聴老(お年寄り&昔の話)
特養である老婦人と出会った。
本日午後、いつものように近隣の特別養護老人ホーム「しおさいの里」の出務だった。
回診を終わり2階でエレベーターを待っているとき,職員に付き添われた車椅子の女性と一緒になった。
その方はとても高齢で痩せていたが、しっかりした目で会釈をされた。
初めての感じを受けなかった。
「お会いしたことがありますね」
と言うと、
「はい、、、私Sです、双子のT作とT治の叔母です」
続けて「二人の親父の妹なんです」
と仰った。
私の小学生1~3年の分校生活でS君が居て、名がT作君とT治君という双子だった。
当時双子は珍しかったし、二人は細くて小さな私よりももっと小さかった。
先生たちは「T作、T治答えなさい」などというように接していた。
私たちはその後、本校で別れ別れになり、中学校も別々だった。
自分が当地へ帰った昭和50年、すでに二人は居なかったように思う。
「T作君達はどうされましたか」と尋ねた。
「A市と、A市の近くB市にいて元気です」
遠い日、裸足のままの2人が手足をくにゃくにゃさせて走る様子が目に浮かぶ。
私は2人のことを、僕より小さいのに根性がある、と子ども心に思っていた。
その2人をこの車椅子の方は育て、そして大都市A、Bへと送り出されたのか、、、。
昭和20年代前半の私たちのご飯はちょっぴりで、おやつは細いサツマイモ。
女子の頭にシラミが居て、家の布団にはノミが跳ね、お腹には虫が居た。
栄養不良と不衛生の子ども時代、私たちが生きて育ったなんて不思議なくらいなのだ。
そんな時代、痩せて目がぱっちりしたこの車椅子の老婦人たちはまだ若く、
戦争などで親が欠けた子どもたちの面倒を見ていたんだ。
私は一時期、この方の血圧などを診ていたように思った。
昭和24年、小学校二年生の私たち。
本校の小学校が一杯なので、中学校の空いた教室を使った分校へ3年生まで通いました。
S君たち、黙って書いてしまって誠に申し分けありません。
私は地元に残る同級生を貴重に思い、離れた方達には畏敬をおぼえるのです。
お元気と聞いてとても嬉しく思いました。
近郷の農家から浜の職人の家に嫁ぐ。
お年寄りのところで診察が途切れると何かとその方の話を聞いている。
最近、その昔近郷の農家から海辺の職人さんに嫁いだお年寄りから以下の話をお聞ききした。
自分の生まれ育ちは隣村の田んぼ農家だった。
家には2町5反の十分な田があり、農耕は牛馬を使っていた。
農作業は男中心の仕事で、女や子どもは春秋の農繁期を祭りのように手伝った。
口利きをする人がいて、一帯の農家から海辺の人の家へ娘達がよく嫁いだ。
「そこへ行けば田も少なく、相手は手に職をもっているから生活は楽だ」という決まり文句で自分も誘われた。
嫁いた先は職人の家で、田があり、行って見るとほとんどが嫁任せということでまず驚いた。
遠くにある田は小さかったが、牛馬も無く鍬を使う重労働だった。
田への途中に長い砂利道の坂があり、自転車の往き帰りで何度もひどく転んだ
嘆きをこらえて毎年農作業を続けた。
ある時代から田は人に任せることになり、夫のテコ(手伝い)をするようになった。
道具を運び足場を組み、重い資材を受けては支えた。
もともと丈夫ではなかったがいつの間にか骨も太くなったと思う。
その間に子どもが3人出来た。
後年夫の体力が衰えると、突然のように四国と北海道の旅行に連れて行ってもらった。
それぞれ一週間づつ二年続いた旅は本当に夢のようだった。
後に夫は亡くなったが今でも旅行を思い出すと、お父さんありがとう、と手を合わせている。
夫の死後数年、体調を崩したが、先生には早く胃がんを見つけて貰って助かった。
兄弟姉妹で自分は一番出来が悪かったが、今日まで生きたのは何より皆さんのお陰だ。
(一部を少しだけ変えてあります。最後に恥ずかしながら私も登場していました)
