社会・環境・世界

「いじめ」は学校を介した重大な犯罪行為 仏門と写真。

2021年7月21日(水曜日)

オリンピックの開会式で使用される音楽を担当した小山田圭吾という人が、学校時代に行ったいじめが問題となり、役を辞した。ニュースで知る限りその行為は非常に悪質であり、後年それを自慢話として語っていた態度も質され、そのような人間を五輪の重要なスタッフとした組織の責任も問われた。
この話題で五輪組織の人選の可否を問うても意味がない。そもそも組織の緊張感などはその程度だったにちがいない。

問題の芯は、恐らく今でも広く暗く存在しているであろう「いじめ」そのものの事である。伝えられる学校に於けるこの度の行為、あるいは過去の他の事件、さらに周辺にも時として許しがたく、考えさせられる事が教育の場を介して起きる。
それは嫌がらせや侮辱のたぐいから、耐え難い行為の指示と強制まで非常に多彩である。いじめる者は、どうすれば相手が傷つき、屈服し、苦しむかを周到に考え仕掛ける。
小山田氏の述懐のように、加害者の日常は攻撃の悪質度を上げる一点に集中され、影響は被害生徒たちの忍耐をはるかに超えるものだったにちがいない。

非情なことは、受ける生徒たちの年令である。敏感さや危うさの中で成長する感じやすい年頃だ。たった一言で大きなダメージを受けることもあろう。まして常態化では現実と将来に深刻な傷を残し影を落とすはずである。

良心や向上心などは格好の標的として破壊される。生かさず殺さず、最終的に思考停止や人格破壊にまで楽しむように行われる。
生きる屍、あるいは動物レベルの存在になるまでエスカレートする加虐。行う生徒は一見普通に見えるはずだが、心理は異常である。

いじめによって不登校、転校、さらに通院も視野に入り、最終的に自死も希ではない。
こんなことが現実に教育現場で起きるのである。
出来事は学校を介して生まれ、学校は行為に場所を提供している。
一体こんなことがあっていいのだろうか。

感じやすい年代で加虐された子は、トラウマにより生き直しに何十年もかかったり、結婚や出産を逸する人生を歩む人もある。
これは深刻な人権(生存権)に関わる問題であり、軽く「いじめ」や「いじめられっ子」などと呼ぶのは止めた方がいい。
現に死まで目論む本質は虐待、拷問などの高度な犯罪と変わりない。

小山田氏の一件を機に校長と生徒、保護者、教育委員会は、今一度足元を見直し、教育を損なう生徒の行為を考え、本気で対策を話合ってもらいたい。
結論などは急がなくても良い。
問題があれば、匿名でも良いそれをを常に明言し、事案によって警察も入れ、開かれた話し合いを続ける姿勢が求められよう。
校長は隠さない一点を必死に貫けば良い。他人任せの委員会設置は何の役にも立たない。

小山田氏は役を辞した。
公の場で謝罪をと言われるが、真実意味がない。公開謝罪はもう一つのリンチを増やすだけである。
私は、氏は黙って仏門に入るのが一番良いのではないかと思う。
いつの日か解脱の僧へ、あるいは芸術性を生かし社会で再生する日まで修業してはどうか。

最後に叶うならば、メディアには氏の写真を全て取り除いてもらいたい。
年をとっても写真には人の本質が現れる。
写真がかっての被害者たちに恐怖のフラッシュバックを生じさせ、深い傷が再燃するのを心配するのである。

いじめやヘイトはいびつな優越願望やその裏返しである何らかのコンプレックスが根底にある。
事態が進行しないうちに自ら気づいたり、賢明な介入が望まれる。

揃って花をつけたナツハゼ シジュウカラの水浴び 災難と化しつつある五輪。

2021年5月29日(土曜日)

よく晴れた金曜日。
今年は春先から例年を上回るクリスマスローズと芝生の成績が良く、その後トサミズキ、スミレ、エビネ、キバナホウチャクソウの花々のほか樹木も例年以上に勢いが感じられている。
以前ブログ上で、それは今冬1月の大雪に押して貰ったせいかもと書いたが、それより翌年の準備が始まる昨年の初夏以降の天気が植物向きだったのかもしれない。

