西国の人 2 新潟の大学院生さん

2010年10月10日(日曜日)

 二年前の秋、新潟市から当館を訪ねてこられた青年と話す機会があった。カフェでご挨拶すると、「よろしかったらどうぞ」と隣の椅子を引いて勧めてくれた。突然の積極的な振る舞いに少々驚いた。
 わが新潟県人が初対面でこんな風ににするのをあまり見たことがない。どこの人かな思って隣に腰掛けた。やや小柄できりきりとした黒目の人は果敢な印象だった。

 

 彼は都内の大学を卒業してから新潟大学の大学院へ来たと仰った。しかし元々は地方出身との事。出身地が気になって尋ねてみた。
「何処から来たと思われますか」と彼、西の方ですか、と私。
「ええそうです」
「もしかしたら広島ですか」
「そうです、よく分かりましたね」
東京の大学を経由してなぜ新潟へ、ともう一度尋ねた。すると彼は木立の向こうのどんよりとした空を指さして明快な口調で言った。
「こういう空は考え事をするのにいいではありませんか」
思いつけもない返事だった。自分が忘れていた青春の感性と力のようなものが思い出された。明快さといい、異国の、私なりの西国の人のイメージと重なっていた。

 

 ところで私の大学時代は6年間を同じクラスで進む。一学年1クラス、1クラスおよそ100人がほぼ一緒で、九州から東北まで出身地が散らばっていた。入学して間もなく地方ごとに性格や気風に独特さがあることを知るようになった。このことは6年間の軟式テニスの部活、その後8年に近い医局生活でも感じた。

 

 知り得た東海から西の人達は元気で果敢な人が多かった。特に部活の6年間、そちらの同輩、先輩は「オイ杉田!」などと言って気後れしがちな私の肩や背中を叩いた(叩いてくれた)。
 「所変われば品変わる、そして人も」。こんなことを携えて昭和50年初夏、東京から新潟県の現在地に帰ってきた。

 

 ところで広島県人について言えば、海外移住に注目した疾病と環境因子についての著名な研究がある。1950年代から始まってい同研究を読み聞きして以来、広島県民が広く海外へ出ていることを知った。海外移住には複雑な要因があろう。しかし若い頃に垣間見た西国人独特の元気、果敢さは払拭しがたく移住とダブル。

 

 出る人、広島県人。たまたまだったが、二年前にお会いした冒頭の青年のイメージもそこへ繋がった。
 

 彼と会って40日ほど経ったある日、以前大変お世話になった方と再会した。広島県ご出身ということは知っていた。
 (拙文は西国の人 1 から続いています。3へ続けてみます)

今日の雁子浜 今日の上越市大潟区の雁子浜。予報が完全に外れて空も雲も見事だった。

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