2011年1月6日

伝票や書類に描かれた倉石隆の素描自画像

2011年1月6日(木曜日)

今日は樹下美術館常設展示の画家倉石隆が戦後に描いた自画像を掲載しました。第二次大戦に応召された後、昭和20年、29才で郷里高田に復員してからの作品です。復員時、太平洋美術学校を卒業して6年が経っていました。  帰った本町5丁目の実家は衣料を商う洋品店でした。物資困窮する時代にあって、再上京までのおよそ5年間、倉石はさまざまな紙に描きました。多くは伝票や書類の裏が用いられ、表裏とも描かれたものもあります。樹下美術館は当時の貴重な素描100余点をお身内から託されています。  子どもたち、台所、風景などに混じって鏡の中の自分を描いたものが10点ほどありました。そのうち4点を掲載しました。優れたデッサン力を有していた倉石。復員後の閑居時代でしょうか、いてもたってもいられない若き画家の心境が伝わります。それに空腹も。

1 2
3 4

●当時までの倉石隆
1916年(大正5年)新潟県高田市(現上越市)に生まれる。
1933年(昭和8年)高田中学(現高田高等学校)を卒業後、上京。
1936年(昭和11年)太平洋美術学校に入学、1939年卒業。
1941年(昭和16年)画家を志して森永製菓の宣伝部を退職。
1942年(昭和17年)文部省美術展覧会(東京府美術館)に「台所」が入選。
1943年(昭和18年)高田に疎開後応召、看護兵として病院船に乗り組む。
1945年(昭和20年)敗戦により高田に復員。
1947年(昭和22年)新潟県立北城高等学校の美術教師を始める。
第一回前衛美術展に「行水」「粥をすする児」「燈火の家族」を出品。
1948年、自由美術家協会に入会。
1950年(昭和25年)再び上京。

以上の年譜は
「新潟市美術館企画展示図録 郷土作家シリーズ 倉石隆展」
編集:新潟市美術館 松沢寿重 発行:新潟市美術館©1995年9月14日

を参照しました。

2011年1月
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031  

▲ このページのTOPへ