冬の爆弾低気圧 寒菊の色。

2014年12月16日(火曜日)

本日の気象予報は爆弾低気圧の発生と発達一色だった。
今夜から明日一日、まず猛烈な風が吹くらしい。

列島に沿って台風が発達して通過していくようなものである。
夕刻から気温が上がっているためドシャドシャと雨が吹き付けている。

今後上空の寒気が引っ張り出されてくると吹雪になるらしい。
雨にまじってアラレが時折たたきつけ、あまつさえ雷が鳴りはじめた。

風と雨で雪は消えつつあったが、明日冬将軍は第二撃目の雪を降らせるのか。
冬はあたかも守るだけの戦のようだ。

ヒュウーヒューゴーゴー、ゴロゴロバリバリ、バタバタザーザーと次第にうるさくなってきた。
暖かなお茶を飲み孫のニュージーランド土産のクッキーを食べ、
専念すべきことに取り組むことにしよう。

菊

拙句)  寒菊の色に心の暖まり

(本日在宅回りで見た花)

やはり今年の海は暖かいのか。

2014年12月15日(月曜日)

本日午後の定期在宅回りは二件の雁子浜。
旧国道から100メートルも入ると海は目の前だ。

帰りに寄るともうもうと水蒸気が立ちのぼっていた。
もっと寒いころに見たことがあるが、これほどではなかった。
言われるように髙い海水温度の現れなのだろう。

海が暖かいのであれば、あとはしばらく上空の強い寒気に引いて貰いたいところだ。

1水蒸気が立ちのぼる温かそうな海。

この日昼過ぎ、ある会社で健診後の面談があった。
すでに受診中の人を除きピックアップされた方達と会った。
100人ほどの事業所だが、一人一人の心身に目が向けられているので張り合いがある。

終えて遅い昼食は美術館でホットサンドを食べた。
居合わせた二人の若いお母さん、ご来館有り難うございました。

投票へ行った人の貴重。

2014年12月14日(日曜日)

昨晩の予報ほどは降らなかったが、雨交じりのみぞれの一日。
衆議院選挙があった。

暮れる美術館本日閉館間際の樹下美術館。

除雪がいまいちの駐車場の雪かきをしてから投票場へ行った。
投票場の広い駐車場は待ちが必要なほど混んでいた。

悪天候の中、これだけ人が来る。
黙々たる分、選ばれる人よりむしろ選ぶ人の方が立派ではないかと感じた。

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25日が今年の最終日、本日ご来館の皆様から名残惜しさが伝わった日曜日でした。

私たちの忘年会。

2014年12月13日(土曜日)

本日のみぞれ模様は夕刻から本降りへと変わりました。
そんな日に11名様も来て頂き感謝に堪えません。

1雪のカフェのお客様。

この日、診療所と樹下美術館一緒の忘年会をしました。
お世話になっている方達もお招きして17名、会場は近くのビストロ・サブリーユでした。
最後まで新鮮、素朴かつ暖かなメニューはとてもリーズナブルです。

初めてのことでしたが、高田からI氏をお呼びして沢山ピアノを弾いて頂きました。

2余興と抽選会。

3ルイス・ボンファの「ジェントル・レイン」も弾いてくださったI氏。
これからも楽しみな方です。

4余興にもならなかった私のテネシーワルツ。

5三時間が経って出てみると本降りの最中。

樹下美術館は25日で名残惜しい今年の終了です。
皆様には心から感謝いたしています。

福祉施設の忘年会に出て。

2014年12月12日(金曜日)

今夕、医療スタッフとして加わっている上越市内の特別養護老人ホーム「しいおさいの里」の忘年会があった。
2000年開設の中堅施設で100数十人の職員がいる。

およそ皆若い。
言い方を変えれば若くなくては働けないのが介護福祉の現場といえる。
若さのメリットとして肉体の強靱さとともに人間の良さが挙げられる。

仕事の基本姿勢は前屈みの肉体労働である。
丸一日、足腰の負担は並大抵でない。

人は年令とともに知識、経験と称して時としてずるさや悪意も身につける。
しかし若者は一旦張り合いを覚えればその使命感は愚直なほどである。

当組織は高齢者とともに若年障害者も世話している。
開設以来研修に次ぐ研修と、内部の各種対策委員会を重ねて心技を研鑽している。

長時間を要する食事介助、手際よいおむつ交換、大量失禁の処置、排泄の誘導と介助、
着替えの世話、なだめと傾聴、投薬管理、褥瘡予防、補助栄養管理、入浴介助、医療連携。
一般からすれば出来ればやりたくないことを365日行う。