本日何気なく見たナツハゼが沢山花(実)をつけていた。
カフェ正面の奥の方、日陰ぎみの場所にナツハゼが3本植わっている。この木は大きくならないが、以前から一種風格があると感じていた。
ちなみにその昔購入した雑木の庭の本には必ずと言って良いほど載っていた。ひっそりしているけれども直ぐにそれと分かる爽やかさと存在感があった。そもそも以前の大潟区の松林や雑木林でよく目にした。

何が良いかと言えば、あまり群れないこと、葉が爽やかで水平な感じに付くこと、小さな割りに枝振りが良く一種貫禄があること、秋いち早く上品に紅葉すること、秋に真っ黒で艶やかな実を沢山つけ、それを鳥が好むことなどであろう。当館では数年かけて、複数の店舗から通販で3本購入して植えた。

だが実をつけたのは1本だけ、以後他は外見だけナツハゼだが全く花も実もつける事はなかった。
かって木に詳しいお客さんが、これはナツハゼでは無いかもしれない、と仰ったこともあり残念が続いていた。

それが本日、前述のように駄目だった二本がしっかり花をつけていたのである。

 

赤みがかったものと黄色のが見られた。

 

 

初めて花をつけた二本の木の様子。
夏以後の葉や実を楽しみにしたい。

来館されていたお客様と庭でナツハゼの話をしていると、あっシジュウカラ、と仰った。
見ると水鉢にシジュウカラが何羽も来ている。

 

恐らく今期生まれた若鳥であろう。
既に親の給餌が終わり独立したばかりと考えられる。

さて世紀の祭典であるオリンピックが、災難の印象を強めている。
そもそも優れたアスリートほど体調に敏感でその管理に日夜気を使う。ワクチンは開催の鍵になるが、これから接種する場合、選手のコンディションは少なからぬ影響を受けるはずである。また鍛えられてはいるが、アスリートたちは必ずしも感染症に強いとは言われていない。
大谷翔平選手の開幕当初の不調はワクチンだったと本人が述べているとおりである。外野のお祭り騒ぎをよそに、選手達は、感染と接種についてかなりナーバスになっているのではないだろうか。これらを考慮すると今後接種スケジュールが健全な形で間に合うのか、心配される。
いずれにしても真剣な彼らは、コロナの事を決して「単なる風邪」などとは思っていないはずである。

世界が感染症を克服しないままの五輪は、選手が気の進まない実験をさせられているようで、傍目にも喜べない。
そもそも強気一本のIOC会長ほか要人たちは、その時ちゃんと来日するのだろうか。

芍薬の季節 蜘の糸が絡んだカワラヒワ 接種は1回目の半分まで来た。

2021年5月26日(水曜日)

気持ち良い晴れ間に恵まれた本日、特養の回診を終えて休館日の美術館に寄った。
木々の緑は一段と深い色になり庭の立体感がぐんと増している。それにしても年ごとの樹の成長はとても早く、あちらこちらで青空が狭くなるのを感じる。

 

この場所のアヤメとスズランが終わり、手前の糸ススキが生え揃ってきた。

 

西の庭に集めている芍薬が盛りを迎える。
間もなく黄色も咲くことでしょう。

 

カフェの正面で目立っている芍薬。

 

雀のヒナが賑やかに鳴き、親に餌をせがんでいる。
強く鳴き続けながら鳥の命である喉や声が鍛えられる。

 

庭を出ようと車を走らせると、フワーッとカワラヒワが飛んで来た。

 

庭に張った白いロープに止まり、しきりに何かしている。
撮ったモニターを見ると、蜘蛛の糸が体に絡んでいるのが見えた。

 

 

 

引っ張ったり振り回したり、懸命に糸を取ろうとしている。
助けようと思うが近づけば飛び去るに違いない。
間もなく取れたらしく、素早く飛び立った(鳥も色々なことがありそうだ)。

