明け暮れ 我が家 お出かけ
早春の大潟水と森公園 夕刻に旧潟町村小学校分校同級会。
上越市髙田で12度になろうという暖かな土曜日、午前の仕事の後大潟水と森公園を歩いた。
お目当ては数日前の地域の新聞に載ったミズバショウを見ることだった。数本の花が遠慮がちに開花しいるだけで、多くはまだ苞を閉じていた。
場所は小高い森に囲まれている場所は清水が湧いている。水は冷たそうだが、澄んだ色合いが気持ちが良かった。
公園の後、ホームセンターで買い物を少々。その後美術館で芝生に施肥。施肥はあと三分の一でこの度の終了の予定。次回は桜が咲くころにしてみたい。
午後6時から地元鵜の浜温泉で、小学1~3年生まで通った旧潟町村小学校分校の同級会に参加。
昭和24年、分校における小学二年生時の写真。
一学年一クラスで、数えてみると61人がいた。
後ろの校舎は立派でこれが分校とはピンと来ない。
実は私たちの旧潟町村には戦前小学校が二つあった。戦後、それが一つに合併され、もう一つは新生中学校の校舎になった。当然小学校に全生徒は入れない。そこで三学年しかない中学校の余った教室が分校として用いられた。分校へ3年間通うと4年生から本校へ通うわけだが、そのため分校とはいえ、立派な校舎(中学校)で写真を撮っている。
この変則は本校が分校の3クラスを吸収できるまでかなりの間、続いていたと思う。
さて本日の集まりは地元民ばかりが10人。みな認知症もなく、アクは抜け切って、ミズバショウが咲いていた清水のように澄んでいる。何の利害もなければただただ安心で、親戚でもなし、独特の気楽さを覚える。
出席している一人の男の話が出た。彼は母親に大変可愛がられ、入学式はおろか6年生まで遠足に母が付いてきたという。皆にはやされたが、私は初耳であり、貧しかった時代にそんな同級生がいたことにとても驚いた。立派な仕事を営む明るい人柄の同級生の話だった。
女子は、えこひいきをする担任がいて、いやだったと話した。自分のことで精一杯だった私は、いずれの話も全く知らなかった。
あっという間の二時間を終えてあっさり解散。この先も続けるか、話題になったが、参加者が8人になったら考えようという事になった模様。
冬の連休は急ぎ足で京都と奈良へ その4(庚申塔その18)奈良。
去る2月9日に上越妙高を発って出かけた京都、奈良行を三回に亘って記載させて頂いた。
疾風のごとく回った京都では曲がりなりにも社寺を訪ね、窓を眺め、二つの庚申堂を訪ねた。
2月11日、最終日の奈良は予め訪問先のメモをホテルのフロントに渡し、観光タクシーさんに予約してもらった。
9時出発の当日、最初は昨夜の奈良町庚申堂へ。前夜暗がりで見た屋上のお猿さんを確認して撮るためだった。
空を見ていた猿は二匹の小猿を抱いていた。てっぺんの三猿が可愛い。
貴重な仏を訪ねる前にお猿さん、運転手さんが笑っていた。
私よりも少々若そうなその方は生粋の奈良っ子。腕白時代は東大寺や興福寺の境内を遊び場とし、大抵の池で釣りをしたという。
才媛を奥さんに、どこか火野正平に似た雰囲気。訪問先の寺院と時代の裏表を知り尽くしている風にお見受けし、終始楽しませて頂いた。
興福寺へ。
東金堂で薬師如来と脇侍の日光月光の菩薩を拝観。菩薩のモダンな表情が印象的だった。
近くで見る五重塔。
遠目の優美さと違い、軒先まで吹き出すように組まれている斗栱(ときょう)が凄まじい。内陣に穏やかな釈迦三尊が安置されているという。
幾度となく焼失復興を繰り返し昨年再建なった中金堂へ、妻と運転手さんが歩く。堂内に本尊と釈迦如来、薬上と薬王の両菩薩が脇侍し、さらに四天王が固めている。元々は藤原鎌足が蘇我入鹿の打倒を祈念して安置したという如来。厳しい表情をしている。
興福寺は藤原氏の絶大な権勢をそのまま表すものというが、運転手さんは説明で藤原不比等を何度も口にした。どこか江戸っ子のような氏は「不死人」と発音しているように聞こえた。
国宝館の入場券。
