聴老(お年寄り&昔の話)
春を待つ土底浜の古屋敷跡。
以前、私が生まれ育った上越市大潟区は土底浜の草地
を書かせて頂いた。
本日ふと思い出して行ってみた。
一帯は昔人々が住んだ住居跡が窪地として残っている。
一定の窪地の形状はもっぱら冬の季節風である西風を
防ぐためのしつらえだ。
東の方向を見る。ちょうど陽が射し自分の影が映る。枯れ
ている草はイネ科の植物だろうか、かって見た12月のそ
れよりもさらに色褪せ、明るく軽々とした感じに見えた。
強風によって草とともに体も翻弄された。
西の方角。遠く右上方に小さな窪地が見える。近時その一
帯が土底浜古屋敷海岸公園として整備された。
公園の説明パネルの写真。左上の海に沿って四角また馬蹄形
に窪地が多数見える。これらはみな、かってここに住んだ人の
屋敷跡だという。写真は1975年ころの航空写真。
パネルの場所から最初に居た方向を見る。この場所も屋敷跡の
ようだ。
風よけに植えられたエノキ。強風の影響で風下に細かく枝
分かれし、血管模型かモダンな彫刻風に変化している。
屋敷の周囲は土盛りされているが、さらに竹や榎で囲われて
いる。一体いつ頃まで住んでいたのか、それぞれはかなり広
く、何軒かで住んでいたことも考えられる。
沿岸の大潟区では西側が古く、昔は海沿いに道が作られ、
集落もそこにあったという。いつ頃まで住まわれていたのか、
そんなに古い話ではないらしく、詳しい方に聞いてみたい。
半農半漁の寒村だった故郷、大潟。昔は米が採れた周辺の
農村の方が豊かで、農村部から当地への嫁入りは、あんな所
へ行くのか、と言われたという。
聴いてみないと分からない 分校小学校クラス会 発電所の夕暮れ。
今夕小学校3年まで通った分校のクラス会があった。
毎年ノートに書かせて頂いたいるクラス会は旧潟町村
(現上越市大潟区潟町)で昭和23年に分校の1年生
になった者たちの会で、延々と続いている。
本日幹事の報告では現在26名が残っているという。
入学時に50名はいたので、70年経って半分だけ残
ったことになる。
そのまた半分の12人が集まった。
生きながらえたのは、ひとえに運が良かったのと親の
産み方のお陰以外無い。
そしてF君、Mさん、T君、、、ら早世した同級生の顔
が必ず浮かぶ。
今夕、ある方から聞いた話から、あらためて人と家族に
歴史あり、を思わずにはいられなかった。
祖父は神奈川県で特高、それを嫌った父は終戦後、共産
党員になり、こちらの地元で新聞を発行した。
その夫を早く亡くた母は失業対策事業に出るようになった。
ある日、母が道路工事をする現場を見て涙があふれた。
ある夜は窓を開けて星を見ながら泣いた、と。
後に私はそのお母さんを看取っていたが、そのような話
など全く知らなかった。96才まで認知症もなく、しゃ
んと生きられたお母さんだった。
いつも明るい人からこんな話を聞き、ああ分校小学校のク
ラスに歴史ありを思った。
またT君は、俺たちのメシなんて、サツマイモの回りにち
ょびっとご飯つぶがくっついているだけだった、と話した。
細かく切ったサツマイモがおかゆに浮いていたのは自分も
食べた。
今思えば悲しいが、当時はそれで嬉しかったのではと思
う。
いえ、思えば大勢でかゆをすすったのが、なにか幸せな
光景としてよみがりさえする。
だれ一人自己責任だのマキャベリズムだのポピュリズムだ
のと、生意気を言う人もいない、幼少において裸足で駆け
ていただけの者たちが集まる、どこか愛おしいクラス会だ
った。
集まりの前に撮った火力発電所の夕暮れ。
そばで若い女性がシャッターを切っていた。
うまく撮れましたか、私は大した写真になりませんでした。
超高齢の普通のおばあさんの話が良かった。
「昨日の晩は雨音もしなかったのに、今朝随分
雪が融けていてびっくりしました。
本当に穏やかな夜だったのに、こんなに雪が消
えるんですね」
90代半ばのおばあさんが仰った言葉だ。
