ほくほく線電車&乗り物

21:30過ぎ北東の空の閃光は隕石? アートトリエンナーレのラッピング列車。

2018年8月13日(月曜日)

只今22;10ころ、大した事ではないかも知れないが、
とりあえず記載してみた。

今夜21:30過ぎ髙田インターからの直江津方面の帰
路、進行方向のほぼ正面(北東方向)にかなり大きな球
状の閃光が現れて消えた。
色は明るいオレンジ色でせいぜい数秒?の短時間、10度
ほどの高さで東から北へほぼ水平わずか下方へと流れた。

何だったのだろう?
流星ならばかなり沢山見ているが、それらとケタ違いの
大きさと明るさだった。
中空で消えてたが隕石だったのか。
ほかに見た人がいるのではないかと思っている。

さていつものような記載になります。
本日午前から昼まで激しい雨が降りしきり、大きな雷も鳴っ
た。
当地だけでなく、上越一帯、いえ全国各地で同様の気象に
襲われたと報道された。

1
雷雨をしのいだ堀川さんのテンセグリティ。

このところ美術館の入場者が増え、時にはカフェで席待ちが
生じることも起きている(勿論ひっそりしている時間も多々
ありますが)。

そして夕刻、いつものほくほく線はラッピング電車が通過し
た。

2

4
撮った一枚を拡大すると下段に「DAICHINO GEIJUTSUSAI」
と書かれている。窓の上下の黄色は樹木であろうか、鳥やう
さぎなども描かれている。

新潟県は十日町市、津南町で開催されている「大地の芸術祭越
後妻有アートトリエンナーレ2018」をイメージした列車だった。
デザインはコスチューム・アーティストの、ひびのこづえさん
が担当し、越後湯沢~まつだい間を1往復する臨時列車だが、普
通列車にも随時使用されている模様。

9月になったら私たちもまだ見ぬアートトリエンナーレに行く予
定です。

特別なことが無くても水田、山、海、雲、まして虹や電車があればもう。

2018年7月2日(月曜日)

台風7号が発生し沖縄に近づいている。
当地が影響を受けるのはせいぜい3日夜半かららしいが、本
日夕刻、早くも慌てた雲がざわついているように見えた。

IMG_4045
18;27頃の南の空。これが胃腸の内視鏡なら小さくても質
の良くない粘膜ヒダの集中所見に似ているものがあった。今夕
の雲はおよそ灰色のような紫のような赤味をおびるような何と
も言えない怪しげな色をしていた。

 

IMG_4102
18:45頃、東の方角に虹が架かった。日没が近いのでとて
も高い。
虹が架かった場所は煙っているが夕立だったのだろう。居た場
所でもいっときパラパラと降った。虹の間に右の高架橋に電車
が来ると良いのだが。

 

IMG_4155
18:57頃、残念ながら虹は消え、怪しげな雲が手を繋いで
作ったトンネルへと電車が通った。

特別なことがなくても水田、山、海、雲、まして虹や電車があ
ればもう十分という日が時にはある。

さてこのたび世界文化遺産に島原・長崎市が潜伏キリシタン関
連の地として世界文化遺産に登録された。
この春、妻ともにまことに珍しく旅行をし、訪ねた先が同地で、
思い出深く、遠くからこの度の登録を祝福させてもらった。
満員だった懐かしい島原鉄道はさらに賑わうことだろう。

それにしてもまだ19才の女子ゴルフ選手、畑岡奈沙は素晴ら
しい。
16年日本オープンをアマチュアで,17年はプロで2連覇する。
17年から米国を主戦場とし、先日米国でのウォルマートNWアー
カンソー選手権で優勝するや、このたび全米女子プロゴルフ選手
権のメジャーでプレイオフの末2位に入り、世界ランクを12位
にまで上げた。

夏雲の日、最後に現れた巨大な王冠?

