樹下だより

本日偶々のお客様。

2023年10月19日(木曜日)

今日木曜は仕事休みの日。
いつもより早起きし、本日から始まる「絵付け陶芸三人展」で入館者さんに配る説明資料を慌ただしく作り美術館へと妻に渡した。

同展の初日だが展示と関係なく来られた団体さんや、東京→十日町のご実家を経て樹下美術館へと来られたご夫婦、昭和時代のヨット仲間A氏が寄られ忙しくも楽しい日だった。

わけても東京のご夫婦とは奇遇というほかないいきさつがあった。
詳細な説明には2021年11月19日の当ブログをご覧いただくのが良いのかも知れない。そこでは数年前のNHK放映「日本ぶらり鉄道旅」の大井町線で等々力(とどろき)に住む女性が取り上げられていた。

彼女は壊れた焼き物を修復される人だった。番組ではその作業が放映され、扱われた取っ手が破損したマグカップこそ何あろう齋藤三郎の作品だった。

修復の依頼主は「祖父が美味しそうにビールを飲んでいた器」だと聞いていると紹介されていた。そして本日ご実家の十日町を訪ねた後、樹下美術館に来られたご夫婦こそ、その依頼主さんだった。
陶芸ホールでお茶を飲みながら、お爺様が所有されていたという昭和20年代と考えられる色絵と染附けの湯呑もスマホで見せて頂いた。とても良い作品だった。
それが両方とも金継ぎで補修されている。齋藤さんの器はよく破損した。それだけよく使われたのだ。母も壊しては父に苦い顔をされていたが、仕方がない。

さらにご夫婦の姓から、もしかしたら齋藤三郎と遠縁同士かもしれませんね、という話にもなった。

ところで私の東京の最後の住所は大井町線「尾山台」で、修復は隣駅「等々力」の女性宅で行われている。くだんの齋藤作品は修復のため大井町線を行ったり来たりしたことになり、本日はその持ち主さんが突然お顔をだされ、同線の「緑が丘」のお住まいと仰った。
ああ緑が丘は私が尾山台の前に最も長く住んだ大岡山の隣駅ではないか。

そんなことから本日午後中、緑が丘は蒲田線(昔の目蒲線)だか大井町線だったかなど、忘れかけていた一帯の位置関係を思い出すのに頭が一杯になった。

お二人は裏手の田んぼに出られたり庭を歩かれ、帰り際に齋藤三郎の図録を求められた。
NHK放映後、拙ブログなどもあり、すっかり齋藤三郎ファンになられている様子が伝わり、破損マグカップが取り持った奇縁を何とも有り難く思った。

その後、昔のヨット仲間A氏が来られた。ちょうど残った柿を採ったところで、ベンチに座りスタッフに剥いたもらい茶を飲みながら昔話をした。
熊の話題になり、A氏が「今年は熊が柿を目当てによく里に下りている。県下のある地方では熊が寄るのを防ぐため柿の実を全て取るように言われているらしい」と話した。
夏中続いた暑さで山の食べ物が不足しているなら、そのような手段は本当に必要ではないかと思った。

何かと忙しい日でしたが、以下は庭に咲いている花です。

リュウノウギク。

ホトトギス。

次回はもう少し上手く写した花を出したいと思います。

明日から始まる「絵付け陶芸三人展」の準備をした。

2023年10月18日(水曜日)

本日総出で明日からの「絵付け陶磁器三人展」の展示準備をして終了した。

今年の陶芸ホールは「齋藤三郎 壺展」、「館長の写真展」、「館長の絵画展」、「篠崎正喜展」とめまぐるしく企画展を続けた。展示構想、撮影、告知、広報、搬入搬出などが連続し非常に忙しかった。

年だからもうのんびりするのが普通なら、私の場合、年だからこそ慌ただしくなるのを否めない。慌てるし疲れもするが、何よりも張り合いが前に進ませてくれる。

展示してみると、赤絵の黒岩卓実さん、色絵金銀彩の鈴木秀昭さん、九谷の正木春蔵さん、三人の作品は等しくとても楽しい。それぞれ色が冴えているうえ筆致に緻密、軽快、繊細など三様の個性があり、特異な作風が一貫し観ていて飽きない。

キャプションと共にケースに収まった場内を見ると、力作の迫力と作品の楽しさがホールに満ち、あらためてワクワクした。

展示作業の最後は照明。渡辺電気さんにやってもらっているが高い所の作業はいつも心配で気を揉む。

 

