医療・保健・福祉・新型コロナウイルス

晩秋らしくない気象 紅葉の色々 馬路村の柚子 コロナの三波

2020年11月18日(水曜日)

お天気が続き、本日髙田では22,7度まで上がった。
11月の後半なのに10月よりもずっと好天に恵まれ暖かい感じがする。

なぜか美術館の庭は例年になく色鮮やかに紅葉し、それが木ごとに移って行くのが見て取れる。
同じカエデでも既に散っているものから、ようやく赤くなり始めたものまで様々である。

庭の木は造園屋さん、ホームセンター、ネットなど経由がまちまちで、同じような木でも紅葉の進行が随分違う。
産地が異なるため、それぞれふる里の流儀を頑なに守っているのであろう。

 これは25年前、造園屋さんが植栽した場所。
産地が揃っているので、ドウダンツツジやカエデはそれぞれ紅葉時期が同じようだ。

 

手前の黄色のカエデはもとからこの土地に自生していた。
美術館の駐車場を造るにあたり、根が掛かるので切りましょうか、と提案された。
当時小さかったが、鮮やな黄色になるので、一部の根を切って残してもらった。
いま大きくなり、見栄え良く紅葉する。
左手に見える二本のカエデが急に赤味を増してきた。

 

庭では先に落ちた黄色の葉が、芝生に愛らしく散らばっていた。
最後は上掲した二本のカエデが赤い葉を沢山散らして庭の落葉が終了する。

 

本日患者さんから頂いた白菜と大根。いつも上手に作られ、スタッフの分も下さる。
今夜大根は里芋と一緒に煮物となって出た。

 

テレビで垣間見た丹波の焼き栗をネットで取り寄せた。
冷凍して届いたものを室温解凍し、一部をレンジに一部を解凍後そのまま食べてみた。
焼いたものは風味があり、焼かないものはとても甘みが強い。

本日東京の友人から、過日届けた新米のお返しにと、ふる里高知県の柚子製品が沢山届いた。

高知県の東部にあるらしい馬路村(うまじむら)の柚子加工品の数々。
柚子ジュース、柚子胡椒、寿司つゆ、柚子オイルetcまで柚子一色。
居ながらにして遠い高知県の村に寄った気持ち。
大手ブランドの品もあった。

電話をすると、再びコロナに対する緊張感が高まっていると話した。医療関係者なので、自分が罹ると病院や地域に多大な影響が生じる懸念を強調した。
診察の現場はパーティションで仕切られているが、横から顔を出して話してくるお年寄りがいる、などと言って笑った。

外出は近くの多摩川周辺を歩く程度らしい。同業として背負っているものが同じなため、事情はよく分かる。自分もヒマがあれば今まで以上に一人で出て、外気外光に触れるようになった。

新潟県で発生中の二カ所のクラスターから、感染力の異様な強さが窺える。特に高齢者施設における現在まで43人もの大規模感染は、重症者が出ないことを祈るばかりであり、現場の緊張と大変さは想像以上のものがあろう。

大潟区の野を歩き、頸城区のさくら会館へ伺った。

2020年11月14日(土曜日)

このところ晴れ間が続き、冬支度に時間がさけ、心にもなにがしか覚悟の余裕が去来する。
晴れ間はもう数日は続く模様で思わぬプレゼントだが、雪国の性で、その後が少々怖い。

日射しに誘われて近くの雑木林を歩いた。

 

まだ枯葉をまとう木々も多く、青々とした草道を歩いた。

 

明るい場所へ出るとモズやってきてギイギイッと鋭く高鳴きをした。

 

歩く先々でパッパッと動いたのはカシラダカの一群だった。
冬鳥にとって本日の暖かさは辛かったのでは。

 

野歩きの後、先日開場したばかりの地域の茶の間「さくら会館」で妻と合流した。
頸城区の大池湖畔に隣接する施設は、福祉事業の(株)さくらメディカルの30周年記念事業で、会長の武藤敬一さんが展開されている。
本日お目に掛かりお話をお聴きし施設を案内して頂いた。

 

パンフレット表紙。

 

 

 

座り心地の良い椅子の休憩・団らんの場。
私がよく歩く湖畔の森林が対岸に見える。
広い窓によって清浄な外気に溶け込むのを覚える。

二階は書画の展示場に続き、奥に諸仏が安置されていた。

 

