空・海・気象

二つのいよいよ

2011年1月13日(木曜日)

  このところ気温が零度を下まわるようになり、午前の道はガリガリと氷った。夕刻からサラサラと降り始め、いよいよ雪本番の予感がする。昨年も同じ1月13日から本降りとなって久しぶりに大雪の冬だった。

 

 110113
今日13日の夜 上越市大潟区内

100113 昨年1月13日介護保険審査会があった晩の様子

 

 ところで午前にこられた50代の方は熱が37,7度、喉の痛みもわずかだったが、だるさを強く訴えられた。例年より遅く、今年当院で初めてインフルエンザテストA型陽性だった。強いだるさはやはり要注意。

 

 

 教育委員会の上越市学童のインフルエンザ状況および国立感染症情報センターによる全国の情報ではまだ本格的流行を示していない。しかし雪同様しばらく予断をゆるさない日が続く。

2011年、上越地域の天気予報が外れた正月

2011年1月4日(火曜日)

  大荒れという新潟県上越地域の天気予報が大きく外れました。2011年の年末年始は予想外の穏やかさとなり、近隣の海や池へ行くことも出来ました。 

 

 以下年末年始の写真で、海岸は柿崎区です。マガンは大潟区潟田、夕暮れのハクチョウやカモは大潟区朝日池でした。

河口 
海 
波 
マガン 

散歩 
釣り人 
朝日池 
白鳥 

  現在2011年1月4日午前0時を少し過ぎた所です。2011という文字も新鮮です。4日は医業の仕事始め。ひっそりとしている感じのインフルエンザはどう推移するのでしょう。在宅回りも始まりますが、雪が少ないのは助かります。

今日も荒れ模様

2010年11月10日(水曜日)

今日も荒れ模様、これで丸3日、風雨にさいなまれている。昨日の新潟県内は29メートルもの風速を記録して被害も出た。

往診ではしばしば横殴りの風雨に見舞われる。車から患者さんの家まで看護婦さんと一緒に走るが、バケツで水をかけられるように降られることもある。この雨風、冬に向かう裏日本の風物詩としては少々きつい。一方で、長時間耐えて続けられる郵便配達には心底頭がさがる。

今日の午後そんな荒天の中を新潟県庁へ行き、県知事表彰というのを受けてきた。35年間当地で何とかやってこれたのは、患者さん達や同僚や病院さんのお陰だといつも思っている。

秋のベンチ晴れていた日の新潟県立大潟水と森公園のベンチ

雲をみる日

2010年9月14日(火曜日)

  今日はまじまじ雲を見た人が多かったのではないだろうか。大小変化に富み、スケールの大きい展開が眼を惹いた。
 雲は形状を変えながら浮遊するなど、人知をこえる形態であるほか、環境を支配する壮大な機能まで有している。かく雲の造形美と様式は高尚だが、アートなどと自称することもなく、慎ましさはさすがである。

 

雁子浜東側の雲 上越市大潟区雁子浜の東

雁子浜の北東の雲 
上越市大潟区雁子浜の北東

潟田の雲 
 上越市大潟区潟田の南
 

 ひどかった夏のほんのお詫びに、とサービス満点だった今日の空。あすはどんな雲が見られるのだろう。

 

  さて、本日テレビを占領していた人達の印象は相変わらずのアナクロ二ズム、加うるに芸人の趣まで。35年間、まじめに納税してきたが、彼らを見るより雲を見ている方がよほどいいと思った。

夕陽の四ツ屋浜でお弁当

2010年9月9日(木曜日)

 台風は曲がってしまって新潟県は直撃を免れた。一日中、気温は30度に届かず、澄んだ空に雲がさわやかだった。

 米山と尾神と雲 
 午後の頸城平野(山は米山と尾神岳/広角レンズで撮りました)

 以前ノートに書いて以来、夕暮れの海で食事することが私たちの課題だった。午後から休診、雲も良く、急遽今夜は海で食べようということになった。

 

 夕刻、家内は母の食事をチャッチャと作り、2人とも少しドキドキしながら近くの四ツ屋浜へ行った。食事はほか弁で、家内は缶ビール、私はノンアルコール缶だった。 入り陽  雲が少いためダイナミックな夕焼けにはならなかったが、まるまる入り陽が見られた。開けたドアから海かぜが入り波の音が聞える。想像以上にリラックスしながら食べた。580円のお弁当はオカズが沢山でご飯もいっぱい。十分に楽しめた。

 四ツ屋浜の道
暮れた四ツ屋浜の海、向こうの高いところで食べた

 海のそばに住んでいるとこんな楽しいことがあるんだ、と家内。暗くなるまで50分間の海辺。お金も掛からず事故にも遭わず、手間も要らず、と喜びつつ車で3分足らずの家に帰ってきた。

