空・海・気象

卯の花音楽祭 筆者のゴルフは時の運 新潟市への途中で。 

2013年6月23日(日曜日)

本日糸魚川カントリークラブでゴルフコンペだった。梅雨の晴れ間に恵まれたが51-53で残念ながら15人中11番だった。私のゴルフはもっぱら時の運だと思った。但し160ヤードのショートホールでニアピン賞が取れた。

参加賞とともに樹下美術館へ持ち帰り、閉館間際のスタッフと分け合った。

本日、東京から新潟市の老親の世話に通われる方が、ネットで当館を見たと云って寄ってくださった。ほくほく線へ乗り換えてのご来館、嬉しく思いました。
介護の合間に来館される方を時々お見受けします。お忙しい日常と想像されますが、当館ではゆっくり心休めてください。

013夕刻の美術館のデッキからの空。秋を思わせるいわし雲だった。

さて本日午後、大潟コミュニティープラザで「第11回 卯の花音楽祭 小山作之助をたたえて」が開かれた。盛りだくさんの内容だったと聞きに行った妻。特に上越教育大学の後藤丹(まこと)教授編曲の「夏は来ぬ」素晴らしく、アンコールになったと云う、お聞きしてみたかった。堀川正紀委員長はじめ運営委員の皆様のご努力に深く敬意を表します。

久しぶりの雨は慈雨となっただろうか。

2013年6月15日(土曜日)

待たれていた雨が一日中降った。

 

蜘蛛ケ池夕刻6時ころ、大潟区蜘蛛ケ池付近から山際にかかる雨雲。

四ツ屋浜夕刻7時過ぎ、四ツ屋浜からの海は茜色だった。

当地上越市大潟区の降り方は静かだった。はたして山間の水田、砂丘地の畑にとって慈雨となっただろうか。日没の西の空は茜に変わっていた。

憲法記念日は樹下美術館の花 そして夕刻。

2013年5月4日(土曜日)

昨日は憲法記念日の祝日だった。70年近くも日本が平和で、今日も自分が生きられているのは現憲法のおかげでもあろうと日頃感じている。

平和と個人の尊さを希求した現憲法は日本ばかりか、世界の宝物ではないだろうか。

その日に樹下美術館と裏手の田んぼのツバメ、そして渋柿浜漁港の半日の写真を掲載しました。

ノスミレスミレチゴユリチゴユリキバナホウチャウソウとスミレキバナホウチャクソウとスミレの一種丁字桜チョウジザクラデッキと田樹下美術館、夕暮れのデッキ。
わらを持ったツバメワラを運ぶツバメ。
マイズルソウマイズルソウスズランまだ開かぬスズランイチリンソウイチリンソウ(八重咲き)ベニシジミベニシジミ夕雲と樹下美術館夕暮れの樹下美術館。田のツバメ田を飛ぶツバメ。

堤防の人々夕暮れの上越市大潟区は渋柿浜の堤防。

176

夕日に染まる小屋。

猛烈な低気圧 一歩も出ない休日。

2013年4月7日(日曜日)

すでに何日も前から予報されていた猛烈な低気圧(爆弾低気圧)の一日。予報が強調され、こんなにぴったり当たるのはよほど際だった現象に違いない。

外出は控えてとも言われていたが、いまだ出来上がらない収蔵図録の表や挨拶の修正で一歩も外出しなかった。

 

午前11の食事ドードーと鳴る風に促され9:20に起床。すでに妻は柏崎市のお茶会に友人と出かけ、朝昼兼用の食事が用意されている。まるで病院食のようだがこれを11時に美味しく食べた。閉じこもりの一日、合計およそ500段の階段昇降だけは忘れずに行った。

 

13:07仕事上の書類にも追われたり色々忙しいが、爆弾低気圧と聞いて気象計も見なければならない。13時過ぎのバリゴ気象計の気圧は最低表示の980hPaに接して動かなくなっていた。一昨日午前の指標およそ1010hPaからすでに30以上下がっている。バリゴには970までは表示してほしいところ。

