明け暮れ 我が家 お出かけ

暦の春、卓上メモ、鷺と鷹、梅の名所は。

2026年3月1日(日曜日)

晴れたり曇ったりの今日から春の3月1日。
昨年途中で売れて無くなった「森のトマト畑」を直したり刷ったりした。プリントするとある絵だけ色が変わって苦労した。

久し振りに使った卓上メモ
4ヶ月経って一杯になった。

新しくすると気分がいい。

午後やや遅く外出して鳥を探した。ざっとみたところわずかにコハクチョウの群が観られただけで周辺はさびしくなった。

探鳥や不調の時の鷺だのみ。
じっとしてくれてありがとう。

童顔のタカはチョウゲンボウか。
こんなに幼い風貌で狩りが出来るのだろうか。

大潟水と森公園へ寄った。時間が遅くて鳥には出会えなかったが雲が美しかった。

西の空に巻層雲。

15分すると変わって来た。
近づいただけかもしれない。

ところで上越地方には桜の名所はある一方梅が無い。畑やよそさんの庭で見るくらいだ。雪のせいで仕方がないのだろうか。
樹下美術館でも開館のころ植えたことがあったが、ちゃんとした姿にならなかった。

調べると新潟市の白山神社や蒲原神社、あるいは田上町の梅林公園が名所とあった。
まだ見頃の時期のようなので「時間があれば」観にいってみたいし、金沢か富山というのもありそうだ。

鳥の後は美術館がはじまり、外では庭が待っていている。
明日は晴れるらしい。

今日で2月が終わる。

2026年2月28日(土曜日)

昨日気温は20度近くまで上がり、雪は日陰に少し残る程度まで消えた。

その日美術館のカフェ前の庭が現れたので購入済みの啓翁桜の苗を植えた。すでにかなり植栽したため庭は新たに苗を植える場所を決めるは難しい。

他に購入してあるものに椿が2本ある。今後場所を確保するには今ある余計な木(主に雑木)を処理しなければならない。しかし手狭になればそこを何とかしたいのも庭の楽しみで、際限無い。

短かった2月も色々あった。まれにみる大雪となり、外来で肩や足腰の傷みが多くなったのは除雪の後遺症の一つ。

大雪によって白鳥、ハクガン、マガン、カモ類など大型の渡り鳥が姿を一時姿を消した。ねぐらにしている朝日池の凍結と積雪、餌場である田が雪に埋もれたためだった。
しかし2月中ば、雪消えが始まるとコハクチョウとハクガンが戻ったが、間もなくハクガンが見えなくなった。北へ帰ったのだろうか、もう一度ひと目見たかった。

冬期オリンピックもあった。当初熱心に観てなかったが後半の女子フィギュアスケートを観た。内外の選手たちの無邪気な一体感と各個人の因縁が興味深かった。


映画「道」のテーマ「ジェルソミーナ」
演奏は古く、スリー・サンズ。

可愛い中井亜美選手のショートプログラムの音楽が「道」だった。新潟県出身というのが良かったし、若いに似合わず古い映画音楽を使ったのでじんときた。

あすから3月、思えば冬はあっという間に過ぎた。出来ればまだ頑張りたいので心身に気を付け、なるべくマイペース遵守で過ごせればと願っている次第。

先週の種々 再び柿崎海岸 氷飾り。

2026年2月26日(木曜日)

少々苦労しながら今年の陶芸および絵画の展示案内作業を終えると、当欄に載せたい先週の種々が残っていた。

20日に柿崎海岸を歩き、23日には自宅へ当館の常連さんである女性お二人が顔を出された。

20日の柿崎の空は晴れ。歩いてみると五日前に来たときよりも足が軽くなっていた。波静かですでに春の海の趣きになっている。

柿崎川河口付近はいつも貝殻がびっしり。

何がおかしいのだろう、流木が笑っていた。

春風に誘われて撮った。

海岸はかって大河ドラマ「天と地と」のオープニングを撮影した場所。僅か一カ所にテトラがあるだけの砂浜は狭くなったり広くなったりするが、この20年間、およそ同じ状態が保たれている。

