花頭窓、二十三夜塔、庚申塔、社寺

去る日曜日の柏崎行き。

2019年11月12日(火曜日)

私の庚申塔探訪は言葉は悪いが、近郊ドライブの「眼なぐさみ」、あるいは一種気まぐれとして、細々と続いている。
先々で出合った石塔周辺の自然や社寺あるいは集落の印象などから、そこの風土や暮らしぶり、あるいは昔人の願いなどを思ったり、気づかされたりして楽しむという風で、研究などの上等なものでは全くない。

さて昭和41年発行の「越後の庚申信仰」には以下の丸い庚申塔が掲載されている。

越後の庚申信仰:尾身榮一 大竹信雄 共著 庚申懇話会 昭和41年10月28日発行

「越後の庚申信仰」にある写真。
何かとても可愛い印象。
下の基壇から上へ、構成している各部分のバランスが良い。

青面金剛が円形の石に掘り出されている一見和やかな石像だ。様々な様式がある中で、本尊が円いふち取りに収まるのは珍しく、是非とも見たいと念願していた。
くだんの本には柏崎市四谷2とあり、実は今年1月妻と車で周辺を巡ったものの見つからなかった。

このたびは去る11月3日日曜日、新潟市に用事があり、途中再度の柏崎行きを試みた。
目的の同市四谷の通りは隅々まで家が建つ。村落の庚申塔ならば集落の境や社寺の門前などでよく見るが、街中ではよほど目立つ場所か、所番地が明瞭でない限り中々見つけ難い。
この日も道を変えながら色々回ったが、駄目だった。最後に近くの柏崎警察署で聞いてみて、駄目なら諦めようと決めた所で、とある庭から婦人が出てこられた。

その方にお声を掛け、本の写真を見てもらい、近くにありませんか、と尋ねた。
「庚申塔ですね、多分あそこでしょう」
「え、あるのですか!」
「すぐそこですよ、主人は今出ていますが、この方面の専門家です」
ああ、こんなことがあるのだろうか、偶々遭った人のお身内が探しあぐねていたものの専門家とは。
女性は私たちがその前に立っている「三忠呉服店」の女主人だった。

利発そうなその方は道を挟んだ向かいの路地に入って行かれ、私は後に付いた。30メートルほど歩くと、傍らに以下のような石仏・石塔が突然固まって現れ、大変驚いた。
本当にすぐ近くだった。

 

右の奥まった場所(白矢印)に、ああ、ひっそりと円形の石塔が見える。
そこには庚申塔に石仏、墓碑、、、。
昔人の真摯な魂が宿るここはパワースポットでは。

 

下から基壇、やや長い柱、請花(うけばな)、三猿、本尊と丁寧に設えられている。
背景が本の当時と異なっているように思われた。

さらに寄ってみた。

 

三猿はデザイン化され、金剛の顔は横にらみ風に見え、どこかユーモラス。
本よりも一段と白カビが生え、持物などはっきりしない。
見える二臂のうち左手はショケラ、右手は羂索?あるいは剣を握っているようだ。
本尊はやや稚拙だが、このように変わった庚申塔を彫り上げた石工(いしく)は
一体どんな人だったのだろう。
若い人なのか、こんなに丸く円を切ったり彫ったり、素晴らしい。

あたりを見ると、石塔群の先に遺構があり、尼寺の跡だという。案内された方も尼寺の往時を知っておられ、後からお二人の女性(お店のお客さんということ)が加わり、ひとしきり尼さん(安寿さん)の話になった。
小生の近くにもかって尼寺があり、早春に涅槃図の前で説話を聞き、撒かれたダンゴを木の枝に刺して持ち帰ると、長火鉢であぶって食べた。柏崎の尼寺の跡で昔を偲ぶとは、この日は色々お土産が付く。

 

尼寺跡。

石塔群には多数の庚申塔があり、地蔵菩薩のほか僧侶のものと思われる先端が尖った丸い墓碑(卵塔、無縫塔というらしい)が数多く見られ、二十三夜塔もしっかり認められた。

 

青面金剛と二十三夜塔。

 

石祠も置かれている。

路地を挟んだ向こうにお堂があり、以下のように地蔵尊が三体安置されていた。

 

