再びの寒波 本当に年の割に元気なのか。
“寒波の予報で早めに来ました”
昨日からこんな風に仰る方が何人も来られました。テレビは本日から始まる大雪を予報し、再び「警報級」と繰り返しています。今冬このような予報を何度か聴きましたが、幸運にも問題無く過ぎました。しかしこの度は今までとレベルが違うようなので心配してます。
昼休みに近隣を走り、このところ目にしていない白鳥とハクガンを探しました。当地の北東部を一時間ほど回ったのですが目に止まったのは吉川区の電柱で休憩する雀の群だけでした。
雀は減り続ける野鳥と言われて久しく、このような群を目の当たりにするととてもほっとします。それにしても目的の鳥たちはいったい何処にいるのでしょう。
雪景色に変わったためでしょうか、
見慣れない場所を走りました。
この程度の雪ならとてもきれいです。
帰ってから二軒の在宅を回りました。最後のお宅を終わり雪中玄関から車へ走り出すと「先生は年の割りに元気だね」とご家族に声を掛けられました。本当にそうなら良いのですが。
早くも立春、蕗のトウ。
本日二回目の投稿で本当に気まぐれです。
本日はそれほど暖かく感じなかったのですが、髙田で最高気温が7,2℃。各地はもっと高い所が多かったようです。
言われてみれば立春、美術館に落ちた枯れ枝を片付けた後、ちなみにと裏の土手を見たところ蕗のトウが沢山でていました。
以前小雪と書くと憚れると書きましたが、もう立春になりました。暖冬と言っても良いと思いますが、まだ油断出してはいけないのが雪国の定めでしょうか。
今夜のテレビ新・居酒屋百選で近江八幡がでました。昨年末に歩いたばかりの八幡掘が映り、あらためて行って良かったと思いました。
83才になりました。
この週末は私の83才の誕生日と節分でした。それまでブログを5日も空けていました。特別忙しかったわけではありませんが、今月23日の作之助講に向けたスライド作りのほか一件の看取りが加わり、いつしか過ぎたという次第です。
便りの無いのは良い便り“No News is Good News”ということで勘弁して下さい。
さてその昨日2月1日、講演予定のスライドを修正し、娘が持参したケーキを食べ、鳥を観に出かけ、樹下美術館の庭を見ました。
冷たい田んぼでこともあろうにハクセキレイが水浴びをしていました。
気の早いクリスマスローズが花を付けていました。この花が咲くと冬休みものんびりしていられなくなります。
美術館の金柑。
仕事場のと合わせて60ヶ
ほど甘いのが採れました。
動きが少なくなる冬に豆まき。運動不足の重い腰を上げさせる昔の人の知恵でもあったのでしょうか。豆まきは実に良いタイミングです。
ここから83年、往時の奉天満鉄病院。
父が勤務していましたので
ここで生まれたようです。
1946年2月から3月にかけて満州を引き揚げましたが、資財をすべて没収された父は事前に大事なライカを売り、世話になった中国の職員たちと食事をして別れたと聞きました。
70才代半ばころ、自分は83になったら仕事は限界だろう、と考えていました。しかしその時が来てみますとさほどの不自由も無く、もう少し頑張れそうです。
今年も医療と美術館の継続ほか講演やお茶席などの予定があり、ゴルフも出来るようで、これら全ては皆さまのお陰です。
どうか今後も宜しくお願い申し上げます。
2月23日の小山作之助生誕160周年記念催事の仕度 夕刻は朝日池へ。
よく陽が射して穏やかだった本日日曜日。主に来月23日の拙講演のためのスライド12枚を作り系図1枚の下書きをしました。
講演は小山作之助生誕160周年記念の最終催事の記念講演で、作之助の系譜、特に没後の話をさせてもらう予定です。
上越市と大潟区においては作之助の顕彰事業として10周年ごとのメモリアル行事や毎年の「卯の花音楽祭」が行われています。しかしながら作之助亡きあとの末裔、特に音楽に関する系譜が話題になることは殆どありませんでした。
