おすすめの新堀川公園の桜 銀肌の幹、伸びやかな桜。

2015年4月5日(日曜日)

昨日のこと、来館されたご夫婦を新堀川の桜堤へご案内しました。
公園として整備されている両岸の桜に驚かれ、ぜひ友人達をつれて来たいと仰いました。

先日来ブログのヘッダーにその風景写真を用いています。
川によって出来る広い桜の空間は、自然と心を解放させてくれることでしょう。

本日の桜本日雨中の桜は三分咲きでした。
巨木に近いものでも幹や枝が切られていませんのでゆったりした景観です。

銀の肌昨日の夕陽を浴びる美しい銀色の幹、このように幹が集まっているものもよく見ます。
一帯の草地が風景を和やかに見せています。

白木蓮所どころに見事なハクモクレンやコブシが混ざります(昨夕)。
過度な混植を避けたセンスの良い造園に感心させられます。

 うれあい橋途中で両岸をつなぐ「ふれあいばし」(昨夕)。
良き縁がありますように。

流れと木彫右岸(東側)には小さな流れがあり、ひょうきんなカッパのオブジュが所々でお迎え。

かすかな海風もあり、心身の開放とリフレッシュに大変良い所ではないでしょうか。
樹下美術館から右へゆっくり徒歩で10分、車ですぐです。
右岸に駐車場があります、桜と大気を楽しみたい方に大変お勧めです。

一日中雨降りでしたが、樹下美術館は今年一番多くの来館者さんに恵まれました。
皆様に感謝致します。

巣箱 クリスマスローズ モズの水浴び 〝smart〟 LNGタンカー 皆既月食。

2015年4月4日(土曜日)

本日は暖かく穏やかで、天気予報よりも良かったと感じられた。

午後、診療所の庭で傾いて落ちかけていた巣箱をかけ直した。
このところ毎年山桜が咲く頃にやって来るコムクドリ
今年も来てくれればと待っている。
例年営巣していた合歓の木のウロが朽ちて、昨年はこの巣箱に入りヒナを孵した。

 

1てっぺんではベルトを3本つないでハーネスとして腰に付け、巣を直した。

本日は色々なものを見た日だった。
以下はその写真です。

2連日のクリスマスローズ。新人に負けぬとばかり古株たちは花盛り。

3珍しくモズが水盤に来て水浴び。

4可愛いですね、間近で見たのは初めてです。オーナーさんも可愛い方でした。

5INPEXの直江津埠頭に停泊しているLNGタンカー。
大型小型に限らず夕刻の船舶は詩情が漂う。

6昨年よりも上手く撮れたような気がした。
胸は高鳴り撮影は結構難しい。

天然も人も物も魅力的な一日でした。本日のお客様、まことに有り難うございました。

暖かな春の雨は良い雨。

2015年4月3日(金曜日)

昨夜から風が吹き始め、本日は雨も伴った。

風は予報通り南風で木がしなるほど強くは吹かなかった。
そのため心配した植えたばかりのモミジやクリスマスローズは無事だった。

無事どころか、ほこりも立たず暖かな雨hは耕された田畑の発酵を促し、
草木の芽吹きや開花を促す恵みの雨だったと思う。

150403の雨雲明暗の段になった穏やかな雨雲。
すぐれない日の雲にも見所がある。

蓄音機コンサートバナー昨日に続いての告知です。沢山のご参加をお待ち致してます。

お申し込みは予めのご来館時の窓口か お電話 025-530-4155 でどうぞ、
会費は当日受付で頂戴致します。

本日雨風の日にご来館頂いた皆様有り難うございました。

苔をくわえたシジュウカラ 潟川の夕暮れ。

2015年4月2日(木曜日)

暖かく穏やかな日だった。
良いお天気で初めての方も多く、皆様はゆっくり過ごされた。

苔を加えるシジュウカラ苔をくわえたシジュウカラ。
樹下美術館の西の庭で盛んに鳴き、近づいても一定の場所から離れない。
近くに巣を作るのだろうか、居心地良い巣が想像される。