入って直ぐの黒岩卓実さんの大きな赤絵深鉢。肌色の柔らかな地に菊、蝶などが見込みに、独特の動物模様が胴回りに、いずれも速筆で描かれ、添えられる緑に大胆で味わい深い赤が冴える。入って左回りに黒岩作品が続く。

正面に近づくと鈴木秀昭さん作品に変わる。上掲は抹茶茶碗。いずれの器も宇宙や曼荼羅の形象が金・銀・色絵によって驚異的な緻密さで埋め尽くされ、哲学的な雰囲気が漂う、

 

 最後は山代温泉の正木春蔵さん。九谷の伝統と中国や半島の研究を土台として、独特の間と一種飄々とした文様がセンス良く描かれる。かって数回窯を訪ね、食事をご一緒したことがある。

お三人とも様々な雑誌でよく取り上げられ、東京はじめ日本各地の有名店の展示会は常に好評を博している。

陶芸室の18の展示台に38作品を展示しています。
年度末まで本展示を継続いたします。晩秋から初冬へ、日々変わる空を味わいつつどうかお寄りください。

篠崎正喜展が無事終了した ノートの絵。

2023年10月17日(火曜日)

8月17日から始まった篠崎正喜展が本日最終日となり終了した。長いお付き合いをした篠崎さんに10年ぶりに来館して頂き12日には講演会もしてもらった。

才能と汗の結晶である美しい作品は明日の作業で仕舞われてしまう。とても名残惜しいが何時か何らかの形でまた展示してみたいと思った。

入り口からの篠崎展。

 

奥からの篠崎展。

最終日ということもあっていつもよ少し賑やかにして頂いた樹下美術館。長野県から三度目の篠崎展に来られたご夫婦、髙田文化協会60周年行事以来のA氏。皆さまと楽しくお話しているうち車の一年点検をすっかり忘れてしまった。

本日丸テーブルのノートに以下の絵が描かれていたと妻が持って帰りました。

どうすればランチをしながらこんなに生き生きと描けるのでしょう。きっと小さい時から描くのがお好きだったのですね。

時雨ときどき晴れ、ときどき虹、そして紅葉へ、今年も秋らしくなってきました。本日ご来館の皆さま、有り難うございました。

今年の樹下美術館の柿。

2023年10月14日(土曜日)

樹下美術館の敷地で採れる果物が柿です。まだ幼い木ですが昨年初めて10数個収穫しました。今年は夏まで20個ばかりあったのですが、、暑い盛りにポトリポトリと実が落ち、8個が色づくまで残りました。

 

10月5日、8個のうちの2個。

 

10月9日、1個が鳥に食べられた。

鳥に食べられないうちにと思い、まず2個を獲り、数日家で陽向に起きました。

本日その2個を食べました。

 

パリパリとした歯ごたえのある甘柿。美味しく食べたが昨年より甘みが少なく感じた。
長く続いた異常な高温は柿にも影響したのでしょうか。残った実は今後昼食替わりにサラダとともに美術館で食べようと思います。

「真実は美しい」 面白く有意義だった篠崎正喜氏の講演会。

2023年10月13日(金曜日)

現在樹下美術館で展示中の篠崎正喜作品。独特の美しい色彩と手を抜かない描き込み、旅情とファンジーの画家の講演会が昨日午後終了した。

氏と知り合ったのは植物画を描き始めた頃なので25年ほど前になる。細密に描くことに苦労をしている時ネットで知りメールを交換、東京や横浜でお会いし、こちらにも二度足を運んでもらった。
ご好意に甘えて作品を求めたのが、念願叶いようやくこのたびの展示に到った。

よく晴れた昨日の駐車場。

演題は「生成AIと美術」。
氏は私より少し若いだけなのに美術や思想はじめテクノロジ-、環境や健康などについて深い興味と理解を有されている。AIについては頻回に氏のブログで取り上げられていて、それは瞬く間にChatGPT、生成AIへ、美術との関連へと展開されていた。

場内の様子。

 

講演される篠崎氏。

10年ぶりの氏は一段と個性を磨かれ独自の境地へと進化されたように感じた。当日自らトライし上書きを試みた映像を紹介しながら説明された。

 

生成AIは、丁寧かつ要点を絞ってプロンプト(指示、依頼)すること。一般的になってからまだ日が浅いため、興味さえあればだれでも等しくスタートラインに立てると強調された。

