医療・保健・福祉・新型コロナウイルス

かって認知症だった人、晩年の「ありがとう」は「すき」と書かれた。

2024年11月19日(火曜日)

本日は寒い日となった。午後の在宅回診時の車の外気温は9度を示していた。雪の目安になる米山にはまだ雪が無く平地の初雪ももう少し先の模様。

午後のひととき風が止んでいたのでシーグラスを探しながら柿崎海岸を歩いた。まだ波浪が強くシーグラスが含まれるような砂利自体が少なかった。

数日来の風によって
本日まだ高い波浪。

寒い日に温かい話を一つ。
ある方は長年遠隔地で働き、定年後久し振りに実家の母を訪ねた。帰るなり認知症になっていた母に「あなただれ?」と言われて強いショックを受けた。しかし一旦帰る別れ際「嫁さんに宜しく」という言葉を聞き、まだ望みがあると思った。
その後毎月1週間から10日ほど滞在しては母を看た。あえて外出を試みスーパーや公園など様々な場所へ一緒に行った。旧知との出会いや買い物を喜ぶうち周囲への関心が広がり、表情と反応が豊かになるのが分かった。
必要を感じ勉強して介護福祉士(ヘルパ-)の免許を取った。年とともに認知症は改善されたが、身体の衰えに従って下の世話から食事や入浴、移動、受診などの介護量が多くなった。それでも一貫して外出を心がけた。

寝たきりとなった最晩年のとある日、お礼を書きたいから紙を用意してと言われた。「ありがとう」と書くつもりらしかったが用意出来た紙は長さが足りなかった。
短い紙に書かれたのは「すき」の二文字だった。
思いつけも無い言葉に驚いたが「ありがとう」よりもずっと嬉しかった。

以上はお聴きした話の概要です。
ありがとうが心の言葉なら好きは感情であろう。お母さんの「好き」には「ありがとう」も含まれていたことだろうし、せがれさんも全く同じだったにちがいない。自分が好きで無ければ相手も好きにはなってくれない。

心と感情の満足。人間関係にこれほどの幸福があるだろうか。
短い紙しかなくて本当に良かった。
母亡き後、その方は地域の茶の間や外出、送迎の支援を仕事にしていると仰った。

急に冷えた日 痛みの少ない高齢者の帯状疱疹。

2024年9月2日(月曜日)

本日は涼しいを越えて肌寒く、かと言って長袖もまだと考えられる日だった。車の車外気温は23℃を示していた。

23℃を示していた車。

本日雨の樹下美術館。

小さな診療所でも相変わらずコロナやその疑いの方は少なくない。また原因が判然としない高齢の発熱の方の往診先で、床ずれでしょうかと家族に言われて診ると極期の帯状疱疹だった。熱の原因と考えられ、高齢者の痛みへの鈍さをあらためて知らされた。

明日は再び暑くなる予報。私もまた何かと気を付けなければならない季節の変わり目となった。

懐かしい認知症の人と家族の会の方々 北信からのお二人。

2024年7月8日(月曜日)

本日昼、上越の「財団法人 認知症の人と家族の会」から23名の方が来館された。前日柿崎区上下浜温泉に一泊されお寄りになった。かって2002年、この方々には大島画廊でボタニカルアートの初個展を行った際お手伝い頂き売上金の一部を寄付させてもらった。

その時の同じお顔数人の方とお会いしとても懐かしかった。当時は介護保険が始まって3年目、様々な機軸が生まれ「痴呆」が「認知」症」へと公式に呼び名が変わった時期に当たっていた。

年一度の公式な慰安行。
明るさの中に連帯と強さが
感じられる。

帰路につく方達。

カフェのほか陶芸室のテーブルでもお茶とケーキでくつろいで頂いた。介護や支援の事情は変遷を重ねるがこの方達が行っている根底は一貫し、情報量の多さも特筆すべきことだと思う。

皆さまがお帰りのころ長野県は北信からお二人お見えになった。過日一度訪館され、今回友人を誘われた模様。
お話すると石州流茶道をされ、昨日は上越市板倉区で行われた「ゑしんの里茶会」に出られたと仰った。前回、当館窓口で茶会のチラシをご覧になっての参加、私達の後同じ席に座られたとは。熱心に展示もご覧になり閉館までお茶をされたとお聞きした。
過日私たちの須坂行きなど長野県なかんずく北信と上越の近さをあらためて認識した。