2018年6月30日(土曜日)

今日で好きな6月が終わる。
6月の晴れ間に相応しく雲が活発だった一日。昼過ぎ、西風
に乗って様々に変化をしながら移動する積乱雲を水田から眺
めることが出来た。
夕刻まで髙田で二つの用を済ませ、再び水田に戻り電車を
撮ると、その帰路に素晴らしい雲と出会った。

 

1244
12;40頃の四ツ屋浜。

 

1255
夏雲を背景にほくほく線の電車を撮るべく田んぼへ。南の方角
に積乱雲がずらりと並んでいる。

 

IMG_1482
13:26頃、上り電車が大きな雲に向かって通過した。

 

1337
13:33頃,先ほどの雲が東へ移動して尾神岳の上にやっ
て来る。

 

1337’
雲の中ほどからモクモクと子あるいは核のような雲の塊が次
々と現れる。

 

1341
13;38頃,子の雲は前に出ていた雲を抜き、高く発達して
いく。

 

1353
13;39頃、更に右脇から現れた子(雲核といえばいいの
か)の雲が力強く発達してくる。

 

1354
13:50頃、その雲の頂に笠雲風のベールが掛かった。

ここで時間が来たため美術館へと向かった。

 

1406
すると西の方角に低い扇状の雲が現れている。こちらへ来れば
雨が予想され、美術館へ着くと遠雷が聞こえた。

 

1412
14;08頃、美術館から見た東方の積乱雲。矢印のように大
気の流れが雲を乗り越えているのが見える。
乗り越えていると言えるが、雲が抑えられていると言えるかも
しれない。

美術館で昼食とお茶をして上越市髙田は上越教育大学前の美術
店・深見美術へ行く。
途中夕立なのか激しい雨が始まり、先ほどの低い黒雲(積乱雲
の底?)に入ったと思われた。
深見さんでは修理をお願いしていた扁額を受け取り、美味しい
冷茶を頂き少々の世間話をし、陶齋の絵皿を見た。絵皿は大変
に良いものだったが、約定されていた。陶齋にはまだまだ出合っ
ていない良い品があることをあらためて知り、明日の希望とした。

お店の後、近くの新潟トヨペットへ。新車の一ヶ月点検を受けた。
14年間世話になったプログレと別れた後、4駆のプレミオに替
えていた。
3ナンバーから5ナンバーに、少し小さくなった車。色々と新し
いシステムが加わて戸惑ったものの一ヶ月を迎えて少しずつ
馴れてきた。
ディーラーさんの担当は良い人で親切、迅速。点検もスムースに
終了した。

 

1638
16:34頃、ディーラーさんのショールームで。激しい雨が上
がり、陽が射してくる。

雨降りの中、急いでおいとましたため深見美術に忘れ物をして
いた。取りに戻り再びお茶を頂いた。

 

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雨上がりの上越教育大学前の道。

 

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帰路の水田で尾神岳の左方にかすかな虹。

 

1806
18:02頃、尾神岳の西に大きな積乱雲。扇状に広がるカナ
トコ雲の形状になっている。

最初のほくほく線の場所へ戻る。

 

1823
18:19頃、下り電車。

 

IMG_3879
愛車と西方の雲。

 

1844
18;40頃の帰路の寄り道。南の方角に真っ白な王冠のよう
な、巨大な高坏か円卓を思わせる、いや形容し難い激しさと
一種神秘的な姿の積乱雲が現れていた。高さは1万メートル
に達していよう。

上掲18:02頃に見た雲の究極の形であろうか。
愛する6月の最後の日に異常なほど迫力ある雲を初めて見て、
一種自然への畏敬と感謝を禁じ得なかった。

色々なことがあるが、出来れば一日でも元気で長生きをすれば、
雲と言わず貴重な人や生物や、その出来事、現象に出会えるこ
とを知された一日だった。

夏と秋が入り交じっている。

2017年8月17日(木曜日)

前日の予報は雨だったはずだが、明けてみれば晴れて暑かった。
よく当たる予報が珍しく外れた。

1

ファインダーをはみ出すほどの稲と雲

 

2
食べれる時に際限なく食べるのは野性の本能であろう。
この若い雀の腹はもう丸くなっているが、まだ食べている。
胃袋のサイズを大きくしておくことも成長過程の一つ?

