富山を訪ねてその1,遅まきながら棟方志功の福光。
夏本番前から今夏は暑いと言っているうち、いつしかその本番を迎えている。すると2日3日とブログを休みはじめ、つい休みグセがつき3日、4日と怠けるうちにまる1週間空けてしまった。
患者さんのご迷惑も顧みず11日から15日までお盆休みをもらっていたので、12日から一泊で富山県に出かけた。主な目的は一日目は福光町(現南砺市の)で棟方志功関連施設を、翌日富山市内で県立美術館を訪ねることだった。
棟方の足跡を福光に訪ねた方は少なからずいらっしゃると思われ、御地の話は皆さまから色々聞いていた。樹下美術館でも父譲りの志功の板画を数点収蔵しているにも拘わらず同地を訪ねるのは初めてだった(恥ずかしながら何事も人様の後から後からです)。
12日午後新幹線で高岡まで行き、福光へはそこからJR城端(じょうはな)線の赤い2両編成の電車だった。40分少々かけて11駅目が福光駅。
道中の窓外を楽しみ到着した駅前ではタクシーが見当たらず、駅の世話になり会社に連絡して車を待った。
やがて一台で動いているらしい車が帰って来て、帰り電車の時刻まで「福光美術館」「光徳寺」「愛染苑」を回ってもらうことにした。
南砺市立福光美術館は棟方が親しんだ医王山の麓にある。人口4万6千の都市にしては大きくて立派な美術館だと思った。
正面に「二菩薩釈迦十大弟子像」
夫人の機転により空襲直前に
当地へ移送された。
棟方は上記作品によって1955年サンパウロ・ビエンナーレ国際美術展、1956年ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展で、それぞれ版画部門の最高賞およびグランプリを受賞し一躍世界の人となった。
宿命は授かり物でありそれによって仏と感応し交わることが出来る、という意味らしい。絵画を諦めざるを得なかった棟方は重い視力障害を悔い悩んでいたが、福光でこの言葉に出会い全てを吹っ切り版画(板画)に没頭するようになった。
救いの言葉を伝えた浄土真宗の僧・仏教学者蘇我量深(りょうしん)は新潟の人だという。歎異抄から導かれた言葉のようだが真宗のわかりやすさ、自在さは宗旨替えをしたくなるほどだ。
花狩頌(はなかりしょう)。
弓矢でなく心で花を狩る。
大作、二菩薩十大弟子の両側の菩薩を文字で「普賢」と「文殊」と書いている。東京空襲で二菩薩の版木だけが焼失したため当座文字にされ、後に像として彫り足されている。
以下の「鐘渓(しょうけい)の柵」で言う鐘渓は敬愛する陶芸家河井寛次郎の窯の名で、シリーズ24作品は氏を称えて制作された。
鐘渓頌シリーズから
「瓢箪の柵」。
樹下美術館も収蔵している。
「沢瀉妃の柵(おもだかひのさく)」.
沢瀉は棟方が愛した草花。
四角い画面に女性を丸で囲み四隅に文字を配している。棟方流の曼荼羅を想像させる。
以下は同館で展示されていた福光出身の日本画家石崎光瑤の作品。石崎氏は棟方よりも年長で二人は特に親しく交わった。
石崎氏は高野山金剛峯寺の障壁画を手がけ、京都藝術大学教授も務められた。登山家として知られヒマラヤを登頂されている。福光に於ける棟方の住宅用に土地を提供するなど厚い手を差し伸べられた。
続いて光徳寺へ。
戦前文学青年で『白樺』を愛読していた同寺ご住職は柳宗悦の民芸運動に感銘を受け、その美と浄土真宗の他力の考えの根底が同じであると理解するに到った。
昭和13年、河井寬次郎を介して住職と知り合った棟方は福光訪問を重ね、昭和20年空襲の東京を避け、ついに一家6人福光へ移った。福光では同寺の世話になり宗教風土と風光に親しんだ。偶々過日ある方から、かって同寺が制作した志功板画の風呂敷を頂いていた。帰り際寺の女あるじにそのことを話すと、今ではとても珍しいことですと仰った。
以下は良寛による「花無心招蝶」の詩。自然界の美しい摂理を歌い人間もまた然りとしている。
樹下美術館の人齋藤三郎もこの詩の一節を好んで焼き物や絵画に書いた。
民藝運動のパイオニア
柳宗悦の掛け軸。
廊下で見て心打たれた。
以上光徳寺の略略でした。次の訪問先は「愛染苑」です。
