聴老(お年寄り&昔の話)

外国人も“どっこいしょ”と言うのだろうか。

2016年2月18日(木曜日)

午後休診の木曜日、好天に恵まれ庭に土と肥
料をくべた。
「み」に園芸用の土を採り、トンプンを混ぜて撒
いたり地面に混ぜたりする。

結構重いので持つときに「どっこいしょ」とよく
言った。
老人向きの言葉だが、もともと非力な自分はか
なり以前から言っていたような気がする。

仕事場でお会いするお年寄りたちは本当にどっ
こいしょと皆さん言う。
座る時も立つ時も言っては、ご本人は笑っている。
「どっこいしょ、って言うと立てるんです」とも仰る。

ところで外国でどっこいしょ、のニュアンスの言葉
はあるのだろうか、とふと思った。
周囲に外国人はいないし、映画やテレビの場面
でもすぐには思い浮かびにくい。
少々検索してみたが、文面だけではぴったりという
感じにはならなかった。

英語は「ウッ」などのうなり声は普通のようであり、
「here we go」は「せーの!」のようであるし、
「upsy-daisy(アップシーデイジー)」は主に「さあ、
さあ」や「頑張れ!」などと人に言う言葉であろう。
oops!(ウープス!)は「おっと!」に似ているが、
どっこいしょもあるのだろうか。

フランスでは「ウッ プラー」、イタリア「オッ プラー」
があるようだった。
「せーの」かもしれないが、語感から「どっこいしょ」
のイメージがしないでもない。

無いと記載された国も多かった。
しかしうなり声やつぶやき、あるいはおまじない
めいた「どっこいしょ」は、
どの国にもあるのではないか、と期待している。

同じ人間で日本人だけが「どっこいしょ」的な声を出
すとは少々信じがたいが、どうなのだろう。

 

021
庭の前に海へ行くとカモメが休んでいた。
以前カモメの顔は怖いと書いたことがあったが、
本日は可愛い顔をしていた。

おばあちゃんってすごいなー 亡くなった人を思い出す。

2016年2月9日(火曜日)

昨日の空は澄み渡り素晴らしかった。
その空のことであるおばあちゃんと初孫が交わした話が
ある。

その昔おじいさんがまだ元気で孫が3,4才だった頃の
こと。
おじいさんは四六時中孫を三輪車に乗せて可愛がった。
おばあちゃんとも仲良しでよく話をしたという。
ある日以下のような会話があったらしい。

「おれはおまんのこと、死んだ後もずーと見ていてやるからね」
「どうやって見るの」
「空の上から見るんだわね」
「おばあちゃんてすごいなー空へ行けるの、どうやって行くの」

今ではその孫もすっかり生意気になりました、ということです。
確かに子供には天使のような時代がありますね。

030
      昨日の空を飛んでいたマガンとコハクチョウ。

 

 018
昨日、澄んだ青空の坂田池湖畔(長峰池と隣り合っています)。

さて心の問題ですが、亡くなった人が一番喜ぶのはその人を思い
出す時だ、と聞いたことがあります。
なるほど、です。

親の事では楽しい事つらい事ともにあります。
楽しい事や楽しい人を思い出すのは比較的容易ですが、
つらい事(人)を思い出すのは普通気が進みません。
でも時にはそれを越えて思い出す事は良いことではないか、
ということなのです。

広げて、どんな人のことでも、亡くなった人を思えば、その人は
慰められたり喜んだりしている、ということも。

忙しいとそうそう出来ませんが、時には短時間でも良いらしいの
です。
何かわかるような感じがします。

今年展示の陶齋は「赤」、倉石隆は「朱」  101才の方から届いたガーベラ。 

2016年2月1日(月曜日)

律儀に時は過ぎ、2月4日の立春が近づきました。
数日ちらほらと雪が降り、一帯の積雪は2、30㎝程度。
路面の雪はすっかり消えています。

さて3月15日の開館を前に今年の展示テーマが決まりました。
小規模な美術館で毎年テーマを決めるのはやや大変です。
しかし作家の実力あるバリエーションのお陰で続ける事が出
来てとても有り難いと思っています。

1
齋藤三郎(陶齋)は「陶齋の赤」
氏の色絵には赤が多く用いられ、その色は雪国の忍従を
突き抜ける情と強さを秘めているようです。

 2
倉石隆は「倉石隆の朱色」です。
およそ氏の絵画はモノクローム(単系色)で描かれます。
そのことは作品の深みや見やすさに繋がり、朱色系は白・黒と
同じくらいよく用いられました。

両氏が住んだ世界は異なりますが、確たる個性の上に豊かな
変化を展開させた点でとても似ています。
華やかな多色を用いなかった点でも共通していました。

暖色。
その色は雪国出身者が見た赤々とした炭火の色かもしれません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

