聴老(お年寄り&昔の話)
お年寄りのタブレット 梅雨の花、合歓(ねむ)。
過日お会いした80才を越えられている女性は、タブレットの便利さと面白さを熱心に話された。
分からないことはググればすぐに出るし、その中の分からない言葉はまたググればいい。
文字や絵は大きくなり辞書も要らず、自分に出来るゲームも楽しい、と仰った。
タブレットを購入したばかりのころ、介護していた夫の容態が悪化した。
「ここで一緒に座ってくれ」、ある日夫は言った。
これまでそんなことをしたことがなかったので、恥ずかしかった。
だがそばに座ると幸せな気持ちがしたので、傍らのタブレットで自分たちを撮ろうと思った。
ところが画面で自分たちを見ながら写す方法が分からず、後ろ向きにしたまま何枚も撮った。
時間はかかったが良く撮れたものがあった。
その夜中、夫は急変して亡くなった。
何かが知らせて一緒に座れと言ったのだろうか、無理して何枚も写真を撮ったのが悪かったのか、色々考えた。
しかし、夫と撮った最後の写真は大切な思い出になった。
上越市大潟区の近辺は合歓が多く、いま盛んに咲いています。
見るからにひ弱な花は雨に打たれてすぐに傷みます。一方ご覧の房状の丸い玉は全てつぼみです。
降られて傷み、傷んでは咲き、合歓は梅雨の日を精一杯明るく振る舞っています。
次回もお年寄りのことを書かせて頂ければと思います。
春の夜のクリスマスローズ 「〝年はひとが取るものだ〟と思っていました」は名言。
樹下美術館の庭で昨年秋にヒメシャラの若い株立ちが枯れた。
本日昼、それを掘り出して買ってきた2メートル少々のモミジを植えた。
姿が良くても難しい木があり、浜風と砂地の樹下美術館は活着するまで悩ましい。
夕刻の仕事後、まだ空が明るいので最後になったクリスマスローズを5株植えた。
ずっと沈丁花が香っていて、どういうわけか終わる頃一匹の雨蛙が鳴いた。
全てが終わえると随分東へ寄った月がきれいに昇っていた。
以下連日のクリスマスローズで申し分けありません。
庭の灯でクリスマスローズを撮した。
フラッシュ無しの手持でブレましたが、夜の花は昔の洋画の女優さんのように魅力的だった。
さて比較的お元気な患者さん達の畑仕事が一斉に始った。
本日足腰の痛みを訴えた昭和11年生まれの女の方がこう仰った。
「〝年はひとが取るもんだ〟と思っていました」
立派な名言である。
私はそれでいいと思う、どこかでず-とそう思うのはやむを得ない。
たとえ年取ったな、と感じても「年はひとが取るもの」で生きて行くような気がする。
ただし「病気はひとがなるものだ」と考えるのはいけませんね。
強風の日の虹 普通は簡単なようで難しくまた眩しい。
本日当地一帯は一日中風に見舞われた。
風は強く、上越では最大25メートル(恐らく沿岸部)に達した模様。
午後は特別養護老人ホーム・しおさいの里に出務したが、入所者ご本人ご家族へのスタッフの対応は心こもり、いつも敬服を禁じ得ない。
また管理栄養士さんもこまやかな対応をされるので安心だ。
そんな日の施設からの帰りに虹が出たので海へ寄った。
夕刻に近づくにつれて虹は高くかかる。午後3時前の虹は随分低い位置に出ていた。
さておばあちゃん思いの孫さんがいる。高校時代はバスケットで部で頑張り、卒業して社会人になった。
家に帰ると「おばあちゃん、今日はどうだった」と昔から毎日尋ねるという。
働き者で男前なので友達という彼女が出来て、その娘さんはまた勉強家で美人。
家で一緒にごはんを食べるようになったが、
娘さんは自分の話をする一方、おばあちゃんの話も良く聞く。
「実の娘より可愛い」とおばあちゃんは嬉しそうに言う。
普通というのは簡単なようで難しくまた眩しい。
たとえ一人の希な案件であろうとも。
以前ある老人から、若い時に身売りを強いられた話を聞いた。蒲原地方で育った家にどんな事情があったのか、親が自分を売った。女衒ともう一人の娘と一緒だった。大きな川の手前の宿に泊まった夜、この川を渡ったらもう駄目だと聞いて逃げる決心をした。相手の娘さんに話したが、行かないと言ったので一人で逃げた。