拾ってきた陶片や貝殻、シーグラス。

さて23日の天皇誕生日の祝日、市内の常連さんお二人が見えた。妻と親しい方たちはよく着物を着て来館され、この日もそうだった。

お一人が、予報される晴れの前夜、洗面器に水を張り外に置くという話をされた。放射冷却で翌朝には氷が張り、それを家に入れて楽しむという。

以下は見せたもらった写真です。

出来た丸い氷。

窓辺に飾り結晶模様を楽しむ。

この後、ロウソクを灯して「北欧の朝」にひたるらしい。
ひと時すごして冷凍庫に入れて保存。夕刻娘さんが現れると再度取り出してお茶を飲むのが定番だという。

冬が遠のき春の気配が始まる2月の晴天の日の家庭行事。以前から行っているといい、何て素敵なことだろう。

数日来スマホの出だし画面が変わってしまい上手く進めなくなっていた。予約したドコモ柿崎店に行くと、バージョンアップで変わっただけと仰り、さっさと直して貰った。
若い人達はスマホの魔法いだ。

雪大根を頂いて 豪雪と冬鳥の動向 選挙以後昨今の頭痛。

2026年2月13日(金曜日)

夜中の雨は朝に上がり昼近くから明るい日射しが現れた。今後数日好天になると患者さんたちから聞いた。

日が長くなり午後5時でも明るさが残るようになった。雪はまだ多いが気温が上がる今週末を過ぎれば最高時の半分以下になるのではなかろうか。

2週間も降った影響で豪雪となり、沿岸でも1メートル近く積もった。一方で除雪が追いついていたお陰で訪問診療などに極端な不自由は無かった。

個人的なことで申し分けありませんが、問題は早々に白鳥とハクガンの姿が消えたことだった。
1月下旬以来鳥たちはどこへ行ったものか、果たして戻るか否かも分からない。なにより長年増え続けたハクガンが、豪雪を嫌って今後当地への飛来が減らないことを願うばかりだ。

甘く美味しくなった雪大根。

大根を下さった方は、大雪でどこにあるのか分からなくなってしまい、掘るのに苦労したと仰った。

さて本日は晴天のお陰で珍しく混み合い、お薬も入れて60名ほどの外来と一件の在宅訪問があった。忙しかったせいか終了ころから頭痛に悩まされ薬を飲んだ。
実は頭痛は先の選挙の自民党大勝から少なからず続いている。首相を支持した熱狂がそら恐ろしくなり頭が痛むようになった。
特に選挙向けもあったのだろうが、中国を挑発して余計な遺恨を残すことへの懸念は払拭しがたい。

本日、長年信頼をおいている抗生物質を処方したが、原材料は中国から提供されている。肺炎はじめ様々な感染症の急所になる薬剤の一つで、これが止まれば国内生産まで3年を要すると言われている。

政治家はより強い力を得るため、ひたすら選挙民の人気を求める。このたび高市氏は独特の雰囲気と自賛で人気を得たが、肝心の施策に曖昧さを引きずっている。

気に入らない国家があることは如何ともしがたいが、一部を除き世界は一歩を譲り相互関係を成立させてきた。バランスこそ生命線であろう。

人気先行の首相を戴きながら国民が不自由に窮することが無いよう、優れた側近や官僚は昼夜を徹して緊張を維持し続けることを祈るばかりだ。

複雑さを克服し智恵を働かせて成長してきた人間の歴史。いまさら親日、反日、媚中など簡易なレッテル貼りで片づくほど個人も世界も単純ではない。

雪と車 そして選挙。

2026年2月7日(土曜日)

先月下旬から二週間も連続した寒波で連日ジワジワと降り続けた。長く降ったが何とか除雪が追いつきが少なくても仕事場の大潟区では車が出せないという日は無かった。

かって十年前は在宅の方を40人前後は診ていた。問題は冬で、50年前の帰郷、開業当初は冬の二ヶ月だけ4輪駆動車をレンタルした。
借りた車は「トレディア」だった。とても強いので助かり、以後今日まで四輪駆動を使っている。久し振りにトレディアの名を思いだしたが調べてみると三菱自動車製だった。