慈悲によおりあまねく衆生を救う十一面千手観音。
許可を得て特別に撮影させて頂いた。

 

和室になんと花頭窓。お茶会ができるのでは。

かってのレストランを全面改装して成った施設は、地域の茶の間。市内有数の風致を我がものにできる誠に贅沢な環境に佇んでいる。凝った設えや調度品にも目を奪われる。

顧みるに心身状況と在宅および施設など介護と予防には様々な段階と場面がある。いずれに於いても、本人・介護者はともすれば閉鎖的な状況を免れない。
一方健常であっても長い人生の後半を如何に過ごすか、大きな課題にちがいない。
一生一度、大切な時間の中で安息を願い息を抜き、心なごむ場所が欲しい。
加えて外気の大切さはいっそう望まれる。

本日午後のひととき、お話を聴きつぶさに内部を案内して頂いた。
同施設には、長年福祉事業に没頭されたオーナ心からの願いと恩返しの念が籠もっていた。

当施設は会員制(年会費1000円、初年度無料)。一回の施設利用費はワン・ドリンク付き200円。11時~14時のランチタイムはオムライスなど昭和時代の懐かしいメニューがリーズナブルに設定されている。
※当面利用には予約が必要ということ、電話は025-530-3838です。

本日妻と会員にさせてもらい会員証を頂いた。
近々晩秋の湖畔を歩くつもりだったので、お腹を空かせてお邪魔したい。

高齢者に予定があることは大切 過剰?な私の予定 蝶のためにフジバカマを植えた。

2020年10月20日(火曜日)

高齢者に大切なことの一つに予定がある。
在宅、施設を問わず、また経験上母をみていた時にも感じたことだが、高齢者が前向きに生活するために「予定があること」は大切だと痛感する。

何かを待つでもなく、ただじっとしているのは辛く、明らかに心身に悪い。
そのような毎日を重ねれば、現実逃避の側面でもある、自分だけの世界「認知症」への道を歩むことになる。
毎日、月々、週ごと、あるいは来年と、何かしら予定があることは張り合いであり、そのリズムは心身を活気づけ、生活実感を感覚できる。
その意味から体がある程度利けば畑や庭、プランターでも良い、これらをかまうことは予定が生まれ、外気にも当たれる。

主として生活介護を支援するデイサービスも予定の点で大変意義がある。
デイのメニューは良く考えられ、スタッフもスキルが十分で、初めに渋った人も次第に喜んで通うようになる。
それに比べ、泊まって利用するショートステイでは、ややもすると本人に我慢の試練を払拭できない。長年の見聞で、もっとこまやかにかまってやってほしい印象を受けるのである。

残念ながら時にデイを厭がる人がいるのも現実である。
制度上、主として集団的に対応される傾向がある現行の一般施設にとって、外気浴とともにもう一段突っ込んだパーソナルな部分の充実は、今後の大きな課題であろう。
将来に向けて、国および本人・家族ともに本気で現実を検証し、人生設計を考え改良を重ねて前進することが強く願われる。

私個人といえば良い悪いを別にして、かなり過剰な予定の中で生きている。すべて自分がもたらした日常なので文句は絶対に言えない。その維持にはただ一点、健康への留意だけしか頼るものがない。
そう言い聞かせながら来年の庭に蝶が寄ってくれるのを期待して、日曜日に買ったフジバカマ三株を本日昼に植えた。
これまで植栽したブッドレア、ホトトギス花に加えてフジバカマも蝶が寄ると言われる。
良いことにみな丈夫そうな花だ。
これを庭の西奥と北の二カ所に分けて寄せ植えし、来年を待つことにした。

どのように育つのか、春~秋へ万一蝶が来たなら、是非ともここでお伝えしたい。

赤い普通のフジバカマが二株。

 

白花のフジバカマが一株。

雨、書類。

2020年9月9日(水曜日)

列島に沿って横たわる前線の影響ということで、夜になり雨が降り始めた。
時に強く降り、一時激しくカミナリを伴った。
9月とて厳しい暑さの日もあろうが、そろそろ秋めく気候に向かってもらいたい。