福光の生活が始まった頃の
棟方一家。
ささやかな仮寓とはいえ住まいを得た夫婦と子らの安堵は如何ばかりだっただろう。
上に記した石崎氏が“福光の町を歩き歩き(福満之魔智於阿留機阿留機、、、云々)、ヒヤシンスを求め、それを大切にしても道に落としたりと書かれているようだ。文末の「飛矢志武壽」もヒヤシンスと読むらしい。私には難読だが絵から花への感謝が伝わる。
福光の風光をを呉須で描いた
陶板。マチス風でとても良い。
こんな作品を持てたら、、、。
愛染苑を出てすぐ向かいにある6年を過ごした住居「鯉雨画斎(りうがさい)」へ。
アトリエ鯉雨画斎
黒い雨が降りしきる中
赤い鯉が昇っていく。
トイレ。
喜びの仏などが
天井まで描かれている。
以下は新居(鯉雨画斎:りうがさい)完成祝いの寄せ書き。大原美術館館長・大原 總一郎、民芸運動で陶芸の巨匠河井寛次郎、濱田庄司の名が見える。
屏風の右側部分。齋藤三郎の
署名があった(斜めの青丸沿いです)。
以上福光の棟方志功関連の施設回りの略々でした。いつものように昼食抜きの急ぎ足で、3時間弱のタクシー貸し切り代は11850円だった。
もう少ししっかり見て来れば良かったと反省点が多い。タクシーは見学時間の予定を告げその都度迎えに来てもらう方が安く済むかもしれない。
富山に戻ると駅前に
ミストの煙。
富山の宿泊は5年前訪問と同じクラウンプラザホテルでした。
夕食はホテルの洋食。
クレープを重ねたケーキの
美味しかったこと。
令和元年、同ホテルでの朝食時、新元号の名付け親である中西進さんにお会いし写真をご一緒して頂いた懐かしい思い出がある。
夜の電車を撮るためホテルのすぐ近くの停留所「国際会議場前」で待っているとやって来た。新幹線に備え市内交通網整備の一環として導入されたという路面電車。今どきの時勢とは真反対だが成功し充実、市民に愛されているという。
この時も、待っているとポツリポツリと人影があらわれ間もなく電車がやってきた。都会だなと思った。
路面電車が走る町は旅情と活気があって楽しい。かっての東京のほか後年は長崎や熊本の市電にも乗ってみた。このたびは撮るだけだったが次は乗車したい。
非常に長くなりましたが、翌日の富山県立美術館と富岩冠水公園観光を次に掲載させてください。
本日は太平洋戦争の終戦(敗戦)記念日。偉そうに言うわけではないが、うぬぼれた勘違いだけはストレスレベルまで謹みたいと思う。
幾分涼しかった日 女子ゴルフが始まった五輪。
本日髙田の最高気温が30,3度。この所の中では涼しい日となった。それでも毎日熱中症症状の方の点滴が必要になっている。辛い暑さがジワジワと続くと普段と異なる体調の落ち込みが突然のように襲ってくる。微熱を伴えばコロナも懸念され慎重にならざるを得ない。疲れは蓄積するので本日の涼しさが少しでも続くことを願いたい。
オリンピックで女子のゴルフが始まった。TVerで実況されフランス選手が首位に立っているので現地は大いに盛り上がっている。日本の山下選手が7位タイ、笹生選手は少々ツキが無い。あと三日間あるのでまだこの先のことなど全く分からない。どうか二人には粘ってもらいたい。
コースは池が入り組みゾッとするほどである。選手たちは世界ランキングに従って各国から選出されているのでみな強く上手い。映しだされるコースの雲が素晴らしく印象派の風景を思い起こさせてくれる。
先週末の種々。
昨日は初めて行く長野市の京急カントリークラブでゴルフがあった。7時20分に車で出たが、一時間少々で着いた。いつもの常で初めての所はどこも外国で、町並み村落、自然みな新鮮で楽しい。ゴルフ場は900メートル以上あり飯綱山が見える良いコースだった。プレイはほかは良いのだがグリーン回りになるとシャンクばかりして成績はだめだった。また課題が出来たとして頑張ろう。
帰路黒姫童話館へ寄った。遅い時間のため入館は出来ないが、去る日同館を訪ねたA氏から同地の素晴らしいオオウバユリの写真が届き、ぜひこの目で観たいと思い寄り道した次第。
