明け暮れ 我が家 お出かけ

年末旅行3日目の備中高梁(びっちゅうたかはし)駅周辺。

2026年1月4日(日曜日)

思いがけない正月大雪になりました。しかし美術館は20㎝前後の積雪、風雨が強かった沿岸の仕事場ではせいぜい10㎝ほどに減りました。

さて戻って年末旅行3日目の記事です。
12月30日、岡山市から伯備線で備中高梁市へ、そこからバスでべんがら屋根の街、吹屋(ふきや)へ行きました。吹屋で長かったため、本日は午前の高梁駅周辺だけ記載いたしました。

伯備線は岡山駅から先ず西に行き倉敷を経ると高梁川に沿って北上、中国山地走り鳥取へと続くJR線です。
かって大学病院時代、米子で行われた糖尿病学会と、津山で後輩の結婚式に参加し、当線は2回乗車経験がありました。しかし昭和40年代後半のこと、長々と山間を走った記憶しかありません。

このたび岡山発9:13特急「やくも」で35分で備中高梁へ(普通列車55分)。

「やくも」の入線。
「やくもブロンズ」と呼ばれる褐色カラー。

やくもブロンズは沿線が関係する銅や鉄及び弁柄(ベンガラ)のふる里、宍道(しんじ)湖の夕日などから独自のカラーが出来たということです。

高梁川に沿って山が続く。
山頂部分はいずれも濃い霧がかかっていた。

 

備中高梁駅前。ここでも山に霧。

 

「トマト銀行」

トマト銀行は1989年、山陽相互銀行が改名して生まれたそうです。同銀行は改名により世界で話題となり、国内各地から預金が集まったとありました。

べんがら色の街、吹屋行きのバスまで1時間少々余裕があり、タクシーで天台宗「頼久寺」へ。
案外近い寺院は清々しく、小堀遠州作の庭は大規模ではありませんがさすがに想像以上の造形美でした。

「頼久寺」前景。

 

冬でも色鮮やか。

色彩と形状のほか動きにも目を奪われる。
非常に良く手入れされている。

楽しい丸窓の変化。

頼久寺から駅への途中、山田方谷(ほうこく)記念館を外から眺めました。

ここにも「義」がありました。

山田方谷は藩政と財政に苦しむ備中松山藩を生涯改革した偉人。諸国の藩士にも影響を与え、佐久間象山はじめ後に明治政府で太政官から東京大学教授になる会津藩の南摩綱紀や越後長岡藩から河井継之助らも方谷を訪ね薫陶を受けています。

館長宅に伝わる南摩綱紀(羽峰)書屏風

一昨年倉敷市で継之助が投宿した宿跡を案内してもらいました。一帯では大河ドラマに山田方谷をという運動が熱心に行われているのを知りました。

駅前で見た岡山牛の自販機。

備中高梁に着いたころ、近隣の山はみな雲海が掛かっていました。駅をお掃除する小母さんから、一帯はこの時期毎日のように霧が掛かり雲海が発生すると聞きました。
気温が上がれば松山城が見えるかも知れませんよ、という言葉通りバス発車間が来ると山頂の城が見えました。

10:55吹屋行きのバスの乗客は私達のほかにおばあさんが一人、それも間もなく降車されました。
終点吹屋まで1時間、高梁川に沿う38カ所のバス亭はみな通過です。貸し切り状態となった車は何度も山中を曲がり吹屋へと入りました。

12月29日午後は岡山市池田動物園へ。

2026年1月3日(土曜日)

仕事に忙しかった時代、いわゆる観光旅行はほとんど出来なかった。それが年取って出かけるようになった。
およそ5年前から熊本・阿蘇・長崎、京都・奈良、東京・鎌倉、熱海・鎌倉、京都・倉敷・髙松、京都・滋賀、名古屋・豊田へそして今春は山形・秋田に出かけ、今年末旅行に続いた。