農家のふるさとは駄目、とにかく海へ逃げようと思い、田を越え山を越えた。漁師の村へ着くと物乞いのようにしながら漁業の手伝いをした。本当に色々なことがあった末、今の土地で嫁になった。
この方は晩年に認知症が現れ、昼寝の後などに火事だ空襲だ、と言って家を飛び出すことがあった。そのことで往診に行っ日、落ち着くと以上の昔話をされた。私が知る限り、この方の強さと子や孫へのいたわりはとても印象的だった。
飛び出しの異常行動は認知症だけではなく、かっての辛い経験の表出ではないかと思った。
ところで本日後藤さんの死亡が報じられている。
国はある意味もう一人の親である。
それが衆目のなかで、とうとう後藤さんを守れなかった。
たった一人の特殊な案件が全てを物語ることがある。
勇敢で善良そうな方が失われ、残念かつ先の吉凶が案じられる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
午後高田へ行った妻は大潟の方が降っていると言った。
年配の方それぞれの冬 ジグソーパズル 家事と温泉 スキー。
外出が厭われる冬ですが、診療の余談でお聞きする話はいつも有意義です。
以下幾つかを記しました。
○昭和11年生まれ(78才)の女性のジグソーパズル。
ジグソーパズルは畑とともに夢中になれる。
10年ほど前、娘が頂き物と言って届けてくれたのが始まりだった。その時のパズルは300ピースくらいでジェーム・スディーンの白黒写真だった。
初めてなのに出来たのは、ジェーム・スディーンが大好きだったから。
その時、自分はこの遊びが合っていると思った。以後1000ピース、1500ピースと大きくなり会にも入った。
今は4000ピースをしているが、出来上がるのに1,2ヶ月くらいは掛かり、畑をしながらだと4ヶ月掛かるが飽きない。
中でもカタログから作品を選ぶ時や最後の一ピースをはめる時が嬉しく、なにより最初に全てのピースをばらまく時がわくわくする。
○大正15年生まれ(89才)の女性の家事と俳句とお出かけ。
長年の農作業で足腰は曲がった。
しかし朝食の仕度、風呂掃除は自分の仕事で、昼寝を交えて相撲や歌謡ショーや鶴瓶のテレビを見る。
先生のお母さんに誘われた俳句はずっと続けている。毎年娘が来て一茶記念館に連れて行ってくれる。
そこには記念館で詠んだ句の投句箱があり入れていた。先日、思ってもみなかったことに昨年の一句が特選になったと知らせが来た。
この時期、気ままに外出できまないので、周囲の友達と月1回の温泉行きが楽しみ。
温泉はごく近いが一緒にタクシーを頼んで出かける。月1回だったのが、このところ20日に1回と回数が多くなった。
○昭和18年生まれ(72才)の男性のスキー
何年ぶりかで杉野沢へスキーに行った。
スキー場は思ったより混んでいて、以前より更にスノボーが増えていた。
孫と一緒だったが、普段歩いているせいか転びもせず楽しかった。スキーウエア-を着ると気持ちが若返るし、ゴーグルをつけていると顔が隠れるので年を気にせず楽しめる。
(最近のゲレンデは年配のスキーヤーが増えていて、色々優遇サービスもあるとテレビが伝えていました,,,筆者)
ある日の四ツ屋浜の竹藪。
この日風は吹いていませんでしたが、笹が風下を向いて見事に固まっていました。
連日の季節風に晒されてこんなになってしまったのですね。
少々教訓めいた眺めでした。
着物を着た昔の子供 でんぐり返し 疎開。
昨年のこと12月早々の寒波で雪に見舞われた。
患者さん達は白菜、大根、キャベツなど、最後の収穫をし損なった。
当時こんな話をした。
「雪がそう多くないのに、なぜ採らないのですか」
「はい、どうせ着物汚しですから」
この人は服を着物と言った。
服が汚れるからというが、当面野菜に不自由しないからということのようだった。
一部の年配者は今でも服を着物をと言う。
普段着としてのいわゆる着物はまず見られなくなったが、言葉は別に生きているようだ。
ところで着物、とくに子供の着物はいつから見られなくなったのだろう。
都会と地方でかなり違いがあったようである。
二十四の瞳のように白黒映像で見る昔の子供たちの着物は、かすりの白い模様が鮮やかでとてもいい。
