2025年5月6日

5月4~6日まで秋田、山形へ行って来ました。

2025年5月6日(火曜日)

実は大型連休の後半、5月3日午後遅く出かけ新潟市一泊、その後本日まで秋田県にかほ市と由利本荘市に泊まり今夜帰ってきました。

実は長年ある患者さんの家で観ていて鳥海山の写真があまりにも素晴らしく、いつかこの眼で観たいと念願していました。
毎年「鳥海山行き」の計画を立てるのですが、都合の悪い事が起きては延び延びになっていました。

しかし今年は特別な不都合もなく実現、行ってきました。
鳥海山は秋田、山形県の境界にあり、当初上越市からだと交通不便と考えられ、大宮まわりで東北新幹線の利用を想定していました。
しかし一旦新潟へ行きますとそこから特急「いなほ」が使え、日本海沿岸の山形、秋田、新潟三県の細かな往来も案外円滑なことが分かりました。結果昔ながらの日本海沿いのルートで往復してきた次第です。

その間、5月4日、6日のブログ記事は出かける前の2日と3日午前に書き終え、予定投稿をしました。

中々雲が晴れないという鳥海山。やはり初日4日の山は見えませんでしたが、5日午後と6日は姿を現わしました。
本日は帰宅が遅くなりましたので旅のブログはお休み、次回は4日午後に立ち寄った酒田市のことを書かせてください。
また分校時代の思い出はほかにもいくつかありますので機会をみて書いてみます。

連休中、美術館を賑やかにして下さったお客様、守って頂いたスタッフ、誠に有り難うございました。無事帰宅し、あらためてお礼申し上げます。

短期でしたが美術館の花も少し変わったのでは無いでしょうか。

5月5日午後の鳥海山。
由利高原鉄道、
前郷(まえごう)駅周辺から。

分校時代の出来事その2 バスにさらわれる。

2025年5月6日(火曜日)

小学校低学年、つまり分校時代のことです。家の前に国道(勿論砂利道です)があり、そこをバスが走っていました。当持バスは主に木炭車でゆっくり走り、特に上り坂では喘いだ末に止まることもありました。

家の近くお菓子屋さんにバス停がありました。そこから100数十メートル行くと次の停留所で、その間半分は上り坂でした。

よくバス亭付近に居て、走り出すバスの後方バンパーに飛び乗り上半身を乗せ、坂を上る途中スピードが無くなると降りるという遊びをしました。
危険な遊びでしたがほかの子達と一緒に飛び乗ることもありました。

ある日、私一人で飛び乗ったバスは性能が良かったのでしょうか、普段なら減速する坂をそのままの勢いで走りましたので降りることが出来なくなりました。
近くに居た姉が「ふかしちゃん!ふかしちゃん!」と叫んで追いかけて来るのがわかりましたが、途中で引き返したようでした。

必死にバンパーにしがみつきバスは次の停留所で止まりました。万一そのまま走り続けたならもうどうなったか分かりません。いけない事をしてしまったと後悔いっぱい、しょんぼりバス亭から歩いて帰りました。
私がバンパーに掴まったまま走るバスを見ていた人もいましたので、もう止めなさいと言われたかもしれません。

家に帰ると母が「ふかし行っちゃった!ふかし行っちゃた!と、泣きながらゆう子が走って来たんだよ」と言ってひどく叱られ、傍で姉が目頭をこすっていました。

この話は大人になっても母や姉から何度か言われました。

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