小山家の方々は東京と関東に移られて久しく、当地との交流がほとんど絶えた現在それらについて知る手立てが失われつつあります。そこで母方の当方で知り得た範囲でお話しさせて頂くことになったというわけです。
作之助には四人のお孫さんがおられ、長女の翠さんは高等学校の音楽教師とピアノ教師に、次女香織さんの長女幸子さんは幼年から音楽教育を受け、優れたバイオリニストになられました。
幸子さんは国立音楽大学卒業後オーストリアに渡り自身の音楽を大きく花開かれておられるまさにその時、若くして亡くなられます。彼女の没後ご主人は高名な指揮者兼バイオリニストに、幼かった遺児ヨナスさんはオーストリア屈指のホルン奏者など実は作之助の「音楽の系譜」は国外で伝わっていました。
これらの情報の詳細は幸子さんの同窓で先輩の作編曲家、指揮者、音楽プロデューサの中島良史氏から、ふとしたご縁でもたらされました。
※良史氏と幸子さんは同姓ですが血縁者でありません。
当日は中島氏から一昨年春に届けられた幸子さんの日本における演奏旅行で録音されたレコードアルバムの一部を掛けるつもりです。
会場は大潟区のコミュニティ-プラザで当日午後1時30分からの予定です。
どうかお暇をみてご来場いただければ有り難く存じます。
本日午後妻は美術館と家の整理を行い、夕刻一緒にハクガンを見に行きました。見ると言っても田では簡単ではないため、少なくとも朝日池でねぐら入りくらいは見ようと出かけました。
目星を付けた4,5カ所の田んぼにハクガンの姿は無く、朝日池へ向かいました。
池に近づくと遠くから雁の群がやってきた。
幸運にもハクガンでした。
全群高らかに鳴きながらやって来て、
着水するなり急に静かになるのを
妻は不思議がっていた。
確かに空であれだけ鳴いたのに、、。不自由な水上で猛禽に居場所を知られるのを警戒するのかも知れません。但し普段新たな群が下りる場合、水上と空で盛んに鳴き合います。
2月23日のイベント
・会場と時間:大潟コミュニティプラザ 13:30~
・後藤丹 上越教育大学名誉教授による小山作之助に関する楽曲の解説講演。
・ゲストによる演奏会 などが開催されます。
・お申し込み、お問い合わせ ☎025 534 4367(大潟区公民館)
楽しい記念日になろうと存じますのでお暇を見てお寄り下さい。
近々詳細が告げられますので再度当欄でもお知らせ致します。
二つの臨終 朝日池、ハクガンのねぐら入り。
毎日付けていたブログが四日空いた。この間何もしなかったわけではなく看取りが二件あり緊張して過ごしていた。
看取りは本当にさまざまでそこに到る道筋も色々だ。場所も自宅、福祉施設、病院、昔は事故まであった。あまり話題にしたくないことだが、以下二つのケースは30年近く経ってまだ明瞭に脳裡にあり、古い事になりましたので記載してみました。
一人目の方は通い続けた高齢の女性だった。夕過ぎて亡くなりましたと連絡があった。伺うと患者さんの顔に白布が掛けられ、お線香も上がっていた。数人のご家族と一緒に顔見知りの弟さんであるお爺さんが枕元にいて、長々お世話になりましたと仰った。
最後の様子などを訊ね念のため診ようとすると胸が僅かに持ち上がるではないか。慌てて顔の布を取り、胸を押仕上げたら不規則な呼吸が出現した。
まだ生きてんねか、とお爺さん。
線香消してください、と言い心臓マッサージを繰り返した。
始まっては止む呼吸。そのつど「あっ息した」「いよいよダメか」と呟くおじいさん。
一定時間が経って反応が無くなり、諸所見から臨終を告げた。
もしかしたら一件は誰も気づかず事は進行していたかもしれない。しかし私が言いなりに宣告し後で誰かが気づくようなら大騒ぎになろう。
同夜酒飲みのおじいさんには早くも一杯入っている気配があった。
もうひと方も脳裡にある。しばしば看取りは家人が観て電話をしてくるが、この方には一時間近く添いながら手を尽くした。ほぼ最後まで意識があり苦しい息のなかで頷くなど意思表示をされた。
