雨のトワイライト 美しい光。 

2014年11月29日(土曜日)

次々にやってくる週末。
自分の一日はちょっとした一本の映画よりも早く過ぎているようだ。

昨日本日ともよく雨が降ったが非常に温かった。
インフルエンザのワクチン接種は終盤に入ったが、一方で著しい寒暖差からか長引く風邪が絶えない。
そんな折り、早くもインフルエンザによって学級閉鎖となったという高校生が見えた。

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午後、仕事場のカーポートの屋根でナニワイバラが腰ほどの高さにまで繁茂しているので、
屋根に上がり、大きく伸びる沢山のシュートを伐採した。
トゲの海に入るようであり、切った枝を引っ張り出すのは容易でなかった。

バラの手入れのあと、美術館にこられた知人ご夫婦とお茶を飲んだ。
悪口のカケラ一つ言わないお二人との話は爽やかで、時の経つのを忘れた。

 ペンダントライト暗くなって雨が激しく窓を打った。
真珠をばらまいたような雨粒のガラス窓に室内のペンダントライトが写る
窓外の庭、ガラスに付いたしずく、ガラスに写る室内のライト、ガラスに写る室内の額に写ったライト、
4つもの場?が一度に見える不思議な時間だった。

 宵闇のはくたか閉館のあとほくほく線高架橋へ。暗くてだめだと思いながら下りはくたか19号を撮ってみました。
左下の光は雨に濡れた農道。
ああ「銀河ステーション!」のアナウンスが聞こえてこないかなあ。

明日日曜日の日中は晴れる模様。間もなく今年の閉館、皆様のお越しを心待ち致してます。

鳥にも好かれる樹下美術館。

2014年11月28日(金曜日)

先日二日続けて掲載しましたカフェ右側のモミジがほぼ落葉し終わりました。

男性スタッフによる庭木の雪囲いが終わり、残っていたこのモミジは特別に支柱を立て枝を釣るいわゆる雪づりで冬に備えることにしたそうです。
雪づりは格好よく風情もありますのでご欄になってください。

014雪づりをほどこすスタッフ。
矢印の所に鳥の巣がありました。

ところでこの樹のすぐ近くのモミジにも巣がありました。
いずれも建物に近く、しかもそう高くない場所で、かなり人通りもありますので驚きました。
私たちが行ったり来たりしていた頭上で鳥が巣を作り、産卵しヒナをかえしていたのですね。
それはどんな鳥だったのでしょう?

019上記のモミジの樹の巣。

 0185メートルほど離れたモミジにも。

樹下美術館では毎年カフェの左上の軒下に雀が、庭の奥の巣箱にシジュウカラが営巣します。
当館が鳥たちにも気に入られていること、とても嬉しく思います。

山に栄養、人に滋養 上越市牧区から。

2014年11月27日(木曜日)

昼過ぎ、上越市牧区にお住まいの妻の縁者から山の幸を沢山頂きました。

お米、野菜、山菜、穀物、おもちが運ばれ、豊かで清らかな山の産物を見て心身がすーとしました。
運んで頂いたお年寄りご夫婦は腰がぴんとされ、お顔からほこほこした人柄が伝わるのです。

何度か牧区の奥へ行ったことがありますが、まず平らな所はありません。
「坂や土手は平気ですが、平らな所の方がどうもおっかないです」
体がもう山の風土と一体化しているのですね、おどろきます。

牧区の穀物山の力がこもった干しぜんまい、小豆、黒豆。
正月の膳が浮かんできました。

本当に有り難く思い、また恐縮しています。

飽かず降るモミジ 「枯葉」/「雨に歩けば」。

2014年11月26日(水曜日)

晴れ間は無かったが雨風強からず、いく分寒さがゆるめだった一日。
一昨日書かせて頂いたカフェ右手のモミジの落葉が続いていて葉の量も増えた。

風が穏やかだったせいで樹の下を中心にふんわりと散っている。

141126モミジ落葉本日落ち葉は、手前(北側)に伸びて散っていた。
向こうは高田妙高方面なので風はわずかに南寄りだったのでしょうか。


You Tubeからレイコニフ シンガーズの「枯葉」/「雨に歩けば」
懐かしいレイコニフシンガーズ。これと同じ曲がカフェの音楽に入っています。
「枯葉」と「雨に歩けば」が交互にあるいは絡み合って流れます。

秋が冬にバトンを渡す季節になりました、本日ご来館の皆様有り難うございました。

ナチュラルな時代。

2014年11月25日(火曜日)

