館長の絵

ハマダイコンの道 ほくほく線電車とアザミ 菊の下絵。

2021年5月5日(水曜日)

今日で4連休が終わる。行いたいことが色々あったが大したことは出来なかった。
考えてみれば何かと追われるようにしているので、こんな時くらいはゆっくり休めば良いのかと思うが、なかなか悩ましい案件。

午前は溜まっている書類を書き、野菜とヨーグルトを食べて美術館に向かった。本日は閑散、ポツリポツリというような人影らしい。
空もシトシトポツリと雨。このところ初夏の草花を沢山植え、芝の肥料を撒いたので、そちらには良い雨ということになる。

以下は美術館から車で1,2分の所に見られるハマダイコンの群生です。

小降りの中、時刻表を見て行きますと、電車がやって来ました。

 

アザミが混じっていました。
白いハマダイコンの群生の中、5,6株、品良く調和していました。

 

アザミは夏の花だと思っていましたらもう咲いているのですね。
こんなに初々しいのは初めてです。
ふとした時にアザミを見つけると、何故か嬉しくなります。

この時期まだ砂浜のへりや、土手、河川敷などでハマダイコンの群生を見かけます。行儀良い大きな群を見ますが、みな自生なのでしょう、大したものです。
白~紫色へ帯びる花はとても爽やかで、敢えて観に行く価値がありそうです。秀吉の「醍醐の花見」にあやかって「「ダイコンの花見」があっても良いかな、と思うほどです。
何カ所かを決めて見て回るのも一興かもしれません。
ダイコンの野生化したもの、あるいは元から少々異なっているらしい、などと諸説あるようです。大根様の根があり、オロシは激辛だそうです。

本日やっと描いた菊の下絵は、正月に始めてから6枚目です。
器は信楽で、花は白、黄色、オレンジ、紫の四種類。構図にもっと波乱が必要だと思いました。色々悩ましい所がありますが、器が良く、華やかな花の色など、この先楽しめればと思います。

来年度の樹下美術館の催しに、手許の3,40点の花の絵に今年予定の油彩を加え、拙い写真とともに展覧会を計画しています。上手く運びましたらどうか宜しくお願い致します。
催しの可否は作品の如何よりも健康一つに掛かり、あらてめてその大切さを感じている次第です。

豪雪でロックダウン 鳥たち 花火の下絵 昔の豪雪 除雪機と明日のこと。

2021年1月11日(月曜日)

振り返ってもこれだけの雪を思い出せない。
子どものころは沢山降った、という話をするが、背が小さかったので多少の雪も大雪に感じたのだろう。

本日日中は除雪車はおろか車一台見ることはなかった。車が通れるように除雪が出来なかったのである。

 

いつまでも道路が除雪されないので、車を出す作業を止めた。

 

車庫前の県道がこれ。
消雪パイプも効かず300メートル先の国道8号線に出れない。

 

仕事場が面している旧国道(浜線)も同じく徒歩だけ。

 

道路にパタパタと音がして鳥が弱々しく舞い降りた。餌を求めているのである。
名はなんという鳥だろう、あまりにひもじくて姿が変わってしまったのか。

 

鳥はいなくなったがパンくずを撒いておいた。

 

昨日付けた餌台に来たのは、案の定ヒヨドリだった。
明日はスズメが来るかもしれない。

 

さて午後、頼もしい助っ人さんが除雪機を動かしに来てくれた。

 

夕刻になると雲が切れ、空に赤味が射した。

 

トイレの窓に雪が押し寄せ、美人がが浮かび上がった。
それらしく見えるでしょうか。

 

飾りですが潟町の自宅廊下のランプ。
学生時代の豪雪で使用したことがあり、猛烈にすすが出た。

本日5枚目の下絵を描きました。

 

 

上掲の写真を見ながら以下「鵜の浜温泉の花火」です。

鉛筆による下絵(A4)です。まだ色々工夫しなければなりません。
幾つか花火のパターンを変えて数枚の本画を描ければと祈って?います。

さて明日から仕事。
除雪機のお蔭で仕事場周囲に4台分の駐車スペースが空いた。しかし道路が現状のままなら、受診は歩きでしょう。その前にスタッフは来れるだろうか。あるいは車の往診も出来そうにない。
そもそも降り始めの9日は二件の診療をしただけだった。本日遠くで救急車の音がしてどきっとした。

