明け暮れ 我が家 お出かけ
西国の人 4 早よ出んかい
10年振りにお会いしたM先生はお変わりなく元気だった。長身の先生は教養人の穏やかさの中に信念の骨格をにじませる人だ。また人をとても大切にされる姿勢は、故郷を遠く離れた人ならではなのか。このあたりに広島県出身者は自分くらいしかいなかったとも仰った。温かい西国から一人雪降る越後へ、寂しい夜も悔しい昼もあったことだろう。
当夜、芝居の同窓会はせっかくの大参集にもかかわらず、ある人間のせいで方向も見えない散漫な時間となった。それでM先生に広島県人のことや、新潟県の田舎にある旧吉川高等学校に赴任された訳などを耳を澄ましてお聞きした。
ご自分が広島におられた50年も前の当時は、学校を出て家に居ると「まだ居たんか、早よ出んかい」、と言われたという。出るのは国内ばかりではない、明治から第二次大戦まで、西国の人達、特に広島県民の海外移住は沖縄、熊本、福岡などを離して断然トップだ。彼らはアメリカ(ハワイやロスアンジェルス)、ブラジル、カナダ、ペルー、アルゼンチンそのほか広く世界へ飛び出している。
そして当日驚いたことに、「実は私はハワイ生まれなのです」と先生は仰った。太平洋戦争前夜、ご一家は渡ったハワイから故国へ戻る決断をされたという。帰国後の終戦まぎわ、故郷・広島で被爆を体験をされ、後に広島大学をお出になると1000キロを一飛びして当地に赴任された。
大学の卒業に際し、日本では珍しい高等学校の醸造科が旧吉川高等学校に設置されると聞いて、即決されたと聞いた。当夜のM先生は、明らかに果敢で独特な広島県人のほぼ全てを備えて座っておられたことになる。幸せな時間だった。
気の大きさ、果敢さ、何が西国人を、そして広島県民をそうさせるのだろう。広島に関してはその昔、瀬戸内海ばかりでなく、海さえあれば国外へも出て行ったいわゆる海賊・村上水軍の気風が残っているのでは、と先生は仰った。
「まだ居たんか、早よ出んかい」はM先生にお聞きした言葉だ。そしてこのたびノーベル化学賞の受賞者、根岸英一先生は「若者よもっと海外へ出よ」と強調された。
さらに日本のノーベル賞受賞者18人のほとんどが東海以西、西国の人だとあらためて知って、ある種愕然とした。
拙ノートは西国の人 3 の続きです。いずれ5へ続けてみようと思います。
いくつかのささやかな文化
時に風雨時に陽がさす不安定なお天気だった。ヒマがあれば海が見たくなる自分、午後の雁子浜で佐渡汽船を見た。
二日余り続いた強風の余波が残る海上を遠ざかる汽船の果敢さに感心した。西風は追い風のはずで、航行はより不安定なことだろう。色々あろうがずっとずっと頑張れ佐渡汽船。
午後から寄った樹下美術館。荒れ模様の日にもかかわらずお客さんたちがこられていた。中に、テーブルの紙ナフキンで素敵な細工を残された方がいらして、スタッフに見せてもらった。初めて目にしたがにわかに信じられない出来映えだった。
それから昔一緒にお茶の稽古に通ったAさんにもお目に掛かった。俳句をなさっていて、カフェで魅力的な句を聞かせて頂いた。お仕事に趣味に、昔の仲間が頑張っていることはとても嬉しい。こんな再会が出来るのも美術館を営むことの果報にちがいない。
良い文化の日だった。
台風予報の東京へ
年に一回、学生時代の同級生三人が夫婦して集まる会が一昨日東京であった。もう十数年続いていて、上越でも三度集まった。
今回は台風が接近しつつあった東京へ。土曜午後、直江津駅に着くと予定の特急は運休。後発するほくほく線の各駅停車まで待って、何とか予定の時刻に間に合った。ほくほく線のⅠ時間半は、日頃敬愛している上越の先輩と思いもかけずご一緒して、あっという間だった。
一年に一回の会合、年取っていく私たち。シェフ岸本直人氏の料理を4時間堪能した。みなで何を話したか大方忘れたが、高知出身のAは兵隊と虎のことなどを、静岡県のBはショパンは天才など、私は新潟県・頸城平野の水田の素晴らしさを話した。
関連する隣のデセール(デザート)専門店のパティシエ森田一頼氏は新潟県のご出身だった。森田氏ともお会い出来て、ご活躍をお祈りした。
夜更けて河岸をを変えた。臭い物が好きだという友人はさらに粕とりブランデーからマールを選んだ。それから一年に一本、恒例になったダビドフの葉巻を楽しんで日曜深夜のビルを眺めた。
