頸城野点景

大書されない場所の旅情。

2013年9月28日(土曜日)

上越市大潟区には「大潟パーキングエリア(PA)」があります。パーキングですので小規模ですが、案外多くの車が休憩しています。本日柿崎へ向かうのに入り、はじめてトイレを使いました。とてもきれいで、行き届いたもてなしの心を感じました。

またここにはETCの出入口(スマート・インターチェンジ:スマートIC)があります。大潟区、頸城区、吉川区の一部にはとても便利です。すぐ近くでほくほく線が高速道路上を通過します。特急「はくたか」の通過が見られ、非常に珍しい所ではないかと思います。

樹下美術館もここで降りますとおよそ10分ほどで到着します。降りてからJR土底浜駅の踏切を渡って国道8号線(R8)へ出て左折。直江津方面に走り、さいがた病院手前で左折です。その後電子工場を通過しますが、電柱看板どおりにお進みください、間もなくです。

大潟SA1大潟SASAのトイレきれいなトイレ。 大潟SA2SAそばを横切る特急はくたか。
ベビー対応赤ちゃん連れ対応トイレ。

以下、当ブログによく掲載していますささやかな旅情の場所から。今夕の四ツ屋浜とほくほ線が見える頸城区の写真です。

四ツ屋浜今夕大潟区四ツ屋浜の夕暮れを見る車。 四ツ屋浜2四ツ屋浜で撮る関東ナンバー車も。

夕暮れ電車今夕のほくほく線夕暮れ電車。ここも大潟スマートICを使いますととても便利です。
頸城区柳町新田手前を農道へ左折(農耕車の邪魔をしないでくださいね)。

地域には華々しく大書されなくとも旅情漂う所が沢山あります。看板も行政PRもない、自分たちだけの場所。何かの折りに諸処お訪ねしてみてください。

本日午後、横浜市←→長岡市の方達が遠回りして樹下美術館カフェへ寄って下さいました。三回目ということで感謝しています。また当ブログで紹介させて頂いたレストランへも足を伸ばしたということ。「上越には美味しい店がありますね」とは有り難いです。

樹下美術館も大書されない旅情の場所として旅のお役に立ちたいと思っています。

夕暮れと上越火力発電所。

2013年9月26日(木曜日)

肌寒く雨ふりの一日。秋とはいえ乾いていた庭が助かり、畑に恵みの雨だったと聞いた。

夕刻雨が上がり、美術館の帰り道で空が真っ赤に染まった。海へ急いだものの夕焼けのピークは途中で終わった。

薄明かりのなか、近くの渋柿浜漁港から見る上越火力発電所の明かりは鮮やかだった。

 

010

060三基の巨大なLNGタンクと150メートルの集合煙突、そして荒波は迫力。

当発電所は中部電力初の日本海側施設。南海トラフ地震やロシアからのガス輸入への備えもあるという。電力はお隣の長野県に供給されている。

来春には工事の全てを完了する模様だが、長年全国から多くの人たちが工事のために集まった。当院にも博多弁を話す人たちが通院してきた。

今日の雨から一転、明日は良く晴れるらしい。

昼のガラス栓 夜の名月。

2013年9月20日(金曜日)

昨日木曜日午後はいつもの休診。柿崎の海を40分ほど歩いた。海は先日の台風も知らぬげに穏やかで、沢山の砂利が上がっていた。シーグラスを期待したがやはり少なかった。すでに多くの人によって拾われている感じを受けた。

シーグラス幸運なことに、写真中央の緑色の先が丸いガラス栓のシーグラスが見つかった。
他のはこれまで集めたものの一部です。右には薄いブルーのガラス栓があります。
(コップに入れて水を注いでいます)

さて昨夜9月19日は旧暦8月15日で、十五夜の名月(仲秋の名月)の日に当たっていました。そして三年続きで暦どおり満月を迎えましたが、次にこのように暦と満月が一致するのは8年後ということです。

登り始めた月上越市は尾神岳の南側に昇った月。 大潟区渋柿浜から頸城区へ向かう道路から。

ところで、夕刻にお見えになった男性のお客様が、「今夜8時ころ、樹下美術館のデッキで月を観ていいでしょうか」とカフェで尋ねられたそうです。妻からそのことを電話で知らされました。

