花鳥・庭・生き物

悪天候の春彼岸 本「良寛の生涯と芸術-慈愛に満ちた心-」。

2024年3月21日(木曜日)

10日も前から昨日春のお彼岸と翌本日は悪天候と予報されていた。お彼岸と言えば穏やかな日和を一瞬思い浮かべるが両日は雪マーク付きの悪天候が知らされていた。

20日の昼の駐車場。
寒風の中お客様が見えていた。

 そして本日朝方から寒さがつのり仕事場では積雪がみられた。

仕事場の庭の水仙。

 昼前、いっとき陽が射して美術館の窓際で「良寛の生涯と芸術」を読んだ。

つかの間の日射し。

 何のマユだろう。
強靱な糸で編まれていた。

午後、ウィキペディアを書いてくれる方が見えご一緒した。優しいのに突破力のある人で作業がはかどった。

午後再び美術館でサラダを食べ本を読み、お客様と話しをした。

良寛の生涯と芸術」。
小島正芳著
令和6年1月1日考古堂書店発行

本著は本文500ページという大著ながら文、活字とも柔らかく非常に読みやすい。著者小島正芳氏は新潟大学教育学部書道科を卒業され新潟県立文書館や教職を歴任、この間50余年もの歳月を良寛研究に捧げされ,多数の論考、著作を重ねられている。

まだ60ページを過ぎたばかりだが、北前船と佐渡金山に向けて開けた港町出雲崎で要職を継ぐ名家に生まれた良寛。学問への勤しみの傍ら親子共々理不尽かつ激しい競争が繰り広げられる港町の勢力争いの惨さをまともに受け追い詰められ、ついに出家を決心する。

たまたま備中(岡山県)玉島円通寺の国仙和尚と巡り会い、いよいよ同寺での修行のため二人で旅立つ所まで読み進んだ。両親と別れ際の詩、特に母の場面は涙無くして読めない。

折々の発句、詩歌および関連資料や写真が次々掲載され、現実感を伴う波乱を追いながらいくらでも読めそうな気がする。生地の困難と出家、遠地への旅、修行と印可、長い行乞行脚、京都に於ける父の入水、帰郷、ふる里の人々と子らとの日々、晩年の貞信尼との恋、、、。

本書あとがきに「良寛の研究はやればやるほど更に深みが広がり、奥深い」とあった。ますますトゲトゲしく混迷し不確定化する時代。本著の「慈愛に満ちた心」をテーマに「良寛」がNHK大河ドラマで取り上げられるなら何と素晴らしいことかと思った。

樹下美術館のカフェでドライカレーが新たなメニューになった。

2024年3月18日(月曜日)

本日も寒く午後車が示していた気温は6度だった。

ところで今年からカフェのメニューにドライカレーが入った。開館後4日経って8食の注文があったという。今まで軽食はパン類なのでお米メニューは初めて。宜しければお試しになってみてください。

ピクルスと野菜サラダそしてポットの珈琲また紅茶がつくセットで1200円です。

以下はメニュー表に掲載されたドライカレー。

本日はまた非常に寒かった。

近隣の雑木林の向こうの大きな雲。強風下でさまざまに姿を変えていた。何かプロレスラーのような表情です。
庭を巡ると風は強く頬が痛いほどだった。

寒い庭でクリスマスローズが
花盛りになっている。

明日午後から寒波が到来し一時雪が降りそうな予報。この予報は2週間も前からずっと出ていて、恐らくその通りになるのだろう。

天気予報はかなり先まで当たるのでとても感心させられる。悪天が予想される明後日は春分の日の祝日で初ゴルフを予約していた。本日申し分けないけれどキャンセルにさせてもらった。

先週末の新潟市秋葉区訪問その2 新潟県立植物園。

2024年3月5日(火曜日)

去る3月3日曜日の新潟市秋葉区へのお出かけ掲載は、本日新潟県立植物園となった。
皆様はお出かけになった方も多いと思われるが私はここも初めてだった。
いくつかの行きたい場所が隣り合うようにあるのは、荒天では特にとても助かった。