ところで昭和の豪雪で数日間タクシーを頼んで往診をしたことがあった。ある日ザクザクしたデコボコ道で大いに揺られた挙げ句動けなくなった。運転手さんがスコップを持って降り、私がハンドルを握って脱出を計るなど浮き世離れした出来事があった。
あるいは運転代行が始まって間もなくのこと、凍った夜間の利用で会社の車が滑って進めなくなった。会社の二人が押して私がその車のハンドルを握った。
驚いたことに運転席のクラッチ手前の床に大きな穴が開いていて、下が見えたのである。
車検はどうやって通してのだろう。過ぎてしまえばのどかな時代だったと言える。

当時の冬期はRF車がせいぜいで、面倒なチェーンはよく切れた。往診も多く、道中しばしば通行中の人から押して貰った。間もなく出現したスパイクタイヤは驚くほど高性能だったが、すぐに禁止となり、現在のスタッドレス4駆の時代になった。

夜間追加です。
静かな空からコウコウと白鳥たちの声が繰り返し聞こえます。
豪雪で田が深い雪に覆われ食餌ができなくなり、夜空をさまよっているのでしょう。
信越国境を越えた群馬県や栃木県の田なら、雪がなく食餌ができるかもしれません。

鳥たちにも厳しい冬になっています。

寒波+爆弾風低気圧 秋ばらの下絵 病院数だけの問題ではない。

2021年1月7日(木曜日)

午前中は嵐の前の静けさで、陽が射していた。
午後は一転、ゴーゴーヒューヒューと、恐ろしい音を立てて風が吹いた。一方雪はさして降らず、そちらは明日遅くからのようだ。

風の音を聞きながら幾つか書類と手紙を書き、バラの下絵を描いてみた。同じ花でも過日のよりも簡易になってしまった。

④「秋ばら」。
花はチューリップのようですがばらです。
秋ばらはどこか弱々しい。その分本画では心込めて描ければと思いました。

東京における新規感染が2447人と報告された。相手も本気であることが窺える。

ところで、
感染数に比して病床が逼迫していることで、数だけ多い病院と質のミスマッチが指摘されている。だが総合として平時の医療は何とか充足し、一定のこまやかさにも応えている。これは長年法によって実態/効果がぎゅうぎゅうに絞られ続けた結果生じたものである。唐突に非常時態勢と言われて即舵を切れるほど現実は軽いものではない。

今日の非常時下であれば重く大きな舵を切れるのは政治しかない。だが建物、機材は急ごしらえで可能だがマンパワーは間に合わないし、ポストコロナも考えなければならない。一方で意識ある機関は、深刻な事態に応じるべく自己研修などで黙々と備えに勤しんでいるはずである。

この件について引き合いに出される欧米であっても、現実は決して数・質およびマッチングが成立しているわけではなさそうだ。病床までたどり着けず、累々と廊下やエントランスに置かれたままの重症者を見ればそれが想像される。逼迫は国それぞれの文化や事情に応じて生じているのである。

十分に詳しくはないが、新型コロナウイルスの重症対応のテクニックは救急医療のそれ+新興感染症対応の複合に準じ、かけ声一つでできるほど容易ではない。
現在卒後の医師研修に基本三か月の救急医療が組まれている。だが新興感染症が重複するこのたびの件は新たなカテゴリと考えられ、戦力には一定の現場期間を要しよう。
現場の責任感は強い。病院や医療者の実状に対して大したアイディアも無くただ加圧するだけでは、当事者のいっそうの疲労→広汎で悲惨な院内感染拡大を招来しかねず、ぜひとも慎重をお願いしたい。

長い正月休み 母校の奮闘 コロナは真の安全保障 絵を描いてみた 来年に個展?

