聴老(お年寄り&昔の話)

お年寄りの元気 「空気ぐすり」。

2021年12月15日(水曜日)

50年前は60~70才代であれば長生きのうちとみなされていたと振り返られる。
近年は80~90へと上がった。出来ればあまり必死にならなくとも、そこそこの留意で到達するなら幸いであろう。

中には幾つか重い病を越えた後はじめて安定した生活に達せられる方もいる。また単に長生きだけでなく、認知症が無いか、あってもほどほどという点を望みたいところだ。

日常お元気な方達によくみられるのが、何かしら興ずるものがあることがその一つとして挙げられる。
以下比較的元気なお年寄りがされていることで、いささか意表を突かれたことなど挙げてみました。

●ゲーム

90代後半、この方のゲーム歴は3、40年と長い。
「お前のうちのばあちゃんは凄いな、負けるわ」
と遊びにくる孫の友達が口々に言ったそうだ。
ことごとくクリアするので実際叶わなかったらしい。

●ドリル
娘さんに添われて受診される90才を越えたおばあさん。
自歩され、元気なのは日々のドリルのせいかもしれない。国語は3年生、算数は2年生のものに黙々と取り組まれる。
終わって新しいものが届くのが楽しみだという。しゃきっとして明るく、自然な表情が素敵だ。

●空気ぐすり
90才なかばになられたお爺さんの話。
老人は地域事情や歴史に詳しく古文書などを読まれる。長年掛かりつける医師は少し若いがやはり90才代、お茶人で同じように古文書に興味をお持ちだ。

受診を兼ねた訪問は待ちに待った時間で、上がってお茶を飲みながらのひとときは至福の様子。
受診の日、老人は医師が喜びそうな話題を考え、医師は客を喜ばせようとお茶や掛け軸を用意して待っている。

ある日老人は一案を思いついた。
「空気ぐすり」。
その日、錠剤、散薬、水薬、軟膏、湿布など薬は色々あるが「空気ぐすり」というのはどうかと、老医に持ちかけた。先生も乗り気になり、二人で真剣にアイディアを巡らせた。
方法は風船で一致。診療所の空気を入れることにして、後は一生懸命効能を考えた。
結論は「長寿でも何でもとにかく良く効く」と詠う。一番大事なことは「効くと信じて吸うこと」の服用法が決まったらしい。

背を丸くした二人の老人の様子は仙境を思わせ、誠に幸福な光景として浮かぶ。
しかしこのような境地は一朝一夕に達するものではないのだろう。
それぞれ長年の様々な問題を越え、いつしかユーモアもにじみ今日へ到ったにちがいない。

“ともに話せる面白い話を考えて会う“
これは出来そうで中々出来ない。
「空気ぐすり」は傑作の一つではないだろうか。

さて本日で樹下美術館は今年の開館を終了しました。
美術館として先ずは1年無事に過ぎたことを皆様に心から感謝いたします。

この数日名残を惜しみ、お茶など毎日お寄りになった方が何人もいらっしゃいました。私達も本当に名残惜しいのです。
来年度の開館は3月15日です。

拙ブログはこれまで通り精一杯続けたいと考えています。どうか今後も宜しくお願い申し上げます。

雑木林の空き地はあるご夫婦の畑跡 白鳥たちは温かすぎる気温に困っているのでは。

2021年11月21日(日曜日)

例年ならば時雨れたりアラレが降ってもおかしくない今ごろ。
本日も温かく穏やかな日和だった。髙田で最高気温が17度の模様。
暖かさ続きは有り難いが少々不気味でもある。空の不順は仕方がないが、この先昨冬のようなドカ雪だけは避けてもらいたい。

そんな日曜日、午前は部屋の掃除や片付けをして午後は美術館の後、大潟区の「鵜の池」へ出かけた。周辺の鳥を見るためだった。

 

途中雑木林の空き地にびっしりとセイタカアワダチソウ。
草の背丈はまだ低く、眺めは清々していた。

ここはある年配のご夫婦の畑跡で、お二人は自宅から1,5キロほどのこの場所へ自転車やリアカーで通って来られた。畑を止められて10年は経ち、お二人とも数年前に亡くなられた。冬に草が枯れ、春は周囲の雑木林に小鳥たちの声がこだまする。

以下は鵜の池で、過日の朝日池のすぐ西隣。北側は県立大潟水と森公園になっている。

 

本日はざっと見周辺の田に白鳥の姿は無く、鵜の池の遠くにひとグループがいた。

 