床の回りを数人の妻子、親族が囲んでいたが、ある時から僅かに手を動かす動作を繰り返された。何かを訴えているようなので、訊きますから頷いて下さいと耳元で幾つか尋ねてみた。
すると苦しいお顔でいずれも違うと反応され再び手を動かす。何かを払うような動きに見えたので、もしやご家族に部屋から出て欲しいのかと思った。確かめるとはっきり頷かれた。皆さんに説明し外で待って貰うことにした。
だれも居なくなると手が止まった。
「私は居てもいいですか」と訊ねた。
肯定的な表情を浮かべられ、手を握りなおすとしばらくして安心したように息を引き取られた。
おじいさんは最後の苦しみを家族にを見せたくなかったのか。あるいは周囲の泣き叫びなど聞かずに一人静かに逝きたかったのか。生前は円満のなかに侍のような風貌を漂わせていた職人さんで、さすがだと後々も振り返った。
以上2例ですがあとお二人、いずれも大学病院時代の60年も前、20才くらいの方の時、お母さんが取った行動、あるいは老人ご夫婦の看取りで出された申し出など印象的なことがありました。本日の話はこれでお終いにさせて下さい。
以下は昨夕の朝日池です。17時ころハクガンが帰って来てしばらく鳴き合った後休んだようでした。

私は夜横になってから考え事をしては眠れないことがあります。神経質なマガンをよそにうとうとするハクガン。いずれにしても眠れないという鳥はいないようです。
ああ近くに居たかった 鮎の甘露煮と百人一首最中。
本日日曜日も穏やかに晴れた。午後、庭に使う用土を買いにホームセンターへ出かけた。昨年秋から庭全体に肥料入り用土を蒔いているがまだまだ足りない。
本日芝生の目土3袋、花の培養土8袋を求めた。それぞれ小さめの14L袋11個を台車に積んだ。台車は一杯いっぱいになった。支払い後車まで運ぶ途中、溝のようなヘコみでガタンと音がして台車が前にひっくり返った。台車を起こしたところで遠くからスタッフが走って来て、車に載せるまで手伝ってくれた。
さて連日の鳥(ハクガン)です。今日はホームセンターへ向かうのに田を見ながら走った。午後2時半過ぎた頃、高く飛ぶ雁の大きな群を見た。双眼鏡を覗くと大半がハクガンだった。
車の向きを変えて群を追ってみた。雁の方向は朝日池で、車の私はあちこちの道をジグザグに走らざるを得ない。車が池に近づく頃、群は池の西端、米山に向かって手前の狭い部分を旋回していた。低く何度も回る。おそらく近づく前に下りてしまうだろうと考え遠くから望遠で撮った。
遠くからだったが以下の写真が撮れた。
ああ羨まし、大きな群だった。せっかく舞ってくれているのに私は遠くから、しかも遅れて撮らざるを得なかった。普段のねぐら入りは17時前後であり、明るいこの時刻に現れるのは滅多に無い。池のふちにおられた方達は何と幸せなことだったろう。
因みに群の近くに居たのは大抵地元の人か撮影をしない観察者さんだ。一方普段三脚に大望遠レンズで撮る遠来のマニアさんたちはやや遠く東の方で構えている。車の数は数十台はあった。今日ばかりはここで待っていた人達が大変な幸運を掴んだと言える。
さて昨夕は京都、滋賀旅行でお世話になったAさんご夫妻から届けられた見事な鮎の甘露煮を食べ、本日は百人一首歌留多の最中を頂いた。
皺一つ無い見事な子持鮎。
美味しくてほっぺたが落ちそうだった。
百人一首の札が上下2枚の皮となって一包みされている。それにさお状になった甘い餅が入った小豆あんを切って挟む。
高校時代、一時家で百人一首が流行り、母に習って「むすめふさほせ」などを覚えて楽しんだ。このたびお菓子といえど札通りの図案はとても懐かしかった。
本日はせっかく紫式部の「め」で最中を作ったのに撮る前にバクリと食べてしまった。歌は「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」だった。幼なじみとの短い出会いの名残惜しさを雲隠れする月にたとえた歌だった。しかし私の式部最中(もなか)は巡り会うなり即お別れだった。