潟川の夕暮れ樹下美術館近くの潟川の夕暮れ。
東西に流れてている小川は夕暮れの空がきれいに写る。
冬ここでカワセミが飛ぶのを見た。その後は見えず私には幻の鳥。

良く当たる天気予報は明日の荒天を報じている。
予報の南風は若い草木に悪い。植えたばかりのクリスマスローズやモミジが心配される。

蓄音機コンサートバナー手回し蓄音機による懐かしいレコードを聞く会です。
過ぎた昔の真剣な演奏が驚くほどの音でホールに響きます。
クラシックの名曲から内外のポップス、歌謡曲や童謡など15曲ほどを予定しています。

昨年同様、多くの皆様のお越しをお待ちしています。
お申し込みは予めのご来館時の窓口か お電話 025-530-4155 でどうぞ、
会費は当日受付で頂戴致します。

雨の一日 四月の歌 懐かしい慕情のテーマ曲。

2015年4月1日(水曜日)

一日中雨降りの日、ご来場の皆様有り難うございました。
雨の外出はおっくうですが、美術館は雨降りならではのゆったりした時間が流れます。

雨の庭本日午後カフェからスマホで取った雨の庭です。

ついに4月になりました。
さすが盛んに草花が咲き始め、川の柳も緑に色づいてきたようです。
春が一斉に魔法を掛けているのでしょうか、あるいは冬の魔法が解かれているようでもあります。

四月の歌に以前「ポルトガルの四月」をYoutubeから掲載させていただきました。
ほかに「アイ リメンバー エイプリル」や「エイプリル シャワーズ」「エイプリル ラブ」などがあると思います。

本日は懐かしい映画「慕情」のテーマ曲です。


学生時代に大流行しました映画「慕情」のテーマ(コーラスはフォー・エイセスです)。

〝愛には数え切れない素晴らしい事がある〟と歌われ、〝早春にだけ咲く四月のバラ〟という言葉が出てきます。
4月にバラは咲かないと思いますが、そんなことも起る、というのでしょう。
樹下美術館で咲いているクリスマスローズは、名前だけしっかりバラと付いていますが。

学生時代、この曲の出だし部分が好きで、人を捕まえては〝 Love Is A Many Splendored Thing〟と歌わせ、
それに3度上のハーモニーを付けて遊びました。
母親としたこともありました(大汗)。

それにしても映画の主題歌(曲)が流行るということはもう無くなったのでしょうか。
「セーラー服と機関銃」の「夢の途中」などは本当に良かったと思います。

春の夜のクリスマスローズ 「〝年はひとが取るものだ〟と思っていました」は名言。

2015年3月31日(火曜日)

樹下美術館の庭で昨年秋にヒメシャラの若い株立ちが枯れた。
本日昼、それを掘り出して買ってきた2メートル少々のモミジを植えた。
姿が良くても難しい木があり、浜風と砂地の樹下美術館は活着するまで悩ましい。

夕刻の仕事後、まだ空が明るいので最後になったクリスマスローズを5株植えた。
ずっと沈丁花が香っていて、どういうわけか終わる頃一匹の雨蛙が鳴いた。

全てが終わえると随分東へ寄った月がきれいに昇っていた。
以下連日のクリスマスローズで申し分けありません。

1

2

3庭の灯でクリスマスローズを撮した。
フラッシュ無しの手持でブレましたが、夜の花は昔の洋画の女優さんのように魅力的だった。

さて比較的お元気な患者さん達の畑仕事が一斉に始った。
本日足腰の痛みを訴えた昭和11年生まれの女の方がこう仰った。
「〝年はひとが取るもんだ〟と思っていました」

立派な名言である。
私はそれでいいと思う、どこかでず-とそう思うのはやむを得ない。
たとえ年取ったな、と感じても「年はひとが取るもの」で生きて行くような気がする。

ただし「病気はひとがなるものだ」と考えるのはいけませんね。

お客様も花。

2015年3月30日(月曜日)

ほどよい気温、わずかに春がすみ漂う昼でした。

お茶を飲みに寄ったカフェの丸テーブルに、賑やかな奥様たちのグループ。
水盤が見える窓辺には若いお嬢さんが二人。

お二人ともカメラをお持ちでした。
「花は撮られましたか」と訊きますとと、「庭に行ってもいいんですか」と仰いました。
「もちろんいいですよ、沢山写真を撮ってください」とお伝えしました。