60年はやはり長いと感じた級友との再会。
今年4月に小学校の同級会が鵜の浜温泉であった。
その時「俺Y、わかりますか」とある男性がにこにこしながら話しかけてきた。
にわかに思い出せなかったが、続けて性をつけて名乗ってくれた。
雁子浜のY君?!ああ何という懐かしい名だろう。
確か小学校の君はやはり今のような人なつこい笑顔で、はっきりした言葉を話していた。
もう細かな場面は思い出せませんが、名前と笑顔と話し方で十分でした。
学校の行き帰りを一緒に歩き、学校でも何かとそばに居ましたね。
自然で楽しくて安心だったY君。
卒業すると私は高田の中学校へ行ってしまい、会うのは小学校卒業以来。
つまり昭和29年3月以来実に60年ぶりだったのです。
ある意味10年でも長いのに、それを6回も繰り返した歳月です。
卒業してから数年は年賀状をやりとりした覚えはありますが、
あなたは中学校を卒業すると東京へ出て就職したのですか。
その後の苦労と恩人との出会い、そして方向転換と成功。
素晴らしい話でした。
しかし何より60年の歳月を経ても当時と同じ笑顔としっかりした声で、目の前に居るY君。
そのことが本当に嬉しかったのです。
話変わりますが、子ども時代や学生時代の写真などを見ると、
「時はあっというまに過ぎ、人生は短い」という月並みな感覚に襲われます。
しかしY君の名を聞き、笑顔と声を目の当たりにすると当時の自分たちの雰囲気が蘇るではありませんか。
あたかもすっかり忘れていたシミのような小さな点が、突然3次元的に急膨張し実感をもって現れる。
それは写真と異なり「ああ、やはり60年は長いんだ]と、
思わないではいられない不思議な時間感覚を伴っていたのです。
同級会の上手なスナップ写真を送ってくれた彼に、昨日午後遅れていた礼状を書きました。
過ぎる時間の早さを嘆く日にあって、
人生が長いと感じるには、忘れてしまった古い友人か初恋の人などと巡り会うのがいいのかも
しれません。
それにしましても、
①昔々とても親しく感じていた人と。
②長く会わないですっかり忘れ。
③突然のように再会する。 これら3つが揃うのはそうそう無いかもしれません。
しかし、しかし、これから年取ると、まさに85、90と健康に年取ると、忘れていた青年時代から幼年の事を明瞭に思い出すようになるらしいのです。
それは長く診た患者さん達はじめ、晩年の母にはっきり見られたことでした。
実際に再会しなくとも手に取るように昔々が現れる。
その先はどんどんと赤ちゃんまで戻って行き、ついには居なかった静かな世界へと帰るのでしょう。
このような過程は認知症の側面(あるいは老化現象)などとくくってしまうより、はるかに巧みに仕組まれた健康的な終末の贈り物tというべきかもしれません。
超高齢者の方達は「長ーく生き過ぎた」と本気のように仰います。どこかで若き日、幼き日が蘇っているのでしょうか。
私がY君と出会って長い60年を感じたように、恐らくそれ以上に。
その昔のつわり すがすがしい野草 何か恥ずかしい作品展。
あるおばあちゃんがつわりの話をした。
生まれを尋ねた時、頸城村から潟町へ嫁に来たという事から始まった。
自分は悪阻(つわり)がひどく、三人の子どもはみな辛かった。
いずれも時期は今頃から夏にかけてだった。
実家で大事にされたが、嫁ぎ先に戻ると途端にひどくなった。
ただいま、と戸を開けると家の中からカイコを飼う匂いがムッとした。
すぐに吐き気に襲われ、口に手をあてがって二階の部屋へ急いだ。
「つわりなんて病気じゃないんだからねえ」
ご近所とお茶飲みしていた姑の大きな声が下から聞こえた。
もうひとつ辛いことがあった。
昔の男達はみな髪にポマードを付けていた。
自分の夫もたっぷり塗っていて、甘ったるい匂いがぷんぷんしていた。