そこで二つめの河原左大臣(かわらのさだいじん)「陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに」」を作って食べた。
「しのぶもぢずり」は福島県信夫地方の染めによる衣のことらしい。“もじずりのように乱れた私の心はあなたのせいです”と歌っている。
その昔、「しのぶもぢずり」の意味など全く分からずに遊んでいた。しかし意味不明の変わった言葉でも、かえって頭にこびりつい長く忘れずにいることがあるんだと思った。
※河原左大臣は嵯峨天皇の皇子だった人。
美味しい鮎、楽しい最中、京・近江の文化を有り難うございました。
本日土曜日、晴れて温かくても「今のところ」を忘れずに 本日の海と庭。
2024年は秋なかばまで暑さが長く続いた。その漠然とした反動で冬は平野部も大雪ではないかと皆で怖れた。事実何度か寒波が来てその都度大雪、警報級と予報された。しか当地の雪は多いときで15㎝は積もったかという具合、現在道路や田畑に雪は見られず小雪あるいは無雪に過ぎている。
この話題には「今のところ」を頭に付ける事が必要で、軽々に断定し小雪などと言うと、天からバチが当たることを心配する。つまりこの先あるかもしれないドカ雪のお返しが恐ろしいのだ。
だから軽々に小雪などと言った後でドカ雪にでもなったなら、そのせい(責任)ということにもなりかねないので、晴れ間が続く時でも「今のところ」を忘れないようにし、また出来るだけ控えめに有り難みを口にするのが礼儀という雰囲気が当地にはある。
そんなこの頃本日も晴天だった。季節を問わず沿岸で育った者は海へ足が向く。
午後の柿崎海岸は久し振りだった。長いうねりはあったが青々として気持が良い眺めだった。
2009年の大河ドラマ「天と地と」のロケ場所。
直江兼続とお船が馬に乗り砂浜を疾走した。
近隣の皆さんは上掲の石段で撮影を見学。
当時よりも砂浜は狭くなっているのでは。
海岸にいた小さな猛禽モズ。
いつも一羽、寂しくないのだろうか。
海の後は新柿線を走りハクガンや白鳥を探しながら美術館へ。不思議なことに途中一羽も見なかった。
美術館に寄り雪が消えかかるカフェの前でゴルフボールを打ちアプローチを練習した。
この場所も今春肥料を撒く予定があり、苔を処理しないと肥料が効かないとを考えて苔を削いだ。もともと砂丘地のためどう見ても地味が痩せている。
貧乏性なのだろう、晴れると何かせずにはいられない。明日も終日晴れの予報、日中は10℃と出ている。
晴天だった日の夕刻、ハクガンは雪降るようにねぐらへと入った。
本日木曜、定期の休診日。午前の雨は昼過ぎに上がり次第に晴れた。
鳥たちを探したが出たのが遅くさほどの成果はなかった。
田んぼと電線を往き来する雀。
厳冬の合間に一息つく風だった。
所用の時間まで田へと車を走らせハクガンを探した。しかるに目星を付けたいずれの場所にも姿は無かった。晴天の日は思った以上遠くへ出かけているのかもしれない。時間もなく探すのは無理と判断した。
用事を済ますと夕暮れ迫る時間になっていた。ねぐら入りする朝日池なら出会えだろうと寄ってみた。
降りて来た群にハクガンの一団。
やや遠くのワンド入り口に着水した。
5分ほどしてさらに別の群が帰還した。
雁の鳴き声は一種金属的な響きがある。一日を無事に終えた歓喜の鳴き声が空いっぱいに響き渡った。
見上げる空では黒い影としてマガンやヒシクイと同じように映るハクガン。しかし一旦湖面に下りてくると夕闇の中で白く浮かび上がる。

スノーギース(雪雁)と言われる如く着水までの短い時間、彼らは暗闇の中で雪降るように下りた。
日中何処にいるのか皆目見当が付かなかったガンの群。注目しているハクガンは思った以上に数を増やしているようだ。今夕見た限りではすでに数百羽という規模になっているのでは。
今後どんな場所でどれほどの群と出会えるか楽しみだ。現在水田に殆ど雪は無く鳥たちには過ごしやすく経過しているが、お天気にはこの先もそこそこでお願いしたい。
小春日和のハクガン 冬の降水雲?
