。
東京の寺院であるはずの階段ロケがここでよく行われている。それほど広く、段差の低い石段と静かな寺院の雰囲気は時代劇撮影にぴったりだったようです。
長岡京はタケノコでも有名らしい。全国的に名を知られた筍料理の店があるというのでいつか連休などに来てみたい。
JR東海道本線で京都駅へ。駅の最も奥まったところに関空行き特急「はるか」専用ホームがあった。老いも若きも行き交う人の殆どが外国人なので異国にいる感じ。
近くの庵anで行われる舞妓さんによる抹茶のお点前体験に参加するため烏丸通りへ。
コンパクトデジカメの充電ケーブルを忘れて来ているのでヨドバシカメラで買った。上掲写真の椅子に座り、飲み物を求め一服、烏丸通りを上る。
午後1時に始まる舞妓さんとお抹茶体験場所に向かう。東本願寺の近くだったので時間通り着いたが、あいにく舞妓さんの都合がつかないため中止になったと知らされた。とても残念だったがお坊さんも教師も舞妓さんも忙しい年の瀬は仕方がないのか。
早々に勧修寺と舞妓体験の予定が飛んで、午後は東福寺又は智積院→清水寺→八坂庚申堂→夕食のコースになった。出来るだけ清水寺に近ずくため智積(ちしゃく)院へ。
五色幕の色は釈迦の身体を表し、緑(青)は髪、黄は体、赤は血液、白は歯、紫(黒)は袈裟を表しているという。
私はお抹茶。
良く点てられていた。
京都に来るたび清水寺に寄った。しかし智積院で乗ったタクシー運転士さんは「今日は清水寺には近づけない」と言い、行ける所までにましょうとなった。
やっと七味屋本舗の角まで来たが、その向こうは人であふれかえっていた。
本日三つめの訪問中止で懐かしの八坂庚申堂へ三年坂を下る。
天台宗金剛寺境内の庚申堂は入り口に「日本最初 庚申尊」と彫られた碑がある。当寺の本尊が庚申信仰の本尊・青面金剛菩薩であるため、古来その寺として親しまれている。
お堂は2019年2月、庚申信仰への興味から寄った所で、以後来5年が経った。お堂は「光る君へ」で新たに取り上げられ、映えをねらって訪ねる若者の様子も変わり無かった。ただ私は年を取り少しく変わり、お目出度くなっている。
きれいなくくり猿に願い事を書いて写真のように奉納する。「生きがいを見つけられますように」「頭が良くなりますように」「成長できますように」などと書かれている。我が幸せよりも真剣に書いた若者たちの幸せを祈った。
さて、てんこ盛りの予定のうち三つを達成できなかった京都2日目。お陰で夕食の6時まで余裕が生まれた。八坂神社前から祇園花見小路へ出て時間まで一帯を散策した。
花見小路は混雑していたが裏の通りは静かだった。何時か来てみたい食べ物屋さんをなどを見つけては夢を膨らませた。
次第に食事の時間が近づく。
四条通りを渡り向こうの花見小路へ。
入ってすぐの中華「青冥(ちんみん)」が食事処。
小ぶりなビルの5F にある。
食事は中華で相客は大津に住んでいらっしゃる大手企業の要人。かって上越市に赴任された4年間、ご夫婦と親しくお付き合いさせて頂いた。去られた後も樹下美術館を訪ねて頂いたりメールを交換したり親交が続いた。
先様お二人は奥ゆかしくも楽しい常識人。最初のピータンを撮ったものの再会に夢中になり後の料理をすっかり撮り忘れた。このたびは忙しい時節を顧みず、私の方からお誘いして明日また二度目の会食をすることになっている。
食後地下鉄駅まで皆で歩き宿の山科へとご一緒させて頂いた。
すっかり更けた夜の祇園四条。
