医療・保健・福祉・新型コロナウイルス

解禁拡大、どうなる第二波、やはり厚生労働大臣が前面に。

2020年7月12日(日曜日)

新型コロナウイルスの感染報告が東京都と周辺および大阪などで4、5月のレベルに並ぶようになった。
死亡例が少ないだけで感染状況は明らかに2波であろう。

現況の死者は少ないが、今後の社会・家庭における接触シャッフルにより重症化リスクの高い老人や有病者への拡大は否定出来ない。
移動解禁と.、5000人以下というイベント解禁はどうみても流れが悪い。
恐らく国はそれも見越して拡大に踏み切ったはずである。
根拠として①陽性増は検査を増やしたため、②死亡例が少ない、③医療資源が足りている、の3点が挙げられている。
しかしこれは、わずか一瞬の相を見ているだけに過ぎないのではないのか。
この先、急な感染と死亡例の拡大が避けられる保証はなく、むしろ悪化の可能性のほうが想定される。

それでもやろうとするのは、集団(社会的)感染→集団(社会的)免疫獲得によって終息を図ろうというのだろうか。
そうであれば、最終的には弱者切り捨て。コメントするのもおぞましい現実が浮かぶ。

新たで厄介なウイルスのコントロールとは、デリケートな措置をラジカルに繰り返すことでしか成立しないように思われる。
慌てて経済を回す前に、根気良い予防マナーの継続、潜在的な発生源の完全な封鎖と経済保証、水平な損失補填の継続。
これらを、国や自治体が血が出るまで繰り返す以外ないのではないだろうか。

当地方では隣接の糸魚川市で初めて一例が報告された。
これと東京都および全国の動静をどう関係づければよいのか。
一般にこれらに対して答えるのは、
厚生労働大臣ではなく経済再生担当大臣が出てくるなどというのは、非常に奇異である。
一刻も早く、直さなければ災禍は永遠に続くように思われる(本気度が疑われる)。
PCRのさらなる一般化と医療確保と同様、リーダの人違いは最も根本的な問題であろう。
体を張っている知事たちは、もどかしくないのだろうか。

雨上がりの庭に百合が咲き、雨蛙と沢蟹が現れる どうなる新型コロナウイルス。

2020年6月26日(金曜日)

たっぷり降った雨は夕刻に上がってきた。
仕事を終えて美術館に戻ると青空が現れ、白い雲が清々しかった。

 

 

 

 

雨にせかされるように百合が咲き始めた。

 

 

身長2センチほどのアマガエルが石で休んでいる。

 

もぞもぞと動いていたのは小さな蟹だった。後ろはゴルフボール。

 雨上がる樹下の小庭に百合香り小さき蛙と蟹の現る。

当分降ったり止んだり、時に陽が射したりするらしい。

 

新型コロナウイルス禍は表向き自粛解除になったは良いが、一部でもやもやと感染が続いている。この状況下では厄介な次波を否定できないばかりか、ウイルスとの共生と呼べるほどの安定感はまだ先のような気がする。
ウイルスは夏場に弱まる、という見方もあった。しかし米国の勢いを見る限り、果たしてどうなのか、見通せないのが現状ではないだろうか。

夏場とコロナウイルスの事とともに、自粛解禁の影響も現れる7月の動向が気になる。

一年生の下校。

2020年6月16日(火曜日)

昨日午後の在宅回りの折、信号待ちをする可愛い小学生を見た。
帽子もランドセルも黄色。体型や仕草、横顔はあどけなく、一年生だと思った。

入学式はじめ授業も不規則続き、児童生徒さんたちはもろにコロナの影響を受けた。わけても一年生は特別だったにちがいない。
ようやく通常の登校が始まっているが、不慣れなことだろう。

 

国道の信号は長い。すわって待つこどもたち。
大人に見守られる様子は、ひな鳥のようだ。

ウイルス禍は続く。
この子たちはコロナ世代などと呼ばれて生きて行くのだろうか。

クルーズ船、宴会、繁華街、ジム、等々、感染は大人の娯楽や習慣が主に拡げた。

罪も無くあどけない子供たちをみていると、可哀想な気がしてくる。

どうか子供らしい夢中さを発揮して、長く力強く生きてほしい。

雨降りの日に抹茶。

2020年6月14日(日曜日)