公道から童話館の道に入るところに3本のオオウバユリが咲いている。行きは山側ばかりみていたので、帰路はじめて気がついた。A氏が送ってくれた花は恐らくこれだろう。確かにY字路で案内目印のように咲いていた。涼しいため花期も長いのか。
さて昨晩遅くのオリンピック中継でゴルフで松山秀樹選手が銅メダルに輝いた。最初から首位争いにからみ、後半で激しく順位が変動した。
あのマキュロイ選手と同組ながら彼の上を保ち続け、最後まで崩れず三位を死守した。18番でバーディパットが入れば二位を掛けたサドンデスに進めるところだった。
池が入り組む緊張の最終18番の難ホール。果敢にグリーンを狙う松山選手。ホール全体を大観衆が取り巻いている。フランスはそうゴルフが盛んではない。しかしオリンピックの観客数は驚くばかりで、某有名選手がこんなに多くの観客を見たことが無いと述べたという。やはりオリンピックはケタ違いの競技なのだろう。
それにしてもゴルフは変わったスポーツだ。多くの球技は一つのボールを誰かと投げたり打ったり蹴ったりし合うが、ゴルフは最後まで一人で自分のボールを打ち続ける。4日間もの競技中、成功も失敗も全て自分が行った結果である。面白いのはナイスプレーをして次のホールへ歩く時、歓喜する観衆の中を選手が戦略で頭をいっぱいにしながらうつむいて歩くことである。
選手一人が葬列の人のようになり、気がついては顔を上げ笑顔で応える。昨日最終日の後半はめまぐるしく順位が変わり、そのような場面が何度もテレビに映しだされた。
熱狂が連続するものも良いが広大な場所で繰り広げられる神経がひりひりするようなゴルフを観るのが好きで、続いて始まる女子ゴルフの日本勢には大活躍を期待したい。二人の選手は実力十分なので楽しむようにプレーしてもらいたい。
暑い季節だが雲は見る値打ちがある。
皆さまの「お声」から 当地も梅雨開け。
美術館内のノートに残された皆さまのコメントを一年に二度前期後期に分けてホームページの「お声」欄に掲載させて頂いています。3月~7月の前期がまとまりましたので来週月曜日にホームページにアップ予定です。
本日はその中から幾つかを上げさせて頂きました。
○友人と二人で訪れました。上越にこんな素敵な美術館があるなんてびっくりし、優雅なひとときを過ごせました。素晴らしい作品とお庭、カフェも素晴らしく日常から離れゆったりできました。
○愛知から来ました。隠れ家的な美術館とカフェで、近所にあったら、いつも来たいくらいです。また、機会あれば来たい場所です
○四月より神奈川から単身で犀潟に来ました。想像とは違いとても暖かく暑いくらいで驚きました。近くにこんなに素敵な美術館とカフェがあり、時々立ち寄りたいと思います。
○・倉石さんの作品、今でも何てモダンなのでしょう。全体に男も女も細くて精神まで研ぎすまされている感じ。それでいてロマンチックさもあるところが好きです。いや、自分の体型がゴロンとしていて、こういうシャープさに若い頃から憧れていたから?が大きいかな。 七十一歳で右半身が不自由になられたとのこと。「めし」1953作が、おもしろくて気に入りました。ガリガリの体に魚一匹。はしと椀を持つ手は大きく。そして、左利き!です
○結婚する前から来ていた樹下美術館カフェ。今日は旦那とお腹の赤ちゃんと来れて感慨深いです。今つわりで食べられるものが限られてますが、ここのピクルスが最高においしいです。ノンカフェインのハーブティーもあり、とてもありがたいです。水浴びしている小鳥と庭のお花を見ながらいい気分転換でき、とても良い時間でした。
○初めて美術館に来ました。これからたくさんの美術館を巡りたいと思っていて、その一番がここでよかったです。
○とても心地が良い空間でした。東京にも出店してください。
○私はカレーを食べるぞ!→カレーがおいしすぎた!またカレーを食べに来たいと思います。
○緑色的庭園、紅茶的茶、彩色的午餐、視覚、味覚、心炅都得到了享受和満足!
(翻訳:緑豊かな庭園、赤い紅茶、色とりどりのランチ、視覚、味覚、心がすべて豊かになり、満たされました)
○苦しい時にこちらに来ると落ち着きます。もう少し頑張ります。また伺います。
○人生ツライです。来てよかったです。
○勉強がんばります!目指せ不老不死!