 

20:48気圧計の針は時計回りにゆっくり戻っていくが21時ころは992hPaでまだ相当に低い。ノートを書いている23時半でも995、戸などはガタガタ鳴っている。

 

全国の気象台・測候所のデータを見ると国内はまんべんなく大風に吹かれ、気圧は北ほど明確に低下している。弱まりながら北上する台風とは大違いの様相だ。ちなみに夕刻の高田と新潟はともに978hPa。新潟県も大いに吹かれていたことになる。確かに爆弾と呼ぶにふさわしい凶暴な気象であろう。

 

その大嵐のなか海岸線を走り茶会に行き無事帰宅してきた妻。閉じられていると思った樹下美術館は開いていて、数組の来館者さんがあったという。私が臆病なのか、皆様が勇敢なのか。少なくとも周囲は無事だったようでホッとさせてもらった。

昨日15日は7年目の開館でした。

2013年3月16日(土曜日)

冷えましたが昨日3月15日はよく晴れ、今年の樹下美術館が開館いたしました。
これまで3月1日の開館でしたが、毎年相当に雪が残り初日のお客様は数人ということもありました。
それに比して本日は雪もなく14名の方がお見えになり、樹下美術館としては好調なスタートと喜んでいます。

昼に寄りましたカフェで窓辺の春陽に当たる皆様の背中に笑顔を感じました。
お会いした方からは展示への好印象が聞けて喜んでいます。

同夜パソコンのインクを買いに外出しますと美しい星空。
9時過ぎの西方にオリオン座と冬の大三角、そして大六角が天上まででありありと見られました。
染み渡った星空は壮大で、開館まで続いた慌ただしさを忘れさせてくれました。

冬の大六角西の夜空に大きなダイアモンド、左下の灯は直江津です。

 今年も何卒よろしくお願い申し上げます。

夕刻、柿崎の海を歩けば  バレンタインお干菓子。

2013年2月14日(木曜日)

晴れ間が多かった日、休診の午後は柿崎の海へ行った。

 

シーグラス
シーグラスを拾って。

 

飛行機雲
夕刻、雲の切れ間に飛行機雲。

 

昨年3月下旬に新潟空港から福岡まで何十年振りにジェット機に乗った。その時の母の故郷を訪ねる一人旅は思い出深い。見上げた飛行機雲で旅が思い出された。

 

「お前も来たのかい」
私が死んだら天国の母はそう言いそうだと思った。シーグラスを拾おうとしゃがんだらメガネに涙が一つぶ落ちた。

 

天国の母は祖先達の食事の仕度に忙しそうにしている。

「これをお食べ」

ちゃぶ台にご飯と味噌汁、生卵と野沢菜が置かれていた。

 

死んだ親のことを考えるのは自分だけの自由時間。

 

バレンタインお干菓子
妻が茶の先生から頂いたお年玉である巳年のお茶碗。
それにまた頂き物のバレンタインのお干菓子を食べた。

 

薄茶に軽々した風味が新鮮だった。

とびきりの晴天。

2013年1月31日(木曜日)

今日で終わる1月、晴れ渡り暖かな一日だった。小春日和にちがいないが春よりも明るい感じがした。

階段仕事場の古い階段。気持ちのよい陽が差していた。

白鳥首まで田に顔を突っ込んでおそらく稲の根を食べている。かなり賑やか。

 ヘリコプタまだ遠いところにいたヘリコプターの音にマガンは一斉に飛び立った。
動じる気配の無いハクチョウに比べて雁は非常に神経質。

このヘリを見ておや?と思った。二枚羽は珍しいのでは。二枚羽ヘリの騒音はバタバタと独特で大きい。事実見えないほど遠くなのに、大きな音がはっきり聞こえてきた。現在、取材や救難、そしてドクターへりなどほとんどが四枚羽のようだ。