午後2時半ころ、突然白鳥(コハクチョウ)たちが次々に降りて来て群に加わった。

 

 

 

コウコウと頭上で鳴き、降りるとまたコウコウと鳴く。
「コウコウ」は「幸幸」と聞こえ、大勢で鳴くと遠くまで良く声が届く。
15羽ほどだった群は最後には150羽ほどになった。

以下は鷺です。

 

 

 

鷺は警戒心の強い鳥ですが、じっとしていると近くへ来ることがあり、優雅な姿が見られました。

ところで今年の白鳥のことです。
例年なら日中は夕方暗くなるまで田んぼで食餌をします。それが過日の朝日池および本日の鵜の池、ともに昼から池に居たり、早々と池に戻るなどをしていました。

今年のように昼間から池で白鳥を目にするのをとても奇妙に感じました。
もしかしたら今秋は温か過ぎ、田んぼの冬鳥は長く体が持たないのかも知れません。それで早目に池に戻り、温まった体温を冷やすのではないか、と考えてみた次第ですが、いかがでしょうか。

お年寄りの昔話その2 「父の戦死で」。

2021年6月30日(水曜日)

カラ梅雨ぎみに推移していたところ、夕刻にいくつも遠雷が聞こえ、1時間ばかりしっかりした雨が降った。
例年この時期、鉄砲百合は咲いて香っては、可哀想なほど雨に痛めつけられる。
しかし今年は雨が少なく、先の予報も曇り時々雨の程度が示されている。今年くらい、百合たちはあまり雨にいたぶられず安心して咲いてもらいたい。

さて昨日のお年寄りの昔話の二回目です。ある奥さんからお聴きしたのはお父さんのことでした。

私は父母の最初の子で、2才になる前に父は招集され仙台の連隊に入った。昭和19年、母は2才になった私を連れて仙台まで父に会いに行った。しかしその後、戦地に向かうため父が乗った船は途中で撃沈され、父は戦死した。
仙台で会ったのが父との最後だった。後々母は再婚したが、私はその相手をずっと「お父さん」と呼ぶことが出来なかった。だが結婚して子どもが出来ると、みなと一緒に義父を「おじいさん」と呼び、初めて親しみを覚えるようになった。義父は早く亡くなったが、長く「父」と呼ばなかったことを今でも後悔している。

 

百合のつぼみで雨を待っているアマガエル。
黄色の花はいま盛りのレダマソウ(連玉草)です。

お年寄りの昔話その1「髙田の言葉」。

2021年6月29日(火曜日)

去る5月18日から始めた高齢者の個別ワクチン接種が、昨日当初の予定6週間を終了した。但し注射器が途中で1バイアル5人向け→6人向けに変更されたため、その人数調整として7月2、3日に6名ずつの追加分が残っている。

その間3日は通常の仕事だけで、ようやく接種のお休み日が巡ってきた。本日その初日で昼寝をし、心身が軽くなるのを感じた。

さて以下は在宅接種の観察時間にお茶とともに出された笹団子です。とても美味しいお団子でした。
在宅は15~20分の観察ですが、その間患者さんやご家族の話を聴きました。接種以外を含め、近時お年寄りから聴いた話を二三記してみます。滞在が短いので詳しくはありませんが宜しくお願い致します。

 

農家で生まれ育った103才のおばあさんは、新聞の一面を読むほどしっかりしています。
ある日の訪問で、「今朝、看護婦さんが電話をくだすって、助かりました」と仰った。一帯のおばあさんたちは“くだすって”などとはまず言いません。
それを聞いて、おばあちゃんは若い時、奉公に行きませんでしたか、と訊いてみました。
すると、行きましたよ、と言って昭和の初め頃16、7才で奉公に出たという、次のような話をされました。

奉公先は名古屋の商店だった。そこで子守や台所を一生懸命やった。ある日店の夫婦は「この子の在所は、そんなに山奥ではないらしいね」と話すのを聞いた。それまで自分は訛りのきつい田舎の山奥から来たと思われていたようだった。
奉公先の自分の言葉は訛りが少なかったかもしれない。それは、かって縁あって髙田の婦人会に参加し、一緒に勉強したり奉公袋を作ったりして奥様たちと交わったため、自然と言葉が良くなったように思う。
そもそも当時「髙田の言葉は日本全国で通用する」と聞いていたが、名古屋に行って、本当だと思った。その後も出来るだけ言葉に気を付けるようにした。
※奉公袋:出征する兵士が戦地に持参する袋で、身の回り品を入れるもの。千人針もこしらえて一緒に入れたという。