ほぼ終日雨に降られて肌寒かった日曜日。

 近隣の天ケ池(上越市大潟区)

 

 

抹茶飲む手許のマスクの白さかな

先客に習って私も抹茶を飲んだ。

開けた窓から雨を見ながら頂きました。

コロナ梅雨窓をひらいて服す茶の 湯気あたたかく胸に滲みたり

明日昼頃から晴れる予報が出ている。
毎年テッポウユリがひどく雨に打たれる。開花が近づいているが、沢山植えたので今年は是非控えめな降りにしてもらいたい。

東京で48人の新型コロナウイルスの新規感染者が報告された。
基準を設けても、突然のようにその上を行くウイルス。
私たちはまだ甘いのだろうか。いずれにしても東京の困難は、そのまま地方の困難につながっている。
経済や社会をぎゅうぎゅうと突いてくるウイルス。どこまで私たちを試せば気が済むのだろう。

大変なものを相手にしてしまった。

パチンコとカジノと新型コロナウイルス  低気圧下の雲。

2020年5月19日(火曜日)

日常的なタバコ、アルコール、甘い物、、、。
これらには止めたくても止められないレベルの依存症を生じることがある。

このたび新型コロナウイルスに関係して、様々な業種に混じってパチンコ店が休業要請された。店の休業と顧客の自粛はなかなか円滑に進まず、口頭による申し入れや店名公表も行われた。
休業はかなり進んだが、結果は一種モザイク的だった。開いている所を探し、はるか遠隔から来店するファンがいて、依存症の側面が指摘された。

一般に長く習慣化し周囲や医師に止めることを勧められる依存症。意を決して止めようと試みれば、当初上手く行っても、回数・量を減らすほど美味しく感じ、味が濃厚になる。詳しくはないが紙面を賑わす不倫にもどこか似ている。
〝制限されるほどつのる〟
過度の習慣によって脳が受ける薬理的な作用、依存症の厄介な側面である。

パチンコに眼が行くと、新型コロナウイルスで深刻な米国のカジノが気になり、ウェブを覗いてみた。自由の大国ゆえ、かなり緩いのでは、と想像していた。
すると、三月中に全米のカジノ団体に対して閉鎖が指令されると、ほぼ全ての施設は一斉に休業した、とあった。パチンコとの差に、とても驚いた。

まとまって反応する業界、それ以上に、従う顧客の相違が目に付いた。法令の違いもあろうが、訪れる人の動向がパチンコと異なっているように写るのである。
実は裏カジノなどがあるかもしれない。しかし表向きカジノとパチンコに何か違いがあるのだろうか。
現場を想像するに、ディラーなど人の介在とやり取り、マシーンを動かす動作の必要、客同士のコミュニケーション、アトラクションの息抜きなど、多彩なカジノが浮かぶ。

対してパチンコは、機械に対する孤独で受け身的な集中。休息配慮はあるが、長時間に亘って反復する脳への強い単純刺激と興奮が挙げられる。前者にゲーム性が想像され、後者には依存性が懸念される。

米国のごく一部にパチンコがあり、これに似たものが他にあるかもしれない。
ここでは産業としてのカジノとパチンコについて、わずかな見聞から依存症を心配して記載してみた。

だからと言って懸案の国内IRは余りに異質で、私には理解できない。
そのお金は工夫し、既存する国内の諸業に回すようにすれば良いと思う。

パチンコの世界における精神衛生について、さらに進んだ取り組みを期待したい。

 

本日午後3時ころの大潟区は東の空。コントラストの強いうねるような雲が形を変える。

 