旅は縁遠かったので何処へ出かけても楽しいが、行く先の一つに幼少に憧れた場所というのがある。錦帯橋や宇治平等院は小学時代の観光切手だった。

小5の頃に昭和天皇の四女、厚子様が岡山藩主、池田家16代当主、池田隆政氏と結婚された。
陛下のお子が農場主で動物好きの地方の有力者と結婚される。当時平和憲法のもと世の中が明るく活気を帯びるのは小学生にも伝わった。そのころ少年朝日年鑑を毎年購読していたが、厚子様の婚礼記事は心に残る一つだった。

そんな訳で今回の岡山行きでは真っ先に池田動物園が決まった。

キリン「サンタロウ」。
大きさと形はやはり感動的。

「サンタロウ」を支援する企業、個人のプレートが並ぶ。

 

オウゴンキンケイチョウ。

 

インドクジャク。

 

ショウジョウトキ。

 

モモイロペリカン。

 

ホオジロカンムリツル。

 

タンチョウ。

 

ベニイロフラミンゴ。

 

ヨーロッパフラミンゴ。

16:30閉園まで主に鳥を観た。時間が来てインコとフクロウは諦めた。全体にケージ飼育の辛さはあったが民間(現在は株式会社)経営には資金限界はあろう。
しかし戦後の明るいニュースの一つだった動物園への訪問はよき時代を彷彿とさせ、末長くと祈る気持がした。

ホテルに戻ると近くの岡山料理「八文字」で食事した。

付き出し

ばら寿司

 

ホテルを出てすぐのイルミネーション。
川面に掛かるので反射が美しい。

翌日、旅は3日目。伯備線で備中高梁(たかはし)へ、頼久寺(らいきゅうじ)を参拝後、バスで遠路山間のべんがらの街、吹屋地区を訪ねました。

12月28日滋賀のご夫婦と夕食、翌日は青蓮院と長楽館。

2026年1月2日(金曜日)

年末や年始に旅行することはかってある親族が行っていましたので、一昨年から私達も自然にするようになりました。
但し在宅患者さんの良し悪しと雪国ならではの駅周辺の天気予報は肝心です。今年の年内は双方大丈夫と踏み、出かけた次第です。

1日目、28日は正月休みの2日目、午後から京都へ。京都のごった返しはさらに凄いものがありました。
夕食はかって当地で勤務された滋賀県のご夫婦と一緒(実は昨年も)。店も同じ青冥(ちんみん)でした。

有名企業の要職だった人が無事仕事を終えられ第三の人生に向かわれる。来し方行く末の話を沢山しました。

翌29日、2日目は午前、青蓮院(しょうれんいん)で再度合流。

庭の寒牡丹。

貴人の籠や長持。
さすが島津家も混じっている。

 

鮮やかな障壁画。

丹精込められた庭。

当寺の参拝を選んだのはかって同級生で僧籍、A君の“雨の日の風情が良かった”の一言だった。天台宗の同寺は皇族方ゆかりの門跡(もんぜき)寺院ならではの静かさと品格がある。

参拝の後、かねて予約の長楽館まで散策。浅めに射す京都の冬陽のなかゆっくり歩いて到着。
長楽館は国指定重要文化財です。
50数年前に初めて来て以来何度も寄りました。今は変わりましたがかって緑色の椅子がとても印象的でした。

重厚な入り口。

男性は大きなモンブラン、女性はガレット・デ・ロワでお茶。
モンブランはクラシック・モンブランと言うらしい。
最早一食分、お茶セットで2800円でした。

上からみたモンブラン(同伴氏からの写真)。
皿にはリキュール風味のベースが添えられ、
それも美味しかったのです。

ケーキのショップ。

この日、岡山市へ行けば池田動物園の今年最終営業が16:30まであるので、長楽館でご夫婦とお別れ、駅へとタクシーに乗車しました。

一緒頂いたご夫妻、二年続けて年末の多忙時にお付き合い下さり本当にあり難うございました。どの道にも試練はあることでしょう。それも楽しみつつ今年も頑張りましょう。

池田動物園のことは次回に書かせてください。

出てきた紛失携帯。

2025年12月23日(火曜日)

