明け暮れ 我が家 お出かけ

大阪のお客様 糸魚川市徳合地区でおそば。

2015年11月29日(日曜日)

本日日曜日、大阪から小山作之助の足跡を訪ねてある女性が樹下美術館へおより下さった。
妻がお会いし、私は所用のため帰り際でしかお目に掛かれなかったが、美しい方だった。
これから作之助の墓と生家を回ると立たれ、来年の卯の花音楽祭は是非訪ねたいと仰った。
遠くからわざわざのお訪ね、心から感謝いたしてます。

さて午後から念願の糸魚川市徳合地区の「古民家で地そばを味わう会」を訪ねた。

 

1立派な毘沙門堂が迎えてくれる。
機会があれば像を拝観してみたい。

 

2おそばは彦右衞門さんのお宅が会場。
黙々とお給仕される女性の赤いエプロンがお似合い。

 

 3おそばが来て、いよいよ食事、山の幸満載のご馳走です。
美味しい天ぷらも付きました。

 

4お隣のグループ

 

5食後は河岸を変えて景徳庵さんで一服。
いろりに畠春斎の穏やかな茶釜が掛かっている。
沢山の資料と共に樹下美術館の絵はがきコーナーがしつらえてあった(大感謝)。

 

6同所で頂いた手作りクッキー。

 

7家々にさざんかや寒椿の冬の花が見られた。

 

8見事な茅葺きの民家。
徳合が20年前から取り組むしだれ桜が見える。

 

147海岸への道中で見られる豪快な砂岩泥岩互層と呼ばれるダイナミックな地層。
ところどころに細い滝が落ちている。

 

10海が近づき、磯部小学校をぐるりと取り巻く石垣、下方の一部は20段近くある。

 

11小学校の先に広く17段かもという見事な石垣。

 

9本廣寺と筒石郵便局の間の狭い坂道。
狭い坂道には詩情がある。

 

12そして日本海は筒石の通りを眺める場所へ。

20年前、100年先を考えてしだれ桜の植栽から始まった糸魚川市徳合地区の地域活動
適材適所の熱心な人材と何事も相談の年月が手応えをもって実っている。
眺めを良くするために要所の杉などのを伐採したという。
本気でなければこんなことは出来ないし、本当の愛郷精神が伝わる。

本日のおそばは最終組に入れて貰っていたが、美味しかった。
皆様さぞお疲れだったことだろう。

このあとすぐ反省会(慰労会でもあろうが本当に反省もするらしい)を始めるという。
数多い各地の地域おこしだが、いざイベント時の主役は客が相当しよう。
(主役には、ならではの張り合いがあるにしても)
主催者が主役で、はしゃぎ過ぎたり上から目線で来られると入りづらくなる。

本日の徳合は皆様一様に自然体で心安らいだ。
この調和は長く真摯な経験のたま物だろう。
〝回り道〟の控えめな名付けも気持ちが伝わった。

筒石へ出る途中の高い「砂岩泥岩互層」の露頭も非常に見応えがあった。
日本海に迫る山々、注ぐ河川と集落群、特異な地形に地質、密かな白山信仰、海彦山彦文化、歴史の起伏、愛郷精神、自然なもてなし、楽しい発見、、、。
一帯に長い可能性を感じた。

一昨日に始まっためまい。

2015年11月20日(金曜日)

これまで多くの方のめまいを診てきましたが、一昨日11月18日私自身が強いめまいに襲われました。
体験を記して余計なご心配をお掛けするのは恐縮ですが、出来事として記してみました。

18日早朝、まだ暗い時刻に突然の強いめまいで目ざめました。
目を開けますと緑、赤、青、黄色、などエアコンのランプが反時計回りに激しく回転していました。
つらくて目を開けていられません。

 

memai2 こんな風に見えたエアコンのランプ類。

 

めったにない右向き姿勢だったのをゆっくり仰向けに直すと再び眠りに落ちました。

さて起床時、頭の角度が上下左右30度ほどで途端にぐらぐらします。
特に用事の多い下向きで症状が誘発されるのです。
靴下などは出来るだけ下を見ないようにして履きました。

