食・飲・茶・器
苗の植栽、庭で採れたたもの、弟の豚肉。
良く晴れ、暑いと言うほどでもなく気持ち良い日が続いている。そんな土曜日桜は満開で美術館はほどよくお客様に来館して頂いていてありり難いことと感謝に堪えない。
本日閉館後、もう1本の啓翁桜と一冬仮植えしていたレモンの苗を植えた。
場所はいずれも庭の西奥、雑木林風(手抜きぎみ)の一角にした。庭に色々植えて30年、何かと肥料のやり過ぎを反省し昨今は単純な用土を心掛けている。
この年になって木の苗を植えるとは無謀と思われても仕方が無い。何とか美しく育ち後年も可愛がって貰えるよう願っているというのが「言い訳」。
所で数日前、仕事場のキンカンが黄色くなっていた。若い枝をアゲハ蝶に食べられ続け、中々大きくなれなかったのがようやく事情を越えて沢山実をつけるようになった。数日前、実を採り食べたところ中々美味しい。
閉館まぎわ、裏のベンチ脇に生えているタラの芽を採った。背の高い木の芽は堅くこれからか。
以下は宮城県で豚を育てている弟から買っている肉の料理です。
マッシュルームポテト、野菜、
ガーリックライスが尽きました。
毎日雑多な記事で申し分けありません。しばらく良いお天気が続くようです。
相手をしてくれるジョウビタキ ミニ親子丼。
本日4月1日はエイプリルフール。吹いていた風は少々寒かったが日射しもあって、まあまあのお天気だった。
午後カフェに寄ると柏崎の方がお二人見えていた。小村峠の難工事にご主人が携わった方と高名なお茶人のもとで稽古を積まれる方。柏崎には庚申塔や社寺に親しみを覚えるのでお話は興味深かった。
その方たちが「先ほどからきれいな小鳥がよく来ますよ」と仰る。
ジョウビタキにちがいない。
車にカメラを取りに行き庭に出ると、南の木立にいた。
赤味の強いオスはチョンチョンと尾を上下するたび、あるいは飛び立つたびにオレンジ色の羽がきらめく。何枚か撮ったところでモニターを見るとカードが入ってない。
昔から私には良くあることで初めてでは無い。電車、鳥、夕焼けetc、気がついた時は非常に残だが忘れるようにしている。
車に予備のカードがあるので取りに行き、再度探すと居たのはメスだった。オスより地味だが可愛い。
不思議な事にジョウビタキは10メートルもあるような高い枝にはまず止まらない。もっと低い、例えば私達の背丈か、せいぜい数メートルの所を好む。追ってみると同じような高さに止まり、あまつさえ地面にも下りる。
さらに面白いのは人の気配の方に向くことが多いことで、案外近距離も平気なため写真を撮るのに重宝する。今後日射しの良い時は出来るだけカフェに出て、オスが撮れることを期待したい。
明日も晴れ間がみられるようです。かって学生時代、帰省すると親たちは天気予報ばかり観ていた。何が面白いのかと思っていたが、今や自分も完全にそうなっている。それを不自然とも思わず、時には悪天候を愚痴りながら喜んでいる。
本日は特養から離れた1日目。もう相談の電話が無いと思うと有り難い。反面引き継がれたDrには申し分け無い気持を払拭できない。安穏な日が多い事を願うばかりだ。
館内のノートから スマホのレンズ機能 クリスマスローズ。
コロナが5類になった昨年からカフェなどで再開しました感想ノート。時々ハングルで書かれる方がいましたが、読めずにいました。
ところがスタッフの一人がスマホのレンズアプリを用いて一瞬にして日本語訳が画面に現れるの見てびっくりしました。
その機能は私のスマホにもあり、試したところちゃんと出るではありませんか。
知らなかったのは私だけ、英語は勿論ハングル、中国語はじめイボなどという知らない言葉も入れて100数10の言語が可能らしく今後楽しみにしたいと思いました。
“美味しくいただきました。またお姉さんと一緒に来たいです。有り難うございました。”と書かれているようでした。
例年半年ごとにノートに残された文をまとめてホームページ「お声」欄に掲載させて頂いていますが、時に応じて本欄にも書かせて頂いています。
以下最近のメモから一部を掲載させて頂きました。
●妻のご機嫌取りに来ました。すてきな時間でとても心地良かったです。また来ます。
●↑いいですね。ほっこりします。冬が終わり、オープンするのを楽しみにしていました。雨でもすてき。音楽も店員さんも優しく良い時間を過ごせました。最近はつらいことばかりで、父、21年一緒にいた愛猫がいなくなってしまって。でも前向きに自分で自分の機嫌をとらなきゃ。なので、ここの存在に感謝します。ありがとうございます。
●とても心地良い空間でした!東京にも出店して下さい。特に南大沢をススメます。
●私はカレーを食べたぞ!カレーが美味しすぎた。またカレーを食べに来たいと思います。
お客様同士の反応、辛いときの訪問、好評なカレーetc。そして東京出店希望にはびっくりでした。
開館2週間ですが、上掲ほかノートも好調のようです。今後もどうか宜しくお願い申し上げます。