前日まで50㎝はあった雪が一晩で溶けて20㎝
ほどになった事を、この日患者さん達は口々に話
された。
普通こんなに融けるには雨が降り続けるか、強風
でも吹かなければならない。
くだんのおばあさんはそのどちらでもない「穏や
かな夜」だったのに沢山消えたのを不思議だと、
仰った。
感心したのは超高齢の方が、よどみ無くこの日の
気象現象を表現されたことだった。
「穏やか」という、地域のお年寄りたちが言わない
言葉を自然に使われたのも心に残った。
おばあさんは長く農業に携わられ、今も小さな畑を
耕し雑草取りをされる。
いつのころからか、地味にしている方だが、言葉は
丁寧で内容もちゃんとしている、と思うようになっ
た。
子供時代、高等小学校を卒業して行った都会の長
い奉公生活がおばあちゃんを鍛え、奥さんに可愛が
られたことも成長の要因になったのではないかと考
えている。
もちろん良い素質もあったに違いない。
この方に不思議なことがある。
肉、魚、牛乳が駄目で口にしないという。
JCVの取材を受けていた 17年前の新潟日報社。
去る10月10日、在宅医療についてJCV(上越ケー
ブルビジョン)の取材を受けた。
来る22日の上越市長選挙に向けた番組で、医療福
祉の課題を取材したいという事だった。
何故私なのかよく分からなかったが、かって1999年
秋、新潟日報の一面で月~金曜日まで「きしむ老い
のささえ」として医療介護の特集シリーズが組まれた。
ある週、自分が取材された。
月曜から五日間、午前の外来と午後の在宅回りに記
者とカメラマンが付いた。
翌年3月、介護保険施行直前に「きしむ老いのささえ」
を中心に、欧州の取材を交えた書物「豊かな年輪 高
齢・少子化の時代に生きる」が新潟日報社から出版さ
れた。
326ページの本には関係者、取材者双方の熱意が
あふれ、いま手に取っても今日的な課題が全て先取り
さた力のこもった一冊になっている。
このたび17年ぶりの取材を受けてると、根底は当時
と変わらないが、一層進んだ高齢化と家庭の介護力
の低下、それに伴った施設介護の急増など、やはり
時代による如何ともしがたい多様化と変貌をあらため
て実感させられた。
このたびの放映は15日だった。
「アリとキリギリスではないが」などと言って、老後につ
いて若いうちから考えておくことは良い、と話している。
拙宅にケーブルビジョンの設備がないので美術館のスタッ
フが自宅で放送を撮っていてくれた。
この年でTVに写されるなど、本当に恥ずかしいことだが、
年と共に何を言うかは迷いが無くなってきた。
101才と間もなく100才になる方のお宅の訪問も取材
された。
ふだん看護師さんには6キロの往診カバンを持っても
らい、患者さんの抱き上げや体位変換、導尿、浣腸、
褥瘡や傷の処置などで色々助けてもらっている。
選挙に関連した番組であり、数分の場面だったが良くま
とめられていたと聞いた。
以下は2000年3月に発行された「豊かな年輪」からです。
「豊かな年輪」新潟日報社発行。
プロのカメラマンの撮影で、非常に高度な写真になっ
ている。
書物から小生の一部を載せました。
以上17年前当時の回診の一コマ。
介護保険施行前夜の時期であり、寝たきりあるいは
それに近い人を対象に70件ほどの訪問先があり、
看護師さん二人について貰っていた。
当時私は58才、紙面を見た先輩の先生から「おまん、
もう58かね、早いもんだねえ」と言われた。
その先生はすでに亡く、私は当時の先生の年令にな
っている。
高齢者の問題は正に自分のものになった。
書物表題の「豊かな」は今日も重要な課題であろう。
台風一過 急な老人のうつとプチシュー。
本日台風は朝がたの風雨を残して北東へ去った。
上越地方には甚大な被害がなかった模様だった。
日中雲が多く時折雨も降ったが夕刻には青空が覗いた。
さて本日は敬老の日、以前ドーナツではないがこんなこと
があった。
