樹下だより

貴重な人 窓辺のラベンダー。

2025年4月26日(土曜日)

やや寒いが大気は澄み清々しい土曜日。午後家でYouTubeにあった成田空港のかっての長い出来事を視聴していると美術館の妻から“黒岩先生がお見えです”と電話があった。懐かしいあの黒岩卓夫先生がいらっしゃってる!

2000年4月に始まった介護保険直前の頃、在宅医療に関係して生死と宗教があらためて課題となり研究会やフォーラムが催された。ビハーラの会という集まりで小生が話をすることになり会長の先生に大変お世話になった。
困難にあっても物事を明るく前に進められる先生の姿勢は貴重で、ゆるぎないエッセンスは微力な私のなかで生きている。

5つ上の先生。今も在宅ケア、生命、地域の支え合いなどの研究と啓発で地元と全国をリードされている事実にあらためて驚かされ、またお会い出来ることを念願している。

さて以下は一昨日書いた窓辺のラベンダー、本日の様子です。

 

植栽後まだ3日目だが一応元気そうだ。本日眺めながら、冬期の屋根からの重い落雪には葉や花軸を切りそろえて一株ずつ雪囲いをするのが一番良いのではないかと考えた。

今日は顔見知りの方々に大勢ご来館頂き、初めてお会いする皆さまにはご挨拶させてもらった。
本日はまことに有り難うございました。

春の庭、よく名を尋ねられる花三種。

2025年4月22日(火曜日)

野も樹下美術館も新緑の候となりました。一方花は芽出しを喜んでいたのもつかの間、一斉に開花が始まり花はめまぐるしく移ろっています。

そっと咲いていた紫色のイチゲが終わり、ヒュウガミズキの黄色の小花やコブシとモクレンの白い花、そしてあの圧倒的なソメイヨシノもあっという間でした。
一方随所で様々に椿が満開となり、ジューンベリーが淡雪のような可憐さを見せ、山桜とクリスマスローズが粘るうち、各場所でツツジが色を競い始めました。

忙しい庭で来館者さんからよく名を聞かれる花に以下の三種があります。

「八重咲きイチリンソウ」

「黄花ホウチャクソウ」

「長寿桜(チョウジザクラ」
フジザクラとも呼ばれるようです。

●八重咲きイチリンソウ:お茶人や花好きの人には案外知られています。しかし地面にくっ付くように群れ咲く白い花を初めて見たと仰る人も少なくありません。どこでも育ちきますので当庭ではあちらこちらに株分けしてあります。

●黄花ホウチャクソウ:ホウチャクソウの黄花種です。長年同じ場所に咲きますが開花期間が短いためでしょうか名を知っている人は少ないようです。上掲の写真のように蕾も愛らしいので既に見頃かもしれません。

●長寿桜:桜と呼ばれていますが、見たとおり沈丁花科の花です。背が低く、かすかですが良い香りがします。鼻を近づけたり風の無い夕刻などで匂いに気付くことがあります。目立つ所に数本あり長く咲くのでしばしば名を尋ねられます。

※長寿桜は丁字桜と書かれることもありますが、長寿が一般的なようです。

三冊の図書。

2025年4月18日(金曜日)

カフェの図書に以下三冊追加致しました。

「おんぶの温もり」著者齋藤利江
2015年9月6日(株)日本写真企画発行

今や「抱っこ」の養育となりほぼ見られなくなった「おんぶ」。写真集に見られる昭和30年代、おんぶは文字通り日常の風景でした。昭和30年代はおろか、私が当地で開業した昭和50年ころに突然「はしか」が大流行しましたが、玄関まで幼児をおんぶしたお母さんやおばあちゃんたちで一杯だった事が思い出されます。

抱っこの場合児は前が見えません。しかしおんぶは背負う人と同じものを一緒に見ることが出来ます。早くから自然や社会を年長者と共に見聞できるので教育面のメリットは無視できないのではないかと思うのですが、実際はどうなのでしょう。