まだ生成AI作品には一種の欠落や錯誤が混じるがフォトショップで自分なりに修正を試みていること、未来とくに事物の劣化や荒廃などの表現が得意なこと、あるいは作品の所有権などにも言及された。

最初の方で、カウボーが荒野で馬をを駆るシーンをA・ワイエス風に描く要求に応えた絵が示された。砂塵舞う躍動的な作品で、なるほどなるほどと感心したがワイエス独特の静謐さは今一だった。

快活に語る氏の姿勢は印象的で、取り組みには「何より楽しむこと」が大切と明言された。

南国の海と島、着物の少女をオーダーした作品。とても気に入っているとコメントされ、鮮やかさは宮崎県ご出身だけある。
※上掲3葉は端の席から撮りましたため画面が歪みました、、、。

生成AIは色々やってみているが全体として「生活感」の希薄さが課題と仰った。

後段には自らの作品の解説と、在りし日の親族とのことを描いた自筆スケッチ、さらに街で出会う人々のスケッチ作品が多数追加された。

颯爽と自転車に乗る美しい脚の娘さんや主に赤羽駅周辺あるいはアメ横や電車内、あるいは横浜で見た人々の作品が供覧された。
アジアや中南米の人々、ダンサー、変なオジサン、美しい店員、部活帰りの女子高生、格闘家、変わったおばさん、風俗嬢、鎌倉の女性などなどが、「きれいでしょ」「可愛いでしょ」「面白いでしょ」と次々紹介された。
出会った場所ではなく帰ってからサッと描くという観察眼と記憶力(印象力?)、なにより筆力にはただただ脱帽。休憩を挟み納得と笑いが絶えない貴重な2時間だった。

振り返れば後段の亡き家族や街の人々のスケッチはただの自己紹介や作品解説では無かったのではないか。実は無双「生成AI」がなし得ていない、あるいはその先にある、またはアンチテーゼとしての「様々に匂いのある生活感あふれる作品」の提案だったのかもしれないとふと思った。皆さまは如何だったでしょうか。

終えて近くの「サブリーユ」で食事を一緒した。そこでも話尽きなかった。氏はかなり前から老荘思想、特に莊子が良いと傾倒されている。他方、量子力学への興味から下世話な世間話などへも広がった。
あああのように様々な範疇への興味と洞察、そして描くことへの情熱が混然一体となって氏独自の美しい作品へと昇華されているのでは、と食事を一緒した方が仰った。まったくその通りだと思った。

幼少から描くことが好きで、多くのパトロンが付いた氏の作品。それでも描くことより売ることのほうが遙かに難しかったという。

「真実は美しい」という氏の言葉が心に響いた日だった。

連休の事々。

2023年10月9日(月曜日)

晴れたり曇ったりの昨日と小雨の本日月曜日は連休だった。

昨日はひごろお世話になっているお二人と柏崎市は「石地シーサイドカントリークラブ」でゴルフをした。

初めての同コースは緑濃く起伏に富み難しい。誘って下さったA氏は同クラブのかっての選手。新潟県の選手権で何度もクラブチームを優勝に導かれている。

氏とは二回目だが、驚くほど飛ぶ。少し曲げても後のリカバリーが良く、同伴のB氏と終始目を丸くした。
各ホールの急所を説明しながら後半のアウトなどは38で回られた。同じゴルフでも私達とは次元が異なり、こちらは観客目線で楽しむというような感じだった。

変化に富み楽しかったコース。
54-50の成績でした。

本日月曜はスポーツの日の祝日。小林古径記念美術館で7月15日から行われていた「生誕110年 齋藤三郎展」が本日で終わる。
とてもお世話になっている小島正芳・日本良寛会会長さんがお見えになるので同展に行った。
ちなみに樹下美術館からも出展したこともあり三度目の訪館となった。

館長はじめスタッフ一同の努力によって充実した展覧会となり、本日も賑わっていた。発刊された図録も充実し、愛すべき一冊だった。
二代陶齋・齋藤尚明氏ご夫妻、宮崎俊英館長さん、コレクターの長瀬幸夫さんのお顔も見え、ひとしきり齋藤三郎を懐かしみ最終日を過ごした