先日小学校で健康診断があった。
来春入学予定の園児が対象だった。

当地で開業し、以来40年近く11月になると就学時健診に出た。
目立った肥満やアトピーが少なくなり、医療と意識・環境の向上の結果であろう。

この間、印象深いことの一つは、付き添った保護者たちの服装だった。
わけてもバブル期、突然のように生じた独特の奇異さは再びお目に掛かれないのではないか。

派手なダブルスーツ、見事な肩パット、金ボタン。
華やかなスカーフ、手にセカンドバッグ、胸や手首にジャラジャラしたアクセサリー。
前髪を巻き上げたワンレングスや私でも知っていたソバージュの髪、そして太い眉。
健診会場はあたかも若いお母さん達の華やかなファッションショーだった。
(男性のスーツやアクセサリにも似た傾向があったように思われます)

しかし光景はある種突然的ながら、目を背けるほど奇異ではなかった。
テレビのキャスターやドラマの人物、タレントたち、ニュース映像etc.から、いつしか町中や私たち自身にもそれは浸透していた。
一方で園児たちはまだ地味で、ときおりモヒカン風の髪型の児に目を奪われた。

しかしそんな光景は長く続かなかった。
バブルが弾け、以後急速に服装は暗く地味となり、今ようやくある種自然で自由な方向にある印象を受ける。
一方お子さん達の装いは服、靴などのデザインや色はお菓子の如く可愛く幸せそうである。

ところで昨日、見慣れた女性の眉が以前よりかなり太めでわずかにブラウンなのをまじまじと見た。
バブル後、極端に細く強くなっていたものが、ゆるっと自然な感じに戻ったのである。
眉に限らずナチュラルな外観は本人も楽であろうし、
かつ行動に於ける真の個性と自発性の発揮などで優れていると考えられる。

落ち着いた装いと子どもの可愛い服装が、良い時代の兆しであってほしいと思うのです。

枯れ芝を染めていくモミジ。

2014年11月24日(月曜日)

吹かれて散り、晴れても落ちた木の葉。
大方裸木となった庭で、カフェの右手で燃えていたモミジが散り始めた。

毎日掃いてきれいになった枯れ芝を最後のモミジが染めていく。
「しばらくそっとしておいて」と本日スタッフに言いました。

カフェの前の落ち葉枯葉たちにどんな思い出があるのでしょう。


エラ・フィッツジェラルドの「木の葉の子守歌」

本日ご来館の皆様、大変有り難うございました。

上質の天一美術館 目の当たりにした谷川岳。

2014年11月23日(日曜日)

2週間前に妻の母の容態が変調し、月末の東京一泊における同級生との会食をキャンセルしていた。
嘔吐と肺炎だったが、幸い持ち直しに向かった。

そんな折り、美術館カフェの常連さんから水上の「天一美術館」の話を聞いた。
内容に強く惹かれた。
せっかくの連休、母の小康をみて急いで切符を手配し晩秋の各駅停車メインの日帰り旅となった。

訪ねた美術館は東京の老舗「銀座 天一」の創業者がそのコレクションを展示して1997年10月に開館している。

岸田劉生の充実した麗子像、さらに佐伯祐三の彌智子像と藤田嗣治の少女像の豊かな色彩に胸躍り、川喜多北半泥子の上品な侘びの陶芸に目を奪われ、小品ながらルオーやルノアールの油彩に驚きを禁じ得なかった。

吉村順三最後の設計となる爽快な建物と落ち着いた展示室、そしてロケーションの良さは聞いていた以上だった。
質を重視して選び抜かれた作品群は見る者の心を耕しかつ癒やされた。

行程は、ほくほく線普通電車で犀潟駅8;16発→越後湯沢へ、次いで上越線普通で→水上着。
予約した駅前レンタカで→「天一美術館」→谷川岳ロープウエイ&リフトで→天神峠→水上駅へ。
帰路、上越線普通で水上→越後湯沢→貴重な「はくたか」で直江津19:49着だった。

着後念のため義母を診て帰宅した。

天一美術館入場券天一美術館の入場券。

谷川岳遠景谷川岳遠望。

 天神峠の展望台から天神峠の展望台(1502㍍)から。
谷川岳頂上の笠雲はいっそう山の厳しさを感じさせた。

帰りのはくたか復路、越後湯沢で乗車した「はくたか」

おまけは、湯沢中里スキー場の休憩施設
ブルートレインの休憩施設 ブルートレインが使われ、風景とマッチしていて良いアイディアだと思った。
手入れさえ良ければ古い物のほうが旅情があり、推奨できる典型ではないだろうか。