季節が良くなれば丘陵を背景に望まれる水場や芝生ののびのびとした風景を見てみたい。

大きなドームを有する植物園に期待が高まる。

入ってすぐの親子のコーナーでおとぎ話と植物をファンタジー風に展示。上掲は赤頭巾ちゃんのリンゴ。美女と野獣、ジャックと豆の木ほかがあしらわれ、光のトンネルを通ってエリアに入る。次回は「はなとしあわせ」ということでとても良いテーマだと思った。

高い岩から数本の滝が落下している。ドーム内を満たす水の音が館内の雰囲気を生き生きとさせる。

オオギバショウの葉と花を見上げる。
左側に立つものが花のようだ。

ソーセージの木。

ダリの絵の中にいるような気分。

ひそかに咲いていた蘭。

食虫植物「ウツボカズラ」。

ベトナム北部のカイドウツバキ。

白花ブーゲンビリア。

ニューギニアのツツジの一種。

ドーム内はエキゾチックな南国の森を思わせ、手軽な旅行気分を味わうことが出来た。

天井の様々な環境コントローラー。
光、温度、湿度、気流などを管理
しているらしい。

見事だったアザレアの展示。

アザレアは江戸時代から西洋ツツジとして人気になった。現在秋葉区は日本最大級の産地だそう。本来の開花時期は4月~5月だが冷蔵管理などによって秋から冬の鉢花として親しまれている。咲き揃ったバリエーションとボリュームは圧巻だった。

以下は最後に見た水中植物のセクション。

神秘的な緑と愛らしい
熱帯魚に心休まる。

交通の要地新津。旧新津、小須戸、白根は江戸時代から現代までヤブコウジ、ボタン、チューリップ、アザレアなど内外のブームと同調しつつ研究を重ね今日成果がが実を結んでいる。新潟県といえば米と相場が決まっているなか、雪国にあって花を選んだ先人の見識に驚かされた。

寒風と氷雨のなか出かけた秋葉区金津。一か所に集まっている美術館と植物館そしてフラワーランドを楽しませてもらった。

かねが.ね当植物館を勧めてくださったS氏に感謝いたします。

新津美館でかってお世話になった松沢寿重館長にお会いできたのも幸運でした。

去る22日(木)および23日(金)の梅見物 その3 鎌倉の梅。

2024年2月27日(火曜日)

冷たい雨がそぼ降る23日午後、道中タクシーを依頼し、降りては傘をさして鎌倉の梅巡りをした。若い運転手さんは親切で、回りたい社寺のメモを渡すと順序よく走ってくれた。

初めの寺は宝戒寺。参道入り口に数基の庚申塔が保存良く並び、献花もされていて感激した。

 宝戒寺「大聖歓喜天堂」
梅らしい花のあしらい。

荏柄天神社のミツマタ。
絵馬が一杯。

浄妙寺の蝋梅。

境内の花塚。
雨に打たれる花が静か。

同じく浄妙寺のアシビ。
寒さの中の満開に励まされる。

お庫裏であろうか閑静な佇まい。

途中の踏切で止まると、
江ノ電が通過した。

お菓子屋さんはありますかと運転手さんに訊くとすぐ連れて行ってくれた。

 

文字通り街角のお菓子屋。
「力餅家(ちからもちや)」さん。

古い店内一杯に餅や飴のお菓子が並ぶ。品の新鮮さへの配慮が良く伝わった。

長谷寺。
最も賑わっていた。

続いて明月院へ。

門に美しい花が生けられていた。
寒牡丹ではないだろうか。

円窓。
いつも寒い季節ばかりだが
それでも良い。

石の上に花が生けてある。

梅と詫びた門。
昔の物語を伝えているようだ。

東慶寺。
心に残る木瓜(ボケ)の赤い花。

ご本尊、釈迦如来像。

道順は北へと移動し北鎌倉で終わった。小さな北鎌倉駅から横須賀線に乗り東京駅へ。
写真をご覧になってお分かりだと思うが各地の梅は盛りを終えていた。熱海、鎌倉はさらに東京よりも早いようで、いわば残花巡りの様相だったが、冷たい雨の両日よく回ったと思う。