また金持ちの子が洋服で、一般は着物という時代もあったようだ。
さて現在80才ほどの女性は、戦時中東京から当地に疎開し、一度帰京して後年また戻られた。
疎開当時の小学校で次のような事があったという。
当地の小学校は特に低学年で着物の子供がかなりいた。
自分は服だった。
疎開早々のころ、ある日着物の男の子が突然目の前ででんぐり返しをした。
驚いたことにその子は下着(いわゆるパンツ)を付けていなかった。
一瞬お股が見えたのである。
とてもいやでショックを受けた。
ところがその後、面白がって何人かの子供たちが自分の前で次々にでんぐり返しを始めた。
親が学校に言ったのか、間もなく騒ぎは収まった。
これだけの話だが昔の子供や疎開の一面が垣間見られる。
ところで寝間着に関して、私は少なくとも小学時代まで脇にヒモを通すような着物(ユカタ)を着て寝た。
パジャマを着るのは大事件だったはずなのに、いつからだったか覚えていない。
80代なかばの方のお話。
昨日は人と会うことと認知症への考えなど書いてみました。
本日は、おおむね独り暮らしで時々息子さんが訪ねて来られる80代半ばの方の話を書きました。
読書がお好きだった元気な方で、この年代の日常がよく伝わる話だと思いました。
〝最近、新聞はまずお悔やみ欄、それから大きい見出しだけ読んで終わり。
テレビはニュースを眺めて後は付けっぱなし。
本日はヘルパーさんに来て貰ったが、掃除が一番助かる。
時々息子がくるが男の足跡はべたべたして気持ち悪いのでぞうきん掛けが助かる。
洗濯機は本当に有り難い。
ただ放り込めばそれでよく、乾燥もしてくれる。
アイロン掛けは、しなくていい物を買っているので呑気なもんだ。
便利な世の中になったが、昔あったバス路線がなくなったのが不便だ。
もう実家の方へ行くことが出来ない。
近くに友達がいるが、やっぱり昔の友達にも会いたい。
また、タクシー代が年々高くなったので買い物にすごく不便だ。
しかし一時止めていた近くのスーパーが、最近駐車場にテントを建てて何でも売り始めたので助かる。
回りで私より若い人たちがどんどん死んで行くのはどうしてでしょうか〟
以上とても生活実感がにじんだ話でした。
ただ最後の一言にはっとさせられました。
認知症の予防で人と話をするということ 自分が変えてみる。
過日ある方が、一日少なくとも4人の人と話をするとボケ防止になる、と仰っていた。
〝4人〟という数字に拘らなくても、人と話をすることは良好なコンディションの維持に有益であろう。
休日などに、夕刻まで長く人と会わないでいると、感覚がぼんやりして、手応えのない奇妙な空間に居る気持ちに襲われる。
毎日こうであれば、周囲と無関係で方向の定まらない漂うごとき存在に陥るであろう。
これは認知症の人の状態に似ている。
確かに「出ない」、「会わない」は、異次元的な迷子(認知症)になる要因たり得る。
恐ろしいことに、「出ない」のほかに「否定される」が加わると事態は深刻である。
家に居ながら家族(全員ではなくとも)に絶えず叱られ、注意を受ける状態の事だ。
出たい、役立ちたい、は老いたりといえども人間の証しとして老人達の根底で燃えている。
それなのに、危ない、おかしい、余計だと絶えず禁止と否定を繰り返されたらどうなるだろう。
残された活路は周囲と交信不能な自分だけの世界にさまようか逃避するかしかないのである。
これらはある種の防御反応であるが、鬱や徘徊、混乱や無謀へと様相が変る危険をはらむ。
しばしば家族は言います。
「先生、いくら言ってもちっとも言うことを聞いてくれません」
お年寄りは、たとえ助言であっても、きつい否定の言葉など耳がわんわんして聞きたくないのです。
さらに言えば、良い助言であろうとも、気に入らない人の言うことは聞きたくないのです。
「長く生きて相当に頭を使い果たしていますので、理屈はもう通用しません。あなたの表情や印象がずっと大切なのです」
「つまり耳ではなく、カメラのように目でシャッターを切って単純に判断しているのでしょう、自分の敵か味方かをね」
「お年寄りの前では作り笑顔でいいですから、見た目優しい表情がまず必要です」
