明け暮れ 我が家 お出かけ

男子112年、女子116年ぶりというオリンピックのゴルフ。

2016年8月19日(金曜日)

連日暑さだがまだ先も続くらしい。
オリンピックは後半になって女子ゴルフが行われるようにな
った。

開催地はほぼ12時間の時差なので夜7時過ぎからのスター
トがテレビで放映されている。

4日間の競技で本日は三日目、日本の大山、野村の二選手
が健闘しているが、若い野村選手が上位に行きそうな勢いが
ある。

ゴルフ競技はプレーは真剣だが静かで、風景も美しいので
一種のんびりテレビを見ることが出来る。

初日からおよそを見ているが、以下のような事が興味深かった。

●時々南大西洋という海岸が写るが、ふだん映像などではほ
とんど目にしない海域であり、遠い地への旅情をかき立てられ
る。

1
↑オリンピックのために新設されたコースであり、終了後は一
般に開放され、アカデミーを創設しゴルフ振興に寄与する予
定だという(手前が塩水湖、向こうが南大西洋らしい)。

 

●選手達のコスチュームが全体に地味であるがシックでもあり、
また国柄が反映されていて興味深い。

4
↑華やかさよりもセンス強調というユニフォームが多い。
日本選手のはややぱっとしなかった。

2
↑フェアウェイの大山選手。

●世界の上位ランカーとともに何百番台という下位ランカー
が一緒。
年令では10代から40代という幅広い選手が共にプレーする。
ワンプレーずつでは、上位も下位も年令もプレーに差が見ら
れず、さすがだと思う。

5
↑モデルでありゴルフ雑誌の編集者でもあるというロシア
の選手。
帽子はユニフォームに入らないのだろうか。

●通常の4日間競技では当初二日が予選ラウンド、そこ
で一定ライン以下の選手がカットされるがオリンピックは
全員4日間競技する。
ワンプレーで差が無くとも4日間(一日およそ4時間競技
する)では、最終日が近づくにつれ、世界ランカーが上位
に並ぶと思われる。

●通常のツアーには無い34カ国という多くの参加だった
が、アメリカツアー同様、アジア系の選手が活躍しそうだ。

●男子選手はジカ熱や治安を懸念して出場辞退者が目
に付いた。
女子は、マイナーなゴルフを盛り上げたい、四年ごとの
貴重さへの自覚などから、辞退者がほとんど見られなか
ったようだ。

●静かで、長い集中力が必要な熱い競技、ゴルフ。
男子の日本選手は駄目だったが、明日女子最終日を楽
しみにしたい。

釜蓋遺跡の出土品を見る 巡業中の力士と会う。

2016年8月7日(日曜日)

昨年3月に開業した北陸新幹線の新駅「上越妙高」
周辺の関連工事における2005年の調査時、弥生
時代~古墳時代の大規模な遺跡、遺構が発見され、
2008年度の国史跡に指定された。

遺跡は埋め戻されているが案内施設(ガイダンス)
に出土品や説明物が展示されている。
上越妙高駅の目の前であるが訪れたことが無く、本日
お近くの方の案内で念願が叶った。

どんなものでも身近なものは詳しく見たくなるし、
知り合いの音楽や絵画などに特有の親しみを
感じるのは自然であろう。

展示物は決して多く無かったが照明がほどよく、
土器類の質感や文様が良く見え興味深かった。

 

2
↑展示の弥生土器から明るい印象を受ける。
縄文土器のおどろおどろしさ、須恵器の暗さ
からみると単純だが、当時の生活感も伝わる。

端正な器には一部でロクロ技術が用い
られていたのかと思うほどのものがある。
九州から始まったとされるクシ目模様もしっかり
施され、文化度の高さも十分ではないだろうか。

今後も周辺の発掘は続けられるが、いっそう
ダイナミックな展示が期待されるし、市県とも
もっともっとこの方面への注力を望みたい。

 

3
↑口作りにへらで模様を点けている。
肩の線も滑らかで美しい。

 

4
↑5,6本の歯からなるクシ目で波形に模様を点けてある。

 

5
↑10数本の細い歯のクシで円周に沿って複数ケ所模様を
施している。
ロクロが無かったとすると、一人で器を回して彫ったか、
もう一人の回す人と共同作業で櫛目を付けたのか。