樹下美術館のカフェでドライカレーが新たなメニューになった。
本日も寒く午後車が示していた気温は6度だった。
ところで今年からカフェのメニューにドライカレーが入った。開館後4日経って8食の注文があったという。今まで軽食はパン類なのでお米メニューは初めて。宜しければお試しになってみてください。
ピクルスと野菜サラダそしてポットの珈琲また紅茶がつくセットで1200円です。
以下はメニュー表に掲載されたドライカレー。
本日はまた非常に寒かった。
近隣の雑木林の向こうの大きな雲。強風下でさまざまに姿を変えていた。何かプロレスラーのような表情です。
庭を巡ると風は強く頬が痛いほどだった。
明日午後から寒波が到来し一時雪が降りそうな予報。この予報は2週間も前からずっと出ていて、恐らくその通りになるのだろう。
天気予報はかなり先まで当たるのでとても感心させられる。悪天が予想される明後日は春分の日の祝日で初ゴルフを予約していた。本日申し分けないけれどキャンセルにさせてもらった。
2024年が開館 近隣の新しいフレンチで夕食。
本日2024年の開館日、風強かったが晴れて温かい初日になった。昨年12月16日以来の冬期休館、歳月は一段と早く、宿題も残しながら出発となった。
30人ほどのお客様は例年以上の初日。展示は面白く楽しいと言って頂き、カフェでは新顔のドライカレーもオーダーされた。
お客様とともに本年も無事過ぎるよう祈るような一日だった。午後仕事のためお会い出来なかったお客様、今年もどうか宜しくお願い致します。
開館に向けて何かと忙しかった妻と上下浜の「フォーブル」で食事した。今年1月、海が見える場所に開店したカジュアルなフレンチで、新鮮な食材が創意工夫され五感に美味しい夕食を堪能した。
久し振りにメインの魚、肉をこなしデザートまで年を忘れて美味しく食べた。潟町の仕事場から車ですぐの場所。地域が美味しくなるのは幸せなことだと思う。
本日2024年樹下美術館のスタート、皆さまには本年もどうか宜しくお願い申し上げます
小学校の地域学習をされたKさんから。
先日大潟区土底浜のKさんが小学校の地域学習で大潟と棟方志功についてお話された。その折樹下美術館収蔵の棟方作品「米大舟頌」をお貸ししました。昨日無事終わりました、と返しにこられました。
一緒に頂いた当日の資料は1.棟方志功の紹介、2.昭和35年に大潟町小学校文化祭で棟方志功版業展が開催されたこと、3.郷土の芸能「米大舟」を見るため昭和25年大潟町渋柿浜「専念寺」さんに泊まられたこと、4.専念寺で志功が米山の絵を描いたこと、5.海岸を地域のファンと散歩したこと、6.志功が海岸を走り、同行していた写真家濱谷浩氏がその姿を撮影したこと、6.戦後大潟町土底浜に直木賞作家小山いと子さんが疎開されていて、棟方が表紙を担当していたこと、など分かりやすく図入りで作成されていました。
頂いた資料によると、米大舟頌が掲載されている東方出版の書物には“昭和34年ニューヨークのロックフェラー財団に招かれた際この作品を名刺代わりに使用した”旨書かれていました。
なお大潟海岸を走る志功の写真は、青森市の棟方志功記念館入り口に掲げられているということです。
丁寧なK氏は御礼と言って風呂敷を下さいました。風呂敷は、「棟方志功作 龍胆(りんどう)柵 版画風呂敷 光徳寺」と書かれた箱に収められていました。
棟方志功は先の大戦で昭和20年から26年まで足かけ7年、東京を離れ富山県福光町(現南栃市)の光徳寺へ疎開しています。躅飛山(ちょくひさん)高徳寺とその地を気に入り小庵「鯉雨画齋りうがさい」を建てて居住し、福光時代と呼ばれる貴重な期間を過ごしました。
風呂敷にはお気に入りの桑山と光徳寺が描かれ和歌がしたためられていました。
桑山も躅飛の院も秋ならむその裾やまの龍胆(りんどう)咲けるや
この和歌は「桑山も」の題で歌になり南砺市で歌われているようです。
それにしても昭和35年、大潟町小学校文化祭に棟方志功展が催され、22点の版画、4点のヤマト絵、3点の色紙、6点のふすま絵と屏風絵ほか書籍、色紙や手紙類など多数が出品されたことに驚かされます。大潟から直江津にかけて熱心なファンが大勢おられ、昔の方が地域に豊かな文化があったと言われれば今や一言も無く、何か申し訳ない気がします。
一方学校で懸命に児童に地域の話をされるKさんに頭が下がります。
さて話変わって食べ物です。以前から肉無しニンニク無しの餃子をネットで探していました。すると先日見つかって注文。昨夜早速頂きました。このような餃子は昭和30年代に母がよく造り、未だにそれ以上の餃子は無いと思っている次第です。
素朴で美味しかった餃子。
台湾産でした。
少々焼き過ぎでした。
髙松の讃岐うどんもそうでしたが、美味しさの要素に「素朴」が挙げられないでしょうか。“体に馴染む美味しさ”という感じですが、如何でしょう。
やはりそうだったのか、その2ピーナッツ?