 

3

夕暮れの電車が晩夏を運んでる

帯状の雲は飛行機雲が変化したのか ほくほく線夕暮れ電車は童謡の世界。

2017年8月5日(土曜日)

日照りが続くようになり本日の気温は34℃に達した。
土曜日の昼の空も飛行機雲がよく見られた。

 

 

2

 

 

1
上掲の二つの雲は一続きで、西から東へとく長く連なっている。
太いスジが連続している雲は時間が経った飛行機雲であろうと
考えた。
暑さの中で空を見上げるのは暑苦しいがやはり雲は見てみた
い。

昨日飛行機雲がよく見える時の夕焼けはきれいになると書いたの
で心配だったが、今夕は華やかではなかったものの、優しい夕焼
けになった。

 

 

3

 

そんな夕刻、近くのほくほく線で夕暮れの電車を撮りに行ったが、
中々上手く写せない。

 

 

4

 

午後6時55分ころに上り電車が、7時17分ころに下りが来た。
ミニチュアか影絵のように見える電車はあたかも童謡の世界
を走っているようだ。

かってここを轟音とともに去った特急「はくたか」の迫力と較べ
るべくもないが、ローカル線ならではの詩情があり、親しめる。

アイスコーヒーとマンゴープリン 小さな花たち ほくほく線夕暮れ電車の旅情 ドアに指を挟んだ。

2017年7月11日(火曜日)

朝から合う人ごとに「暑い」と言ったが、口にすると何気ない者
同士でも普段より親しさを感じる。

しかし余りにも暑い暑いと繰り返し言う人には、その人こそ暑さ
の元ではないかと錯覚させられるので、言い過ぎには気を付け
たい。

IMG_0792
本日昼休みの美術館でアイスコーヒーとマンゴーブリン。

庭に出ると芝生の中に赤ちゃんのようなネジバナが一輪咲いてい
た。

IMG_0852
↑ネジバナの赤ちゃん。

普段阻害されている庭の西隅に行くとリュウノヒゲが紫色の小さな
花をつけていた。

IMG_0871
ネジバナもリュウノヒゲもひっそりと咲いていてむしろ涼しげだった。

 

ところで夕空が見応えあるのは晴天だけではなく、雲や気圧、気温
や湿度などの加減で心打つ日がある。

夕食後、良い予感がしてほくほく線の夕暮れ電車を撮りに行った。

IMG_1040
湿気の多い夕空を背景に電車が下って行った。(写真右から左へ)。
銀河鉄道の夜が思い出されて不意に涙が出そうになった。

夜間に痰を詰まらせた人の往診があった。
処置を終えて戻ったのは良いが、車のドアを閉める時に左手人差し指
の先を挟んだ。
ドアの指はさみは生涯二度目、ひどく痛んだが夜中になって痛みが薄
れてきたのでブログが書けた。

荒れ模様の一日 驚くべき昭和一ケタの人たち。

2017年6月21日(水曜日)

午前から雨模様となり畑をする人は口々に恵みの雨、と仰った。
およそ収穫の楽しみはタマネギ、ジャガイモから始まり、例年今頃
から苗の成長を見て枯れ始めたものから恐る恐る掘ってみるとい
う段取りのようだ。

良いと言う人より悪いと言う人が多く、悪いのは雨不足と日照の不
足が原因だという。

さて過日私より一回り高齢の方が、もう膝が滅茶苦茶と仰った。
嫁に来て未経験だった田畑の仕事を長年したのが第一の原因それ
に大家族で家事も尋常ではなかったらしい。
ちなみにお弁当は毎日9つ作った時があったという。
夜勤をする人には二つ必要だったとも。

もうお一人、同じく一回り上の方にご兄弟は何人とお訊きした時のこ
と。
「7人です、みんな女なんです」
「5女6女が生まれるあたりから一番上の姉は、もう嫁に行けないと
言って嘆いて怒ったそうです」