真ん中の像は中越沖地震で倒壊し、後に継ぎ合わせて復元されている。
痛ましい姿だが地元の方達の温かい信心が伝わる。
脇の二体はほかから運ばれたものとお聞きした。
新しい花が日射しを受けて幸せな光景だった。

ご近所さんも加わり、良いひと時。

 

お尋ねした方のお店「三忠呉服店」
後日の調べでご主人は元柏崎市博物館館長さんだった。
奥様は地域の故事風習に触れる活動をリードされておられる。
あこがれの庚申塔を探すに、これ以上ない家の人に尋ねたことになる。
こんな幸運があろうとは。

さて柏崎市では、古来大晦日から1月下旬まで学問の神様である天神様の掛け軸や人形を祀る習わしがある。また9年前から地震による中断を挟んで「天神街道 天神さまめぐり」が行われている。お店はその幹事をされているらしく、市内30カ所の参加店舗・家庭の中で要のひとつとして展示をされる

ところでこの日、嬉しい事に、最初に名刺をお渡しすると、“樹下美術館なら私たちは良く行きますよ、とても気に入っています”と仰って頂いた。樹下美術館にはドナルド・キーンセンターや木村茶道美術館、地域活動のグループの方々ほか、柏崎の皆様にお寄り頂いていて、普段から感謝に堪えない。

同市は、庚申塔はじめ道祖神から風神まで石塔が多い。市のもとはといえば柏崎長勝と能「柏崎」の物語、桑名藩領としての歴史、貞心尼の足跡、幾本もの谷筋ごとの文化と産物、、米山信仰、番神岬の日蓮、由緒ある寺々、焔魔堂、随所の木喰仏保存、魅力的な綾子舞や大和舞、そして越後ちぢみの商いによって輩出された趣味家、文人に名コレクターなど、文化は鮮やかで深く、一方でポンツーンを連ねた海辺のハーバーは清々しい。
このたび思ってもみない出会いのお陰で余計柏崎が好きになった。来る1月には天神さまめぐりをするため、是非とも伺わせていただきたい。
(そういえば、私のところでも昭和20年代のある時まで、父が正月に天神様の軸を掛けた淡い記憶があります)

思えば2007年5月10日樹下美術館が開館してほぼひと月余、中越沖地震に見舞われた。館内で台に立てかけた皿が一枚倒れたものの無傷で済んだ。しかしお客様として開館早々お尋ね頂いた柏崎市のあるコレクターさんが、まともに被災され悲しいお手紙を受け取った。
地震の際、直後から柏崎市医師会長とコンタクトを取り、夜間に同市米山の避難所を巡回したことも今は懐かしい。
いずれにしても民家、社寺の損壊、あまたある石塔石仏の倒壊などは如何ばかりだったか。まだ課題が残るかもしれないが、よくも立ち直ったと、あらためて感心させられる。

追加:当館の開館直後、同市の湿原の展開に合わせ、拙生の植物画の絵はがきをショップで販売させて、と博物館から申し出を受けた。大変恐縮し、お願いすると沢山売って頂いた。
御地の皆様、これからもどうか宜しくお願い致します。
ついつい長くなりました。

去る週末の谷根、野田行き 秋冬の楽しみ。

2019年11月6日(水曜日)

柏崎市は石仏、石塔が良くみられ、街中のほか特に周辺部に多く残されているように思われる。主に庚申塔の探訪に、今年は1月中に三度柏崎へ出かけた。
その後温かくなり樹下美術館が開館すると一旦小休止、このたび秋深まるとまたぞろ車を走らせるようになった。
去る11月2日土曜午後は柏崎市の谷根(たんね)と野田へ、翌3日日曜日に柏崎市内へ行ってみた。

2日午後の谷根と野田行きは直ぐに日が暮れ、翌3日は新潟市への途中で市街の四谷へ寄った。
以下は2日の柏崎行のひとこまです。

 

谷根は霊峰米山の真裏にあたり、谷根川に沿って集落がある。
奥まった場所のイメージはあるが案外近く、あっという間に到着する。

 

路傍の一群の石仏の中に庚申塔(左・文字塔、右青面金剛の石仏塔)。
事物として下の二臂は弓と羂索、上の右臂は鎌ですが、左は分かりません。
この像では、青面(しょうめん)金剛に脇侍として二体の童子が小さく配されている。
※掲載時、金剛の脇侍に菩薩と記しましたが、調べますと「二童子」ということ
でしたので、訂正しました。
二童子は青面金剛像の庚申塔で、三猿、鶏と並び約束事の一つということ。
宝珠や香合を持つらしいのですが、この像では今や判然としません。
二童子が掘り出された像はそう多く無いようです。