![]() マール、グラッパから選ぶ |
![]() 甘い香りのシガーセラー |
翌日曜日午後は新装なった根津美術館で宗時代の青磁を満喫した。その後皆と別れて、五反野に開業した息子のクリニックを訪ねた。愛らしい診療所を見て胸がいっぱいになった。夕食は彼ら夫婦と一緒の貴重な時間だった。
台風もさして影響なく、何かと重かった頭が軽くなった週末だった。
西国の人 3 貴重な先生
去る10月10日のノート「西国の人 2 新潟の大学院生さん」で、二年前の秋新潟から訪ねてこられた青年の話を書かせていただいた。彼の果敢な印象は心に残った。
それから一ヶ月少々、ある会があった。そのおよそ10年前、大潟町(当時)の有志で結成された一座「しおさい」で芝居「人魚塚」を公演した。今回はその仲間が集まる同窓会だった。全て手作りの素人芝居「人魚塚」は恥ずかしいことに小生が台本を書いて演出した。あらゆる事で様々な方のお世話になった。
困難な照明は地域の高等学校で学校演劇をリードされた元教師・M先生のご指導を仰いだ。三度の公演のうち最終となった希望館は専門機器が整備されていて、いっそう綿密なご指導を頂いた。美しいだけではダメ、ある種灰色といってもいい色までしっかり出しましょう。先生の言葉だった。役者、裏方みな一丸となり大入だった。
同窓会にはM先生も出席される。先生は当地ではとても貴重な広島県のご出身だ。そのことは芝居の時にお聞きしていた。それにしても祖父が広島県人のポルトガルのKさん、広島から来られた先日の大学院生、海外移住と広島県民のこと、、、。私の頭は広島のことから離れられなくなっていた。
その広島市で育たれ広島大学ご出身のM先生とお会い出来る。少々異風に感じられる西国の、そして広島県民の気質とは、是非ご本人からお聞きしたかった。
10年振りにお会いした先生はお元気だった。懇親会当日、先生のお隣へしっかり座らせて頂いた。そしてなんと言うことだろう、自分はハワイで生まれたと先生は仰った。
今日午後の海、素晴らしい夕焼けの予感。
外出していた妻が夕刻、私の携帯に夕焼けがきれいだと電話をしたらしい。
ちょうど仕事中だった。
当ノートは前回の「西国の人 2」の続きです。4へ続けてみます。
母と農道へ
二日続きの良いお天気だった。休日のこの日、午後4時ころから久し振りに母を連れ出した。およそ40分、夕暮れの農道はこよなくのどかだった。
私が知っているAさんは毎週日曜日になると、90才を越えた母親の車いすを押して2時間も町内を歩く。雨の日は、どうしてますかと聞いたことがある。
「イトーヨーカ堂を2時間くらい歩きます。たまにみやげも買いましてね」とにこやかなAさん。
外は素晴らしい。親子にこれ以上の幸せはなかろう、お母さまにはいつも福相が現れている。なかなか出来ることではなく、Aさんは地域のパイオニアだ。
西国の人 2 新潟の大学院生さん
二年前の秋、新潟市から当館を訪ねてこられた青年と話す機会があった。カフェでご挨拶すると、「よろしかったらどうぞ」と隣の椅子を引いて勧めてくれた。突然の積極的な振る舞いに少々驚いた。
わが新潟県人が初対面でこんな風ににするのをあまり見たことがない。どこの人かな思って隣に腰掛けた。やや小柄できりきりとした黒目の人は果敢な印象だった。
彼は都内の大学を卒業してから新潟大学の大学院へ来たと仰った。しかし元々は地方出身との事。出身地が気になって尋ねてみた。
「何処から来たと思われますか」と彼、西の方ですか、と私。
「ええそうです」
「もしかしたら広島ですか」
「そうです、よく分かりましたね」
東京の大学を経由してなぜ新潟へ、ともう一度尋ねた。すると彼は木立の向こうのどんよりとした空を指さして明快な口調で言った。
「こういう空は考え事をするのにいいではありませんか」
思いつけもない返事だった。自分が忘れていた青春の感性と力のようなものが思い出された。明快さといい、異国の、私なりの西国の人のイメージと重なっていた。
ところで私の大学時代は6年間を同じクラスで進む。一学年1クラス、1クラスおよそ100人がほぼ一緒で、九州から東北まで出身地が散らばっていた。入学して間もなく地方ごとに性格や気風に独特さがあることを知るようになった。このことは6年間の軟式テニスの部活、その後8年に近い医局生活でも感じた。