圧倒的な千手観音菩薩に迎えられ、遠い存在だった阿修羅、沙羯羅(さから)、須菩提(しゅぼだい)の前に立てた。
眉が感情を目は意思を、唇が両方のバランスを取っている。ある意味みな私などよりも遙かに生き生きとしていて、話し掛けたい衝動に駆られる。技法といい、古代の人はかく微妙な像を良くも造ったものだ、とため息が出る。
東大寺へ向かった。
私たちの予定にゆとりがあったのか、間もなくお水取りという二月堂を丁寧に案内してもらった。
当日の松明となる竹が用意されていて、緊張感が漂っている。
竹は根を付けてバランスにするという。
大仏殿へ。これでも創建の三分の二という。いったい材の切り出し、運搬、削り、、、クレーンも無い時代、どのような足場を組み、如何なる滑車やロープを用いたものか。
大仏殿前の八角灯篭のうち、銅鈸子(どうばっし)の音聲菩薩(おんじょうぼさつ)。
齋藤三郎さんから頂いたらしい樹下美術館が収蔵する拓本の掛け軸。
大変丁寧に採られていて、こちらの方がすっきり美しく見える。
秋篠寺へ。
本堂。お目当ての芸妓天は力みが無く、恥じらいとも取れる表情が見えて親しみを覚える。
一時は大ブームとなりにぎわったという。
一面苔むす庭が美しい。随所に万両が赤い実をつけている。苔が欠けている所は万両が採られた跡だと、運転手さんが嘆いた。
続いて初めて伺う唐招提寺へ。
鑑真和上の命がけの渡来の物語は今日も心を打つ。
境内を和上の墓所へと向かう。簡素な泥煉瓦の塀が何故か懐かしい。
霊廟には中国の要人も訪れていて、日中の長い絆に触れることになる。想像以上に広い伽藍を歩いていると、天平の修行僧たちの明るい歓声が聞こてくるような気持ちがよぎる。
続いて最期の訪問場所、薬師寺へ。
昭和56年再興の西塔。
伽藍はただ美しいとしか言いようがなく、冬であることを忘れた。
休憩所に薬師如来の台座のレプリカが展示されていた(人物はレプリカではありません)。
裏側に回ると力神の下に白虎と青龍が浮き彫りされている。
この彫刻を拓本に採った風炉先屏風が樹下美術館にこれまたある。
長く実物を見たいと思っていたが、この度レプリカで見ることが出来た(金堂のこの二面は裏側にあるため上手く観察出来ない)。
昭和50年代後半だったか、新潟三越で薬師寺展があった。その時売り出されていた風炉先屏風(ふろさきびょうぶ)。売り上げは多分薬師寺復興に資されたはず。今まで自信がなかったが、ようやくこの目で台座を確認し、晴れて説明できるようになった。
最期に北のはずれ、通りに面した所で何本もの梅を見た。
この度の旅行で最も良い開花に出合った。
午後3時半ころに近鉄奈良駅でタクシーさんとお別れした。何事においても含蓄ある話をされる方で、とても楽しませて頂いた。
近鉄特急で京都駅へ。中学時代の修学旅行以来3度目の奈良行きが終わった。
到着した京都で1時間近く時間があり、駅ビルを楽しんだ。
昨年の九州旅行で初めて見てすっかり好きになった駅ビル。
前は西の高い所へ行き、このたびは東側へと上ってみた。
京都に続き、ようやく奈良を終了しました。わずか二泊三日の旅行でしたが、長々と連ねて恐縮しています。
このたび奈良では色々考えさせられましたが、薬師信仰の厚さから、病が如何に恐れられていたかを思いしらされました。
帰り来て遠き仏をおぼゆれば み影にそひし薬師白梅
また当時庶民はこの壮大な寺仏を参詣し拝観できたのでしょうか、と興福寺で運転手さんに尋ねてみた。
「とんでもない。不比等の権勢」と返された。
およそ文化は時間を掛けて上から下へと流れて広がる。
では今日我々は上にどんな文化を戴いているのだろう。
後からでないと分からないものなら、今見えないのも事実のうちか。
それとも超情報化時代、今見えなければ本当に何もないのか。
翌日追加:興福寺から東大寺への道すがら、変わった窓の建物がありました。
旧奈良県物産陳列所(奈良国立博物館仏教美術資料研究センター)。
