NHK「小さな旅」の雁木通り 倉石隆のふるさと。
今夕NHKテレビ「小さな旅」で放映された-雁木あたたか-を見た。
新潟県上越市高田の雁木通りの風物と暮らしの一端を紹介していた。
高田のらしさは色々あるが、町並みで言えば雁木、わけても古い通りにあると思う。
番組でも新たな本丁筋は触れられなかった。
およそふる里感のある村落や町並みは人を惹きつける。
いずれにも一生懸命に営まれ磨かれた生活と時間が生きて漂う。
そこでは自らのふる里でなくとも、郷愁が眼を醒まし心癒やされるのだろう。
このような場所はにわか作りが不可能なので、慎重な保全が必要な財産に違いない。
以下は倉石隆のふる里に関する作品と文です。
倉石隆作「北の町」 1953年 21,6×27,3㎝ 樹下美術館収蔵。
倉石隆作「粉雪が舞う」 1985年 146,5×98,6㎝ 上越市収蔵
写真は新潟市美術館1995年9月14日発行 郷土作家シリーズ 倉石隆展 から。
-幻のふるさと- から抜粋
町名が上越市と変わっても、僕の故郷の町は高田でなければならない。目抜き通りにビルが建ち並び、行き交う人びとが都会風のファッションに彩られたとしても、僕の幻の町は、風雪にさらされ、家並みは灰色に沈んでいなけらばならない。
雁木はせまく、薄暗いトンネルんのようにどこまでも長く続いていて、すっこかぶりのお父っつぁと、角巻き姿のおっ母さが背をまるめて雪の中を歩いていなければならない。
それから、黒いマントの少年たちのいる風景。その時代錯誤の幻の町こそ僕の中のふるさとなのです。
(1987年12月11日新潟日報日曜版 35周年記念特集 ふるさとを描くシリーズ掲載 倉石隆の「粉雪が舞う」の寄稿文から)
好天続きで大潟水と森公園へ 気象の表裏逆転。
昨日に続いて晴天の一日だった。
休診の午後、近くの大潟水と森公園へ出かけた。
さすが二月の晴天は日が高く日射しに力が感じられる。
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所々に雪が残っていたが、ワンちゃん連れ、ご夫婦、お一人、ご近所、、、多くの人と出会った。
公園一帯は縄文、弥生など長期にわたる古代の遺跡、遺物が発見されていた場所。
先人たちが見たであろう風景になにがしか思いを重ねて歩くのも一興だと思う。
テレビで見る表日本は雪模様で気象が逆転している。
以前にもこのようなことがあったが、不思議だ。
立春の鳥 楽しみな倉石隆の作品。
立春に相応しい穏やな日、青空に踊るような雲が見られました。
出かけた柿崎川にコハクチョウがいました。
川で白鳥を見るのは初めてでかなり驚きました。
眩しいばかりの白さです。
傍らの樹には雀の群。
厳しい冬を無事に越えようとしている群に安堵が感じられました。
そして本日の樹下美術館。1月28日の夜半に降った雪が5~10㎝ほど積もっている。
カフェの前は屋根の雪が集中して落ちるので板を重ねて守っています。
今年の開館まであと一ヶ月少々。
つい先日決まったことですが、倉石隆のカリカチュア風な油彩人物画(自画像)が樹下美術館に加わることになりました。桜のころ新幹線に乗ってやってくるのです。
ダスティー・スプリングフィールドの心の風車。
雪は5㎝程度で止まっているがさすが2月、寒い日が続いている。
1月の終わりに2回も庭仕事ができたなど嘘のようだ。
後藤さんの一件の辛さはやはり早晩には消えない。
常軌を逸する点でテロに戦争の本質があり、テロ無き戦争もない。
国は唯一戦争を避けるための装置であり、
税金を払う人間としていつもその事に望みを託している。
「The Windmills fo Your Mind」 心の風車、というような意味でしょうか。
