倉石隆

倉石隆と「ネージュ・雪」と「珊瑚」。

2018年2月18日(日曜日)

樹下美術館で常設展示している画家倉石隆氏は、美術
団体では、自由美術協会を経て主体美術協会に所属し
ていましたが、個人的な仲間同士によるグループ発表
も行っていました。
これらの一つにネージュという名のグループがありま
す。
ネージュはフランス語で雪、雪国出身者である賀川隆、
倉石隆、末松正樹、舟見検二、筑波進、矢野利隆、
堀内菊二らの画家が集まっていました。
第1回ネージュ展は1972 年に「銀座・土夢画廊」で行
われ、倉石氏が亡くなった78年まで年1回、計16回
続けられました。

“倉石はグループ・ネージュの人達とのお付き合いを大
切にしていた”と夫人からお聞きしたことがあります。

ところで、まだそこここに戦後色が残る時代の若き芸術
家たちの日常の一端が、画家・堀内菊二氏の倉石隆氏へ
の追悼文「粉雪が舞う」の中に垣間見られます。

ー前文略ー私が倉石さんに初めて会ったのは、当時、自
由美術の先輩達の溜まる「珊瑚」です。未だ戦後の臭い
漂う池袋駅前には小さな酒場が群落のように密集する迷
路にあり、狭い店の中は、毎夜、画家、詩人、役者など
雑多な面々が止まり木にひしめき合う人間関係が濃密な
時代でした。
(途中略)そして倉石さん得意のシャンソン、TOMBE
LA NEIGE 雪が降る・・・あなたは来ない・・・の歌
声が聴こえてくるようです。

 


1963年発表、サルバトーレ・アダモ自作の「雪が降る」。
この曲も当時本当に良く聴かれ、また歌われました。
黒革のロングコートが似合っていたという長身、巻き毛
の倉石氏に、曲はピッタリだったことでしょう。
当時カラオケなどはありませんでしたから、倉石さんお
気に入りの流しがいて、彼が現れるとやおら立ってギタ
ーに合わせて歌ったのでしょうか(一度で良いから聴い
てみたかった)。

以下は同じく夫人のお話です。
画家仲間は池袋のバー「珊瑚」の常連だった。隆氏は遅く
帰ると「珊瑚では早く帰った人の悪口を言い合う。だから
悪口を言われないように、いつも最後まで居るんだ」とよ
く聞かされました。

以上のような倉石隆の逸話などは、樹下美術館が昨年11
月に発行しました「樹下美術館の倉石隆」に「倉石隆のコ
ラージュ」として7ページに亘って掲載されています。

2018倉石隆の展示は「瞑目する人」です。

2018年1月31日(水曜日)

寒さ続きで雪は融けないばかりか、じわじわと積雪
を増やし続けています。
節分、立春がそこまで近づいてるので、春の兆しが
欲しいところですが上手くいきません。

そんな折、3月15日の今年の開館に向けて、絵画・
倉石隆と陶芸・齋藤三郎の展示テーマが決まりまし
た。
当初の絵画は「細長い倉石隆」を考えていましたが、
変更して「瞑目する人」に致しました。いずれも数は
足りていましたが、新たな作品2点を加える事が出来
たためにそう致しました。

  2018年の倉石隆「瞑目する人」

倉石隆ファイル - コピー

 

本日は以下に8点の「瞑目する人」について頭部を
拡大してみました。

 

6464

 

4646

 

32●32●

 

4444

 

213-282x330213-282x330 - コピー

 

 

IMG_9077IMG_9027

 

8686

 

3333

倉石氏の人物は何か動作をしているとか、あるいは
複数人や群像などは希でした。
場所や風物などの特別な背景も描かず、ひたすら人
物(個人)に絞って描かれています。

動作がほとんど無い人物で動きが見られるのは唯一
表情でしょう。
しかしこのたびの「瞑目する人」では、それが顕著に
表われる目が閉じられています。

ここでは、作品の右側に頭部を拡大して並べそれぞ
れの顔を見てみました。

共通する静寂の中で、笑む人はいませんでした。
しかし瞑目の表情には沈黙、祈り、愁い、悲嘆、恥じ
らい、後悔、あるいは疲れなどのニュアンスが描き
込められていました。
作者は人物の、もっぱらその人らしさと負的な情感な
どの内面に惹かれて描いているように思われます。
さらにそのような内なる心と、その表出に至った「物
語」にも興味があったのかもしれません。
物語の詳細を知らない私たちは、その人がどんな人
で何があったのか、想像してみたくなります。