 

6
↑何重もの同心円を重複させて描いている。
クシを使ってコンパス式に回して彫り模様を付けたようにも
思われるが、フリーハンドで同心円を彫ったようにも見える。

 

7
↑体験学習あるいは同好者が作成した弥生土器。
説明者が「どうやっても出土する土器のように薄
く作ることが出来ない」と仰った。
生活者の探求と技術は簡単に追従を許さない。

展示室にさらに南に下った吹上(ふきあげ)遺跡
で多く出土したヒスイの装身具が展示されていた。

ヒスイは日本海の糸魚川から、黒曜石は長野県
から運ばれたのであろう。

物物交換の原始経済であれば、当遺跡が属す
る妙高市の斐f太(ひだ)遺跡群の一つとして、当時ど
んな品(産物)が当地の交易材料だったのだろう。
主たるものは米だったにしても。

遺跡はいずれも山裾の扇状地に見られている。
低地の関川流域では洪水ばかりで稲作どころでは
なく、比較的高い土地の方が安定した農耕が出来たの
かもしれない。

弥生時代は争いが多かったとも言われるが、本日
見た土器の明るい生活感から、裕福では無かった
かもしれないが、平和な場所だったのではと思った。

さて本日上越市リージョンプラザで大相撲上越
妙高場所があり、ある力士にお会いした。

1
終了直後にお会いした篠原関。
三段目全勝優勝の経歴を有し、
現在幕下で頑張っていらっしゃる。

学生時代に体操、テニス、ゴルフなどで極めて高
い身体能力を有し優れた成績を残した先輩がいた。

その先輩(医師)と仲良くされている篠原関。
このたび是非合ってみてと先輩から電話があった。

「結び」が終わった広い会場で主催の方にお
尋ねすると、清々しい笑顔で出て来てくださった。
ご挨拶をして一緒に写真を撮らせていただいた。
柔軟で賢そうな力士だった。

大相撲が楽しみになった。

 

何事も先ずは暑いと言ってから。 

2016年8月4日(木曜日)

緑影ますます濃くセミ鳴き栄え暑気天地に注ぐ
いつしか田に雀も見えて稲穂が膨らむ

連日暑ければ 人やや股開いて歩き、
ようやくクーラーに逃げ込めば年寄りは寒いと言う

暑いと言って来られた方に展覧会が良かったから、
行ってご覧なさい、と色々勧められる

私は暑気に当たり過ぎて4,5日風邪をひいた
鼻水と鼻声は隠しようがなく、お大事にと言われ、
恥ずかしかったが、ようやく楽になった

誰言うとも無く何事も暑いと言ってことが始まり
ついに盆がやって来て暑い暑いで集い合う
なだれ込みへたり込みながらおよそ実家は忙しい

 

IMG_5384

鬼平犯科帳一家。 

2016年7月26日(火曜日)

雨が待たれる、と書いてみたら昨日本日と雨降りとなっ
た。
特に今日は終日の雨で時には強く降った。

他所は分からないが、すくなくとも当上越地域で一定の
貯水が進むことを期待したい。

ところで昨日午後、宮城県の弟夫婦が二人の娘を連れ
てやって来て本日昼帰った。
養豚、養鶏を生業としている一家の生活は長年慎まし
く、ラジオは聞くが新聞取らず、テレビはあるが番組は
見ずDVDだけかける,というものだ。
これは忙しいのと、騒々しさやお節介が嫌いなためな
のだろう。

彼は外国人のステイを引き受け、代わりに営農の手伝
いをして貰うことを続けている。
過日、そのことで某大手テレビのワイド番組の取材を受
け、放映の時にワイドショウ-というものをついでに見た
らしい。
多くが芸能や政治のゴシップネタだったのか、内容につ
いて何て馬鹿馬鹿しいと嘆いていた。

その家族が長く楽しんでいるのがDVDだ。
以前は「パイレーツ・オブ・カリビアン」のシリーズだった
が、それが終わった今は中村吉右衛門主演の「鬼平犯
科帳」になったようだ。

昨日皆して寿司を食べに行った所、店に入るなり一同
「クッ、クッ、クッ」と口をふさいで笑いをこらえている。
どうやら初めて見る寿司屋の親方の顔が登場人物の
一人にそっくりだったらしい。