仕事も頭を動かさないよう、カルテなどはやや遠くに置いて書きました。
インフルエンザワクチンの方も多く忙しかったのですが、かろうじて午前の診療を終えるとベッドに横たわりました。

問題は午後からでした。
近隣の特養ホームのワクチン接種日。
なんとかなるだろうと出かけ、看護師さんたちにめまいがしていることを告げました。
立って行うベッドや車椅子の方の注射jは下向きが必要です。

始めるとまもなく辛くなりましたので、途中からひざまづくようして、前向きを心がけました。
予診票のサインは机上を避け、壁に紙を付けて行いました。
しかし後半に入るとゆっくり壁が回り出し、足もとが不安定になりました。
最後の方に注射をし終わると猛烈な回転が始まりました。

真っ直ぐになっていることが出来ず、しゃがみ込み必死にベッド柵につかまり目をつむりました。
体が右に飛ばされる感じがして、恐怖を伴い冷や汗がでて気が遠くなりそうでした。

看護師さんたちが集まり車椅子に乗せてくれました。
ひごろ出来れば皆さんを励ましたい自分が真っ青になり瞑目して車椅子で運ばれる。
まだこれはいつか来る日ではないだろう、と思いつつ辛さに耐えるだけでした。
運ばれて寝かされたのは霊安室。

そこは亡くなられた方を安置する部屋兼相談室で、半分ほどにご家族が休む畳が敷かれています。
そっと目を開けますと、法隆寺の夢殿観音と思われる仏像のプリントが見えました。
一瞬ですがいいなあ、と思いました。

部屋で何度も吐き気に襲われました。
一角ににシンクがあり、ペーパータオルが置かれていました。
伝わって近づきタオルを出してビニールカバーの中に吐きました。

間もなくやって来た妻は真っ青な私に驚きましたが、彼女の運転で帰宅しました。
家で我が方の看護師が点滴を刺し抗めまい薬も服用しましたが、めまいと嘔吐は続きました。
わずか5度前後しか頭の位置を変えることができません。
それをこらえて少しずつゆっくり振り幅を増やしてみました。

帰宅して7時間、ようやく左右45度ずつほど向けるようになり眠りにつきました。
昨日と本日はかなり改善され、きつい向きを避ければ仕事も往診も出来ました。
おそらく良性めまい(身体の傾き感覚を司る内耳の三半規管に、隣接する前後左右の加速度測定器官内にある細かな耳石が誤って流入しておこる平衡異常)。
本日一定の頭重感があり午後、念のため病院の脳外科を受診しました。

初めてのMRIで20分間、頭の周りでドードー、ガーガー、ポッポッという音を聞きました。
脳外科に紹介した患者さん達はみなこのような音を我慢して聞いていたのですね。
旧知の脳外科医の診察でした。
お陰様で出血や腫瘍はありませんでした。

ついでながら、目立った皮質の萎縮も無く、認知症にかかわる海馬はまあまあ充実、4年前のドック健診で動脈硬化が予想された左内頸動脈も順調な交通だということが分かりました。
おぼつかない自分の脳でしたが、形態的にひとまず維持されている様子に救いを覚えました。

 

IMG_20151120_135429 本日お世話になった病院。
妻のスマホを借りました。

ひと安心でしたが、もしかしたら伏線に前日の庭仕事があったかもしれない、と勝手に想像しています。
慣れない上向きの剪定作業のあと、強い下向き動作を繰り返し、朽ち木の根っ子をシャベルで掘ったのです。
ぐるぐる周りながらジャンプしてシャベルに飛び乗る。
もしかしたらこんな動作で耳石がずれ、明け方珍しく右向きの姿勢になった時に三半規管に流入したのかもしれません。

様々な方達が経験される激しいめまい。
今回その辛さがよくわかりました。
近時理学療法的な治療やリハビリもあり、治療の様相も変わったやにみえます。
にもかかわらず同じ人が繰り返される事も少なくありません。