一昨日のこと、珍しく家に殻付きのピーナッツ(落花生)がやってきた。粒が大きくからからと乾いている感じは食欲をそそられる。午後遅くパチンパチンとやりながら7,8個食べた。
当日夜遅くまでかけて倉石隆の告知資料やブログを上げると落花生のバチンバチン、カリカリを思いだした。五つ六つだと思うが手にとって美味し口にし、しばらくして寝仕度の後就寝した。
順調な睡眠だったが、早朝4時ころお腹がシクシク痛みはじめ目が覚めた。痛みは臍を中心にあちこちに来る。引っ張るように、縮むように、ツンツンシクシクと絶え間ない。
ゆっくりだが痛みは強さを増す気配。時に息をこらえなければならなこともあり、額にうっすら汗が滲んだ。
吐き気も無ければ下痢の気配も無くただ痛む。我慢しながら過去に似たことがあったか思いだしてみるが思い当たらない。
もっとも嫌なことだがイレウスが始まるのか?だが時々腸からググッという音が聞こえ、お腹のどこにも張りやガスの溜まりを思わせるものが無い。
一体何だろう?トイレへ行ってみる。入り口の鏡に映った自分は顔色を失い真っ青になっている。普通の便が普通に出たが冷や汗が止まず、急に立つと倒れそうなので万事ゆっくり動作した。
カサカサと唇が乾いているのでベッドサイドのポットから二杯の湯を飲み、念のため胃薬と整腸剤を飲んだ。3、40分するとほんの僅か薄らぐ気配だが痛みは続き、寝返りを繰り返すものの寝つくことは出来ない。
すると腸のある部分に食べたピーナッツがこなれずに塊としてじっと残り、腸が必至にあれこれ動いて消化を試みているのが映像の如く浮かんだ。さらにその辺りが薄赤くなり炎症を帯びているイメージも。
ピーナッツ?
再び胃薬と整腸剤と湯を飲んだ。しくしく痛みは続き、ついに西念寺さんの朝の鐘が鳴って6時になった。
そして7時になり、起きた妻に「腹痛のためあの方たちとの昼食は一緒出来ない」と告げた。当日昼、お二人の友人と食事の約束があった。
それから眠気に襲われ、昼近くに「行ってくるけど大丈夫?」と妻に訊かれ、大丈夫、行ってきてと返事をした。随分良くなっているのが分かりまた眠った。
目が覚めると午後3時を過ぎており、帰宅した妻に起こされた。花束が差し出され二人からのお見舞い、ということだった。
痛みはすっかり無くなり全く普通に戻り、夕食は粥を食べた。
恐縮至極のお花、バラ、デルフィニュウム、
カーネーション、アルストロメリア、、、。
本当に申し分けありませんでした。
さて調べてみるとピーナッツは優れた食べ物だが消化に時間がかかり、時に食べ過ぎなどで消化不良を起こし腹痛や嘔吐下痢を生じることがあると載っていた。
こともあろうに妻は「かってある検査を受けた時、寝る前のピーナッツは避けるように、と医師にいわれたことがある」と言った。
詳らかな証拠は無いが一件は「やはりピーナッツ」だったようだ。せっかくの約束と祝日を寝て過ごしてしまい、年も考えて厳に気を付けなければと反省の一日だった。今回痛みが主だったのは幸い軽症で済んだせいかもしれない。
誕生日の追加 週末の鳥 2月とは。
2月1日が誕生日で、はや4日目です。自分の事をいつも老人とか高齢者と書くのはモヤモヤしますし、第一誕生日を記しながら何才と記さないのも失礼なようででもあります。それで恥ずかしさもあり以後何度も申しませんが、お陰様で82才になりました。
この先は、いくら先人の通った道といえ私にとっては全てが初体験(これまでもそうですが)。弱気を口にしたらキリがありませんので、出来れば年のことは知らぬ振りをしながら生活し、出来るだけブログも続けたいと考えています。
さて蝋梅に触れました1月24日には「冬本番のさ中」と記しました。それから10日、この週末は寒かったのですが日が伸び、かつ高くなるのが感じられ、外に出ると僅かながら春の気配を感じました。
このところ沢山飛来しているはずのハクガンに中々お目に掛かれません。