本日忘年会で思った。
「人生終わり悪しければ全て悪し、良ければ全て良し」であり、
「自業自得と批判する人にも思わぬ自業自得があり得る」のである。

80才まで良かったが、その後に考えもしなかった事態が待っている。
85才すぎて見本のようだった人に90才で夢にも思わなかっことが起こりうる。

人の最後は往々にして見当が付かないのである。
どれほど社会に尽くそうと、どれほど社会から疎まれようと,
「終わりは良くありたい」
これを保障するのは政治、なかんずく福祉以外にない。

なのに国は現場の評価を軽んじ、あまつさえ公共なのに自助努力などと逃げる。
経済第一の自助努力など一歩間違えば悪徳への誘導に過ぎない。

明後日は衆議院の選挙がある。
福祉の為にもまず景気。
こんなこと何十年も、耳が痛くなるほど聞かされた。

政治、そして福祉を知っていそうな人が居ればいいのだが、よく分からない。

辰砂の花瓶に水仙つぼみだった水仙が館内の辰砂花瓶で咲いた。
辰砂(しんしゃ):銅を主体として赤紫がかった紅色を呈するうわぐすり顔料。

非常に新鮮なE129系電車。

2014年12月10日(水曜日)

本日午後、信越線・土底浜駅の踏切待ちで、見たことが無い電車がさっそうと通過して停車した。
駅駐車場に入り、出発して行く電車を二枚撮った。
JR東・新潟支社で今秋から一部導入が始まった真新しいE129系車両だと後で知った。
目にしたのは直江津までの試験走行車だったのか。

プラチナ系の地に黄色とオレンジのラインが気が利いていた。
ブルーや緑が目立った当地のJR車両が一転して暖かな色使いになった。
そのラインが前後で翼のように跳ねているのも元気だ。

E129系a

E129系電車b通勤用か、2両編成で去って行く車両は実に軽やかで新鮮、かつ愛らしかった。

消費電力は従来の半分、車内照明はLED。
車内はユニバーサルデザインが採用されているという。
幸せな感じがあり乗ってみたい。
直江津の信越本線を中心に走ると考えられるが、いつからだろう。

単純(簡単)で嬉しいもの。

2014年12月9日(火曜日)

何かと気ぜわしい今頃ふと嬉しい出会いがある。

先日高田で買ってきたという麩せんべはクリスマスの意匠。
余りの軽さと可愛さに3枚食べた。

お茶と麩せんべい手に嬉しい熱い茶碗、甘みほんのり軽い麩せんべい。

また一昨日の食事会で焼き柿が出たが、その前にあぶった百合根が出た。
なんの造作もなく山椒味噌がちょっぴり付いていただけだった。

百合根いかにも優しいあぶった百合根。

明日は晴れの予報が出ていて単純に嬉しい。

消えかかる雪 柿崎海岸の千鳥。

2014年12月8日(月曜日)

時に陽が射し、時にしぐれた一日。
樹下美術館周辺の雪は少しずつ消え始めました。

晴れ間を見て昼休みに柿崎海岸を少し歩き、千鳥と出会いました。
通常、千鳥格子のように群が多いのですが本日は二羽だけ.。
出会って久し振りに母を思い出しました。

千鳥→浜千鳥の歌→母、という流れが決まっているのです。
千鳥は素早く歩きそして飛びますが、本日は可愛くカメラに収まってくれました。

柿崎浜の千鳥軟らかな色調、あどけない表情の千鳥。

本日お見えのお客様、大変有り難うござました。

不意をくらった雪の一撃 岩の原葡萄園着任の睦まじいお二人。

2014年12月7日(日曜日)

昨夜からの雪は冬将軍の今期最初の厳しい一撃でした。
スタッフのお陰で何とか確保した片側の駐車場、5人の勇敢なお客様も見えました。。

002昨日正午すぎの四ツ屋浜。
海辺がこれだけ積もるのも珍しい。

雪の玄関昨日午後、雪中の美術館。

さて昨夕は友人夫婦を交え、岩の原葡萄園の棚橋さんご夫婦と大潟区土底浜「都寿司」で食事をしました。
悪天候の夜、ご夫婦は西国からの新着ながらしっかりした長靴の出で立ちで、雪国の人になりきって見えました。

岩の原ワイン醸造を指導された坂口謹一郎博士が先の大戦の戦渦を避けるべく東大の研究室を資料ごと現・高田農業高等学校に移されたこと、当地で続けられる膨大な気象・地質データの収集分析、生きている農芸魂、暖かな上越の人々のことなど話尽きませんでした。

025目の前で逞しく成熟する深雪花・赤(左)、金色の豊かなレッド・ミルレンニュームのグラス、右・そのボトル。
写真にありませんが、最初から堂々としていたヘリテージ2011も文句なしでした。
スパークリングワインは泡が細かいほど良く、グラスを耳に近づけてその音を聞く楽しみを教わりました。

026後半食べ物は次第に優しくなり、デザートは意外にも「焼き柿」。
満を持してレッド・ミルレンニューム13が空けられ、天上へ導かれる心地になりました。

荒天の中、ご夫婦の自然な睦まじさは印象的でした。
果敢に上越に来られたお二人を心から応援しています。

冬を迎えるもう一つの密かな意味?