上記のように車といえば冬。以下冬場で大いにお世話になった車を載せ、そのいきさつを眺めました。

14年乗った「プログレ」の2012年2月。

プログレは私が乗った車のなかでは最も高級車だった。静かで本当に気に入っていたが2018年、涙ながらに別れた

その後2021年1月上旬にドカ雪が来た。当時車はプレミオになっていて、土曜日午後、転倒して動けなくなった老人宅から往診以来があった。ドカ雪のなか走る車など見当たらず、頼りの看護師もいないまま吹雪でけぶる田圃道を走った。

幸い老人は骨折を免れていた。帰路田んぼの中で突然コカ・コーラの車と相対した。止まった相手の車から人が降りてきて「この先行けますか」と訊かれた。雪でわだちも切れているから戻った方がいいと返事すると何度も切り返して去って行った。

頑張ったプレミオ。

以後プログレよもう一度と思いながら車はプレミオから新型カローラへと変わった。しかし足かけ9年、いずれもしっくり来なくて昨秋今度はインプレッサになった。するとプログレに似ていると実感されこれで最後までと思えるようになった。

この度の雪を機に思いだしてみたが車はどこか人間に似た不思議な引力があったと振り返られる。

明日は投票日。ネットの影響(資金力)がさらに強まり万一私の希望どおりには行かないかも知れない。この際訴求を願うあまり緊張を煽り、経済を崩し世界を冷やすのは止めてと祈るばかりだ。

直江津、無印良品で。

2026年2月5日(木曜日)

昨日に続いて今日も晴れた。晴れて気温も上がり最高11度まで上がった。この先一時寒の戻りもあろうが一応冬の峠は越えたとしたい。

午後日射しに誘われて直江津の「無印良品」へ行った。1980年、東京の街の片隅で「威張らず」「ほどよく」「自然志向で」というようなコンセプトでそっと始まった店は大成長し、今や世界に1400店舗を営むに到っている。
東京の娘たち家族の買い物はほぼ「無印」のようで、銀座の店へ何度か一緒した。初めての時上階にホテルまであることに驚いた。

さて本日はカーテンやシャツあるいは食料品を見て最後に夕食のお弁当を買って帰った。

ブロッコリーはどの記事でも
勧められている野菜。

別の場所から見た夕空。

もう一枚薄ーいブルーの同形のシャツを求め、
現在着ています。

無印良品に入ると花屋さんのテナントがあり、立派な白の胡蝶蘭が沢山出ていた。この花は祝い花として盛大に使われ、もうじき選挙の当選者にも贈られよう。美しい花が背負っている「仕事」にお疲れ様、と声を掛けてみた。

本日誕生日だった。

2026年2月1日(日曜日)

時々雪、風、雨、色々混じった本日日曜日、2月1日は満84才の誕生日でした。
特別変わった心境もなくただただ過ぎた日々をそのまま引き継いでいるだけというぼんやりした感覚です。

本職について、かって83才が限界だろうと考えていましたが、知らず知らずそれを越えました。
美術館は新らたな取り組みも想定して20年目を迎えようとしています。いずれも皆さまのご支持と励ましのお陰と感謝に堪えません。

潟町の雪。

夕ご飯はカレーとケーキ。

さて昨日ふとしたことから平尾昌晃の動画をみてWikipediaで調べる時間がありました。私より3学年上である亡き氏の卓越した音楽的才能、特に作・編曲と歌唱にあらためて驚いた次第です。
また氏の晩年は肺結核や肺炎と闘われたことを知り、同病を患った者として進行した場合の苦しさを想像して同情を禁じ得ませんでした。

以下平尾氏作曲「おもいで」です。布施明が歌っていますが、ネット上にあった氏作曲作品をを自ら歌うベストソング動画の「おもいで」は布施明よりも感情豊かにかつ明瞭に歌っていて、さすがだと感心しました。


平尾昌晃作曲「おもいで」
浪人のため上京した頃の歌。

いつまでも、いえますます昭和のままで申し訳ありません。

本日お声がけを下さいました皆さまに厚く御礼申し上げます。

届いたサントリーフラワーズのお花。

2026年1月9日(金曜日)