ショートステイを利用されているある女性が、帰宅後いつも
と様子が違う。
めそめそと涙をこぼし、笑顔も消え、うつむいてばかりいる。
こんなことは初めてで、直前の施設では元気だったという。
脳梗塞の方で会話が出来ないが、普段話しかけるとニコ
ニコと反応される人なので信じがたかった。
急に生じた感情変化はふとした事で治る事があるかもしれ
ない。
「何かお菓子をあげたらどうでしょう、プチシューで良いと
思いますが、買って帰り、すぐにお茶と一緒にお出してみ
ませんか」
「プチシューですか」
「はい、いいと思います、上手く行ったらそれで終わりにし
て、出来れば続けるのは避けてみてください」という事にな
った。
何日かして相談されたお嫁さんから電話があった。
買って帰った日、お菓子を見た途端パッと笑顔になった。
以来めそめも、うつむくこともまったく無くもとの人に戻り、
菓子の催促もなかったと、声を弾ませて仰った、
これには自分も驚いたが、以下の理由が考えられた。
一つは単に甘くて美味しいものが突然出たこと。
(甘みは幸福中枢を刺激する)
もう一つは,お嫁さんを「良い人」として再確認出来たこと。
その時はかなり長期の施設利用だった。
現在おしなべて施設のスタッフは優しく、接遇が上手い。
居場所やスケジュールにもすっかり馴れ、そこは心地良い
場所だったに違いない。
それがあれほど好きだった自宅に帰ってみると、見慣れな
い家に人(お嫁さん)がポツンと居て、悲しくなっていた事
が考えられる。
なによりも美味しいお菓子を出してくれた人がとても良い人
で、それがうちのお嫁さんだったことを思い出したことは大
きい。またそこが自宅であることが分かったことも。
老人の忘れっぽさは善し悪し二面がある。
意味の無いことにこだわり、同じ話を繰り返す老人に、
「今、雨ふっているかね?孫の○○ちゃんは傘を持って行っ
たかねえ」
と言うだけで、こだわっていた話から離れることを経験する。
高齢の老人たちは安心が何よりの薬である。
それらを見た目、雰囲気、直感で区別している。
意地を抑え笑顔を作る、時には突然の甘いお菓子も必要か
もしれない。
およそだが80才半ばをすぎると、お年寄りは半年、一年で
変化することが少なくない。
こどもも複雑だがお年寄りもそうだ。
荒れ模様の一日 驚くべき昭和一ケタの人たち。
午前から雨模様となり畑をする人は口々に恵みの雨、と仰った。
およそ収穫の楽しみはタマネギ、ジャガイモから始まり、例年今頃
から苗の成長を見て枯れ始めたものから恐る恐る掘ってみるとい
う段取りのようだ。
良いと言う人より悪いと言う人が多く、悪いのは雨不足と日照の不
足が原因だという。
さて過日私より一回り高齢の方が、もう膝が滅茶苦茶と仰った。
嫁に来て未経験だった田畑の仕事を長年したのが第一の原因それ
に大家族で家事も尋常ではなかったらしい。
ちなみにお弁当は毎日9つ作った時があったという。
夜勤をする人には二つ必要だったとも。
もうお一人、同じく一回り上の方にご兄弟は何人とお訊きした時のこ
と。
「7人です、みんな女なんです」
「5女6女が生まれるあたりから一番上の姉は、もう嫁に行けないと
言って嘆いて怒ったそうです」
小生は5人兄弟で、戦争直後疎開で残った人達を入れて一時一つ屋
根の下に10人前後の人が住んだ時期があった。
当時風呂水、飲料水とも坂道を歩いて近所のつるべ井戸から天秤棒
の前後に水桶を下げて「水担ぎ」をした。
居候たちの誰も助けて呉れず、産後の義理の妹親子も居て洗濯物も
大量、毎日が地獄のようだったと嘗て看護師だった母が漏らしていた
(母は大正生まれでしたが)。
それにしても先の昭和一ケタのお二人の話は驚くべきもので、時代と
は言え絶句を禁じ得なかった。
荒天の中、19:15過ぎに左方(西へ)下って行ったほくほく線の電車。
午後から強く風が吹いた。
木目込み雛を作ったおばあさんはカレーをルーから作っていた 寒鱈のソテー。