およそ一時間後、在宅回診の西の空。
白い帯状の降水雲。帰りには降り始め山が見えなくなっていた。
2、30分すると雷が始まった。

本日の在宅は三件。雨は夜間も続き、望ましい事だが降り過ぎは困る。

円滑なPCR検査実現へ 二波三波を前に今こそ新たなスタート 頸城園芸。

2020年5月16日(土曜日)

戦争よりまし 減らない死亡者と現場消耗の懸念 いつしか夏の庭へ。

2020年5月13日(水曜日)

宣言の有無に拘わらず、この先もじわっとした不安と緊張に包まれて日々過ごすに違い無い。そんななか、かってある年配の女性の患者さんが仰った、
「それでも戦争よりましです」と。

田植えの季節になった。
一年で最も良い季節の一つであろう。かってそのような折、夫に召集令状が来て出征し稲刈りの頃、遺骨になって帰ってきた。近所の男衆にもたびたび同じ話を聞くようになる。
それが何年も続き、生徒さんたちは工場へ動員、物資は配給、当地でも空襲のサイレンが鳴るようになり、〝欲しがりません勝つまでは〟一色の社会を経験したのである。
まともには比較できないが、言われれば今の所そのような日常よりはまだいい、と思うしかない。

ただ最近の状況をみると、感染報告は減りつつあるものの死亡者20人前後の日がそう珍しくない。
すでに受け入れ機関の関係者は3ヶ月余、ウイルスに身をさらし、連日死と背中合わせで重症者と取り組んでいる。院内感染による一旦撤退も無視できない。
また重積する疲労とストレスで逃げ出したい心情が去来するのは頷ける。実際、耐えきれずに現場を去った関係者がいるやに伝わる。

対象が減少しているのに死亡者が減らない。
バランスを考えれば、質・量とも医療側の消耗の現れではないか、と心配している。
だれ一人としてスーパーマンではない。彼ら彼女らは風邪と戦っているのではなく、基本丸腰でウイルスの相手をしているのだ。

どうか政府には長期戦で消耗しているであろう現場に対し、いっそう手厚い支援を考慮してもらいたい。

 

いつしか樹下美術館の庭は初夏の趣きになった。

 

 

 

 

多くは無いというものの、はっきりとは減らない死亡数が気になる。

昭和の日の休日 先へ進む花 懸命に酸素を運ぶトラック。

2020年4月29日(水曜日)

連休初日となる本日休日は昭和の日、ということだった。
昭和時代の期間は実質62年と14日になるという。私が生まれたのはその四分の一ほどの前期に相当する期間だから、遠い時代の出生者ということになる。

自分が中学校に入学した時、今の私の年令に相当する人は明治9年生まれだ。何とグラハム・ベルが電話を発明した年らしい。
だから今年中学へ入った孫の一人にして見れば、私などは(私にすれば)、もはやはるか歴史上の世代に属していることになろう。
あらためて昭和、なかんずく自分は古いと感ずる。

だが現在、ノスタルジーなど許さぬとばかり強力なウイルスに囲まれてしまった。昨年の今ごろ、いや今年の正月に、だれが今日を予想しただろう。

困惑の日々にあって、以下は本日午後の樹下美術館の庭です。
八重咲きイチリンソウ、黄花ホウチャクソウ、白ヤマブキ、エビネ。
私たちの混乱を傍目に、「お先に」とばかり咲き誇っていました。

 

 

 

 

 

 

 

風で落ちたか、たぶんジュウカラの巣。
新しい巣をちゃんと造ったのだろうか。
忙しい鳥がこんなに手の混んだ物を作るとは。

 

ベンチに座ると高速道路をトラックが忙しく往来していました。
行き交うトラックは呼吸困難の国を救おうと、懸命に酸素を運んでいるように見えました。

頸城区の茶臼山城跡公園と日本自然学習実践センター

2020年4月25日(土曜日)

週末土曜日は晴れたらどこか戸外へ行く、1週間前から決めていたその日が晴れた。ざっと二カ所、上越市は頸城区の茶臼山城跡公園と十日町市は松代の長命寺を行く先候補にしていた。