いずれにしても飾り気の無い心の現れを「真実として
美しい」と捉え、一生懸命描いていたと考えられます。
デッサンが非常に上手かった倉石氏のことですから、
美人を夢のように美しく描く事はいとも簡単だったにち
がいありません。。
しかし敢えてそれをせず、プロとして人間の「もう一
つの真実」に眼を向け探求した倉石隆氏に、ある種越
後人の美学(ダンディズム)、あるいは骨頂を感じるの
は私だけでしょうか。

齋藤三郎作品につきましては、近々掲載したいと思い
ます。

貴重な絵が再度もたらされた 時計 お客様。

2017年12月24日(日曜日)

昨日のこと、ある方から倉石隆の人物画が送られてき
た。
わずかに目を閉じた女性が描かれ、全体にホワイが掛
けられている静かなとても良い絵だ。
キャンバス裏に「まどろむ女」と記されていた。
ベールのような白が眠りに入ろうとする女性の意識の漠
然さを物語っている。

問題は制作年だった。どこにも年号らしいものは見当たら
ず、大阪フォルム画廊・東京店の売り札が一枚入っている
だけだった。
倉石は1984年と翌85年に同画廊で個展を行っている
ので、そのころの可能性がある。

 

2
「まどろむ女の顔」 25,5×22,2センチ。
きわめて薄く描かれているが、かすかな息遣いも聞こえ
るようで、実にリアリティがある。呼べば目を覚ましてこ
ちらを向きそうだ。

これは私の勘でしかないが、一目見た時から当館にある
一枚の絵とイメージがダブった。

30
図録「樹下美術館の倉石隆」No32「裸婦像」。
全体のほの青い色調が印象的で、どこか「まどろむ
女の顔」と通じ合うように思われる。
モデルのポージングは疲れる作業と聞いている。「ま
どろむ女」は休憩中のモデルさんが、うたたねをし始
めた時に素早くデッサンしたのか、と一人空想してみ
た。
髪の表情も何となく似通っているように思うのだが、
年齢が合わないかもしれない。

一方で私の母にとても似ていて不思議な絵だ。
ちなみに作品は寄贈ということで、楽とは言えない弱
小美術館は非常に助かり、感謝に堪えない。

さて本日24日はクリスマスイブ。「まどろむ女」は大
変なプレゼントだったし、失くしたと思って探していた
大事な時計が「電池を入れて帰ってきました」と言っ
て妻が差し出した。
いつ頼んだのか、実はよく覚えていないがほっとし
た。

3
人前でできる唯一の時計なので失くしたわけでもないの
に嬉しい。薄さが気に入っている時計はスカーゲン。

さて本日今年の最後という方たちが何組かお見えになり、
良いお年を、と名残を惜しんだ。
明日は新潟市から、初めてだが年内に訪ねたいと、言う
方たちが電車で来られるので、スタッフが犀潟駅に迎え
に出る予定。

お天気が悪そうですが、どうか道中お気をつけて
いらしてください。

冬将軍の足慣らし 図録は好調かもしれない。

2017年12月6日(水曜日)

昨夜の雨が今朝に雪となりわずかながら積もった。

1
仕事場の庭の雪化粧。

 

2
寒さの中勢いを増しているカニサボテン。

根雪となるまで冬将軍は如何にもそっと足慣らしを
する。
今年三回目の降雪だがこれまでいずれも数センチだ
った。
そのうち朝まで音もなく、いえ、耳を澄ませばすかに
スッスなどと言いながら沢山降ってくる。
テレビが猛烈な寒波と告げるころ、将軍が勢いづき、
数日にわたって吹雪くことがある一方、予報が外れ
てヘナヘナとなり、あえなく青空に覗かれることもあ
る。
「今年の雪は?」は今のところ挨拶がわりだが、冬将
軍は一体どんな顔をしてこちらを見ているのだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

先月、当館の作家の図録(収蔵作品の写真集)を上
市の関連店に置かせて頂いていた。嬉しい事に本
日売り切れた、と言って追加注文が入った。追加と言
っても5冊だが、真に有り難い。