明治後期、関野貞による設計で、国の重要文化財にも指定されているということです。斗栱を用い、瓦を葺き、蛙股(かえるまた)や高欄などの和の様式にイスラム風の窓をあしらうなど、大変凝った建物でした。
ここのことは予め調べていましたが、京都の本願寺伝導院の窓とともに目の当たりに出来て幸運な事でした。
“遊ぶ”と“稼ぐ”。
強い寒波が来ていてとても寒い。今年の不思議な事には、寒い割に大して降らず、今朝もも5センチばかりの雪がふんわりと積もっただけだった。
ところで昨日は多くの方が今冬運動不足をかこっていることを書かせて頂いた。それが本日来られた方は、犬がいるので寒いけれど結構歩いています、と仰った。確かにその通りであり、付け加えなければならない。
一方本日、「毎日遊んでばっかりです」、と仰る方がいた。但しこの場合の“遊ぶ”は、仕事をせず何かにうち興じる、という意味ではない。
往々にして皆さんは何もしないで“怠ける”ことを“遊ぶ”、と仰る。この言い方は他でも同じだろうか。開業当初、それを豪遊のことかと思い、お金持ちがいるんだなあ、と感心していた。
似たことで反語に近いものにも出合った。“稼ぐ”である。
「おまん、そんなに稼ぎなさんな」。
開業した最初の冬のこと、仕事を終えて暗くなった駐車場の雪掻きをしている時に言われた。声を掛けたのは通りがかった同級生だった。
それを聞いた時、自分はさほど金儲けに熱心ではないのに、誤解されているのかと思い、とても気になった。
後で“働き過ぎないように”という、いたわりだと分かるまで何ヶ月もかかった。
いずれも標準語だが一般的な意味を少し変えて使われている。聞きようによっては、大人の言葉づかいのように伝わる。子供や中高生時代には知らなかったので、帰郷して初めて聞いた時には少々うろたえた。
朝日池に集まるバードウオッチャー クリスマスローズ、ふきのとう、ルッコラ、夕暮れの海。
大雪の年でも、2月になると穏やかな晴れ間が訪れる。大抵一日だけで、長くは続かないが、日射しに強さがこもり、春遠からじを覚える。
昼食を摂ってから朝日池に向かったものの、白鳥もハクガンも居なかった。
でも池の堰堤にはずらりとバードウオッチャーの車が並んでいる。全国とは言えないが、新潟はじめ長野、群馬の隣県、関東、関西の車もある。付近の森にいるらしいオジロワシの出番を待ってい人も居るようだ。
例年集まる沢山の車。良いお天気なので、お仲間同士、鳥を待っている間も楽しいことだろう。
午後訪問診療をしたお宅でフキノトウを戴いた。右側の小さなのは私が樹下美術館の庭で取ったもの。
ほとんどよその人に採られるので、小さな残り物を有り難がってる。
お宅からルッコラも頂戴していた。うっとりするような早春の色だ。
夕刻の四ツ屋浜。こんな海をみていると、もう春と言ってもいいのかな、と思ってしまう。
樹下美術館の冬期休館は半分を過ぎた。例年ここまで来ると急に開館までの足が速くなる。
妻のことども。
昨夜半のいっ時かなり降っていた雪だったが、朝には止んでいた。幸い積雪はわずかで、地面が見えているところもかなりある。
今冬、予報では降る降ると言われながら海岸部は小雪のまま推移しいてとても助かっている。
そんな日頃、本日は妻の事どもを二つ。一つはお花、もう一つは昼食をあげてみました。
本日の昼食、熱いあんかけ五目麺。妻は何でも作り、本日も麺少なく具は沢山で、いつも感謝している次第です。
いつしか1月は下旬、現在3月15日の開館に向け購入した図書の資料を作っているところです。ジャコメッティやルオーの画集、ほか魅力的な川瀬巴水の版画を取り上げた別冊太陽などはお勧めです。小鳥や庭の写真集などを含めて10数冊を新たに準備しています。どうかご期待ください。
母校からホームカミングデーの記念品。
数日前に母校から包みが送られてきた。開けてみると色々と入っていて、昨年10月に行われたホームカミングデーの記念品だった。
「ホームカミングデー」とは大学が年一回、卒後25年と50年に当たる学年を母校に招待し、祝ってくれるイベントで、今年11回目ということだった。