有名観光地といえども通年にわたって人を集めるのは難しかろう。それでもこのたびの各地は社寺を中心に四季の花に力を注ぎ、冬は梅として努力を続けているのは立派なことだと思った。
その梅も終わりとなればクリスマスローズや馬酔木、椿、ミツマタ、マンサクなどを混ぜて何とか応えようとするのは有り難いことだった。

花は仏の化身、特に古都鎌倉の吹き出すような梅の盛りを想像し是非再訪したいと思った。

去る22日(木)および23日(金)の梅見物 その2熱海梅園と澤田政廣記念美術館。

2024年2月26日(月曜日)

去る22,23日は強い寒波の中、雨降りの小旅行。電車以外の現地移動はタクシー、そのほかは寒い中を歩いた。せっかくなので文句も言わず各所を巡った。
本日は前回に続き2日目の午前で、熱海梅園とそこに接する澤田政廣(せいこう)記念美術館へ寄った。

澤田政廣は文化勲章を受章された人で、氏の晩年になる爽やかな仏像が展示されている我が糸魚川市の「谷村美術館」が浮かぶ。館内には彫刻のほか絵画や書が展示され、鮮やかな色彩と素早い動的なスケッチに目を奪われる。建物は糸魚川の方が早く、ここの全体には谷村美術館の外観と内部構造に類似した雰囲気が感じられた。
庭の展示は谷村美術館にないもので、雪の有無の違いが現れたのかと考えられ、楽しく印象的な美術館だった。

美術館前の「海の讃歌」S38年。

庭の「黄泉のしこめ」S31年。
逃走と生成の神話的なイメージ。

館内、「あたみニュース」から。
「人魚」昭和44年。

 

外壁から見える「ともしび」昭和21年。
戦争直後の慎ましさが伝わる。

外観は中央アジアの砂漠に現れる
構造物のイメージ。
谷村美術館を研究したようだ。

何度訪ねたかもう覚えていないが春になったら谷村美術館を訪ねたい。何度でも行きたい美術館だと思う。

さて澤田記念美術館を出るとすぐ熱海梅園(むしろ梅園内にある)。かなり急な川に沿った谷間があてられ、滝や橋が景観よく配置されている。お天気が良ければいっそう清々しかったに違い無い。

ヒヨドリがウロを覗き、傍らに
クリスマスローズが咲いていた。

梅はほぼ盛りを過ぎていた。寒いため売店で温かなお汁粉をた飲んだ。これだけ寒ければ余計思い出に残ろう。

昼に熱海を発ってJR東海道線でほぼ1時間大船へ。横須賀線に乗り換えて隣駅が鎌倉だった。
鎌倉の梅めぐりは次回予定させて下さい。

本日こちらは風が吹いて荒れ模様、関東一円のあの寒さはどうなったのでしょう。

温かな週末 連日雪囲い外し バッハのアリア。

2024年2月18日(日曜日)

二日続きの好天。朝は寒かったが上越市髙田の最高気温が19,5にまで上がり上っ張りいらずだった。

 

様々な飛行機雲が見えた。

昨日庭の囲いを外したが、本日の空をみて午後から続きをやろうという事になった。

再度私が囲い縄を切り竹を抜き、家内が結び目を切り取る手順。

カラカラ、ガラガラと乾いた竹の音が庭に響いた。後に妻はクリスマスローズの葉を切り落とし、私は芝生でゴルフボールを打った。

夕刻の四ツ屋浜。

陽は少しずつ北に移動している。その方向に能登半島があるはず。本日皆さんはどう過ごされただろう。


1995年1月24日NHK交響楽団定期演奏会、
阪神淡路大震災への追悼演奏
「バッハのアリア」。


2024年1月9日小澤征爾さんへの追悼演奏
ボストン交響楽団による
「バッハのアリア」

庭の雪囲いを外してみた。

2024年2月17日(土曜日)

白鳥やハクガンではないが、当地ではもうさして雪は降らないと決め、本日午後美術館の庭の雪囲いの一部を取り外した。今冬雪らしい雪が降ったのは昨年のクリスマス前だけだった。

