食・飲・茶・器

庭の井戸をもう一本追加 夏の食卓。

2025年7月27日(日曜日)

暑いというのにも疲れてしまったほどの暑さ。上越市一帯は渇水に見舞われています。樹下美術館の庭は毎日水を欲しがっていますが水道水はいっそう貴重になりました。
現在庭には一カ所、地下水のくみ上げポンプがありますが、もう一本庭の下の方に井戸を掘ることにした。一帯は数メートル掘れば水が出ますので期待しているところです。鉄分がやや多いようだが庭の水は大いに助かる予定。

以下はそんな日の食卓写真です。

頂き物の戸隠のトウモロコシ。
甘く柔らかで美味しかった。

 

野菜のスープ。
辛みがあり飲みやすい。
野菜はよく噛んで。

豆の玄米カレー。
上掲三枚は昨夜の食卓。
美術館ではサフランライスでお出ししてます。

本日の朝食。トマト、フルーツ、小さな焼きサバ、
ブルーベリーとヨーグルト、卵と野菜の炒め物、
それに五穀米ご飯です。
全体にやや多すぎると感じています。
朝夕、一日二食が基本です。

 

樹下美術館のカフェにある丸テーブルにスケッチブック大小二冊が置かれています。お若い方を中心に今年も沢山描いてもらっています。明日からおよそ30部を3回に分けて掲載しようと考えています。楽しい雰囲気が伝わる皆さんの絵をご覧ください。

南の庭の花 今夕の食事。

2025年7月23日(水曜日)

南の庭の一角はスズラン、アヤメ、アスチルベ、オカトラノオ、リアトリスと進み、この場所最後の花ミソハギになりました。ミソハギの事を当地では「盆花」と言いますね。

同じ場所ですがそれぞれの花には全満足というわけには行かなかったことでしょう。花たちは陽当たり、湿り気、土の肥え方などそれぞれ好みがあるのですからお互い妥協しながら頑張ったように見えるのです。

花を付けはじめた「ミソハギ」。
それぞれに“ありがとう”と言いたい。

ミソハギのことは当地で「盆花(ぼんばな)」と言いますね。4,50年前のこと、お盆が近づくと山間の女性がこの花束を自転車に乗せて売りに来ていました。まだお盆ではないのですが、もう咲き始めるのはきっと温暖化のせいでしょう。花も困っているに違いありません。

ミゾハギは近隣の湖沼の端、浅いところや陸地の境界などに咲いています。樹下美術館はネットで取った苗が増えました。

頂き物も混じった温野菜。
これをタレにつけて食べました。

キュウリやミョウガなどのスープ

早々の暑さは畑にも酷です。先日来られた女性は野菜の周りに何カ所も指を押し込み穴を造ってから水を遣ると言ってました。そのままだと水は地面に浮いたまま滲み込まないからと言うのです。私は思わずこの方の手を握りたくなりました。

夕食後は先日の茶室開きのお土産のお菓子をこれもお土産の菓子楊枝を使って食べました。

週間天気予報の図はずらりと真っ赤な太陽が並んだまま。運動のため出来れば朝夕など短時間でも外出を試みたいところです。

土用丑の日の庭 蜘蛛が池 期日前投票 ウナギ。

2025年7月19日(土曜日)

当地も梅雨が空けたと報じられる本日土曜日は今年の丑の日。北陸三県とともに当地の気温も35℃近くあり暑かった。一般に梅雨開け十日という言葉ものがあり向こう10日ほど晴天が続くらしい。晴天とあるが酷暑であろうし農家さんの水田や畑、不肖私には庭が心配。

そんな日の写真を以下に並べました。

熱心に庭の写真を撮っておられたお客さま。
とても姿勢の良い方でした。

この花を撮られたのでしょうか。
黄金オニユリですね。

庭の入り口の赤のカノコユリ。
急に咲いてきました。

雑草「スズメのカタビラ」を克服して
芝生がきれいになりました。

旧知の方とお会いした後大潟区は長崎地区から入って鵜の池に行きました。県立大潟水と森公園の対岸を走ることが出来ます。砂利道の片側は田圃ですのでお訪ねの際は砂埃を立てぬようそーと走って下さい。

鵜の池の水の引き込み口。
一帯の渇水が心配されますが、まだ満々でした。

ツバメが沢山飛んでいました。

 

お目当てのチョウトンボ。

夕方期日前投票に行きました。大勢の来場者さんに出会いました。戦中生まれの私は生きてきた通りの信条に従い心広く、理想や平和を尊びそうな人を思って投票してきました。

投票所で合った妻が今夜はウナギにしましょうか、とこちらが思っていたことを言いましたので、以下の夕食になりました。

宮崎県の国産だそうです。
ちょっぴりのご飯が見えません。

冷えた漬け物。

 