さてワクチン接種は10日目を終え、予定360人の1回目目のおよそ半分近くが終わった。一回の接種は短時間であるが、出来るだけ会話をしながらリラックスして頂くようにしている。
全国では意欲的な歯科医師や研修医の参加もあり、接種がいっそう拡大する流れなり良い事だと思う。

接種には厳しい条件があるワクチンの管理と注射液の調整が必要で、これにも神経を使う。
信じられない齟齬も公表されているので、“あわてないでゆっくり仕度して”とスタッフと話している。

来月は自院の注射のほか施設と集団の接種で問診担当が加わるので、当面の山場になりそうだ。

今夜の皆既月食は是非観たかった。ごく短時間上りかけの赤い月を観たが直ぐに見えなくなり大変残念だった。

野の花、棚の花、畑の花、庭の花 本日二回目のワクチン 五輪は別の道を 理想と憲法。

2021年5月2日(日曜日)

春の光を浴びたい連休中の日曜日だが、冷たい風が吹き曇り空からポツポツ当たる時間もあった。

午前11時半頃に二回目のコロナワクチン接種を受けた。
連休中、デッサンをする予定なので、注射は右腕を止め前回と同じ左に打ってもらった。痛みや発熱、だるさなどの副反応は2回目のほうが多くみられるといわれる。今の所前回より痛みは軽めに推移している。
但し、一回目に無かった寒気と頭痛がうっすらあり、風邪のひき始めのような感じをおぼえる。
一緒に受けた二人のスタッフはどうだっただろう。わけても前回接種2日目に37,8度の発熱し、カロナールで解熱したたスタッフは本日の予診で接種可能と判断された。明日は状態を尋ねたい。

前回は2Fで、今回は一階で書類チェック、問診、注射、観察が行われた。全てとどこおりなく進み、休日にも拘わらず引き受けている病院に深く敬意を覚えた。

さて一両日目にした花を掲載してみました。

 

上掲2枚は昨日往診帰りに大潟区の雑木林で見た白藤です。

 

上掲3枚は本日、頸城区の西部児童遊園で見た藤棚。
開花したての色鮮やかな藤。

 

頸城区松橋の菜の花。

 

昨日大潟区の雑木林に咲いていたウワミズザクラ。

 

本日美術館の前庭で見たアオダモの花。

 

さてコロナによる抑圧的な日常はまだ続くうえ、ワクチンは接種を受けるのもするのも双方決して楽ではない。収束が見えないどころか、すでに4波。
日本はまだ良い方だ、という気楽さと足りない学習、さらに肝心なところに政治ノイズが深く混入する。神風でも待っているのだろうか。

私見だが、ワクチン接種が進み、ウイルス自身も休息する今夏、感染鈍化が見えたら一気にロックダウンし収束させる道があるのでは。燃え盛るタイミングより遙かに効果があると考えられるが、どうだろう。

引きずっているオリンピックはそろそろ中止を決定し、予算を自前のワクチンと抗ウイルス薬開発に回しては。
選手たちにはコロナ世代の希有なアスリートとして、競技ごとの指導者や専門家、あるいはスポーツドクターやリハビリテーションの専門家として厚遇、育成される道を残し、選択してもらうのは如何だろうか。
追い込まれた状況の中で、人の心を打つのに無理矢理突破しか方法が無いというのも情け無い。

話は変わり、明日は崇高で美しい前文を有する憲法の制定記念日。
負けてもなお維持されるであろう日本人の実直さと美しい心を映す憲法。それはまた累々たる無念の死の上に書かれた。
貴い精神を振り返りこそすれ、書き換える無謀を謹んでもらいたい。

不肖私も一応その有り難みを奥底に労働し、納税し、善良を心がけて生きてきた。
しかるに改憲されれば、あるいはその論議の過程に於いて、
突然に、
「貴様、それでも日本人か!」という乱暴な言葉に出合うような予感がして気が滅入る。
人間は一人では乱暴な言葉を吐かないが、大勢集まると優越意識に駆られて、変わってしまうのである。