以上ですが、“髙田の言葉は日本全国で通用する”という話を初めて聞いて、少々びっくりしました。名詞や助詞に独特さはありますし、普段とよそ行きで区別があるのかも知れません。しかし妙高、糸魚川を含め上越一帯は、ずーずー弁的な訛りや特異な抑揚が見られないことなどから、確かにその説は当たっているかもしれないと思った次第です。

ワクチン接種初日 アニーローリー。

2021年5月18日(火曜日)

色々と書いてきましたワクチン接種がようやく本日始まりました。
午前は外来の方を診ながら10時から30分で5名ずつ2回行い、午後は訪問診療で2名、帰った外来で8名、一日20名を薬液の余りなく終了しました。

始めてみますと、ニュースなどでイヤと言うほど見させられた上腕に直角に打つ痛そうな筋注に、皆様の緊張が良く伝わりました。
しかし打つ際の痛みについて、ほとんどの方は痛くはないと仰います。
但しいま痛くはなくても2,3時間すると痛み始めること、痛みは二三日で楽になることを伝え、出るかも知れない熱の説明も加えました。多くの方はこのあたりのことを知っておられ、ハイハイと返事されますが、いざ痛み始めると思った以上だなと感じるかもしれません。

緊張の初日ですが、即時型反応を見ずに終了しほっとした次第です。しばらくこのペースを続け、そのうち一日30人になる予定です。
小さな施設ですが、二人の事務と一人の看護師が細かな作業を正確にしてくれて、とても助かります。

仕事場を取り巻くように11台の駐車スペースがあるのですが、接種時に増えることが想定され、隣地をお借りしました。地主さんは、お役に立てば嬉しいと仰り、お言葉に甘えさせて頂くことになりました。まずスタッフの駐車場所が確保され感謝に堪えません。

お借りした場所です。

 

夜半、皆様の腕は痛んでいるころでしょう、とにかく副反応は軽く済むよう祈るばかりです。

さて昨日はアイルランド民謡、本日はスコットランド民謡です。民謡といってもちゃんと作詞作曲者がいて、歌われている美しい女性「アニー・ローリー」も実在したそうです。

 


名曲アルバムから「アニーローリー」。
このような音楽と映像には癒やされます。

夕霧の水田 昔の運動会のアベックレース。

2021年2月15日(月曜日)

夕刻の在宅回りの田舎道で低く霧が立っていた。同行の看護師が言ったように幻想的だった。

さて話変わって、過日はDVDの大映映画「湯島の白梅」を書かせて頂いた。悲恋の主人公はお蔦と主税。
この二人で思い出したのは昔の地域の運動会だった。

その運動会は毎年行われていて、大人が主役だったように思い出される。種目にタバコレーズやしゃもじレース、パン食い競争、あるいは借り物レースやアベックレースなどのアトラクションがあり、学校のとは違い、見ていて楽しかった。

特にアベックレースが面白かった。
ヨーイドンで走るのは男性で、まず途中に並べられている紙を拾う。紙には有名な男の名が書かれている。観客席の女性たちには、走ってくる人が手にしている人の相手になる女性の名が書かれた紙が配られている。

やって来た男性が、オレ勘平、勘平!と叫ぶと、オレお軽、お軽!と言う人が出て行き、手を繋いでゴールした(当時男女とも自分をオレと言っていました)。組み合わせは、ほかにロミオとジュリエット、お宮と貫一、お蔦と主税、お光と吾作などがあったと思う。

時には走る人と待つ人の組み合わせが分からないことがあった。するとまわりの物知りが、貫一きない、きない!ここにお宮がいるすけ、早くきない!などと言って二人を引き合わせるのである。

相手探しで盛り上がり、手をつないだ女性が恥ずかしそうに走り、誰かが転んでは盛り上る。
ロミオとジュリエットはともかく、人物たちは金色夜叉、仮名手本忠臣蔵、湯島の白梅、佐渡情話。ほかにもあったかもしれないが、歌や映画あるいは芝居や浪曲で広く知られていたように思われる。

だが今これをやったなら、どんな組み合わせをするのだろう。全く見当がつかないうえ、そもそも男女に手を繋がせるのも問題になりそうだ。

中高学時代までは目にしたと振り返られるアベックレース。かっての大人の運動会は牧歌的でどこか文化的だった?