本日は仕事上の書類です。
紹介状、介護保険意見書、身体障がい申請、施設入所申請など色々あり、なぜか先週末から沢山出ました。

昨日残っていた6人分の書類。このほかまだある。
本日まで別に紹介状を4通書いた。

患者さんのために受け取り先でちゃんと読んでもらえるよう、丁寧に書かなければならない。経過が長く複雑な場合特に時間がかかり、数日要することもある。

「○○日までにお願いします」
「○○さんが取りに来ました」
事務スタッフにせかされながら50年続いている。

当地の新参者として開業した当初、紹介状は特に気を使い、一通書くのにしばしば一晩かかった。
調べや内容とともに、先との良好な関係維持など、どんな仕事でも書類は大変にちがいない。

熱波の日々 発電所付近の夕焼け 鳥も辛そう 特別な今期のワクチン。

2020年9月3日(木曜日)

本日仕事は午前で終了、午後は休診日。当地は39度を超え、昨日に続いてひどい熱波に包まれた。

 

鳥追い凧はだらりとしていた。

 

美術館の水盤でカラスが憩っている。

言われる行水ではなく、繰り返し水を浴びていた。
随分水を使われてしまい、スタッフが後で足した。

午後3時からJoetsu ASSHの取材があり、お二人の担当の方が来館された。
9月24 日の紙面で糸魚川の谷村美術館、上越市の小林古径美術館とともに取り上げてくださるということ。熱心に取材して頂き感謝に堪えなかった。

台風の影響で雲が賑やかになっている。日没ちかくに夕暮れを撮るため夷浜の発電所近くへ行った。

舟は防波堤の向こうの海面を進入しています。

 

カメラを覗いていると、そばへカモメが来た。
大きく口を開け暑さに耐えている。助けを求めているのかな、と思った。
今夏のゴルフで芝生に横たわっているカラスを見た。やはり口を開けハアハアしていた。
普段どう猛な鳥が横たわっているのは、異様な光景だった。
数羽の仲間が見守るなか、近づくと起き上がり弱々しく飛んだ。
暑い日によく見ると、スズメなども口を開けて呼吸をしている。

 

陽が落ちてからしばらく空と海は赤く染まり、期待に応えてくれた。

暑い暑いと言いながらおよそみな仕事をし、コロナと言いながら株が上がっている。
今年はあと一月もすればインフルエンザに加え,、その先COVID-19のワクチン接種が考えられている。
未経験の事態を前に方法論、品物とも不確定な要素を残していて、どの程度対応できるか不安を払拭できない。

西洋ケイトウの花 「命あっての経済」は人間哲学。

2020年8月29日(土曜日)

夏の殺風景な庭の埋め合わせと、昨日洋もののケイトウを植えました。
本日はその写真です。

 

右手前にあと二株植わっています。
色濃い花ですが、カフェからの遠目が効いて優しく映っています。

 

暑さのせいか、芝のまだらな部分が多いのが気になります。このところホ-ムセンターで土を求めて撒いていますが、30リッターくらい買ってもすぐになくなります。
今年冬までの課題を肥料とともに沢山土をくべることに決めました。

 

午後遅くなってからカフェで休憩しました。
今年入った好評のブルー・キャリコの器でダージリンを頂きました。

さて昨日安倍首相が辞意を表明しました。
どんな立場の人であっても、如何なる場合であっても健康(命)第一は自明の理です。
コロナの一波がすぎると、「経済あっての命」の流れ一筋になってきていました。
しかしいざ我が身、我が事となれば、命が先になるのは至極自然な話ですね。

「経済あっての命」も「命あっての経済」も結局同じ事をしなければなりません。
同じことなら、次の首相にはぜひとも「命あっての経済」、と明言してほしいと思うのです。
一見どちらでも良いことのようですが、実はどちらが哲学的かの問題にほかなりません。
経済は仕事と言い換えることが出来ます。
病はシェア出来ませんが、仕事は究極代わりが効きます。
今度は民生と内需が得意な、哲学ある人になってもらいたい、と願っている所です。

クーラーの効いた部屋に入ると喉の渇きは消えるのか? 炎天下のコスモスの発芽、ムクゲの花。

2020年8月27日(木曜日)

前回、暑さにより薬の血中濃度が上がり、そのことによる症状が現れた例を書きました。
薬はワーファリン、症状は手の甲の皮下出血でした。薬の過剰な働きは検査で確かめられたため、直ちに減量し経過をみることにしました。