最後に、多くの方にお大事に、無理をしないように、と仰って頂きました。
いたわりとして嬉しく思い深く感謝しています。

現在左右とも90度は大丈夫、上下もまあまあになっています。
生活を急に変えるわけにも行きませんが、庭仕事は当面加減し再発しないよう気を付けたいと思っています。
お世話になった皆様本当に有り難うございました。。

モミジの植栽と歳月。

2015年11月13日(金曜日)

本日金曜日は日中はずっと高い雲に覆われた。
今夜は少し降って明日日中も曇るらしい。

さて先日モミジの小さな苗2本を移植をしました。
昨年植えたのですが、ほかの木などに近すぎたためでした。
私にはよくあることで、接近のほか日射しが後で問題になって移植ということもありました。

 

2隣のハクモクレンから離した所。

1ヤハズススキに飲み込まれそうになっていて別の場所へ移動。
いずれも支柱が細いのですが、とりあえずこれで頑張ってもらうことに。

32011年11月10日に植えたモミジの苗。
背は160㎝くらいでした。

42015年11月10日の上記のモミジ。
4年経って背が倍近くなり木のボリュームが現れはじめました。

年とともに歳月はどんどんスピードアップし、どうにかならないものかと日頃文句を言っています。
但し植栽した樹木(特に雑木類)の成長で言えば、あっという間に大きくなりますので、
目に見える張り合いとしてスピード化にもメリット?があるのかなと、この時ばかりは思うのです。

マイナンバー、本当はユアナンバー。

2015年11月11日(水曜日)

マイシューズ:私が履いている靴。
マイカー:私が乗っている車。
マイハウス:私が住んでいる家。
マイカード:私が使っているカード。
マイフレンド:私がつきあっている人。
言うまでもなくマイの付くものは自分が主体的に望み関係したり所有し用いているものです。

ところで本日私に届けられた「マイナンバー」と呼ばれるものは、国が決め管理し国自治体が用いる「あなたの番号」です。
どうみても「ユアナンバー」以外に呼びようがありません。

日常、自治体が付けた記号、番号で医療保険が浮かびました。
これは私たちが実際に使いますので、マイナンバーと言えるかもしれません。
しかし同じ番号でも本日のものの持ち主は国、しかも当面私たちに用事のないものです。
どこがマイナンバーなのでしょう。

ほとんどの先進諸外国にこのような制度があるという言われ方がされています。
但しこのたびの日本のように多くの項目が一気に網羅照合される国はそう多くはないようです。
しかも果たして外国でそれをマイナンバーなどと呼んでいるのでしょうか。

親が付けた名(マイネーム)なら誇りもありますし、どれだけ使ったことでしょう。
それを横から国がユアナンバーであるマイナンバーだなんて。
むしろちゃんと断って頂き、ありのまま「ユアナンバー」とされるほうがまだ納得出来るかもしれません。

名付けや言葉は文化そのもので、このたびのは特に国のシステムを体現する新たな法制の一般名でした。
それが文法、用法の基礎においてもおかしく、騙されているようでもありなんだか次第に恥ずかしくもなってきました。

 

039本日午後在宅周りの帰路に見た米山と雲。
ずいぶん日が短くなりましたが暖かいので助かります。

今夕のおかず 昨日午後の旧東頸城地域のちょっぴりドライブ。

2015年11月8日(日曜日)

本日日曜日は比較的暖かく時折降った。
そんな日の夕食に野菜の揚げ物と揚げ豆腐が出ました。

1

お豆腐と野菜は主に昨日日中に走った国道405号線の道中で求めたものでした。
実は昨日、頸城区の樹下美術館を出て→浦川原区→安塚区から牧区を車で回りました。
午後4時からのブドウ・ワイン学会の特別講演はその後に参加したのです。
つまり上越教育大学の講堂へ行くのに、ぐるっと旧東頸城地域の里々を回って行ったことになります。

写真の夕食のおかずは以下のようなちょっぴりドライブ(とても小さな旅?)で偶然に求めました。

 