 

もう一基の青面金剛になる庚申塔。
合唱する手を中心に弓矢と宝剣?および掴んだヘビが円弧を描いて配されている。
(荒ぶる青面金剛は時としてヘビを掴む)
いずれも本尊の下に三猿が彫られている。

村落に真言宗豊山派の慈眼寺がある。拙家の宗派でもあり親近感からお参りに寄った。

 

 

慈眼寺の山門。

 

境内の右・弘法大師碑と左・宝篋印塔(ほうきょういんとう)

 

慈眼寺門前の二十三夜塔。
その昔谷すじのある夜、二十三夜の月は如何ばかりだったか。
集った女性達は勤行し、四方山話に花を咲かせ、世を徹して過ごした事だろう。

 

谷根を少々奥へ進むと米山の登山口がある。そこに4基の石塔が並んでいる。

 

左から馬頭観音菩薩、山の神の文字塔、二基の請雨三尊。

 

 

馬頭観音。

 

馬頭観音の頭上に馬の顔がシンボルとして彫られている。
村落を守護するとともに、大切な牛馬を供養する意味が附されている。

 

 

雨乞い三尊と呼ばれている三体仏が並んでいる。
“今に夕立がくるやら~”と甚句に歌われた米山は雨が多い所といえる。
それでも雨乞いをしなければならないほど甚大な干ばつ被害があったことが窺われる。

谷根からもう一本東の鵜川の川筋に野田集落があり、そこにも寄らなければならない。日は短く早々に谷根を後にした。

 

野田で称名寺を目指した。寺の手前に焔魔堂(えんまどう)がある。

 

焔魔堂の左手に二十三夜塔と庚申の文字塔。
男性中心の庚申待ち、女性の二十三夜の月待ちは、ともに村落維持に重要で、
ひとときの娯楽でもあった。
しばしば二つの塔は並んで建っていて微笑ましい。
石塔は先人への供養であり、生存の証しあるいは感謝の記しであろう。
手を掛けて生活の痕跡を残した昔人の心ばえが偲ばれる。

焔魔堂の先、小高い杉木立の中に浄土宗称名寺(しょうみょうじ)がある。

 

 

重厚な唐破風向拝(からはふうこうはい)。

 

精緻な彫刻があしらわれた向拝柱と木鼻。

 

向拝の天井。
枡目の中に四弁花を連ねた紋様が整然と彫られている。

 

優雅な窓を設えた欄間障子。
称名寺は安政4年(1857年)再建とある。

 

 

岡田地区の石屋さん。その昔石工(いしく)と呼ばれていた家かもしれない。
一帯は石仏石塔が多く、石工が大活躍していたことが偲ばれる。
名工ともなると各地から声が掛かったようだ。

 

路傍の随所で見たオヤマボクチ。

 

称名寺境内のサザンカ。

秋の山里を巡ると気持ちが和む。
以前も暇があるとそうしていたが、今は寺や庚申塔などが眼に入るようになった。そられの眺めにはふる里やいにしえの生活、および昔人の願いが偲ばれ、そこはかとない懐かしさや共感が去来する。

秋冬の気象は良くないが、里や鳥、荒海や雲など、この季節ならではの趣きに触れる事が出来、それなりに楽しめると思う。

翌日3日、柏崎市四谷のことは後日記載させて頂きます。

南アに破れたラグビー 上越市浦川原区の円重寺。

2019年10月20日(日曜日)

ラグビーワールドカップの予選リーグを通過した歴史的な日本代表チーム。今ほど準々決勝の勝ち抜き戦で南アフリカに敗れた。
前半日本は互角以上に闘うかに見えた。しかし後半、南アは選手交替を早めに行い、力と反応性で完全に優位に立ち、流れに乗って日本に圧勝した。
南アチームの圧力は日本の前進を阻み、華麗なスピードを完全に封じた。彼らはあたかも野性の魂を有するライオンのようであり、日本人に同じような事が出来るか、一つの課題だと思った。
更なる進化には時間がかかろうが、ただ一つ、ラグビーの裾野を拡げることは、確実な一歩にちがいない。その意味でも日本開催には大きな意義があった。
日本は敗退したが、私自身かってない興味を覚えた。今後の南アほか他の試合も観てみたい。