地下鉄入り口は明日に通じる明るさだった。
長くなりました。
年末は山科に4連泊して京都、滋賀へ。
正月2日目です。
皆さま、いかが新年をお迎えでしょうか。一帯の平野部は現在小雪で、樹下美術館周辺には積雪が見当たりません。
実は妻と私は年末12月28日午後にこちらを発ち京都および滋賀へ行き、1月1日夕刻に帰ってきました。予め当欄で予定をお知らせすることも可能でしたが、昨今の留守は物騒なのでブログは予め作成し、日時を指定して予定投稿による公開という形にさせて頂きました。
遅くなりましたが本日から何回かに分けて年末~元旦の旅日記を掲載させてください。
それでは一日目です。12月28日(土)午前の仕事を終えて上越妙高駅から北陸線に乗車しました。積雪が多ければ東京→東海道新幹線を考えなければなりませんでしたが、当面ドカ雪の予報はなく北陸新幹線とサンダーバードで往復してきました。
まず以下は上越妙高駅の一コマです。ホームで見た若いこの人は何をしているかお分かりでしょうか、お掃除ではありません。
長い棹の先についているのはマイクです。彼は駅のアナウンスやチャイムなど音のコレクター(マニア)でした。鮮明な録音を極めると場内を越えてスピーカーへより近づくことになるらしいのです
因みに、私はこの駅の発車メロディー「夏は来ぬ」の作曲者小山作之助の弟のひ孫です、と告げるとすげーなー、と感心してくれました。鉄道は本当に様々な趣味を産んでいて、時々放映される「鉄ちゃん」番組は面白いですね。
夕刻無事京都着。宿は駅の直前「京都山科 ホテル山楽」でした。同ホテルは朝食はありますが基本夕食は無く、駅周辺にあまたある店で摂るという初めて経験するシステムでした。
ホテルが作成した食事処の地図で目星をつけ、暗くなってから散歩がてら出て、近くのお寿司屋さん「初美」で食べました。
但し大晦日はホテルの夕食が可能ということ、楽しみにして予約しました。
今回は初日から同じ宿の4連泊を予定、生涯初めての試みでした。それにしても山科は2日目の京都、3日目の大津周辺と坂本、4日目の湖北と近江八幡、元旦の比叡山などいずれも移動や交通の手間が省け、大変便利な所だと思いました。
年末のため閉まるところなど予定外のこともありましたが、宜しければ次回京都以後もご覧頂ければ有り難く思います。
美しい正月飾り 葛飾北斎が用いた数字のカレンダー 瑞々しいマイケルジャクソンのクリスマスソング。
相変わらず外はヒューヒュー時にザーザーやって、日付けはスースーと過ぎて行きます。それでもなんとか地に足着け、出来事や予定を忘れないようにして過ごすより仕方ありません。
以下は数日前のことですが、妻の友人から頂いたきれいなお正月飾りとあるハウスメーカーの要人だった方からの珍しいカレンダーです。
これまでアンリ・マチスとアントニオ・ガウディのものを頂き、カフェの階段に掛けました。いずれも芸術家がかって作品や書物、あるいはメモなどに残した数字を拾って作成されています。宮沢賢治などから長く続いているシリーズだということです。
このたびは葛飾北斎でした。江戸後期の人ですが英数字やアルファベットのサインがあることに驚きました。
漢数字
二十は十を二つ並べて表記しています。
当館の齋藤三郎の掛け軸の日付け
にも同じ方法で書かれたものがあります。
昔人の遊び心でしょうか。
英数字と横文字のサイン。
すでに自分の書体を有していることと、
こなれたサイン!