シェルブールの雨傘のミシェル・ルグラン作曲 作詞アラン&マリリン・バーグマン
車輪、糸車、雪球、メリーゴーランド、時計の針、世界、リンゴ、トンネル、回転ドア、螺旋、、、くるくる回るものが次々出てくる。
突然去った人の回想として歌われている。どこかが無くなると全てが崩れるようなイメージで書かれた曲だという。
上の写真は「The Windmills fo Your Mind」が入っているレコード(胸の所のサインは買った当時小生が書いた)。1968年頃に買ったが、これを貸した同級生と今も年に一度くらい食事をする。
レコードの当時も世界と社会は安定していたとは言えないが、人の命は地球より重い、というような概念は広く私たちの中にあった。政治家もそうだったと思う。
後藤さんのことを悼みたい。
難しかった倉石隆の図録のあとがき。
樹下美術館は倉石隆と齋藤三郎を常設展示しています。
毎年カテゴリを変えていますが、目覚ましい特別展というものは無く静かなランニング(長距離ランナーのような)ぶりです。
それでもご覧頂き販売できる収蔵図録(カタログ)は長年の悲願でした。
それがなぜ今日未完成なのか。理由の一つに私自身が作家の志に十分添い得てなかったことが挙げられます。
どこまで迫れるか、とくに倉石隆の「あとがき」に苦労していました。
これは作家に対する総括のような意味合いがあり、何度書いてももの足りなかったのです。
しかし今年になってふと以下のような文章になってきました。
手前味噌は否めませんが、ほぼこれ以上書けないのではと思い恥を忍び掲載してみました。
齋藤三郎の焼き物には用とある種の様式美がありますが、絵画への言述は本当に難しいのです。
しかし倉石隆をおよそ以下のようにしめくくることで、皆様の手助けになるのであればと、思っている次第です。
あとがき
生涯人物を描き続けた倉石隆。その姿勢には挑戦者の如き情熱と一貫性が認められる。人物への傾注と深度をみるにつけ、氏は人間を描きたくて画家になったのではないか、とまで考えさせられる。
生前〝美しく描くより、本物に迫りたい〟と潔く述べている。さらに生涯崇拝した画家がレンブラントであり、カリエール、エゴンシーレ、クリムト、ジャコメッティにも影響を受けたと聞く。みな人間の芸術家である。
なぜそれほどまで人間だったのだろう。眼前に風景や静物、脳裏に抽象やファンタジーもあったであろうが、、、。
遡れば若き日の倉石にも、自分は何者、何処へ向かうのか、は切実なテーマだったにちがいない。深く内省する氏であれば、自らの中で直接的に脈動し観応される「生命」とその多様な有り様こそ描くに相応しいものと、手応えをもって確信した瞬間があったのではないだろうか。
中学時代の氏は丘の上や地下室のような部屋においてしばしば友人達と語っている。そこで「僕は人間に決めた」と述べる倉石が浮かぶのである。
あらためて氏の作品の前に立つと、その存在感ゆえ人物たちは今にも動いたり話しそうな錯覚を覚える。そのため静かな樹下美術館の小さな壁はいつも賑やかなのである。
後年、自分はデッサンをやりすぎたという述懐が伝わっている。しかし優れたデッサンは終生の具象、なかんずく多様な人物達に長い生命を吹き込むことに立派に成功したではないか。ささやかな樹下美術館で倉石隆を飾れることを幸せに思う。
(もしかしたらもう少し変わることも考えられます)
たとえ一人の希な案件であろうとも。
以前ある老人から、若い時に身売りを強いられた話を聞いた。蒲原地方で育った家にどんな事情があったのか、親が自分を売った。女衒ともう一人の娘と一緒だった。大きな川の手前の宿に泊まった夜、この川を渡ったらもう駄目だと聞いて逃げる決心をした。相手の娘さんに話したが、行かないと言ったので一人で逃げた。