これで火が付いてしまい、品が出るたび、何かを回した
り、頼むたび、まして親方が来ようものなら大盛り上がり
で、「ちょいとお尋ねしやすが」、「まっぴらご免だよ」など
と、状況に応じて誰かが咄嗟の役になりきり、随所で「鬼
平犯科帳」が展開された。

そして帰りの代行の車中、下の姪が江戸時代が一番好
きということで、祖先が記した天誅事件の事を私が話す
と、それまで黙っていた運転手さんが「面白い話ですね」
と言った。
「運転手さんは何時代が好きですか」
「江戸時代です」
「ええー、じゃどんな番組が好きですか」と誰かが聞く。
「鬼平犯科帳です」
まさかの一言に一同ぎゃっとなり、眠っている人も起きた。
家が近づくと、
「その先を右に曲がってくんねえ」
「合点だ」
「おっとそんな先まで行っちゃいけねえ」
「へーい」
などと言いながら到着した。

あくまで慎重にハンドルを握った運転手さんのセリフは
短かっかったが、どこかで演劇をやっていたのではと
思うほど声が良く、セリフもうまかった。

「ちきしょうめ、あいつに一本取られちまった」と、家に帰っ
て弟が言った。

 

IMG_5074
お寿司やさんで、昨年東京の高校へ進学した姉は自分
で作ったというワンピースを着ている。

中2の妹は黒澤明監督が好き、と言った。

夏、疲れを知らないこども。

2016年7月17日(日曜日)

雨模様の午前が昼になる頃晴れてきた。
一番小さな孫が来ていて近くの鵜の浜温泉海水浴場へ一緒
に行った。

知り合いの浜茶屋「みやこや」(海の家)でラーメンやおでん
などをゆっくり食べてから三才の孫は日本海初デビューとな
った。

初めは波に怯えて、帰ると言っていたが根気良い親が時間
を掛けて馴らすと、浮き輪無しで波に向かって行くようになっ
た。

IMG_4932
鵜の浜は多少深めだが楽しみながら海の泳ぎを覚える事が出
来る。
監視所のアナウンスも適切だった。

さてこどもというのは本当にアクティブだ。
海から帰って昼寝をすると夕食前のひと時はダンス。
家にある卓上型蓄音機で1940年代のレコードを掛けてみた。

 

IMG_4997
ベニー・グッドマン クインテットの「世界は日の出を待っている」が
回っている。

 


ユーチューブに同じレコード演奏がありました。

 

非常に早いテンポですが一生懸命腰を振って踊ります。
そのあとフリッツ・クライスラーのヴァイオリンでベートーベン
のクロイツェルソナタ第三楽章を掛けました。

 


やはりユーチューブにあった同じ盤の演奏です。
テンポに合わせてご機嫌でした。

“疲れを知らない子供のように”
はシクラメンのかほりの歌詞でしたね。

新潟市で6年ぶりの母校同窓会。

2016年7月9日(土曜日)

午後から母校の新潟支部総会に参加した。
毎年行われているが、私は6年ぶりの参加だった。
曇天の空が新潟市へ付く頃は晴れ間を見せるようになった。
午後3:30から総会、母校教授による有益な講演そして懇
親会と続いた。

開始までのわずかな時間、信濃川の堤を歩いた。

 

1
やはり新潟市では船を見たいし撮りたいが、時間がなくここで引き返した。

 

2
↑母校のオリジナルプレミアムワイン、赤白(2009年限定もの)。
学校がワインを有しているなど珍しいかもしれない。
昔から一種ユニークな大学だったが、オリジナルワインとはびっくりし
た。
学生寮が山梨県にあったためワインのほかオリジナルミネラルウオー
ターもある。

6年降りの参加だったが、一昨年大臣表彰を受けたというので記念
品を頂いた。

3
↑新潟市夕刻の風景、やはり都会だ。
次第に遠い街になったが、その分訪ねると懐かしさがこみ上げる。

懇親で何かと気遣ってくれる馴染みの後輩、颯爽として利発そうな
若い医師たち、健康な超先輩達、みな嬉しかった。
なにより来賓の学長および同窓会長の報告から休み無く発展を続
ける母校の内実を知り、心奮い立たせられた。