一昨日土曜日午後は柿崎、吉川、大潟、頸城の各区から三和まで観て回りましたが、主にコハクチョウとマガン、ヒシクイを見るだけでした。
上掲の場所に次々と雁が舞い降りたが期待したハクガンは一羽も現れなかった。一体何所にいるのやら。
オオバンはカラス、カワウと並び黒い鳥の代表ではないでしょうか。僅かな尻尾とくちばしの上に白い額板という部分があるのが愛嬌です。枯れ草の下に生えているらしい若草を食べているようでした。
本日午後しばらく陽が射しました。
先ほど2019年から毎年2月のブログをざっと目を通してみました。
2月は日射しが強くなること、クリスマスローズが咲くこと、思わぬ雪が降ることなどがよく見られていました。
また2020年2月に、新潟県で初めてコロナ感染者が出たと記されていました。
先の事が全く理解できずあたふたと過ごした当時を懐かしく感じました。ただ5年目に入りましたが相変わらず集団的な発生は止んではいません。
この数年ハクガンを沢山見るのも2月でした。今期はこれまで最大の群が来ているようなので期待したいと思います。
いつしか今年の開館までもう少しとなり、毎年緊張する時期です。近いうちに今年の展示予定を掲載致しますのでどうか宜しくお願い申し上げます。
今夜うどんを食べて思う。
本日の夕食は天ぷらうどんで鉄鍋で熱くして出されました。
乾麺を湯がいたので後口に僅かに粉っぽさが残るのは仕方ありませんが、タレが美味しく胃腸にも優しく有り難いことでした。
それにしても思い出すのは高松の夕ご飯の「讃岐うどん」です。
ただのうどんと言ってしまえばそれまでですが、何故心に残ったかを述べるのは少々難しいかも知れません。
長い長い伝統、混じりけの無さ、ひたすら重ねられた競争と研究の味、、。そのようなことがひと口ごとに感じられすっかり感激したという訳です。
もう少し加えるなら、知る限り「黒うどん」や「赤うどん」あるいは「豚骨うどん」などは無くひたすら白一色。バリエーションが比較的限定されている潔さもありました。
食事時、低血糖気味というのも消化吸収の良い讃岐うどんには打って付けだったかもしれません。また入店後あれこれと選ぶ必要もなくただ「うどん」を食べれば良いという直線的なポジションも希有な事だったと思います。
話変わりますが、ひたすら手入れ良く美しい「松」と「石垣」を見せる「玉藻公園」にも似たような感慨を覚えました。
最後ですが、色々と手を出したがる自分は、「讃岐うどん」や玉藻公園の「松」と「石垣」のように対象を絞って取り組まれている高松の清々しさに心打たれた、というのが本日のテーマだったようです。
季節などにも左右されない安定した魅力ということでしょうか。
1月3日夕刻と4日午前の高松市、美しい松と命の讃岐うどん。
遅々として進まぬ正月旅行記ですが1月3日午後遅く、直島から四国へ、ようやく後半の高松市に入った。雨でしたが傘をさすほどでもなく助かりました。港、駅、主なホテルがほぼ一地区にまとまっていて、交通の利便が計られていました。
高松港の2本のモニュメント。2010年に開催された瀬戸内国際芸術祭に設置された大巻伸嗣氏の作品。その後2022年の瀬戸内芸術祭を経て長く高松港のシンボルになっている。
JRホテルクレメント高松の部屋から見た高松駅方面。大都会だと思いました。反対側、ホテルの裏手は港です。
香川、高松といえば何といっても讃岐うどん。夕刻駅で明日の列車マリンライナーの切符を買い、ホテルで傘を借りてうどんを食べるべく街へ出ました。
食べ物屋さんがある繁華街のアーケードはすぐ近くと聞いたのですが、中々着きません。今や健常な層と異なり年寄りの足は距離や時間が違うのでしょう。傘を開いたり閉じたり、幾つも街角を曲がってようやく店を見つけました。
お願いしたうどんは熱々の桶に入り、海鮮が効いた甘めのタレも器ごと熱々でした。
妻には内緒でしたが、入店して座ると何故か頭がぼーっとして上手く気が回らない感じがしていました。三日間毎日1万歩は歩き、当日もすでにそれを越えていました。