○7東京からK氏、高田からもK氏来られ、5年前買われた当館グッズのボールペンを今もお使いになられ、それで書いています。
○ここは、本当にいやされます。無になれます。山に行ったのと同じくらいのパワーがあります。ありがとうございます。
樹下美術館は小さな美術館ですが、皆さまのコメントに励まされます。
見ていますと、樹下美術館には明日に向かう力強いパワーと今日を癒やす静かなパワー両方があるようです。
また初めて訪ねる美術館が当館だったとは嬉しい限りです。訪れた場所には様々な美術館があることでしょう。旅をし美術館を巡ることは人間と地域の宝に振れることで、楽しみながらする成長の旅でもあります。「出発おめでとうございます」と言いたい気持です。
新潟県は昨日が梅雨明けでした。例年より9日遅いということ、確かに降っては晴れるを長く繰り返えしました。必要な雨と晴れ間により稲は素人の私にも良く育っているように見えます。昨年は異常な不成績でしたが今年はとびきりの豊作を期待したいところです。
本日近隣の水田と空。
1週間の予報を見ますと毎日☀マークが出ています。まだ40度近くにはならないようです。
週末は「オオウバユリ祭」 蜘蛛ケ池のオニユリ 四ツ屋浜で自撮り 長峰のカカシ。
昨日27日午前、再びA氏が二貫寺の森のオオウバユリの写真を送って下さった。10数個の花をつけた豪華な写真だった。
場所はもう1枚から二貫寺の森の
「ともだちハウス」広場のようだ。
同じ日の午後、A氏の写真にせかされるように二貫寺の森へ。すると前回11日の初回より沢山の株が目に付く。県道から入るや駐車場までの間に何株も開花している。
道ばたのクズもそうだが、ツル性の植物は陽当たりの良い場所で威力を発揮する。そのため道路際の草木は、松の苗さえ絡まれて消えてしまうことが容易に起こる。道路が多いのは良いのだが代わりに苦しむ草木を見るのは辛い。
駐車場の周囲にも何本か映えていて、入り口から11本を数えてともだちハウスへ向かう。
ともだちハウスの広場に出た。
同じ陽当たりでも広場の花は良く育ち背が高く沢山花を付けている。下草から突き出ているので余計に目立ち、特に上掲の花は豪華で根元に近い茎は驚くほど太い。
握るとまるで木のようで、これが「ゆり」だとは!すぐ上に草履のように大きな葉がほぼ同じ高さでぐるりと茎を取り巻いている。
二貫寺の森のオオウバユリはその数において想像以上で本日の目的は十分に果たしたとして引き返した。
以下は駐車場までの帰路です。
森の奥に目をやると向こうに沢山花が見えたので入ってみた。
林間のものはさらに葉を大きく広げているが、花数は少なく貧弱に見える。陽が当たらないせいであろう。その近くにも群れ咲く場所があり、この森にはどれだけのオオウバユリがあるのだろう。
二貫寺の森を辞して美術館にもどるとなんとA氏がカフェに。話は当然オオウバユリで盛り上がる。ブログに書くとA氏が反応され二貫寺の森へ行き私に状況を知らせてくださり、私も心奮わせて出かけた。
驚いたことに氏は黒姫の童話館の途中で撮りましたと、素晴らしい花が複数並んだ写真を見せてくれた。国道のすぐ脇、路傍である。こちらではジメジメ「し場所で見るものが、高原では国道際にも生えるのか。本当に驚き、まだまだこの花には驚くことがありそうだ。
さてこの日雲が盛んで夕刻には美しい夕空になった。四ツ屋浜で記念に自分を入れて撮った。2021年心筋梗塞から回復したあと同じように四ツ屋浜で自分を撮った。この度は白内障手術の終了記念にした。
ここまでは昨日27日の分、以下は本日28日日曜日の種々(くさぐさ)です。
午前は溜まっている医療や福祉の書類を書き午後から周辺へ出かけた。大潟区は潟湖が多い。ジメジメした場所の一つ蜘蛛ケ池を思いだし、ウバユリが観られないか出かけた。池に近づける場所には無かったので、周囲の雑木林の小さな流れを探してみた。
辺りに目を凝らすと遠くに2本の花。
潟が多い大潟区では、私が知らなかっただけで昔からオオウバユリが案外多く咲いていたことが考えられる。開花直前に急に伸び、咲くとすぐ枯れるなどから目立たなかっただけかもしれない。
蜘蛛ケ池の帰路、同集落手前でオニユリが沢山咲いているのを見た。
その後吉川区長峰の田で見たカカシが面白かった。
スズメはともかく私達には
十分楽しいカカシでした。
ビニー製のようです。
最後ですが、週末は「ウバユリまつり」と言うべきものでした。花を間近でみたのは初めてで、色々変わった花だと思いました。
流れなど湿気の多い場所を好むこと、スカシユリ風の切れ長で波打つ形状、ほぼ同じ高さで360度茎を囲んで展開する広い葉、開花直前に一気に延びる茎、日光の条件に合わせしぶとく生きるらしいこと、あっという間に枯れるなど独自の性質をもっていることが垣間見られました。
みすぼらしいものから威厳に満ちたものまでバリエーションに富み、それは長い間の巧みな生存戦略によるものではないかと考えられ、この花の古さを想像しました。