上掲4点の写真はいずれも妻の携帯(スマホということでした)を借りて撮りました。

長く話に聞いていた魔の山・谷川岳を間近に見ることが出来て感激しました。
鈍行主体の日帰りでしたが、風景を見たり本を読むのに丁度良いと思いました。
それにしましても清水トンネルの轟音のすごかったこと、こんなに物凄かったでしょうか。

また水上から下り長岡方面への普通列車が極端に少ないこと、
水上駅前の多くの食べ物屋さんや喫茶店は午後5時ころから終了すること、に注意が必要だと思いました。

最後ですが妻との旅行の食事は、たいてい飛び込みの店で美味しく満足して食べています。
昼食は天神平のレストハウスでカレー、夕食は水上駅前のラーメン屋さんでした。

飽きなかった頸城野、小春日和の午後。 

2014年11月22日(土曜日)

本日午前のみの仕事だが、インフルエンザと肺炎球菌のワクチン接種で終始忙しかった。

この数日まれに見る好天が続いていている。
小春日和の午後、自ずと頸城野の田に足が向く。

食餌する白鳥の群、空に雁行、遠くに妙高連山や米山、尾神岳、現れては去るほくほく線の電車、刻々代わる空の色、、。
夕刻にかけて写真を撮り、飽きることがなかった。

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13名残尽きないほくほく線特急「はくたか」。好天のなか多くの白鳥の前を走り去った。

14突然現れたJRの展望車付カーペット列車・ジョイフルトレイン「NO.DO.KA」。
貸し切りのイベント列車として走った模様。

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本日の田んぼで連日記載しました蜘蛛の糸が幾すじも空に向かってなびいているのを見ました。
さらに当事者であろう極めて小さな蜘蛛と、それが舞い上がっていくのも見ました。

予定がありますので、もう一日お天気が持ってくれれば有り難いところです。

本日で長かった旧歴9月が終わる 晩秋の田を被う蜘蛛の糸。

2014年11月21日(金曜日)

旧歴の話で恐縮ですが、本日11月21日が閏(うるう)九月の末日、長い秋がようやく終わります。

九月がふた月続き、十三夜の名月が二度あった閏9月は1843年以来171年ぶりということでした。
次にこの年が来るのは95年後の2109年だそうで、奇妙な時間感覚に包まれます。

このことで言いますと、以前上京日記で書きました小生の高祖父・玄作(1818-1874年)は25才の時に閏9月を経験したと考えられます。
「ああようやく9月が終わる、長かったなー」などと言ったかもしれません。
その後の閏九月は171年経った今年で、偶々不肖小生が迎えました。
玄作爺さんが〝どんな人間が次の閏9月を迎えるのだろう〟と考えたとしますと、私などで良かったのか心配です。

では私の子孫のどんな子が95年後次の閏九月を迎えるのでしょう。
少なくとも2~3代先までかかるかもしれません。
はたしてそれまで私の子孫と名乗る者が繋がっているかどうか。
その前に日本が無事立国しているかが問題、などということだけは無しにして頂きたいのです。

さて以下は昨日の当館のモミジです(まだ紅葉が目立つ木を残して雪囲いが始まりました)。
今年の当館の紅葉は例年よりもきれいだったようです。

2

3

ところで昨日頸城区で白鳥を見た田んぼは、一面細かい蜘蛛の糸のようなもので覆われていました。

このような景観を初めて見たのですが、やはり糸は蜘蛛のものらしいのです。
ある蜘蛛は晩秋の小春日和や春先の良い日に、空中に糸を飛ばす生活史があるそうです。
飛ばした糸が風に乗ると自らもそれと一緒に運ばれ、遠くで新たな生活をするということのようのです。

目にした糸はこのことと関係があるように思われました。
風が弱いためく舞い上がらずに田んぼを被っているのかもしれません。
農家の方や昆虫に詳しい人にもう少し聞いてみたいところです。

5本日の田んぼと蜘蛛の糸。
ひこばえがあり、水がひたっている一部の田んぼで見られるようでした。
この糸は弱くて、産卵する赤とんぼが触れも平気でした。

晩秋の風物詩とし、糸がが飛ぶのを「雪迎え」と言う地方がある模様です。

夕刻のほくほく線 金色のたんぼと白鳥。

2014年11月20日(木曜日)