015古株のクリスマスローズがさらにあちこちで開いてきました。

018喜びを隠さない椿。

庭で花が咲きほころび、館内でくつろぐ皆様も貴重な花のように感じました。

新幹線のキーホルダー帰り際、新幹線で旅行された方から土産を頂きました。
早速使います、早く新幹線に乗ってみたい。

初ゴルフ 順調なギター演奏会のお申し込み。

2015年3月29日(日曜日)

本日非常に賑わった米山水源CC$Hでゴルフをした。
スコアはまずまずとして、和気あいあいで楽しかった。

つくしコースはずれの土手に沢山のつくし。

それにしても最近の天気予報は良く当たる。
本日の午後から一時降った雨、それが夕方には上がったのは予報通りだった。
私のゴルフのアプローチももう少しぴたっと当たってほしいところ。

明日は全国的に好天のようですね。

リサイタルバナー4月19日は佐々木忠教授のギター演奏会。
3月15日開館後、お申し込みが増えて現在40名様を越えてきました。

まだお席がありますのでどうぞお気軽にお申し込みください。
17時30分開場、18時ちょうど開演です。

どどっと来た春 クリスマスローズの庭 大らかな新堀川の桜

2015年3月28日(土曜日)

連日の好天、春はどどっとやって来ました。

本日の樹下美術館は男性が沢山こられたそうです。
樹下美術館では男性がみな好男子に見えてくるといいますから、不思議なのです。

クリスマスローズ2
クリスマスローズ1いずれもクリスマスローズの古株です。

今年はセールで安くなったクリスマスローズを沢山買いました。
勉強して大株になるように育て、樹下美術館の名物にしたいと思っています。

本日、ボタニカルアートを描かれるY子さんがスケッチにこられました。
いつもほくほく線に乗って来られますが、今日はカフェで食事もされ5時間も滞在されたそうです。

Yさんのスケッチスケッチの一枚を頂戴しました。
滑らかな線、安定した構図、詳細な観察、とても感心しています。
記念に館内のお声ノートに貼らせて頂きました。

さて本日ブログのヘッダーを春向きに替えました。
近くの新堀川公園の桜です。
一帯は雪が少ないため樹形が大らかでとても気持ちが良い花所です。

樹下美術館からゆっくり歩いて10分、一週間後ほどで開花でしょうか。
開花の具合を樹下美術館にお尋ね頂き、どうか一度ご覧下さい。

鉄ちゃんではないけれどその4 修学旅行で蒸気機関車に乗ってはいけなかった。

2015年3月27日(金曜日)

一昨日は小生の中学時代、1956年(昭和31年)の修学旅行中に級友と起こした騒動を書かせて頂いた
当日私たちの列車を牽引していた蒸気機関車に乗った事をある種冒険のように書いた。

しかし二日経ってどこか違うのではないかと、気になってきてあらためて思いを巡らせた。
特に陸上競技に優れた明るいA君の「叱られてトラウマになった」という一言が重さを増した。

考えてみれば次のような疑問が浮かぶ。
疑問1.機関車の運転士は果たしてすんなり同乗させてくれたのだろうか。
疑問2・何故私はA君のことをすっかり忘れていたのだろう。
疑問3・何故A君だけ強いトラウマを生じたのだろう。

疑問1だが、二人で先頭の機関車を見に行ったのは良いとして、問題は乗車の経緯だ。
「乗せてほしい」と訊いた時点で、機関士は少なくとも「先生に聞いてきなさい」と言うのが普通ではないのか。
どうしても乗りたい私たちは(少なくとも私は)は、果たして先生にちゃんと相談したのだろうか。
これに関して、機関車から仲間たちが居る客車に向かって懸命に走るシーンがぼんやり浮かぶ。

走りながら「先生に言わなければいけない、でもどうしても乗りたい」という葛藤があってもおかしくない。

担任、特にB先生は機関車に乗ることなど絶対に許さないはずだ。
皆の所へ行き生徒だけにt告げ、機関車士には「先生に言ってきた」と(私が)嘘をついたのではないのか。
となれば事の善悪は明らかであり、冒険は罪に変わり気まずい空気が生まれた可能性がある。

生徒は担任に話し、厳しいB先生は特に怒りに燃えただろう。
列車は走り出し、私たちが乗った機関車には誰も近づけない。
楽しかるべき修学旅行列車は、
逸脱した二人の少年とやや困った機関士と、先生の怒りと生徒たちの緊張を乗せて、長い垰を走ったと思う。