ところで昨夕、山際に掛かった霧をみたくて浦川原区へ向かい、その折、華岡山円重寺という寺院を見つけ境内を歩かせてもらった。(華岡山は“かこうざん”と読むのだろうか)

 

寺標に華岡山 円重寺とある。
このような坂道があると入ってみたくなる。

 

坂を登り切ると右に本堂。
真宗大谷派ということ。

 

左に整然とした桶置き場、その右奥に鐘楼。

 

鐘楼(左)の隣に見える白壁の建物は納骨堂らしい。
(居あわせた檀家の方にお聞きしました)

 

花頭窓が二つ見えて心なごんだ。
台風後にも拘わらず、手入れされた境内は爽やかだった。

見知らぬ寺に迷い込み、予期せぬ風情と花頭窓に出合った。
近い場所ながら、いっとき小さな旅をした気分だった。

11月24日のお茶会 会場100年料亭「宇喜世」の多彩な窓。

2019年10月15日(火曜日)

何かと催事が多い今秋、来る11月24日(日曜日)は、上越市仲町3丁目の宇喜世(うきよ)で茶道の席持ちが予定されている。
当日は二席で、一席は山口宗好先生のお濃茶。他を小生宗玄が薄茶を差し上げることになっている。

大きな会場のため、昨日の祝日に主催のフカミ美術店主とともに床の間の掛け物を持参して具合を確かめ、待合や本席、そして水屋の様子などを下見させて頂いた。

 

 

当日の「越後 城下町髙田茶会」のちらし。

以下当日の案内です。
●会場:宇喜世(うきよ) 電話 025-524-2217
●期日時間:11月24日(日曜日)
●時間は午前9時20分~14時まで50分~60分おきに6席が設けられる。
●参加費用お一人6000千円  濃茶、薄茶2席の席料およびお食事券付き
●お問い合わせ:フカミ美術 電話 025-522-1815
長野県からのお客様の予定もあり緊張を禁じ得ません。

江戸末期に創建され、100年料亭と言われる国登録有形文化財「宇喜世」。今日見られる主な様式に明治大正時代の贅が尽くされている。

 

この広間を仕切って薄茶席を設けます。

 

 

向かって左の脇床に立派な花頭窓があった。

 

右にも脇床があり幅の広い花頭窓が設えられていた。

 

 

さらに拡げたような広間の窓。

 

 

案内して頂いた離れの一室に丸枠の飾り障子。
流れの上に蔦が下りている意匠。
以前この部屋に入ったことがある。

東側に庭を見る花頭窓。

 

 

ある部屋で見た繊細な細工が施された障子窓。

 

 

この部屋の天井にカゴ目を瓢箪形?に縁取った大きな明かり障子があった。
畳の一角に炉が切られているので茶室であろう、何とも手の混んだ設え。

部屋ごとに異なった灯り採りや窓が見られ、いずれも極めて贅沢に作ってある。入ったのは一部だけだったが、ほかの部屋でも面白い窓をみることができるにちがいない。機会があればまた見たいと思う。

主として禅寺から広まった花頭窓は宗派を越えて広がり、茶室や城郭、神社あるいは書院、さらに料理屋や住宅などへと一般化したという。宇喜世は何度も来ているが、花頭窓には気がつかなかった。年取って新たに見えるものがあるのは、嬉しいことだ。

下見を終えてフカミ美術さんで茶を飲みながら懐かしい写真を見せて頂き、くったくない話に興じた。
宜しければどうか晩秋の城下町茶会にお越し下さい、心よりお待ち致してます。

柿崎区は猿毛(さるげ)の庚申塔。

2019年9月7日(土曜日)

上越市髙田で34,7℃を記録して暑かった本日土曜日。秋のせいか、気のせいか8月の似たような日よりやや涼しく感じた。
不思議なことに影が長くなってくるとどこかへ出かけたくなる。午後やや遅く柿崎区は猿毛(さるげ)へ庚申塔の探索に行った。目指す石塔はネットで見ていたもので、はっきりと猿が彫り出された立派なものだった。見当たらない場合を考え、人に尋ねるべく写真をプリントして行った。

