明け暮れ 我が家 お出かけ

柿の実の生長 夏らしい日。

2021年7月23日(金曜日)

暑い日だったが、風に涼しさが感じられ、この先を考えれば良い方。雲も素晴らしく夏らしい一日だった。

 

柿の実が大きくなってきた。
風が通る葉陰で子守歌でも聴いている風。

 

本日午後、妙高山方面の雲。さすが妙高、雲も凄かった。

 

昨夕の大潟区四ツ屋浜。

 

今夕の大潟区は中谷内池。

 


YOU AND NIGHT AND MUSIC(貴方と夜と音楽と)。

 


竹田の子守歌。

このような音楽は心に響く。

日本海の夕焼けと波音でささやかな食事会。

2021年7月15日(木曜日)

今年3月、誠に小規模な当院に一人若い事務スタッフが加わった。未経験だったが、ベテランの適切な世話でぐんぐん伸びてくれた。
今夕は彼女の歓迎とスタッフの慰労で上下浜はマリンホテルハマナスで食事をした。

 

 

甘鯛の松かさ揚げ。
美味しい肉、魚介、巻き寿司などでお腹いっぱい。
十分なスタンスとノンアルコールで和やかに過ごした。

 

穏やかな日本海の波音が聞こえる芝生に移って、果物と珈琲を頂いた。
いっとき西の空やや低く、鮮やかな三日月が出ていた。
時々香る蚊取り線香の匂いが清々しい。
間もなくこの場所はビアガーデンになるという。ここなら安全だろう。

5月半ばから始まったワクチン接種だが、新人の彼女がいなかったら出来なかったかも知れない。

所有の松林から切り出した材で廊下や階段を改修。

2021年5月21日(金曜日)

その昔の数十年前、在宅で訪ねる家の様子は様々で、時には理由があって散乱のあまり爪先だちでジグザク歩きをしなければ、患者さんにたどりつけない、お宅もあった。
福祉施策と人的支援でいまやこのような状況は見られなくなった。

余計なものが無くいつも片付いていて、行くのが楽しみというお宅がいくつもある。小さくて気が利いている旅館を訪ねるような感じがするのである。
本日の写真のお宅もそのような家だった。

外から眺めると二階の窓辺に白いカーテンや花が見え、庭は小気味よく、石段は掃かれている。

訪ね始めて間もないお宅だが、先日廊下がピカピカしているのに気づいた。訊いてみると、所有していた山に高速道路が通過することになった際、そこの松を切り出して家の改修に使ったと仰った。
初めて耳にするいきさつであり、そんな風に手持ちの木を材にして生かすことも出来たのか、と少々驚いた。

 

つややかな廊下。

 

小さな節が一杯見え、一種面白みになっている。

 

階段も直されている。

松は樹脂が多いのでつややかで美しくなること、丈夫なことなどで優れているという。切り出しや材への加工など手間が掛かったと思われるが、良いお仲間にも恵まれたのではと思った。

堅実で奥ゆかしい奥さんは私と同級生。ご主人は真面目一方の優しい方。
「良い奥さんですね」と言うと、恥ずかしそうにお互いを褒めあい、聴いていて幸せな気持になった。

 

以下は本日我が家の玄関の花と観音の様子です。

庭で咲いた黄色の芍薬と都忘れが生けてある。
観音像は40年ほど前、ある方の数ものを通販で購入しました。
モデルそのままに現代的なお顔です。

本日のワクチンは20名、うち在宅3名でした。
在宅では一定時間観察をしますので、世間話をしたり、普段は飲まないお茶を頂いたりします。観察があるため1日3件が精一杯だと思います。

本日NHKテレビ『美の壺』スペシャル「レトロ建築」 で上越市髙田の世界館が紹介されました。冬場の撮影にも拘わらず美しく撮られていて、内容の良さといい他の大規模な建築と全く遜色無かった。さすがNHK、関わる方たちの願いが伝わる良い内容でした。

二人の姪が通っている自由学園を初めて映像として見ることが出来、歴史的建造物が開かれていることに感心しました。

柏崎市の飯塚邸を訪ねた。

2021年5月8日(土曜日)

以前出かけたところ木曜日で休館していた柏崎市史跡文化財、飯塚邸。
本日好天の午後訪ねた。
壮大な作りのいわゆる豪農の館。緑が滲みる邸内は多くの日本間や茶室がある。わけても昭和22年に新潟県を巡幸された昭和天皇が休息、お泊まりになったお部屋には、おごそかで澄んだ空気がいまだに漂うのを感じた。