現在まで10冊あるいは20冊を買い取って下さった
店もあって感謝に堪えない。美術館では20冊ほど
売れていると聞いた。内容や写真を褒めて頂くこと
があり、励みになる。
本には利益は無いが、作家と当館を知って頂ける
大きな作用がある。お求め下さった皆様には深く感
謝致してます。

心暖まった初冬の城下町茶会 糸魚川市と柏崎市へ図録を運ぶ。

2017年11月26日(日曜日)

本日日曜日、午前は風無く時折晴れ間が見えて穏やかだった。
そんな午前上越市髙田は百年料亭の名館「宇喜世」で第8回
越後城下町髙田茶会」があり参席した。

1
宇喜世の格調の門。

 

2
目にしみる初冬の紅葉。

 

3
香高く滑らかに練られた茶を頂いた宗皋先生の濃茶席。

 

4
爽やかな茶を美味しく服した宗泉先生の立礼の薄茶席。

翠巌宗珉の横掛け「露堂々」が掛かった濃茶席、井伊直弼の
「静者心自妙」の一行が掛かった薄茶席。
ともに静かな花とともに、大切に伝えられた好趣のお道具が初
冬の室内に美しく佇み、お菓子は茶を引き立てて止まなかった。

別室で心づくしの点心を頂いて帰路についた。
主催されたフカミ美術様、有り難うございました。

午後からかなり激しく雨が降ったが糸魚川市と柏崎市へ向った。
糸魚川市「酒井書店 東寺町店」 0255(53)2400
柏崎市「文化書院」         0257(24)2200

各店のご好意で齋藤三郎と倉石隆の図録を置かせて頂いた。

冬型がゆるむ 二冊の図録を市内に置かせて頂いた。

2017年11月21日(火曜日)

土曜日から数日続いた強い冬型の気圧配置が緩み、本日火曜日は
雲は多かったものの風は収まり少し気温が上がった。

土曜日の当地沿岸地域は初雪となり、夕方の車外気温は1度だっ
た。同時刻髙田まで行ったがそこは4~5度であり、雪も無かった。
いつもなら髙田方面は沿岸より雪が多いのだが、冬の始まりと終わ
りによくこのような逆転がみられる。

だがさすが11月の初雪は早すぎて、本日はすっかり融けて無くな
っていた。

 

 

171121四ツ屋浜
今夕の四ツ屋浜。中部電力の火力発電所から上る蒸気が層雲となり、
上空に漂っていた。

悪天の週末、髙田方面を回り、このたび発行した「樹下美術館の齋藤
郎」および「樹下美術館の倉石隆」を以下の書店およびギャラリーさ
んのご好意によって店頭に置かせて頂きました。

上越市本町3丁目1-11「大島画廊」電話025ー524ー2231
上越市本町4丁目1-8「春陽館書店」電話025ー525ー2530
上越市本町4丁目1-6「遊心堂」   電話025ー526ー4887
上越市本町5丁目2-2「ギャラリー祥
電話025ー522ー8778
上越市大学前76「フカミ美術 大学前ギャラリー
電話025ー523ー1815

お近くへお出かけの際はお訪ね頂き、どうかお手に取ってみて下さい。
近々妙高市、糸魚川市を回るつもりです。

本日初雪 昨日倉石隆の「晩夏(向日葵)」

2017年11月19日(日曜日)

何日も前から出ていた予報通り昨日に続いて本日日曜日は
荒天となり、初雪を見た。

IMG_2575
午後の樹下美術館。11月中旬にあられが降ることはよくあるが、
白く積もって初雪と言われるのは早い方だ。

さて昨日、倉石隆の貴重な作品が寄せられた。

IMG_2567
「晩夏(向日葵)」。1985年
72,5×35,0㎝。
額装も素晴らしくさっそく撮影しました。

同年美術ジャーナル画廊における個展に出品された作品
で、1995年9,10月の新潟市美術館における「倉石隆展」
にも出展されている

昨日作品を観たおり、一瞥で深い感動を覚えた。
はかなげに描かれたひまわりは俵屋宗達の墨絵の如き幽
玄な味わいを漂わせていた。
較べて背景の暖色の何と優しいことだろう。夏を終えて葉は
しおれ、茎は細り、まことに頼りなげだ。だが実った花は十
分に油を含ませた筆で艶やかに力強く描かれている。
人物画の画家は枯れた花にも命の活動を実体として認め
、心込めて描いている。