二日ほど草刈りと畑仕事で大汗をかいた、とは本人の弁だでしたが、当初は仕事上の打ちみも考えました。
ところでたまたま本日、掛かりつけている奥さんが受診され、〝うちの人は、汗びっしょりになって帰っても、あまり水をのまないのです〟と仰った。
先回は「暑さ慣れ」として、漠とした原因を求めたが、ちょっと違うらしい。
家は常にクーラーが効いているということ。もしかしたら以下のような事があるのではないか、と考えました。

炎天下で大汗をかき、喉が渇いていた。しかしクーラーが効いている家に帰った途端、渇きが消えてしまう?
念のために書物やネットで一瞥してみましたが、これに類する言及は見つかりませんでした。
しかし熱暑下の労働やスポーツで発汗した後、仮によく冷えた部屋に入った場合、本来あるはずの渇きを感じなくなる、ことは起こりそうな気がする。
彼だけの現象かもしれないので何とも言えませんが、水を持って出るのを原則とし、前述のケースでは意識して水を補給すべきでしょう。

喉の渇きを数値化し(感覚値でもいい)、発汗を伴う運動負荷後に常温の部屋とクーラーの部屋で渇きの比較を行う。これは生理学の極めてシンプルな実験モデルのはずですから、私の疑問は、その世界では実証済みの常識だった事も、十分に考えられます。
いずれにしましても、かの奥さんは、二人で気を付けるようにします、と真顔で仰っり、何よりなによりでした。

 

コスモスの芽。ダンスをしているようだ。
長年の念願かなって数日前に撒いたコスモスが一斉に発芽し伸びている。
水やりが楽しみです。

 

ムクゲは昭和の女優さんの趣き。

ムクゲもコスモスもこの炎天下で咲きほこり、あるいは成長している。大したものだと思う。

賑わい創出は第一の目標だろうか 暑さ慣れ?はあるのだろうか。

2020年8月25日(火曜日)

公民を問わず新しい事業に〝賑わい創出〟の冠がつくものによく出合う。
あるいはそれらを知らせるメディアの見出しに、この文言が見られる。

本日の新聞でオーレンプラザのエントランスにピアノが置かれ、ストリートピアノ風に市民に解放するこころみが紹介されていた。
原則予約だが、空いていればその場で申し込みが出来るという。
公共の場にグランドピアノがあり、市民が演奏できることはとても良いことだと思った。

その素敵な記事の見出しに「賑わい創出」の文言が付されていた。
だが一旦この言葉が用いられると、こころみの印象が重くなり堅さが加わる。
ピアノ演奏もそれを聴くのも「楽しみ」や「挑戦」であり、それだけで十分ではないのかな、と思うのである。

「活性化」も同じ、賑わいとともに地域の悲願であることはよく分かる。
だが多くの事業や試みは、本来人が楽しんだり、憩ったり、交流し、利便を感じたり、元気になる、などのためのものであろう。
内容こそ唯一無二であり、地域活性化や賑わい創出はむしろ副産物で良くはないだろうか。

小さな個人施設、樹下美術館はそれら重苦しい見出しを付けられることはなかった。
おかげで、大変ですが一方で楽しみながら営むこともできるので幸運だと思っている次第です。

昨夕の入道雲。
高さを想像したらちょっぴり涼しくなりました。

台風の影響もなく日照りが続くようです。

さて高温続きのため血液濃縮を生じ、薬剤によっては血中濃度が過度に上がり、対応が必要な症状が現れることがあるようです。
それほど高齢でない方でも、水が不足しているのに渇きを感じない場合があり、怖いなあと思います。
「暑さ慣れ」などということがあるのでしょうか、気を付けなければと、自ら言い聞かせています。

水の摂りすぎも問題になりますので難しいところですが、
この方は水気の少ない、明らかに乾いた舌をされていました。
舌の濡れ方、乾き方に水分の過不足が現れますので、普段から時々観察し、気になったらほかの人と比べてみて下さい。

コロナの「うーん」、二つの態度、スパコンなら何と答える、男性的?母性的?。 

2020年8月8日(土曜日)

新型コロナウイルスの今後を占う夏休み、わけてもお盆に入る。
近時、「うーん」と唸らされる話が多い。
①「夫の三回忌で神奈川の家族が来る。帰った後、二週間は家に籠もります」と泣ききそうな表情で話をされたおばあさん。
②「うがい薬を下さい」と、切なそうに言った若い男性。
③「公園に月1回元気な高齢者が20人ほど集まり2,3曲歌も歌う。その場合マスクは必要ですか」というボランティアの責任者。