二貫寺の森で匂いを嗅いでみますと、ほんのかすかですがやはり百合の匂いがしました。
長くなりました。
眼科受診 大潟水と森公園のオオウバユリ 脱水熱中それにコロナ、就寝時の飲水。
本日25日木曜日、眼科受診をした。6月26日に終わった左眼白内障手術の一ヶ月後健診だった。すでに右眼は同12日だったので、最終チェック。
お陰様で視力は裸眼で両眼とも1,2だった。術前0,4を考えれば別次元、ある意味小中学生時代のレベルに戻ったことになる。メガネ無しでパソコンが打て、仕事も楽でゴルフボールも先まで見える。当初イヤだった鏡の自分の顔は敢えて納得した。
老化現象一途のなかで眼一つでも若返る(超)のは嬉しいことで、昨日受診では何度も医師に礼を述べた。
昨日午後暑かったがその後のオオウバユリを見るべく午後から大潟水と森公園へ行った。
去る7月20日の花。
とても花期が短い。
夏の花はみなそうなのか。
これはまだ開花前では。
二貫寺の森、大潟水と森公園。少なくとも近隣二カ所、それも整備されている場所にオオウバユリがかなりあることを知り、また来年の楽しみにしたい。
大潟水と森公園の前に同公園の西側、長崎新田で鵜の池湖畔のチョウトンボを撮った。
いくら撮っても面白いチョウトンボ。このトンボが枯れた水草の茎などにじっと止まっているのを見ると、暑さの中一心に修行している僧を思わせる。そうかと思えば田んぼで群れて飛び交うチョウトンボもいて、こちらは空中の小さな虫を食べているのか。
今からこの暑さ!この先の本番はどうなるのだろう。
朝起きたら急な頭痛、だるさ、,食欲不振、、、。就寝中の脱水症や熱中症の可能性があり、さらに11波と言われるコロナも心配しなければならない。いずれにしても人混みのマスクがもう一度必要になった。日中の大汗とともに就寝中の効き過ぎるエアコンや扇風機の風は油断出来ず、就寝前の飲水は大切になる。
米山さんの雲 カフェのノートの絵。
まだ続いているらしい梅雨はしっかり晴れ間を入れる。例年のことはみな忘れてしまうがこのようにしっかり降っては晴れる梅雨は珍しいくはないだろうか。
昨日の米山さん。
ひと先ず安心な雲。
上掲は山頂に雲が掛かる米山です。良く見る光景で、見るたびに「三階節」が浮かびます。“米山さんから雲が出た~今に夕立がくるやら、、、“です。
その昔この節はおかしい、米山から雲が出たとしても、山は東にあるのでそこから天気が変わることはまず無い、これは不思議な民謡だと思っていました。実際山頂の雲が広がり当地が夕立になることはよほどの東風か何かでなければ普通はありません。
それがこちらに帰郷して10年ほど経って、ああこれは反対側の柏崎の民謡で、そちらにしてみれば米山は西にあたるので、雲が出れば雨になるのは当然と気がついた次第です。
柏崎の人達は私達以上に米山に親しみを感じられ、畏敬さえ表されます。霊山だったこともあるでしょうが、何より直接的に天候を左右し予兆する山であれば日々しっかり眺めて暮して来たに違いありません。
そんな訳で当地にすれば、米山山頂の雲は“先ほどまでここにあった雲”で、雨雲なら“もう行ってしまった雲”ということになろうと考えられます。見慣れた風景を大きく勘違いして過ごしていることが身辺にある(私だけだったかもしれませんが)一例として一人恥じている次第です。
以下は最近のカフェのノートにありました絵です。
丸い線で描けば
トカゲの親子もエビやアジの
しっぽもみな可愛いですね。
以前からよく猫を描いてくださっる女性の絵です。こちらは細かな線で描かれますがバランス良く仕上がるところがさすがです。どんな人にも、大人もこどもさえ、それぞれ個性とタッチがあることはとても貴重なことだと思います。お子さんから大人の方までまた楽しくお描き下さい。
本番はこの先なのに連日暑い日が続きます。
新潟県立大潟水と森公園のオオウバユリ。
昨日知人のA氏が二貫寺の森のオオウバユリの写真を送って下さった。自分が観た日から9日目、つぼみが膨らみ開花が近いことを覗わせる写真だった。
そもそも私は間近でオオウバユリの花が開花しているのを観たことがない。
2021年7月、大潟水と森公園の歴史ゾーンの先で2本のつぼみを観たがすぐ後に心筋梗塞を発症して入院、花を見る事が出来なかった。しかし先日訪ねた公園の3年前と同じ場所に花は無く、お聞きした二貫寺の森で6,7本のつぼみを確認した。少なくても今年は二貫寺の森で晴れて花を観れるというところまで来た。
そして本日7月20日土曜日、一時間近くの午睡の後、念のため大潟水と森公園の管理棟を訪ねた。すると管理者の方が野鳥観察ゾーンに4,5本、歴史ゾーンに1本つぼみがあり、数本が開花しているという。思いもよらぬ場所に幸運があるらしく早速向かった。
花は意外と近く管理棟から野鳥観察ゾーンへ入って間もなくの場所だった。このゾーンは静かで、かって何度か歩いたが人を見かけることはほとんど無かった。
さっそくのつぼみ。
蓮の花のような部分から
数本花がひらいてくる。
次いで花です!