2021年1月4日(月曜日)

終日雨降りだった正月4日。このままなら昨日積もった雪は半分以下、おそらく20センチほどまで減るのではと、予想している。
雨降りで外出ままならぬ本日は終日家にいた。

皆様に我が儘を言ってとても心苦しいが、明日5日まで正月休みにさせて頂いている。今の所二件の電話相談がありお一人にお薬をお出ししただけで推移している。

夜のニュースで母校の大学病院が、新型コロナウイルスナの対応で忙殺される様子が放映された。心づくしのおせちが配膳される場面があり、見ていて涙がこぼれそうになった。田舎で正月休みなどと言っている自分が恥ずかしくなった。

命がけで不眠不休の現場を維持する人がいる一方、不要不急の歓楽に勤しむ人もいる。
とりわけ前者の現実はまさに戦時下の前線に値する。
二年目に入ろうとする世界は、異次元の第三次大戦を戦っているのではないのだろうか。
国には真の安全保障と捉え、ピンとこないメッセージなどは止め、全てにわたり先回りをして真剣に手厚く、手厚く対応してもらいたい。

さて本日7年ぶりに絵を描いた。絵といっても下絵のレベルだった。

①大潟区土底浜の屋敷跡公園で野菊が沢山咲いている場所。
道に人物を二人描き、土手の左部分を高かくするなど、構図を直すつもり。

 

 

 ②椿。手前の葉をもっと工夫しなければならない。

 

③春の水田。
家と木立の部分をもっと左に寄せ、道の遠近法を工夫しなければならない。
水平線の高さが画面の丁度半分位置なのも気になる。
(上か下か難しいところだが上にするのが正解か)

恥ずかしながら2002年以来これまで新潟市で二度、髙田で二度、拙植物画の個展をした。いずれも勧められた上だったが、三回は会場費を払い、売れた作品にマージンが掛けられた。
「せっかく自分の美術館があるのだから、そこでやれば」とずっとスタッフや知人に言われた。

ひたすら試行錯誤を繰り返すだけの絵。本日たまたま下絵を描いてみたところ、まだ描けるのかと思った。風景は初めてであり、苦労はするだろうが何とか楽しめそうでもあった。
本日の分を含め、今年中に10数点のモチーフを決め、全て油彩で描いてみようと思った。

来年80才になる。
なんとも哀れなことであるが、記念にささやかな自らの美術館で拙絵と写真の展覧会が出来るならば、と望みを託すことにした。
手持ちの50点ほどの花に、本日描いたような物を足して実現出来れば幸運だと思う。
長い正月休みのお蔭で生まれた希望に有り難みを禁じ得ない。

何もかも綱渡りであるので、また健康に気を付けなければならなくなった。

柏崎市立博物館の秋季企画展「かしわざきの木喰さん」最終日。

2020年11月23日(月曜日)

過日は鮭遡上だけ見て帰った柏崎。実は10月10日から同市立博物館で「かしわざきの木喰さん」展が開催されていた。迂闊にもそのことを知らずにいたところ、一昨日A氏から、柏崎の木喰展は明後日で終わりですよ、素晴らしいですから、と聞かされた。

この度の企画展ではもうお一人から貴重さを聞いていたものの、同館に格調高く常設展示されている9体の木喰仏を思い出して、はい見ましたなどと言い、正直聞き流していた。そこへA氏から、もう終わりますよ、早く、と熱い催促のお話で、本日慌てて観てきた次第。

江戸時代後期、二度にわたり新潟県を訪れた上人の作品は佐渡、長岡、小千谷、柏崎に多く残されているという。このたび84体に及ぶ(一体は上越市から)同市安置の木喰仏が一括展示され、規模の大きさは初めてという。好機は二度と無いと思い、昼に出かけた。

 

展示チラシ。

 

チラシ裏面。
チラシも底をついたため自前でプリントされている。

三十三観音、十王尊ほか十王堂の12体の群像の壮観な列に加えて、会場を埋め尽くす諸仏は、圧倒的な力をもって賑わう入館者を迎えていた。
上人の仏力か、入場者の昂揚か、場内に入った途端体が熱くなるのを覚えた。
一晩に一体、時には二体を彫り上げたという仏像の多くくは微笑(みしょう)を湛えつつ、独特の彫刻として全くスキが無いのである。庶民に向けて造られたというものの、高い品格と完成度は、研究とともに深い仏性によるとしか考えようがなかった。しかも九十才を越えた年令時の作品だというから、上人の並外れた体力、健康にも驚かされた。