かって上越市で仕事をされた方から寒中見舞いのお花が届きました。
あまりの美しさに驚き、早速仕事場の待合室に飾らせて頂きました。

バラ、カーネーション、チース、スィートピーなど
春の香りがいっぱい。
鉢もとてもよいですね。

付けられていたしおり。

特にカーネーションは、サントリーの系列会社「サントリーフラワーズ」お得意の青系で、「永遠の幸福」の意味が込められていました。

1本咲きの6色の紫カーネーションは
「ムーンダストブルー」の名。

通常のカーネーションよりも日持ちが良いということ。雪の日が続く当地ですが、美しいアレンジメントはきっと皆さまの心に明りを灯してくれることでしょう。

遠くから素敵なお花を有り難うございました、とても感謝しています。

年末旅行最終日は岡山市から旧閑谷(しずたに)学校へ。

2026年1月7日(水曜日)

前回の備中高梁の駅隣接ビルの記載で蔦屋を蔦谷などと記載してしまい、申し分けありませんでした。
本日は旅行の最終日、岡山市内と旧閑谷(しずたに)学校行きです。

実は旅行の三泊目を瀬戸内が見晴らせる倉敷市児島を予約していましたが、岡山市周辺を調べると「閑谷(しずたに)学校」という聞き慣れない場所を知りました。吹屋同様山間にひっそりと、しかし確固たる存在感を現す古い校舎の魅力に惹かれ児島から岡山連泊に変更した次第です。

この日は帰郷するので夕刻までに岡山を発たなければなりません。以下簡単ですが31日午前の岡山市の後楽園と岡山城です。

入園早々岡山城が見える後楽園。

後楽園は広大で池と水路などふんだんに水があしらわれる庭園でした。

 

舟置き場。

蓮田、茶畑、蘇鉄(そてつ)畑など
農への重視は印象的です。

茶で言えば中国から日本に茶を紹介した臨済宗開祖・栄西は岡山県の人だと知りました。同園では田植え、茶摘み、観蓮、月見、能楽、芝焼きなど伝統を重んじた四季折々の催事が行われ、開かれた庭園として広く市民に愛されていることが覗われます。

庭園側から見た岡山城。

上掲の撮影後旭川(あさひがわ)に掛かる橋を渡って岡山城を眺めに行きました。

時間が来ましたのでお城の後岡山駅から山陽本線は普通列車で「吉永」へ。約35分で到着後、「旧閑谷(しずたに)学校」へはタクシーを利用しました。

山間に入ってすぐに目的地、国宝や重文の建造物群を有する特別史跡「旧閑谷学校」でした。

校門である鶴鳴門(かくめいもん)。

これが校門とは、鶴鳴門の荘重な屋根瓦。
雨水の傷みに備え緻密な構造。

国宝の講堂。冬以外は芝生の緑に囲まれるようです。

 

塀の上面は侵入の手がかりにならぬよう丸い。
高さ幅とも2メートル、総延長700余メートルです。

昭和天皇お手植えの楠(くすのき)

旧満州、奉天生まれの私ですが、
故郷を訪ねたような懐かしさ。

建物の膨大な瓦は全て備前焼で、耐久性保持のため特に高温で焼成されたと言われます。長年にわたり大量の重い瓦を支える木造部分の強さにもほとほと感心させられます。維持し続けた後世の人々にも感心しました。

閑谷学校の始まりは早く、寛文十年(1670)、岡山藩主池田光政公により庶民のための学校として30年も掛けて創建され、他藩をも問わず広く子弟を集めたということです。