大雨と酷暑の趣き、家に籠もるという人が多い中、活発に動かれる方がいらして頼もしく思われる日だった。

白内障を手術して 倉石隆を大評価される村上市のお客様。

2024年6月27日(木曜日)

本日左眼白内障の一泊入院手術を受けて帰ってきた。去る12日に右を終えていたので両眼無事済んだ事になる。デリケートな場所なので安定まで気を付けなければならないと念を押された。

それにしても良く見える。
帰宅の車中で思った。“今までぼんやりしか見えないので、脇見も振らず前を見て運転をしていた。しかし今度はよそ見に気を付けなければならない”と。

そしてもう一つ、鏡を見て思った。“ああ自分はこんな顔をしていたのか”とひどくがっかりした。たるみやシワがくっきり、ヒゲはもっと丁寧に剃らなければならない、いや色々服装も気を付けよう”と真剣に思った。

本、新聞、パソコン、スマホ、、、眼を細めなくても拡大鏡の世話も要らずありありと見えるのは何よりだ。ブログの制作画面もしかりで、誤字脱字、変換ミスなど長年皆さまにお掛けした恥ずかしいご迷惑も減りそうである。

昨日手術後の病室から見た雲。
(眼帯のまま撮りました)

本日樹下美術館のナツツバキ。

この年でこんなに良く見えてバチが当たりそうであるが、早くも自らの老残を目の当たりにした。もっとご不自由な人もいらっしゃるのだから、あらためて親に幸運を感謝しなければと思う。
二度の手術をされた先生、様々で真摯なスタッフの皆さん、大変お世話になりました、感謝しています。

 

私の留守中村上市からいらしたお客様。倉石隆を大評価され、ご自分も持っておられると聞きしました。嬉しい限りです。

本日髙田から中高の同級A君夫婦が見えた。年取ると何度お会いしても初めて会うようで楽しい。

患者さんたちには大変ご迷惑をお掛けし申し分けありませんでした。良く見えるようになりましたのでまた頑張ります。

昨日一泊の白内障手術を受けた。

2024年6月13日(木曜日)

昨日9時、病院眼科の受付をして白内障手術のため一泊入院をし、本日午前退院してきた。皆さまから山ほど白内障手術の話を,、あれほど平気で聞いていたのがいざ自分の番となるとやはり不安を払拭出来ない。100%医師を信頼しているのに2点、痛くないか、失敗しないかを心配するのである。付き添った妻が帰り病室で病衣に着替えて患者になった。

午後1時からの手術は外来多忙のため2時間延期された。お陰でこの間ぐっすり眠り案外さっぱりした気分になった。お迎えが来て小さな点滴を1本刺し、看護師に車椅子を押されてOP室に入った。
氏名、手術側が確認されると可愛いベッドに寝る。開瞼器でしっかり眼が開かれそこへ次々消毒液、洗浄、表面麻酔が掛けらる。川底に潜って岩や空を仰ぐ眺め、はっきり見えないが様々な手順が速やかに行われる。医師は忙しく手を進め、否が応でも呼吸や指示の声が気になる。

途中若干の圧力を感じたのはメスの操作だったのか、そして何かこりこりと感じたのは古いレンズを取り出す時だったものかもしれない。細かな白い泡を主として様々な形と色が出現しくるくる回ったりする。25分ほどの緊張の末無事終了。厄介な事も無く一般的でしたと医師から聞いた。

OP当日夕暮れの院外。
小さな食事票に左目の記念。

夕食はベッドサイドに端座し部屋の入り口に向かって食べ始めた。するとこれが陰気くさいと気付き、カーテンを開け反対向きで暮れる外を見ながら摂った。

翌日(本日の事)7時過ぎに目ざめ、ゆっくりすれば良いものを慌てて帰り支度を済ませ8時半に外来へ。厚い眼帯が外され隅々検査の上三種類の点眼薬の処方を受け病院を後にした。

今回右眼の手術だけ。しかし運転すると院内ではそれほど感じなかった見え方が劇的に改善されているのが分かった。やっとだった二つ先の信号、近づく道路標識などみな鮮やかに見えた。