 

 

 

 

丁度吊し雛が飾られていて、心華やぐ。

 

廊下の欅はみがかれ、意匠よくあしらわれている。

 

昭和天皇がお休みになった二階のお部屋。
真っ白で立派な椅子。
床脇の障子の形は梅か、同家の家紋の桜か。とても合っている。

 

懐かしさやくつろぎを覚える肘掛け窓。

 

 

 

ボランティアの方であろう、お花の手入れをされていた。

 

木のウロから井戸を覗いていたら人が通りました。

 

眺めに飽きがこないよう天地四方に変化を見せる庭。

 

最後に倉を改装した展示室を観た。
上手倉と下手倉があり
本日はお茶道具はじめ生活用具のある上手倉を観た。

 

青磁など品の良い茶入。

 

 

金襴手や南京ものの赤絵鉢。

 

鳥が描かれた染め付けの菓子皿。
とても気に入りました。

 

倉の2階から。

 

小さなお客さんも来ているようでした。

ゆっくり興味深く観て回りました。
寄贈された柏崎市が管理運営する文化財に、周辺の方々が熱心に協力されているのが窺われました。それだけの親しみと魅力があるにちがいありません。

強風の日の買い物 高校時代の肺結核治療 駐車場で帽子を追いかける。

2021年4月18日(日曜日)

昨日の雨降りの空は本日さらに悪化し、終日強風に見舞われた。
昼に外出、ホームセンターでキキョウと用土および芝生の肥料を、帰路のドラッグストアでアリナミンを購入した。

風は午後次第に強まり、ホームセンターでは少し大きめの物が至る所風で倒されていた。起こしてもすぐに倒れるのだろう、所によって通路を塞ぐものまであった。

美術館の花は出来るだけ暇を作らず、次々に何かが印象深く咲いているようするため、色々と補強を試みている。
当初山野草や茶花などをこまごまと植栽していたが、全体の眺めを重視した方が良いと考えるようになり、最近は点に加えて面を意識している。

ホームセンターでは車から下りて歩くと何か顔に不自然な感じを覚えた。マスクを忘れている。慌てて戻りダッシュボードを空けると一枚だけ残っていて助かった。

 

これで買い物が出来た貴重なマスク。

ドラッグストアではアリナミンEXプラスというのを購入した。今の食事で何一つ不足は無いと考えられるが、足腰の疲れなどに対し、ふとしてアリナミンを飲む。
アリナミンとの付き合いは、高校二年生の春から始まった。その年の健診で肺結核が見つかったのがきっかけだった。

結核が告げられた日のことは鮮明に思い出すことが出来る。
担任のY先生に職員室に呼ばれ、レントゲン健診の結果で肺結核の疑いがあることを告げられた。その場で薄い茶封筒に入った小さなフィルムを渡された。フイルムをポケットに入れ、一人汽車を待った駅のホームが浮かぶ。家で父にフィルムを見せると、ああ、と父は落胆した。

直ちに週2回のストレプトマイシンの筋注(1回は父が下宿を訪ね、1回は日曜日に家に帰って打つ)、およびパスとヒドラの服用が始まった。同時に補助的にアリナミンの服用と一定量の生バターを摂るように言われた。

不思議なもので、健常から一気に病者に変わったにも拘わらず、直ぐ治療を受け入れたように思う。但しある時期を過ぎると大して症状の無い病気よりも治療の鬱陶しさに嫌気を覚えるようになった。
注射は痛い、薬でお腹は空かない、引き出しのバターはまずいなど、いつ終わるとも知らされず続いたためだった。
ほかに映画館は駄目、体育ほか諸行事は見学で生活全体が晴れ晴れしない。ただ一緒に見学となった何人かの級友とは他の生徒に無い強い親しみを覚え、子の無い下宿の主夫婦はより親切に接してくれるようになった。

高校三年生の9月に手術も考慮して父の母校たる都内の大学病院を受診した。その結果注射をストレプトマイシンからカナマイシンに変更すること、残りの学期を休学して治療に専念することになり、がらりと生活が変わった。注射のため尻をだすのだが、ある日、随分肉がついてきたな、と父が嬉しそうに言ったのを覚えている。

かくして高校3年生をもう1回やり直し、翌年春に晴れて全快した。注射は内耳性難聴の副作用があり、最後の方では注射後耳がぼーんとする感じや軽いめまいを覚えるようになったが、症状が固定する前に離脱できたのは幸いだった。
但し後年血清クレアチニン値が1.0~1,2レベルと正常値を超えて推移しているのは、足かけ3年打ち続けた注射の腎毒性によるものかと考えている。