2014年12月5日(金曜日)

寒波が訪れていて午後車による車外気温の表示は2℃だった。
山陰~北陸は随分ひどく降られたようだが、上越市の樹下美術館周辺は痕跡程度だった。

雪本日美術館に残った雪。例のモミジの足もとです。

状況は上空の寒気の位置で一変する。
一方で気象予報士たちが日本海の海水温が高い、とまた言い始めた。

毎冬のことだが、雪は遅かれ少なかれと祈る毎日になった。
そのことで往診中、ふと雪と死は似ている、と思った。
死も雪も、
「必ず来るが、それまではまだまだ」と思っている。
「いずれ来るなら少しでも遅いほうがいい」と思っている。
「なるべくなら少ない(楽な)ほうがいい」と思っている。

なるほど似ている、もしかしたら、
「私たち雪国の人間は、死を迎えることに似た心境を毎年密かに経験している」
のではないだろうか。

それによって他所の人たちよりも
「死を不安視してあれこれ考え巡る度合いが幾分軽る目になっている」
ことが考えられまいか。

見方を変えれば、
「それだけ冬は厳しい」と言うことになる。

「私たちは毎年この厳しい冬を迎え、のり越えることで」、
「いつしか死を迎えそれを越えるに似た修養(修行)を毎年積んでいる」可能性がある。
ならば、
「つらい冬(雪)には、一種天の贈りものもそっと込められている」のかもしれない。

但しこれは終末に対する概念上のことである。
生きている限りの疾病予防は、すこやかな生と死への貴重な備えであることは論を待たない。

変妙な論を並べて申し分けありません。

紅茶本日午後に寄ったカフェで紅茶を飲んだ。二杯分のポットで550円でした。

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私が寄った午後、後からお入り下さった若いお二人さん、ブログを見て下さっていると仰り嬉しかったです。
本日は妙なことを書いて申し分けありませんでした。
皆様またお待ちしています。

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さて23時30分の追加です、静かだと思っていましたが本降りとなり積もり始めました。

タフな作品たちが憩う。

2014年12月4日(木曜日)

樹下美術館の今年の開館は12月25日(木曜日)までですので、21日を残すだけになりました。

夕刻、お客様が去った館内には今年精一杯支えてくれた作品たちが疲れも見せず、佇んでいました。

 

1  倉石隆作 左、「更紗」と右「夏の午後」

2倉石隆作 左「男の像(O氏の像」と右「黄昏のピエロ」

3カフェでお迎え 山本信作「少女像」

 4開館以来カフェの右に掛かる篠崎正喜氏の大きな「午睡」
館内のペンダントライトのもと、気持ちよさそうです。

 5現在展示場にある「愁」をカフェに置いて見ました。

精魂込められた美術作品は、時空を越えて魅力を放ち極めてタフなものだ、と感じました。

 

風が残った日。

2014年12月3日(水曜日)

日中、昨日吹き残した風が止まなかった。
本日は概ね空の半分ほど青空が見えたが、雲は忙しそうだった。

1風強くレンズ雲に類似する大小の雲が生まれては消える。

43軒の在宅回りの水田地帯、いつしか沢山の雁類が来ている。
元気な冬鳥を見ていると「寒い」と言うのに気が引ける。

087雲間からいたずらんぼのような月が覗いていた。
6日が満月らしい。晴れてくれないかな。

夕刻ようやく風の音が止んだ。

季節風の一日 波の花と虹彩。

2014年12月2日(火曜日)

強風の一日は火曜定期の休館日で助かった。

吹き放題吹いた季節風、冬将軍の一撃として満足だったのだろうか。
あられや雪がなかっただけ楽だった。

2軒の在宅回りは強風で傘を差すわけもいかず、車から玄関へ看護師とダッシュ。

以下は大荒れの昼休みに見た、近くの上越市大潟漁港です。
一瞬の晴れ間に浮かんだ波の花、しぶきに掛かる虹彩は、冬将軍の忘れ物だったかもしれません。

1

2

3

4

これだけ吹いたのですから、明日は少しゆるんでほしいところです。

80代なかばの方のお話。

2014年12月1日(月曜日)

昨日は人と会うことと認知症への考えなど書いてみました。

本日は、おおむね独り暮らしで時々息子さんが訪ねて来られる80代半ばの方の話を書きました。
読書がお好きだった元気な方で、この年代の日常がよく伝わる話だと思いました。