農家のふるさとは駄目、とにかく海へ逃げようと思い、田を越え山を越えた。漁師の村へ着くと物乞いのようにしながら漁業の手伝いをした。本当に色々なことがあった末、今の土地で嫁になった。
この方は晩年に認知症が現れ、昼寝の後などに火事だ空襲だ、と言って家を飛び出すことがあった。そのことで往診に行っ日、落ち着くと以上の昔話をされた。私が知る限り、この方の強さと子や孫へのいたわりはとても印象的だった。
飛び出しの異常行動は認知症だけではなく、かっての辛い経験の表出ではないかと思った。
ところで本日後藤さんの死亡が報じられている。
国はある意味もう一人の親である。
それが衆目のなかで、とうとう後藤さんを守れなかった。
たった一人の特殊な案件が全てを物語ることがある。
勇敢で善良そうな方が失われ、残念かつ先の吉凶が案じられる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
午後高田へ行った妻は大潟の方が降っていると言った。
年配の方それぞれの冬 ジグソーパズル 家事と温泉 スキー。
外出が厭われる冬ですが、診療の余談でお聞きする話はいつも有意義です。
以下幾つかを記しました。
○昭和11年生まれ(78才)の女性のジグソーパズル。
ジグソーパズルは畑とともに夢中になれる。
10年ほど前、娘が頂き物と言って届けてくれたのが始まりだった。その時のパズルは300ピースくらいでジェーム・スディーンの白黒写真だった。
初めてなのに出来たのは、ジェーム・スディーンが大好きだったから。
その時、自分はこの遊びが合っていると思った。以後1000ピース、1500ピースと大きくなり会にも入った。
今は4000ピースをしているが、出来上がるのに1,2ヶ月くらいは掛かり、畑をしながらだと4ヶ月掛かるが飽きない。
中でもカタログから作品を選ぶ時や最後の一ピースをはめる時が嬉しく、なにより最初に全てのピースをばらまく時がわくわくする。
○大正15年生まれ(89才)の女性の家事と俳句とお出かけ。
長年の農作業で足腰は曲がった。
しかし朝食の仕度、風呂掃除は自分の仕事で、昼寝を交えて相撲や歌謡ショーや鶴瓶のテレビを見る。
先生のお母さんに誘われた俳句はずっと続けている。毎年娘が来て一茶記念館に連れて行ってくれる。
そこには記念館で詠んだ句の投句箱があり入れていた。先日、思ってもみなかったことに昨年の一句が特選になったと知らせが来た。
この時期、気ままに外出できまないので、周囲の友達と月1回の温泉行きが楽しみ。
温泉はごく近いが一緒にタクシーを頼んで出かける。月1回だったのが、このところ20日に1回と回数が多くなった。
○昭和18年生まれ(72才)の男性のスキー
何年ぶりかで杉野沢へスキーに行った。
スキー場は思ったより混んでいて、以前より更にスノボーが増えていた。
孫と一緒だったが、普段歩いているせいか転びもせず楽しかった。スキーウエア-を着ると気持ちが若返るし、ゴーグルをつけていると顔が隠れるので年を気にせず楽しめる。
(最近のゲレンデは年配のスキーヤーが増えていて、色々優遇サービスもあるとテレビが伝えていました,,,筆者)
ある日の四ツ屋浜の竹藪。
この日風は吹いていませんでしたが、笹が風下を向いて見事に固まっていました。
連日の季節風に晒されてこんなになってしまったのですね。
少々教訓めいた眺めでした。
雪の妙高山 運転免許証の更新。
午後から運転免許証の書き換えに行った。昨年秋に高齢者講習を受けていた。
本日は視力検査、体調の自己評価チェックなどがまずあった。
それから、
「住所変更などありませんか」→ありません。
「安全協会に入りますか」→いつも迷うがいつも入る。
「取りにきますか、郵送しますか」→初めて郵送を選んだ。
