花鳥・庭・生き物

ハクガンの姿無く白鳥は少なくなり 庭仕事を始めた。

2025年3月8日(土曜日)

午後水鳥たちを探しに回ったけれどコハクチョウもガンも小さな群を観ただけ、あのハクガンの長い列も見当たらなかった。私の探索範囲は狭いため何とも言えないがかなりの鳥は北へ帰ったようだ。ただマガンはまだ多く留まっている印象があった。

今冬はハクガン、コハクチョウに十分楽しませて貰い、最後は思ったもみなかったシジュウカラガンと二度出会い、カメラにも収めた。後半は思ったよりも厳しい冬だったが鳥に感謝し、来年また沢山来てもらいた。

溜め池にいたミコアイサ。
かなり悪いヒモ風。

ほぼ雪が消えている美術館で少しばかり庭仕事。
昨秋に元スタッフのAさん宅から貰っていたタカサゴユリの種を蒔いた。

花殻を割り種を採る。
何千何万?という数の種。
まだ沢山残っている。

用土にまぶして蒔きざっと撒水。

かって同じ種を貰って蒔いたがA宅では花が咲き、我が庭はダメだった。多分出た芽を雑草と見て皆取ってしまったらしい。今年こそは慎重に扱い夏の終わりはタカサゴユリの園にしたい。

一旦蕾を付けたクリスマスローズはその後積もった雪の下になっていた。もう大丈夫なのだが随分変形している。寒かったことだろう、ご苦労さまでした。間もなく温かになるので一休みしてください。

2月1日、雪の前の同じクリスマスローズ。多雨、雪、乾燥、寒暖etc、どんな花もコンスタントに維持するのは難しい。

春を待っていたのは雑草も同じ。
昨春は大変だった。

今冬後半の雪により例年に比べてずっと遅くなったが一先ず庭に関わった。長時間ではなかったものの急に始めたので足腰が傷む。
もう少し暖かくなってもらいたい。

コハクチョウの大きな群 タカが舞い野犬がやってくる 再びシジュウカラガン。

2025年3月7日(金曜日)

降ったり止んだりを繰り返した一帯の雪は止み積雪も僅かとなりつつある。本日は寒かったが日足は春に向かっていることだろう。

記載が遅くなりましたが、去る3月1日土曜日午後、鳥たちを見に出かけた。柿崎、吉川の区が跨がるような場所でコハクチョウの大きな群を見た。200メートルほど帯状に集まり、一部にガンが混っていた。群はこれまで見てきたなかでも最大クラスの大きさだった。

しばらくすると左側の一群が急に飛び立った。普段白鳥は人や車が近くを通っても飛び立たず、せいぜい後ずさりをする程度なのに。

食餌や休息をしていた鳥たち。

突然群の一部が飛ぶ。

残った群は一斉に首を伸ばし緊張が伝わった。

野犬と思われる大きな犬が
脇の畦を歩いてくる。
見事に揃った白鳥の反応。

犬は群のすぐ近くを歩いたが殆どの白鳥は飛び立たず、一斉に首を伸ばし左を向き犬が通り過ぎるのを待った。彼らには横から後ろの一部が見えているはずで、敢えて犬と視線を合わさず横目で見るのが警戒姿勢のようだった。

犬は襲わず白鳥は動かず、犬の通過から1,2分して全てが元に戻った。
万一犬が襲った場合、見かけによらず攻撃力があるという白鳥は一斉に反撃したかも知れない。また犬はそれを知っているのかもしれない。

犬が来る前にはタカが上空で舞い。

電柱に止まると、
鋭い視線を向けていた。

水田に広がり優雅に過ごしているかに思われる白鳥も空と地上からの危険にさらされていることが垣間見られた。

ハクガンはまだ滞在しているかを確かめるのが探鳥の目的だったが、ここでは見当たらず頸城区へと向かった。

頸城の何カ所かでコハクチョウの群を見た。その中の一つにシジュウカラガンが混じっていた。

2月28日の群と同じかも知れない。
やはりさほど人を恐れない印象。

白鳥対し白黒のコントラストが
魅力的。

コハクチョウの口元。

コハクチョウの口元を追ってみた。この時期ぬかるんだ田で稲株の下に首を突っ込み根を食べるのをよく見る。しかし本日はそうせず、雪面や古株をクチバシですくい、落ち穂や二番穂の米を探している風に見えた。餌はそれで十分なのだろうか。