じゃんけんで負けた子が勝った子をおんぶして歩く罰ゲームのようなものもあり学校帰りでよく行われました。ひ弱だった小学時代、私が負けるたびに居あわせたK君が「おれがぶってやる」と言ってくれました。

2冊目は平成19年9月~21年1月まで小学館コミックに「三丁目の夕日」として連載された写真とコラムの一冊です。

「三丁目写真館」著者齋藤利江
2020年12月21日第3刷(株)小学館発行

これも昭和30年代の写真ですが、子供たちの弾ける笑顔、食い入るような眼差しはどちらも子供ならではの幸せにちがいありません。
地元の日常から東京の進駐軍まで齋藤さんの社会や世相を生活の一旦から的確に切り取る感覚と、撮影時の瞬間的な構成力には驚かされます。
今では一般に知らない人を撮るには許可が要りますので社会を自由に撮影できるスナップ写真には制限があります。根本に撮影者の良心の有無が問われることでしょうが、齋藤さんの作品には全てそれが滲み出ています。

齋藤利江プロフィール概略。
昭和14年桐生市生まれ、昭和28年毎日新聞社『全国学生写真コンクール」特選、平成12年11月NHK出演、平成19年米国コロンバス州立大学で「平和と笑顔」展、ほか内外で多数の展覧会開催。

最後に去る3月30,31日、名古屋に一泊して豊田市美術館の生誕120年 黒田辰秋展を観に行った時の作品図録です。

「黒田辰秋 木と漆と螺鈿の旅」
2025年12月17日京都国立近代美術館
第2刷発行

信じがたい制作意欲と出来映えを誇る木工の黒田辰秋の膨大な展示は数多くの所有者の協力で成立していました。滅多に開催されない黒田氏の展覧会はこのたび国立京都近代美術館と豊田市美術館の2カ所だけでした。展覧会は5月18日まで豊田市美術館で開催される予定です。

ともすれば使い捨てされる日用品や家具が代々受け継がれ展覧会に出される。作品に籠もる磨かれた美しさには「福々しさ」が感じられました。

帰路、新幹線で夕刻の富士山を見ることが出来たのも忘れられません。

今日は気温が上昇し上越市髙田で26,4 ℃までありました。夕刻仕事終わりに横になるとすっかり寝入ってしまい庭仕事は出来ませんでした。

雨の今夜は満月だった 明日は晴れるので施肥。

2025年4月13日(日曜日)

昨夕日庭仕事を終えて観た月は丸く明るかったので満月かと思った。しかしググると本日がピンクムーンと呼ばれる満月ということ。あいにく午後以降特に夕刻はしっかり降ったので月を眺めることは叶わなかった。

夕刻の西の空。
前線通過の雲でしょうか。

そんな夕刻の庭で施肥をしたかったが風雨が強まり断念した。だが明日は晴れの予報が出ている。日も長くなったので仕事終わりでも小一時間はできそうだ。

昨夏来、庭全体に肥料が不足していると感じ今春から施肥に熱が入った。そんな折の過日、庭に詳しい方が来館され,カフェからご覧になり、申し上げにくいのですがと仰ったうえ、全体の肥料不足を指摘をされた。ジャストのご指摘通りで益々肥やしに力が入るようになった次第。
敢えてご指摘くださった方、本当に有り難うございました。

さて上記「ムーングロウ(月が上るの意味)」のピアノは亡き中村八代さん。氏は坂本九ちゃんの「上を向いて歩こう」の作曲者だ。あの良き時代、Piano With Stringsの録音スタイルが流行り、氏も穏やかな弦楽をバックにゆったりとスウイングし心癒やされる。
因みにムーングロウはウイリアム・ホールデンとキム・ノヴァク主演映画『ピクニック」の主題曲でした。

明日は少々臭いけれど、「田舎の香水」トンプンを沢山蒔こう。

長野からご来館のカップル様、遠路有り難うございました。拙ブログをご覧になってるということ、とても励みになりました。

居ながらの花見 スミレの好意。

2025年4月12日(土曜日)

