西国の人 3 貴重な先生

2010年10月29日(金曜日)

 去る10月10日のノート「西国の人 2 新潟の大学院生さん」で、二年前の秋新潟から訪ねてこられた青年の話を書かせていただいた。彼の果敢な印象は心に残った。

 

 それから一ヶ月少々、ある会があった。そのおよそ10年前、大潟町(当時)の有志で結成された一座「しおさい」で芝居「人魚塚」を公演した。今回はその仲間が集まる同窓会だった。全て手作りの素人芝居「人魚塚」は恥ずかしいことに小生が台本を書いて演出した。あらゆる事で様々な方のお世話になった。

 

 困難な照明は地域の高等学校で学校演劇をリードされた元教師・M先生のご指導を仰いだ。三度の公演のうち最終となった希望館は専門機器が整備されていて、いっそう綿密なご指導を頂いた。美しいだけではダメ、ある種灰色といってもいい色までしっかり出しましょう。先生の言葉だった。役者、裏方みな一丸となり大入だった。

 

 同窓会にはM先生も出席される。先生は当地ではとても貴重な広島県のご出身だ。そのことは芝居の時にお聞きしていた。それにしても祖父が広島県人のポルトガルのKさん、広島から来られた先日の大学院生、海外移住と広島県民のこと、、、。私の頭は広島のことから離れられなくなっていた。
 その広島市で育たれ広島大学ご出身のM先生とお会い出来る。少々異風に感じられる西国の、そして広島県民の気質とは、是非ご本人からお聞きしたかった。
 

 10年振りにお会いした先生はお元気だった。懇親会当日、先生のお隣へしっかり座らせて頂いた。そしてなんと言うことだろう、自分はハワイで生まれたと先生は仰った。

 

午後の海 
今日午後の海、素晴らしい夕焼けの予感。
外出していた妻が夕刻、私の携帯に夕焼けがきれいだと電話をしたらしい。
ちょうど仕事中だった。

 

 当ノートは前回の「西国の人 2」の続きです。4へ続けてみます。

 

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