明日からの週末、再度コハクチョウやガンを見てみたい。週が明けると気温が上昇するらしく、今年最後の探鳥機会になるかもしれない。

シジュウカラガンに初めて出会った 北帰行が始まっているのだろう。

2025年2月28日(金曜日)

気がつけば2月は最終日になっている。沢山楽しませて貰った冬の水鳥たちには北へ帰る日が近づいている。

本日は暖かく、髙田の最高気温は12,3℃だった。例年15℃前後が続くようになると鳥は次々に北へと帰る。そんな時期にさしかかる本日昼休み、頸北の田圃を回ってみた。

興味があればやはり行ってみるべきなのであろう、いつもの場所に着くと初めて見る鳥がいた。
コハクチョウの小さな群に黒っぽいガンが10羽ほど混じって動いている。個体はマガンよりも小さく,コハクチョウと同じように道路が近いのにたいして人を恐れず一緒に探餌していた。

カモ?と思いながら撮ったモニターを見ると顎の辺りがベージュ色。図鑑で目にしていていつか見たいと思っていたシジュウカラガンだった。それが目の前に10羽もいて盛んに動いている。

なんて幸運なんだろう、お洒落で可愛い鳥だった。

シジュウカラガン。
シジュウカラに似たツートンカラー。

シジュウカラガン絶滅危惧IA類 (CR)環境省レッドリスト)に以下の様に絶滅危惧種の筆頭として載っているまだ貴重な鳥。

 

少し行ったところにオオヒシクイが
マガンとコハクチョウに混じっていた。
ダイバーシティは互いが健全でいる証し。

柿崎に向かって田の雪が少なくなるので餌が獲れるので随所にいた。

憩うコハクチョウたち。

雪シーズンを越えた本日のモズ。

恐らくすでに北帰行は始まっていて、南からやって来た様々な一群と当地の鳥たちが入り交じっているのではと考えられた。何千キロ先の目的地を目指して飛ぶので途中には幾つか中継地が必要で当地もその一つにちがいない。それにはねぐらのための湖沼と餌場になる雪の少ない水田が必要で、朝日池と頸城平野が相応していたのだろう。
いずれにしても冬場にスケールの大きい渡りをする鳥類を観ることができるのは幸せなことだと考えている。

間もなく一帯の空も地も空っぽになる
春は賑やかな一方美しくも強靱な冬鳥は姿を消す
また会えるからいいか、、、
人生の春秋、諦めと希望を一緒にして胸に納める

明日から3月
雪、雪、雪と思案して過ぎた冬が終わる
今日はシジュウカラガンに出会えて本当に良かった

温かな日に訊ねたお宅 柿崎海岸 首輪のコハクチョウ。

2025年2月27日(木曜日)

我が儘言って休日にさせて貰っている本日木曜日。暖かく晴れた柿崎海岸へ行った。

去る2月9日の当欄で強風のカモメを掲載して半月、陽は高く明るくなり海も春めいてきた。

 

シーグラスと貝殻を拾った。

帰路は白鳥をみるため新井柿崎線(県道30号線)を走ると水田のあちらこちらに群がいた。

水鳥が憩う様子は大変に可愛い。

午後あるお宅にお呼ばれしていた。

おひな様が飾られたお家で、時代を色濃く反映する人生を歩まれたご夫婦の話をお聴きした。奥只見の開発の渦を体験され、新潟地震は佐渡で津波前の引き波を見、凄まじいバブルを乗り切られ、奥様と仲良く旅されたヨーロッパ各地。はじめて聴くご夫婦の話にはとても勇気づけられた。