「こちらがちょっと工夫すれば相手も柔軟になる可能性があります、すぐ始めて根気よく続けて下さい」
「そのうち自分の作り笑顔が本物に変わるかもしれませんよ」
なんとか上手く行っている家は、世話する人が小声で愚痴をこぼしながらも、さてさて、どうしたかね、と優しく反応している。
そこでは老人達は保育園の園児のように可愛い目をして安心しているのである。
勿論、これで全てクリアではないし、数日後、数ヶ月あるいは半年、もしかしたら1年後に新たな問題が起き得る。
しかし「いつでも私やケアマネに相談してください」、が最も大切な事になるのだろう。
それでも事情によって加齢や認知症の事で、在宅に限界を生じるることは少なくない。
その時もきっと正直な相談が広く有益であろう。
話変わってその昔、ある女性が友人宅へ旅の土産を届けに行きました。
すると「なんで電話もしないで突然来たのか!」といきなりご主人に激怒されたそうです。
「夫婦げんかの最中だった、ゴメンナサイ」と友人は謝ったといいます。
大きなショックを受けたが、「先生に聞いてもらって少し楽になりました」、と仰ったことがありました。
一日4人でなくとも、誰かと何かを話をすることは心身に良いことにちがいありません。
おしゃべりは女性で特に目立ちますが、男性にも有益なようです。
私はブログを書いていると、人と話をしているのと似た作用を感じることがあります。
見て頂きありがとうございます。
イタヤカエデを植えた 何かを育てるのは張り合い、あるいは本能。
昨日11日は火曜日で樹下美術館は休館でした。
先日記載しましたイタヤカエデが年々立派になるのを見て、あと二本はほしいと考えていました。
さいわいネットの通販に1,5jメートルの苗が出ていましたのでそれを求め、
昨日お天気だった休館日に植えたという訳です。
二本目は美術館左脇、もともと黄色のまだ幼いモミジがあった所を選びました。
イタヤカエデはしばらくすると1年に1メートル近く伸びるようになりますので楽しみです。
その小さなモミジを美術館の真裏、館内の細いスリットから見える所に移しました。
(いずれも支柱をもっと丈夫にしたいところです)
ところで70才を何年か過ぎて樹を植えるのでは、その成長を見る時間はたいしたものてはありませんね。
しかし一般に花や野菜、稻や樹、人や仕事あるいは趣味など、わずかでも何かを育てたい、という心境は年と無関係のはりあいで、
ある主本能の如きものではないかと感じられるのです。
かなり昔のことですが、長くお孫さんのお弁当を作っていた高齢のおばあちゃんがいました。
お孫さんは高校卒業後、都会の大学へ進学しました。
するとおばあちゃんに明らかな鬱が現れて進行したのです。
大学に受かったのだから喜べばいい、と家族は慰めましたが、最後は肺炎で亡くなられました。
日中お天気は持ちましたが、夜に入り予報通り風が強くなってきました。
雨で始まった秋 畑が気になる昨今。
すぐれない日が続く本日9月1日、秋は雨で始まった。
最近夜間など非常に激しく降り、一帯は安全なはずなのに心配になるほどだ。
さて診療所でお会いする多くの皆さんは何かと問題を抱えながらも畑をされる。
多くは女性で、全作業から草取りだけ、あるいはもぐだけなど家族の中で様々な役割でされる。
一方男性も非常に熱心な人から鍬打ちや棚作りだけ、という人まで少なくない。
秋を迎えて畑は豆類、胡瓜、トマトなどの「棚壊し」を終えて、秋の「撒きもの」の真っ最中。
およそ大根と白菜は欠かせない。
いずれもうね作りと種まきが必要で、せっかく撒いたのに雨で流された、うねが崩れた、と
いう嘆きを耳にする。
だんだん畑が小さくなってくる、花だけにした、という話も時には聞かなければならない。
心身の調子の良し悪しは畑の事を尋ねるとヒントになる。
「マイペースで」という言葉は重要で、嘆きが混じる人にはよくそうお伝えします。
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- 小津安二郎監督映画「晩春」を観て。
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