闘病というほど濃厚ではないが、貴重な青春の陽光は精々早春か晩秋の明るさでしか無かった。ただ姉に勧められてドイツの小説を読んだのと、休学中の朝な夕な近隣の自然に深く親しめたのは得がたいことだった。

さらに病癒えた大学で亡き級友Sに勧められ、テニスと音楽の部活に夢中になったのはリハビリだったかもしれない。加えるに今でも何か失ったものを何処かで取り戻そうとしているような感覚がよぎることがある。時の価値、密かではあるが青春というのはそれだけ貴重だったのかとあらためて思う。

さてアリナミンはサイアミンプロピルダイサルファイドという化学名だった。役立つわけではないが当時暇つぶしに、パスはパラアミノサリチル酸カルシウム、ヒドラはイソニコチン酸ヒドラジッド、と薬効書を読んで覚えた。大学時代そのことを話すと、何でそんなことを知っているのか、といぶかしがられた。

そんな訳で、近時足腰や目に疲れや痛みを感じると思い出したようにアリナミンを飲んでみている次第で、本当のところあまり深い訳はありません。

 

本日購入したアリナミンEXPLUS.。

本日買い物を済ませたドラッグストアの駐車場の風はひどく、帽子を飛ばされた。駐車場の端まで飛ばされ、危うく国道に出る寸前で捕まえた。青春の闘病も鬱陶しいが、老人が広い駐車場で帽子を追いかけるのも切ない。

雨のゴルフ 四月の雨 連日の夕食。

2021年4月17日(土曜日)

雨と分かっていたが、予約通り午後から半ラウンドのゴルフをした。
14;30という遅い時間しかなかったが、雨のせいかキャンセルがあり一時間繰り上がってスタートした。

気温が低いうえ朝から降りっぱなしの雨。ホカロンを4つ使い、雨仕度を十分にして出た。
いつものK氏と回った。
雨のコースには後先だれも見えず、また貸し切りですね、と言って回った。K氏とは昨年秋、だれもスタートしない嵐の中を回った。悪天候のゴルフでは、止めようという人は少なくないが、私は回りたい方に入る。

本日寒さと雨を心配する余り着ぶくれしてしまい、良い調子ではなかったが、修業と称し最後まで回れたことを祝った。最近はカートに乗るので随分楽になった。

 


1920年代の古い歌「April Showers」
四月の雨は5月に咲く花を促す
雨ふりでもくよくよしないで、青い鳥を探しに出て
その歌を聴いてみよう、などと歌っているようです。

April Showersという曲があるのは知っていましたが、初めて聴いてみて、楽しい曲だなと思いました。

 

以下本日の夕食写真です。

コゴメとタラの芽を沢山頂きました。

連日の食事写真でしたのでしばらくお休みです。

明日は午後から雨、風も吹きそうです。

十日町市松代のカールベンクス古民家カフェ「渋い」ーSHIBUIーを訪ねた。

2021年2月6日(土曜日)

折々にカールベンクス氏の十日町市松代における古民家に関係する仕事をテレビなどで視聴していた。
今年になって丁寧な集材番組があり、つぶさに観た。豪雪後交通が良くなったら行ってみよう、と考えていた所へ本日の好天。急遽妻の友人と三人の小さな旅になった。

すでにお出かけされた方は多いと思われますが、途中写真を撮りながら片道小一時間は、コロナ時代にあって十分な“旅行”になりました。

 

 

川はさらさらと流れ、山の雪はゆるっとしていた。
強い日射しの中、春の足音が感じられる。

 

目的の「カールベンクス古民家カフェ「渋い」ーSHIBUIー」

 

分厚い扉。

 

海老虹梁(えびこうりょう)?が軒を支えている。

 

カフェ内部(ホームページからお借りしました)。

 

個室風のスペース。

 

サービスカウンター

 

遅い昼食で二人はキッシュ、私はオープンサンドを美味しく食べた。

 

グランドピアノもある広い店内は見所満載。

 

 

 

 

欄間、梁そして仏像と、さまざまな彫刻を見た。
古民家や廃寺のものをブラッシュアップしたものだろう。
かっての彫刻師、仏師、そして大工さんの渾身の技が蘇っている。

これらの設えや調度品は威張ることなくそっと配置されている。それこそカール氏独特の美意識であり奥ゆかさではないか、と思った。

食事を終えると居あわせたベンクスさんが二階を案内して下さった。すでに50の日本古民家を再建、移築をされているドイツ人建築家は私と同じ年生まれ。異国の人の創意工夫と情熱が伝わる場所は素晴らしく、一瞬にして元気を鼓吹された。