今夜はクリスマスイブでしたね。今では懐かしいジャクソン5の大ヒット曲です。
1970年録音
「ママがサンタにキスをした」
12才を前に溌剌としたマイケルの歌。
最後はみんなで、本当だよ、信じて、
などとガヤガヤやっています。
明日から小学校は冬休み。猛威を振るっているインフルエンザにも一休みして欲しいところです。
昨日眼鏡、本日Suica、そして最終日。
昨日に比べて青空とお日様が沢山出た本日、柿崎のドコモショップでSuicaをスマホに入れて貰った。
ショップの予約は午後5時だったのが、カフェで何組かの方達と今年のお別れをしているうちに時間を過ぎた。電話をすると少し遅れても構わない、気を付けて来て下さいと親切な返事だった。
いつもお世話になる柿崎のショップ。私もそうだが高齢者が多くみられるのもどこか微笑ましい。
これで遠くの駅の切符自販機であたふたしなくて済むし、人並みにスマホをかざし改札を出入りできる。今の時代に生きているかぎり、たとえ高齢でもこのくらいはしてみたい。
さて本日で今年の営業?(本当は何といえばいいのだろう)を何とか無事に終えました。
今年の当館コレクション展は陶芸・齋藤三郎「文様展」、絵画・倉石隆「とにかく生きる展」から始まり、秋から企画展「水彩画 高宮あけみ展」を、続けて「ラッセル・ジョケラ ハンドメイド家具展」を最終日まで行いました。その間、10月に開催した日本良寛会会長・小島正芳さんの講演会「良寛さんに学ぶ」も好評でした。
年間を通してご来館頂いた皆さまはじめ作家と講師の方々には大変お世話になり、あらためて感謝申し上げます。
夕刻は撤収を終えたジョケラ氏に挨拶し、妙高市の身内とささやかな食事会をしました。
さてまことに恐縮ですが明日から例年通り来年3月15日まで冬休みにさせて頂きます。
来年は開館19年目。今のところ特に企画展の予定はありません。忙しかった今年を振り返り爺と婆は骨休みをさせて頂き、来年は館内外、とくに庭とカフェををしっかり維持したいと考えています。
初顔で好評だったドライカレー。
来たる年にまた元気でお会いしましょう。
Among My Souvenirs
(思い出の中に)
ささやかなブログは休みの間も続けるつもりです。
新たな眼鏡 マガモ 天ぷらソバ 同級生。
12月はなかばにさしかかった。今年6,7月に両眼の白内障手術をし、本日宿題だった新しい眼鏡が出来上がった。午後から世話になっているイオンの「メガネ館」へ取りに伺った。
お陰様で遠近くまなくすっきりと見え、一種晴れやかな気持でハンドルを握り帰ってきた。
午後イオンに行く前に
いっときアラレがパラパラと降った。
夕刻の朝日池でマガモのつがい。
夕食の天ぷらそば。
本日来館された皆さま、寒い中まことに有り難うございました。午後のカフェに今年何度も来て頂いた中高同級生U君夫婦がいた。午前は高校を一緒し、ことあるごとに来館されるY君にも来て頂いた。以前から書いているとおり病によってお二人より一年遅れて卒業したのに、同級生として接して頂きいつも感謝している。
明日で今年の樹下美術館は終わる。最後を飾って頂いたラッセル・ジョケラさんの「オーダーメイド家具展」も盛会だった。このところ連日お見えのHさんは明日も来たいと仰って帰られた。
身内のかなちゃん、すずちゃん、来館ありがとうございました。
冬、果たして本番は ホタテの頂き物と懐かしい食事。
当地よりも僅かに内陸の髙田の最高気温6,9度とあった。海辺の当地は風があるため体感は数度低く感じるのではないだろうか。寒波が来て三日目、本日も夜間早朝に降った雪がうっすらと地面を覆った。
頸城区、美術館の様子。
5キロの違いで雪が異なる。
逆のこともままあり一概には言えない。
雪もそうだが降り続く時の空は暗い灰色一色になる。それに比べ寒波といえど晴れたり降ったりの空は多様でそれなりに面白い。
冬、なかんずく雪の本番は何と言ってもこれから。クリスマスや正月の節目を目がけて酷い寒波に襲われることも希ではない。何度も書いていることだがくれぐれもお手柔らかにお願いしたい。
それにしても雪囲いを行い、何通りもの履き物を仕度し冬向けにタイヤを交換、除雪機の準備など何かと皆さんのお世話になりながら冬仕度をする。生活は便利になったけれども雪国の冬はやはり面倒が多い。
最後は愚痴になりました。
忘れものがありました、追加です。
上掲のホタテは北海道の空港に勤務されているある男性からの頂き物です。今から数十年前、当時小学5年生だったでしょうか、双子さん兄姉とお母さんの三人を家に呼んで一緒にカレーを食べたことがありました。