ご遠慮なく使ってください。それより私たちもご一緒するのはどうですか、と聞いてと言うと、是非というお返事。急遽ご一緒のお月見が決まりました。

お客様とは8時の約束。私たちは6時半から月明かりの下でお弁当を広げました。昇るに従ってますます明るさを増す月。

月と妻お弁当を終えて、デッキの妻とススキとお団子、そして月。

8時になると約束の男性が貴重な草団子を持参して現れました。40才ほどの背の高い男性とは初対面です。侍のように礼儀正しく振る舞われ、丁寧な挨拶をされました。何度か樹下美術館を訪ね、とても気に入っていると仰ったのです。

東京の写真学校を卒業後、広告の世界を経て父親の没後、故郷上越市へ戻られた人。現在設計に携わっておられるというこで、沢山四方山話をしました。私たちから無理に誘ってしまい、ご迷惑でなかったかなと思っています。

 三人で田んぼに昇る名月を惜しんだ一夜。氏とはお団子にお抹茶、番茶、コーヒーを一ご緒した。

お団子話を聞いたお茶をされる友人の奥様が、予め自宅用の月見団子を分けて下さった。
月明かりの下、軽い甘みとほのかな塩気は美味しかった。

さてオリンピックといい、次の十五夜満月といい、いずれも7ー8年先のことになる。それまで生きているかどうか、とは老人たちの話であり、71才の私の話でもある。

増々危うい年齢になっては健康への留意以外、将来に関してなすすべは無い。先日の後輩との食事、昨夜の初対面の男性との月見、、、。いつしかみな一期一会の真実味を帯びてきている。

お付き合いはある種厚かましさを禁じ得ません。ご無理を聞いていただき感謝しています。

雲の季節 頑張れ農業。

2013年9月6日(金曜日)

午後に樹下美術館でコーヒーを飲んだ。裏手の田んぼからどーどーとコンバインのエンジン音が聞こえている。大きな機械が何台も入って次々に刈っていた。毎年もち米の品種から始まるらしい。

農業は天候に大きく左右される。今年は春以来、冷温、乾燥、猛暑、大雨など何かと異常と言われ続けた。皆さんの規模は昔よりはるかに大きい。やり直しが効くとは思われないゆえ、心安まる暇が無かったことだろう。

それでも稲作は平年並みと報道された。あと少し穏便な気象が続くことを祈らずにはいられない。

 

涼しくなって雲の形が面白くなってきた。雲は自然現象なのに、見上げるだけで即、巨大なアートに変わる。昨日のように雨を降らせたり風まで吹かせる。自然は偉大だ。

 

昼の雲本日は変化に富んだ気持ちのよい雲。

コンバイン美術館に隣接する農道を行く大型のコンバイン。

いま燃料の高騰は馬鹿にならない。
安全、新鮮、美味、美観、 日本の風土の根幹を支える農業!
こんな立派な仕事はない、どうか粘って頑張ってください!
新潟県でも再び小麦への取り組みや、地熱利用の野菜栽培などが試みられていると聞いた。

柿崎海岸で九月の驟雨に遭う。

2013年9月5日(木曜日)

午後休診の夕刻、春以来となる柿崎の海を歩いた。シーグラスを探しながら歩いたが、いつしか「浜千鳥」をくちずさんでいる。ここでよく千鳥を見るのと、千鳥と母が重なるので柿崎にくると自然に出てしまう。

生前シーグラスを探して持ち帰るたびに、ベッドの母は青くてきれい、大きいね、などと興味を示した。色々こまごまと喋った人でも、最後はきれい、大きい、小さい、もう少し、お腹空いた、などとしか言わなくなる。最晩年は、そんな時間がいっそう貴重で有り難った。

 

今夕の柿崎は東の方角に当たる米山が雨雲に被われていた。雲は次第に低く広がりそこから強い風が吹いてくる。いつもとは逆、まさか竜巻などは来ないだろうが、帰りには土砂降りとなり最後は走って車に飛び乗った。

前歩き始めた頃、東北の方角は雨雲。

 

途中から帰り始めると、強い風とともに雲がこちらに広がってくる。

 

本降りへずぶぬれになって車に飛び乗った。

途中まで湿った風が気持ち良かったのですが。
ずぶ濡れで車のシートに座るのは気持ちが悪いですね。
シーグラスはほとんどありませんでした。

斑入りの桔梗 デッキのお茶 鵜の浜温泉の人魚像。

2013年8月3日(土曜日)