意外だったのは三十三観音だった。おしなべてお顔がふっくらとしたいわゆる美人顔、明らかに木喰さんと異なっている。後の仏師が手を加えて彫り直し{改刻)したという。仏はどんな気持ちだったろう、凄まじい世界だと思った。

展示は本日最終日。
初日から賑わい、昨日は900名の入場だったそうで、図録は売り切れたと受付で聞いた。
代わって生誕300年を記念して刊行された「廻国放浪の作仏聖  木喰」(広井忠男著 日本海企画平成29年5月23日発行)を求めた。

「廻国放浪の作仏聖 木喰」
彫刻し安置された地域の風土とともに詳細に綴られている。

最後にショップの絵はがきコーナーの一番上にポツンと一枚、小生の「ヒメタイサンボク」が残っていたので求めた。
応対された館員の方が私を知っていて、嬉しかった。

「ヒメタイサンボク」
2002年の最初の個展でDMに用いた懐かしい絵はがき。

博物館の後木村茶道美術館に寄った。
紅葉は峠を越えていたが山荘の園内は賑わっていた。美術館の呈茶席は四名が座った。お点前の方は私が通い始めた昭和六十年代当時からの懐かしい人だった。かって樹下美術館も訪ねていただき、数年ぶりにお目に掛かった。当時の者は私だけになりましたと仰り、終わって短い話をした。

頂戴したお茶は熱く美味しく、お茶碗は奥高麗(おくごうらい)。大ぶりで作行き風合いとも非の打ちようがない立派なもの。一度盗難に遭い、後に出て来たという曰くある名品だった。

博物館、美術館とも、今年は突然生じたコロナ騒動で神経をすり減らしたのでは、と思った。

変わった植物ホオズキ かつて描いた拙ホオズキ。

2020年10月14日(水曜日)

ホオズキは変わっている。
夏にジャガイモの花に似た小さな花を咲かせ、花の後に青い萼(がく)が実を包んで膨らむと野菜に見え、涼しくなるに従って萼は赤い果実として見える。
そして今、萼は繊細な葉脈を金属細工のごとき網目として現わし、眼を楽しませてくれている。

 

中の赤い実はやや渋くどこか甘いトロリとして汁に包まれて細かい種を付けている。

子供の頃家にホオズキがあったようで、姉と一緒に赤くなった実を揉んで柔らかくし、そーっと軸と種を取り出した後袋状の実を鳴らした。
クチャクチャピュウピュウと、下唇を使って鳴らす。
海藻の仲間で海ホオズキというのもあった。
祭などで売られていたように思うが、こちらは高級品だった。

ついには楽器にまでなるホオズキ。美術館のは患者さんの家からもらった。
現在5、6本あるが、毎年少しずつ移動しているようであり、どこまで行くのだろう。

ちなみに以下はかつて小生が描いたホオズキです。

↑ホオズキ(透明水彩 2001年)。

 

ホオズキとヤマイモの実{透明水彩 2002年)。

 

ホオズキ(油彩 2014年)

 

2002年5月、市内大嶋画廊で初めて植物画の個展をした。緑色の額に入れ60点近く出し、店主に促され25点ほどに値を付けてみたところ、一日でみな売れた。サイズはB5~A3 で5000円から15000円だったと思う。
上掲した一番上のホオズキは4人の方が欲しいと仰り(かなり執拗に)、半年かけて同じように描いて皆さんにお売りした。
今になれば何か悪いことをしたように思うが、出ていった絵はその後どうなっているだろう。

 

個展をした年、民間の医学雑誌で紹介されました。
(ASAHI MEDICAL2002年12月号)

 

本日は庭のホオズキだけのつもりが、恥ずかしながら自分の事を沢山書かせて頂きました。

森のトマト畑 その2 日曜日の外気。

2020年4月19日(日曜日)

太陽のかけらを取ってくると言って飛び立ったカラスは挑戦に失敗。かわりに美味しいトマトを持って帰って謝ろう、と決心するくだりまで、前回トマト畑その1に掲載致しました。本日は続きです。

5 まちにまった太陽
ぐっすりねむった次の朝、カラスはトマトをくわえると森をめざしてとび立ちました。山こえ川をこえてとびます。ようやく動物たちの森が見えてきました。
「もうすぐだ」