夕刻少々残る庭の雑草を取りと花の写真を撮った。


良く見えるとは細かに見えるほか、色がきれいに見えることがあげられる。愛車のカローラの塗装がピカピカしに見えたほか、カレンダーの地の白さが非常に新鮮だった。

目を休める為に出来ればもう少し細かな作業を控えた方が良さそうだ。

執刀された先生、お世話になったスタッフ、本当に有り難うございました。
今月中に左目をする予定になっています。

眼科受診 北条の方 切り無き草取り。

2024年5月30日(木曜日)

小生の白内障手術の日程が決まり、既に先日胸部X線や心電図、血液など主要な検査を終えていた。そして本日13:30より手術法や具体的段取りについての説明と詳細検査があった。

70才後半まで入院も手術も未経験であることを密かに自慢していたのが、2021年7月の夕刻心筋梗塞を発症して救急搬送、初めて入院医療を受けた。2回目の入院は一昨年9月、挿入されているステントの状況と心臓の状態チェックのため短期入院だった。
そしてこのたびの白内障。医療機関によって入院せず日帰り手術もあるが、私の場合循環器科でお世話になったためそこの眼科でお願いすることにした。

一泊入院による手術だが主たる臓器の検査、眼科単体の検査と手術方法の説明、術後検査など丁寧な手順を踏む。二回に分け両眼を行うので先ず6回の通入院を行う予定となった。
心臓は突然発症の救急搬送だったのである意味ぶっつけ本番(当然ですが妻に検査、処置の場面場面で説明と理解、承諾が求められていた)。それに比しこのたびのような予定手術には一泊ながら徹底したインフォームドコンセントがなされるむことを、身を以て知らされた。

そんな訳で昨日から緊張しながら早寝した。幸い当日木曜日は休診日ため午前は気晴らしを兼ねて美術館で例の芝生の雑草取りを行い、ゴルフボールを打ち、来館者さんが見えるころ、持参した朝昼兼用の小さなホットドッグとノンカフェインのコーヒーを美術館で摂った。

一時間少々の成果。

 アプローチ。

 清々しい午前の庭。カエデの幹が美しい。
設立のころは精一杯の幼木だった。

朝昼兼用食。
笑われるほど小食。

食事すると本日最初のお客さんがお一人見えた。柏崎市からJRで二つめの北条から犀潟まで電車、駅から歩いてこられたと仰る女性のご老人だった。途中田んぼへ出て妙高山を眺めてから来られたということ、とてもお元気(意欲体力とも私よりずっと)とお見受けした。

他と同じ過疎が進む北条のあれこれをお聞きしているうち、北条を訪ねてみたくなった。当館は何度か来られたと仰り、もしかしたらいつも早い時間と決めておられるのかもしれない。“ここの庭は手入れされる人の気持ちが伝わる。木々のそよぎが良く、癒やされる“と褒めて頂いた。

正午を過ぎ受診の時間が迫ったので一旦家に戻り仕度して病院に向かった。
午後の診察は手術(白内障)を受ける6名の患者に向けた検査と説明の時間。眼圧、詳細な視力、眼球サイズ、眼底、角膜撮影などの検査が続く。待ち時間が長く、本かスマホを持参すれば良かったと後悔した。

最後に受診者全員が集まり、医師と看護師から術前後の段取りと注意事項の説明を受けた。
初めて受ける眼科手術。少しずつ緊張が増すのを覚え、皆さんも同じだろうと実感する。

16時をかなり過ぎて美術館に帰ると急にお腹が空きお茶とケーキを注文して一息ついた。17時閉館と同時に再び「草むしり」に精を出した。もう6回目、どれだけやれば気が済むのかと言われそうだが、せっせとむしりながら「草とり爺さん」でいい、ムチの罰さえなければ「草とり奴隷」でもいい、と思った。

本日2回目の成果。
親指と人差し指の爪の角が痛い。

ところでこの冬から風景や写真、絵画などが黄ばんで見えるようになり進行していた。特に写真がそうで、カメラの故障かと本気で疑い、買い換えも考えるほど切迫していた。本日検査を受けながら白内障のせいではと気がつき、医師に尋ねると多分手術すれば戻りますよと言わた。そうであれば本当に有り難い。

楽しい初ゴルフ 紅麹、健康食品(機能性食品)、水原一平氏は。

2024年3月31日(日曜日)