尚明氏と小島先生が會津八一が揮毫した書き入れ陶器の皿を観ている。

一渡りした後美術館を辞して髙田駅まで小島先生をお送りした。道中先生の若き日、お勤めされた安塚の学校や、お住まいされた浦川原の話を興味深くお聴きした。

ところで樹下美術館は酷暑の真夏に比べ秋になり入館者さんが増えた。日中の外出を控えてと勧められるほど危険な暑さが続いたのだから仕方が無い。こうなると今後“芸術の秋”はますます鮮明になるかもしれない。

本日裏手の小さな水路が愛らしいミゾソバで被われていた。


みぞそばの陰にちろちろ水の音

 

 

行く秋を惜しんで花に取りつく蝶たち。何とは無しにその蝶と花を惜しんでいる自分。なぜだか「春秋」とは良く言ったものだとふと思った。

篠崎正喜さんの鉛筆画。

2023年10月6日(金曜日)

月並みだが歳月が早い。ついこの間まで暑い暑いが口癖だったのに、突然寒いというようになった。暦は9月を飛ばして一気に10月、それも本日6日を迎えている。

今月17日までの「篠崎正喜展」があと10日で終わる。本日は入場して直ぐ左の一角にある鉛筆画5点の紹介です。
広く澄んだ時間が柔らかに切り取られています、

ここに5点まとめています。

「六月の花嫁」
遠くの人影は新婚旅行の出発?

「午睡」
樹下美術館カフェの大作の習作。

「遠望」

「車窓」

上掲二作とも少年が遠くを見ています。彼らには翼がありますが決して不自然には見えません。遠くを見ていた青春時代の気分が蘇ります。

「異邦人」
大人になっても翼が。

かすかな耳鳴りだけが聞こえているような一人の時間。その時間にも何人かの人がひそかに一緒にいるのではないでしょうか。いずれの作品にも自然な旅情が感じられます。

10月12日(木曜日)15時から篠崎正喜さんの「生成AIと美術」のギャラリートークを致します。入場は無料、まだ少し余裕があります。美術の最も新しく切実なテーマではないでしょうか。お暇をみておいで下されば有り難く思います。申し込みはお電話でどうぞ。

樹下美術館 電話 025-530-4155

涼しくなりました 篠崎正喜展 絵本「青いナムジル」の原画から。

2023年9月21日(木曜日)

10月17日(火)まで開催の篠崎正喜展。およそ二ヶ月の展示は後半に入りました。ご好評を頂いている展示ですが過日妻から遠来のご夫婦のお客様のことを聞きました。

お二人は、それはそれは熱心に時間を掛け作品を観て行かれたそうです。長野県の東御市(とうみし)から二回目のの来館とお聞きしたということ。一回目は当地を訪ねたおよそ二週間前、たまたまサイトで樹下美術館を知り篠崎作品をご覧になったそうです。その際展示をとても気に入り早速二度目の訪問だったそうです。

さて本日は展示中の篠崎正喜作品から書物「青いナムジル」の挿絵「金持ちの娘」です。白馬と草原と青年ナムジルの物語で、かっての国語教科書「スーホーの白い馬」で知られるモンゴルの民俗楽器、馬頭琴生成の伝承をモディファイし童話作家寮三千子さんが物語として書き篠崎正喜氏が挿絵されています。

本日取り上げましたのは去る日の来館者さんが、作品の細部の描き込みに驚かれたのがきっかけです。

挿絵原画「金持ちの娘」。

 

娘の衣装の拡大。

 

女性の帽子部分。

いずれも中世絵画を思わせる鮮やかさですが、画家によるモンゴル衣装の研究成果ではないでしょうか。

話変わりまして以下は館内のお声ノートに残されている皆さまのメモの一部を掲載させて頂きました。

・とってもきれいだった。特に「この森に天使はバスを降りた」がとてもきれいだった。

・色の重なりがとてもきれいでした。素敵な世界を見ることが出来てとても楽しかったです。「海辺の街」が特に好きです。

・きれいで絵にひきこまれそうになりました。

・素晴らしい。好きな絵です。どんどん話がふくらんでいつまでも観ていられます。丸い。やさしい。人の目がいい(嫉妬している女の目でも)。動物の目や手足のフォルムに愛ががる。ユ-モアがある。どこかにいつもひとりを愛する(?)人がいる。きっとネコ好きでしょう。