やっと晴れた晩秋の日、午後休診日だが施設のインフルエンザワクチンの接種があった。

それを終えて美術館のカフェへで、常連さんと沢山話した。

その後ほくほく線の電車を撮りに近くの田圃へ。
白鳥の群がいたので電車を入れようとするが中々難しい。

ところでよく見ると田圃は一面に細い蜘蛛の糸のようなものが掛かっていた。
落日が迫るとそれが金色に光った。

042普通列車と白鳥は相性が良さそう。

 115名残惜しいほくほく線特急「はくたか」と白鳥の群。

055刈り穂の田一面に非常に細い糸が張り巡らされていて、陽を浴びると光る。
蜘蛛の巣であろうか、獲物は何だろう、とにかく初めて目にした。

 164逆光の白鳥たちは波の上にいるようであるが、光っているのは蜘蛛の糸。

もう数日は晴れるらしく何より有り難い。

明日は晴れる。

2014年11月19日(水曜日)

本日寒かったのですが、風は止みました。
連日の季節風と時雨、夜間しばしばのカミナリには少々閉口しました。
しかし明日は晴れるということ、楽しみです。

妙高高田方面本日午後遅く低い雲間から沢山の光芒が見えた高田妙高方面。
光芒には「天使の階段」の言い方もあるようですので幸せな情景に見えました。

日没間近日没直前の直江津、西頸城方面。
帯状に濃い茜が射していました。

ようやく明日から一両日晴れる予報になりました。

旧国鉄の美しい制帽。

2014年11月18日(火曜日)

本日お年寄りのめまいで急な往診がありました。
処置を終えますと室内にとても姿の良い二つの帽子が目に留まりました。
お年寄りは長く旧国鉄に務められた方で、当時の制帽でした。

帽子の写真を撮らせて下さい、とお願いしてお借りしてきました。
手に取ると引き締まったデザインにしっかりした作りでほれぼれです。

二つの帽子撮影した二つの帽子。向こうは昭和30年代、手前は昭和50年代の貸与日付がある。

 徽章桐に動輪の重厚な帽章。

巨大組織でありながら「一家」と呼ばれた旧国鉄。
格好良い徽章と帽子はその家族のシンボルであり誉れでもあったのでしょう。

午後、外出から帰ると往診先の奥さんが薬を取りに見え、
「もう一つありますので先生にあげて下さい」と銀色徽章の制帽をもう一つ持ってこられたと聞きました。
随分具合が良くなったそうで安心し、頂いた帽子は大変恐縮しました。

頂いた帽子頂いた貴重な帽子。4型 昭和54年3月貸与とありました。
いずれも美しく大切に手入れされていました。

夕刻、帰った妻が嬉しそうにしている私を見て、かぶった写真を撮りましょうか、と言います。
写真はともかく庭仕事などで是非かぶってみたいと思っています。

旧国鉄の制帽をかぶれるなんて思いもよらぬこと、この冬またひと頑張りです。

岩の原葡萄園棚橋社長とのひと時 齋藤三郎と親方・鳥井信治郎。

2014年11月17日(月曜日)

午後、岩の原葡萄園の社長・棚橋博史さんが来館されました。
今年、坂田敏社長の後を受けて赴任され大忙しの最中でした。

氏は2010年7月、サントリーホールディングスの当時副社長・鳥井信吾さんと共に当館を訪ねてこられ、
さらに高田における岩の原ワインの会で何度かお会いしていました。
本日あらためてご挨拶と仰り、とても恐縮しました。

ご一緒の時間は楽しく、氏の優れた経営者と学者の感覚、さらに夢ある少年の心が伝わるお茶でした。

冬木立カフェから見えていた空は初冬の模様。裸木もまた趣でした。

サントリーさんと樹下美術館の縁は、第二次大戦前における齋藤三郎とサントリー創業者・鳥井信治郎との関係から始まっています。
富本憲吉の元から独立していた三郎は信治郎氏が宝塚の雲雀ケ丘に開いていた壽山窯に昭和15年に迎えられ、同17年まで活動しました。
戦後、鳥井家と三郎の縁は続き、サントリーが経営参画していた上越市岩の原葡萄園の名ワイン「深雪花」のラベルは三郎の絵画から選ばれました。

鳥井信治郎は今年の人気朝ドラ「マッサン」で大阪船場の鴨居商店の熱い才覚の人、親方・鴨井欣次郎として登場しています。
壽山窯時代20代なかばの三郎は、晩年にかかるその欣次郎(信治郎)に認められたことになります。
文化事業に厚いサントリーと創業者。
二人の間にどんな会話があったのか、想うだにわくわくしますし、あらためて三郎(陶齋)を飾れることを誇りに思います。