当時からお兄ちゃんは空港の仕事にあこがれていて北海道で念願を叶え、お姉さんは可愛いまま他県でお母さんになりました。冬だったと思いますが、こんな頂き物をすると温かそうなセーターを着てお行儀よく食事をした兄姉お二人の様子が蘇ります。
※この記事を読んだ妻が、当夜の食事はスパゲッティーだったとのではということ。よそのお子さんには辛みの加減があるのでカレーは出さなかったと思う、ということです。
なるほどです、失礼しました。
初雪?の日 最近のお客さん 買い物の日。
朝方うっすら白くなったらしいので初雪になるのだろうか。
午前の仕事を終え美術館に出向いた。妙高市の美術家東條麗子さんがお見えになっていた。現在展示中のジョケラ氏は地域の外国人をはじめ皆さんに驚くほど顔が広く館内は連日内外の方達で賑やかにしてもらっている。
昨日はニュージーランドご出身の男性や設計家のA子さんが見えられた。ニュージーランド男性は映画「ふみ子の海」の撮影で使われた髙田の名建築・旧小柳医院を改築、所有されておられる。
ジョケラ氏のお知り合いは自然志向が強いこと、創造や造形を得手とされ、古きを尊び自由な雰囲気を有しておられるのが共通している。
ニュージーランド氏は山田五十鈴や高峰秀子、乙羽信子が好きだと仰り、蓄音機のこともよく御存知。最後はカフェの蓄音機に手許にあった三橋美智也の「相馬盆唄」を掛け皆で盛り上がった。
本日東條さんからは長く主宰された垣根の無い「スタジオ・ゼロ」での「実験」の話、熱心なある写真家の生活、そしてお身内の介護など興味深い話をお聴きした。彼女は私と同世代でお元気、とてもシンパシーを感じた。身につけておられたアウターが鮮やかでお似合いだった。
美術館を後にしてイオンへ行った。今夏両眼の白内障手術をしていたので遅まきながらメガネを新調するのが第1の目的。いつものメガネ館で慎重な検眼をしてもらい、気に入ったフレームに出会えた。ついでに旅行用のリュック、来年度の手帳や運転用の手袋も求めた。
12月と買い物の相性やお元気な東條さんとお話したせいなのか、不思議と気持が高まり久し振りの買い物は楽しかった。ただし突然のセルフのレジに困惑した。説明の方が付いていなければどうなっていたことだろう。
外出中車の外気温は3から4度だった。日中一帯に積雪は無く一旦少し気温は上がるようだが来週末には再び雪マークが現れている。
しばらく見ていない白鳥たちは雪国らしい寒さとなり喜んでいることだろう。
雪が足許までやってくるとほどよい緊張感をおぼえる。しかしドカ雪だけは勘弁してもらえないだろうか。
時間を掛けて押す注射 ほぼ一年振りに替えた机上メモ。
午前は曇り、午後雨降り、夜は上がっている三日火曜日の夜中。今年も少なくなった。
例年どおりインフルエンザのワクチンを行っている。注射法では、特に小学校低学年ころまでの人には「優しくやるからね」とか「そーっとやりましょう」などと言ってから時間を掛けて注入する。
痛いがすぐ終わるのと、痛みは少ないが時間が掛かるのではどちらが良いか、今も迷う。だが火が点くように泣かれたり大暴れたりされるよりは良いかと思い、ゆっくり打つのを続けている。
続けていると言えば、数日前に机上の大きなメモ用紙を更新した。このメモをいつから始めたのか調べてみたら2020年2月19日のブログに前年の8月19日からと書かれていた。仕事やブログで調べ物がある場合、ちょこっとメモするのに便利ではないかと感じ、5年近く続いていることになる。
上掲の紙は今年1月6日に更新したもの。手前から書いて行くので、途中上下逆さにして使う。用紙はカレンダーの裏などを用いている。鉛筆、ボールペン、マーカー、ほかに赤、黒など色も変えながら、あるいは囲みを付けて使う。お茶をこぼしたりするので汚れている。
ある日の美術館で、“私も同じように机上メモを始めています”と仰るお客さんと出会った。その後続けておられるでしょうか。
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- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その3。
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- 館内のノート、今年後半の「お声」からその1。
- 美しい正月飾り 葛飾北斎が用いた数字のカレンダー 瑞々しいマイケルジャクソンのクリスマスソング。
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- 久し振りに白鳥の群を見に行った 若鳥の魅力 大雪だけはご勘弁。
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