お宅を辞して鳥を見に行った。
かなり暗くなったが鳥たちはまだいた。以下の写真は陽が落ちてしばらく後の5時15分過ぎ。遠くの車はみなヘッドライトを点けて走る時間にも拘わらず熱心に餌を食べていた。

ねぐらへ飛び立つのを見ようと待っていたが、まず私達の食事時間が近づいたので鳥より早く帰った。

ところで日中と夕刻の二回同じ場所を訪れたところ首輪を付けた2羽の個体がいた。いずれもモニターで拡大して確かめた。

午前に見た首輪のコハクチョウ。

夕刻の首輪のコハクチョウ。

首輪は黄色と赤に見え、両者は異なる鳥のようだった。ネットに標識コハクチョウの報告サイトがあった。残念ながら標識番号の同定は出来なかったが,それ以外を記載して届けた。

午後伺ったお宅は患者さんのお家。周辺は田圃、奥様手作りの食べ物は美味しくとても楽しかったです、大変ご馳走になりました。

寒波が続く 道路に降りる鳥、海岸に現れるイノシシ。

2025年2月24日(月曜日)

昨日日中一段落したかに見えた雪は夜から断続し積雪は増した。平地の積雪は目測50~60㎝、道路脇の除雪車が積んだ雪は1メートル前後に見受けられる。

すでに10日は降ったり止んだりして続く寒波は当地に平年以上と思われる雪をもたらしている。
以下は上越市大潟区の本日日中の様子です。

R8号線小船津浜からブルボンに上る
高架橋からの眺め(西方)。

同じ場所から東方の眺め。

樹下美術館の庭からの眺め。

今月はじめ上掲写真の右側の土手でフキノトウを採ったのが信じられない。「樹下美術館」は今や「雪中美術館」に様変わり。特にカフェの前には屋根の雪が落ちるのでそこは豪雪の様相です。

近くの屋根に雀が三羽。

雀は道路と屋根を往き来していた。雀のほか一羽のカワラヒワが濡れた道路で餌を探していた。
こうなると多数いた鳥の群はひと組数羽など個体数を減らして多数分散し、乏しい餌でそれぞれが生き延びようとする。

さて我が区の浜沿いの県道に数日前イノシシが出て二人?が噛まれて負傷したニュースが流れた。普通イノシシは突進して人を負傷させるが、今回いずれも噛んだというのだからよほど空腹だったのだろう。

冬眠をしない彼らは餌の無い豪雪の山から下りたは良いが、平地も長期の深雪で野菜も見当たらない。ついに海岸に現れたのは、増えすぎと雪でよほど飢えていたからにちがいない。

この時期、大波が打ち寄せる海岸は雪が無く、強い風波によって魚や海鳥の死骸、ときには野菜が揚がる。
彼らが餌を求めて海を彷徨うのは異常なことだが、そこまで追い込まれたからだろう。ほかの動物、鳥類もひもじい思いをしているに違い無い。

一瞬にして消えたファイル ドヴォルザークの音楽。

2025年2月16日(日曜日)

日中ほぼ晴れていた本日日曜日、午後まで来たるイベントにむけて亡きヴァオリニスト中島幸子の年表を作った。しかし2時間掛かって8割方出来上がり、ファイルに名前を付けて閉じた途端、何を押し間違えたかそれが一瞬にして消えた。

スタートキーを押してPC内を検索したところ似たようなファイルは出るが、探し物は跡形も無い。残念だがこんな事が数年に一度レベルで起こり、迂闊な私の不徳、王者PCの最も怖いところだ。出来る人なら復旧させるのではないかと思うが私には無理だった。

一度脳を通過した作業だからまた作れば良いと考え直し、鳥を見に昨日の柿崎区の水田へ出かけた。米山を背に一帯の広い田に雁と白鳥の群が広がり、壮大な眺めだった。ラジオを点けるとクラシックが聞こえた。