昼を抜いているのですから、低血糖気味だったのかもしれません。慌てずにまず熱いつゆを口にし、ゆっくりうどんを噛みしめながら食べました。
ああ讃岐うどんは大学病院時代、専門店が近かったのでどれだけ食べたかわかりません。こちらに来て足かけ49年、久し振りのうどん、それも正真正銘、本場の讃岐うどんです。持ち上げてみる非常に長くてずっしり重く、滑らかさ、湯がき方、熱さ、風味、分量、申し分ありません。
立派なことに桶などに入れてある。ゆっくり食べ始めると間もなく頭がしっかり働き出しました。高松の夜歩き疲れて食べた讃岐うどんは生涯忘れられない事でしょう。
地元の家族さんらしき方達も皆うどんですし、出がけにお金持ちそうな黒づくめの外人さんご夫婦が嬉しそうに入ってきました。
さて翌4日、昨日とは打って変わり気持ち良く晴れました。朝早くからホテルのすぐ近く高松城跡(玉藻城跡)である玉藻公園に行きました。玉藻は万葉集で柿本人磨が讃岐の国の枕言葉に 「玉藻よし」と詠んだことに因み、一帯が玉藻の浦と呼ばれたことによるそうです。
自分が世話になった大学病院の前に渋い木工椅子テーブルの喫茶「玉藻」がありました。懐かしい店ですがエプロンをした粋な主は高松の人だったのでしょうか。く
高松という都市名の由来が良くわかりました。南陽に映えて生き生きとした松でいっぱいの公園。実際正月早々、松の手入れに勤しむ職人さんたちを見ました。
石垣も美しく三方海に囲まれていたという城跡はブラタモリで観ていました。海水を取り入れた構造で、いまなお海とともに生きている城という雰囲気があり、歩くと元気が出ました。
桜御門。戦前国宝指定の前夜、空襲によって焼失。令和4年に再建されている。
入り口両側の積み石は見事で現代的な造形そのもの。いにしえの人々が有した美的センスは現代と遜色無いレベルではなかったかと思いました。自然や建造物と調和させる、という点で言えばなおさらです。、
園内の一角でみたソテツ。温かいところだとこんなに葉が茂り幹が太くなるのかと驚きました。
琴電が忙しく往き来していました。
その琴電に乗って高松市立美術館へ。駅で降りると晴れ着を着たワンちゃんと出会いました。忘れるところでしたが、お正月だったのですね。
美術館ロビー。
現代絵画と香合の展示を観て館内のカフェで一休み。
昼が近づき高松駅へ。
この年になってようやく出会った瀬戸大橋と特急列車。およそ10㎞にわたって瀬戸内海の島々を繋ぐひと時は壮快でした。
一昨年でしたか、一種興奮とともに読んだ村上春樹の「海辺のカフカ」。登場人物達はそれぞれの因縁に導かれ次々と高松へとやってきます。
主人公がたどり着いた高松市のクラシカルな図書館は、作者の若き日に親しんだ西宮市のものだったことは知っていました。しかし一種神秘的な空気を漂わす小説ゆかりの場所に淡く期待していましたが、図書館は勿論深いジャングルのような森と寂しい農村などを探す時間はありませんでした。
僅かな滞在でしたが、陸海が一体化した交通、美しく健康な松と立派な石垣の城跡・玉藻公園、そして讃岐うどん!四国高松はそれで十分でした。
学生時代と大学病院の医局時代、13年間をともにしたNは高知の人でした。若き日、休みになると宇高連絡船と急行など10時間も掛けて東京・高知を往き来したと聞いていました。
今回お洒落なフェリーでしたが、昭和30年代中頃~40年代の高松市や宇高連絡船はどんなだったのでしょう。元気なら色々話したかったNは一昨年亡くなり、気がつくと寂しくなります。
- 花頭窓、二十三夜塔、庚申塔、社寺
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- 春雨とは遠い冷たい雨 齋藤三郎作品の展示準備。
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