知り得た東海から西の人達は元気で果敢な人が多かった。特に部活の6年間、そちらの同輩、先輩は「オイ杉田!」などと言って気後れしがちな私の肩や背中を叩いた(叩いてくれた)。
「所変われば品変わる、そして人も」。こんなことを携えて昭和50年初夏、東京から新潟県の現在地に帰ってきた。
ところで広島県人について言えば、海外移住に注目した疾病と環境因子についての著名な研究がある。1950年代から始まってい同研究を読み聞きして以来、広島県民が広く海外へ出ていることを知った。海外移住には複雑な要因があろう。しかし若い頃に垣間見た西国人独特の元気、果敢さは払拭しがたく移住とダブル。
出る人、広島県人。たまたまだったが、二年前にお会いした冒頭の青年のイメージもそこへ繋がった。
彼と会って40日ほど経ったある日、以前大変お世話になった方と再会した。広島県ご出身ということは知っていた。
(拙文は西国の人 1 から続いています。3へ続けてみます)
ヘルメット
昨日、産業保健で関係している上越市大潟区の帝石トッピングプラント・頸城精油所へ行った。健康管理の講話と工場巡視の日だった。巡視ではヘルメットをかぶった。
ヘルメットと言えば、上越市はつい最近地震に見舞われ、自宅でヘルメットに触ったばかりだった。それは三年前の7月、中越沖地震の時にそれぞれの家族用として買った。
その地震当日、混雑するホームセンターで残り少ないヘルメットにありつけた時は正直ほっとした。ちょうど不肖小生は上越医師会の会長職をけがしていた。立場に従って上越市の被災地区を回り、夜間には柏崎市の西部地区も行った。現場のことはいまでもありありと蘇る。軍手に長靴、それにヘルメットがあればどこへでも行けそうな気がしていた。
https://www.juca.jp/blog/2007/07/post-31de.html
https://www.juca.jp/blog/2007/07/post-fdda.html
さて昨日の平時の工場巡視。安全のシンボル・ヘルメットをかぶって工場の保健婦さんと一緒の写真を撮ってもらった。
そのあとで回った往診先のラジオが東北地方の新たな地震を伝えていた。私たちの国では平時に時として地震が起きるのではなく、続けて起きる地震のあいだに平時があるのではないか、と一瞬思った。
西国の人 1 ポルトガルのKさん
先日、京都のある医院から一通の封書が届いた。差出された先生に面識はなかった。手紙は小生が書いた紹介状を持参した患者さんが来院されたと、知らせていた。簡潔のうちに丁寧さがにじむ書面だった。
三ヶ月前、私は一通の紹介状を書いた。当地を離れて京都へ移るというKさんの為だった。60代のKさんはお元気で少し血圧が高いだけだった。
「主治医殿」、宛先がこれだけの紹介状。不案内な遠くへの転地では、具体的な紹介先の代わりに主治医殿とだけ書くことがある。Kさんは京都へ行ったらご自分で医院を探すと仰った。
あれからしばらく経っている。どうされただろう、と心配していたところへ今回の知らせだった。
背が高く眼鏡に笑顔が似合うKさんを初めて診たのは2年近く前だった。顔立ちは私たちと同じ日本人、なのに言葉が片言だった。それでお国を尋ねた。
「ポルトガルだよ」、思いつけも無い国名が返った。語尾の「よ」が跳ね上がって欧米人のイントネーションだ。
「おじいさん達がポルトガルへ移民したのですか」
「そうだよ」
「もしかしたら貴方のおじいさんは広島県の人ですか」
「そうだよ」
人なつこい目をさらに細めてKさんは答えた。
広島県のことは当てずっぽうだったが、もしやと思って聞いてみた。以前にこれと似たことがあったからだ。
Kさんと合う少し前、新潟市から上越へ、樹下美術館を訪ねてこられた青年とお会いしたことがあった。その人のご出身は広島県だった。
ー続けてみますー
地震、そして命の電話チャリティー茶会。
今日の当地は午前の早くから数回にわたり震度4から5弱の地震に見舞われました。三年前の中越沖地震も同じ日曜日の午前。ドシン、ガタガタという音と揺れに三年前の恐怖を思い出しました。
幸い展示や施設に被害はありませんでしたが、これ以上にならないことを祈るばかりです。