さらに進むと、
何と気高く生き生きと咲いていることでしょう。辺りから真っ直ぐ突き抜け、花は緑で茶紫のアクセントを帯び毅然として、ああ古代の正統な女王か姫の趣きだった。
一帯は湿り気が強くうす暗くて草木は密だ。しかし近くに人家があり、傍らの国道の行き交いはかなり賑やかで、私も通い慣れている。花はそんな場所で人目を避け長ーい年月咲き続けたていたのだ。本日そこで初めて大小6本のオオウバユリを観ることが出来た。そのうち数本の蕾もあるので後日の楽しみとして公園を後にした。
都市公園という場所で一種原初的で威厳に満ちた花を見る事が出来るのは幸運なことだと思う。
以下は昨日写真を届けて頂いた二貫寺の森のオオウバユリの中の一枚です。
うす暗い森で1本の茎の根元から10数枚の大きな葉を広げている。懸命に光を集めているのだろう。なかでもこの花は太く立派で、一体幾つ花を付けるのだろうか。数日以内に開花が想定されこちらも是非観なければ。
すでに御存知の方も多いと思いますが、まだの方にはどうか素晴らしい花を観て頂きたいオオウバユリでした。
暑い日のゴルフ うなぎパワー。
本日休診の木曜日、眼の手術などで二ヶ月ご無沙汰したゴルフに行った。前からこの日の晴天が予報され、その通りの空となった。
私のゴルフは20才過ぎてすぐ始まっているので60年は経っている。この間ずっと親しみ続け、趣味としては庭いじりと同等、いや長い分、それより上かもというくらい好きが続いている。
午前の9ホールは54だったが自分としては悪くないと感じていた。昼食はメニューにあった「うな重」の写真が誠に美味しそう。いつもなら「カレーの小」などで済ませているものを、同行のA氏に「おごるから一緒に食べよう」と言ってうなぎにした。
しかしいつまで待っても注文を取りに来ない。普段なら手を挙げればすぐ人が来るのに行ってしまう。10分も待っただろうか、ようやく来た人がテーブルのパネルで注文してください、と手順を説明してくれた。
運ばれたうなぎはふっくらこってり、てらりとタレが掛かりメニュー写真の通りだった。錦糸玉子の上のうなぎをダシが滲みたご飯と一緒に箸で四角に切り、重箱の隅に寄せてすくうように取って食べる。日頃昼食を抜いているので最初は残そうと思っていたが箸が進み、一粒残さず食べてしまった。
空きっ腹に普段食べない昼食、それもうな重。体は大丈夫か、と心配しつつ午後の9ホールに臨んだ。すると気持ち良くボールが当たり、およそ真っ直ぐ飛ぶ。「うなぎパワーですね」と言うA氏も調子が良い。最後の1ホールを残して39という数字だったが、ついにうなぎパワーが切れ、最終で8を叩いて47で終わった。
本日午後のコースの眺め。
車で7分米山水源カントリークラブ。
A氏とのゴルフは「良いゴルフをしたかどうか」だけで、勝ち負けのこだわりは全く無い。普段色々と背負いあう多様な人間関係の中で過ごしていると、6時間のゴルフは終始自由で、他に代えがたい生活蘇生になる。
34℃に迫る熱さだったが風は気持ち良く沢山汗を掻き、スポーツドリンクを3本飲んだ。
注文までの時間が掛かり、かなり急いで食べましたのでうな重の写真は撮れませんでした。
楽しめた第20回卯の花音楽祭。
近頃珍しくブログを中3日空けてしまいました。13、14日と一泊で旧友夫婦に会うために出かけ、15日は頸城区希望館で「第20回卯の花音楽祭」に出かけたため慌ただしさほかもあり、休ませて頂きました。
本日は20回目となった卯の花音楽祭です。海の日の祭日午後、雨は上がり会場ホールはほぼ満席でした。不肖親族として来賓席が指定され、お隣は音楽研究と地域の音楽振興なかんずく作之助研究に長年尽力された元上教大教授後藤丹先生でした。新潟市から駆けつけられた先生はかっての病を越えられて全くお変わりなく元気で嬉しい限りでした。
始まると大潟町小学校の9人の児童たちが列を作り場内を「夏は来ぬ」をアカペラで歌いながら入場し、ステージで「いま、地球(ふるさと)は美しい」を歌いました。子ども達の歌声は自然で爽やか、良いオープニングでした。
以下大潟区のオカリナアンサンブルのスタンド・アローンのアンサンブル、吉川区のコーラス「ゆりかご」の夜明けのうたの情感、頸城区の合唱団「火曜会」の信長貴富作曲の二曲は一種ドビュッシー風でリリカル、大潟町中学校吹奏楽部の「秘技Ⅱ」は難解だったが懸命な演奏から宗教的な神秘性が深く伝わり、大潟区のシニアコーラス「さざなみ」の「青田川のうた」は後藤丹先生の作曲で何とも爽やかな親しみにあふれ、前半の最後は大潟区のコーラスおおがたによる作之助作曲「漁業の歌」のヨナ抜き調は在りし日の地域を彷彿とさせました。