今どき大雪でも良い時期なのに明るく晴れて温かかった成人の日の祝日。
午後再度のハクガン探索に出たが昨日空っぽだった場所に本日は沢山いた。気持よい空の下、すでに十分食べたのかみなくつろいでいる風だった。
くつろぐハクガンの回りに
マガンあるいヒシクイがいる。
マガン、ヒシクイの方が警戒心が強そう。
陽を浴びて気持ち良さそう。
コハクチョウは県道脇の狭い所にいた。
マガンやハクガンに遠慮しているのか。
鳥を見た足でジョーシンへ行きPCのキーボードを新調しL版の写真プリント紙を買った。キーボードは、一カ所キーが剥がれてしまいボンドでくっつけていたが再三剥がれてダメになっていた。それにサイズが小さくて私には不向きだったため新たに求めた次第。サイズが大きめで打ちやすくなった。
帰路、行く手遠くに白い雲が幕でも降ろしたように見えていた。昨日見た雲と同じ現象ではないかと考えられる。
部分的に降水(冬なのでミゾレや雪)しているところへ陽が射しているのではと想像された。だがおかしいことに、それらを降らせる上部にあるはずの大きな雲が無いのが解せなかった。
地上まで届いている明るい雲。
そこではミゾレか雪が降っているのだろう。
雲の向こう側では暗く見えているはず。
今度時間があったら雲の所まで行って現象を確かめたい。
1月のブログは本日まで13日連続投稿になってしまいました。明日特別なことが無ければお休み予定にさせてください。
ところで昨日の最後に、本日のお天気は崩れると書きましたが、見事に外れました。予報はそうだったのですが、難しいものですね。
●冬期休館して間もなく一ヶ月が経ちます。3月15日の開館までふた月、その前の2月23日(日)には小山作之助生誕160周年行事があり、大潟コミュニティプラザで私の拙い講演予定です。そろそろスライドやレコードなどを準備しなくてはなりませんし、運営とさらに具体的な話もしなければ。
昨日、今日の鳥と空。
もう年だというのに今年になってブログを毎日更新していることになりました。これまで三日、四日と空けることがあったのにどうしたことか自分でも分かりません。肝心な内容の良し悪しは皆さまにお任せするほか無いことも情け無く思います。
年末年始の旅行を長々と書いたことがアクセルになったのでしょうか。年を取って記事がいたずらに長くなる傾向があり気を付けなければと思っています。
さて本日は11日、12日の土日に見た鳥と空です。
実は昨日午後、何となく気配のようなものを感じて目星を付けていた場所でついに今期の初ハクガンに出会いました。やはりこの寒波でとうとうやって来たのです。
この日まだ朝日池には遠方からのウオッチャーの姿がありませんでしたので、飛来早々に見たのかもしれません。
ハクガンを花に例えれば“黒い斑入りの白い花“ということになります。このような花は想像出来ますが実際あるならとても珍重な事でしょう。それが雁にみられるのですから、この鳥が如何に珍しがられ、皆が首を長くして待っているかが分かります。
昨日は数十羽でしが。今後次々にやって来て壮大な群を見られればと期待しています(出来れば300~500羽も)。
以下は昨日の頸城区の空です。
そして本日日曜日の空は晴れ、風も無く穏やかなお天気になりました。
午前中は溜まっていた書類を書き午後からまた田へ行きました。水鳥の観察に関して言えば私は水上でプカプカしているのを見るよりも田んぼで食餌をしたりまどろんだり、移動や飛ぶのを見て撮る方が好きです。
昨日と同じ場所にハクガンの姿はありませんでしたが以下の鳥を見ました。
タカは何種もいますがお互いよく似ていてるので名は詳しく分かりません。しかしこの時期、鳥たちの場所にしばしば現れます。野鳥の捕食者ですが、本日は二羽のカラスに追われて逃げまわっているのを見ました。本気を出せばカラスくらいやっつけるのですが、遊んでいたのでしょうか。