2浦川原区で見たお宅の長い石垣。
道に沿って美しいカーブを描いていました。

3安塚区小黒地区にある称専寺のダイナミックな石垣。
ここに名刹専敬寺ほか4寺が隣り合っているのです。
後ろ髪引かれる思いで後にしました。

4寺を過ぎてすぐの坂道でお豆腐屋さんの車に出会いました。
道沿いの商店に届けに寄られたようでした。

4’お豆腐屋さんの荷台。
お揚げはありませんので、家で揚げて下さいと仰いました。
おまけにオカラを頂きました。

5牧区に入っていると思いましたが、途中の無人野菜売り場。
「あねやん達の腕自慢 もったいない市」。
看板の手作り感もとても良かったのです。

5’店内にあった野菜と穀類。
にこにこ笑っているようでした。

6途中に廃屋と思われる家屋の庭がありました。
路傍に美しいアジサイの枯れ花と紅葉があり、少し頂きました。

7あねやんの無人店で求めた野菜。
町のおよそ半値だったそうです。

さて、あちらこちらを寄り道して2時間ほどの運転でした。
にもかかわらず、先々で出会う様々な表情の石垣や民家とお寺、紅葉の山、そしてお豆腐屋さんに無人市場。
晩秋の旧東頸城(私には今でもこの呼び名が馴染みます)の里を巡る道中は何とも心和みました。

今夕の食卓に野菜の一部が乗りましたが、美味しくてこんな贅沢はない、と妻が呟きました。

同じ歌ばかりの国 ああイギリスではトム・ジョーンズが。

2015年10月27日(火曜日)

日頃車に乗ることが多い生活をしていますが、いつ頃からかラジオやCDなどは掛けず運転していました。
本日ふと、突然の災害を知るためラジオくらい点けなくてはと思いました。

スイッチを入れるとディスクジョッキー風な音楽番組がかかりました。
すると間もなく「素直」という歌詞が入る歌が2曲続いたのです。
素直になれたら、素直になれなくて、というような使い方だったと思います。

この言葉を歌で耳にするなったようになってもう随分経ちました。
ありのままで、ピュアに、自然になどの意味か、と察していました。
ざっくばらんに〝ごちゃごちゃ言わずに〟〝格好つけず〟かもしれません。

余りの多用に若者達はよほど〝ごちゃごちゃ言ったり〟〝格好付けて〟生活をしているのかと思ったほどでした。
穿った見方をすれば〝心だけ〟でなく、〝(素直に)体も愛して〟と言っているようにも聞こえたのです(間違っていましたら申し分けありません)。

そこでトムジョーンズの1曲です。
イギリスの歌手トム・ジョーンズの「I’ll Never Fall In Love Agaln(1967年)」
この歌ではひたすら失恋を嘆いてるだけ、素直も言い訳もありません。
パワフルでストレート、理屈なしに聴かせていました。

何故トム・ジョーンズかと言いますと、過日のラグビーワールドカップのことでした。
動画で試合を見ていましたらハーフタイムだったと思いますが、会場に彼の歌が流れたのです。
タイトルを失念しましたが、私たちが聴いた1960年代の歌でした。

たとえ半世紀前のポップスでも名曲なら残して公共の会場で流される。
新しいだけで良しとしない、彼の国のふところ深さもつくづく羨ましいと感じた次第です。

会場は各国から沢山の人が来ています。
そこでは試合の合間を和ますために、多くの人が知っている人の曲が選ばれたのでしょう。
では次のワールドカップ日本は何をかければ良いのでしょう。
難しい宿題です。しかし上述の似たものメッセージ系や見た目可愛系などは恥ずかしいので、出来れば止めてほしいと思うのです。

新潟市のりゅーとぴあでミヒャエル・エンデの「モモ」を観てきた。

2015年10月12日(月曜日)

今日10月連休の最終日は新潟市のりゅーとぴあ演劇ホールで、ミヒャエル・エンデ原作の演劇「モモ」を観てきた。
(○脚本/演出  栗田芳宏 ○音楽  後藤丹 ○ヴァイオリン  佐々木友子 ○ピアノ  品田真彦
○出演 新潟エクステンションスタジオ 研究生 ○ゲスト荒井和真 (KURITAカンパニー)、今井明 (KURITAカンパニー) ○主催劇団ひまわり)