休憩を挟んで後半はアンサンブル・オビリーによる弦楽四重奏のゲスト演奏、最後は卯の花合唱団による作之助の「吉野山」と「夏は来ぬ」でした。
地域にいると弦楽四重奏を聴く機会は少なく、バッハとモーツアルトのほかタイトルに「愛」が付く四曲のメドレー、サウンド・オブ・ミュージックメドレー、ラストは夏は来ぬでした。クラシックの演奏家はしばしばその楽しみと裾野を広げる貴い役目を負っていますが、それを遺憾なく発揮される熱演でした。
最後は混声四部合唱の「卯の花合唱団」による作之助作曲「吉野山」」および「夏は来ぬ」の演奏でした。前半でコーラスおおがたが歌った「漁業の歌」は在りし日の漁村の姿で、吉野山は南朝の吉野山における王朝の悲しみです。慌ただしい現代のひととき、佐佐木信綱の詩と作之助の曲によってやまと心に触れたひとときでした。
3時間余、児童を含めて4回の「夏は来ぬ」を聞きましたがみな素晴らしかったです。特にアンサンブル・オビリーの演奏、わけても後藤丹先生編曲の『夏は来ぬ」を歌うために生まれている卯の花合唱団のコーラスは涙がこぼれそうになるほど素晴らしかったのです。
エンディングで高らかに終わる夏はきぬの曲調はドボルザークの「新世界より」の「家路」とダブりました。「夏は来ぬ」は5番まである故自在な変化が可能で、一生懸命演奏される限り何度でも聴ける文字通りの名曲だとしみじみ感じました。
それにしても入場料無しでこれだけ楽しめる音楽会は本当に貴重です。
そういえば前日夕刻は新幹線「上越妙高」駅でキンコンカンと鳴る駅メロ「夏は来ぬ」を聴いてきたばかりでした。
梅雨の晴れ間。
しっかり降ってはまた上がる。梅雨の晴れ間でチョウやツバメはつかの間の陽光に当たりながら活発に動き、空は澄んで雲が面白い。
潟町のブッドレアにアゲハが来る。
アゲハはブッドレアが大好き。
この空がまだ続くならば今年は長梅雨ではないだろうか。今のところ作物には良いらしい。
「二貫寺の森」へ、オオウバユリを見に初めて行った。
およそ小雨模様の本日、晴れ間も見えた午後、姥百合の状況を大潟水と森公園に電話して尋ねた。すると、現在1カ所で確認されていますが、「二貫寺の森」では何カ所かでつぼみがみられているようです、という返事。
二貫寺の森は初めて聞く名前だった。さっそく調べてみるとおおよその場所が解った。上真砂の交差点の東、(株)コスゲに隣接する森一帯がそうだった。着くと駐車場と管理棟(施錠されていた)があり、如何にも湿り気の多そうなフラットな場所で、植物と樹木が濃密に茂っていた。
薄暗い森を、ここなら姥百合(オオウバユリ)があるかも知れない、と歩き始めた。
スマホの歩数で3000歩ほど歩き、10本前後のオオウバユリを見た。
背の高さに違いはあるが大潟水と森公園の電話どおり眼前にする事が出来た。おそらく先端のつぼみに見える部分は更に伸び、そこにいくつもの花を着けるものと思われる。
姿は崇高で、うす暗い湿地の中に繁茂する無数の植物を代表するかの如く真っ直ぐに堂々と伸びていた。
開花はいつ頃なのだろう。まず1週間おきくらいに来ては眺めてみたい。
以上が一回目の二貫寺の森歩きでした。初めて歩く湿った場所は何が出てくるのか少しく緊張するが、随所でひらひらするハグロトンボに心なごまされた。
普通であればこのような場所は荒れ果てて一歩も踏み入れることが出来ないのだが、珍しい事にここはクズやクサギの繁茂も全く見られず、かって読んだ閉鎖林を想像させる望ましい森林環境が保全されている印象を受けて驚いた。
二つの河川による永年の作用でこのように豊かな自然が形成されたとある。しかし関係者の維持管理努力は並大抵ではなかったのでは。「公園」と名付けられていないのも良いと思った。
笠原文右衞門(大川:だいせん)の墓碑移転などのニュース。
昨日のこと館内のノートに以下のような記載がありました。
“2年ほど前から館長のブログを読んでいる。遡って見いていると2016年5月に自分たちの墓の記事があって驚いた。今回先祖の墓や碑の仕舞いに当地を訪ねたが、それも終わりほっとし,念願の樹下美術館を訪ねた”という主旨が書かれていました。