このような倉石作品に出会えるとは思ってもみなかった。
来年の展示テーマを「細長い倉石作品」にしよう、と考えてい
たちょうどその時、本作品がやって来た。
刊行した図録に載せることは出来なかったが、来年は良い
場所に送り主の真心こもったこの美しい絵を掛けたい。

齋藤三郎と倉石隆両氏の図録が完成して。

2017年11月14日(火曜日)

樹下美術館は今年6月に開館10周年を迎えた。
当初から美術館はたとえ小規模であっても、樹下美術館
の如く60坪の微少でも、収蔵作品の図録刊行無しには使
命を果たし得ないのでは、という概念があった(半ば脅迫
的に)。

それで開館に先立って2007年春から早々に作品写真を
用意し始め出来れば初年の内にもと考えて仕度を始めた。
だが中々うまく行かなかった。
これで良いだろう、と草稿し印刷所に出し、戻った校をあら
ためて見ると、直しが必要な箇所だらけ、文章もまずけれ
ばレイアウトも駄目の繰り返しが始まった。

いたずらに時が過ぎ、5周年、7周年など節目を目指したも
のの完成せず、最終期限として切った今年6月の10周年を
迎えた時点でようやく完了が見えた。
この間繰り返された変更、追加、修正は果てしなく思われ、
後半は思い切って分量を減らし終了が可能になった。
このたび齋藤三郎、倉石隆ともに500部を刷った。

 

1'
「樹下美術館の齋藤三郎」  A4 72ページ 齋藤尚明(二代陶齋)
氏の監修を求めた。

 

1''
「樹下美術館の倉石隆」 A4 57ページ 巻末に「倉石隆について
の言葉のコラージュ」を付けた。

 

 

3
「樹下美術館の齋藤三郎」から

 

4
「樹下美術館の倉石隆」から

 

 

5
齋藤三郎の初校と表紙  2012年

 

6
齋藤三郎の変更表紙 2014年

 

7
倉石隆の提出初稿 2013年

 

8
倉石隆の変更表紙と再校 2014年

 

9
倉石隆 最終9校までの原稿及び印刷校。

 

10
齋藤三郎の最終12校までの原稿および印刷校。

 

11
ありし日の校正。

作品撮影から10年掛かったが、悪戦苦闘ではなく正直
怠けて先に延ばしていただけではなかったかと、振り返
られる。
出来たものを見ると5年前、3年前のものはさらに稚拙で、
当時出さなくて良かった、と思わずにはいられない。

予想以上に年月を要したのは何より作者、作品に対する
自分自身の理解不足、その一言に尽きる。
正直途中私に不相応、あるいは荷が重すぎると考えられ、
無理ではと思うこともあった。
それで昨日完成したものの、明日にでも生じる直しへの不
安を払拭できない。

図録は当館の責務そのものだが、拙くも出来たものを目の
当たりにすると、勝手ながら当地ゆかりの芸術家に対する
ささやかな顕彰、あるいは一ファンとしてのオマージュだっ
たのかという思いがよぎる。

一つの節目を終えて、あらためて樹下美術館と二冊の図録
の無事な前途を祈らずにはいられない。

図録は時間が掛かったため及び小ロットのため、
「樹下美術館の齋藤三郎」は一冊2400円+税
「樹下美術館の倉石隆」一冊1900円+税

と高額になってしまいました。
美術館で販売を始めましたのでご来館の際にお手に取って
ご覧頂ければ有り難く思います。

また後日上越市、妙高市、糸魚川市の書店、ギャラリーさん
の何カ所かに置かせて頂く予定です。

倉石隆の「(人生)」 大洞原の大根 お客様から姫リンゴ。

2017年11月8日(水曜日)

本日午後からポツリポツリと始まり夕刻までしっかり
降り続いた。さらに夜間雷がゴロゴロ鳴ると強い風が
出てきた。

列島にそって長く伸びていた高気圧がプツリと切れ
て、好天だった空がにわかに冬型に変わった、と予
報が伝えていた。

そんな日のお客様はちょうど10人で、4人の方が展
示をご覧になり、9人の方がお茶の飲まれた。
居あわせた男性は東京の方で電車の待ち時間か、
犀潟駅から歩いてこられていた。倉石隆の絵をご一
緒した。
「人生」と「詩人」に長く足を止められた。
とくに「人生」をじっとご覧になり、この絵は晩年の作品
ですか、と尋ねられた。