昨日の当欄で先週末の上京の記事を書いた。
実は20日土曜日の上京で、ホテルに到着すると携帯を新幹線の車内に置き忘れたことに気がついた。

置き忘れた場所は明瞭で、座席の窓側、座面と壁の堺目にくっつけるように置いた。妙な場所だが置いたのには訳があった。
数日前ボロボロになったカバーを取り外した携帯はツルツルして、ともすると滑ったり落ちたりした。当日車内で調べものをしながら本を読んだところ、何度か床に携帯を落とした。それで前述のような場所に置いたのだが、東京駅で急いだため忘れて降りた。

妻の携帯を借りてホテルから東京駅に電話したが届けられていないという。持ち去られを心配して通信もとのドコモに連絡。
すると通信機能を止め、最後の位置を調べてくれた。直近は埼玉県上尾が同定され、東京から戻った新幹線車内にそのままあるのかもしれません、と言われた。終点を敦賀駅と想定して同駅の遺失係にも届け出た。

以来2日目の昨日、どこからも連絡は無く午後から購入先の柿崎のドコモショップへ行った。予約無しだったがスタッフはすぐ対応してくれ、待つ事しばし、携帯は金沢駅を含むエリアにあることが分かった。

戻った列車の行く先は敦賀ではなく金沢だった。
飛んで帰り駅の忘れ物センターに電話すると、ハイ、ハイ、ハイ、と聞いて下さり、
「その携帯ならありますよ」と仰った。
「すぐ着払いで届けます」と言われ、住所氏名を告げた。

そして本日昼前、早くも小包が届きいた。

迅速丁寧な対応だった

誰にも持ち帰られず、東京駅手前から東京、そこから金沢まで新幹線の目立たない所で壁にくっついたままだった携帯。使いこなせなてない機械だが申しわけ無く思った。

携帯の紛失では、思い当たる駅、警察への届けも必要であろうが回線会社、よしんば購入店での助言や探索は最も現実的ではないかと実感した。

いきさつは以上ですが、対応頂いた機関の皆さま、特に柿崎ドコモショップ、金沢わすれ物センターのスタッフさん、本当に有り難うございました。

週末の上京 カーヴ・デ・ランパール 「良寛の書簡」特別展。

2025年12月22日(月曜日)

先週末展覧会を観に上京した。20日土曜日、夕食は妻の兄さんと一緒だった。氏は発達心理学分野で、長くある女子大の教授をされた人。

場所はかって長男が案内した「カーヴ・デ・ランパール」。ワインリストは超一級で、食事は見た目お洒落なフランス料理とは異なり、プロが作る本格的な家庭料理。

私は飲まないので妻、義兄で白1本と赤のグラスワインを飲んだ。ここには基本「ノンアルという飲み物」は無いため、「水」を勧められるが、10ミリリットルばかりの乾杯ワインを4時間掛けて舐めた。

前菜のテリーヌに続いて、
茹でキャベツと桜エビの料理。
栃木のキャベツは青く驚くほど柔らかだった。

「牛モツのオニオングラタンスープ」
美味しさがあふれ出ている。

デザートの「ほうじ茶のフロマージュ」
確かにほうじ茶の香り。
乗っていた「わさび塩」が素晴らしい。

女子大の止まらない入学者減による規模縮小や共学が進んでいる現状を聴き、旅などの話に花が咲いた。
4時間近く居て三人の会計は税込み4万480円だった。

翌日日曜日午前はまず「良寛の書簡」特別展を観に行った。会場は東中野の「東京黎明アートルーム」。周辺は学生時代に友人がいた懐かしい所。少し若返った気持がしてホテルの新橋から電車で向かった。