森でさいしょにカラスをみつけたのは小リスでした。とおくのカラスは、何か赤いものをくわえています。丸くピカピカ光っているではありませんか。


「太陽だ、カラス君が太陽をとってきたぞ!」
小リスはみんなに知らせました。動物たちはお山のてっぺんにかけつけます。
「やった、やったー!」

6つぶれた太陽
カラスはどんどん近づきます。トマトはまっ赤に光り、たしかに太陽のようでした。パタパタパタ。
カラスは、ついにみんなの上までやってきました。
「えらいぞカラス君!」、
「カラス君、やったね!」
みんなは、くちぐちにカラスをほめました。

「カアーッ!」、うれしくなったカラスは、思わず大きな声で鳴きました。
ポロリ、そのとき、口からトマトがおっこちたではありませんか。
ヒューッ!
「太陽が落ちてくるぞ、にげろ!」みんなはこかげにかくれました。

ベチャ!
へんな音がしてトマトはつぶれて地めんにとびちりました。
何がおきたのでしょう、びっくりした動物たちはとおくから見つめます。
「ゴメン、ゴメン」
カラスは空であやまっています。

いちばん早くうごいたのは小リスでした。そろりそろりとトマトに近づきます。


「クンクン、ちょっとまてよ、いいにおいがするぞ」
小リスがいうと、なかまたちがあつまりました。
ジュクジュク、ピカピカ、プーン、
太陽はとてもおいしそうです。
ごくり、ごくり、みんなののどがなっていました。
たまらず小りすがひとつまみ、ピチャピチャ食べはじめました。
「なんておいしいんだ!」

もう大変、いっせいにピチャピチャ、クチャクチャはじまりました。
あっというまにトマトをペロリ。
「太陽っておいしいね」
みんなの口は真っ赤っか。動物たちは、おたがいのかおを見て笑いました。
空でカラスがこまっていました。
それは太陽ではありません、トマトです、と言えなかったのです。

7 おいしかった太陽
それからというもの、動物たちは太陽のあじがわすれられません。夕方になるとお山のてっぺんに集まって、まっ赤な太陽をながめました。そして、
「もう一度おいしい太陽を食べたいね」と言いました。
夕陽(ゆうひ)はトマトそっくりでした。

森に秋が来て、しずかに雪がふりはじめ、みんなはあなぐらでねむりました。なんケ月かたって目をさますと大好きな春になりました。

8 森のトマト畑
ところで、森にはカミナリが落ちて山かじになった場所がありました。
じつは、トマトを食べたあと、そこでマーグじいさんがウンチをしていたのです。ウンチの中には、いくつかトマトのたねがまじっていました。
その中の一つから、なんとまあ、芽(め)が出ていました。

だれも気がつかなかったのですが、芽はすくすくと育ちました。
そして夏、赤くみごとな実が六つ、七つ、ついたではありませんか。

「太陽だ、こんなにたくさんある」、みつけたのはマーグじいさんでした。

とつぜん、カラスがおりてきました。
「それは太陽ではありません、トマトという野菜(やさい)です。マーグさん話を聞いてください」と、言いました。

じいさんは、しんけんにカラスの話を聞きました。
カラスは、太陽を取れなかったことをあやまりました。それから村の畑でトマトをもいできたこと、野菜は山火事(やまかじ)のばしょでよく育つこと、食べてウンチをすれば来年もまた芽が出ることなど、知っていることをぜんぶ言いました。

じいさんはみんなを呼びに行きました。
あつまった動物たちのよろこんだこと。
ゆめにまでみた太陽が、目の前にたくさんあるではありませんか。
食べようとするみんなに、じいさんが言いました。
「ちょっとまって」
それからカラスに聞いた話をみんなにしました。

「トマトというものだったのか」
カラスのしっぱいも、太陽とちがうということも、だれももんくをいいまんせん。
「わかったね、みんな。さあトマトを食べよう」
もうがまんができません。手に手にトマトをとると、むちゅうになって食べました。