先日は大正11年生まれのお年寄りからチョコレ
ートを頂いた。
もちろん介護者(娘さん)が用意して下さったもの。
本日伺った方は101才。
見て下さい、おばあさんが作ったおひな様です、と
隣室に案内された。
お嫁さんが仕度して飾られていた。
昨日は車椅子のおばあさんを交えてこの部屋で食
事をしたそうだ。
↑木目込み雛(きめこみびな)というもので、人形
の原型に付けられた筋目に布の端々を埋め込ん
で作られる。
おばあさんの戦後の女中奉公時代に真多呂(また
ろ)という老舗の人形店のキットを完成させたもの
だという。
床の間の立派な軸もおばあちゃんの書。
この方の奉公先は東京都内の一部上場企業の
社長さんのお宅だったそうで、夫人に気に入られ、
熱心に料理など教えてもらったという。
後こ当地に帰られてからもカレーは20種の香料
を調合してルーから作り、店にしか無かったハン
バーグやスウィートポテト、プリンなどを自作し、
カツオのたたきはワラを焼いて身をあぶって作っ
た、とお嫁さんが仰った。
最近瞑目してベッドで過ごされるが、伺うと満面の
笑みを浮かべられる。良い笑みはチョコレートのお
ばあさんや、これまで元気に長生きされた方たちに
共通している。
また一生懸命働き(学び)、悪意から遠く、心が澄
んでいる印象も皆さん一緒だ。
昨年106才で亡くなった明治生まれの方は身を粉
にして長く魚の行商を続け一家を支えられた。
このような方達は介護者とも上手く行き、途中出会
う幾つかの困難もなんとか越えて来られる。
お嫁さんも立派で、この度の雛の仕度と仕舞い一
つとっても実は大変なことなのだ。
私たちは親を看る最後の世代ですね、と仰ったが、
その通りであろう。
弟からの寒鱈は本日ソテーになっておしまいになった。
本当にごちそうさまでした。
YouTubeに木目込み人形(真多呂人形)の動画がありま
した。これを見てどういうものか少し分かりました。
少しずつ寒さが緩む気配です。
施設の血圧のなるほど 老人、高齢者の定義。
晴れはしないが雪も降らないお天気が続く。
本日今年初めてある老人たちのホームの回診
に伺った。
たまたまテーブルを囲んでいた4人の方の血
圧がいずれも115/55前後と一致していた。
「よく揃っていますね」と思わず言うと、
「皆で同じ物を食っているからじゃないの」
男として一人だけ混じっているお爺さんが仰った。
私は二つの施設を担当しているが、ここではホー
ムの一部、わずか7人が受け持ち。
昨年問題を生じられた何人かの方も、本日静か
にテーブルを囲んでいた。
たった一人の男性としてくだんのお爺さんは、ど
のおばあさんの髪の色がどう変わったかもちゃん
と知っている。
かなりのお年だが女の中の男一人としてますま
す冴えてきた。
だが中には生活が単調すぎて自分の名を忘れて
しまった人もまじる。
しかしそれはそれ、別れ際に手を振るのを見て、
頑張って生き着いた先がここなら、同じテーブル
を囲む皆さんは、ここはここ、幸せではないのか
と思った。
一方でこのような光景が一般化したのは最近の
ことであり、まだまだ課題もあろう。
さて高齢者の年令基準を65才→75才に遅らせ
る案が示されて、大賛成。
しかしその間を「准高齢者」などと呼ぶのは如何
にもお役所の手抜き仕事風で賛成出来ない。
「成人」のままで良いと思うが、年金を貰いにくい
というのであれば、年金をそのままにして新たに
「達人」と呼ぶのはどうだろう。
私なら一度はそう呼ばれてみたい気もする。
今後「成人」→「達人」→「老人」→「長老」→「高
老」などとして、「高齢」を止めてはと思う。
「高齢」は数量的また物理的で無味乾燥である。
「老」なら畏敬や言祝ぎが込められ、「人」として
の姿、形が浮かぶ。
孫にも衣装、案外衣装としての呼び名は大事だ。
ところで近時、公人的な人から老人を忌み嫌う青
臭い駄説を聞く。