午前は仕事、午後一時半すぎから予定通り出かけた。

先ず茶臼山城跡公園。
当公園と池は去る4月9日に来た道に隣接(あるいは含まれている?)する場所であり、当日遠くから一枚写真を撮っていた。
小さな溜め池を想像していたが、どうして、眺めの良い丘陵に抱えられ、旧跡茶臼山城を頂く風光明媚な場所だった。

 

この左手から茶臼山へ上っていく。

 

 

途中の見晴台。

 

数百メートルで茶臼山山頂。城跡に建つやぐら。

 

櫓(やぐら)から池を眺める。

 

ユズリハ。

 

ナツハゼ。低木だがこの木を見ると場所に品格を感じる。

 

公園を後にした。苗作りでしょうか。

 

茶臼山の林道にワラビが生えていた。
かってここで大きなワラビを沢山採った。

 

林道を降りて進むとほくほく線「大池憩いの森」駅へ出る。

 

「大池憩いの森」駅から直近の場所。
素通りしていた所だが、本日あまりに美しい新緑のハンノキを目にして車を降りた。

 

「上越市日本自然学習実践センター」といういかめしい名前がついている。
大規模なビオトープということだが、20年ほど経過し、極めて瑞々しく自然な景観になっている。

 

センターは奥が深く魅力的だった。是非再訪して全周してみたい。

 

ここでピクニック仕度のご家族とすれちがった。
三密で家に居るのも大事だが、新鮮な外気に当たり、
日光を浴び、さらに健康アップをはかるのは有益だ。
新潟県は至る所、静かで健康的な場所に恵まれている。

さて以上は本日の公園と自然の探訪でした。
いずれも非常に良く手入れされていました。田舎には荒れた自然もあることはある。しかし、手入れされている自然は手入れされている都会よりも洗練され、かつ健康的で安全ではないでしょうか。管理に関わっている皆様に心からお礼を申し上げます。

このあと松代(十日町)の長命寺へと向かいましたので、次回掲載させて下さい。

ご拝読あり難うございました。

岡江久美子さんが亡くなられた 「Till(その時まで)」。

2020年4月23日(木曜日)

岡江久美子さんが新型コロナウイルスに感染されていて急変、亡くなられたということを知った。
重症化から重篤化へ。その間の恐怖と苦しさはいかばかりだったか、それを想像し、心からお悼みするばかりだ。

普段感染や死亡の数が発表される場合、主に疾病理解のための情報として接している。しかし、それが「知人の知人の事」になり、さらに「知人のこと」となれば、事は非常にリアルなものになろう。
この点、志村けんさん、およびこのたびの岡江久美子さんは、個人的に知らずともテレビで見慣れた人ゆえ、病の恐ろしさがまざまざと伝わる。

設定された緊急事態宣言の期限を控えて、緩みがちな私たち。突然の彼女の知らせは大きなインパクトがあった。

〝心から岡江さんのご冥福をお祈りいたします〟

 

さて一定の安心の日は、まだ1年より先とも聞く。その時、皆でなにがしかの警戒をしつつ、かっての毎日を懐かしむように話をするのだろうか。おそらく行きつ戻りつしながら、自由の日は徐々に実現されるのだろうが、どんな日が待っているのだろう。

そんな本日、「Till」(その時まで)のタイトルの曲をYouTubeから引いて並べてみました。
1950年代から世界中で聴かれた曲で「愛の誓い」という邦題がありました。
(以前は世界中で聴かれる曲が次々と生まれた)

ゆっくりしたテンポと伸びやかなメロディーは、萎縮しがちな心に響きます。

 

若い時はつまんないと思っていたロジャー・ウイリアムス。
年のせいでしょう安心して聴けるようになった。

 


ジェリー・ヴェイル。申し分無く良い声ですね。

 


世界を駆け巡った歌姫、カテリーナ・ヴァレンテ。

 

心から岡江久美子さんのご冥福をお祈り致します。

ある種論争としてテレビやネットを賑わしている著名人などは、これまで亡くなった人達の死を悼んで、一日くらい静かにできないものだろうか。

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