冷や奴。

茶室開きに招かれて。

2025年7月17日(木曜日)

本日昼、かねて茶室開きに招かれていたお宅を訪ねました。
蹲いを使い、にじり口を入るや茶の別世界が待っていました。茶室は三畳台目で神代杉の名木があしらわれています。
決まり事の中に個性を反映させ、茶室を作るのは茶人の夢。あるじご夫婦の創意工夫と長年の念願が詰まったお部屋は詫び寂びとともに暖かな愛情こもる空間でした。

蹲(つくばい)。

 

紫野(大徳寺のこと)雪窓の筆で
「壺」一文字のお軸。

茶味あふれるお道具。


気持ちの良い畳の香に包まれ、ほどよく湧く釜の湯音を聴きながら建立までの逸話を聴き、美味しいお菓子と濃茶、そして薄茶を頂きました。ご主人夫妻とお二人の相客に混じり、私達も和気藹々のひと時を過ごさせて頂きました。

頂いたお昼の美味しかったこと。

あるじご夫妻、お心入れのお支度は大変だったことでしょう。存分に楽しませて頂きました。どうかお疲れ残りませぬようご自愛なさって下さい。本日のお茶はきっと長く心に残ることでしょう。貴重なひと時を本当に有り難うございました。

頂いて帰った菓子楊枝。
材として用いた古竹で作られました。
良い記念です。

「健康で長生き」。単純ですが幸福の要素であることを噛みしめたひと時でした。

ゑしんの里茶会が終わった。

2025年7月14日(月曜日)

昨日懸案の(不安の)席持ち、ゑしんの里茶会が終了しました。一席25人を7席行う茶会。大寄せの席持ちから長く遠ざかっていましたが、今更ながら茶会(お茶)は私にとっては厳しい修行の場だったと反省仕切りです。

昨日の搬入と会場下見、予行演習を終え本番の本日は早朝起床。着物に着替え慌ただしく出発。会場ではお水屋の仕度、花の整え、釜の火加減などが一斉に始まっていました。

催事ホールの楽屋のような場所が水屋。そんな環境でも場数を踏まれた宗香先生お社中が仕度を終え、始まりに向けて着々と準備が進みました。

第一席が始まり皆さまの反応に手応えを感じました。しかるにお点前をしながらお客様の対応は難しく、後のお点前を宗香社中の方々にお助け頂き、亭主として点前座脇に座り専らお話をさせて頂きました。

現代もののお道具が色々と混じる席。一番喜んでいたのはお道具ではなかったでしょうか。

本日は懐かしいギンヤンマが沢山飛び交いキセキレイが窓際までやってきました。良い環境の会場です。

雲間から妙高山。
用いた淡々齋の茶杓の銘が「千峰」でした。

待合に掛けた『梁塵秘抄」の冒頭。昭和の終わり頃新潟市で求めた高橋玄洋さんの掛け軸。当時梁塵秘抄はちょっとしたブームだったような気がします。「仏はつねにいませども云々」も「遊びをせんとや生まれけむ云々」ともによく目にしていました。

直江津のお茶人A先生に懐かしい、良い軸でした、と褒めて頂きました。

本席の「独聴松風」は坐忘斎お家元の筆。
香合は懐かしい当県・新井野正直さんの
「かわせみ香合」。

このたび茶会の肝は水屋であることをあらためて実感させられました。9人が組んで、25人前後のお客様のために夏菓子を三つずつ6~7個の器に盛り次々に運び出す。大勢のお客さまのために一斉に茶碗を洗い湯を通し、茶を盛る、湯を注ぐ、茶筅を振って点てる、点てた茶を運ぶ。本日、これが7回繰り返されました。

ほかにお客様の移動を観察したり、私以外だれ一人ぼーっとしている人は居ません。進行に精出しながら次の仕事も仕度する。万事心得たベテランさえここに貼り付いたままです。さらにお点前が回ってくると若手が飛び出して行く。一体何という動きでしょう、久し振りの大寄せの水屋は話に聞く寺修行を目の当たりにするようでした。

お社中の心こもったお点前も大変参考になりました。どれだけ活かせるか不明ですが兎に角勉強になったのです。

宗香先生、お社中の皆さま、本当に有り難うございました。
また茶会の亭主冥利とは自らの数々の反省にほかならないようです。

最後に別席の長野からお運びの田中祐翠先生のお席に座りました。ゑしんの里に相応しい野点趣向でした。
先生のご健康な姿、お詠みになった短歌、仏具をあしらった重厚ななお道具に感心し、きびきびと進められる複雑なお点前やお運びをされたお弟子さんの様子も心に残りました。