誠に残念なことに当日用事があって出席できなかったが、この度記念品が届いた。資料を見ると対象者が64名で当日26名が出席していた(90名ほどで卒業しました)。
Golden記念表彰と書かれたプレート。
ゴールデンとは卒後50年生で、25年生はシルバーと呼ばれるようだ。
仕事場の机に飾っておこう。
同封された冊子とCD。
校歌(斎藤茂吉作詞)および当日の式の模様や学生時代のアルバムなどが同封され、ネクタイがプレゼントされていた。
ネクタイは百合をシンボルとした母校の校章が織り込まれている。
以下送られたCDからの写真です。
「昭和大学ホームカミングデー お帰りなさい!想い出の母校へ」の垂れ幕。
当日このようなものを見たら胸が熱くなったことだろう。
綿密に準備をされた大学関係者、同窓会、招待学年有志に心から感謝したい。
この度は50年は医学部のみ、薬学、歯学、保健の各学科は創立50年未満のため25年表彰者が招待された。
在校生による室内オーケストラの演奏。
式典後チアガールと応援部による卒業生へのエールが送られ記念の会食をしている。
基幹校舎と病院がある品川区旗の台へは学生時代は大岡山から大井町線で、病院時代には洗足池から池上線で通った。
母校は入学以来薬、歯、薬、保健の各部が次々に造設され医療系総合大学に成長している。
当時5棟程度だった旗の台の基幹施設は現在22施設棟に拡充され、都内および横浜の大学病院は3100余ベッドにまでなった。
学校のモットー「至誠一貫」をどれだけ実践できたか自信はない。
卒後50年、仕事を続けられたのは皆様のお陰であり、このたびは母校のお陰でもあると思った。
本日からブログ(樹下美術館館長のノート)の様式が変わりました。これからもどうか宜しくお願い致します。
本日は大変に寒い一日、髙田で最低気温-4,1でしたが、現在美術館で10㎝程度の積雪です。
荒天はご馳走なのか お年寄りの塗り絵 郡上八幡の葉なんばん。
ビュウビュウと吹き、ザアザアと降り、ゴロゴロと鳴った
日。
てんこ盛りの悪天候はもはやご馳走と呼んだ方が良いかも
しれない。
在宅訪問を終えてほっとした帰り道。
あるお宅では、夜間に賑やかな認知症の方の部屋を替えた
ら、声が響かず皆でよく眠れるようになったという。
新たな部屋とは家で最も良い部屋だったようだ。
あるお年寄りは最近塗り絵に熱心で、見せて頂いた。
お孫さんから色数の多い色鉛筆を買ってもらい、余計身が
入っている。
普段の手の震えが見られず、色使いも抜群だった。
とても可愛い方で、若き日を思い浮かべて描いていらっ
しゃるのだろう。
縞の着物の配色、襦袢、帯、帯あげ、帯留めなど細部の
描き分け。
あるいはドレスのピンクの部分の赤いフチ取り、顔の周
囲のこまやかでファンタジックな色処理etc、、、素晴ら
しいと思った。
本日水曜日は美術館の休館日。週一回、家で昼食を食べる
日だが暖かい素麺が出た。
右下の菜は過日訪ねた旧友が送ってくれた郡上八幡の「葉
なんばん」。
おふくろの味とあったとおり、使うと何でも美味しくなる。
国内には行きたい所が沢山あり、郡上八幡もその一つ。
お昼はささやかな味覚の旅でもあった。
ケヤキを切った。
日中は気持ち良い晴れに恵まれた本日、何十年の
懸案だった診療所のケヤキを切った。
その昔、幹は現在の三分の一ほどで、子供心に若
い木だと思っていた。
友達と遊ぶ時には決まってここに集った。
また新潟地震では近所の皆さんが出て来て、木の
回りに身を寄せたという。
後年診療所を移した時から、周囲は駐車場となり、
一帯に緑陰を作り景観を和らげた。
しかし毎年秋になると盛大に枯葉を散らし、葉は前
の道路を伝い遠くまで町内を移動、至る所に吹き溜
った。
以前は、菊作りの肥料に良いからと集めて帰る人が
いたけれど、今はそれもない。
通りの木はこの一本なので、落ち葉の季節に各お