・どうやってこの感動を買えるのだろう。

・絵のどうぶつがかわいいです。みていてたのしいです。またきたいです。

・昨年より絵本の読み語りのボランティアを始めましたので篠崎先生の作品に出逢えて本当に心より感謝申し上げます。

・本当に何度も足を運びたい美術館です。展示作品も驚くほどクオリティの高い作家さんでした。とても素敵です。有り難うございました。

 

本日は雨。ようやく涼しくなり“芸術の秋”の候になってきました。樹下美術館開催中の倉石隆の素晴らしいデッサンなどの「お嬢さん展」あざやかなファンタジー「篠崎正喜展」をどうかご覧下さい。

10月12日(木曜日)15時から篠崎正喜さんの「生成AIと美術」のギャラリートークを致します。35席の予定で入場は無料です。美術の最も新しく切実なテーマではないでしょうか。お暇をみておいで下されば有り難く思います。

今年前半(3~7月)の館内「お声」ノートです。

2023年9月16日(土曜日)

コロナになって以来3年間、館内の「お声」ノートを仕舞っていましたが、今春からまたお出しして、自由に記入してもらうようにしました。待っていたように皆さまに感想などを記して頂き嬉しい限りです。

129筆のお声コメントはまとめて樹下美術館のホームページ「お声」に掲載しましたのでどうかご覧下さい。ここでは以下に一部を掲載させて頂きました。
複数のノートからの抜粋ですから、時系列ではありませんが、宜しくお願い致します。

●桜の満開の季節に伺えて幸せです。踵の骨折がやっと…。歩ける喜び、大好きな昼の一時ありがとうございます。命の洗濯、来館の度心がなごみます。

●すばらしい洋食器コレクションでした。心が穏やかになりそうです。

●初めて訪問させていただきました。庭がとても美しく、久々に癒されました。窓からの風暖かく美しいです。カップも素敵、最近は心がすさんでとても悲しい思い。明日から又頑張れそうです。お花見こちらで出来て良かったです。お庭の妖精、館長さん一生懸命魔法をかけます。素敵な時間をありがとう。お庭、音楽とても素敵。

●ブログをいつも見ています。大好きな場所です。満開のサクラ良かったです。今日も午後からの仕事がんばれそうです。

●東京から来ました。とってもとっても癒されました。目線に鳥がトコトコ歩いているのが見れて、おだやかな気持ちになりました。また来させて下さい。ケーキとコーヒーも大大大満足です。こんな場所が近くにあったらな。

●埼玉からの友人を連れ来訪。どうしても連れてきたい場所だから…。3年ぶりに話がつきません。作品展楽しみにしています。

●七夕、館長の写真、素晴らしかったです。絵画も楽しみです。

●三度目の訪問です。毎回気持ちが豊かになります。

●大切な人と、共に素敵なひとときを過ごすことができました。

●4回目です。今日も大好きなケーキセット、念願の丸ごと桃のタルトをいただきました。すごく美味しかったです。スタッフさんともお話ができ、緑いっぱいのお庭に癒され、とても幸せな昼下がりです。いつもありがとうございます。毎日来たいくらいに大好きなところです。

●特急はくたかのファンです。在りし日の681系の姿になつかしい当時の思い出がよみがえってきました。またいつか、くびき野を疾走してほしいと願うばかりです。いつもすてきな時間をありがとうございます。

●今日、樹下美術館へ早めて行った。展示の最終日なのだ。前回1度拝見した美しい高貴な古いティーカップコーヒーカップの展示には圧倒される。こんなにあったのだと思う。ですから本日は人の少ない時間帯に来て、展示室のテーブルでおいしいホットドッグとダージリンティーを頂く目的であった。たった一人の貸切状態(実際に他のかた数人)での、ゆったりでした。豪華な昼食を見事な展示の食器を眺めながら一時を過ごした。他所の空間では味わえない、至福の一時でありました。

●初めて娘と来る事ができました。ゆったりとした景色を見ながら、普段なかなか話せない話ができました。今度はお茶の時間に訪れたいです。

●初めて来ました。展示写真の風景、特に夕焼けは美しいと感じました。美術館の雰囲気もとてもよく、落ち着き、ほっとできる空間と思いました。

●今日は抹茶をいただきます。すてきな器でとてもうれしいです。写真もゆっくり見て行きます。いつ来てもいやされがんばろうと思わせてくれる場所です。ありがとうございます。

●ステキな時間をすごせました。ケーキもコーヒーも美味しく、館長の上越の写真が心に残りました。ありがとうございます。

●七夕、館長の写真、素晴らしかったです。絵画も楽しみです。

●素晴らしい写真と美味しいケーキとコーヒーをありがとうございました。いやされましたし、明日からの仕事への活力となりました。また、お伺いいたします。

●we enjoyed your beautiful watercolors!