日は射していたが気温が上がらなかった本日日曜日、米山水源CCで今年の初ゴルフ。親しくして頂いている同業ご夫婦とご一緒だった。


フェアウエーではトップばかり、ドライバーはあらぬ方へ飛び、時には真横に打ち出すなど散々で、短いアプローチは何度もシャンク。滅茶苦茶なゴルフを終始「真剣」に行った。
プレーは不味くとも、ゴルフを始めたばかりの20代のころに「若返った」ようで、そう悪い気がしなかった。昼食に美味しいチャンポンを食べると、後半には幾分調子が戻って来た。

地震の体験を話し紅麹のことも触れた。紅麹では私のところに当該の商品袋を持参され、三ヶ月飲みましたと仰られ、検査中の方がいる。ようやく大規模な健康食品の見直しが行われると言うことだが、様々な合成成分や薬剤成分が入ったものを「安心のお化粧」を施して「食品」と名乗らせるのは果たしてどうなのだろう。

その世界で「血圧高め」、「血糖値高め」とくくられる人々は曖昧な「健康食品(特定機能性食品)」の消費者ではなく、ちゃんとした責任関係で結ばれる「医療」で治療するほうjがよほど真っ当だと考えられる。

変わてもう一つ、違法賭博の問題で渦中にある水原一平氏の行方が、一部で泳いでいる如くいろいろ言われる。門外漢であるが、氏は韓国内で早々に出頭し厳重に保護され、正式な捜査ルートに従って帰米、米国当局に身を委ねているのではないだろうか。

氏にとって身を隠し潜伏するなどは何の意味もないだろうし、可能な訳が無い。

上越市大潟区の特養「しおさいの里」の配置医師を終える。

2024年3月27日(水曜日)

異様な寒さに「冬のしっぽ」などと揶揄していた三月も間もなく終わる。そんな月末の本日は、配置医師として平成12年から一時期中断を挟んで週一お世話になった特別養護老人ホーム「しおさいの里」の最終回診日だった。

数値や症状が心配だった方を病院に紹介すると確定診断がついて入院され、何人か不安定な方たちが不思議と落ち着きはじめ、ほっとしつつ最後の出務を終えた。

医務室を出てエレベーター前に来ると園長はじめスタッフが20人近く集まってきて、園長が挨拶し婦長から花束を渡された。

思えばここにくるきっかけとなった介護保険制度のはじまりのころ、悲惨とも言うべき在宅高齢者の状況と処遇の行き詰まりを強く感じていた。
働きながら世話するお嫁さんの悪口を窓を開けて大声で近所に訴えるおばあさん。しゃがんだ便器にはまり出れなくなったお年寄りの寝床は大便だらけで、半身には褥瘡が連なっていた。

介護保険は準備が出来たところから内容が担保される真っさらな制度だったので医師会を通して粘り強く自治体に働きかけ、県から人が来てヒアリングも受けた。テーマが現行の自治体保健婦→新たなケアマネージャー誕生の可否と課題だったことは懐かしくも象徴的な制度要点だった。

理解が必要な当時の首長や団体の要人達は「介護保険の世話にならないよう普段から体を鍛えればよい」「昔から町内には恵まれない人が一定数いたが世間でなんとかしてきた」という考え方が一般で、その後に「先ずは景気を良くすることが大事だ」が加えられた。
同じ話に対して時には眼から涙を飛ばして「何時か皆さんもその時が来る、今からでないと間に合わない」と言って制度の重要性を訴えた。
介護保険が始まり10年、15年経つと、そのように仰っていた人々は新たに生まれた「ケアマネ」をキーに動く制度の中で無事在宅や施設で過ごされ生涯を終えられた。

それにしても私のあとを継いでくださる若い医師の気持を本当に有り難いと思う。どうか「看取り」などでは特に他の配置医師たちと協力しあい、自らの身体と仕事、なにより家庭を大切にされて続けて欲しい。

偉そうに言うわけではないが「終わり良ければ全て良し」。高齢者福祉は国の最終基盤であろう。
厳しい現場とスケジュールに追われる看護・介護のスタッフの皆さんには、どうか止めずに頑張って頂きたいと心から願っている。そのために地域の施設同士がもう一度強くまとまり、交渉力を高めることは今一度必要ではないだろうか。