会場のアプローチ。
徹底して磨かれている。

会場は閑静な東中野の住宅地にあった。受付で入場券を渡すと、招待券ですね、どなたからのものですか、と訊かれた。小島正芳先生からです、と言うと喜ばれ、万事丁寧に応対して頂いた。

美術館は2階建てで、外観に比しはるかに十分なスペースがある。小島先生が企画・展示・解説にと、中心的な役割をされている「特別展」だった。

書簡は良寛の父母兄弟あるいは知人恩人たちとのやり取りで、いずれの書面もこまやかな愛情に加え気品と教養にあふれていた。

二階にあったさわやかな茶室。

床は「天満大自在天神」の軸。
良寛ならではの楷書は、「在」に
関して逸話が残る名作。

軸は唯一撮影許可されていた。

茶室前に革張りのソファー。
茶会の待合を兼ねているのだろうか。

誠意が尽くされた展示会場には絶え間なく来場者さんがあった。観終わり、受け付けを通る時に、感想を聞かれ、「心洗われました」とお答えした。

昨夕食はヘビーだったため朝食を抜いていた。当日は電車に乗り、良い展覧会をじっくり観たのでお腹が空いた。駅近くで昼食のカレーを美味しく摂った。出先で昼食するのは珍しいことだった。

駅前の環六(明治通り)も懐かしい。
建物は変わったが雰囲気は同じ。

美味しくカレーを食べた店内。

もう一件別の展覧会を観る予定だったが、良寛を堪能後これで十分と判断、帰路に着くことにして駅ビルに寄った。

駅ビルのカフェスペース。
生活への密着感がある。

駅ビルは大規模ではないが、カフェのほか書店・文房具、食品、菓子店などが有機的に配置され、賑わっていた。
カフェで読書する人達をみて、東京はいいなあ、近くにこんな場所があって、雪国では何ヶ月もこもりっ切りになりかねない、と思った。

さて実は前日、東京への新幹線で携帯を車内に置き忘れました。
それが二日後の本日午後、有り難いことに所在が分かりましたので、後日その顛末を書かせてください。

ハリハリ漬け 今夕の食事。

2025年12月19日(金曜日)

廊下で匂っていた干し大根が昨日ハリハリ漬けになった。

夜間自室にいると隣からトントンと音がする。行くと妻が細くシワシワになった干し大根を切っていた。次いでスルメとコンブを切り、瓶に醤油、ミリン、タカノツメ少しのダシに漬けてハリハリが完了した。

大根はお客様から頂いていた。

暮から食べられそう。

かって未経験だった九州の母は髙田の祖母にならって作っていた。妻も髙田なので同じものになる。神奈川県では干し大根メインで常食的に食されるらしい。

今夕食は買ったピザと妻製の鶏肉のトマト煮
及びカボチャのスープでした。

かなり寒かったのですが終日よく晴れた金曜日。

過日「唐椿」の枝を挿し木してみました。しかし数日前ついに葉が枯れ落ちて中止しました。駄目もとの試みでしたが生気が落ちる冬期の挿し木はやはり無理でした。

「お婆さんのようなお爺さん」ズボン編 悪天を予告する雲。

2025年12月11日(木曜日)

去る12月7日、女性用のセーターを挙げて「お婆さんのようなお爺さん」を書きました。

ところでかって出先で、ある出来事が起こり、挙げ句の果てに女性用のズボンを着用して帰ったことがあります。少々変わった事件から何年か経ちましたが、セーターに続き「お婆さんのようなお爺さん」の関連としてズボンの一件を加えせてください。

ある年の春、妻に知人を加えた三人で県央の料理屋さんを訪ねました。テレビで紹介された雰囲気の良い店です。清々しい館内の立派な部屋に次々と運ばれる料理は見事なものでした。