〝最近、新聞はまずお悔やみ欄、それから大きい見出しだけ読んで終わり。
テレビはニュースを眺めて後は付けっぱなし。

本日はヘルパーさんに来て貰ったが、掃除が一番助かる。
時々息子がくるが男の足跡はべたべたして気持ち悪いのでぞうきん掛けが助かる。

洗濯機は本当に有り難い。
ただ放り込めばそれでよく、乾燥もしてくれる。
アイロン掛けは、しなくていい物を買っているので呑気なもんだ。

便利な世の中になったが、昔あったバス路線がなくなったのが不便だ。
もう実家の方へ行くことが出来ない。
近くに友達がいるが、やっぱり昔の友達にも会いたい。

また、タクシー代が年々高くなったので買い物にすごく不便だ。
しかし一時止めていた近くのスーパーが、最近駐車場にテントを建てて何でも売り始めたので助かる。

回りで私より若い人たちがどんどん死んで行くのはどうしてでしょうか〟

以上とても生活実感がにじんだ話でした。
ただ最後の一言にはっとさせられました。

朝日池の白鳥

認知症の予防で人と話をするということ 自分が変えてみる。

2014年11月30日(日曜日)

過日ある方が、一日少なくとも4人の人と話をするとボケ防止になる、と仰っていた。
〝4人〟という数字に拘らなくても、人と話をすることは良好なコンディションの維持に有益であろう。

休日などに、夕刻まで長く人と会わないでいると、感覚がぼんやりして、手応えのない奇妙な空間に居る気持ちに襲われる。
毎日こうであれば、周囲と無関係で方向の定まらない漂うごとき存在に陥るであろう。
これは認知症の人の状態に似ている。

確かに「出ない」、「会わない」は、異次元的な迷子(認知症)になる要因たり得る。
恐ろしいことに、「出ない」のほかに「否定される」が加わると事態は深刻である。

家に居ながら家族(全員ではなくとも)に絶えず叱られ、注意を受ける状態の事だ。
出たい、役立ちたい、は老いたりといえども人間の証しとして老人達の根底で燃えている。
それなのに、危ない、おかしい、余計だと絶えず禁止と否定を繰り返されたらどうなるだろう。
残された活路は周囲と交信不能な自分だけの世界にさまようか逃避するかしかないのである。
これらはある種の防御反応であるが、鬱や徘徊、混乱や無謀へと様相が変る危険をはらむ。

しばしば家族は言います。
「先生、いくら言ってもちっとも言うことを聞いてくれません」
お年寄りは、たとえ助言であっても、きつい否定の言葉など耳がわんわんして聞きたくないのです。
さらに言えば、良い助言であろうとも、気に入らない人の言うことは聞きたくないのです。

「長く生きて相当に頭を使い果たしていますので、理屈はもう通用しません。あなたの表情や印象がずっと大切なのです」
「つまり耳ではなく、カメラのように目でシャッターを切って単純に判断しているのでしょう、自分の敵か味方かをね」

「お年寄りの前では作り笑顔でいいですから、見た目優しい表情がまず必要です」
「こちらがちょっと工夫すれば相手も柔軟になる可能性があります、すぐ始めて根気よく続けて下さい」
「そのうち自分の作り笑顔が本物に変わるかもしれませんよ」

なんとか上手く行っている家は、世話する人が小声で愚痴をこぼしながらも、さてさて、どうしたかね、と優しく反応している。
そこでは老人達は保育園の園児のように可愛い目をして安心しているのである。

勿論、これで全てクリアではないし、数日後、数ヶ月あるいは半年、もしかしたら1年後に新たな問題が起き得る。
しかし「いつでも私やケアマネに相談してください」、が最も大切な事になるのだろう。

それでも事情によって加齢や認知症の事で、在宅に限界を生じるることは少なくない。
その時もきっと正直な相談が広く有益であろう。

話変わってその昔、ある女性が友人宅へ旅の土産を届けに行きました。
すると「なんで電話もしないで突然来たのか!」といきなりご主人に激怒されたそうです。
「夫婦げんかの最中だった、ゴメンナサイ」と友人は謝ったといいます。
大きなショックを受けたが、「先生に聞いてもらって少し楽になりました」、と仰ったことがありました。

一日4人でなくとも、誰かと何かを話をすることは心身に良いことにちがいありません。
おしゃべりは女性で特に目立ちますが、男性にも有益なようです。

柿崎海岸本日歩いた柿崎海岸。

シーグラスシーグラスを拾いました。

私はブログを書いていると、人と話をしているのと似た作用を感じることがあります。
見て頂きありがとうございます。

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