何事にも基本として必要なものは理想であり、高く美しいほど、貫くほど価値があることを疑わない。

パチンコとカジノと新型コロナウイルス  低気圧下の雲。

2020年5月19日(火曜日)

日常的なタバコ、アルコール、甘い物、、、。
これらには止めたくても止められないレベルの依存症を生じることがある。

このたび新型コロナウイルスに関係して、様々な業種に混じってパチンコ店が休業要請された。店の休業と顧客の自粛はなかなか円滑に進まず、口頭による申し入れや店名公表も行われた。
休業はかなり進んだが、結果は一種モザイク的だった。開いている所を探し、はるか遠隔から来店するファンがいて、依存症の側面が指摘された。

一般に長く習慣化し周囲や医師に止めることを勧められる依存症。意を決して止めようと試みれば、当初上手く行っても、回数・量を減らすほど美味しく感じ、味が濃厚になる。詳しくはないが紙面を賑わす不倫にもどこか似ている。
〝制限されるほどつのる〟
過度の習慣によって脳が受ける薬理的な作用、依存症の厄介な側面である。

パチンコに眼が行くと、新型コロナウイルスで深刻な米国のカジノが気になり、ウェブを覗いてみた。自由の大国ゆえ、かなり緩いのでは、と想像していた。
すると、三月中に全米のカジノ団体に対して閉鎖が指令されると、ほぼ全ての施設は一斉に休業した、とあった。パチンコとの差に、とても驚いた。

まとまって反応する業界、それ以上に、従う顧客の相違が目に付いた。法令の違いもあろうが、訪れる人の動向がパチンコと異なっているように写るのである。
実は裏カジノなどがあるかもしれない。しかし表向きカジノとパチンコに何か違いがあるのだろうか。
現場を想像するに、ディラーなど人の介在とやり取り、マシーンを動かす動作の必要、客同士のコミュニケーション、アトラクションの息抜きなど、多彩なカジノが浮かぶ。

対してパチンコは、機械に対する孤独で受け身的な集中。休息配慮はあるが、長時間に亘って反復する脳への強い単純刺激と興奮が挙げられる。前者にゲーム性が想像され、後者には依存性が懸念される。

米国のごく一部にパチンコがあり、これに似たものが他にあるかもしれない。
ここでは産業としてのカジノとパチンコについて、わずかな見聞から依存症を心配して記載してみた。

だからと言って懸案の国内IRは余りに異質で、私には理解できない。
そのお金は工夫し、既存する国内の諸業に回すようにすれば良いと思う。

パチンコの世界における精神衛生について、さらに進んだ取り組みを期待したい。

 

本日午後3時ころの大潟区は東の空。コントラストの強いうねるような雲が形を変える。

 

およそ一時間後、在宅回診の西の空。
白い帯状の降水雲。帰りには降り始め山が見えなくなっていた。
2、30分すると雷が始まった。

本日の在宅は三件。雨は夜間も続き、望ましい事だが降り過ぎは困る。

蝶の飛翔 夕刻のさえずり 改憲はしないで。

2020年5月3日(日曜日)

昨日日中、庭へ出るとアゲハが飛んでいた。お天気も良く活発だ。素早くてファインダーが追いつかず、当てずっぽうにカメラを向けてシャッターを押すと何枚かに写っていた。
眺めている時と違い、写真で見る生き物たちはとても賢そうに見える。蝶は、吹き付ける風の中、高尚にも紙のように軽い身体をコントロールして飛び回るだけに、あなどれない表情が覗える。

 

 

さて本日日中は本を読んで過ごし、夕刻美術館の庭に出た。隣の田んぼに水が入ってきた。これから夏に向けて素晴らしい季節が始まる。

 

降るかなと思った空が踏みとどまった。

 

暮れる石垣の下に釣り鐘水仙(ツチガネズイセン)がひっそりと咲いていた。

 

その花のすぐ右で一輪残った椿が「お話しましょう」と声を掛けている。

 