一通り猿毛から城野越(じょうのこし)まで走って回ったが見あたらなかった。猿毛に戻りコンバインを手入れしていた青年に写真を見てもらうと、先の二股を城野越へ上らず、下の道を水野の方に行くとありますよ、ということだった。

道は容易で、遠くはない所にあこがれの石塔があった。

 

道路より4,5メートルほど高い所に三つの石像がある。
真ん中が目的の庚申塔。

 

形の良い石にバランスよく各部が彫り出されている。

 

最上部左右に日月の文様。向かって左が月でしょう。

 

怒髪の青面金剛が丁寧に彫られている。定番どおり六臂のうち上方の右手に宝剣、左手に法輪が見られる。

 

足許に三猿が別々に配置されている。
丸みに影が付くほど良く彫られ、一般のよりも仕草の表情がよく分かる。
金剛の法衣の裾にも表情。

 

中段の左手で合掌するショケラの髪を掴んでいる。
右手は何を持っているのだろう。
これまで見たショケラの中では最も明瞭に彫られていた。
※ショケラ:半裸の女人といわれ、諸説あるようだが意味はよく分からない。

 

向かって左の石像の右上に日輪、左側に弓のようなもの、右手が剣を掴んでいるように見え、顔もいかつそうだったため、これも庚申塔ではないかと思った。中央の石塔とは風化の程度が全く異なり、両者にかなりの時代差を感じた。

もう一度全体を眺めてみると、やはり立派だ。

 

左に張った格好良い石は原石そのままなのか、削ってこしらえたものか。中央に向かって全体を深く削り、本尊と三猿を浮き出させるなど手がこんでいる。周囲の雲のような起伏のあしらいも上品で、沢山見ているわけではないが、近隣の中では出色の塔ではないかと思った。こんなに見応えのある石塔を彫った石工(いしく)とは何時の時代の何処の人だろう。依頼した猿毛の住民ともども立派なことだ。
石の種類は今後の課題。ブラタモリで見るタモリは誠に詳しい。

 

周囲は田畑で、お年寄りがネギの畝を整えていた。
石像背後の大杉が枯れてしまったことを残念そうに何度も口にされた。

 

合掌する石仏。頭部の様子から馬頭観音かもしれない。
庚申塔の青面金剛と異なり柔和な表情だった。

 

猿毛集落の様子。
一年に6度、かって庚申の夜に行われていた「庚申さま」の集い。
それを3年続けたら村人は石塔を建てて供養した。
いつまで続いたものか、せせらぎの音がする村落には今も素朴さが漂う。

 

猿毛からさらに上がる城野越。
路傍で見つけた一輪のタカサゴユリはかって民家から種が飛んだものか。

良い午後だった。

今夕の夕焼け 齋藤尚明氏のひねり鎬(しのぎ)文茶碗 孝厳寺の花頭窓と菱窓。

2019年9月5日(木曜日)

何日も雨模様の日がつづき、昨夜などは寒くて閉口した。
それが本日はほぼ晴れとなり、暑さが戻り、高い空に賑やかなすじ雲が見られた。
夕刻は東の米山から西は権現岳まで空一杯に茜が拡がった。

 

頸城野に四方立つ茜の雲見れば旅の空かと思う夕暮れ

一昨日好評のうちに陶齋親子展が終了し、本日午後齋藤尚明氏を訪ねお借りした鎬(しのぎ)の大壺をお返しした。その折、展示室で見た鎬をひねった抹茶茶碗に眼が止まり、それを求めた。
鎬(しのぎ):器の側面に溝状にほどこした文様。面取りは平板だが鎬は凹みを有している。ちなみに“鎬を削る”のしのぎは刀の上部に横に彫られている溝の部分を指し、ここを削るほど激しくやり合う意味になるという(尚明氏)。

 

胴や口の造形と高い高台の面白みが眼を引く。
深く削ぐため厚みが必要で少々重くなっている。
彫りを浅く全体を薄く軽く、一回り大きくすれば数段良くなりそう。

これを原型に、鎬を増減させたり、全体に辰砂や呉須を掛け凹凸を強調したり、高台にバリエーションを加えればさらに色々楽しめそうだ。

 

尚明氏宅への道中、寺町1丁目の孝巌寺を覗いたら何本もサルスベリが咲いていて美しかった。

 