晴天の日、6日振りの在宅訪問 学生時代の部活ハワイアン。

2021年1月15日(金曜日)

本日はよく晴れた。
今月の在宅回りは急用でない人は休もう、と看護師と話していた。
しかるに午前中、家の周囲が除雪されていますので来て下さい、という電話があった。T字の県道の一つが除雪され、車を出せるようになったので是非も無くお寄りした。

お宅の周囲と道路からのアプローチは広くしっかり除雪されている。
92才のお爺さんが、俺がやると言ってスコップを握ったらしい。力が余ってお隣のも片付けたという。
人様にありがとう、と言われるとつい喜んでやってしまうのです、と娘さんの話。

二年ほど前に心不全で病院の世話になった大柄なお爺さん。体重を減らしましょうと取り組み10キロは痩せた。以前は何かとゼーゼーしていたのにお隣の分まで除雪とは本当に驚いた。
でも無理は禁物、当分ひどい寒波はなさそうなのでしばらくは大事にしてもらいたい。
ベッドのおばあさんも毎日歩行を練習され、春の外出が待ち遠しいと仰った。
本日の温かな日射しが皆さんをいっそう明るく活気づけているように感じた。

 

手前は除雪された道。

 

突き当たった県道は本日もこの状態だった。
ザクザクとした不安定なデコボコ道は歩行も苦労し、まだ自家用車は無理。

 

活躍した除雪機。昨年は一度も出番がなかった。

 

歩いて来院された方が、生まれて初めて杖を使いましたと仰った。
例年以上に歩いたり除雪をしたりの今冬。運動不足で太りがちとなる冬の様子が少し異なっている。

 

 


真冬にハワイアン曲「Drifting And Dreaming」。
曲は“漂い夢見る”あるいは“ウトウトしながら夢見る”という意味でしょうか。

実は学生時代、私は部活でハワイアンバンドに所属していました。
懐かしいこの曲は、ウクレレ片手に声を張り上げてK君と歌っていました。担当は上のパートのコーラスで、楽器はウクレレとフル-ト、後年司会もさせられていました。先輩たちはモダンなハワイアンを目指し、熱心にコードを分析しアンサンブルやオブリガートを研究していました。K君のやわらかな良い声も忘れられません。

 

ついに長年の内緒、学生時代の実態を告白してしまいました。いつかコロナが終わり、生きながらえていたなら何枚かある当時の写真を掲載してみようと思っています。
それにしましても私を部活に誘ってくれ、ギターやベースを弾いたSが昨年亡くなったのは、今にして人生観が変わるほど悲しいことでした。

大雪の在宅まわり 入所者さんの反応 コロナの感染報告。

2021年1月8日(金曜日)

昨日の大風のあと雪が降り始め、本日は積もった。気温が0度を下回り、昨年とは一転大違いの冬になっている。
比較的雪が少ない沿岸部の当地でも60センチはある。そんな午後グループホームと一軒のお宅を回った。

このような日の道幅は狭く、対向車とのすれ違いに苦慮する。しかも路面、脇の雪、空の三者がいずれも白一色にかすみ、視界は悪く運転は神経を使う。

 

施設で。

 

岩野のお宅前。
車庫の前が広く除雪されていたので駐車が楽だった。

この度のドカ雪は何年振りだろう。
大雪になると建物や木立などが雪をかぶり、丸く盛り上がってくる。車や人影も減ってなぜか風景に昭和の面影が漂う。

都会では緊急事態宣言が出されたが、こちらでは宣言がなくとも雪によって更に人出が減る。
そんななか、新潟市で10日に成人式が予定されている。先日、その着付けに当地からまとまって応援に行かなければならない、と言って美容師さんが顔を曇らせていた。
ドカ雪の中100キロの道のり、式典参加には一定の配慮がされているというが、豪雪とコロナ、、、まったく乱暴な話である。

さて施設のホールで7、8人の方がテーブルを囲み、皆さんとても静かだった。スタッフが一緒のテーブルでノートを付けながら見守りをしている。
あまりの静けさに、
“皆さんは静かで、とても賢く見えますね”と思わず口にした。
すると、パチパチパチと、スタッフが手を叩き、
“良かったですね、みんな賢そうだって先生が言いましたよ”と声を出した。
多くの人に反応が無かった中で、お二人が笑顔を見せて手を叩いた。
いつも無言の方の笑顔に少々驚き、嬉しく思った。
また来ます、と手を振ると数人の方が手を振った。
通路の向こうにも何人かいらして、テレビから「愛して愛して愛しちゃったのよ」という昭和の歌が流れていた。