小さい捕食者モズ。私はこの鳥の姿が好きです。昨年秋から鳴き声だけは聴いていましたが初めて撮りました。宮本武蔵の絵「百舌(もず)」のように静かでした。
場所を変えるとハクガンは他の雁の群とともに新柿線の吉川区の空を旋回していました。地上に下りることなく飛ぶだけで、ついに遠くへと去って行きました。タカに突っ込まれたのでしょうか、100羽近くの群でした。現在一帯に何羽くらい来ているのでしょう。
晴れて寒い日は空気が澄んで遠くの山が良く見える。
本日は佐渡島がきれいに見えました。望遠で撮るとよりはっきり見えます。右の端、雪に覆われ一段と高いのはどんでん山でしょうか。
今日は晴れて良かった。明日の空は早くも崩れるようです。
本日の朝日池には新潟ほか遠方の三重や大阪など他府県を交えたウオッチャーさんの車が見られました。
本日もな長くなりました。
音楽家飯吉さんご兄弟、兄汐澤靖彦さんのご逝去。
当欄でかってお載せしました指揮者の汐澤靖彦さんが去る7日にお亡くなりになりました。当日Yahoo!ニュースに出ていましたが、本日お載せ致します。
汐澤さんは本名飯吉靖彦と申され、中学時代からピアノで有名でした。お父さんは潟町中学校の校長先生だったと思います。当持の同中学校は吹奏楽が盛んで、近所の同級生たちはピッコロ、小太鼓、トランペットなどで一緒に演奏していました。
学生服の靖彦さんは時に我が家でピアノを弾いてくださりスターの雰囲気がありました。
直江津高校から進んだ東京藝術大学卒業後は読売日本交響楽団の創立時のバストロンボーン奏者として長く活躍、その後著明な吹奏楽団の指揮者とともに広く後進の指導に関わられ、東京音大名誉教授に任ぜられました。
当ブログには2015年、上越タイムス首都圏版での記事掲載と2023年の白金フィルのコンサートの記事を書かせて頂きました。
23年には氏の友人から是非楽屋でお会いしてと勧められていましたので、当日お訪ねしますと、非常に喜んでくださり、お元気なのと「兄がお世話になりました」と仰ったのが心に残っています。
お兄さんの馨氏は新潟大学芸能科で学ばれた後ジャズに進みピアニスト、作曲、アレンジャーとして活躍され、NHKにもレギュラーとして出演されました。
私どもにも何度かお寄りになり、氏のライブ演奏をよく聴きに行きました。
一昨年指揮後の汐澤靖彦氏と
東京芸術劇場の楽屋で。
東京で演奏する馨氏。
馨さんは既に亡くこのたび靖彦さんもお亡くなりになられ本当に残念です。お二人の歩まれた道は違いましたがそれぞれの音楽に捧げられた情熱は熱く、幸せなご兄弟ではなかったでしょうか。
この度の汐澤靖彦さんのご逝去に対し心から哀悼の意を申し上げます。
脅しの如く大雪と言われながら 夜は「ハウルの動く城」をちゃんと観た。
降るぞ降るぞ、平地も降るぞとテレビの予報が言い続けた。東京の用事へ行った妻は何日も前から列車はどうなる、ほくほく線ににようか北陸新幹線にしようか迷い続けた。結局予定していたほくほく線が運休と聞き、新幹線に変更し遠い上越妙高駅へ向かった。
警報級とも言われ繰り返し予報された寒波は結局さほどのものではなく、当地で10センチ前後、山間でも数十㎝の積雪だったのではないか。警戒を促すのは良いが、この度は大雪、大雪、大雪とまるで脅しの如く言われ、逆に多方面のキャンセルなど混乱を招いたことはなかったのだろうか。
夜9時から「ハウルの動く城」の放映があるというので観た。ジブリは「千と千尋の神隠し」くらいで、以後観たこと無かった。普段時間が無いからと言い訳して殆ど映画を観ない。しかし今夜くらい観ようと夜9時からテレビの前に座った。CMも入れて11:30まで、思ったより長い放映だった。
倍賞千恵子さんのエンディングの歌。
見聞するだけだったこのアニメは人の行為と世界を魔法と魔界という舞台に置き換えながら戦争に焦点を当てた意味深長な映画だった。自動車などから時代は第一次世界大戦のころか、まだ世界が植民地と覇権に血眼になっていたころと考えられる。