まだ降るかもしれない、といえばその通りだが陽気に釣られて外してしまった。但し囲いの中で木を縛っている縄はそのまま残した。

約二時間半外周の縄を切り囲いの竹を抜き、妻は結び目を切り解いた。

本日は7割方外した。作業量として、囲う手間の10分の1よりも楽ではないかと思った。囲って下さったお手伝いのお二方、済みません、黙って外してしまいました。

終わりころにお茶を飲んだ。

一番乗りしているクリスマスローズ。
このところの好天で。
3月15日開館まで持つか心配。

以下、この冬庭に落ちた枯れ枝です。細かい物はまだ沢山あります。

やはりそうだったのか、その1暖冬。

2024年2月13日(火曜日)

「もしかしたら」そうかも知れないと思っていることが、何かに書いてあったり、誰かが語り「やはり」と思うことがある。最近それに類する事が二件あったので書いてみたい。

一つ目は2月になってハクチョウやハクガンなど冬鳥の姿がり見当たらないことの訳だった。
白鳥は11月上旬、ハクガンは12月下旬に初めて目にした。特にハクガンの群は大きく、その後の撮影を楽しみにした。

今冬12月29日の初ハクガン。

24年1月14日夕刻の朝日池。
ねぐら入りしたコハクチョウとハクガン。

ところがその後ハクガンを目にしたのは2回だけ、大きな群は1月30日中の朝日池が最後だった。

昨冬は2月15日まで近隣の田でしばしば観察されたので、今年2月、近辺へたびたび足を運んだ。しかし朝日池にも田にも姿は無かった。

 今期11月18日の朝日池の夕刻。
白鳥や雁で一杯だった。

2024年昨日空っぽの朝日池。
水だけは満々。

例年まだまだいる白鳥もいまや全く見当たらなくなっている。私だけが見損なっているのか。しかし知り合いの鳥好きも「せっかく池の水が満々になっているのに見ない」と同じ事を口にする。何とあっけない、例年とは様子が違う、、、。

暖冬のせい?だが冬鳥の餌場である当地の田は山間にかかる所などで十分な雪が残り、彼らが苦手な気温上昇はそれほどではないはず。どこかに沢山いるのではと本日日中も車を走らせた。

ところが今夕、妻が「新聞見た?」と朝日の天声人語を見せてくれた。そこには冬鳥の飛来地として有名な宮城県伊豆沼では、例年これから鳥たちの北帰行が始まるが、今年はすでに終わりかけている、と伝えていた。

私達は暖冬厳冬、大雪小雪、ドカ雪淡雪など色々経験しているので、たとえ暖冬に推移しても、「この先まだ降るかもしれない、そんな年もあった」などと考え即断を避け、常に用心深い。一方鳥たちは各年ごとに判断し、「そうと決めたら早い」のか。

数百の群も一羽が飛び立つと全羽が一斉に飛ぶ。さらに北帰行など大規模な移動を一体だれが決め、なぜ皆が従うのか、野性の仕組み(知?)は並のものではない。
デジカメなど電子部品満載のカメラを手に、去った鳥たちを探し右往左往していた自分。比べて暖冬と決めるやさっさと帰った鳥たち。その違いは滑稽でさえある。

思えば彼らがこの先伴侶をみつけ産卵し子育てする遙か北の地こそふる里なのであろう。当地は極寒期の一時避難場所であり、帰れるとなったら一刻も早く帰りたくなるのは鳥たちの人情なのだろう。

良い勉強になった。これでもう今冬の探鳥をお終いにしたい。彼らには来期も是非また沢山来てもらいたい。

 

ところで実は昨日祝日の建国記念日、夜半を過ぎて午前4時ころから恥ずかしながら腹痛に苦しみ、せっかくの祝日を寝て過ごした。
下痢嘔吐もなく、ただ痛かっただけ。明瞭な判断材料もなく「もしや」と考えていたことがどうやら「やはり」だったらしいので、次回そのことを書かせて下さい。