世代替わりが進行する長寿社会は日々新たで複
雑である。
取り組みがいのあるスケールの大きな仕事を前に、
早々に匙を投げるようでは政治家やジャーナリスト
として真に情けない。
長くなりました。
年末年始はどこかに隠れたい カンムリカイツブリ。
「いやですね、年は人が取るものだと思っていた
のに」
昨年の今頃であろう、患者さんから聞いたぼやき
だった。
「年は取るのでなく、たまには人にくれて減らした
い」。
こんな言葉も聞いた。
いずれも率直で、言い回しも上手く感心した。
年を取るがイヤなのは死が怖いからではない。
例え体に気を付けて元気な人でも、いつしか膝、
腰、尻、あるいは手首や指などまで、次第に痛く
なり、なぜか物事が億劫になるのが実感される
のでイヤなのである。
それはまた、かって自分があなどっていた人の
ようになって行くからでもあろう。
本日、まもなく70才になる女性がこう仰った。
「また年を取るなんてイヤだわ、どこかに隠れて
いようかしら」
なるほどであり、出来れば私も隠れてみたい。
昨日近隣の池で見たカンムリカイツブリ。
夏には黒っぽい部分などが赤茶色になるらしい。
鳥インフルエンザ以来、どこか可哀想な水鳥たち。
騒動が健全に収束し、鳥たちがちゃんと復権しま
すように。
煙突女学校 心打たれた中卒の人のアルバム。
私のノート(ブログ)には「お年寄りや昔の話(聴老)」
という欄がある。
日頃診療で出会う高齢者の若き日のご苦労は別世
界の如くだが、およそご本人は「当たり前だと思って
いた」と仰り、そのことがまた凄いなあ、と感心させら
れるのである。
ところで私の世代からしばらく先まで、中学校卒業で
就職した方は少なくない。
自分は村の小学校を卒業後、高田市の中学校に入
ってしまい、小学校時代の級友とは突然縁が薄くなり、
分けても中学校で就職した人たちの事は殆ど知ること
が無かった。
読み返せば2011年のノートに「煙突女学校 世が
世なら」があり、中卒で就職した女性の事を書いてい
る。
その人は私より二つ上で、嫁ぎ先で超高齢の親を介
護されていた。
その介護ぶりが上手で感心して、書いた。
家にお金が無かったので高等学校ではなく、富山の
紡績工場へ行きました。
工場には煙突があったので、煙突女学校と呼んでい
ました、と聞かされた。
紡績というと、どこか女工哀史の古く悲惨な職場イメー
ジが浮かぶが、あっさりと語られた不思議な「煙突女
学校」に少々驚き戸惑った。
その人と診療でお会いするうち、職場が開けた場所
であった事、福利厚生のほか作法や修養教養の場
が整えられ、成長できる所だったことが分かってきた。
ただ具体的なイメージはうまく浮かばなかった。
持ってきました、と最近アルバムを持参された。
整理された白黒写真には、配慮された人間関係、ク
リスマス、メーデー、寮生活、歓送迎会、研修や旅行
など初めて接する世界が次々に現れ、まるで映画で
も観るような一冊だった。
昭和30年代、高度成長期へと入って行くまさにそ
の現場で、中学卒業の人々が前線の繊維産業を引
っ張り、生き生きと働ていたのを見て思わず感動を
おぼえた。
いま彼女は何の匂いもさせず、ごくごく普通に明るく
振る舞われる。
一方で世間には介護や透析を受ける人、あるいは障
害者をバッシングする無知傲慢な人も居て、(ある作
家のように)いずれ必ず悔い改める。
最初から物事が分かっている人と、そうでない人、、、。
分かっている人の中には、アルバムの主のように貧し
さが出発点にあった人が少なからずいるのではない
かと考えさせられる。
1960年20才のころ、静かな迫力を放ち、みなスタイリ
ッシュで大人に見える。
写真に添えられた文章も優しく立派で、自分が恥ずかし
くなった。
煙突女学校の卒業生さんたちに幸あれ。
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