そんな世界で良心の若き魔法使いハウルが超絶、過酷な魔法をもってボロボロになるほど死力を尽くしても戦争というものを終わらせるのは困難だ。しかしそれは不可能ではないと訴えていた。当然のことだがそのための鍵は「愛」と「暴力を嫌う不屈の哲学」ではないかと映った。
さらに“愛は若者から哲学は老人から”の振り分けも暗示されていたように受け取った。
今まだ戦争は絶えず、勇ましい人が多いこの世で平和を訴え続けるのは本当に根気のいる仕事だが決して徒労などではない。必死にそれに挑戦する貴重なアイコン、スタジオ・ジブリには長く頑張ってもらいたいと念願した。
ソフィーの声が倍賞千恵子さんだったのをエンドロールで知った。彼女の声は本当にいいですね、普段の歌も好きですが。
私は哲学というものを上手く説明出来ませんが、感情的にならず勤勉で、世界を広げ自らを省み、心静かに他者をも慮る態度のようなものではないか、と今のところ考えています。
本日の冬鳥 彼らの幸福とは。
厳しい寒波が来ている。終日強風が吹き荒れたが雪はさほど降らず美術館や仕事場の積雪は5センチ程度のままだ。だが今夜から明日一日は相当に降ると予報されている。
ところで待ち焦がれているハクガンは何時飛来するのだろう。昨日外来で鳥に詳しい方とお話したところ北の飛来地(八郎潟)の積雪次第であり、この度の寒波によってそろそろやってくるのではないか、と聞いた。
それで本日はまだかとばかりホッカイロを幾つも付けていつも見に行く所を回ってみた。私が観察できるのは頸城平野のわずかな一角だが、残念ながら目にすることはなかった。
以下はこの日のアトリと僅かの雁です。
季節風を防げる高台の下の田には色々な野鳥がやってくる。本日はアトリの群が跳び回っていた。かってアトリの非常に大きな群を何度か観たことがあるが、目にしたのはそれらの何分の1、まあまあの群だった。
雪まじりの強風の中あっちへ行ったりこっちへ来たり。田に下りたと思うとすぐ飛び立つ。飛び回るのは良いがちゃんと食餌が出来ているのか心配になる。忙しく移動するのはタカなどの捕食者から逃れるためのようだが、それにしてもである。
群が近づいて来た時の写真。
よく雀が混じっているが、
本日の写真からはアトリ一色だった。
いっとき吹雪のなかのガン。
ヒシクイかマガンか判然としない。
春爛漫の季節とは真反対の冷たく荒れる日の冬鳥を見ていると、こんな過酷な環境を選ぶ鳥たちの幸福とは何だろうと思ってしまう。しかもようやく春の訪れが近づく頃には、もうこ居られないとばかり北へ飛び立つのだから。
多分彼らが帰る北国の大地には淡い春の陽光と柔らかな若草が待っていて、気に入った伴侶とともに抱卵し子育てをするのだろう。そこにおける秋までが最も幸せな時間だと想像できる。それに対して今どきの当地は、凍り付くふる里を避けるための避寒地であり、彼らの野性からすればこの程度の気象なら何とも思わないのかもしれない。
時には翼へのあこがれはあるが、私には渡りなど絶対に無理で、せいぜい吹雪を耐える彼らを見てはその身を案じることしか出来ない。
京都滋賀の旅 最終日は延暦寺。
4泊5日の京都滋賀旅行は本日延暦寺を参拝して終わる。この日は延暦寺のみなのでいつもより遅く出発した。
この度はケータイにSuicaを入れてきた。初めのうちは不慣れだったが、次第にさっさと改札出来るようになった。ちなみに全部で13回の改札、4670円を電車代に使った。
一方タクシーは12000円ほど乗っている。がめつく言うと二人とも昼食を摂らない分およそ2600×4日=9200円を節約できているので、一定分タクシーの埋め合わせにはなっている。
比叡山ケーブルカー坂本駅。
京阪電駅からバスで10:30ころ到着。
昭和2年に建てられた駅舎は国の有形文化財に登録されている。
時々現れる晴れた琵琶湖を眺めながら11分で延暦寺駅に到着。