晴れ間が覗き暑くもなく過ごしやすい日でした。

まだ完成しない図録は作品数とページを10%ほど減らして身軽さを目指しているところです。最近ようやく来年5月予定の拙個展の下絵を描き始めました。

何事も集中出来るまで時間が掛かるのは年齢のせいだと思っています。一方で時間スピードだけ上がりますので、割り切りのようなものが必要なのでしょうか。

 

斑入り桔梗夕刻が近づいて美術館へ。随所の桔梗の中に一本、紫の斑が入った白桔梗がありました。

新品種というのではなく、何か脆弱因子が関係して起こったのでしょうか。せっかくですからいくつかの蕾も是非斑入りを咲かせてほしいと願っています。咲きましたらまたご報告致します。
追加:何年か前にもこのような花が咲きました。紫と白をかなり沢山植えていますので自然交配かもしれません。今年は種を採ってみます。

水田とお茶レ・ドゥさんのケーキを薄く切ってもらい、デッキでお茶を飲みました。
器は2002年の拙個展で皆様に珈琲をお出しした時に使ったリモージュのデミタスサイズ。
戸外のお茶に合っていると思いました。

 

トレーの青空カフェのトレーを丸型から取っ手の付いた四角いものへ変えてみています。
青空が写ってきれいでした。

 

人魚像今夕の上越市は鵜の浜温泉の人魚像。

きれいな夕焼けの海で人魚像が雰囲気を出していました。この像は陸を向いています。歓迎?の意味かなと思っていましたがやはり不自然ですね。本当は故郷の海を見たいのでは、と思いました。振り向くわけにも行かず、可哀想です。

手間を掛ければ環境に価値が生まれるのでは。

2013年7月30日(火曜日)

上越市大潟区はかって松林が広がり雑木も混じる清々とした環境に恵まれていました。

小学4年生の図画の時間に将来の夢を描く授業がありました。忘れもしません小生は松林に建つ病院を描きました。子ども心に地元の松林が大好きでした。

それがバイパスが通り、ゴルフ場が出来、高速道路が横断し、工場団地が造成され、ずたずたに寸断され、残りは荒れてしまいました。
時代の要請とはいえ何かを得るには必ず大切なものを失わなければならないものでしょうか。皮肉なことにゴルフ場が保全している林は、今となっては貴重に見えます。

ところで最近、ある在宅介護のお宅へ伺った際、お庭とその先の光景を拝見して目を見張らされました。あたり一帯は踏み込むのも気後れする荒れ気味の林です。その一角に人知れず木漏れ日射す小道が整えられていたのでした。

雑木林地面(林床)も樹木の根元も見えず密林化した林。

 

小道松、コナラ、ヤマナラシなどを選び下草を刈って〝環境〟らしい姿になっている。
日が射すため季節の花も咲くという。小道の先に小さな流れがあるらしい。

長年手間をかけて個人が整備されたようですが、このようなことは誰にでも出来るわけではありません。

行政施策は何かと見栄えのする建造物や賑わいを追求します。しかし地味なことですが、環境の復元によって地域に新たな価値が生まれることをこの小道が教えているようでした。

良い住環境は、日々の幸福感や子どもの成長に深くて密かな意義があろうと考えられます。行政は上ばかり見てないで、足下への視点も欠かさないでと、いつも思っています。

柿崎病院の貴重 頸北のこと。

2013年7月17日(水曜日)

筆者の地元は新潟県は上越市、地勢区分で頸北地域になります。平成の大合併によって13もの町村が旧上越市に編入されましたが、それまで柿崎町、吉川町、大潟町の三町エリアは頸北と呼ばれていました。

合併をしましたが、広大な上越市にあって生活圏、なかんずく医療の日常において頸北は歴然たる地域として生きています。なかでも柿崎病院は、高齢者医療および日常疾患における文字通りの砦として欠かせません。

昨夕、その柿崎病院さん主催によって「2013年度上越頸北臨床検討会」がありました。

今年の話題は肺炎実は結核、薬剤によるアレルギー性肺炎、COPDの評価法などでした。いずれも卑近かつ貴重なケースと知見を示して頂き、地域の開業医師を交えて沢山の質疑がありました。

柿崎病院は小規模な病院ですが、院長と医師たちはいっそう暖かく熱心。今後も重要な医療機関として維持発展を願って止みません。

 