暖かく晴れた土曜日。髙田の花見は大賑わいと伝わる。この時期いわゆる会場という所へ行かなくとも周囲で満開になった桜を眺めるだけでほどよく心が弾む。

樹下美術館の一本桜もそれなりに風情良く春の喜びを現していた。

美術館裏手のソメイヨシノ。

裏手のあぜ道のスミレ。
数限りない種類があるスミレ。

山路来てなにやらゆかしすみれ草

草花を見ると名前を知りたくなる。しかし奇しくも松尾芭蕉が詠んだように、このスミレは、“別に詳しく名を知らなくてもいいんです。ただ「なにやらゆかし」ければそれで十分なんです。分からなければわざわざ調べたりなさらず、どうかすみれ草とだけ呼んで春の訪れを喜んで下さい”と言っているのではと想像し、好意に甘えさせてもらった。

農道の一部ではヒメオドリコ草が集まり、美術館の桜を見上げて花見をしていた。


美術館が閉まってからテッポウユリの球根を植え、先日来続けている庭の施肥をした。いつしか明るい月が上っていたので本日分を終わりにした。

本日直江津、長岡、新潟からお見えのクラスメイトの皆さん、坂口記念館の帰り道はお分かりになりましたか。楽しいひと時をご一緒させて頂き有り難うございました。

近隣の花自庭の花 赤い動物のオルゴール。

2025年4月8日(火曜日)

近くの新堀川公園の桜が見頃になりました。両岸を彩る花は例年見事で、当館にお越しの方に是非観て頂きたいと思います。

樹下美術館前の左にあるコブシも満開を迎えました。設立時に2メートル少々だった樹ですが今は見上げるようになりました。今年は花付きが一段と良く真っ白です。

 

裏手のソメイヨシノは1,2分咲きででょうか、
田圃では春耕が始まりました。

数年前に東京のあるレストランで食事したときのこと、オーナーが自作のオルゴールを見せてくれました。赤い馬でとても気に入り、欲しいというと売ってくれました。一度出したことがありましたが、このたび思いだしカフェの丸テーブルに乗せました。

 

あるメガネやさんでもらったルパン三世の小さなフィギュアや大地の芸術際で求めた人形「マユビト」を乗せて賑やかにしました。どうかお好きに動かしてお楽しみください。

丸テーブルにはスケッチブックと色鉛筆などが置いてありますので、これも自由にお使い下さい。

吉川区の長峰城址 トランプショックに時代劇。

2025年4月6日(日曜日)

今日は日曜日、普段通り起きた。あっさり目の食事をし、風があり曇り空のため鳥というほどでもあるまいと決め、新聞を読んで溜まっている書類を書いた。

昼になり、吉川区長峰湖畔の長峰城址が良いと聞いたので行くことにした。現地の長峰池脇の駐車場までせいぜい10分ほどだ。駐車場からすぐの池に出て左手(西方)に道があり長峰城址と案内されている。

一帯は小学校の遠足以来、近時は探鳥などで何度も来ている場所。しかし城址へは行った事が無かった。

ゆっくりした上り坂の道に入ると右手に鳥の影。

ジョウビタキの雌。
いかつく派手な雄よりも
地味でもそそとして可愛い。

花が少ない印象を持ったが、昨日の大池いこいの森と違い早くもスミレが沢山咲いていた。

 

ヒサカキの花。
わずかにトイレの匂いに似ているが、
神聖な木。

見え隠れする長峰の池。

 

道中竹林を通った。
荒れてはいるが嵯峨野?
と言えないこともない。

城跡の案内板を見ているとお年寄りがさっさと通り過ぎて行く。

慣れた足取りの二人。

 

ヒオドシチョウ。

遺構にさしかかる。

道の左右に雪割草が植栽されている。おびただしい花が自然に溶け込んでいて癒やされる。

 