庭ではちょこちょこゴルフボールを打ちながら過ごした。様々な鳥たちが遠近の木立で鳴いている。
私たちも、一日無事に終わった時、夕方みんなで歌を歌うような動物であったなら、戦争など起きなかったかもしれない。

首相がまた改憲をしたい、と述べていた。ただの一行の改憲であっても、国民が厳しく二分されるのは明らかである。改憲は議論では済まない。議論で済むならとっくに終わっている。個人が大事にして生きてきた信条、価値観、あるいは性格なども関係しかねない問題を、議論などと言って今さら揺さぶらないでもらいたい。

45年間せいいっぱい仕事し納税してきた今日、いまさら「あなたは間違っている」などとは絶対に言われたくない。昔から憲法は国民が安心して生き、喜んで働くための支えだと、ずっと思っている。

蜘蛛ケ池天ケ池 苦しい人間社会と鮮やかな自然 全国へ緊急事態宣言。

2020年4月16日(木曜日)

上越市大潟区には大小六つの湖沼があり、南西よりに二つ蜘蛛ケ池と天ケ池(あまがいけ)が並んでいる。二つは県道と畑を挟んでわずか150メートルほどで隣り合っている。
在宅訪問などで頻繁に通るが、この通りでいつも清々しさを覚える。二つの池はよく雰囲気が似ていて仲の良い兄弟のようだ。

 

天ケ池

 

蜘蛛ケ池

 

水鳥が山桜の所に集まっている。

 

社会が新型コロナウイルスに苦しんでいる間に野は次々と花を咲かせ新緑の着替えをしている。今回ばかりは自分たちが惨めな分、自然はいっそう鮮やかで高尚に見える。

さて緊急事態宣言が全国へと拡大して出された。
残念ながら国の施策には気骨が感じられず、いつもながらピンと来るものがない。
これまで丹念に個々の感染経路を追って頑張ってきた新潟県。当初インタビューを受けるニュースの知事は戸惑いを隠せなかった。

自分としては当然必要なことは精一杯遵守して行きたい。
だがこの先、どこか実感の乏しい要請や宣言を聴き続ける事。それが一番苦痛かもしれない。

メディアや記者ばかりはなく直接国民にも語りかけて ヒスイ色の海。

2020年3月27日(金曜日)

元気だった人が周りで倒れていく。おそらく欧州やアメリカの一部では感染症の恐ろしい一面がみられているのでしょう。
あまり好きな言葉でありませんが、内外で「国難」や「戦時下」という言葉が使われるようになりました。

全国を襲う未曾有の事態に対応するリーダーは国や自治体の長です。国民が冷静に振る舞うため、機を見て的確な説明をして取り組みを訴えなければなりません。
その際、
精一杯で良い、「明解な事実」、「強い問題意識」、「取り組みへの情熱」および「精度の高い対応」の伝達が期待されます。
これまで首相は、対策本部や専門家会議の後に何度も会見を重ねました。しかし主にメディアを介する会議の結論と報告が中心でした。

事態はまだ先まで続く様相です。不慣れな生活によるコロナ疲れも否定できませんし、軽症と言われる若者の逸脱も無視できません。
事態が重大なほど、長引く今、リーダーによる心打ち勇気と希望につながる言葉が待たれます。

うらやましいことに、マクロン氏やメルケル氏は、まるで国民を自室に招いて語るように自分の言葉で訴えました。我が国のように大勢のSPと役人、あるいは記者を引き連れる、権威に囲まれる会見は、仰々しい視覚的な雑音によって、素直に視聴者の心に入り難いのです。国民一人一人に向けた心に響く首相の(あるいは都知事の)生の言葉を聞きたいのです。

余談ですが、この点テレビでみる道府県知事たち(一部を除いて)はメモ無しで自らの言葉で話をされ、事態の切迫感と自身の真剣さが伝わります。そのほうが安心にも繋がるようなのです。

 

さて以下は先週土曜日、夕刻に近い柿崎海岸です。

 

 