ようやく停車して席に戻ると説教が待っていた。
私たちは愉快犯でなく、確信犯として扱われたに違いない。
A君がくしくもトラウマになったと言ったのは、人格まで攻撃されたからだろう。

行ったり来たりの反すうの結果、次の答は以下のようになった。
疑問2、何故私はA君のことをすっかり忘れていたのだろう。
→彼に掛けた迷惑や、彼の受けたひどい叱責ショックを早く忘れたい、と願い続けた。

疑問3.何故A君だけ強いトラウマを生じたのだろう。
→二人の鋭敏さの違いもあろうが、どうしても私には激しく叱責された記憶がよみがえらない。
学年は2クラスで担任が二人、A君が言ったように彼は厳しいB先生に、もしかしたら私は幾分温情のC先生の説教を受けた可能性がある。

となるとこの件でA君と私では、受けて残ったものが少し違っていたのかもしれない。
私にトラウマらしきものがあったとしたら、
「彼を共犯者に引きずり込み傷つかせた事への恨悔」しかない。

半年後私たちは同じ高校へ進学し、クラスは別々になった。
それから2年経って私は結核に悩まされ、忘れたい事件は病に取って代わられた。
一年の留年と浪人の後、病が癒えて大学に進み、様々な時が過ぎ、願い通りに相手の名前を忘れていった。
これに対して正直なA君は健康的にトラウマと向き合い見事に克服したのではないのか。

人間は忘れたいことを忘れる、と聞いたことがある。
いずれにしても60年前のことなので風化はやむを得ない。
しかし芯ぐらいは残っているのではないか。
今夏の同級会で会ったらとにかくA君に謝ってみたい、彼はどんなことを述べるだろう。

 オリオン座昨日は暗くなるまで庭仕事をした。春のオリオン座を優しく感じた。

鉄ちゃんというわけではないけれどその3 60年前の修学旅行の逸脱。

2015年3月25日(水曜日)

1956年(昭和31年)10月、中学二年生の私たちは関西旅行に行った。
行き高田発5:45→19:37京都着、帰り大阪発20:12→翌日9:08高田着と「修学旅行のしおり」にある。
当時の北陸本線は蒸気機関車で、片道13~14時間かかっている。

ところで、私が通った中学校は新潟大学教育学部付属高田中学校という長い名前の学校だった。

学業と品行、それに戦後らしい自由さの側面も重んじられていた。
品行で言えば、学内に「風紀委員会」が、さらに「懲罰委員会」まであった。
ある新任教師は着任の挨拶で「この学校に来て大変驚いたことがある、
懲罰委員会という恐ろしいものがあることだ」、と嘆くように語った。

そうかと思えば、「二十四の瞳」だったか映画鑑賞の時は、
映画館までの道のりを男女手をつないで歩くように言われた。

二年生秋の修学旅行は、何事も一生懸命な学校の最も重要な行事だったにちがいない。
今見る旅行のしおりには、詳しい見学先の説明と厳格な行動規律が沢山並んでいる。
「班ごとに行動せよ」は今でもどこでも変わりないことだろう。

しおり41ページもある修学旅行のしおり。

その大事な旅行の車中で、私は早々にある級友と大目玉をくらう行動をした。
それなのに時が経ち、いつしか逸脱の相手が誰だったか、思い出せなくなっていた。

ところが2007年6月樹下美術館を開館して間もなく、高名な外科医になっていたA君が訪ねてきた。

「中学校の修学旅行の途中で機関車に乗ってしまい、物凄く怒られた。誰かと一緒だったと思うが君じゃなかった?」
と言った。
忘れもしない私も誰かと私たちの列車を牽引する蒸気機関車に乗った。
しかし誰とだったのか、すっかり忘れていたのだ。
まさかA君とだったとは。

「戻って延々と怒られたよな、その時の説教は後々までトラウマになったほどだ」とA君は言った。

修学旅行の列車は敦賀かその先の駅で長時間停車した。
退屈していた私と誰かはホームに降りて先頭の機関車を見に行った。
そこで乗っみたいと、機関士に訊いたのだろう。
機関士は乗せてくれ、あまつさえ発車後も同乗させてくれたのだ。