小生は5人兄弟で、戦争直後疎開で残った人達を入れて一時一つ屋
根の下に10人前後の人が住んだ時期があった。
当時風呂水、飲料水とも坂道を歩いて近所のつるべ井戸から天秤棒
の前後に水桶を下げて「水担ぎ」をした。
居候たちの誰も助けて呉れず、産後の義理の妹親子も居て洗濯物も
大量、毎日が地獄のようだったと嘗て看護師だった母が漏らしていた
(母は大正生まれでしたが)。

それにしても先の昭和一ケタのお二人の話は驚くべきもので、時代と
は言え絶句を禁じ得なかった。

 

IMG_9523
荒天の中、19:15過ぎに左方(西へ)下って行ったほくほく線の電車。
午後から強く風が吹いた。

 

新幹線の切符紛失と親切のリレー。

2016年9月14日(水曜日)

去る8月20日、終了近いルノワール展を観るため上京
した。
当日のことは何事も無かったように書いたものの、実は
出がけに一騒動あった。

北陸新幹線による上京だったが、妻が予め買っていた
私の切符を上越妙高駅で渡してくれた。
渡されたのは西口から入ってすぐのエスカレーター付近
だった。
自分はそれをワイシャツの胸ポケットに入れた。

ところが構内でお弁当や飲み物などを買い、いざ改札と
なった時、切符が無いのに気づいた。
胸ポケットに入れたはずだが無い。
他のポケットや持っていたポシェットにも無かった。
胸ポケットに入れたつもりが、もしやその外側を滑り落
ちたのか。

切符を渡された場所へ戻ったが見当たらない。
時間が迫っていたので、切符売り場の駅員さんに事情
を話して新たに切符を購入した。

車中妻の隣に座ったものの落ち着かず、高崎を過ぎて
しばらくすると検札があった。

「実は上越妙高駅で切符を落としたらしく、、、、」と
言い始めると、車掌さんは、
「はい、上越妙高駅でこの席の乗車券を拾った人が居て、
保管している、という連絡が入っています」と仰った。

車掌さんは連番の妻の切符などを見て、
「私の方で紛失の証明と下車願いの書類を作ります」と言っ
て去り、しばらくすると1枚の書き物を下さった。

IMG_5788
↑乗車券として使えるようにして頂いた書類(秘守事項に類する
箇所もありやと、モザイクにしました)。
拾得届け出や下車願い、切符の詳細が書かれていた。

東京駅では有人の改札口で書類を見せて通り、精算所に行っ
て買い直した切符の払い戻しを受けた。

紛失は損失を伴い気持ちを暗くさせる。
まして楽しみに出かけたなら同行者への迷惑も小さくない。
だが、このたび上越妙高駅で切符を拾った人が親切にも届け
て下さり、同駅駅員さんが列車に詳細を連絡し、受けた乗務
員さんが車内で適切に対応してくださった。

関わった三人の方の真心や連携によって、自分の迂闊な失
敗をフォローして頂いた事に感謝を禁じ得ず、一種感動も覚
えた。

洞爺丸事故と羊蹄丸。

2016年3月30日(水曜日)

去る26日は昭和29年、中学一年生の時に北海道は道南、木古内
へ行った事を書かせて頂いた。

その折り青函連絡船の乗船に触れた。
行き帰りはどっちだったか、忘れたが乗ったのは摩周丸と羊蹄丸
だったと思う。
なかでも羊蹄丸には間接的だがやや特別な印象が残った。

前回記した木古内行は昭和29年の夏休み。
その休みを終えた二学期の9月21日、青函連絡船「洞爺丸」の大海
難事故が起った。
台風通過の夜、躊躇の末出港し、まだ函館湾内にあって苛烈な暴風
に襲われた洞爺丸。
投下した錨が効かず鎖も切れて漂流。
なんとか浅瀬に座礁させ停泊を試みるも失敗、夜中に転覆沈没した。