①は今更止められないということで、うーん、しかなかった。
②薬局から電話があり、品物が無いと言うことで決着した。
③「人数が多いので、念のためマスクをしては」と伝え、「後々の思い出にしましょう」と付け加えた。

強気と慎重。当初から新型コロナウイルスには二通りの態度がある。
強気の代表は政府であり、医療関係者はおしなべて後者になる。
後者については、「様子を見ることで手遅れになる」ことを避けようとする職業上の態度のため、良く理解出来る。
だが今まだ「様子をみる」ことを軸足とする政府が良く分からない。

最近になって、もしかしたら政府はスーパーコンピュータ「富岳」を駆使し、判断しているのか?とも考えるようになった。
自粛と緩和、検査と結果、年令、症度、地域性、季節要因、基礎疾患、体格、ウイルスの諸要素、業種、就業形態、地域性、対応と結果、経済諸指標、税収、予算、国外データ、そのほか考えられる全ての要素を富岳に掛け、コロナ対策の費用対効果を探っているのだろうか。
未経験な出来事が始まって半年余、毎秒100京を演算する富岳は、コロナについてどんな応答が可能なのだろう。

いずれにしても2,3週間すれば、現在の動静に対して最初の答えが出始める。
最近こんなことも考えた。
〝強気の人は男性的であろうとし、慎重な人は母性に立とうとする〟
と。

雨上がりの山と海 夏眠するウイルス、秋の目ざめが怖い 挑戦的な感染症。 

2020年7月29日(水曜日)

昨日から本日へ、雨は佐渡や山形県に甚大な水害をもたらした。
このたび当地に水害はなかったものの、梅雨には長々とよく降られた。ぱらりぱらりと小雨の本日、夕刻には降り止んだ。

仕事を終えて急な用事があり、帰りに水田を回った。
雨上がりの米山と尾神岳はどこかこざっぱりした表情をしていた。

 

左方の雲がわずかな陽をあびて赤味を帯びている。

 

雨を降らせた雲がフワフワとまとわりついていた尾神岳。

四ツ屋浜に出てみた。

 

北の沖に雲の塊が連なっていた場所は佐渡島であろう。
まだ厚い雲が夕陽を映していた。

長い長い梅雨が終わろうとしているように感じる。

一方終わるどころか、拡大に転じている新型コロナウイルス禍。
新潟県も新潟市ばかりではなく、上越市でも報告が重なるようになった。もはや検査拡大の反映ではなく、絶対数の増加を想起させる勢いである。

都内の大学に籍を置いたまま、当地で受けているリモート授業の不満や、借りているだけの部屋への心配を学生さんから聞いた。帰るに帰れない神奈川県の大学生の話。初盆を迎えて客への対応に困惑する方、、、。
隅々まで問題が行き渡るなかで、全く先が見えない大学生は深刻だ。退学を余儀なくされた人が出はじめ、個人として独自の方向を模索する動きも生まれているようだ。

経済を回すとは言うものの、医療、教育、芸術文化は、本質として個別の問題であろう。
いまだに会見するのが経済再生担当大臣、というのは本当におかしい。
少なくとも厚労省および文科省も会見し、分析と見通しについて率先して語るべきだ。

話戻して、重症者と死亡者は少ない、という楽観をよそにその実数がじわじわ増えはじめた。
それについて、当初ウイルスが弱毒化に向かっているから、という意見が見られた。
だが本当は、苦手な夏だから彼らは優しくしているだけでは、と考えている。
ノロノロと夏眠中のウイルスに、人間の方から大挙して近づき、感染しているのが実状ではないのだろうか。
感染者が増えれば当然重症者は増える。それが問題であり、弱毒だから構わないというのでは駄目なのである。

梅雨から夏休みへ、満遍なく全国にばらまかれるウイルス。
秋、彼らが一斉に目ざめ凶暴さを発揮しだしたら、どうなるだろう。
かって期待したが、そもそも本当に共生など可能だろうか。

最後に唾液抗原検査の再現性が良いことから、感染者唾液の濃厚なウイルスが推測される。
咳、くしゃみに限らず、会話、なかんずく高いテンションの会話が、マスクに関係無く如何にリスキーかを窺わせる。
その点でこの感染症は、ある種幸福が媒介し拡大するまことに挑戦的で、哲学的な疾病に見える。

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