●my favorite painting way kobushi, it we very beautiful

●the painting were all very pretty!

●先生の作品すばらしい。次回も楽しみです。

●青田風米山さんのふもとまで 

以上様々なシチュエーションで展示やカフェを楽しんで頂き有り難うございます。心が和む、豊かになる、イヤされる、ぼーっと出来た、元気が出たなどと書かれているのを見ますと私の心も癒やされ元気がでます。

以下は丸テーブルのスケッチブックに描いて頂いた一部を掲載しました。

 

 

 

 

当館を訪ねると何かを描きたくなるようですね。見るのがとても楽しみです、また描いて下さい。

あらためて齋藤三郎さんの署名。

2023年9月13日(水曜日)

去る9月10日、前日に小林古径記念日館で開催中の「齋藤三郎展」のイベントの一つギャラリートークで話してきたことに触れた。

書いたは良いが見直してみると文の流れがまことに悪く、少し間(ま)を埋めさせてもらいました。どうかお許しください。

さて本日は齋藤三郎(以下三郎)の署名について前回のフォローです。署名という視覚的で一定の考察が必要な話題ですので少々写真を増やし記事を補完させてもらいました。

署名についてのトーク当日の要旨は、
1署名の変遷。2樹下美術館収蔵で制作年代の同定が難しかった二つの作品の署名について、でした。

まず1からです。
父の後を継いでコレクションを始める過程で最も関心があったのは、手許に無かった戦前作品でした。そもそもそのようなものが後になって手に入るものかと半分諦めていました。しかし何気なく古美術店や個人から求めたものが、後で戦前の作だと分かるようなことが何度か起こりました。
戦前の品はおしなべて地味な染め付けでしたので、求めてからじっくり見るのを後回しにしがちとなり、三郎といえば先ず色絵、もっぱらそんな考えでいたためです。

実際に戦前作品をしっかり確認出来たのは、2007年の開館直前、プロのカメラマンによる全作品の撮影作業がきっかけでした。収蔵品の全てを箱書きとともに観ていくなかで、昭和12~15年に相当する作品が三器あることが分かったのです。自分の迂闊さを反省し、若き日の作品との出会いを喜び、その品の良さと慎ましやかさにあらためて驚いた次第です。

以下はその中の一つ、当館で最も古い作品「染付菓子器」のとも箱と蓋の裏書きです。

図1:慎ましい杉箱、横一文字の紐(左)。右は「昭和拾弐年 秋 齋三郎 造」の裏書きと印。富本憲吉から独立し京都で作陶した年にあたり、「齋三郎」と名乗っています。

図2:文様はデザイン化された竹林で、鉄釉で縁を取る祥瑞(しょんずい)風の仕上げ(左)と、右署名「齋」。発色良い呉須の青と淡々とした署名の趣きが目をひきます。

この後の数年間、署名は以下のように大きく変わりました。

図3:戦前(昭和12年~15年)における染附作品の署名。少々奇抜で一種記号を思わせます。何故このように変わったのでしょう、とても驚きまた不思議でした。現在古径記念美術館に展示されている長瀬幸夫さん所蔵の「染附楼閣山水図菓子器」は同時代のものですが署名はさらに記号風でした。

時代は下り、次は昭和23年髙田に登り窯を築いた時の初窯作品です。

図4:初窯の署名二つ。「齋」は二つの作品でかなりニュアンスが異なっています。窯焚きでは半年一年掛けて制作したものを一気に焼成します。並べてみると同じ初窯でも印象が異なることが分かります。個人的には右のものが左よりも早いのではないかと思われました。

図5:初窯後によくみられる昭和20年代中~後半の署名例。流れるように素早く記されています。

図6:昭和30年前後(左)、40年代(中)、50年代(右)にみられる署名の例、

初窯以後、署名は太くなったり、「なべぶた」の下の省略が進んだり、脚(あし)に当たる「示偏(しめすへん)」が分かりやすくなるなど時代とともに一種単純化の傾向が見て取れます。