護摩祈願が行われる根本中堂は2026年まで10年がかりで大改修中。受付で二人分の祈祷を申し込む。ともに「家内安全」と「健康祈願」にした。間もなく暗い堂内で20人分ほどの護摩祈祷が始まった。
私達はやや高い所の椅子に並んで座る。不動明王を祀った祭壇の前に僧が座り読経を始める。こちらから見えないが6、7人の若い僧が堂内に居て経を唱和する。
祭壇に小さな火が灯され、僧は経を唱えながら絶え間なく印を結び法具を操る様子。大勢の僧の唱和が堂内に響き荘厳な雰囲気になってくる。前段は辺りを清め、不動明王をたたえながら呼び寄せる儀式と思われた。
読経の響きが高まると護摩の火は一段と大きく立ち上り明王が現れたらしい。
祈願を申し込んだ者の県と名、祈願内容が読み上げられていく。終盤、私達一人一人の祈祷になった。祈願を書いた護摩木が焚かれあらためて炎が立ち上った。唱和のなか何とも言えぬ有り難みがこみ上げ胸が熱くなる。終わってお札とお守りを一式もらい暗い堂から出た。妻は目を赤くして感動したと言った。
護摩供養
延暦寺ホームページから。
まさにこのように見えていました。
外でずっと梵鐘が鳴り続けている。祈祷を終えて鐘楼へ行くと次々に参拝者が撞いていた。
私達も列に並んで撞いた。
さて以下は昭和30年(1955年)秋中学二年生の秋に行った関西修学旅行における延暦寺・根本中堂の写真です。
当持は二眼レフが大流行。みな親にせがんだカメラをぶら下げて歩いた。私は父に連れられ柏崎のカメラやさんで買って貰った。
如何にも山中の寺院に見える。
周囲は狭いが正面はどうだったのだろう。
根本中堂は大きくて恐らく二眼レフには入りきらなかったのであろう、右手に回って斜めから撮っている。
比叡山を占める延暦寺は150余の堂塔があり、世界文化遺産になっている。この日他にも魅力的な所があったが、護摩祈祷を受けたあと鐘を一つ撞くと晴ればれとしてしまい、他所を見ることなく下山することにした。
早いか遅いか、長いか短いか、歳月はどちらも合っている。修学旅行から70年近く経ったが、振り返ってただ一言“何とか生きて来ました、本当に有り難うございました”としか言えない。
私達の旅行は不思議と買った切符よりも早く帰ることになる。このたびも買い換えた。
どっとお腹が空いたので京都で買ったお弁当を車中で食べ、帰宅すると延暦寺のお札を並べて妻作のはりはりとお蕎麦を食べた。
はりはり。
祈祷と祈願のお札、それとお守り。
運転、作業、健康にいっそう気を付けけよう。
濃茶を練って旅行の無事に感謝。
石山寺で求めた井筒製のお菓子が美味しい。
旅行中は慌ただしい晦日にも拘わらず、2日もお付き合い頂いたAさんご夫婦には感謝に堪えません。お陰様で何倍も楽しい旅になりました。どうかお元気で、またお会い致しましょう。私達も身体に気を付けその日を楽しみに致します。
何日も長々と書き連ねて失礼致しました。今年もどうか宜しくお願い致します。
本日は終日風と共にみぞれが降り辺りは再び白くなっています。今後の二日間寒波の再来です。
七草粥に大根のバター煮 蝋梅。
本日1月7日は強風に見舞われたが暖かかったため、平地の雪は殆ど消えてしまった。
今日は七草がゆの夕食。珍しく妻の方から撮ってみたらと言う。そんな時に限って上手く撮れないのですが載せました。
昨年植えた仕事場の蝋梅がけなげに黄色の蕾と花を付けていました。一枝とって玄関に飾るといい匂いが漂っています。午後の往診で寄ったいつものお宅の庭でも良く香っていました。うちの蝋梅はこのお宅のを真似て植えた次第です。
荒れる寒い時候に咲く蝋梅。しかも長く咲くので感心します。
ブログのヘッダーも蝋梅に替えました。
旅行の最終日、延暦寺は次回にさせてください。夜になってザーザーと雨が吹きつけ始めました。次の寒波が近くで待っているらしく、冬本番はまだ先です。
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