 頂いた心尽くしの花束。

何か急に年をとったように感じながら家に帰ったが妻が入れてくれたお茶とケーキを食べて一息ついた。

「しおさいの里」の皆さま、本当に有り難うございました。

病院にお世話になった土曜午後 “駄目なら放っておくしかない、誰かが何とかしてくれる”でいいのだろうか。

2024年1月13日(土曜日)

新年1月も中ばに差し掛かった。予報通りに気温が下がり雪が降った土曜日午後、当直態勢の病院さんに二つの案件でお世話になった。

一つは午前中ある症状によってこられた方の対応だった。念のため採血し緊急検査として医師会センターに出したところ、午後から届いた幾つかの項目の一つに明瞭な異常が見られた。緊急性が想定され、病院に電話をすると当直医は「良いです、すぐ来て下さい」と明解な返事をされ、本当に有り難かった。

もう一件は、介護保険申請前の独居高齢者がある出来事を境にどうしても介護と観察が必要になった。だがさしあたりの問題は当面の介護力が間に合わないことだった。

平日なら在宅介護支援センターなど自治体が関与する福祉機関への相談案件である。担当地域二カ所へ相談をしたところ、土曜午後のため対応出来ないという。どこも同じらしく万事休すである。

事態は介護保険制度では動かないようだ。ならばその制度前、大昔の方法、つまり病院相談をすることに。恐縮しながら数カ所に電話をした結果、最後の病院で「来て下さい」という返事、地獄に仏だった。

最初の例では病院と患者さんへ2本の電話で済んだ。しかし二例目は五カ所の医療、福祉機関と遠くの縁者を含め合計7本の電話でやり取りした。
何とか歩けるなら一人暮らしであろうと1日半くらい様子を見ればいいというi意見があるかもしれない。しかし食事、排泄、薬、いずれにも深刻なリスクを生じているため福祉介護の不対応は痛かった。

これは決して希なケースではないだろう、このたび手間が掛かったのは私の力量不足のせいだったのか。
それにしてもその世界の者が、
“駄目なら放っておくしかない、誰かが何とかしてくれる”でいいのだろうか。

介護保険の始まりの頃、案件はpcを開き、フォーマットにチェックを入れれば1動作で解決するシステム試行の提案があり、みなで頭をひねった。そして23年が経った本日の二例目はぎくしゃくとあちらこちらへ電話を頼りに頻回のやりとりの止む無しだった。

もしかしたら実は今日、きれいに制度が出来ていて、ひとり私が取り残されているだけなのかと不安になった。

これがもし能登の被災地だったらどう扱われるのだろう。問題の根本は普段から不足する地域の医療福祉全体のマンパワーと、その根本に政治における問題意識の不足があるのではないかと深く考えさせられた。

昨夜からの本降りはドカ雪?

2023年12月22日(金曜日)

夜半から本降りになった雪は上越地方一帯に降り、当地でも4,50センチの積雪になった。日中止むこと無く降り続く様は恐怖感があり、今夜の降り方次第では災害級となるドカ雪の気配となった。

午後所用があり美術館を往復したが、国道以外の枝道は一定の幅はあってもひどく凸凹しておりハンドルを取られて怖い。また国道に出る細い市道を進んだ車が国道脇に積まれた除雪塊に阻まれて動けず、ドライバーさんがスコップを振るって脱出を試みていた。とても可哀想だったがいつ自分がそんな目に遭うかも知れない。
そんなことから本日二件の在宅訪問の予定をご本人に変わり無いことを確かめて延期させてもらった。

ところで本日昼、所用があり上越市髙田の脳外科医に電話をしたところ、午後から10件の訪問や往診の予定があるという。20年も前なら在宅医療の取り組み熱が高く、私にも月に5、60人の対象者さんがいて、雪の日も大勢回っていた。
今日施設入所と病院医療に移行される在宅患者さんが増えたが、今まだ訪問日に10件もの用件を引き受け実施される医師の熱意に畏敬を覚えた。

本日昼駐車場の妻の車。

以下久し振りの本日の夕食写真です。

 肉うどん。

鶏肉と白菜の煮込み。

夜になり風が吹いてきた。風はイヤだが吹くほど積雪は減る。予報では明日も雪が続くと言われている。出てきた風が積雪を妨げてくれれば良いが。

4,5年前ならこの程度の雪に怖れをなすことは無かった。それが何かと怖じ気づいてしまうのは年のせいであろう。

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