2025年5月13日

旅行の最終日5月6日は酒田市の土門拳記念館、昭和時代の人物写真。

2025年5月13日(火曜日)

仁賀保、由利本庄の鳥海山見物を終え最終日は山形県酒田市でした。土門拳記念館で沢山写真を観、本間邸と長大な米倉を見学し、珍しく昼食を食べました。

土門拳記念館の一部外観。周囲に水があしらわれ、かなりモダン。

 

重々しい鉄扉

太平洋戦争の出征祝いの様子です。皆でビールを飲み日の丸を振り、晴れやかに過ごしています。父の出征でしょうか、向こう二人の息子であろう少年の胸中は複雑だった事でしょう。いや本当は皆複雑だったかもしれません。背後で泣くのは母親ではないでしょうか。おおやけには「喜びの涙」とされたに違いありません。このような経験をせずに80年が過ぎたのは大変貴重で幸せです。

正装に白手袋が痛々しくも悲しい。
別れの水杯を口にしています。

「南京陥落提灯行列」
このような写真をみると職業写真家の
技術の凄さが分かります。

傷痍軍人がこどもをおんぶしているのは初めて見ました。小学5年生の上京で、汽車の中や上野公園、街角で募金箱を持った傷痍軍人の姿をしばしば目にしました。
高校時代の上京時も見たような気がしますが、何か怖いようで近づけず寄付をするかどうかも迷いました。それにしてもこれ以上無いほど痛ましい写真ですね。

ガード下でしょうか、
胸が締め付けられます。

以上2枚とも一緒のこどもをどう理解すれうばよいのでしょう、言葉もありません。

 

「担ぎ屋の子」
東京での撮影だそうです。

「母のいないこども」
筑豊のこどもたちシリーズから。

ある子が本を買うとその子の回りを子ども達が囲みました。先ず左右からのぞき込み三人で読む。次の人に回すと別の子が左右から覗きます。当持雑誌や本への関心は並々ならぬものがありました。

旅役者の一座は地域の娯楽に必須でした。当地にも決まった一座が回ってきましたがその名は忘れました。
残念ですが私は舞台を観たことがありません。写真は一座の触れ回り、チンドン流しでしょうか。これも見たことがありません。

嫁入りは文字通り「非日常のハレの日」。小学時代、近隣でも続けさまに嫁入り行列があり、全く不思議なものを見るように驚きをjもって付いて歩きました。今このような花嫁が通りを歩くとしたら、どれだけのこどもたちが集まるでしょう。

薪を背負いとても自然な笑顔ですね。親と一緒だったかもしれません。私の患者さんで、子ども時代に泊まり込みで父と炭焼き小屋で過ごしたことを話してくれた女性がいました。美味しい鯨汁を作る父の手付きがとても鮮やかだったと話されました。

お弁当を持ってこない子はお昼に本を読みました。貧しくてお弁当が持参できなかったのです。
私の経験では学校に近い生徒は「家で食べる」と言って家に帰りました。当持、家に帰れて羨ましい、と思っていましたが、恥ずかしいことに、貧しさからだと分かったのは後年になってからでした。お弁当を持ってこない生徒はたいてい女子だったことも不思議です。この写真もそのようです。

映画の看板があるからといって必ずしも都会とは限りません。小学時代の私の村には少なくとも2軒(もう一軒あったかもしれませんが)とても質素な映画館がありました。
両親は映画館へ行くのを勧めませんでしたが、「血槍富士」と「破れ太鼓」の2回は覚えています。あまり楽しい映画ではありませんでした。

「終着駅」がかかる都会の映画館。
看板描きは画家の重要なアルバイト。

都会のおしゃれなスナップショット。私はこのような場面をみるにつけ、早く大人になりたいと思っていました。上掲の男女の写真は詳しくありませんがブラッサイ作品を彷彿とさせられました。

今回も長くなりました。館内展示の土門拳の作品から戦前戦後の主にこどもを撮った作品を掲載し、戦後娯楽の王様、映画にまつわる作品数点を追加しました。

掲載作品はみなモノクロです。
主観ですが、写真はカラーだと場面の「切り取り」の印象がありますが、モノクロは一挙に「作品性(芸術性)」が強まるように感じられのは不思議です。
しかしおそらく誰しもモノクロなら作品性が出るとは限らないのでしょう。確かな視点と構図を含む撮影技術の熟練はカラーより強調されるかもしれません。

土門氏の時代、自在に人物を撮影できたのも羨ましい限りです。時代の進歩の一方、他者による人物撮影(スナップ写真)が極端に制限されている現在、写真の面白みと価値が大きく減ってしまい、まことに残念と言わざるを得ません。

かっての人物は現在と比べものにならないほど「匿名性」を帯びていたことになります。つまり一定程度は個別性を意識しながらもそれを遙かに上回るほど匿名性(一般性?)を感覚しあっていたに違いありません。

現代は個別性(人権、プライバシー、アイデンティティー)やそれが晒されることのリスクが強調されます。しかしかっての匿名性は個人、男女を問わず、貧富をも問わない存在として、人間みな同じであるという認識を無意識的に共有していたことになりませんか。

しかし最後に、かっての私達はカメラ、あるいはカメラマンに対して“特別なもの、あるいは特権者”として無意識的あるいは自然に撮影を許していただけかもしれません。

わずか数十年の間における非常に大きな変化です。難しい問題ですが再び昔にもどることはちょっと考えられません。

同館における土門作品の撮影は自由でした。皆さまも鳥海山見物の際には仁賀保高原、由利高原鉄道とならび土門拳記念館の訪問をなさっては如何でしょうか。

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