 

 

 


過日の上下浜はオレンジ色でしたがこの日はヒスイを思わせる色でした。

終戦の日 憲法 空腹の兵の無念と今日の飽食

2019年8月15日(木曜日)

新潟県胎内市で40,7℃の記録的暑さの本日は終戦の日。
暑さの盛りに太平洋戦争が終わっている。
終戦は玉音放送で一般に知らされたが、南方で現地召集された人の話によると、終戦の数日前から民間で、間もなく戦争が終わる、と囁かれていたという。当事者には真実が伝わらない戦争の一面であろう。

ところで川が多かった戦地の移動はよく舟が用いられ、格好の機銃掃射の標的になったという。民間と区別するためスレスレまで下りてくるので、本当に怖かったと仰った。この方は終戦まで数え切れない襲撃に遭い、殆どの戦友を失ったものの、奇跡的な運命によって生還されている。

もっともっと早く終わっても良かった戦争。だが戦争遂行者には国民の死は足りなかったとみえ、後々まで累々と自国民の死人の山を築き続けた。
一体それで何がしたかったのだろう。
異様なサディズムとしか言いようがない。
それとも、もういいよ、そんなに死ななくてもいいから、もう止めようと、敵国に止めてもらいたかったのだろうか。

そして憲法。
疲弊と空腹の戦後、一部の知的に強靱な国民以外、到底新憲法を作る体力など無かったに違い無い(そもそも戦勝国が主導するのは当然だろうが)。
ただ以前も記したように、何百万人の戦争犠牲者およびその何倍もの家族の慟哭と魂の叫びが、敵味方を越えて平和憲法を産み落としたのではないだろうか。また、それによって初めて犠牲者は浮かばれたのではと、心の底から思っている。

恐怖と理不尽のうちにやせ衰え、万歳と叫んで死んだ若き兵。
こんな時代のために自分は死んだのか?
いま飽食に加熱するこの国を見て、天国の兵たちはどう思うだろう。

本日入浴時の体重は願い通り53キロを切った。
兵隊さん、また少しやせましたよ、と心の中で呟いてみた。

 

樹下美術館から見た本日の空。

 

本日裏手の水田。

陶齋親子展にちなんだお茶席 一昨日期日前投票をした。

2019年7月20日(土曜日)

雨の予報が曇りになり、いっときだけ霧雨が通過した土曜日。
陶齋親子展の催しに関連して隣接の茶室で呈茶を行った。客様は若い女性お二人で、私も末席に座り、妻が点前を、お友達が支援をして下さった。

 

 

 

床は小林古径筆「壽」が掛かり、ムクゲやヤハズススキなど庭の花が宗全籠に入っている。

 

香合は初代陶齋の緑地金彩秋草文。

 

 

窯は西村道也、薄茶器は初代陶齋、水指は二代陶齋を用いた。

 

すらりとして絶妙のフォルムは二代陶齋尚明氏の辰砂細水指。

 

初代陶齋三郎氏のどくだみ小壺に柿蓋を付けた薄茶器。

 

煙草盆の火入れは初代作、染附湯飲みを見立てで用いている。

 

お出ししたお茶碗。左に陶齋「弥彦鉄鉢茶碗」、中央阿牛「掛分釉幾何学茶碗」
右鈴木秀昭「色絵金銀彩綺羅星茶碗」

台風が近づいているらしく、蒸し暑かった本日。軽めにクーラーを点けた茶室に清々しい時間が流れた。
本日はお二人のお客様でしたが、たとえお一人でもお点前を致しますので、ご希望の方はご遠慮なく樹下美術館の窓口やお電話025-530-4155で申し込み下さい。

 

参院選挙の運動期間が本日で終了、明日投票日となりました。
「比較的近くにある恐ろしい柏崎原発を止めて欲しい」、「精神の拠り所である憲法を大切に守って欲しい」、「安心して自らの信条に従える社会であって欲しい」、と心から願っています。それで一昨日、期日前投票に行き、これらに叶う人がいましたので投票してきました。

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