十分頂戴すると、ご飯とお漬け物が出され、赤い椀で卵とじの澄まし汁が一人一人へ運ばれました。

ところが着物を着たお運びの若い女性は三人目の私の傍まで来ると突然つまづき、私に向かってお椀が飛びました。
出来たての熱い汁はほぼズボン全部にかかり、おしぼりやハンカチを総動員して皆で拭き、厨房へ走った女性はお女将さんを連れて来ました。

ああ申し分けありません、申し分けありません、本当に申し分けありません、というお女将さんを加えて拭いたりぬぐったり。

どうしましょう、どうしましょう、ちょっとお待ち下さい、と言ってお女将さんは下がると一本のズボンを手に戻って来ました。
「市内で一番気に入っている店であつらえたものです。丁度合うのでは、申し分けありません、一度履いてみて下さい」と仰います。

隣の部屋で履いてみました。想像以上に柔らかなツイードのズボンはスルリと入り、長さやウエストもすんなり収まりました。
お返し頂かなくても大丈夫ですと言われ、「お婆さんのようなお爺さん、ズボン編」の出来上がりでした。

ひと騒動のあとで記念撮影。

珍しいツイードズボン。
手作り感満点です。

長生きになってくると変わった事も起きるのですね。

さて本日夕刻の空に悪天を予告するトロリとした怪しげな雲が見られました。

 


雲を撮ったあと帰宅して美術館と医院の忘年会の会場へ向かいました。色々失敗を重ねた一年。皆さまには本当にお世話になったと実感したひと時でした。

終わって外に出ると激しく雨が降り風が吹いていました。

「お婆さんの様なお爺さん」とは もらい物のセーター。

2025年12月7日(日曜日)

以前ある動画で高田純次と上沼恵美三子が司会する番組を観た。ふとしたことから「お爺さんのようなお婆さん」が話題になった。すると「お婆さんのようなお爺さん」っているかしらと話が転んだところで,高田純次氏は突然お腹を抱えて猛烈に笑い出した。
「お婆さんのようなお爺さん」は彼のツボに完全にはまったらしくそれを繰り返しながら息も絶え絶えに笑ったのである。

確かに「お爺さんのようなお婆さん」は何となく想像できる。銀髪で短髪、少し怖い目のお婆さんなら居そうだ。
反対にお婆さんのようなお爺さんとなると、すぐには想像出来ない。小柄で背が丸く、ハナメガネでも掛けているのだろうか、どこか優しい顔が浮かぶが、果たしてそんなお爺さんているのだろうか、いるならどんな風にしゃべるのだろう。

高田純次が想像したのは摩訶不思議で大変可笑しいイメージだったのだろう。具体的にどんなだったのかは知るよしもないが彼は想像力豊かな人に違い無い。

ところで私は女物のセーターを2枚貰ったことがあり、いずれも気に入って着ている。

数年前、家内が貰ってきた手編みセーター。
サイズが合わなくて私がもらった。

25年前のある人のイタリア土産。
これもサイズの点から私へ渡った。
何度も直して今も着ている。

女性もののセーターを喜んで着ているうち80才をとうに過ぎた。セーターだけで言えば一部「お婆さんのようなお爺さん」である。今のところ特に可笑しくもなく有り難く着ているだけだが、運良く90ウン才になったなら、髙田氏が想像したように摩訶不思議で荒唐無稽なお婆さんのようになっているかも知れない。

樹下美術館の紅葉 再度の木村茶道美術館 唐椿(からつばき)という花。

2025年11月24日(月曜日)

長く暑かった今夏は紅葉には良くないと聴いていた。けれども頑丈な自然はしっかり秋の彩りをもたらしている。

本日東京からお客様が見えた。お茶の趣きが染み込んだ人なので木村茶道美術館をご一緒した。一昨日に続いて2回目の同館紅葉茶会。同じ催しを複数回か訪れるのは悪くない。

前回から二日経ってどんな花が生けてあるか、先回楽茶碗だったのを替えてみたい、利休の茶杓と水指の切り口を撮り忘れたので撮りたいなど、具体的な目的もあった。

同館が優れているのは私達に今日はどんなお茶碗で飲みたいですか、と聞いてくださるなど、対応が窮屈でない点が本当に有り難い。客人は西岡小十の唐津井戸、妻は三代徳田八十吉の色絵茶碗を、私は河井寛次郎の笹絵茶碗を所望させてもらった。