22●
「(人生)」 1957年 90,9×72,7㎝

上京後、貧しく苦労をしていた比較的若いころの作品です。
苦しい自分を揶揄するように描いたと思います。ご本人は
とてもハンサムな人ですが、美しいだけの絵は描きたくない、
と生前仰っていました、とお話しした。
お客様は、晩年に人生をこのように振り返ったのであれば
つらい絵になる、とお考えだったようで、
「なるほど、色々考えさせられる絵ですね」と幾分ほっとした
風に仰った。
以前ここで書いたように大学生になったばかりの若者も、こ
の作品の前で、これが人生か、凄いなと唸っていた。

次第に雨が強くなり、お客様が見終わる頃合いでスタッフが
車で駅までお送りした。
館内のノートに好意的な感想を残されていた。

 

さて大洞原のお土産の大根は煮物になったが、漬け物も予
定されている。

 

2
午前の大根。

 

3
昨日お客様から頂いた姫リンゴはそのまま絵のようだった。

お天気が庭の冬仕度をせかせて落ち着かない。

台風前の本日大洞原を訪ねた。

2017年9月16日(土曜日)

過日、妙高市は関山、大洞原のトマトとトウモロコシを頂戴した
ことを書かせて頂いた。
倉石隆の絵に素描「草原開墾」と油彩「妙高」があり、同所では
ないかと思われ、トマトを食べて以来無性に訪ねてみたくなっ
ていた。

以下は倉石隆の素描「草原開墾」から。

1'
働く男女とハンモックのようなものがペンで描かれている。

2'
上掲の女性を入れて大勢が描かれ、わずかの水彩で着色さ
れている。
ここが大洞原だったとすると、描かれた人物たちは一日一日
が精一杯、観光化されるまでになった今日の様子など想像だ
に出来なかった事だろう。

調べてみると現在同所にハートランド妙高という施設あり、本日
昼そこへ電話をして場所を確認し妙高山が見えているか、も尋
ねた。
山は見えているということで、仕事を終えた午後車を走らせた。

1
トマト畑と向こうにハートランド妙高。

2
トマト畑は至る所にある。

4
開墾地らしく石ころが小道脇に集められていた。
火山の山麓ゆえ岩石との格闘だったことだろう。

5
トウモロコシ畑で、竿に繋がれた鳥追いのカイトが舞っていた。

6
曇天の妙高山と爽やかなソバ畑。

以下は倉石隆の「妙高」 41×31,5㎝。

3'
手前に描かれたものは判然としないが、良く晴れた山は本
日訪ねた場所からの眺めに似ている。
明るく南を向く妙高、数個の雲と原野、あらためて良い絵だと
気づかされた。

スケッチと油絵が同じ日のものとすれれば、この日倉石
氏が訪ねて描いたのは大洞原とみて間違いなさそうである。

氏が髙田にいたのは昭和25年(1950年)まで。
大洞原の開墾は昭和24年からだ。
わざわざ訪ねたなら、当時開墾は大きなニュースになってい
た事が考えられる。
「草原開墾」の題から、一帯は広大な草地あるいは萱場のよう
な場所だったのか。
いずれにしても開墾は始まったばかりだった。

敗戦後、厳しい世相下に於ける豪雪地の開墾は、運命への挑
戦だったであろう。
苦しい生活の中、再上京のことなどで葛藤が想像された当時
の倉石氏にとって、晴れた妙高山と精出す入植者の姿は、心
奮わせられる光景だったのではないだろうか。

 

7
本日路傍のハギと向こうのソバは秋の風情そのもの。
一帯から見て東に昇る満月などは美しかったにちがいない。
開拓団の人々は、月の日ばかりは疲れを忘れ、なにがしかの酒で
喉を潤したことを想い願いたい。

帰路、国道の直販センターに寄ってミョウガ、枝豆、トマト、ハリハ
リ漬けなどを買った。

11
大潟区潟町の祭で、知人宅からお赤飯を頂戴した。

夕食にセンターで買った野菜が出て、妙高の土と入植・後継の人
々による渾身の恵みを堪能した。

2018年9月
« 8月    
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30  

▲ このページのTOPへ