・鳥井信治郎(1879-1962年)
・齋藤三郎(1913-1981年)

壽山荘同人作品展案内面戦前、阪急百貨店における作品展「壽山荘同人 陶器 絵画 作品展」の案内。

壽山荘同人作品展案内裏同案内に壽山荘同人として紹介されている7人の作家(多くは器に絵付けをした日本画家)。

紹介の最後に齋藤三郎があり、
「斯界の大家富本憲吉氏につき作陶法を修められ、毎年の国展に出品れれる方。壽山窯現在の責任者でゐられます」と書かれています。
案内文によりますと、齋藤三郎作品、画家たちが絵付けした器、およびその方達の絵画が展示された模様です。

リンゴのタルトカフェにおける棚橋社長とのひと時。

川上善兵衛と岩の原への思い、気に入っている高田、母校のこと、京都や山崎や琵琶湖のこと、ボルドーのことなど話尽きませんでした。
貴重なお時間、誠に有り難うございました。どうか長く長く当地でご活躍ください。

ほくほく線特急「はくたか」 思い出は美しく。

2014年11月17日(月曜日)

昨日日曜日、くもり時々晴れ間があった日。
貴重な蓄音機プレーヤーをお貸し下さったA氏ご夫婦が見えてくださっていた。

樹下美術館を心から支援くださる方達が少しずつ増えていて力強く感じられて本当に有り難い。

昼食のあと久し振りにほくほく線の高架へ行ってはくたかを撮った。
あと4ヶ月の眺め、今後1,2回ははくたかに乗る予定があるがぜひ成就したい。

はくたか本日曇り空を背景に颯爽と現れた「はくたか」。
間もなくお別れとなる列車。それが「美しくて良かった」と思っている。

ところで来年3月北陸新幹線開業以後、ほくほく線には超快速列車が走行すると発表された。
「はくたか」に代わって直江津-越後湯沢を1時間で結ぶという。
「上京に際して北陸新幹線にするか、ほくほく線+上越新幹線か」はやや悩ましい問題。

私のような直江津以北の頸北地域に住む者でも、車で上越妙高駅まで行くと北陸新幹線には乗り換えなしのメリットがある。
但し問題は雪の季節であろう。

一泊(日帰りでも)して帰ったら、駐車場の車が雪に埋まっていないか、が心配の種なのです。
(タワー駐車、地下駐車などあれば少し安心なのですが)
冬場の上京は、やはりほくほく線超快速(愛称未定)→上越新幹線が無難なのか、、、。

さてその超快速列車の愛称が募集されていて、私もいくつか応募してみたいと思っている所です。

盛会のSPコンサート 上越あなどるなかれ。

2014年11月15日(土曜日)

初めてでも有り、随分宣伝させて頂いていた「SPレコードコンサート」が盛会のうちに終わりました。
ご来場の一部の方には隣のホールで聴いて頂かざるを得ませんでした。

さてハイフェッツのスラブ舞曲を聴き、コルトーのショパンのノクターンを聴きました。
それから10数才の美空ひばりの越後獅子を聞き、14才の江利チエミのテネシーワルツを聴きました。
これらがみな最高の蓄音機から最高の状態で流れたのです。

蓄音機二台の蓄音機、向こう側はルミエール。

皆様お集まりの皆さん。

プログラム後半のとんがり帽子、みかんの花咲く丘では、
ハミングが始まり、鼻すする声さえ聞こえました。
「南国土佐・・・」で、後ろで踊りおどる人もいたのです。
音楽の臨場感、その本質において蓄音機はCDを凌駕するのではないか、と心底思いました。

「いやー、音楽は一つですね。3大B(バッハ、ベートーベン、ブラームス)しかないと思っていたのが完全に間違いだったことを知りました」
とある方が仰いました。
なるほど本当にやってよかったなー、と思うのです。

若いお客様も見えて今夜ここだけの話になりますが、上越あなどるなかられ!日本もまだまだ捨てたもんじゃない!と、勝手に主催者の手前味噌的妄想を広げた次第です。

実はこの会を1年に1回、来年も今頃と漠然と考えていました。しかし本日蓄音機を提供された友人はもっとやりましょう、と言いました。来年4月、桜のころ、そしてそ   れ以後もまた開きたいと思っています。
本日はご来場の皆様、スタッフの皆様、蓄音機とレコードの厚い協力を頂きましたSさん、本当に有り難うございました。

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