明け暮れ 我が家 お出かけ

椿の蕾のボタニカルアートを終了にしました。

2010年2月16日(火曜日)

 

椿のつぼみ 

B4muse S 1mm厚ケント紙を半分にカットしたボードに描きました(B5サイズ)。

 

1月25日から描き始めた椿の蕾完成としました。まだ手を加えたいところもありましたが収拾が付かなくなりそうなので終了というわけです。恥ずかしながら同業の会報3月号表紙になります。

 

 分量の少ない絵でしたが、雨雪を貫こうとする蕾の形状に植物の洗練を感じました。

 

 昨年は白花デンドロビュウムでした。白い花は引き立ちますが、描くとなると大変でした。白花には容易に描かせまいとする気高さのようなものがあるように感じられました。

 椿の蕾は額装して樹下美術館のトイレに架ける予定です。

晩冬の食卓

2010年1月31日(日曜日)

 どうにかお天気がもった一日。美術館の雪を見に行った妻が土手からフキノトウを沢山採ってきた。いつもならあらかたとられてしまう所、今日はまさかの先駆けで採れたらしい。それにしても早いこと。

 

 宮城県に居る「フォルテシモな豚飼い」の弟から時期のいいマダラが送られきた。それでフキノトウの天ぷらにアラ汁、味噌デンガクの夕食となった。春冬混淆の卓、明日からお天気の方は雪模様。

 

晩冬の食卓 
 お恥ずかしい

 「外で食べるより私が作ったほうがおいしい」という妻。我が家はほとんど外食をしない(ほんの時たまの外食を妻はありがと、と言う)。今夜の天ぷらの中に私が苦手な白子があって、妻だけこっそり食べたらしい。

春待ち椿

2010年1月29日(金曜日)

 気温上昇と雨で中旬に降った雪は大方融けた。今日はみぞれ混じりの日。傷みながら椿が咲き、多くの蕾が開花を待っている。

庭の椿

みぞれの後の椿

 恥ずかしながら先日の椿の絵が進んだ。分量が少ないせいかやや楽に感じた。いい加減なのかなあ。

椿の絵

その後の椿のボタニカルアート

 描いていると、この花を愛した陶齋(齋藤三郎)の気持ちがよぎる。これから陰影・葉脈・汚れ落としなど細部を失敗しながら進んでみます。蕾が少々大き過ぎますが、葉が小さい椿ということで許して頂ければ。

青空

2010年1月27日(水曜日)

 今日の青空は格別だった。雲がいいと余計空がきれいに見える。雪雲の上にこんな青い空があったんだと、まじまじ見上げた。冬至から一ヶ月を過ぎて陽が高くなりつつあるのも分かった。

 
昼食後の海

  
午後4時頃の月。 Blue moon,You saw me standing alone ♪

冬も後半になると素晴らしい晴れ間がある。しかし風雪が戻るとすぐに青空のことを忘れ。本当にくるのかな、と思いながら春を待ち。そのうち何かぺこぺこしながら春がやってくる。私たちもお天気も少し滑稽かもしれない。

  

椿の蕾のボタニカルアート

2010年1月25日(月曜日)

 昨年の冬は3年振りの絵筆でなんとか白花デドロビュームを描いた。その直後に小さな紙に椿の蕾を描き始めたものの中断していた。

 

 このたび上越医師会報の表紙を描く番が回ってきた。2ヶ月に一回刊行される冊誌の表紙を4,5人の医師で順番に担当している。幸いモチーフにした椿の蕾が庭で膨らんできた。今回は続きを完成させて勘弁してもらうことにした。

 

2月上旬が締め切り。B5版で絵の分量も少ないのでなんとか間に合わせたい。恥ずかしながら昨年の白花デンドロビュームと同じく完成まで何回か掲載して緊張を維持してみたいと思いました。お目汚しで恐縮です。

椿の蕾1 
昨年2月下旬からストップしたままの絵。

 椿の蕾2 
今日は50分かけてここまで。右側中段の葉を少し大きくしたいのですが。 

つづきは後日掲載致します(2月16日のノートに掲載しました)。 

雪の往診

2010年1月15日(金曜日)

 降らなければ吹かれ吹かなければ降られる。数日、夜は静かでひどく降った

 ここ上越市大潟区は海沿いなので、雪は少ない方だ。それでも1メートル近くの積雪となり、道幅は極端に狭くなった。すれ違いは人も車も神経を使う。幸い今日は往診が無かったがこれから少々心配だ。

 