宅の前を掃く町内の人を見るにつけ、申しわけない
と思い続けた。
あるいはそれほど広くない駐車場にあって冬期の除
雪に支障をきたした。
いつか切らなければならない、、、長年悩ましい課
題だったが今夏業者さんに頼むと、本日ついに切ら
れた。
見上げるほど大きなクレーン車と三人の人が来て手際よ
く安全に作業は終わった。
御神酒を注いで始まったが、そんなことでは済まないだ
ろう。
木には何とお詫びをして良いやら、本当に申し分けない
と思っている。
来年は古い女になるからイヤ そして憲法。
過日のインフルエンザワクチン接種で来られた女性は
平成元年生まれの方だった。
知っている人で、新しい元号の話になった。
すると、「ああ、やだなー」と言う。
聞いてみると、
「平成は自分の時代で、まだ若いと思ってるのに、そ
れが終わったとたん、古い女になっちゃう」
と仰った。
なるほど、今度は私の番である。
「それなら昭和二桁の私なんかどんなになるんだろう
」と言うと、「アハハハ」と笑われた。
仮に昭和48年、彼女と同じ30才に戻って自分の生誕年
を振り返れば、太平洋戦争を始めて間もない頃となり、
劇的に相違する。
一方彼女の生誕年、平成元年を見るとゲームボーイが
発売され、NHKの衛星第一、第二衛星放送が始まり、
セルシオの販売開始が見られる。
すでにパソコンの時代となり、工場にはロボットが唸り、
眺めは今とそう変わりない。
ちなみに自分が小学校5年生の頃、回りに居た70半ば
のお年寄りの誕生はおよそ鹿鳴館時代(1883年~)に
相当し、ルノアールが精力的に制作していた。
慌てて作った鹿鳴館は4年で無くなった(1883~1887年
明治16~20年)。
1883年、ルノアール。ダンス三部作から「田舎のダン
ス」。魂の入った芸術は今も色褪せない。
先の彼女が来年の今ごろ再び来られても、ちっとも古
くなく元気のままだろう。
ところで私の30年に残酷な大戦の天地攪乱があった。
当時の人生はいまよりずっと短い。
国際競争の中で人間はあせり、みな短気になっていた
のかもしれない。
何百万人の命が失われたこの国で戦後に憲法が変わっ
たのは自然なことだった。
比べれば前述の女性の30年は穏便で、最大の攪乱は
は東北大震災だった。一方国際間では、苦手とした賢
く根気のいる外交の堅持こそ求められたが、言われる
憲法の変更まで要する案件など本当にあったのだろう
か。
憲法の理念はなにがしかの私の価値観と良心の鏡とし
て子供時代から心に染み込み、もう一人の親のような
ものになっている。
だからそれに触れられそうになるとぞっとする。
人生は80年、90年と伸び、人の先は長くなった。
今憑かれたように憲法に手を掛け、折角の安寧を揺さ
ぶろうとするのは、一体何のためなのだろう。
庚申塔その5、ヒヤリとした雪の山道、光明真言。
今冬一番の冷えだったと思われる日。
三条市から折々来館されるご夫婦が午後お見えになっ
た。
舞子高原から山越えで十日町、松代経由で上越に出た
と仰った。
先般、私たちが魚沼行きで走った同じルートをこられた
ようだ。
途中の山越えは雪道で、怖い思いをして抜けて来たと
仰った。
スタッドレスタイヤにしたばかりで助かった、とも。
ご夫婦とご一緒の後、吉川区は尾神集落まで行き、源
地区などを回って帰るつもりで車を走らせた。
午後3時半近くの雨まじる中、道すがら庚申塔に出逢え
れば、晴れた機会に写真を撮ろうという目論見だった。
しかし目星を付けた場所に目指す石塔が無く、尾神集
落を右折し、村屋→国田を回って帰ることにした。
平場と違い、目指した場所は雪が積もっている。
集落に初冬の風情を見る余裕があった。
帰路、普通なら川谷、石谷、名木山、などと通過するはず
だった。
それがどうしたことか、いきなり大賀(おおが)への標識
が出てきた。
大賀?ここ出身の方と昔お合いしたことがあった、と思い
ながら進むと、名木山に出た。
名木山はこんなに近かったか?