ブログ記載中、深夜にかけて看取りがあり途中中断しました。明日続きを書かせて下さい。

過日DVDで観た大映映画「婦系図(おんなけいず) 湯島の白梅」 運転免許証更新。

2021年2月4日(木曜日)

去る1月24日にDVDの1955年制作映画「婦人(おんな)系図湯島の白梅」を観たことを書いた。
それまで物語を読んだことも観たこともなく、伝わる「別れろ切れろは芸者の時にいう言葉」のセリフがどんな場面で述べられるのかなど興味深く観た。

あらすじとして、
ドイツ語辞典編纂に取り組む教授の愛弟子・早瀬主税(鶴田浩二)は将来を嘱望されている。彼はもと柳橋の芸者だったお蔦と密かにつましい所帯を持っていた。ある日お蔦はスリが起こした事件に巻き込まれ新聞沙汰になり、二人の仲が明るみになる。恩義のある教授の知るところとなり叱責され、世間のさらし者の身となった主税。ある晩新婚の仕度に勤しむお蔦を近くの湯島境内に誘い、“死んだ気になって言う”と述べて、お蔦に別れてくれと告げる。

以下2枚は美しい山本富士子のお蔦。

以下は主税が別れを切り出す湯島天満宮(湯島天神)の場面。

いっそ死んでくれと言って、と嘆くお蔦。

 

湯島天神の場面はセットだとしたら造作の美術は素晴らしい。
一昨年訪ねて見た通りに渡り廊下も出てくる。

さて、
「別れろ切れろ云々」は、映画で以下のように別の言い方だった。
「切れるの別れるのってものはね、芸者の時に言うものなのよ」、「死ねと言われればいつでもはいと言います」と続けられた。

そもそも泉鏡花の小説「婦系図」に湯島天神の場面は無く、後に芝居向きの台本として鏡花自身によって書かれたものらしい。
湯島という場所は、一帯に多くの大学や学問所がある文教的な場所であると同時に歓楽街もあった。そこにおける学問と恋、義理と人情、身分と世間などの劇的な要素が絡んだ物語は、身近なものとして広く受け入れられたと考えられる。

次は映画の場面を背景に歌われる鶴田浩二の「湯島の白梅」です。

 

二人は別れ、主税は郷里へ帰り塾を開き、残されたお蔦は病に伏す。臨終間近となったお蔦の床に悪かったと言って教授が駆けつける。教授もかって同じ道を歩んだことがあったのだ。教授の電報で容態を知った主税は間に合わなかったが、変わり果てたお蔦の枕元に添えられた白梅がひっそりと咲いている。

湯島の白梅は新派の芝居で有名で、映画も数本あり同名の歌も多くの人に歌われている。冒頭の聞き慣れた台詞はある歌手の歌に挿入されたセリフで、それが常套句として拡がったようだ。

昨年正月はまだコロナ騒ぎは無く、年末の鎌倉行きの前日湯島天神を訪ねブログに書いた。鎌倉では行く先々の社寺で見事な梅林を見た。いずれも蕾で、春近づいたら是非花を見たいと思い、行程を予約していた所コロナになった。今となっては湯島も鎌倉も夢のまた夢のように覚える。
昨年の鎌倉行きです。鎌倉その2 その3

本日午後ある方から誕生日祝いのお菓子と本を頂き、寒い日にあって心温った。
後で運転免許証の書き換えで直江津へ行った。時節がら書き換えはいつも寒く、しばしば雪がもさもさと降り、駐車に苦労した。本日行ったのは新しく移動した場所で、駐車場は立体。スタッフはとても多かったものの不慣れな私は何かと戸惑った。

雪のなか小林古径記念美術館の後期展示を観た 本日は誕生日。

2021年2月1日(月曜日)

昨日日曜日は南掘で白鳥を見た後小林古径記念美術館を訪ねた。
昨年10月新規開館して始まった企画展「上越 美術のチカラ 展」は今年になって後期展示が始まっている。

 

駐車場は広くあいている。
だが先の豪雪の凄まさを窺うことが出来る。

ちょうど宮崎館長さんが顔を出され、ご親切にも案内してくださった。
疲れずに観られる丁度良い作品数。全て力作であり、必ずどこかに見所があってみな楽しめる。各展示場所の明暗も面白いとあらためて感じた。