区間は険しい山中、思ったより広い室内で機関士たちは忙しかった。
そんな所へ生徒二人が入ってきて迷惑ではなかったのか。
それでも大きなシャベルで何度か石炭をくべさせてもらった。
トンネルをくぐって大いに煙を浴び、石炭ガラが目に入った。

ようやく停車した駅で降り、ある種ほうほうの体で席へ戻った。
顔はススだらけ、石炭ガラに悩まされた目は真っ赤だったと思う。
どうしたんだ、みんなで探していたんだぞ、級友たちの声が聞こえるようだ。
無理も無い、班が異なる生徒が二人車内から消えてしまったのだから。

事故や駅への置き去りなど真剣に心配されたことだろう。
A君は特にB先生から激しく叱責されたという。
不思議なことだが、私はそれほど強い叱責の記憶がない。
鈍感だったのか、あるいは幾分優しいC先生の説教だったのか。

A君がトラウマになるほど叱られたと聞いて、非常に気の毒に思った。
もしかして全て私が言い出したのではと、自責の念まで交錯した。

不思議なのは、あれだけのことをしたのに相手のことを忘れてしまっていたことだ。

「君と一緒に機関車に乗ったような気がする」
懐かしい級友の突然の一言は、疑問を一瞬に晴らした。
60年前の共犯者がA君で良かった。しかも名医になったのは見事なトラウマ返しではないか。
「同級生が美術館をやるのを誇りに思う」と彼は言った。

今夏久し振りに開催される同級会の知らせが届いている。
今から楽しみだ。

二月堂下で東大寺二月堂下の記念写真。

ちなみに、「修学旅行のしおり」に、一升五合の米の持参、お小遣い800円などとあった。
〝出来るだけ標準語を使うように努力しよう〟
〝ニックネームは言わないこと〟などがしおりに書かれている。

硬い八つ橋と抹茶の修学旅行みやげ。

2015年3月24日(火曜日)

先日京都へ修学旅行に行った中学二年生の孫がお土産を持って来てくれた。
八ッ橋と小山園のお抹茶だった。
八ッ橋は私の好きな硬い方で、なんていい娘なんだろう。
ちゃんとした抹茶といい、今の生徒さん達のお小遣いはいくら位なのかな。

八つ橋とお抹茶八ツ橋と小山園の抹茶「春かすみ」。
抹茶は高かっただろう。

その昔私の中学二年生の秋に就学旅行に行った。
帰路の夜行列車泊も入れて4泊5日、関西の十数カ所の社寺を回った。
レポートもあり、一応真剣に見たので思い出は疲れの中でぼんやりしている。

京都の宿「高田屋旅館」に舞妓さんが来て祇園小唄を舞った。
その唄をいいなあ、と思って2番まで覚えた。

ニッキが香るパリパリした八つ橋は今でも好物。
次回は60年前の私たちの修学旅行に触れてみたいと思います。

潟町小学校分校のクラス会 同級生たちはみなきれいな字を書いていた。

2015年3月22日(日曜日)

本日二日続きの好天に小三まで一緒だった1948年入学、潟町小学校分校のクラス会があった。
地元に残った少人数が集まっているので、何とか毎年続いている。

ことしは15人が潟町駅に集合して送迎バスに乗り、日本スキー発祥の地・金谷山の「対米館」へ向かった。

1人魚のステンドグラスすっかりきれいになっていた潟町駅の待合室にあったステンドグラス。
人魚伝説の駅に合っている。

2レルヒ像対米館到着後、短時間の金谷山は早春散策。
日本にスキーを伝えたオーストリアの軍人レルヒ少佐の像。
私も含め皆初めて見たと思われる。

3集合写真毎年会っていると年取る実感が薄い。

4小田嶽夫氏の色紙部屋にあった上越市出身、1936年・第三回芥川賞受賞作家小田嶽夫の色紙。

5レルヒ少佐の絵画帳場にあったレルヒ少佐自筆の油彩。
故国の冬であろう、雪山の輝きが大変美しく、ふる里への愛情が伝わる。

途中でこの度の出欠通知ハガキが回された。
伝言の記入もあったが何より驚いたのは、みな字が上手だということだった。

上手な書字は社会で如何に懸命に頑張られたかを物語るようでじんと来た。
毎年のささやかな集まりは本当に何気なくて良い。

新幹線は〝第三潮流〟 観光客と旅人 そして樹下美術館。

2015年3月21日(土曜日)