 冬と言えば30年ほど昔の大雪の夜、遠い里で脳卒中の発症があった。めざす集落へは車で入れず、暗い雪原を新雪に埋まりながら家を探した。当時の救急事情はまだ悪く入院は翌日となった。その後この方は25年ほど健在された。今は残されたおばあちゃんを時々訪ねるが、お家の辺りはなつかしさが漂う。 

  

     
一昨夜の車 今朝、隣で妻の車が埋まっていた

 

 4WDが普及する前の大雪はタクシーを使うことがあった。ある日タクシーが雪に嵌って動かなくなった。降りて運転手さんと共にスコップを握り、板や毛布を敷いて車を救出した。また私自身が脱輪したときは農家の耕耘機に助けらたこともあった。そして皆さんに押してもらったことも、、、。

 

昔は色々あったが、色々させていただいてためになった

雪は白魔か

2010年1月13日(水曜日)

 一昨日の晴々した海が嘘のように一転して激しい雪に見舞われた。雪中の昼間、二件の往診をして夜は介護保険の審査会に出た。審査には25人分、150ページの資料を読み込んで行く。午後7時からの審査会出席は気がもめた。

 

 多分私が一番遠い。早めに出たがいつもの高速道路は封鎖されていた。国道に戻ると立ち往生の車が何カ所かで道をふさいでいる。 なかなか進まない車中で審査開始の時刻が過ぎて行った。事務局に携帯をかけると、もう一人委員が到着していないという。5人のうち4人揃わないと会は不成立になる。

 

 早く着かなければ待っている委員に申しわけない。結局30分以上の遅刻、通常の3倍時間が掛かって着いた。お一人はついに欠席となったが会は成立した。

 

 いつもながら真剣な審議を終えると、みなで帰路の無事を心配しあって別れた。次回は一ヶ月後、はたして雪はどうなっているだろう。

 

 
なんとか出席して帰宅。

初海

2010年1月11日(月曜日)

午後から新型インフルエンザの集団予防接種があった。小3までの児童に三人の医師で当たった。頻回の予防接種を受けているせいか、泣くお子さんが少ないように感じた。

 

 時代を反映しているのだろう、子どもたちの服装が少し地味になったように思った。しかし皆すらりとして足が長く、ブーツが似合って格好良かった。

海

のびのびと波を打ち返す海。

 夕刻、今年初めての海へ。荒れるだけ荒れた後でおだやかな表情だった。例のリューボは姿を消していた。あんなに高い所までまた波が来たに違いない。今どうしているのだろうか、再び現れるなら凄いことだ。

二代陶齋のお茶碗で濃茶

2010年1月7日(木曜日)

 今日も終日荒れ模様、濡れた雪があちこち乱雑に溜まっている。

 

 今夜は正月の〆とて濃茶を飲んだ。茶碗を二代陶齋(斎藤尚明さん)の鉄釉。お茶は裏千家宗匠・坐忘斎好み「緑毛の昔(りょくもうのむかし)」(宇治・上林春松本店)。御菓子は患者さんに頂いた上越市安塚区の秋山菓子店の壽羊羹を。

 

二代陶齋の茶碗で 
菱垣文が刻まれた端正なお茶碗
 

 行儀を考えずにテーブルで練った。湯を注ぐと茶の香りが高く登り、滑らかな濃茶になった。茶の緑をしっかり受け止めた茶碗。服すると明日からまた頑張ろう、という気持ちになってくる。

 ※ちなみに緑毛とは長生きをした亀の甲羅尻に生える毛のことで、目出度さの象徴と聞いています。

 

 今夜、間もなくNHKで「日本の名峰 ふる里の富士」がある。妙高山が出るそうなので是非見たい。それに鳥海山も。
 ほとんど旅行をしていない自分は、せめて鳥海山を見に行きたいと思っている。できれば母の故郷佐賀県へも。

猛烈に吹かれて

2010年1月5日(火曜日)

 早朝、猛烈な風音で目覚めた。激突するような風で家が揺れる。普段ヒューヒューという樹がシューシューと不気味な音を立てている。遠いはずの海鳴りが耳元まで迫っていた。

 冬の季節風に慣れてはいても、これほどの風は珍しい。古い家に寝ていたので心配で起きると妻も起きてきた。一瞬、中越沖地震の時とダブった。

 電車が止まったために、部活の子を車で送ってきたとスタッフの一人に聞いた。暴風の高速道路は怖かったらしい。ワクチンにきた高校生は運休を口実に模擬テストをサボれたと苦笑いをした。

 

  往診で見た鐘楼がしゃんとしていたのは、さすがだった。降らなければ吹かれる。みな無事で良かったが冬の気象には鍛えられる。 

 

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