 

 

 

搦め手方面へ、
行く手はかっての舟着き場。

 

右の谷のような場所が
舟着き場への通路らしい。

土塁や空堀など一通り城跡を巡り帰路へ。帰路の途中で農道へ出る場所があり梅がきれいだったので寄った。

亡きおじいさんが結婚した頃に
植えられたものか。

初めて行った長峰城址。去年春現地を観られた一級建築士で新潟県まちなみネットワークの関由有子さんが帰路当館に寄られ素晴らしいと熱心に語られた。
本日もまた5000千歩足らずの行程を大変ゆっくり2時間もかけて歩いた(当然年令のせいですが(・・;)


昼食抜きの毎日なのでとてもお腹が空く。樹下美術館では我慢出来ず二つ入りにしてもらったアイスクリームを食べた。

車でわずか10分の所に江戸初期の城や人々の足跡が辿れる場所があるとは大変貴重なことだ。

僅か二年で廃城になった五万石の城址はやはりもの悲しさを禁じ得ない。しかしその二年間、城主は美しい長峰池と米山、尾神岳の雪月花を楽しんだのではなかったか。

この数年時代劇ばかり観るようになり本日日曜日は大河「べらぼう」を観た。うれしいことに「べらぼう」に続いてすぐ「あきない正傳 金と銀2」が始まる。
アメリカ大統領によって突然のように世界の商いが難しくなった。だがいずれ「精魂込めて作る売る」我が国ならではの「商いの真髄(近江商人魂)がじわじわと力を発揮される好機のようにも思われる。

高齢者ばかりではなくZ世代の皆さんもこぞって二つの時代劇を観て心奮わせてもらいたい。多くの人の期待を背に若き小芝風花さんはじめ重鎮の熱演も光っている。

春分の日、肌寒いが日が長くなった 啓翁桜はいつ咲くか。

2025年3月20日(木曜日)

本日春分の日は久し振りの晴れ間で皆さまには出足良くして頂いた。新潟市からお忙しいAさんが寄って下さり,Who’s Who(今どきこんな言葉が使われるだろうか:名士たちのこと)などを話し、お互い元気を分け合いましょうと快活にお別れした。

例年大池いこいの森公園に初めて出向く時期であり行ってみた。湖畔のビジターセンターから橋を渡ったのは良いが降りた先は積雪しいていて行き止まりだった。
仕事場の大潟区や頸城区の樹下美術館一帯は全く雪が無いが同公園の山あいはまだ無理な模様。今冬の大雪をあらためて知らされた。

患者さんからの瑞々しい大根。

 

美術館の桜で囀っていたホオジロ。
澄んだ声を響かせていた。

 

こちらは4,5日前のカワラヒワ。

 

 

上掲は本日のクリスマスローズ。
いつもより遅く、これから。

寒いとは言え一応春分の日は近い。日が長くなり美術館終了の17時からでも庭仕事が出来る。本日は昨年植えた5本の啓翁桜(けいおうざくら:小型の桜)のうち陽当たりに問題があった苗2本を心込めて移植した。
まだ背丈はいずれも60~70㎝。今年蕾を付けるかどうかとても楽しみ。あと二年もすれば少しは目に付くようになることでしょう。

宮崎俊英さんとあらためて倉石隆を観た。

2025年3月16日(日曜日)

本日も肌寒く午後遅くからシトシトはじまり、春雨にしては冷たい雨。髙田文化協会事務局長の宮崎俊英さんが待っていて下さり、今年の展示は両方とも面白いと褒めて下さった。

齋藤三郎は茶道具のバリエーション及び茶道へ理解の促しが良いと指摘され、倉石隆は男性についてのストーリー仕立てが面白いと仰った。

倉石作品は幼年から老人まで副題をつけて並べてみたのだが、思ったよりも脈絡が繋がった。これは倉石隆の力量あらばこそ成立したことににちがいない。
因みに、スタートの幼少から老年まで以下の順で副題を付けました。
「毎日一生懸命」→「勉強もして」→「お腹を空かし」→「不安もあった」→「大きく見せたり」→「おどけたり」→「時には詩人」→「しかし自分は自分」→「意を決し」→「我を見つめ」→「孤独も修行」→「繰り返し妻を描き」→「いつしか年取った」です。