このところもたつく私の周辺で絶えず動き回った妻にあらためて感謝を禁じ得ません。
最後に暑い日なかお越しのお客様がた、本当に有り難うございました。

これからが夏本番、日をまたいでしまいました。

暑い昼、会場の「ゑしんの里記念館」へ下見に。

2025年7月7日(月曜日)

来たる13日の「ゑしんの里茶会」まで1週間を切りました。茶会の客として何度かゑしんの里記念館を訪れたことはありますが、自分がお点前をするのは初めて。
本日午後会場の下見に主催のフカミ美術さん、お手伝いを頂くTさん、そして妻の4人で同記念館へ出向きました。

呈茶の会場は同館のホールで、昨年ここで紅茶点前という作法による茶を初めて飲みました。丁寧な所作と華やかなお道具および美しい花など会場のあしらいのもと美味しい紅茶を飲みました。

今年は有沢宗香先生お社中の支援をいただきながら樹下美術館が薄茶席を担当。7回の席のうち小生が1,2と6席目のお点前を、有沢社中のお弟子さん方に4回の席をお願いすることになりました。

ほどよい採光と照明のホール。

広いホールをパーティションで区切り待合と本席に用いる予定です。点前座や置き床などのレイアウトのほか各出入り口や水屋を確認した後、暑さしのぎにレストランでかき氷を食べてから帰りました。

深見さん、Tさん、暑い昼にお付き合い頂き本当に有り難うございました。夕刻仕事の後、本日も美術館で繰り返し練習をしました。もっともっとやらなければと思っています。

妻は何かと忙しいので夕食は「とくっと」で外食。キャベツとアンチョビのパスタを食べました。美味しいスープに加えキャベツの柔らかさと味の染みこみに驚きました。
本日は髙田で32℃、最高湿度は61,7%と高く余計に暑く感じました。

長年折々に助けて頂いている宗香先生はじめお社中の皆さまには感謝に堪えません。

野イチゴの赤い実 「ゑしんの里茶会」。

2025年7月4日(金曜日)

2025年7月は4日となり、本日午前から当地も暑く上越市髙田の最高気温が33,7度に達しました。全国各地で35℃代の所もみられ早くも真夏を思わせる空です。

それでもやや涼し目の昨日午後、近隣の道路脇で野イチゴが沢山実っている所を見つけました。大粒というわけではありませんが、黄みどり色の葉っぱの中でニコニコしているような赤い実は大変可愛く写りました。

賑やかな野イチゴ。

その実から形の良いものを選んでポケットに入れて持ち帰ります。

樹下美術館のカフェでアイスクリームを頼み、洗ったイチゴを乗せました。種が大きいのですがそれを噛むのも楽しい時間でした。

さて今月13日(日曜日)はゑしんの里記念館で、午前9時30分からフカミ美術主催の「ゑしんの里茶会」が7席の予定で行われます。座敷席は長野県から石州流の田中祐翠先生の薄茶で、立礼ホールは恥ずかしながら私が薄茶点前をすることになっています。

 

茶席券は、そば処いたくら亭の手打ちそばの点心付きでお一人さま5500円です。

 

御園棚(みそのだな)の設え

大寄せでのお点前は2015年の新潟市以来です。妻に見てもらいながら予習をしていますが迷う所もありますので練習の張り合いがあります。当日は有沢宗香先生お社中の支援を頂きながらの7席です。
傍らに涼しげな広い芝生や水面を構える「ゑしんの里記念館」へ、お暇を見てお運び頂けましたら真に有り難く存じます。
午後のお席にまだ余裕があるようです。お問い合わせは以下へどうぞ。
・フカミ美術 025ー523-1815 ・樹下美術館 025-530-4155 

36度にも届く暑さ アゲハと庭と薄茶で落ち着く。

2025年6月22日(日曜日)

朝から暑かった6月22日。6月からこんな暑さでいいのでしょうか、上越市髙田では35,9度もあり、鼻から頭に上るような不快な暑さでした。

そんな日潟町の仕事場の柑橘にアゲハが産卵していました。

求めた日がかなりばらついていたせいでしょうか、ラベンダーは花が咲いているものから終わったものまでバラバラです。一年を過ごした後来年はもう少し花期が揃うのを期待しています。正面に二カ所真っ白なカシワバアジサイが盛りになりました。

そんな日、拙茶室で今月二回目の薄茶の茶会がありました。柏崎市お客さま3人、大潟のお一人で4名様の席にご一緒しました。

柏崎のお茶人方。お客振りがとてもしっくり。
和敬清談、座り姿が良くて
小津安二郎の映画のよう。

床は大亀和尚の円相。花は信楽の作家さんの筒花入れに、ヤハズススキ、アジザイ、オカトラノオ、カワラナデシコが入りました。南の庭で増えたオカトラノオが元気に咲きはじめました。