最後に受け付けた人が写真に案内し、彼女が「もう少し上を向いて」と言ってシャッターを切った。
はたちの頃か、バスや父の車に乗って隣町の柿崎自動車学校で免許を取った。
以来50数年、いつしか高齢者講習の身分?となっている。
講習は昨年の秋の良いお天気の日にあった。
対象者の間に緊張とある種開き直りが漂い、放課後の居残りを思い出した。
本日の妙高山。雲の上に出る頂は一層けわしく高く見える。
(ズーム&トリムで拡大しています)
二月生まれの更新や受け取りはよく雪に悩まされるが、本日は穏やかだった。
これまで大した事故もなかったが、若かりし日の多摩川べりでおよそ1㎞をバックして首を痛めたことがあった。
蓄音機によるSP盤レコードコンサートのお知らせ。
昨年10月、友人の厚い協力のもと好評を博しましたSP盤レコードコンサートを、下記のように5月に催します。
前回のプログラムからも数曲をピックアップして聴いてみたいと考えています。
15~16曲ほどを予定しています。
昨年はハイフェッツ、カザルス、クライスラー、ひばり、チエミ、川田孝子など大変ご好評頂きました。
SP盤は音波のストレートな再生により、
巨匠や優れたプレーヤーたちの心込められた演奏が、直接的な振動感覚で伝わります。
どうかご期待ください。
しばらく春を想わせる暖かさだったのですが、本日気温が下がり雪がちらちらしました。
4月19日(日曜日)のギター演奏会のお知らせ。
樹下美術館は山桜の頃、4月19日に佐々木忠(ささき ただし)さんのギター演奏会を開催致します。
佐々木さんは1966年渡独。
ケルン音楽大学でリュートとギターを学び後に同校で教鞭を執られました。
1973年にケルンアーヘン音楽大学教授を経て今日に至っておられます。
門下から数多くのトップアーティストや教授陣を輩出し、目覚ましい演奏活動、国際音楽祭主催、
ほか国際コンクール審査員長を歴任されました。
●期日:4月19日(日曜日) 午後6時から(5時半開場)
●場所:樹下美術館
●入場料:大人お一人2000円 中高生お一人1300円
●お申し込み:樹下美術館の窓口あるいはお電話025-530-4155でどうぞご予約ください。
※開館までは留守番電話での受け付けになりますが、お許し下さい。
●プログラム:ヨーロッパ各地のバロック、バッハ、日本の叙情歌そのほかです。
春の宵のひと時、館内に響く美しいギターの音をお楽しみ下さい。
連日冬の庭仕事。
日曜日の今日、風もなく比較的穏やかな曇り空の一日。
このところ、美術館の庭仕事が続いていたが本日も午後に3時間を費やした。
雨雪がほとんどなく、比較的温かくこんな冬は非常に珍しい。
12月にやり残したことがあって始めた作業。
そもそも庭仕事は一度始めると止められない魔性を有している。
寒中春を想い土をいじれば煩悩は消失し希望が広がるのである。
一方開館まであと48日、順次イベントの詳細と告知を致す予定です。
もう少々お待ち下さい。
さて以下は本日の庭仕事でした。
園芸用の土、土の再生材、腐葉土、トンプン、場所によって赤玉土を混ぜて土を作ります。
苔や厚い落ち葉を除きながら、ようやく向こうから手前まできました。
本日の落ち葉。明日スタッフ夫妻が枯れ木などとともにクリーンセンターへ。
よくみると幾種類かの芽が顔をだしていました。
踏まないようにしなくては。
冬の庭仕事 遠くに春 飛び去ったカワセミ 赤松に三日月。
本日土曜日、午後は晴れ間に恵まれた。
その午後3時すぎからの庭仕事、秋に施そうと買っていた肥料に土を混ぜて撒いた。
もとは雑木林だった庭は次第に苔が広がり、花の場所までやって来ている。
花は苔に栄養を盗られ施肥もままならない。
それで花の部分の苔を剥ぎ取りそこに肥料と土を入れた。
苔の処理の分時間を費やしたが寒さも感じず暗くなるまで過ごした。