午後から高田で行われている「命の電話チャリティー茶会」に行きました。当茶会の会費は2500円、関係者のご努力によって18回目とありました。広間を裏千家西口宗米先生が、小間は江戸千家小川紫雪先生でした。床の掛け物に秋の風光を感じ、お道具は陰影に富み、お花は時節の移りを物語っていました。
西口先生から貴重なお話をお聴きし、知人の奥様の心静まるお手前。本当に有り難うございました。
いつものようにお茶室の提供は(株)有沢製作所さん、御菓子は大杉屋惣兵衛さんの協賛でした。また今年の待合も植木ひろ子先生のオブジェです。大きな球形にあしらわれたツル類にゴンズイとサザンカの実が沢山配されていました。今にも動き出しそうな変化と愛らしい色彩が相俟った麗しの作品でした。
テーマである命の尊さにあふれたチャリティー。関係者の皆様に心より感謝申し上げます。
雨の祝日
今日は同業者のゴルフの予定日だったが、コースへ到着すると中止を知らされた。降り続く大雨に加えて落雷も心配されるという幹事の判断だった。残念だったが、思わぬ時間によって溜まった仕事が手に付き、それはそれでよかった。
二日続きの猛雨の中、樹下美術館の来館者は本日ゼロかなと思ったが、6名が見えられたということ。大きな施設でもがら空きの日が珍しくない話を聞けば、樹下美術館は毎日頑張っている方だと思う。
本日から販売のシーグラスのチョーカーが二つ出た。お買い下さったお二人に心からお礼を申し上げたい。可愛いオリジナルを置くことは思いのほか楽しい。
9月の長雨が浸みこんだのか米山が一回り大きく感じられ迫って見えた。
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
- 仏像、社寺、二十三夜塔、庚申塔
- 樹下だより
- 齋藤三郎(陶齋)
- 倉石隆
- 小山作之助・夏は来ぬ
- 聴老(お年寄り&昔の話)
- 医療・保健・福祉・新型コロナウイルス
- 花鳥・庭・生き物
- 空・海・気象
- 頸城野点景
- ほくほく線電車&乗り物
- 社会・政治・環境
- 明け暮れ 我が家 お出かけ
- 文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ・テレビ
- 食・飲・茶・器
- 拙(歌、句、文)
- こども
- 館長の作品。
- 本日の蝶とカエルと雲そしてピアノ。
- 「お乳盲腸」とは何だったのか。
- 夏らしくなってきました。
- 36度にも届く暑さ アゲハと庭と薄茶で落ち着く。
- 保育園時代の記憶その1、巡幸列車のお迎え。
- 私の幼少 自他の個性が気になる。
- 糸魚川のゴルフ お孫さんの宿題から始まった花。
- 小津安二郎監督映画「麦秋」を観て。
- 開館の日 世界にまだまだある欠陥。
- 小津安二郎監督映画「晩春」を観て。
- 「名探偵ポアロ」のアール・デコ。
- フカミ美術主催、須坂市のお茶会へ。
- 5月、月末の空と時 独居老人の緊急入院。
- BSNテレビ「なじラテ」さんの取材。
- 路傍の花たちの競争、今年目に付くマンテマ 6月は良い季節。
- 小林古径記念美術館での呈茶 蘇った小山作之助のひ孫、故中島幸子さんのヴァイオリン。
- 明日の呈茶と講話に備えて。
- 田植えに麦秋。
- 付近はニセアカシアの花盛り 写真集「昭和のこども」、「筑豊のこどもたち」
- 頂き物を食べる。
- 2025年6月
- 2025年5月
- 2025年4月
- 2025年3月
- 2025年2月
- 2025年1月
- 2024年12月
- 2024年11月
- 2024年10月
- 2024年9月
- 2024年8月
- 2024年7月
- 2024年6月
- 2024年5月
- 2024年4月
- 2024年3月
- 2024年2月
- 2024年1月
- 2023年12月
- 2023年11月
- 2023年10月
- 2023年9月
- 2023年8月
- 2023年7月
- 2023年6月
- 2023年5月
- 2023年4月
- 2023年3月
- 2023年2月
- 2023年1月
- 2022年12月
- 2022年11月
- 2022年10月
- 2022年9月
- 2022年8月
- 2022年7月
- 2022年6月
- 2022年5月
- 2022年4月
- 2022年3月
- 2022年2月