午後1時から始まり、2度の休憩を挟んで4時間の長丁場。
一言たりともセリフを逃すまいと耳目をこらして惹きつけられた。

モモはその昔、本好きだった娘が小学校を卒業するころに買って遣ったことがあった。

時間と幸福、それを奪う狡猾な者たちに対する奪還のストーリー。
深い命題が網羅されるが、恐らく子どもを含めてそれぞれの立場で理解できるのではないだろうか。
本日のお客さんは子どもよりむしろ大人が、それも若者が多い印象を受けた。

 img133モモのパンフレット表紙。

舞台を観て、昨年マイブームになった「青い鳥」が重なった。
時間と幸福が物語のカギであり、登場する大人と子どもの関係にも通底部分がみられたからだ。
モモでは時間節約と過剰な効率主義から生じる際限のない利潤追求のトリックが、スリリングに解き明かされ、貨幣経済への警鐘も重要な点になっている。

このあたりを子供達はどう読みとるのだろう。
最後にモモたちが本来の時間を取り戻した場面で、暗い舞台いっぱいに光が注ぎ無数の花びらが舞い降りる。
灰色のコートを着た怖そうな時間ドロボーたちや、美しいフィナーレが幼い脳裏に刻まれればそれで十分かもしれない。

〝時間というのは、生まれた時から始まる密かな音楽のようなもの〟
〝時間の源には光が射し花が咲いている〟
というようなニュアンスで語られたセリフを聞けただけでも、1時間半かけて新潟市へ行き長時間座った価値があった。

これらの言葉を述べた時間の司、マイスター・ホラ役の栗田芳宏さんの自然な動きから発せられる極めて明瞭なセリフに驚嘆した。
今まで観た芝居では、身振り大きく大声を出すのに言葉が聞き取れないという役者さんもいたのである。

さて、モモは人の愚痴や悩みをただ聞いているだけだが、彼女に話す人は自らの問題に気づき幸せになる。
このことは、前段で時間を掛けて丁寧に演じられた。
観劇でも読書でもそうだが、私たちは黙って舞台を観、あるいは本を読むだけである。
一方懸命に訴え述べるのは作者や演者だ。

この図式で言うと結果はどうあれ、私たちはモモなのか?
30年ほど前、娘と一緒に読んだ時には浮かばなかった観点だが、年寄りの独りよがりかもしれない。

最後に本日、舞台下手の一角にピアノとヴァイオリンの著名な演奏家が入られた。
セリフに重なる音楽は場面を引き立て、時に美しく時にスリリングに奏でられた。
演奏者とともにコンダクターとしてそこに居られたのは、音楽を担当された上越教育大学の音楽教授・後藤丹先生だった。
フィナーレで召されステージに上がられたが、嬉しかった。

 

030入場の行列。
お尻が痛くなりましたが、りゅーとぴあでの4時間は、最後まで満席のまま盛況でした。

 この度の公演は上越市の「智慧子のブログ」の予告記事で知りました。
智慧子さん、本当に有り難うございました。

ヤフーの景品の時計をしてみた。

2015年10月9日(金曜日)

先日ある探し物で普段あまり開けない引き出しを見ますと時計が出てきました。
ヤフーの株主優待品でした。
10年も前、ちょっぴり同社の株を持っていたことがあり、当時送られてきたものでした。
子どもにやろうと思っていましたがすっかり忘れていました。

ヤフーウオッチb外観。

最近修理などで時計に不自由していましたので、本日時計屋さんで電池を替えてもらいました。
持参した妻によりますと、珍しい時計ですね、と言われたそうです。

ヤフーウオッチ着けてみたところ。

大部分プラスチックですが、動いたということで1500円の電池を入れてもらってあります。

おもちゃのような景品とはいえ外観はほがらかで、夜になっても動いていますのでしばらく着けてみようと思います。
ちなみにその時の株式は樹下美術館を建てるときに無くなりました。

身近な所でお世話になっていたノーベル賞の業績。

2015年10月7日(水曜日)

発表が続いているノーベル賞受賞者について知らない場合が多い。
今年、医学生理学賞に輝いた大村智特別栄誉教授のことも恥ずかしいが聞いたことがなかった。
受賞対象となった主要な業績の一つは、熱帯地域の深刻なオンコセルカ症や象皮病の特効薬開発による何億もの人々の救済だった。