「来たかね」などと言ってそばに来ると途端に気持ち悪くなった。
以下は本日の在宅回りで車を止めて撮った路傍の草花です。
こんな草地を見るのはつわりによかったかもしれません。
マンテマではなかろうか。
(色が茶系、ガラガラした感じからスイバのようです(5月20日遅れて記載)
大きく強靱な夏草と違って今どきの野の花はさわやかだ。
「あまどころ」は明日からの作品展にあり、「あまどころ黄葉」もあります。
いよいよ迫りました拙展、明日の午後は定期の休診ですので1時過ぎから会場に居る予定です。
ところでこれまで3回の展覧会の中で、なぜか一番恥ずかしい気がするのです。
健診 小学一年生のスパゲッティミートソース 施設のミーティング。
昨日、本日と午後大潟小学校の健康診断があった。
昨日は1年生の1~3クラスと5年生の1クラスを、本日は2年生と4年生を診た。
喘息とアトピー性皮膚炎が混じるが治療を励行していて落ち着いていた。
可笑しかったのは入学して二ヶ月目の1年生の服と口周りだった。
多くの生徒の白い体操着の胸元が茶色に汚れている。
よく見ると口の両側にもうっすらと茶色の汚れが伸びている。
傍らの養護教員が「今日の給食がスパゲッティミートソースだったのです」と微笑んだ。
1年生が終わって5年生になると、見事なほど衣服も口もきれいに変わった。
但し一年生とちがい、5年生で肥満が少々目に付くことが課題。
施設の真っ白なアメリカハナミズキ。
ここは帝国石油の寮があったところで、往時の方が植えた樹のようだ。
健診を終えて2カ所の老人施設を回った。初めにグループホームで3人を診て、その後向かいに出来た多機能型施設に入られた方の関係者ミーティングに参加した。
この方は以前から診ていたが、認知症の進行で私たちの顔も分からなくなった。
しかし参加された息子さんをしっかり認識されていて一番の笑顔で手を握り何度もさすった。
しっかり顔をだします、と目をうるませる息子さん。
文字通り触れ合うことから新たな出発が可能になる。
子猫ちゃんに見えたが、、、、。
昨日に続いて晴れ、気温もぐっと上がって午後の在宅回りで車が示した外気温度は16度だった。
畑を耕す人やランナーが急に目立つようになった。
お陰様で樹下美術館はこの二日間で52人の来場者さんがあったという。
ところで在宅訪問のお宅の帰り、玄関先に小柄な可愛い猫ちゃんがいた。
美人な子猫ちゃんですね、と言うと
もう19才、人間ならうちのおばあちゃんと同じ100才なんですよ、と奥さん。
そう聞けば確かに腰部の筋肉が少ない、、、。
猫を良く知っている人は一見して年が分かるのだろうが、私は幼い風貌にとても驚いた。
立春に冬の戻り 認知症独居者の消化器感染症のリスク。
しばしば春のような日があったが、本日気温が急降下して雪が降った。どこかへ寄り道していた冬将軍があわてて現れた模様となった。
現在大雪と言うほどではないが明日も同じようなお天気らしい。
夜が更けて、空がヒューと鳴り一気に真冬に戻った。
ニュースは東京はじめ関東地方の雪を報じている。あの青々とした太平洋を望む伊豆伊東も降ったとは。
ところで先日、ほぼ独り暮らしという認知症の方に突然嘔吐下痢が生じていると、ヘルパーさんから連絡があった。看護師が用意した使い捨てガウンに手袋の仕度で行った。
心配が的中し初日の便にノロウイルスが検出された。症状はおよそ2日で治まり、10日を過ぎたが幸いヘルパーさんはじめデイなどの感染拡大は免れている。
普段通っている私たちの顔も覚えられなくなった方だった。食事、衛生管理などこのような人の在宅生活は非常にリスクが高い事を再認識させられた。施設入所を急ぐこと、それまでホームヘルプを頻回にすることが話し合われた。保健所にも相談したがひやりとさせられる出来事だった。
軽めに推移する冬 急病人や老人は貨物?