次ぎに要旨2です。前回触れた以下二作品の署名はどんな時代に相当するのでしょう。

図7:制作年代が不明だった皿(左)と鉢(右)の署名。

楷書風の書体、陰刻 丸囲みの三つの特徴が共通しています。これらには上掲してきた戦前(昭和12~15年)、昭和23年初窯およびその後の署名のいずれにも類似しない印象がありました。

何時のものなのか図録制作も進まず困っていたある日、髙田のお茶人から白磁の香合を拝領しました。底を見ると呉須で「初窯」の揮毫と楷書の陰刻「齋」があるではありませんか。

図8:葉文月瓷香合の署名。右はそのトレース(右)。

初窯にこんな署名もあったのかと驚くと同時に、図7は初窯にごく近い早期のものではという設定が可能になりました(実は逆に一時は晩年のものかもしれないと考えたことがありました)。初窯にごく近い時期となれば初窯以後とともに、その直前もあり得るのかという考えも払拭できません。これは大変難しい問題でした。

このことに関してかって三郎は本格的な登り窯以前に穴窯(あながま)を築いて焼いたようだという話を聞いたことがありました。あるいうは登り窯であっても正式な初窯前に「試し焼き」のような試行は無かったのでしょうか。色々想像をかき立てられました。
いずれにしても図8が出現したため図7のおよその目安が可能になりましたが、いまだに十分な納得に到らない課題です。

一方同じ初窯でも、三郎は昭和50年に新たな窯を築き二回目の初窯を焚きました。しかし本香合を入手された元々の方は昭和40年までに当地を去られているため、一回目の初窯であることに違いはないようです。

ちなみに昭和50年の初窯の署名を以下に掲げました。


さて図7、8の署名に関してもう少し話を進めさせてください。
2009年秋、長岡市の新潟県立近代美術館で「-版画と陶芸-あふれる詩心展」がありました。楽しい展覧会でしたが、そこで三郎の「呉須搔落牡丹文瓶(ごすかきおとしぼたんもんびん)」を観ました。当作品は齋藤筍堂編著「越後の陶齋 泥底珠光」の書物に昭和18年作として掲載されています。
美術館で観た作品は想像より幾分小さく感じましたが、美しいブルーの地に明瞭な線で牡丹が掻き落とされ、強い求心力を放っていました。

昭和18年と言えば三郎の藤沢市鵠沼(くげぬま)時代(昭和16年~18年)最後の年に当たります。樹下美術館の戦前作品はサントリーの創業者が宝塚市に所有した壽山窯時代を入れても昭和15年までです。鵠沼の昭和18年の署名は一体どんなものだったのか、見てみたい衝動がつのりました。

一両年経って許可を得て近代美術館収蔵庫の「呉須搔落牡丹文瓶」を拝見し撮影させてもらう機会が訪れました。
そこで見た「齋」は陰刻の楷書体、図7および図8とほぼ同じではありませんか。
昭和15年までの図3やその類似ではなく、とても驚きました。また手書きと思われる六角形が文字を囲んでいました。

新潟県立近代美術館収蔵「呉須搔落牡丹文瓶」の署名(左)とそのトレース(右)。

奇しくも同作品はこのたびの「生誕110年 齋藤三郎展」で現在古径記念美術館に展示されています。

作品を造った昭和18年に三郎は招集され中国へと出兵し足かけ4年大陸を負傷しながら転戦しました。昭和21年髙田へ帰国すると23年、早々に寺町で築窯です。陶芸への熱い思いを胸に焚いた初窯。記した署名は5年前、鵠沼で記した署名をほぼそのまま再現したものが含まれていたことになります。

これには戦場から生きて帰り再び作陶できる喜びと、5年間のブランクを自らの手で埋める感慨が窺えないでしょうか。よくもまあ、手がちゃんと覚えていたものだ、とこちらの胸が熱くなります。

さて長くなりました。
ジャンプを交えながら齋藤三郎の戦前の初期作品から戦後髙田の初窯およびその後の署名の移り変わりを想像をまじえ眺めてみました。
しかし述べたものはあくまで私個人の主観、学問でもなければ客観でもありません。また時代ごとの変化やジャンプには何か訳があったのかも知りたいところです。今後作品とともに署名を眺め、あれこれ想像して楽みたいと思います。

最後にこんな風に人前で話すことはとても珍しいので、当日古径記念美術館スタッフに撮って頂いた写真をもう一葉記念に載せました。ご参加の皆さ本当に有り難うございました。

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