みんなには、もう太陽でもトマトでもどちらでもよかったのです。
ああ、動物たちはなんとしあわせだったことでしょう。
見ていたカラスは安心して村へかえりました。

それからカラスから聞いたように、みんなは毎年トマトを食べては、あき地でウンチをしました。そして何年かすると、しだいにりっぱなトマト畑ができてきたのです。

もちろん動物たちはとても丈夫になりました。

どうでしたか、私がマーグじいさんから聞いたのは、こんな話でした。

 

山おくのどこかに、このようなトマト畑があるかもしれませんね。

色々と突っ込みどころ満載の話だった事でしょう。陳謝をしながら感謝も致してます。

 

さて本日日曜日は暖かく、気持ち良い空に恵まれた。普段不健康と指摘される家ごもりが勧められているウイルス社会。安全なら健康維持のため出来れば戸外にも出たい。
その点、海、公園など田舎はあまり人に会わない良い場所がある。

本日昼近く、互いにマスクをして過日歩いた頸城区は大池いこいの森の湖畔を妻と歩いた。
一時間少々の間にランニングの若者が一人私たちを追い越し、一組の夫婦とすれ違い、外人さんのカップルが車から降りるのを見ただけだった。

途中でみた桜。

 

湖畔ちかくのあるお宅の庭。

 

何という名の木だろう、素晴らしい新緑。

 

ここの水はとても青々している。

 

昼食は湖畔の階段に座り、おにぎりとサンドイッチを分け、お茶を飲んだ。

 

美術館へ戻る途中、近くの農道一面にダイコンノハナ。

 

樹下美術館の西向きの庭。

 

南向きの庭。
庭の手入れをしたり、鳥を撮ったり二時間を過ごした。
ご夫婦が一組こられ庭を歩いて帰られた。

ヤマザクラに来たオナガ。

漠然とした恐怖に包まれながらお互いの疎外を温め合う、奇異な毎日。こんなことになってまったく言葉もない。
医療も激しい前線と、かえって暇をみている所に分かれている。私のところは後者だが、一人一人に非常に気を遣い、綱渡り感覚がつきまとう。当地は嵐の前の静けさを思わせ不気味でもある。

家では外気を入れ、清潔を保ち、運動と睡眠を心し、過剰な飲食による消耗を謹み、いざの場面に備えなければならない。

みんなが困っている、そのことをイメージしあう。
戦争よりまだいい、と仰ったおばあさんがいた。

森のトマト畑 その1。

2020年4月18日(土曜日)

新型コロナウイルス感染対応に準じ、なんとか休館中の樹下美術館。

お詫びのひとつとして、誠に恥ずかしいのですが1982~83年ころの自作「ばいきんきち」を掲載させて頂きました。
同じ頃もうひとつ「森のトマト畑」を書きましたので、本日懲りずにその前半を載せてみました。当時文は原稿用紙にボールペンで書き、絵は半紙に水彩を施しました。

長年経ち、一定の語句を添削しています。また表紙を替え、新たに後半の挿絵を用い、タイトルはパソコンで上書きしました。当時多くの漢字にルビをふり、一応小学校低学年の娘向けに書いていました。

 

1 はじめに
今日は、むかし私がお山を歩いていたときに見つけたトマト畑のことをお話しましょう。
あつい夏の日でした。わたしはとおい所にあるお山をあせをかきかき歩いていました。うすぐらいお山の森に小さな空き地がありました。
おどろいたことに、そこにまっ赤にじゅくしたトマトがたくさんなっていたのです。

あついひざし、かわいたのど。そのとき、がまんしきれず一つもいで食べたトマトのおいしかったこと。でもなぜ、こんな山のおくにりっぱなトマト畑などがあるのでしょう。私はわけが知りたくて森のおくへはいっていきました。

森にはいろいろな動物が住んでいました。動物たちはリスもクマもテンも、タヌキも野ネズミも、キツネもみなつやつやと毛なみが良く、とてもじょうぶそうでした。元気なのは、おいしいトマトを食べているせいにちがいない、と思いました。

私は動物たちに、どうしてこんなところにりっぱなトマト畑があるのか、わけを聞いてみました。
すると年よりクマのマーグじいさんが、「こちらへいらっしゃい」といって、じいさんお気に入りの木のあなぐらへつれて行きました。
「じつはあのトマト畑にはわけがあってのう、ひとつ聞いてみるかい」といって話してくれたのがこのお話です。