 誕生日の追加 週末の鳥 2月とは。

2024年2月4日(日曜日)

2月1日が誕生日で、はや4日目です。自分の事をいつも老人とか高齢者と書くのはモヤモヤしますし、第一誕生日を記しながら何才と記さないのも失礼なようででもあります。それで恥ずかしさもあり以後何度も申しませんが、お陰様で82才になりました。

この先は、いくら先人の通った道といえ私にとっては全てが初体験(これまでもそうですが)。弱気を口にしたらキリがありませんので、出来れば年のことは知らぬ振りをしながら生活し、出来るだけブログも続けたいと考えています。

さて蝋梅に触れました1月24日には「冬本番のさ中」と記しました。それから10日、この週末は寒かったのですが日が伸び、かつ高くなるのが感じられ、外に出ると僅かながら春の気配を感じました。

このところ沢山飛来しているはずのハクガンに中々お目に掛かれません。
一昨日土曜日午後は柿崎、吉川、大潟、頸城の各区から三和まで観て回りましたが、主にコハクチョウとマガン、ヒシクイを見るだけでした。

頸城区で雁に混じって
10羽ほどいたハクガン。

上掲の場所に次々と雁が舞い降りたが期待したハクガンは一羽も現れなかった。一体何所にいるのやら。

上掲は道中の溜め池にいた
オオバンの家族の一部。

オオバンはカラス、カワウと並び黒い鳥の代表ではないでしょうか。僅かな尻尾とくちばしの上に白い額板という部分があるのが愛嬌です。枯れ草の下に生えているらしい若草を食べているようでした。

本日午後しばらく陽が射しました。

米山(上)と尾神岳。

久し振りのツグミ。
どこか人懐こい鳥。

鴨なんそばのネギは頂き物。
セリはお店のものという事です。

先ほど2019年から毎年2月のブログをざっと目を通してみました。
2月は日射しが強くなること、クリスマスローズが咲くこと、思わぬ雪が降ることなどがよく見られていました。
また2020年2月に、新潟県で初めてコロナ感染者が出たと記されていました。
先の事が全く理解できずあたふたと過ごした当時を懐かしく感じました。ただ5年目に入りましたが相変わらず集団的な発生は止んではいません。

この数年ハクガンを沢山見るのも2月でした。今期はこれまで最大の群が来ているようなので期待したいと思います。

いつしか今年の開館までもう少しとなり、毎年緊張する時期です。近いうちに今年の展示予定を掲載致しますのでどうか宜しくお願い申し上げます。

初めてのコウノトリ 若草の田にコハクチョウの群。

2024年1月31日(水曜日)

本日午後は特別養護老人ホームの回診。比較的皆さまが落ち着いていて早めに終わった。予想以上に良いお天気。田んぼへ鳥を探しに回った。

1月14日のねぐら入りを見て以来、ハクガンを目にしていない。数百羽という規模で来ているようだが、田の食事風景を見ることが出来ないままである。
大きな群で広がり、無心に田んぼで過ごすハクガンとその子らは迫力があろう。出会えないのは残念だ。

しかし本日、その代わりというのを二つ目にした。一つはコウノトリで、朝日池の付近で農道の先に思いも掛けず二羽が待っていた。初めてだったが、吉川区の橋爪さんのブログで度々見ていたのですぐに分かった。

一羽が飛び立った。
すだれのような翼の模様。

じっとしている。

残った一羽は餌を漁っている。

間もなく歩き出す。
赤い足が印象的。
標識の足環が見える。

躊躇無く車の先を横断。
ぬいぐるが歩いているよう。

コウノトリに出会う前、一様に草が生えた水田にコハクチョウの群がいた。普段水鳥を見るのは雪上か水上、あるいは雪の無い枯れ田が普通で、この田のように水が滲みた新鮮な草地で見るのは初めてのことだった。

牧場で飼われているうような
爽やかな眺め。

昨日は晴天、本日も静かでまあまあのお天気だった。見たいと願っていたコウノトリが突然行く手に現れ、草の水田に広がるコハクチョウの群も初めてだった。

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