- 2022年1月
- 2021年12月
- 2021年11月
- 2021年10月
- 2021年9月
- 2021年8月
- 2021年7月
- 2021年6月
- 2021年5月
- 2021年4月
- 2021年3月
- 2021年2月
- 2021年1月
- 2020年12月
- 2020年11月
- 2020年10月
- 2020年9月
- 2020年8月
- 2020年7月
- 2020年6月
- 2020年5月
- 2020年4月
- 2020年3月
- 2020年2月
- 2020年1月
- 2019年12月
- 2019年11月
- 2019年10月
- 2019年9月
- 2019年8月
- 2019年7月
- 2019年6月
- 2019年5月
- 2019年4月
- 2019年3月
- 2019年2月
- 2019年1月
- 2018年12月
- 2018年11月
- 2018年10月
- 2018年9月
- 2018年8月
- 2018年7月
- 2018年6月
- 2018年5月
- 2018年4月
- 2018年3月
- 2018年2月
- 2018年1月
- 2017年12月
- 2017年11月
- 2017年10月
- 2017年9月
- 2017年8月
- 2017年7月
- 2017年6月
- 2017年5月
- 2017年4月
- 2017年3月
- 2017年2月
- 2017年1月
- 2016年12月
- 2016年11月
- 2016年10月
- 2016年9月
- 2016年8月
- 2016年7月
- 2016年6月
- 2016年5月
- 2016年4月
- 2016年3月
- 2016年2月
- 2016年1月
- 2015年12月
- 2015年11月
- 2015年10月
- 2015年9月
- 2015年8月
- 2015年7月
- 2015年6月
- 2015年5月
- 2015年4月
- 2015年3月
- 2015年2月
- 2015年1月
- 2014年12月
- 2014年11月
- 2014年10月
- 2014年9月
- 2014年8月
- 2014年7月
- 2014年6月
- 2014年5月
- 2014年4月
- 2014年3月
- 2014年2月
- 2014年1月
- 2013年12月
- 2013年11月
- 2013年10月
- 2013年9月
- 2013年8月
- 2013年7月
- 2013年6月
- 2013年5月
- 2013年4月
- 2013年3月
- 2013年2月
- 2013年1月
- 2012年12月
- 2012年11月
- 2012年10月
- 2012年9月
- 2012年8月
- 2012年7月
- 2012年6月
- 2012年5月
- 2012年4月
- 2012年3月
- 2012年2月
- 2012年1月
- 2011年12月
- 2011年11月
- 2011年10月
- 2011年9月
- 2011年8月
- 2011年7月
- 2011年6月
- 2011年5月
- 2011年4月
- 2011年3月
- 2011年2月
- 2011年1月
- 2010年12月
- 2010年11月
- 2010年10月
- 2010年9月
- 2010年8月
- 2010年7月
- 2010年6月
- 2010年5月
- 2010年4月
- 2010年3月
- 2010年2月
- 2010年1月
- 2009年12月
- 2009年11月
- 2009年10月
- 2009年9月
- 2009年8月
- 2009年7月
- 2009年6月
- 2009年5月
- 2009年4月
- 2009年3月
- 2009年2月
- 2009年1月
- 2008年12月
- 2008年11月
- 2008年10月
- 2008年9月
- 2008年8月
- 2008年7月
- 2008年6月
- 2008年5月
- 2008年4月
- 2008年3月
- 2008年2月
- 2008年1月
- 2007年12月
- 2007年11月
- 2007年10月
- 2007年9月
- 2007年8月
- 2007年7月
- 2007年6月
- 2007年5月
- 2007年4月