2 うすぐらい森
動物たちの森はむかしからひあたりが悪く、とてもくらかったのでした。そのためみんなはよく病気になりました。それで動物たちはもっとひあたりが良ければなあ、といつもねがっていました。

ある日、村からいちわのカラスが森にまよいこんできました。カラスはみんなから明るい森のねがいをきくと、
「それなら私が空をとんで、太陽のひとかけらをとってきて森を明るくしてあげましょう」といいました。
みんな大喜び。くちぐちに「カラス君、おねがいします」とたのみました。

3 がんばりカラス
雲ひとつないたいそう良いお天気の朝、
「では行ってきます」
動物たちにみおくられ、カラスは大空めがけいきおいよく飛び立ちました。

 


パタパタパタ、パタパタパタ、、、。カラスはいっしょうけんめいはばたきました。
でもとんでもとんでも、太陽は高い空の上。がんばりつづけたカラスでしたが、夕がたまでにようやく低い雲の下までしか行けきませんでした。

太陽はどんどんしずんでいきますし、羽もすっかりつかれてしまいました。とうとうカラスはあきらめて、地上にまいもどりました。

それからあくる日もあくる日も、カラスはとびたちましたが、うまくいきません。


そのころ森では、動物たちがなかなかかえってこないカラスのことをしんぱいしていました。
「太陽はあついからなあ、カラス君、おおやけどをしてしまったのでは」
マーグじいさんはしんぱいそうです。
「空をとべるカラス君だ、きっと太陽をとってきてくれるよ」
小リスはカラスをしんじているようでした。
「もしかしたらカラス君、太陽をもちにげしたのでは」、キツネはうたがっているみたいでした。
それでも夕方になると、みんなでお山のてっぺんにすわって、カラスの帰りをまちました。

4 こまったカラス
ところでカラスはどうしていたのでしょう。
なんどくりかえしてもうまく行かないカラスは、しょんぼり村はずれの道をあるいていました。
「このままでは森にかえれない。こまったなあ、カアー」と空を見上げてなきました。

しばらく歩いていると、広いトマト畑が見えました。まっ赤にじゅくした大きなトマトがたくさんなっています。おなかペコペコのカラスは一つをもぐと、モグモグ、むちゅうになって食べました。
「あーあ、おいしかった」

カラスはようやくひといきつくことができました。
そしてもう一つ食べようとトマトをくわえたとき、
「コラー、いたずらカラスめー!」
大きな声がしておひゃくしょうのとくべえさんが走ってきました。
カラスはトマトをくわえるとスタコラ、スタコラはしってにげました。

ようやく草むらへとにげて、ひとやすみ。
くわえてきたトマトを食べようとしたとき、
まてよ、太陽がとれないなら、かわりにこのおいしいトマトをおみやげにもってかえろう。そしてみんなにわけを話して、あやまろうと思いました。
その夜カラスは、トマトをわきにおくと、ぐっすりねむりました。

申し分けありません、後半へ続きます。

 

これが当時の表紙。
いつでもコピーできるように、原本は閉じずにクリップで止めていました。

文の原稿用紙。
こどもたちなどに上げる時はこれをコピーし、
挿絵のコピーをはさみ表紙のコピーを乗せてホッチキスで止めました。

10部ほど作りました。当時白黒のコピーが普及しはじめていましたが、私が知る限りカラーコピーは新潟市の印刷屋さんが扱っていてそこへ持参しました。一枚800円だったと記憶しています。その後カラーコピーは急速に普及しました。

休館中のお詫び ばいきんきち その1。

2020年3月24日(火曜日)

新型コロナウイルスはオリンピックを延期させるほどの力を見せつけています。やはりただの風邪でもなければインフルエンザでもなかったようでした。

さて以下は今から40年ほど前、小学校2年と4年生だった二人の子供に向けたまことに拙い文と絵です。
本当に恥ずかしいのですが、新型コロナウイルスによる休館のお詫びです。もし宜しければどうかご覧下さい。

 

1ミクロマイシンとホメオスター
私はいつもばい菌というのはいったいどこからやってくるのだろう、ということを考えていました。ばいきんのようすをさぐるには、自分もばいきんのように小さくならなければいけないので、人間が小さくなれるおくすりをつくるけんきゅうをしました。ある日、とうとうそのおくすりが出来あがりました。そして、小さくなるおくすりにはミクロマイシン、ふたたび大きくなるときのはホメオスターという名前をつけました。