ところがふとしたことから、自分たちも身近に大村先生の恩恵を受けていたことが分かった。

2011年に亡くなった母は2004,5年頃に福祉施設の利用をはじめた。
ところが間もなく両腕や胸、両下肢などに赤いぶつぶつを生じそれをポリポリ掻くようになった。
厄介な疥癬症だった。
介護保険によって一気に多様化して増加した高齢者福祉施設はいずれもその洗礼に悩まされた。

恐れた疾患が母に及び我が家は一種パニックに襲われた。
施設利用の中止、連日の念入りな入浴、衣類や寝具の加熱洗浄、軟膏塗布、、、。
しかし一旦収まったかに見える症状は何度か再発した。
困って色々調べた所、犬のフィラリア症に有効で、ヒト疥癬にも効くという薬の記事に出会った。

当時その薬剤は自費扱いで保険適応がなく、薬局を介してメーカーから取り寄せた。
国内は犬向けに始まった薬剤、大丈夫かなと気をもみながら飲んで貰った。
だが母は平気で服用し副作用もなく、間もなく面倒な疾患から離脱していった。
その薬はイベルメクチン、商品名はストロメクトールだった。
しばらすると薬は人疥癬症の保険扱いが可能になった。

このたび大村先生のエバーメクチンを聞いた時、どこかで耳にしたように思った。
それがあの薬だった。
遠くの先生が急に身近に感じられ、業績のすそ野の広さに感嘆した。

「地方創生で重要なのは教育」は大村先生が語った言葉。
「知の水平の拡大」は昨日物理学賞に輝いた梶田先生の談話。

探求から生まれた言葉は貴重で、日本の将来を占うキーワードではないだろうか。

 

紀伊ジョウロウホトトギス本日、樹下美術館の紀伊じょうろうほととぎすの花。

全力外交。

2015年9月18日(金曜日)

これまでの政府解釈で良かったものを、
本日の国会委員会は集団的自衛権の容認を決議した。
数の力で決着する民主主義であれば形式上どうにもならない流れだ。

「日本をとりもどす」と書かれたポスターをよく見る。
「美しい国 日本」と言って登場した人がそのリーダーだ。

同じ人が今日全力で取り戻そうとしているのは「軍事同盟強化の国 日本」であり、本日その道筋を付けた。
「美しい国」とは天地ほど違う。
地域の国道や県道は夏草ぼうぼうで、河川に大洪水が起きる国での出来事である。

このたびの安全保障で言えば、専守防衛と集団的自衛権では思想も内容も全く異質であることは私にも分かる。
前者は生存上の国内に於けるミニマムな備えに対して、後者では国外で他国の為に戦う命令が可能になる。
憲法が苦労して支えてきた尊い不戦思想が破られ、突然戦争への門戸が開かれたことになる。
心根の優しい人々から戦争法案として忌避されるのは当然の話である。

ところで安全保障の解釈拡大には「軍拡」が影のように付帯することだろう。
それは国内外の緊張と闘争意識を高めようが、果たして戦争の抑止に繋がるだろうか。
軍拡を喜ぶ一群は居る一方、その際限の無さに歯止めなどないことだろう。
壮大な無駄遣いと国家の疲弊、、、真面目にやるほどそうなる。

そんなことをなぜ今?
「今度こそ勝ちたい」、こっそり生き続けた戦前の亡霊が目を醒ましたのか。
それとも目に見えない集合コンプレックスの裏返しなのか。

先の大戦後、国は平和を尊び労働を喜び、経済文化文明を立派に再興した。
愚直なほど真摯な道は、膨大な戦争犠牲者に対する申し開きの歴史であったようにも振り返られる。
それなのにもう一度戦の際(きわ)に立つことを始めるとは。

日本が近代かけて蓄積した智恵と経験の全エネルギーをなぜ外交に集約しないのだろう。
そこには世界に類を見ない独特の価値と力が潜んでいるはずである。
「積極的平和」というならばそういうことではないだろうか。

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