武満徹のギター曲の後でドヴォルザークの「スラブ舞曲」が流れた。両方ともとても良かった。ドヴォルザークを聴きながら亡き関根日出男さんを思いだした。医師であるとともにチェコ音楽と文学の研究家だった氏は親族の一人だった。何度か訪ねる機会があったけれど、もっと勉強していれば気の利いた話も出来ただろうにと後悔がこみ上げた。

すると失ったファイルが再び思い出され、音楽はそれも慰めんと優しく続いた。


ドヴォルザーク作曲
作品72の2「スラブ舞曲」

遠くで一斉に飛び立った鳥たちの群が旋回しまた下りるのが見えた。

旋回する雁の群
(ハクガンも混じっている)

数日後と予報されている寒波。あまりひどくしないでもらいたい。

雪が少ない当地 鳥たちは戻っている。

2025年2月15日(土曜日)

去る2月9日の当欄に強い寒波が始まっていることを書いた。その雪も当地では一旦消えかかったが1週間ほど前にドサッと再び降った。しかし去る13日インターネット回線がおかしくなった日の強風といっときの雨で周囲の雪はほぼ消え去ったかに見える。

上掲2枚の写真は本日午後、仕事場の前の浜線(旧国道)の東西。雪は気持程度になっている。
全国放送のテレビでは新潟県の豪雪が報じられていてしばしば上越も取り上げられる。確かに山間部は例年以上なのだが沿岸の当地は全く様子が違っている。強風と気温が僅かに高いせいではないかと考えられる。

よく晴れた本日土曜日午後。鳥たちはどうしているかなと見に行った。上の写真はよく行く場所の一つ。田圃の所々に雪だまりはあったが、陽当たりの良い畦や土手は乾き,さらさら音を立てて流れる用水は青い空を写して春を思わせた。

 

一帯の北東の一部を回ったところ、50~150羽のコハクチョウを中心としたマガンとハクガンの群が多数見られた。彼らがねぐらにしている朝日池は一時水面が雪に覆われたため鳥たちは髙田の南堀など水が露出している場所へと分散していた。それが急な融雪で再び戻って来たようだ。

来たる18日から再度強い寒波が伝えられている。冬の終わりに沿岸がドカ雪になることが時々ある。
一方で2月は暖かく一段と晴れ上がる素晴らしい日が現れる月でもあり、ゆっくり春に向かっていることだけは間違い無いのであろう。

日米首脳会議は何とか無事に終わった 強風下のカモメ 道路に出て来る鳥たち。

2025年2月9日(日曜日)

一昨日は我が石破首相と米国のトランプ大統領の会談について書いた。政治は苦手だが外交はある種ゲームを見るような側面があり感想文として書かせて頂いた(比べて内政は感情論があらわで心臓に悪い)。

さて両首脳会議が一応の結果を迎えたのは外交官の努力あってのことだったと考えられる。会談、会議、会見に際し仮想応答を練りに練り上げ、何度もリハーサルをしたのではないだろうか。首相の行儀の悪さを耐えるトランプ氏のタフなマインドに驚かされたが、米国にとっても切迫していた事情があったからに違い無い。

気がかりなのは首相が大盤振る舞いを約束した事だった。一方今後のトランプ氏について、パナマ運河やアイスランド、ガザ、カナダへの食指のほか国連やWHOほかパリ協定など世界が真剣に積み上げてきた国際的な機構への否定的関与はまず人道にもとり、リーダーとしての資質の行くへが心配される。
また文化、学術、環境への熱意が伝わらず、これらにも目を向けてもらわないと世界は沈黙の中で冷えるばかりではないだろうか。

心配は切りが無いので午後は上下浜へ行ってみた。

遠くに点々と見えていた鳥の群。

来た群はカモメだった。
カモメはほかの鳥と違い、
あまり羽ばたかず滑空する。

カモメは次々にやって来た。

その昔、美術館を始める頃
にもこんな写真を撮った。
カモメは強靱でカラスも避けるという。

次ににいつもの田圃へ向かう。

道路にいた普段見慣れないシギ。

車を走らせると道路に出ている鳥たちと数回出会った。お腹を空かせているのだろう、逃げる気配も無く危ない。何年か前もそうだったが、急な大雪になると可哀想なことに鳥たちは最後の餌場と考え、道路へ出てくる。雪国の雀は一冬に三分の一は数を減らすという。