午後ある患者さんから誕生日のお花が届きました。
101才を目前にしたやはり2月生まれのおばあさんからでした。

誕生日祝いの花
心づくしがにじむ黄色のガーベラ。

出初め式のはしご乗り。

2016年1月10日(日曜日)

本日は終日風が吹いたが雪にはならなかった日曜日。
午後近所で木遣りの歌声が聞こえ、出初め式と思われ、
祝儀持参で出てみた。

上越市大潟区内を回り西念寺境内が最後のようだった。
寒風の中、そこで地元消防隊の梯子乗りが披露された。

 

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大勢の人が鉤ではしごを支え、声を掛けて乗り手を励まし
皆で心ひとつにして集中しているのが分かる。

自分が子どもの頃、はしご乗りを見るのがとても好きだった。
高い所の急所に足を掛けたり、ヒザで支えたりして乗る。
あんなところでやるなんて!ひやひやしながら見た。

「オラおっかあ見えたかな!」
「ああ見えた、見えた!」
こんな声が飛び交い、場を和ませていたと思う。

あるおばあさんの家を訪ねるが、
若かりしおじいさんのはしご乗りの写真が飾ってある。
白黒写真のご主人はとてもはつらつとしている。

グループホームへ寄って。

2016年1月8日(金曜日)

夕方には一時雲間から陽が射したが、
現在23時を過ぎてバタバタとアラレが窓を叩き始めた。
昼の気象解説では強烈な寒波ではなさそうだが、
この先一週間はまともな陽は望めそうもない。

本日はあるグループホームへ回診に寄った。
長年みていると入居者さんの顔ぶれがゆっくり変わる。
疾病の悪化、ADLの自然低下などで入院や転所がそうさせる。
ここもついの住処ではないのだ。

本日伺うと東京から介護Iターンされて長いおじいさんと、
長年私が診て最近ここに来られた方たちが同じテーブルで待っていた。
私をみると三人そろってにこにこされた。
入居当初は戸惑っていてもいつしか穏やかな表情になっている。
そもそも女性の適応能力には偉大なものを感じる。

奉公や嫁で若いうちから遠くの見知らぬ家に入る。
戦争や疾病で夫を失えば寡婦のまま何人もの子を育てる。
認知症で独り暮らしに行き詰まるとここで知らない人たちと黙々と暮らす。
あまつさえ東京から来たおじいさんと一緒のテーブルにも座るのだ。
私などとても及びそうにない。

いつか皆さんはここを出て行かれる。
せめてそれまで精一杯させて頂きたい。
ここに居れば冬でも暖かく、介護の皆さんも一生懸命だ。

近年ややもすると終末への道のりは複雑になった。
ただ健康寿命の延伸だけが幾分でもそれらを単純化できる。

160108の朝日池
かんたんスマホで撮った今夕の上越市大潟区は朝日池。
わずかだが日が長くなってきた。

身長、万事塞翁が馬。

2015年12月28日(月曜日)

80代半ばのある女性がある事で通ってこられる。
パッとドアを開けサッサと入られ、跨ぐように椅子に座られる。
年令の割にとても動きがいい。

「身軽でいいですね」
「小柄だからでしょうか」
「そうかも知れませんね、親に感謝ですか」
「いえいえ親を恨みましたよ、こんなチビに生んでくれて。学校ではいつも一番びりか二番目でしたもん」
「でも今こんなに元気だから良かったじゃないですか」
「ずっとチビチビって言われ、上から見下ろされてイヤだったですよ。嫁は大きな人を選ばせました」
「そうですか、でもやはり親に感謝でしょう」
「うーん、まあねえ」
なんとかにっこりされスッと立たれた。

私も160センチあるかないかの身長、仰ることは分からなくもない。
幾つになっても親は親、子は子のようだ。
万事塞翁が馬、、、年末が近づくと何かとそんなことを思う。

 1昨日午後の大潟区渋柿浜の専念寺に掛かった冬陽。
あるかなしかの陽はおぼろ月のようだった。

めまいから一週間 木を切ったおばあさん。

2015年11月25日(水曜日)

めまいのため特養ホームでダウンして一週間が経った。
今ほとんど問題ないが、まだ頭のてっぺんにレコードの回転軸のようなものがかすかに回っているような感じがする。

さて本日来院されたおばあさんは90才が近い。
おぼつかない足取りで片手に杖、片手は手すりにつかまり倅(せがれ)さんが付き添われる。

もういやになっちゃった、どっこいしょっと言ってやっと体が動くんですわ、といつも嘆かれる。
そんな話の後、今日は木を切ったと仰った。
エッ、木!びっくりして聞き返した。