当然ですが江戸初期からの歴史ですから浮沈が見られ、衰退ごとに有力者らによって再興され現在でも運営財団は寄付を募っていました。

藩校として長く存続し、明治時代以後は中学校としても使われ大正時代まで実用されたようです。

池田公墓所へ椿の道。

学校の右手に椿の道があり、池田光政公の墳丘へ続いているということです。当所一帯はまだまだ見どころ多い場所。いつか叶うなら花の季節に再訪したいと思いました。

本日で年末旅行記事は終了ですが、吹屋も閑谷も遠い所でした。しかし両所とも古い学校が格調高く保存され、この度の旅行を意義深いものにしてくれました。

長々お読みいただき有り難うございました。
今回、地域の隆盛は地勢・環境も大事ですが有能な殿様と城下の熱意、学問は決定的であろうとつくづく感じました。

帰路は東京を経由して北陸新幹線でした。東京駅で乗車後すぐ肘掛けの脇にタブレットの忘れ物を見つけました。
携帯の置き忘れをしたばかりなのに今度は私が発見者、急いで車掌さんに届けた次第です。
旅は本当に色々なことが起こりますね。

到着した上越妙高駅は雪降りの最中でした。

雪の駐車場。

3月15日、樹下美術館は20年目の開館です。
休館日など少し変わりますが今年もどうか宜しくお願い致します。

年末旅行3日目は吹屋のベンガラ色の街と吹屋小学校へ。

2026年1月5日(月曜日)

昨日に続いて岡山県備中高梁(たかはし)市は午後の観光です。

駅ターミナルにあるバスセンターから10:55発、終点吹屋11:52に乗りました。乗車したのは私達と一人のおばあさんだけでした。
そのおばあさんも早々と降り、38もある停留所からは一人も乗りませんでしたので終点まで貸し切り状態でした。

バスは高梁川に沿って走り、およそ反対は山の森林です。森林が上越と違うのは雑木に混じって照葉樹が混じることでした。また特に目を引いたのは南天です。大きな赤い実を沢山つけて随所に「自生」していて驚きました。

時折、傾斜地で田畑も無い所に立派な家があるのにも目を奪われました。

よく見た石垣と白壁それに蔵の家。
南天はマスト。

吹屋が近づきました。

車中から見たベンガラ色の民家。

バスは街道の通りが終点で、降りてそのまま散策です。ベンガラ(弁柄)色の建物に赤味を含む石州瓦の家が続く通りは国の重要伝統的建造物群保存地区に認定されていました。

 

街道はしんとしていました。

 

晦日なので開いている店は僅かです。

通りを右に入って坂を進むと岡山県指定重要文化財、および日本遺産になっている「旧吹屋小学校」へ出ます。

 

 

立派なプールは教育イベント用でしょうか。

 

小学校とは思われない構え。

小学校にしては広大であまりに重厚。そのはず古くからあった周辺の鉱山は明治期から吉岡銅山として三菱財閥により本格的に開発され同時にベンガラの産地として大いに栄えました。ちなみに学校敷地は三菱からの寄付だったそうです。

明治中頃から順次建てられた学校は平成24(2012)の閉校まで「現役最古の木造校舎」として使用されていました。
閉校後一旦解体、大がかりな補強工事を行い令和4年(2022)2月将来へ繋ぐ遺産として竣工したそうです。
残念な閉校はここでも人口減少でした。

通りへ戻るとバスに揺られた後小学校まで行きましたのでおなかが空いていました。「きいろい台所」でカレーを食べました。すらりとした若いネパール人の店でした。

上は香料が効いたカレー、下は熱いチャイ。
高度550メートルの高地で、
ずっと外に居たので温まりました。

店内にあった六芒星の飾り。

さらに時間まで歩きます。

 

ベンガラ染め「志楽」の遠藤さん。

「志楽」さんのお隣「麻田百貨店」でグレーのマフラーを買いました。夕方になり冷えましたのでさっそく用いました。恥ずかしながら後ほど写真をお出しします。

大人しい猫は通りの副会長さんでしょうか。
南天もきれいです。

買ったばかりのマフラーを着けて。

赤い町並を堪能し15:42のバスの時間になりました。帰路のバスも発車から終点まで私達だけでした。

大晦日前日、深閑とした「ジャパンレッド」に包まれ、夢の中を彷徨うようで不思議な感覚を覚えました。

帰りのバスから高梁川と山の夕焼け。

バスを降り高梁駅に着き人並みに紛れると、この世に戻った感じがしました。

しかし赤い吹屋の時間は、まるで原体験のし直しのようで心身のリフレッシュになりました。

次回は戻った備中高梁の駅ビルについて少し書かせてください。

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