以下展示のごく一部です。

 

初めて観た古径作「作榊原康政檄文染筆之図」(部分)。
髪の毛の何分の一という繊細な線は一種凄味でもあろう。
激しい表情が多い歴史画で、人物達の品の良い顔立ちに作者の骨頂。
藩主康政が織田家を裏切った秀吉を非難する檄文を書く有名な場面だという。
春香という雅号が見えたが、古径以前の号であり、貴重な初期作品。

 

古径「柿」
穏やかな柿が二つ。安定感のある輪郭線が魅力的だった。

 

筑波進(1937~)「現代世相考」。
饗宴の廃墟にかすむように消える階段。
繁栄の中に伝えるべき実相を見つけるのは難しい課題。
が、希望が無いわけではない、と述べているようでもあった。
重いテーマだが、緻密で美しく感じた。

 

大口満(1955~)「新雪の漁師小屋」。
朽ちた小屋を新雪が優しく覆う。去った時代と人への鎮魂であろう。
小屋の壁の赤い色に、かって燃やされた命が表象されているようだ。

 

雪がそのまま見える明るいガラスの回廊。
雪によって斎藤真一の瞽女やガレ作品がしみじみと冴える。

 

雪中踏ん張る掘川紀夫作「テンセグリティ」。

 

陶磁器作品が並ぶ古径邸画室。
三角に組まれた入り口の雪除けが効いている。
豪雪のただ中は本当に大変なことだったと思う。

 

画室玄関に生けられた春の花。
青磁の器も素晴らしく、春の息吹を感じさせるもてなしが嬉しい。

 

 

陶芸クラフト運動を先駆けた内田邦夫の茶器。
過去の貴重な作家の認知は公的美術館の大切な仕事。

江戸末~明治・大正・昭和の越陳人や深林人、仙堂などの山水画は郷土作家ならではのシンパシーを感じ、穏やかでほっとさせられる。

 

雪中の古径邸。
緩やかにカーブがついたむくりの屋根にあらためて眼が行った。

 

明るい長廊は雪の重圧をかわしていっそう価値を発揮している。
市街地の雁木に共通する意義と眺め。

新規開館後の最初の冬をけた外れの豪雪に見舞われた美術館。十分に対策されていたと思われるが、厳しく試されたにちがいない。館長、スタッフの心配と除雪の苦労は想像するに余りあるが、乗り越えられほっとされたことだろう。

上越ゆかりの作家達の展示。
ここに生まれ育った人、やって来た人、それぞれの作品が大雪の中でチカラをみなぎらせている。忍耐強く穏やかな人柄の底に秘められる情熱。厳冬に見た郷土の芸術家の作品は、ややもすると沈みがちな冬に力と明るさをもたらすものとして心に深く収まった。

 

雪中の西堀橋。
小雪のなか絵画的な眺めだった。

雪国の美術館とその作品を雪の季節に観るといっそう愛着を覚える。駐車場はきれいになっていて、多くの方に観て頂きたいなあと思った。

さて本日は誕生日。同じ誕生日の父の年を越えたことになり、過ぎた1年の無事に感謝し、父には申しわけ無い気持がよぎった。いつもながら親子して寒い日に生まれたものだと、思った。

 

バースデーケーキ。
カップに入ったシフォンケーキを美味しく食べた。
可愛い器はイギリスのミッド・ウインター社製のアンティークです。

同社の以下ザンベジは樹下美術館のカフェでお出ししています。

ザンベジシリーズのカップ&ソーサー。

風の大潟区、夕刻の風のニュースに小学校同級生のインタビュー。

2021年1月29日(金曜日)

昨晩遅くから予報通りに強風が吹き出した。
海沿いの上越市大潟区は風が強く、特に冬期間は猛烈だ。雪は風に飛ばされ、また海に近いため僅に気温が高いこともあり、積雪は内陸部より少なめに推移する。
今冬の豪雪で多くの地域で積雪が2メートルを越え、所によって3メートルにも達したが、大潟区は177センチにとどまっていた。

本日夕刻のローカルニュースは冬型の嵐による風を取り上げる局があった。大潟区の国道8号線にレポーターが立ち強風を伝えた。画面がインタビューに変わると、ある男性が映った。スタンドと車輌工場を営む小学時代の同級生Y君だった。とても元気にしっかりと応えた。

参加していた小学時代の分校同級会は3年前を最後に開かれていない。
風と寒さの中、防寒服を着て話す画面いっぱいのY君の顔をみて、嬉しく励みになった。

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