以下の写真は今年6月の同寺です。窓に惹かれて撮りました。

左右の花頭窓には飾りの桟(さん)があしらわれ変化が面白い。
正面上の堂々とした菱窓も鮮やかで格調が感じられる。

樹下美術館のノートから記載とイラスト 庚申塔その20,板倉区から上石さん親子。

2019年5月3日(金曜日)

樹下美術館館内に5冊のノートが置かれていて、皆様にはご自由に感想やラストなどを記して頂いています。
今期すでに沢山記載されていましたので、本日はごく一部ですが紹介させて頂きました。

●展示について
・静かな空気の中で美しいものを拝見いたしました。有り難うございました-東京都Mさん。

・春間近に当館を拝見出来てようやく長い冬の開けるのを感じられます。辰砂のやわらかな色合いが心を落ち着かせてくれました。「粉雪が舞う」、雪国の深い心と迫力を体感出来ましたー上越市Yさん。

・ここにこのような方がおられたのか。今はもうそういう気持ちでいっぱいです-Yさん。

●カフェと庭について
・樹下美術館のカフェと庭のデッキと植物はとてもすばらしくて、ステキです。庭に出ると妖精の世界にタイムスリップしたみたいで、気持ちが良いです。ここに来ると気持ちが良くて、1日いてもいごごちがいいです-長岡市Yさん。

ほか当館のカフェでプロポーズされ、三回目の結婚記念日に来館された、と記された方もおられました。
沢山お書き頂いているノートから、樹下美術館と皆様のさまざまな関わりを見ることが出来、張り合いを感じます。

●次はノートにお書き頂いた皆様のイラストを掲載させていただきました。

 

生き生きしたキャラクターですね、6年生になる春休みのSさん。

 

迫力ある庭の山桜が描かれていました。

 

 


80才をお過ぎの方の絵です。
私も見た事があります。「松が峰の桜満開でした」と書かれていました。

 

生きているような猫は、美術系大学ほやほやの一年生Sさん。

 

マイセンのカップ&ソーサーがレトロなおしゃれにぴったり。

 

赤ちゃんから美系の方まで、どなたがお描きになったものでも、みな楽しませて頂いています。
来館されたお客様もきっと喜んでご覧になっていることでしょう、どうかまた沢山お描き下さい。

さて本日は開館からほぼ終日美術館にいた。皆様にご挨拶をしたり、庭いじりをして幸せだった。
昼前、思いも掛けず板倉区福王子から上石さんが親子でお見えになった。
庚申塔に興味を持ち始めたばかりの昨年11月中旬、県内最古の庚申塔といわれる石塔を見るべく板倉を訪ねた。
福王子が目指す場所。しかし不慣れな地域で人に尋ねながらの探訪となった。
その時偶然お合いし、十二神社へ案内した下さった方が上石さんでした。
父が石塔や地域に詳しいということで、現場からお父様に電話してくださった。

お父様は歯科を受診中だったが、目指す庚申塔のほか、隣接する公民館敷地の石仏の事も伝えられた。
お陰で十二神社で懸案の庚申塔のほか、公民館でさらに一体の庚申塔と二十三夜塔まで見ることが出来、感激した。

その後、お父様から御地の石仏や神社関連の縁起などについての研究資料を幾つもお届け頂いた。
特に庚申塔に関係した詳細な記述は分かりやすく、当時混乱していた頭を随分整理することが出来た。
頂いたお手紙に来年樹下美術館を訪ねたい、と記されていた。
そして本日、清々しく晴れた祝日、お二人がお見えになった。
午前から美術館に居てよかった。初めてお父様にお目に掛かった。

カフェの上石さん親子。

温かく丁寧なものごし、控えめで知的な方たち。
お父様から、記述や文献の貴重さ、福王子の由来、地域に根ざした尼寺、平塚神社分霊碑、ご子息から拙ブログを読んで下さっていたことなど、、、。
短い時間だったが昔から知っている人に出合ったような、安心で心楽しいひとときだった。
本日は遠くから樹下美術館をお訪ねいただき、本当に有り難うございました。

昨日,十日町は松之山の百体庚申塔と松代は洞泉寺の庚申塔を訪ねた(庚申塔その19) 仕事して良かった平成の最終日。

2019年4月30日(火曜日)