困難な通信、関係者の思い違いなどもあって1100数十人の犠牲者が
出た。
洞爺丸はその夏、昭和天皇皇后の北海道ご訪問の際、お召し船の栄
誉に浴したばかりだった。

場所は七重浜。
函館を出た江差線は五稜郭、七重浜と停まる。
駅名や漁村らしい一帯の風景がよみがえり、当時とても暗い気持ちに
なった。

その夜混乱した函館湾内で4隻の青函連絡船ほか多数の船舶が遭難し、
一夜にして1400名を越える犠牲者を出す大惨事になった。

一連の経過中、同日青森側から出港予定だった羊蹄丸は熟考のすえ出
港を取りやめていた。
羊蹄丸は洞爺丸とは同期に製造された兄弟船の中の一隻だった。
羊蹄丸船長の判断は暗澹たる事件の中でわずかな光明として伝えられ
た。
特に羊蹄丸が少年時代の脳裏に刻まれたのも、このようなことがあった
ためだと思っている。

初代羊蹄丸
↑乗船した初代羊蹄丸(日本海事科学振興財団のホームページから)。

以下の切符は中一夏から5年後、高校三年生で再び木古内を訪ねた
時の帰路のものです。

切符と急行券
↑上は昭和34年発行の木古内から柏崎行き切符。
直江津まで行くより柏崎乗り換えで便利な列車があったのだろう。
下は翌日の青森駅発の急行券(羊蹄丸の発行になっている)。
三等乗車券630円、急行券350円、計980は今では信じがたい運賃だ。

洞爺丸の海難が契機となり、戦前からあった青函トンネルの構想が現実
化に向けて動いたということです。

上越地域の浮上にはほくほく線の頑張りも一つの鍵。

2016年3月16日(水曜日)

北陸新幹線が開業して一年が経った。

当地上越市はおしなべてめざましい効果が見られず、苦戦を強い
られている様子が伝えられる。
一方で北陸は躍進し、終点先の福井県や能登まで広く効果が波
及しているらしい。

ところで必死の上越市にあって、殆どの乗客を新幹線に奪われた
ほくほく線の社長インタビューは驚くほど余裕があり、明るいもの
だった。

“焦りはない。そもそも北陸はうちの娘「とき号」の嫁ぎ先、またJR
には一部線路を使わせてもらっている”
“当面争わず自分たち独自でやり、いずれ日本一のローカル線に
しますよ”
にこやかな笑顔は自信にあふれていた。
切実さばかりが伝わる中、社長の肝のすわり方に驚いた。
特急はくたかでたっぷり貯えた余裕がこの構えを可能にしているの
だろう。

映画、雪見、温泉、、、これらを車内で可能にする特別列車の構想?

デメリットの「雪とトンネル」をメリットに逆転させる壮大な秘策がある
のかもしれない。
トンネルと多くの高架線はともに雪に強い。
そもそも付帯インフラは日本一のスーパーローカルの地力がある。

ほくほく線が集客すれば直江津、さらに高田も人が回る。
さらに上越妙高から新幹線、あるいは佐渡まで周遊可能だ。
足がかりは同社が目指す「絶対価値」。
目先に捕らわれず視野を広くする事が大切なようだ。

この度の新幹線や九州の取り組みは出かける楽しさをさらに広げた。
本日はまれに見る貴重なインタビューだった。

ほくほく線特急「はくたか」が去って1年。
本社駅で行われた記念イベントも懐かしい鉄ちゃんたちで賑わったよ
うだ。

私も近くの田んぼから夢中で撮ったほくほく線特急はくたか」の勇姿を、
お別れ一周年記念に掲載させて頂きました。

008

016

063

067

107

085
↑別れが迫って愛車と記念撮影。

030
↑ラストランの日、感傷に包まれた直江津駅。

いまや影が薄くなった直江津駅。
その浮上にはほくほく線の頑張りが鍵になるかもしれない。

(恥ずかしながら小生が撮りましたほくほく線列車のポストカード4種を
樹下美術館で販売致してます)

 

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