マガンの飛翔青空を飛翔するマガンは静か。

マガンの飛来間もなく一部が戻り始めた。

田
雪から顔を出した稲の切り株がすっかり乾いている。

上越市吉川区は長峰近くの田に数百羽のマガンと60~70羽のオオハクチョウがいた。人家の近くに多数の大型の野鳥が過ごしている。よい環境ではないだろうか。

2月になるとこのような素晴らしい晴れ間と出会うが、今年の春は早いのか。

寒気が一休みした夕刻。

2013年1月27日(日曜日)

寒波が去った日曜日、お天気だったが日中は留守番と宿題だった。

 

2月は節分寒波というのがあるが、しばらく寒気が緩むようことを予報が知らせている。

 

午後4時を過ぎた頃海へ向かった。

 

浜小屋
2008年2月に掲載した浜小屋はまだあるが随分傷んだ。今後どうなるのだろう。

 

夕焼けの海
山際に沈んでいた夕陽が毎日少しずつ海へ戻ってくる。 

いっときの吹雪 海辺の雪。

2013年1月18日(金曜日)

日中時折吹雪いた一日、しかし降雪は少なかった。ずっと除雪車の出動が無く本日夕方の積雪も10㎝に満たない程度で助かっている。1月も下旬となり暦の冬はあと半分。いつまでこの状態が続くか。

 

吹雪の庭昼間の大潟区の様子、フラッシュを点けて撮りました。

 

晴れ間の海
夕刻の海に晴れ間が見えて早い雲が通過する。

 

海と雪で言いますと、波が打ち寄せる付近に普段雪はありません。100メートルくらい離れた所でもまず大雪にはなりません。しかしドカ雪ともなると宅地で一晩に50~60㎝ということはあります。そんな時は波打ち際ぎりぎりまである程度の積雪があります。

 

冬期の積雪が少ないのは海温の影響で気温がいくぶん高めなことと、強風のせいだと思っています。

 

沿岸の雪は重く、小学生の時のスキーは傾斜地を真っ直ぐ滑って止まるだけでした。それが髙田の中学に入り、金谷山のスキー授業で級友達が回転するのを見て驚きました。中でも妙高市の級友の滑りは鮮やかで印象に残っています。

しものがえ 汽笛に涙。

2013年1月9日(水曜日)

連日雪の予報はあるが美術館の頸城区、仕事場の大潟区ともほとんど積雪がない。但し明日から寒波という話も聞こえる。

さて、一昨日は皆様からお聞きした話として、農家の忙しい冬を書かせていただきました。本日は知る方もいらっしゃると思いますが、「しものがえ」です。
初めて聞いた言葉しものがえは、お嫁さんをもらうと、今度は相手方の家にこちらからお嫁に行くことを指しています。一定の年月の間に二つの家の間でお嫁さんが往き来するのですね。

なるほど、一度親戚になっているので、互いの家の様子が分かっている。問題がなければ安心であり、他を探す手間が省ける利点?が考えられます。

 

“親戚が増えないことも良かったのです”とも聞きました。余計な親戚づきあいを省き、倹約にもなるということですね。
しものがえは戦後のある時期まで、珍しいことではなかったと云います。昔は子どもを沢山生みましたのでこんなことができたのですね。(様式はともかく、言い方は当地だけのものかもしれません)

ところで当院では、冬期の通院の厳しさを考えて慢性の方にはお薬を長めにお出ししてます。それでお正月が終わったばかりの今頃はかなりヒマなため、何かと皆様に昔のことをお聴きしています。次は今夕の方のお話です。

“15才で名古屋に女中奉公に行きました。たまに親から手紙が来ましたので風呂場で読みました。その時に汽笛が聞こえると帰りたくて涙がでました”

この方は私より7つ年上、奉公はさほど古い話ではないことも知りました。

潟町の海小生が撮った10代のころ(1950年代中頃)の上越市大潟区の広い海岸。

夢のような春の浜は浸食され、いくらお金を出してももう戻りません。

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