写真はいずれもコンデジ(キャノンパワーショット30Xでした)。

本日の学校保健委員会 大潟町小学校のオリジナル朝食本 昔の我が家の食事。

2016年6月23日(木曜日)

本日午後私の小学校母校、大潟町小学校で学校保健委員会
があった。
学校、PTA,区事務所保健師、同管理栄養士、学校医で構成
された22人の委員会だった。

学校、PTA主導でタイムリーなテーマが取り上げられるが、
生活習慣は例年共通する。

前段で健診結果、食生活、体力テストが報告され、後半は朝食
の課題がグループ毎に話し合われた。
食事は何度でも、繰り返すほど意義が深まるテーマだ。

朝の迎え方、メニューのバターン化と工夫、量、前夜の問題まで、
短時間のうち集中してにこまやかに話合われた。

最後に私の総括があったので、夜間(睡眠中)に実は消化と代謝
の活動が極めて活発に行われていること(副交感神経の活動)を
話させてもらい、関連づけて朝食の意義と要点を述べさせても
らった。

以下は本日頂いた今年3月に刊行された同校オリジナルの冊子。


IMG_4297

「大潟町小学校オリジナル 我が家のおすすめ朝ごはんレシピ」
著者・大潟街小学校、協力・同校PTA,同校後援会。
印刷・第一印刷所 全27ページの労作美本。

IMG_4295
朝ごはんはいいこといっぱい! 朝ごはんで、やる気スイッチオン!で
始まり、キャッチも内容もとても良い。

IMG_4296
定番メニューからバリエーションまで15人の提供者のレシピ
をもとに9人の作成協力隊が再現し、教師が撮影、メモや栄養
教諭のアドバイスなどが付く。

伝えたいことを伝えるには、本気か否かが最も肝心であろう。
形だけ整えトライしてみました、では伝わらないし残らない。

よくぞ完成させたと驚かされた冊子から熱心さが伝わり、手に
取ると幸せな気持ちがした。

 

ちなみに同校の潟町村小学校時代、わが家の朝食はカユと菜っ
葉と味噌汁。
昭和20年代、貧しかったせいもあるが、およそ絶対的権力者の
祖母に合わせた食事であり、小学校なかばのころまで、弁当はメ
ザシと漬け物ばかりだった。
私自身、当時の食事を旨いと思った記憶は皆無、食いしん坊の
弟はいつもカンカンだったことを覚えている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本日はせいぜい20℃前後で、大変寒かった。

まことに美味しい熊本のスイカ。

2016年6月13日(月曜日)

昨夜から今朝にかけて本降りとなり、新潟県でも梅雨入り
が報じられた
畑をされている人たちから良い降り、と評判だった。

 

IMG_3870
益々色冴えるアジサイ。

そんな本日熊本からスイカが届いた。
熊本地震で、同じ部活を送った先輩が市内で被災されていた。
電話の際、「米が足りない」という思いがけない一言で当地の
お米を送らせてもらった。
本日のスイカはそのお礼だった。

 

IMG_3872
熊本県は日本一のスイカ生産高を誇っていることを知った。

 

IMG_3892
一身に南国の豊かさを現している。

 

さっそく冷やして夕食後にいただいた。
部屋中に香が漂い、上品な甘みで実にさっぱりしている。
何きれも食べたが次々後を引いた。
立ち直りに向かう南国の期待と気合いが伝わる品だった。

 

IMG_3893
医療と福祉部門に携わる皆様が手を振っている礼状。
建物の補修はこれからということですが、まことに美味
しいスイカを本当に有り難うございました。

大潟かっぱ祭 編み笠の米大舟。

2016年6月4日(土曜日)

当地に長く伝わる踊りに「米大舟(べいだいしゅう)」が
ある。
子供の頃の祭の夜、神社で輪踊りが行われていた。
この踊りも歌も好きで小学生のころよく見に行った。

哀愁の曲調を剽軽にを踊るオジさんがいて、お腹をか
かえて笑いながらその人に付いて回ったことがあった。

翌日、その人の踊りのこともあるが、真似をしながら
ついて歩いた私も可笑しかった、と人に言われた。

ところで昨日から明日まで上越市大潟区で「大潟
かっぱ祭
」が開かれていて本日午後、米大舟が踊
られた。
以前から昔ながらの編み笠をかぶる踊りを是非見
たいと思っていたところ、今年実現した。

 

1

 