当然こんなことをしては倉石氏に失礼なのですが解釈や副題および展示順については私自身も問うて反映させてもらいました。ご覧になった皆さまのご意見は如何でしょうか。

「大きく見せたり」
(原題:男の像)

「時には修行」
孤独も修行と考えました。
(原題:黄昏のピエロ)

最後から2番目「繰り返し妻を描き」
(原題「画室」)

ところで「男性像展」とはいえ上掲の最下段「繰り返し妻を描き」は男性が見当たりません。しかし画中の大きなキャンバスの前(モデルの妻を見いているこちらこちら側)に絵筆を持って立つ倉石氏本人がいるのですから「男性像」として取り上げました。

人物を描くのはある意味“人間の本質”あるいは“自分自身”を描く事になるのでかなり大変な作業。おそらく描く時間だけではなく、生活のほぼ全て(ある意味生涯)を費やして取り組む課題なのでしょう。

「レンブラントは最大の師」とは氏の口癖だったようです。どうか人物画の面白さと深さをお楽しみ下さい。

25年初日 A君の書と芸術。

2025年3月15日(土曜日)

本日、2025年度の開館を迎えた。肌寒い日にもかかわらずご来館の皆さま、有り難うございました。お馴染みさんは冬の間に健康に過ごされたと見受けられ元気なお顔に安心しました。

その中の一人、中高時代の同級生A君ご夫婦と一緒して観て回った。それまで熱心に付き合ったことが無かったのが2007年の開館からよく顔を見せてくれるようになり、この数年は月に何度も来てくれる。
新潟大学教育学部書道科で学び、夫婦で2年間ドイツの日本学校に派遣され、県内の校長職と教育委員会の要職を歴任している。堅い肩書きを有しながら屈託なく万事謙遜の自然体、一緒する時間の話は勉強になり尽きない。

互いに年なのだが今のところあまり同じ話が出ないのはまださほど惚けていないのかもしれない。

齋藤三郎「搔き落とし牡丹文水指」
と風炉先屏風にした消息。

本日展示を観て回りながら“俺はまだ書いているがどうしても芸術的にならない”という事を盛んに口にした。“大体書を芸術に入れない分類まである”と言い、「しかしそれを意識するとわざとらしくなるしね」と話す。

対して“書の文字が持つ意味は芸術として大きなアドバンテージ”とういような事を返すと、“同じ書でもここにある齋藤三郎さんのようにどれを観てもその人らしい自然な味わいを出せれば”と言う。
“いやいや、もっとと思う気持ちは大事だが、自分らしさは、すでに出ているのでは”などと続けた。

妻同士も友人なのでカフェでお茶を飲み高校時代の学校火事にまつわるエピソード、学生時代の先輩後輩のありさま、小林古径記念美術館で始まる写真展の作家濱谷浩氏や朝夫人の話などに時を忘れた。

因みにA君は7年ほど前に遊心堂で個展を行っていて樹下美術館でも「喫茶去」を収蔵している。書は立派な芸術であり、作者が満足し何より人に喜んで貰えれば一大幸福ではないだろうか。

A君(一嶽)の「喫茶去」
とてもいい。

話しながら思った、こうなったら来年はA君の書と私の植物画で二人展をやろうと。一昨年に拙作品展を行っている。だが良いではないか、こうして顔を出してくれる級友は益々貴重で本日の話など芸術家の悩みそのものだ。館長の我が儘を許して頂きぜひ来年は一緒にやろうと思った。

ますます謙遜と向上心を秘めるA君に出会えて幸せだと思った。

2025年5月
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

▲ このページのTOPへ