北陸新幹線が開業して一週間、一昨日は上越妙高駅とはくたか号を見た。

列車外観と駅はかつて見た新幹線のどれよりもはるかに洗練されていた。
そのため輸出用のモデルにもなっているのでは、とまで思った。
あまりに立派で自分が恥ずかしくなったほどだった。

これで好むと好まざるを問わず当地も文化、文明の最先端と関わることになった。
乗るのも、迎えるのも相応の理解と認識が求められよう。
間違いなく信越、北陸地方に〝第三潮流〟(最後ののうねりが)が来たのだ。
(※最終潮流→第三潮流 3月22日に変更。新幹線の延伸を、戦後復興→高度経済成長期に次ぐ第三の文化経済潮流としました)
それに付いて行けるか押し流されて終わるか、北陸新幹線の第2ラウンドが始まる。

新幹線金沢行きはくたか (1)超モダンな新幹線上越妙高駅駅とはくたか号(昨日)。

通勤のほかに新たな人の出入りも考えられる。
旅行者と言えば観光客と旅人の二つのニュアンスがあろう。
観光客は大小のツアーでメジャーなスポットを回る。
旅人はおもに一人旅、あるいは二人などで旅情に任せて気ままに歩く。

観光客は目立つが旅人も無視できないカテゴリーにちがいない。

当地においても場所によって訪ね方に違いを生じるような気がする。
妙高市の山並みの風光は旅人、巨大リゾートやスキーは観光。
上越市の町並みと里は旅人、花見・蓮・謙信公・佐渡は観光と言う風に。

新幹線金沢行きはくたか (2)トンネルを抜けて水田地帯の高架線を走るほくほく線普通電車。

当然これらは一概に分けられるものではないし、ミックスもあろう。
それでも伝え方や迎え方に違いと工夫が必要ではないだろうか。

ちなみに樹下美術館は上越妙高駅から遠隔の田園に位置している。
越後トキメキ鉄道やほくほく線、あるいは在来の信越線の乗り継ぎは旅人向きだ。
いつかそれらを利用してやって来られる人を迎えることが出来れば、とても嬉しい。

北陸新幹線の上越妙高駅で「はくたか」を見た。

2015年3月19日(木曜日)

午後休診日の本日、夕刻近くに北陸新幹線の上越妙高駅を見に行った。
出来たての駅は汚れ一つ無い。
ホームは清潔なホワイト系、通路や広場、待合室や売店などはウッディにコントラストされている。

上下のはくたかを見たが、ピカピカスベスベで魅力的だった。

上りはくたか入線してきた上り(東京方面)はくたか.。
ほくほく線(北越急行)では越後湯沢方面の「はくたか」は下りと呼ばれていた。
運営会社の拠点が金沢市のため一般に考えられる上り下りが逆だった(途中で知りびっくりしました)。

車名表示あの「はくたか」が今ここに。

車両マークはくたかに付いていたシンボルマーク「JR EAST JAPAN RAILWAY COMPANY」はJR東でE7系。
「JR WEST JAPAN RAILWAY COMPANY」ならJR.西でE7系
形式のE7、W7両系は所有する東西JRの違いだけで、実際の様式は同じ。

 17:09発下りはくたか下り金沢行きはくたかの最後尾から(北越急行では上り)
あまり考えつかない配色だが、ブルーとカッパー(銅色)は意外な好印象を受けた。
雪国のさわやかな青空と銅色の和(なごみ)感が確かに伝わる。

ただ期待していた出発メロディ「夏は来ぬ」は、列車の動力音に消されてしっかりと聞こえなかった。
とても残念である。

さてふんだんに使われている駅舎のガラスは手入れを怠るとすぐに汚れる。
手抜きはすぐガラスに現れるので、大変だと思うがどうか根気よく磨き続けてほしい。
もう一つ、駐車場は拡張されるのだろうか、ぎりぎりだったので週末が心配される。
ほかに工事中の場所があればいいのだが。

本日来てみてまだ異国の錯覚を受ける。
速達でなくても構わないが、出来れば早く乗ってみたいと思った。
(旧はくたかと涙ながらにお別れしたばかりなのに)

これからが本番、もう3回目の出張という知り合いに出会った。

2025年10月
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031  

▲ このページのTOPへ