当たる風は気持ち良く、土と落ち葉の香りが心地よかった。
このまま無事に過ぎれば春は早そうだが、どうだろう。
一休みして近くの川へ行った。
橋に立つと川面をスッと飛ぶ鳥を見た。
小型で青く輝く三角の羽、カワセミだった。
鳥は向こうへ飛ぶと枯れ草に止まった。車から望遠レンズを出して近づくと再び飛び立ちついに見えなくなった。
暮れる川で初めて目にしたカワセミ。こんな所にも居るんだ、一瞬のことだったが感動した。
帰ってもう一仕事、日は長くなったが5時半には暮れた。
枯芝に横たわり庭の灯を撮り、仰向けになると赤松の肩で三日月が覗いていた。
枯芝に残るわずかな緑が映える。
春が近そうだが錯覚だろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
夜のBSスペシャルで「松下奈緒 リスト 秘められた愛の旋律」を見た。
19世紀欧州のスーパースターから一種神的な存在へと昇華したリスト。
そして映像中の古都ブタペストは素晴らしく、海外は色々行って見たいがここに決めておこう。
作之助のごはん キャレルに掲載された小山作之助 下戸で甘党。
来る北陸新幹線駅の発車メロディー決定から、連日小山作之助のことを書いている。
そんな日の本日午前、堀川正紀さんが一冊の雑誌を届けて下さった。
堀川さんは2013年に作之助の伝記「小山作之助物語」を編纂されている。
このたび作之助の記事が載ったのは新潟日報社事業部刊行の月刊情報誌「キャレル」。
第67回「歴史上のごはんシリーズ」で4ページにわたり取り上げられていた。
作之助は大変な甘党。汁粉などはたっぷりと砂糖が必要だった。
薄味には「砂糖屋の前を駆けて通り過ぎたような味」と評したという。
多忙な作之助は食事代わりに羊羹をほおばりながら人力車で移動した逸話もある。
(美味しそうな写真は「キャレル」2015年1月20日号から)
ところで徹底した甘党ぶりは、血糖値が気になる。
氏の死因である心筋梗塞は最も怖い糖尿病の合併症の一つであり、問題はなかったのだろうか。
この病気の概念が異なっていた昔なら仕方がないが、
多忙のため人力車での移動が多かったな、らやはり運動不足は否めない。
ところで作之助は下戸だった。
しかしひどい甘党だった作之助の健康にはむしろ下戸は助けになっていたと考えられる。
こうなれば、下戸でも大成する見本の一人として、格は違うが下戸に近い自分の参考にしてみよう。
昨日の続き 小山作之助の音楽葬。
昨日、昭和2年7月6日、日本青年館で行われた小山作之助の音楽葬のことを記載しました。
過去あまり詳しく見たことがありませんでしたので、正直その盛大さに少々驚かされました。
手許に当日の資料がほかにありますので、若干追加致しました。
資料:左・進行プログラム、中・歌われた作之助の遺作譜面「吉野山」および「鏡ヶ浦の驟雨」、右・船橋榮吉作曲、藤村作作詞「小山先生の御霊に」の合唱譜面。
当時の代表的なピアノ演奏指導者・高折宮次氏と榊原直氏によるピアノ二重奏リスト作曲「タッソ」
混声大合唱は作之助遺作2曲と追悼歌・「小山先生の御霊に」
歌うのは東京音楽学校、東京高等音楽院、東洋音楽学校、日本音楽学校の各学生さんたち。
それにしましても斯く盛大な音楽葬で送られた作之助はどんな立場でどんな人だったのでしょう。
葬送の丁重な規模から、長年国・文部省と深く関わった音楽教育の要人だったことが覗えます。
しかし生前、還暦の祝い金に自前の資金を足して全額東京府に寄附したり、
ある時期などは一年中同じ着物を着て過ごしていたというエピソードから、
名誉や金銭に固執せず、ひたすら音楽家の育成、楽器開発など音楽の向上を願った人としてのイメージが浮かびます。