  午前中、50名様の団体でご来館頂いた北陸三県の浄土宗寺庭婦人会の皆様、ご不自由ございませんでしたか。ご訪問に心より御礼申し上げます。

少女が連れてくる秋

2010年9月4日(土曜日)

可愛いシルエット 

入り陽の海を小一時間歩いた

 

戻った車のそばで少女が赤い空を見ていた

 

一途なシルエットからぽつぽつと言葉が溶け出していて

 

金星が現れると愛らしい鼓動が聞こえるようだった

 

 

ところで、私が生きてきた時間はとても短く

 

少女が生きる時間は際限なく長かろう

 

際限ない時間を持つ人は魔法使いのようなものだから

 

この子が夏に別れを告げた時が秋の始まりらしい

ちゃんと降らない雨

2010年8月24日(火曜日)

一粒は降るという昨日の土底浜の祭は降らなかった。暑さで庭も限界と昼に妻がつぶやいた。遠くで雷は鳴っているのにね、と往診先の奥さん。そんな午後、こっちは降っているよ、と野沢へ向かった甥から電話があった。

 

夕食後、乾きがきつい美術館の庭へ水遣りに出た。むっとするような大気を黒い雲が覆っている。降るのか、と思いながらホースを芝に向けた。するとぱらぱらと雨音がしてきてあっという間に本降りになった。
道路にしぶきが上がり、シャツはびしょ濡れ、髪から滴がしたたり落ちる。待望の雨だと思った。

しかしその雨も程なく止んでしまった。西空の雲が切れて金星が現れ間もなく明るい月まで。すると今度はチリリチリリ、と虫の音。もう秋なのに、雨はなかなかちゃんと降ってくれない。

 

雨雲 今月中旬のこと、こちらを素通りした雨雲

行く夏

2010年8月22日(日曜日)

 昨日から来ている姪たちと海へ行った。日曜の朝7時半の海など早くて普段見たことがない。しかし海は音もなく静かでとても良かった。何組かの若者たちがいて楽しんでいた。 

渚 
朝の海

 

 ひとしきりシーグラスを拾って浜茶屋(海の家)でかき氷。この飲み物の最後はやはりコメカミが痛くなる。

 

 空は澄み明らかに海はしみじみとし始めている。まもなく秋、いやもう初秋、たとえ猛暑でもそう決めてみた。 

小屋から 

行く夏を小屋のレゲエが惜しんでる      sousi

雨雲へ向かう草道土底浜

2010年8月17日(火曜日)

 上越市大潟区の土底浜。海に沿った高台にすっぽり腰まで埋まる草の道がある。下に平行して車も通れる道があるのに、何のために使うのだろう。あたりに畑もなければ小屋もない。不思議な道だが誰かが通っている気配はある。

 

  ここの夕焼けも良くてたまに来ますが、少々気になる道です。土底浜(どそこはま)は本当に変わった地名だと思います。ドソコはアイヌ語だったのかもしれません。写真は今夕でした。

 

草道 

雨雲へ向かう草道土底浜 たれの道かや今も道らし

 

見納めでもいいという夕焼け

2010年8月8日(日曜日)

 今日は雨を待って空が気になっていた。夕食中、カーテンを開けると東の空に小さな虹が出ていた。以前、不安定なお天気の夕刻に虹が出て、素晴らしい夕焼けがあった。

 

 「海へ行ってみよう」と妻に声を掛けて食事を中断した。車で着いた近くの四ツ屋浜はまあまあの夕焼けだった。それでも妻は喜んで、今度ここで夕焼けを見ながら食事をしたい、と言った。 

日没後の空 
そろそろ帰ろうか、という頃

 日も沈んで、そろそろ帰ろうというころ、佐渡の方がきれい、という声で振り向いた。北側が赤々と染まっている。出て写真を撮り、車に戻ってカメラを片付けていた。

「凄くなってきたわ」、とまた妻。

 

広がる夕焼け 
みるみる大夕焼けに

 見れば一面の群雲に鮮やかな陰影が付き、強くオレンジ色に輝やいている。わずか1,2分だろうか、息を飲むような夕焼けが展開された。

 

「これなら末期(まつご)の眺めでもいい」。
三人の老親の間で何かと多忙を極める妻は、まじまじと夕焼けなど見ることが無かったのだろう。食事を中断して見に来てよかった。

 

 夕焼けならこれからもっと素晴らしい日があろう。そんな日にこの丘で食事をするのはいいかもしれない。私は飲めない口だが、その時は代行を頼もう。

 

 帰って食卓に戻ったが、もう十分だった。

 

 今日は小千谷からもお客さんがお見えになった。私の植物画やシーグラスの絵はがきが一週間で150枚ほど出たと聞いた。 

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