予報よりも恵まれた日が続く。昨日午後、在宅回りで見た雁子浜 も写真のように穏やかだった。本日の予報も雪ではなくお日様マークと雨マーク。。こうなれば二月が本番なのか。
ところで一昨日の食事で救急車の乗り心地の悪さが話題になった。私自身信搬送されたことはないが、その昔何度か重症の方に同乗したことがある。いずれもガタガタ、ドンドンと激しく上下振動しあるいは揺れて、乗り心地どころか病の悪化が心配で気が気では無かった。
ところがこの時代、今もってひどい状況は変わらないらしい。それについては一刻も早く病院へ着くことが第一、重い医療機材を搭載している、無料なのだから、などで、改善に手が回らないとされているようだ。
しかし脳出血、外傷、めまい、妊婦さん、嘔吐・腹痛、整形外科疾患、循環器ほか多くの急病に対して、持続する激しい振動や揺れはすべからく有害であろう。最も安静が必要な状況の中で、一旦搬送となった途端ひどい環境が付加される。考えてみればおかしなことである。
救急車はメーカーの商用貨物車を改装して使っていて、スプリングは板バネのままだという。
「お世話になる」からとはいえ、きわどい場面の病人が貨物扱いでよいのだろうか。生活の質云々ではなく、医療の質から本気で取り組む課題ではないかと、あらためて思った。
※話変わりますが、福祉施設の送迎車もかなりの悪条件です。母のショート利用で何度か一緒に乗ったことがありました。多くの利用者は車椅子のまま乗車です。振動がきつい上、位置がより高くなるため大きく揺さぶられます。車椅子は固定されてますが、乗っている人は、揺れに対してぶら下っているヒモなどに掴まるのです。
その後、往き来は自分の車を用いるようになりました。
家←→病院・施設。普段双方の場で如何に丁寧に扱われている人でも、移動となると貨物扱い。不思議なことではないでしょうか。
子や孫のお古を着る ドキドキさせられたタカ。
昨日降った雪が10センチほどの積雪で残っているが、道路は除雪でおおかた消えた。
さて冬期は着るものが増える。お年寄り達が青紫やピンクのセーターを着るなど、思わぬ若い服装で来られる。
「70になれば恥ずかしくもなく娘が着たものを着れますから」と先日の患者さんが仰った。
よくお似合いでした。
本日の方は黄色のスマイルマークをあしらった小さなマフラーを巻いてこられた。
「ひ孫のをもらいました」
低下した腎機能を大切に80才を軽々突破され、一日一日が大切といつも仰る。
去る16日の昼休みに出かけた近隣の田でタカを見た。一帯は半円状に林が囲み、小鳥の群が休むに丁度良い場所に思われた。
現れたタカは素早く飛び、なかなかカメラのセッティングが間に合わない。
甘いピントのせいもありネットで調べたが種類が判然としない。ノスリ、ハイタカ、ツミのどれかではないかとして宿題にした。
年の瀬にアルバムを考える。
在宅回りの訪問の時、高齢者さんがベッドでアルバムを開いていることがある。私は在りし日のモノクロ写真が好きなので、人様のアルバムでも一緒に眺めさせてもらう。
軍服のものなどは早めに飛ばされ、田植え時に皆して畦でおにぎりをほおばる写真などではこれは誰、それは誰々と教えてくださる。
警察官だった人やバスの運転手だった方のアルバムなども大変興味深かった。
さて先日のお宅で、私の為にとその方の兄さんが残したアルバムを用意して下さっていた。若き日の小生の叔父さんが写っているという。
B5ほどのアルバム。他でもこのように黒っぽい立派なアルバムを見た。戦前の流行だったのか。
昭和12年、若き日の叔父さん。父より3つ下、ハンサムで優しい人だった。
逞しい人生を歩まれ、今から15年ほど前に90才近い年で亡くなられた。
写真は満州時代に入院中の戦友を訪ねた時のものらしい。
人様のアルバムで若い叔父さんと出会い、よけい好きになった。
さて私たちにとって、誰かの人生を、誕生から老後まで見ることはそう容易でない。年下で若くして亡くなった人の人生は誕生や幼年時代から知り得るが,、最晩年まで見切ることは中々難しい。
またその人が長年生きて亡くなられる場合、大抵年上の自分が先に倒れるので多くは叶わない。
親や子についてもしかりであり、他者の長い生涯を目の当たりにするのは、よほど元気で長生きしない限り実現しない。
(6つ年下の人が90才で亡くなるまでを見るには、自分は97才まで正気で生きていなければならない)
ただ幼年、若年、青春、新婚などの写真がある人が長生きされた時、生涯はよりリ近くリアルに感じるだろう。
しっかりしたアルバムを残された昔の人たちはその点で立派だ。
人生では親子はじめ人の距離や情愛は様々な事に影響される。
しかし単に写真が揃っているか否かで、親近感に差が生じる事はあり得るかもしれない。
この事では、ペットにおいて事情が異なりそうだ。大抵生まれたてから、長生きなら老衰まで共に暮らし生涯を目の当たりにする。
先日樹下美術館を訪ねられた犬の飼い主さんが、長生きされた愛犬の死を大変に悲しまれたのもなずける。
いつか私も乱雑な写真をちゃんとアルバムにした方が良いのか。
また一般に、写真以外でも聞いてくれる人がいるなら、上手に自分の昔話を話す(伝える)ことも良いことだろう。
晩年の母から、幼少や青春の話を何度も聞かされたが、そのことで母を深く好きになった。
何はともあれアルバムはどんな人生でも自らを完結させ得る唯一単純な手段であろう(当面誰も見てくれなくとも)。
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
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