一昨日、上越地域は12月10日以来報告が途切れていると記載したところ、本日一人感染報告があった。
病院職員ということ、自分もいっそう気を付けたい。

大雪に列島のコロナ。私達は歴史的な冬を生きているらしい。

敬老の日、後期高齢者の保険証 おはぎ 落ち葉 モズ。

2020年9月20日(日曜日)

敬老の日を前に、
老人を敬う日がたった一日定められているのも情け無い一方、高齢というだけで敬われるのも少々疑問符が付く。
そもそも年に関係無く普段互いに敬いあい、できれば敬われる何かを少しでも身につけられればと淡く願っている。

昨日の仕事場で、後期高齢者の保険証が来てしまいました、と複雑なお顔で仰った方が見えた。
実際届くとちょっとショックですね。しかしここまで来れた事を幸運と考えて、この先また頑張りましょう、と話した。
この保険証はそれまでのカードと異なり、ハガキより一回り小さな紙である。正直見棄てられているのかな、という感じがする。

望まない節目はショックであるが、過ぎるに従って次第に薄まる。心身を注ぐ日常が、切りの無い不安を忘れさせてくれるのであろう。

昨日は知り合いの方から、本日はスタッフから節分のおはぎを頂いた。

 

 

食べ物はどこで食べても美味しい。
しかし自然を見ながら、あるいはその中で食べると美味しさのほかに楽しさが加わる。

美術館のカフェのカウンターが好評なのは、大きな窓から庭に向かうからでは、と想像している。

 

モズ。
少し前から周囲でキッキッという鳥の鋭い鳴き声が聞こえていた
モズであろうと思ったいたところ本日初めて本人を確認した。
スズメやシジュウカラやヒヨドリを見慣れていると、モズは色暖かく新鮮に映る。

美術館裏手の桜が散る。本日は西に向かって落ちていた。
木にあるものは緑色だが、落ち葉は黄色や赤に染まって美しい。

NHKのファミリーヒストリー 太田光さんと新潟県上越市大潟区雁子浜。

2019年11月25日(月曜日)

今夕食後、なにげなくテレビを観ていると、NHKの番組で、漫才爆笑問題の太田光さんのファミリーヒストリーをやっていた。
ファミリーヒストリーは面白く、意外なご先祖の事実が判明したり、底流に今日の才能に繋がる物語が始まっているなど、興味深い。
およそまず父方のヒストリーを辿るが、母方にも思わぬ事実が浮かぶことがよくある。私自身かって母と祖母の出身地は訪ねたことがあるものの、その先の母方はさっぱり分かっていない。その点、番組は母方も詳しく遡り、人間味あるエピソードが掘り起こされ、見応えがある。

本日、お母様の旧姓が熊木と伝えられていた。熊木と聞き、まさか大潟区雁子浜の人かな?と少々気になった。というのも熊木性はほかであまり聞く事は無く、一方少し前まで雁子浜のほとんどの家が熊木姓だった。
番組では光さんの父方が静岡県から東京に出て、父三郎さんは室内装飾で成功する話が紹介された。
続いてお母さん、旧姓熊木瑠智子さんに話題が及んだ。すると瑠智子さんの祖父丑五郎さんは、まさかの雁子浜の出身だと分かる。やはり驚きである。
丑五郎さんは杜氏として埼玉県に出たあと所沢で酒屋を開業、父武三さんも東京王子で酒店主になると説明された。
丑五郎さんはヴァイオリンを弾くなど拓けた人だったらしい。武三さんはチルチルミチルの童話をもとに名付けた瑠智子さんに音楽や演劇を勧めている。そして瑠智子さんの劇団の研究生時代、若き日の光さんの父三郎さんとバイト先の店で出合うというドラマが待っていた。
瑠智子さんの曾祖父のお名前を五郎さんとしていましたが、丑五郎さんにお直ししました。

 

お母様の祖父の出身地、大潟区雁子浜。
雪が多かった2018年2月の夕刻。

以前の当地頸北地方は杜氏となって県外に出た人が多い。丑五郎さん、武三さんは成功されたようで、こども時代の瑠智子さんは武三さんと銀座を歩くことが好きだったという。

眠る前に聞いたお母さんの優しい読み聞かせの思い出を語った光さん。お料理が美味しかったと話した相方の田中さん。

2010年秋の雁子浜

 

2018年夏の雁子浜。

太田光さんのルーツの一つがすぐそこの雁子浜だったとは。事実は小説より奇なりではないが、大潟区に生まれ育った私には思わぬ展開。嬉しいファミリーヒストリーだった。

故郷を離れ人生を切り拓いた人達に、今更ながら畏敬を覚える。

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