昨日の上越市大潟区高橋新田で。

この度の日米会談では高校時代の英語教師を思い出した。かなり前に書いたが見ず知らずの遠い親戚と聴いた教師のもとへ、学校に内緒で一年半ほど通った。月に2回の教材はジューヌ・ヴェルヌ原作の冒険小説から始まりジョージ・オウェル、バートランド・ラッセル、ジョージ・ケナンなど思想、政治の分野へ進んだ。
ラッセルは終始寛容であることを説き偏狭を避けよと繰り返した。懐かしいジョージ・ケナンの教材は外交についての評論「Power Politics」で新鮮だった。
教師は当持のケネディー/フルシチョフの華々しい外交を報じる新聞を批判、外交は優れた外交官たちによる普段の地味な努力の上に成り立っている、浮かれてはいけませんと諭された。

この度無理を承知で日米首脳会談などを記載しながら、65年も経った高校時代の記憶がおぼろげながら蘇り、知的で美しかった英語教師が脳裡に浮かんだ。
全共闘が高校にも及ぶ時代、肺結核で闘病するばかりの私をよく引き受けてくださったと、今もあこがれと共に大切な恩人として深く感謝している。

寒波の日、A氏のレコードを頂きに、帰路のタカ。 

2025年2月6日(木曜日)

やはりやってきた厳しい寒波の日。昨年の痛恨、生前何かとお世話になったA氏宅へレコードを頂きに伺った。立派なクレテンザを当館のカフェに置かせて頂き、何度もSPコンサートを開いたり皆さんとカフェで楽しんだ。

氏は私より若いのに確固たる信念と謹みを有し深く学ばれ、家庭と地域を愛され、心から笑い、音楽に映画、スキーなど真剣に人生を楽しまれた。いつも何か教えられているようであり、ことあれば意見を聞きたかった。

美しいバイオリン曲が掛かる部屋でお参りし、コーヒーをご馳走になり、沢山のレコードの中から聞き覚えのある演奏者と曲を選ばせてもらい、持てるだけのものを持ち、まだあるものは後日伺うことにして帰って来た。


フィッシャ・エルマンのタイース「瞑想」

時々吹雪く帰路は妻にも見てもらい冬鳥を探しながら帰った。雁も白鳥も見なかったがいつもの場所でアトリと雀、カシラダカが一緒の小さな群を見た。

車中から群を撮っているとタカが襲ってきた。群は無事だったがタカは残念そうだった。

襲撃に失敗して電線に止まるタカ。

寒さで丸くなっていたタカも
飛ぶと非常にスマート。

一瞬の晴れ間。

持ち帰ったほんの一部。

何か迷ったら氏ならどうするを想像したい。亡くなった後もまだお世話になっている。

再びの寒波 本当に年の割に元気なのか。

2025年2月4日(火曜日)

“寒波の予報で早めに来ました”
昨日からこんな風に仰る方が何人も来られました。テレビは本日から始まる大雪を予報し、再び「警報級」と繰り返しています。今冬このような予報を何度か聴きましたが、幸運にも問題無く過ぎました。しかしこの度は今までとレベルが違うようなので心配してます。

昼休みに近隣を走り、このところ目にしていない白鳥とハクガンを探しました。当地の北東部を一時間ほど回ったのですが目に止まったのは吉川区の電柱で休憩する雀の群だけでした。
雀は減り続ける野鳥と言われて久しく、このような群を目の当たりにするととてもほっとします。それにしても目的の鳥たちはいったい何処にいるのでしょう。

雪景色に変わったためでしょうか、
見慣れない場所を走りました。
この程度の雪ならとてもきれいです。

帰ってから二軒の在宅を回りました。最後のお宅を終わり雪中玄関から車へ走り出すと「先生は年の割りに元気だね」とご家族に声を掛けられました。本当にそうなら良いのですが。

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