初期の軍歌も作った作之助ですが、日本のふる里を歌った「夏は来ぬ」が今日新幹線駅で流れることを、とても喜んでいるにちがいありません。
前にお書きしましたが、近く作之助の妻マツさんのことをお書きできればと考えています。
北陸新幹線「上越妙高駅」で「夏は来ぬ」 小山作之助の葬送。
来る3月15日に開業する北陸新幹の新駅「上越妙高駅」の発車メロディーに小山作之助作曲「夏は来ぬ」が正式に採用された。
昨日の上越タウンジャーナル http://www.joetsutj.com/archives/52115354.html
今朝の上越タイムス http://www.j-times.jp/news.php?seq=9893
JR東日本は「日本を代表する唱歌として年齢を問わず親しまれ、新幹線発車のタイミングをお知らせするにふさわしい曲」と説明している。
縁者の一人としてどんなメロディーで流れるのか早く聴いてみたい。
さて作之助は昭和2年(1927年)6月27日、「夏は来ぬ」の季節に亡くなりました。
なきがらが故郷の新潟県潟町村(現上越市大潟区)へ帰るため駅を出る写真があります。
同年7月6日に催された音楽葬の写真とともに掲載させていただきました。
上野駅における作之助の霊柩車両(昭和2年6月27日)。
今ではちょっと考えられない光景です。
正面左端の男性は長男の蕃(しげり)氏、その右は作之助夫人マツさんです。
明治神宮外苑の日本青年館で行われた作之助の音楽葬。
東京音楽学校管弦楽団有志によるショパン作曲「葬送行進曲」とプログラムに書かれています。
演奏者は客席に背を向けていますが、遺影に対する演奏だからでしょうか。
5題のプログラム、多数の参加者、没後わずか10日の音楽葬は大変だったにちがいありません。
当時から87年、まさか新幹線というものが出来、その駅で自らの曲が流れるなど作之助は夢想だにしなかったことでしょう。
新年に葬送の写真などを掲載しまして大変申し分けありませんでした。
- 仏像、社寺、二十三夜塔、庚申塔
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- 齋藤三郎(陶齋)
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- 小山作之助・夏は来ぬ
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- 拙(歌、句、文)
- こども
- 館長の作品。
- 暑い昼、会場の「ゑしんの里記念館」へ下見に。
- 穂高のオアシス「岳沢(だけさわ)小屋」の姪 山が好きなS氏 宮城県を経由した「お乳盲腸」。
- 野イチゴの赤い実 「ゑしんの里茶会」。
- 本日の蝶とカエルと雲そしてピアノ。
- 「お乳盲腸」とは何だったのか。
- 夏らしくなってきました。
- 36度にも届く暑さ アゲハと庭と薄茶で落ち着く。
- 保育園時代の記憶その1、巡幸列車のお迎え。
- 私の幼少 自他の個性が気になる。
- 糸魚川のゴルフ お孫さんの宿題から始まった花。
- 小津安二郎監督映画「麦秋」を観て。
- 開館の日 世界にまだまだある欠陥。
- 小津安二郎監督映画「晩春」を観て。
- 「名探偵ポアロ」のアール・デコ。
- フカミ美術主催、須坂市のお茶会へ。
- 5月、月末の空と時 独居老人の緊急入院。
- BSNテレビ「なじラテ」さんの取材。
- 路傍の花たちの競争、今年目に付くマンテマ 6月は良い季節。
- 小林古径記念美術館での呈茶 蘇った小山作之助のひ孫、故中島幸子さんのヴァイオリン。
- 明日の呈茶と講話に備えて。
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