重い感じの暑さでしたが、軽やかなアゲハの産卵、緑の庭、そしてお抹茶を飲むと気持がすーとしました。

5月28日BSN、土曜昼の番組「なじラテ」の取材を受け昨日放映されました。私はともかく妻の対応が自然で、上手に編集されていました。放映後人が多く来ると言われていましたが、本日の樹下美術館はいつもと変わり無く過ぎました。
土浦からのお客様、熱心に観て頂き有り難うございました。

フカミ美術主催、須坂市のお茶会へ。

2025年6月1日(日曜日)

本日6月1日、当地はポツポツ降り私が好きな清々しい6月の空ではなかった。
そんな本日我が県のお隣、北長野は須坂市で上越市のフカミ美術主催「緑陰茶会」があった。10時20分からの席に伺うべく車で髙田インターから信越道で向かった。

濃茶席に続いて薄茶席に伺った。お濃茶席(井上宗皋先生)は普願寺、お薄席(最上宗裕先生)は田中本家博物館だった。お互いの会場は隣り合っている。

主催「フカミ美術」のパンフレット。

 

普願寺の参道。

 

田中本家博物館入り口。

濃茶席の待合に掛かった「月にほととぎす」の絵、薄茶席の「瓢絵賛」とも時節や禅味が清々しい一幅だった。
本席の不味公および大徳寺大順和尚筆の掛け軸は難解だったが、ご亭主の説明により心に響いた。

お道具類の趣向や由緒に席主さんのもてなしの気持がこもり美味しいお茶を飲むことができた。両席がともに富士釜だったのもどこかで席主さん同士の心が通い合ったものと思われ心温まった。

以下はお濃茶席で拝見した床のあしらい。

お濃茶席の床。

不味公の筆による軸「無位真人出入面門」は臨済録からの出典ということ、難しい言葉だった。
“人間(自我)はただの肉だが、その中に真の人(仏)がいて様々な経験によってはじめて成長あるいは仏に近づく”という意味らしい。
未熟な自我(肉切れ)のまま生きることの愚かしさを戒めているのではないかと思われ、身につまされる。

二席を回ると早くもお昼になり、きれいで美味しいお弁当をほおばった。

点心(お昼弁当)席から見た庭。

田中本家博物館行きは三回目になった。館の流れは山国信州らしく淀みがなく澄んだ水音で心が洗われる。
高速道路を使って一時間少々の須坂市。しかし蔵通りの景観、路傍の流れ、郊外のリンゴ畑や葡萄畑の果実園は旅情が漂い、訪ねるたびに来て良かったと実感する。

出かける時はぽつぽつと降り県境ではかなり濃い霧に見舞われた。しかし帰りはそれも晴れ、清々しい信州行きになった。

小林古径記念美術館での呈茶 蘇った小山作之助のひ孫、故中島幸子さんのヴァイオリン。

2025年5月25日(日曜日)

昨日お知らせした小林古径記念美術館の古径邸画室に於ける呈茶が無事終了しました。小生の話後、お運びによる二席の呈茶は両席とも同じ様にお入り頂き大変喜んでいます。

茶会でレコードを掛けるのは知る限り初めて。どんな結果になるのか想像が付きませんでした。しかしお聞きした限り概ねご好評を頂きました。
ご家族でクラシック畑に関係され、オーケストラでチェロを弾く方がおられるお客様からはとても感動した、と直接耳にいたしました。
また一席目は呈茶時にレコードを切りましたが二席目ではそのまま掛け続けて、と仰って頂き最後まで皆さまと聴きました。

小山作之助の亡きひこ孫、大潟区生まれザルツブルグに渡った中島幸子さんのレコード。凱旋公演における東京フィルとのヴァイオリンコンチェルトはモーツアルト3番でした。演奏は力強くも爽やかに歌い、45年前の幸子さんが生き生きと蘇るようでした。

帰路作之助の「夏は来ぬ」を口ずさみながら田植えが始まった水田の道を走りました。小雨が降ったり止んだりの道に花が見え、良いひとときだったことを感謝しながら帰りました。

 

山の端に雨の八重雲ひき退きて越の田面に水光るらむ

 

 

 

小雨模様のなかお集まり頂いたお客さま方、水屋をお手伝い下さった有沢宗香先生社中の皆さま、主催のフカミ美術さま、ご親切にして頂いた小林古径記念美術館さま、大変お世話になり深く感謝しております。

本人は謙遜していましたが同級生、一嶽君の「喫茶去」はとても良かったです。

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