 

例年よりも色濃い樹下美術館の紅葉。

 

暖かな日で沢山ご来館頂いた。

さて柏崎は木村茶道美術館再訪です。

間もなく茶室という場所。
青々した竹と山茶花が爽やか。

以下サザンカ2種。

 

以下は茶室の話題。

 お花は「ハマギク」と「ウメモドキ」に変わった。
スタッフさんらが持ち寄ると聞いた。

千利休の茶杓と筒。左は寛次郎の茶碗。
茶杓は手に取ることが出来、
普通は出来ないことと、客人が驚いた。

利休の茶杓は軽く、節に小さな三角形の凹みがあった。小枝の跡であろうそれは茶室の気宇全体を吸い込むような急所ではないかと想像した。

白釉の李朝水指は鶴首の大徳利の首を切ってしつらえたと聞いた。切り口は金で整えられている。徳利の首を切って水指にするなど昔人の力の入れようには驚かされる。

帰路、庭に照明が点いた。
色々追加見聞し再訪して良かった。

家に着くと、前日妻が興奮気味に話した唐椿(からづばき、とうづばき)が玄関に生かっていた。初めて目にする花は長くしっかりした葉を沢山まとい、実に存在感がある。
出先でたまたまお会いした直江津のお茶人S夫人から頂いたという。才媛の夫人は茶道の真髄を理解され、分けても花への精通と活かし方は別次元な方。

一輪目。

 

別に貴重なつぼみが二つ。
必ず咲きますよと仰ったそう。

ああ唐椿という花があるとは、やはり長生きはしなければならない。凡人ならなおさらだ。

週末の種々。

2025年11月23日(日曜日)

今週末は二組のご夫婦が訪ねて来られた。一組は作日滋賀県からもう一組は本日東京からだった。滋賀のお二人には昨年末の京都、滋賀行きで大変お世話になり、思い出多い旅行が出来た。
この度は、かって深くお付き合いのあった方の供養に来県され、木村茶道美術館と夕食をご一緒した。

もう一組は本日到着した若い身内で新婚ほやほやの二人。静かな表情にあふれんばかりのエネルギーを秘めた両人と幸あれと願って夕食を共にした。

以下はまず木村茶道美術館から。

本席の一行書「大衆角雖多一麟足」
大徳寺116世管長・萬仭宗松筆。
萬仭宗松(ばんじんそうしょう)、
1325年没。

衆角雖多一麟足:いかに角付きの獸が多く集まっても聖獸である麒麟一頭に足りない→いかに多く凡人が集まろうと一人の聖なる存在を越えられない。

神山清子作
信楽焼き締め偏壺花入れ。
花:桧扇の実と西王母椿。

刻文李朝水指。
白釉の温かみと自由な文様が麗しい。

 

美術館の松雲山荘は紅葉の名所。
モミジ散る庭は晩秋の風情満点だった。

以下は新婚夫婦と一緒した今夜のイタリアンレストラン「ラ・ペントラッチャ」。

ダイナミックなピザ窯操作。

 

今日は若い夫の誕生日。

何かと忙しいが本日日中、かねて予約の米山水源カントリークラブを回った。このところ非日常的な食事が続き本日はゴルフ場で昼食を食べ夕食も外食。そのため朝食を抜き牛乳コップ半分と水分のみ摂取して家を出た。

かっての3分2しか飛ばなくなった。

前々から晴れの予報。朝は寒かったが風も無く芝生は黄色に色づき、草もみぢの眺めは壮快だった。シルバーティーから45、52で回り今年のゴルフ納めとした。
冬中、心身に気を付け、来る年も60数年目になるゴルフを続けたい。

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