倅さんによれば差し渡し25㎝くらいの太さの木を本当に切ったらしい。
しかもこんな寒い日に。
最後の難しい所と枝きりは倅さんが行ったというが、驚いた。

前から落ち葉がいっぱいで、気になって、気になって。
爺ちゃん、今日は切るでね、と亡くなったおじいさんに告げて始めたという。

のこぎりを使うのは体力が要る。
往々にして途中で押すことも引くことも出来なくなる。

こんなお年よりがのこぎりとは、何よりその執念に驚かされた。
これに較べれば私の体調も日常もどれほどのものでも無いように思われた。

話を聞いた妻は、最後までつきあった倅さんも見事だと言った。

 

011昼食に美術館で食べた果物とピックルスが付いたサーモンのホットサンドウイッチ。
一般には4切れですが、運動不足のため2切れ、700円にしてもらっています。
ポットの紅茶また珈琲付きです。

兄は上手に馬を扱った。

2015年10月14日(水曜日)

午後から次第に晴れた一日、但し気温は上がらず寒かった。
そんな日の夕刻受診されたおばあさんに生まれ育った場所を尋ねると、以下のような話になった。

自分は近隣の山奥で育った。
戦争が始まると村から働きざかりの男の姿が消えてしまった。
その村で自分の兄は体が小さかったためか兵役を免除されていた。
小柄だったが兄は馬を扱うのが大変上手だった。

家の馬だけでなく村のどんな暴れ馬もうまく馴らした。
ある日、よその馬が荷車をつけたまま土手から落ちると、飛び出して逃げた。
大声で人が呼びに来て兄と見に行った。
巡査まで来ていた人垣のなかで馬はいななき跳ねていた。

しかし兄を見ると急に静かになり、兄はほおずりをした。
その時の馬の目は真っ赤で、自分には泣いているように見えた。

とても良い話でもっとお聞きしたかったのですが、順番のためここで終わりました。
この方は大正15年生まれ、お年寄り達はご苦労されている分だけ本当に色々な話をお持ちです。

 

151014今日の空午後遅くの爽やかな空にヒツジやイワシ、ジンベイザメまでいました。

気温が下がったため夜になって居間にストーブを出しました。

順調な作物 頂いたさつまいも。

2015年9月16日(水曜日)

8月末以来、さほどの残暑もなく9月も半ばとなった。
2012年の9月17日、当地上越市大潟区の気温が37,6℃となり、当日の日本最高気温だった。
本当かなと思うほどの暑さだが、今のところ秋はある種順調に推移して涼しい。

患者さんたちが盛んに行っている畑も例年になく好調な様子。
種蒔きした大根や白菜が揃って良く育ち、本日頂いたさつまいもも立派だった。
煮たものなどお菓子の様に美味しいことだろう。

サツマイモ大きいのと小いもが分けてある。
ほかに大根のすぐり菜を頂いたが、酒粕の味噌汁に散らすととても美味しい。

色々な方に色々と作物を頂く。
年令や具合に応じて様々に畑をされる皆様。
何もかも忘れられて楽しい、と異口同音に仰る。
いつも本当にごちそうさまです。

立派な絵を描くお年寄りの最も好きなのは料理。

2015年7月8日(水曜日)

一日中雨が降って梅雨そのものという日だった。

そんな日ぽつん、ぽつんと15名様のお客様がお見えになった。
昼休み、熱心に絵画をご覧になった若い姉妹にお会いし、要所を説明させていただいた。
また、「雨の日の庭もいいね」という若いカップルさんのお声も耳にしたが、私もそう思う。
そういえば以前「雨の日のカフェで蓄音機を聴きたい」とお声を聞いたこともある。

災害でなければ雨降りには詩情がある。
だが遠くだと思っていた台風が近づく気配で心配される。

さて昨日はお年寄りのタブレットでしたが、今日は墨絵です。

143

 

144上「椿」および下「牡丹」。
失礼ながらフラッシュ無しで撮らせて頂き、光量不足で申し分けありません。
驚かされるのは構図の良さと観察眼、筆力と上品さ、なにより87才の年令だった。

三年前の秋~冬は脱水症、感染症、たび重なる転倒、激しい多発関節痛で離床も出来ず泣いてばかりの毎日。
息子さんの支援、介護保険の申請、月一度の骨粗鬆症の注射などの結果、昨冬から徐々に改善に向かった。
すると、待っていたようにかって親しんだ絵筆を執るようになられた。

一時は認知症の出現も見たが、今はたまの湿布以外に薬も要らなくなったった。
大きな公募展で立派な賞を獲るられるが、一番好きなのは意外にも「料理」と仰った。

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