このノートのカテゴリに「花頭窓、二十三夜塔、庚申塔、社寺」がある。
そもそもは昨年6月上旬、上越市は黒井の大慈院で見た火頭窓の感激から発し→上越市浦川原は顕聖寺の二十三夜塔への興味→10月魚沼行きで見聞した庚申塔という順序で対象が拡がり、新たにカテゴリが出来た経緯がある。

庚申塔は近隣の板倉区、浦川原区、三和区、柿崎区、大潟区、頸城区、髙田公園を訪ね、さらに東京都目黒区さらに京都と奈良でも訪ねた。
その後雪と寒さのため、今年は3月3日を最期にひと休みしていた。

昨日、日曜日は何とかお天気が持ったため、午後かねて念願の十日町松之山は黒倉の百体庚申塔を観に出かけた。
途中松代は室野の路傍で予定に無い庚申塔に出会った。庚申塔探訪には思いがけない遭遇があることも楽しさの一つ。

合掌し、弓、矢、宝剣、宝輪を持った青面金剛(しょうめんこんごう)の石塔。

 

ほかに二十三夜塔と地蔵尊および馬頭観音が並ぶ。

 

上った石段途中に庚申の文字塔があった。

石段を上りきると曹洞宗の寺院「洞泉寺」だった。

 

堂々たる大寺の境内には雪が残っていた。
室町時代初期から続くらしい曹洞宗の名刹だった。

 

境内の指定文化材、大ケヤキの足許に石仏群。
衣服やショールをまとったようにほぼ全身苔に包まれている。

 

洞泉寺を後にして進むと、星峠の棚田へ至る道標があり、そちらに寄り道した。

 

連休とあって棚田のビューポイントは混雑していた。

これだけ人が集まっても観光商売をせず、棚田を維持出来るのは農業に強いプライドがあるからだろう。ほかに棚田独特の大規模な営農方法もあるのだろうか。

その後、黒倉集落で道を尋ね、100体庚申塔の駐車場へ着いた。
到着するまでの山あい谷あいに拡がる棚田群の多くが、良く手入れされていることに大変驚いた。山間では荒れて放棄された水田をよく見ているので余計だった。

 

百庚申塔の近くに雪が残っていた。

 

駐車場に車を駐め石段を上ると、わずかに小高い場所に庚申塔群が広がっている。
向かって左下に黒倉から上ってきた道路が通っている。

 

多くは庚申塔と彫られた自然石の文字塔だが、所々に青面金剛を彫り出した仏像塔も見られた。やや南に小さなお堂が建っていた。

 

二体ならんだ青面金剛の庚申塔。

この像に寄ってみた。

 

合掌し、他の4臂で弓矢、宝剣、法輪を持っている。
上方左右に丸い日月紋様が見える。

足許に約束通りの見ざる言わざる聞かざるの三猿(さんえん)と、二鶏(にけい)とおぼしき部分が覗えた。
とても素朴なデザインだった。

向かって右の青面金剛像。
左右二体は様式と姿が似ている。同じ石工(いしく)あるいは師弟の制作なのか。

お堂を覗くと、全体の本尊と思われる青面金剛像が安置されていた。
六臂(ろっぴ・六つの手)であるが、合掌せず左手にショケラ(半裸の女人)と考えられる小さな像を握っている。他の五臂で弓矢、宝剣、槍?と法輪を持っていた。

 

愛らしいショケラの髪を掴んでいる。何故ショケラなのか、定説はない。
男だけの集まりが基本だった庚申待ち行事。当時のこと、女で身を滅ぼさ
ないようにと、いさめを込めたものか。

猿は見当たらなかったが二鶏が彫られていた。

夕刻から夜明けまで経念仏、食事、茶話、時には歌舞あるいは飲酒や囲碁将棋、さらに一休みもあったという60日ごとの庚申の集い。
お開きとなる邪鬼が去る夜明けを告げる鶏は、猿とともに庚申塔定番シンボルの一つ。

数えてみなかったが100体もの庚申塔が集められている場所など全国的に極めて希ではないだろうか。明治時代前半のころ、篤志家の発案で当地に100体を造り、ここに集めたという。悪事を謹み、先祖を供養し、豊作と地域・家内の安全を願った庚申信仰。篤志に賛同した他地域からの寄進もあったという。
当時の農村の暮らしは、今読んでいる「生きづらい明治社会(松沢裕作著 岩波書店2018年12月5日第三刷発行」にも詳しい。
辛く大変だった明治の農村。
いま庚申塔に出会うと、少しほっとする。