何かおかしい、疑問がよぎったが石谷→川谷と現れる。
知っている方ならお分かりだと思うが、村屋の手前の直進
すべき三叉路を、下りに導かれて左折し、帰路ではなく山
に入って行く状況が生じていたのだった(後で分かったこ
とです)。
細い山道に入ってマイクロバスと出合う。おっかなびっく
りバックしてすれ違ったものの、かなり怖かった。それが
最後の対向車となった。
誰も来ない道が続く。ナビから集落らしきマークは消え、
道は一本だけになっている。何度か引き返そうとしたが、
自宅へのナビはそれと違う方向を示すようになった。
下るはずの道は上りが続き、いつしかかなり高い山道に入
り込んでいた。
スリップが怖くじわじわと極めてゆっくり走ったが、時折
後輪が振られる。
日は暮れ、見当が付かない雪の山中に一人取り残されたよ
うだ。
そろりそろりと走る道は盛んにくねって心細い。転落、遭難、
不安がよぎる。
ハンドルの手に力が入り、動悸が止まらない。
“南無大師遍照金剛 (なむだいしへんじょうこんごう)“
弘法大師空海への帰依が口をついた。
唱えは35年前父の葬儀で繰り返された文言だった。
“おん、あぼきゃ、べいろしゃのう、まかぼだら、まに、は
んどま、じんばらはらばりたや、うん”
一人の車中、どうかしていると思ったが繰り返した。
これも父の時に覚えた光明真言で、何とか言えた。
間もなくナビが“8キロ先は雪のため通行止めです”と告げ、
画面を動かすとずっと遠くに柏崎市の集落が出る。
家とは真反対、尾神岳の西を迂回して高い峠道を走ってい
るらしい。
遅きに失したが引き返す決心がついた。
自分のわだちを辿りながら、おっかなびっくり下っていく。
雪の山中45分の迷走、ようやく巡り会った民家。窓明かり
が嬉しい。
振り返れば、
下りを見つけようとしながらどこまでも上ってしまう。
間違っていると思いながらナビに沿ってしまう。
引き返そうとしながら進む。
夜間新雪の山道を老人一人、危うく事故になりかねない状
況ではなかったのか。
午後お会いした三条の方たちも怖かったと仰った。
日が暮れていたのでこの度はそれ以上に危なかったかも知
れない。
私も昨日冬タイヤに替えたばかりだったのだが,,,。
“平地は雨、山沿いは雪”の予報とはこういうことだった。
- 仏像、社寺、二十三夜塔、庚申塔
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- 「小3の凄まじい体罰」をお読みいただいて。
- 上越市八千浦中学校の皆さま。
- 小3の凄まじい体罰 その3 終章。
- 小3の凄まじい体罰 その2。
- 小3の凄まじい体罰 その1。
- 小学校に上がるまでジャンケンを知らなかったAちゃん。
- 台風直後の上野駅から大潟町へタクシーに乗る その2。
- 今朝方の雷雨 その昔、台風後の上野駅から大潟町へタクシーに乗る。
- 厳しい残暑のなか頸城野の稲刈り。
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- 気に入って頂いたほくほく線電車の写真。
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