墓と勝海舟が揮毫したという墓碑は幕末から維新期、当地域の文化、教育、基盤構築に大貢献をされた笠原文右衞門(大川:だいせん)のもので、大潟区蜘蛛カ池(くもがいけ)の瑞天寺にあります。
現地で寺院西につづく小高い観音山を登ると中腹にレンガ塀がほどこされ広い階段が付いた立派な墓所へと出ます。かって一度訪れたことがありましたが、二度目の2016年はさらに歳月を重ね、傷みが進行している様子を残念に思い,、三十三観音や他の墓碑などと共にに記載していました。
昨日の上越タイムス一面。
新聞によれば、地元の「郷土史友の会おおがた(小山將会長)はじめ有志の方々とも相談され、墓は近隣の寺に、墓碑は山を下りた瑞天寺境内に移設されということでした。
当館を訪問されたご遺族の慶子さんはシンガポール在住ということ、遠くで長年心配され今日を迎えてほっとされたにちがいありません。遠路本当にご苦労様でした。当館にもお寄り下さり誠に有り難うございました。
笠原大川は近郷近在の若者を教育し、あるいは新堀川掘削に成功し一帯の農業用水路を確立されました。不肖筆者の高祖父・玄作は大川に勧められ江戸で蘭学を学ぶことができました。
また大川の残した資料には、玄作が蛮社の獄事件で幕府に追われる高野長英を匿っている嫌疑があるので二人で出てくるよう促す役人からの緊迫した文書が残っているなど、私どもと浅からぬ縁がありました。
懐かしい認知症の人と家族の会の方々 北信からのお二人。
本日昼、上越の「財団法人 認知症の人と家族の会」から23名の方が来館された。前日柿崎区上下浜温泉に一泊されお寄りになった。かって2002年、この方々には大島画廊でボタニカルアートの初個展を行った際お手伝い頂き売上金の一部を寄付させてもらった。
その時の同じお顔数人の方とお会いしとても懐かしかった。当時は介護保険が始まって3年目、様々な機軸が生まれ「痴呆」が「認知」症」へと公式に呼び名が変わった時期に当たっていた。
年一度の公式な慰安行。
明るさの中に連帯と強さが
感じられる。
カフェのほか陶芸室のテーブルでもお茶とケーキでくつろいで頂いた。介護や支援の事情は変遷を重ねるがこの方達が行っている根底は一貫し、情報量の多さも特筆すべきことだと思う。
皆さまがお帰りのころ長野県は北信からお二人お見えになった。過日一度訪館され、今回友人を誘われた模様。
お話すると石州流茶道をされ、昨日は上越市板倉区で行われた「ゑしんの里茶会」に出られたと仰った。前回、当館窓口で茶会のチラシをご覧になっての参加、私達の後同じ席に座られたとは。熱心に展示もご覧になり閉館までお茶をされたとお聞きした。
過日私たちの須坂行きなど長野県なかんずく北信と上越の近さをあらためて認識した。
大雨と酷暑の趣き、家に籠もるという人が多い中、活発に動かれる方がいらして頼もしく思われる日だった。
ゑしんの里記念館の茶会。
本日日曜日は梅雨の晴れ間となり、妙高連峰がよく見える板倉区は「ゑしんの里記念館」で茶会があった。裏千家茶道宗米先生お社中、宗季さんの薄茶席と煎茶道の方円流宗園先生お社中の紅茶席が持たれた。
薄茶の宗季さんは妻の友人で長年互いに往き来している。このたび初の席主を務められ緊張されたことと思う。一方でご準備、本番と心砕きながらその時間を一心に楽しまれたのではないかと想像している。
お心入れの楽しいお道具組み。
お棚はかって私も使った
ことがありとても懐かしかった。
「水」をテーマに地元作家さんの陶芸作品を取り入れ、滝、波、清水、蟹、水面、水鳥など清涼なイメージが随所に配され、清々しいお席だった。チェンバロを弾き英語堪能な人がどこから見てもお茶人の佇まいになられ、ご努力の年月を思わないわけにはいかなかった。
ウエッジウッドのカップ&ソーサーに丁寧に淹れられた紅茶は美味しく、注がれる水音は涼しかった。時にはこのような趣向も有り難いと思った。
窓外の妙高連峰と周囲の池。
建てられて後荒れてくる施設を時に目にする。しかしここは広大にも拘わらず館の内外とも良く手が入り、炎天の日にあって気持ち良く過ごす事が出来た。
お席持ちの先生方、お点前の社中の皆さま、清々しい気持になって帰りました。本当にご馳走さまでした。
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