奉公 その3:私は自分の名前が好きです。

2012年1月3日(火曜日)

年末からその1、その2と奉公のことを書かせていただいた。普段から、おばあさん達にはお生まれはどちらですかと尋ね、おじいさんには兵隊や杜氏に行きましたかなどと尋ねている。
お話を聞くとその方がぐんと近づくようで理解が深まる。また何かとウブな自分には視界が広がってためになる。

 

以前あるおばあさんに奉公をお尋ねした所、淡々と話されたのは以下のような事だった。

 

「私は山の生まれです。そこはイワナやカジカが獲れる良い所でした。ただ家では自分が生まれる前に5人も子どもが死んだようです。昔はよほど具合が悪くならないと医者にみせませんでしたし、医者のいる町も遠かったんです。

 

父によると、容態が悪るくなった子どもを背負って町まで歩いても、医者に着く前にみな背中で死んでしまったそうです。

 
ところで親戚に90才まで生きたクマという人がいたようでした。それで私が生まれると、もう死なないようにと父がクマという名前を付けたと聞きました。

 

私は父親に可愛がられたと思っています。雪が降ると父は学校まで背負って歩いてくれました。頭からツットをかぶせられ、父の背中にしがみついていたことを覚えています。

 

小学校を終えると奉公が話題になりました。親は反対しましたが、奉公に行った近所の人がみなきれいになって帰るので私も行ってみたいと思いました。東京へいきましたが、ひと冬で止めさせられました。言葉が悪く、オレオレなんて言ってたせいでしょう。

 

後に結婚すると夫は私の名前を嫌って、変えろと何度も言いました。でも変えませんでした。私はクマという名前が好きなんです」

 

以上切なくも胸打つ話でした。それにしても次々と背中で亡くなる子ども。親はどんなに悲しかったことでしょう。背負って医者まで歩くのは弱った子どもと過ごす最後の別れの時間なのでしょうか。あるいは助けられないことを詫びる道中だったかもしれません。

 

途中で家へと引き返す父の気持ちはいかばかりか、考えただけで胸が締め付けられます。

 

一家は30年近く前に町場へ越したといいます。来て良かったと何度も仰いました。今は昔の物語でとうに便利な車の社会になりました。

 

私はクマさんのお父さんが歩いた道を知っています。雪が消えたら行ってみようと思います。

 

タニウツギ

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