ところで100庚申の駐車場と、園内はきれいに管理されていて気持ち良く、黒倉の人々の丁寧なもてなしの心が伝わってきた。
昨年掘川紀夫さんに大地の芸術祭に連れて行ってもらったが、このたび見覚えある場所を何カ所か通過して懐かしかった。

さて十連休中の本日は平成最期の日。意識した訳では無かったが、予め案内を配り開院した。30名近い受診者があり、入院が必要な方も来られ、開けて良かったと思った。
樹下美術館の昼は、17台の駐車場が珍しく満車になっていた。

本日をもって御退位される両陛下のご健康を心からお祈りしたい。

上越市大潟区は潟町一区の火防地蔵尊。

2019年4月23日(火曜日)

上越市は大潟区潟町の西端、旧国道沿いに地蔵尊のお堂がある。
数年掛けてお堂と門が改築されて大変きれいになった。本日4月23日は祭礼に当っていた。
薄明かりが残る夕食前に寄り、食後暗くなって再び訪ねた。

 

夕刻の火防地蔵を門前から見る。
ここの地蔵には門があり、それも立派に改築された。
瓦も下見板も壁も提灯もみな新しくなっている。
地蔵を守っている小さな地域が良くも立派にしたもの、と熱意に驚かされる。

 

門をくぐり日が暮れたお堂へ。

 

地蔵尊。
帽子、前掛け、袈裟衣ほか全てが新調されている。
初めてまじまじとお顔を見たが、笑みを浮かべ、大変良い表情。
花も新鮮でお地蔵様は何とも晴れがましく映った。

 

お賽銭を上げると当番の方が見えて、お札を頂いた。

 

当地蔵尊は1700年代中頃に発する言い伝えがあり、仏は柿崎区は猿毛山中の石工がこしらえたという。
かって地蔵が大火を知らせたと言われ、火防地蔵尊と呼ばれている。地域はまた地蔵町とも称される。
お合いした当番の方は、火の用心とともにお地蔵さんは顔も良いのでみんなが大事にしている、と仰った。
なるほどである。
近くの西念寺さんが読経されていると聞いた。
一体の仏が地域を幸せにしていると感じられ、9月23日には秋の祭礼がある。

大潟区潟町の旧国道沿いにあと二カ所、六地蔵が祀られている。

髙田公園、春の庚申塔(庚申塔その18)、根上がり松。

2019年3月3日(日曜日)

今冬あこがれていた髙田公園内の庚申塔を見たのは1月下旬だった。
小林古径美術館の宮崎館長にお聞きしたその石塔は、意外にも良い場所にあった。新雪があった日で、場所を聞いた髙田育ちの妻が果敢に先導した。

 

雪の日の庚申塚(塔)参り。池にかかった橋を渡った後小高い場所へと向かう。

 

それから一ヶ月少々の本日、所用で通りがかり気になって寄ってみた。公園は雪も消え、春陽のもと大勢の人が思い思いに憩っていた。

 

訪れる人も無く、静かに佇む石塔。

 

蓮弁風の台座、三猿。合掌する青面金剛は残りの4臂で弓矢、斧、剣を握っている。
上方左右に日月紋様が彫り出され、なかなかの格調。

たまたま下を二人の女性が通りかかり、上がってこられた。これは何ですか、と訊かれ、簡単にお話すると、知らなかった、面白いですね、と仰った。

ところで、むかし猿の檻があった場所の背後に築山がある。通ると、かなり見事な根上がり松が見えたので近づいてみた。

 


複雑な根上がりを見せる赤松。

根上がり松は土が自然に流出して根が現れるものと、庭園で意図的に土を盛って育て、順次土を除きながら仕立てる二通りがある。
果たしてこの松はどちらだろう。山のテッペンにあり、かなり傾斜が急なので自然に現れた印象を受けた。幹が微妙に反り、バランスを取っているようも見える。

本日公園の帰りに、芝生の肥料を50キロも買い美術館の庭に撒いた。例年晩秋に行っていたのを、今年は春先に試みている。まだ半分ほど撒いたところだが、今年は回数を増やし、よりきれいな芝生になるよう関わってみたい。

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