かぜがとてもはやった冬、私はばい菌の基地を見つけにゆくことにしました。ばいきんにあやしまれないようにコートをきて、カメラをもって帽子をかぶり、しんぶんきしゃのかっこうをしました。そしてホメオスターをもポケットに入れ、ミクロマイシンをのんでみました。たった三つぶで私の体はどんどん小さくなり、つくえやいすが山のように大きくみえるようになりました。

2ピノ
さていよいよ外に出てみると、あちこちはみなばいきんだらけでした。空をとんでいるもの、れつをつくって行進しているもの、きたないみぞをのぞきこんでいるもの、中にはひるねをしているものもいました。
しばらく歩いてみましたが、ばいきんたちはあっちへ行ったりこっちは来たりで、どこにきちがあるのやらさっぱりけんとうがつきません。ところがよくちゅういしてみると、けがをしているばいきんたちは、みな同じ方向へ歩いたり、はこばれたりしていることに気がつきました。

けがのばいきんたちは、びょういんへ行くにちがいない。そこにはきっときちがあるはずだと考えました。そこへ足をけがしばいきんが「いたいよう、いたいよう」と泣きながら歩いていきました。あまりいたそうなので私は近づいて、足にほうたいをしてあげました。
「どうもありがとう」そういうとばいきんはまた歩きはじめました。するとこんどは仲間がやってきて、
「おいピノ、いったい何にやられたんだ」と言いました。
「くすりのたまにやられたんだ。逃げても逃げてもくすりがおいかけてきて、とうとう足をやられてしまった。と答えていました。ハハ-、あいつはピノというのか、いがいにかわいい名前だなと思いました。
「ピノおだいじに」というと仲間のばいきんはとおくへ走って行きました。ピノの後をつけると、ばいきんたちがとてもたくさんいる所へきました。きゅうきゅうしゃもいそがしそうに走りまわっています。いよいよきちのちかくへ来たのだ、と思いました。

3ばいきんきち
ほそいろじをぬけると広ばへ出ました。そこはとなり町のびょういんの庭でした。庭のすみにふるいれいぞうこがすててあり、ピノはそのそばへ行くとあたりをキョロキョロ見わたしました。わたしは見つからないように木のかげにかくれました。しばらくしてのぞいてみるとピノはもう見えなくなっていました。
そうか、あのれいぞうこがばいきんのきちにちがいない、と考え、走っていってれいぞうこをトントンとたたき、
「私はばいきんのしんぶんきしゃです、開けてください」とさけびました。
するととびらがひらいて「さあ、早く入れ、見つかるな」ともんばんがいいましたので急いで中に入りました。

 

 

次回続きをのせてみたいと思いますので、どうかもう少し我慢のほどお願いいたします。

南風の午後、トクサ刈り 雲の猫。

2018年3月8日(木曜日)

季節風に代わって南風になった本日、雲は怪しい
形状を見せた。

1
西方の妙高連峰。滑らかな波を描いたモノトーンの雲。
ビュービュー吹く西寄りの季節風ではこうならないようだ。

今月15日の開館が迫ってきた。庭の雪は大方片づき、本
日午後、気になっていたトクサを刈った。
例年、雪による倒伏に備えて短く刈っていたが、今冬はサ
ボって様子を見ることにした。
それがドカ雪に見舞われバラバラになってしまった。

 

IMG_7856
刈る前の様子。

3
途中から妻が加わり、一時間少々の格闘でスッキリして
きた。手前と左に刈った草。トクサは庭の大切なアクセン
トなのでひと安心。

作業を終えて見上げた雲はやはり怪しい雰囲気。

 

4

 

中央に猫か子供に見えなくもない模様があった。

 

5

以前行ったようにそれらしい部分をなぞって猫を描いてみた。

6
少々無理もあるが猫風になり、右目がハートに見えるので
イタズラを加えた。

開館を前に南風が可愛い“招き猫”をプレゼントしてくれた、
ということにさせてもらった。

南風さん、雲さん、ありがとう、猫さんまでも。

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