頸北地域はおよそ雪少なく、開業医師同士は仲良く、高速道路のICとスマートICの直近などで、生活利便があります。さらに近年、直江津における中高一貫校の定着と同校への比較的近距離によって、以前より進路の選択肢が拡大しました。さらに柿崎区と吉川区の中山間地域は貴重な特性の維持に、都会交流にと頑張っています。

〝頸北もいいかな〟

地元の一人としていつもそう思っています。

 

以下のPhotoは頸北三区の一部です。

IMG_1584柿崎区の上下浜の雲。

IMG_0549吉川区は悠然たる尾神岳。

IMG_5611夕焼けの大潟区は鵜の浜温泉。

 

そしてお隣の〝頸城区と樹下美術館〟これからも宜しくお願い致します。

「花の高田」展 「春日山城から福島城、そして高田城」展。

2013年7月14日(日曜日)

本日午後高田へ行き、先ず上越市立総合博物館で開催中の企画展「花の高田」と同館常設の小林古径を観た。

その後咲き始めたお壕の蓮を見て、上越市埋蔵文化財センターで春日山城から高田城まで、それぞれの城跡に関係した埋蔵文化財の展示を観てきた。

1上越市立総合博物館3お壕の蓮5センター企画展の染め付け皿 2図録・花の高田と清らかな美4センターの珠洲焼の壺(常設展示品)6センター企画展のオランダ染め付け皿

博物館の企画展は来年の高田開府400年にちなんでいる。福島城から移り高田城で開府(1614年)して400年。伊達政宗、上杉景勝、前田利常、真田信之など東北、北陸、信越の有力な外様大名によって行われた築城普請がわずか4ヶ月だったことにまず驚かされる。

さらに展示で示される高田藩が経た有為転変は江戸時代では当たり前だったのか、あまりの激しさに恐れを禁じ得なかった。繰り返される藩の盛衰に対して民はどうだったのだろうか。このたびの視点とは違うかもしれないが、気になった。
開府300年の大がかりな祝祭行事も興味深かった。賑わいの写真に写る少年たちは、生きていれば110才前後、はや誰も居ないことだろう。当時赤ちゃんであれば元気な人がいるかもしれない。

さて埋蔵文化財センターは初めてだった。開催中の企画展は同じく高田開府400年にちなんでいる。
実は新聞で紹介されていた城跡埋蔵の台所用品、主として出土した食器を観たくて、まず高田行きを決めた。

江戸期の城内に於いて用いられた唐津と伊万里の肥前もの、および美濃の人気。多くは破片であっても、今と変わらぬ、あるいはそれ以上の好みとレベルの高さは想像以上だった。
悲喜こもごもの日常における食事。人々はどんな思いで器を手にし、箸を運んだのだろう。オランダの染め付けまであり、愛された遺物は人々の手と口と心を伝え、その生々しさは一種独特だった。

小林古径、夕食のびんのかけら、帰りに寄ったフランス菓子のレ・ドゥーのことは明日掲載したいと思います。わずか半日の旧上越市でしたが、色々観てとても長く感じました。

猛暑の日の大きな木 地下水の散水蛇口が付いた。

2013年7月11日(木曜日)

暑い日には大きな木が涼しく見える。
午後仕事休みの本日、樹下美術館へ行った。美術館まわりで目に付く木を撮ってみた。

 

ヤマナラシ「さいがた病院」の門のそばにヤマナラシ。風が吹くと葉がサラサラと鳴る。
ポプラに似ているが、すっきりしている。大潟一帯の雑木林にしばしば見られたが今は少ない。

 

ハンノキ(株)信越半導体のハンノキ。樹下美術館のデッキから東に見える。
当館庭の南にも数本ある。これも一帯の名残となる自然木であろう。

 

ネムノキ美術館の東に借りている駐車場に異常に背の高いネムノキ。
当初、松や雑木に囲まれて育ったゆえ、細く上へと伸びたと思われる。

 

赤松樹下美術館のシンボル赤松の大木。
立派であるがポンポンを持って踊っているおばさんの様でもあり、
古いディズニー漫画を思い出させる。
(カメラを地上すれすれにしましたので、手前のトクサが竹のように写っています。)

 

蛇口熱暑の水不足を心配して散水蛇口を新設してもらった。
(消雪用の地下水ポンプから水を引いています。)

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