2

 

3

 

4

 

5
ゆっくりとゆっくりと踊られる「米大舟」

 

IMG_3059

 

6
ああ懐かしい、今年は編み笠を被って踊った。
笠は踊りに専念出来るし、姿も動きもきれいに見える。

 

7
八社五社(やしゃごしゃ)を踊る人達も集合。
昔から地域によって八社五社が踊られている。

 

8
甚句風の八社五社、とても上手だった。

 

10
周囲は木陰の松林。

 

11
ダンスのリハーサル。

 

9
とても賑わっていた。

米大舟や八社五社でいえば、何百年前と同じようにするのは本
当にすばらしい。

それだけの価値を有していることと、伝える人と観る人も価値を
分かっていることで余計に素晴らしく思われる。

四度目の蜘蛛ケ池道(瑞天寺-十二神社) 独立自知 馬鹿野郎大居士という墓碑銘。

2016年5月1日(日曜日)

樹下美術館の近くに大潟スマートインターがあり、周
辺は雑木林に囲まれている。
その林の中に小径があり、十二神社から三つの鳥居を
経てほくほく線高架橋をくぐり、蜘蛛ケ池は瑞天寺へ
とジグザクに続いている。

昨年10月に偶然この道を見つけ、神仏をつなぐ静け
さと路傍の草花が気に入り何度か歩いた。
2015年10月22日

2916年1月3日

2016年4月17日

本日来館されたご夫婦は過去のブログで道に興味を持
たれ、急遽「行って見ましょうか」ということでご一緒した。
私が知らないことを教えてもらったり新たな発見もあり楽
しかった。
このたび勝手に蜘蛛ケ池道と呼んでみることにした。

 

車を停めて
↑車を降りて上ってきた道を振り返る。

十二神社
↑短い坂を上ってすぐ左に十二神社(この写真は本年正月です)

径
↑本日一段と緑深くなった道。
草刈りなどは蜘蛛ケ池集落の方達がされていると聞いた。

2
↑道中両脇のアマドコロは清潔感あふれる。

4
↑白く泡立つごとく咲いていたハナウドの群生。

3
↑ニホンタンポポ(ほかではおおかた西洋タンポポということですが、
この道のはみなニホンタンポポらしい)

5
↑開花が楽しみな立派なアザミ。

9
↑由緒ある観音堂が建つ瑞天寺に出る。

6
↑瑞天寺裏山の墓所にある笠原家の墓。
大傷みしていて非常にもったいない。

7
↑墓所にある笠原大川の墓碑(勝海舟筆による「大川笠原
君墓碑銘」の八文字(昭和63年発行大潟町史を参考)。

6b
↑墓所の小高い山に点々と三十三観音像。

6c
↑お気に入りの一体。

10
↑蜘蛛ケ池山から見る頸城野の水田。

8
↑驚かされた「独立 自知 馬鹿野郎大居士」と記された
墓碑。
瑞天寺の墓地は檀家衆の非常に立派な墓が多い。
その中の一つで、安政五年の年号があった。
自ら名乗ったものか、残された人の命名なのか。
どんな人だったのだろう、独立自知の言葉はとても
良い。
いずれにしてもこれ以上無い謙遜?の墓碑であろう。

 

11
↑笠原家墓地の入り口にあった二基の灯籠のうちの一基。
寄進者の名の中に曾祖父貞蔵(嘉永3年11月28日生まれ、
嘉永3年→1850年)の名があった。
貞蔵の父玄作は笠原大川(だいせん)の弟子の一人であり、
大川に勧められて医師になっている。
(玄作の娘トヨは小山作之助の母です)

本日はご一緒した方のお陰でニホンタンポポ、馬鹿野郎
大居士の墓、曾祖父の彫り銘など興味深い発見をさせて
もらった。
500メートルほどの短い小径だがいつもなにかしら楽し
める。
途中ほくほく線高架橋の真下を抜け、頭上を電車が通った。

百合の群生も見つかり夏にはどんな花が見られるだろう。
いつか皆様とご一緒にここを歩いてみたいと思いました。

拙ブログを楽しみにしていると仰る入院中のAさん、ご覧い
ただけましたでしょうか。
治療に専念され、ご快癒されることを心よりお祈りしていま
す。

2025年7月
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

▲ このページのTOPへ