恐ろしいばかりの雪になってきた。

2021年1月9日(土曜日)

いま深夜零時を回ったところです。
あまりの静かさに、もしやと思い外を見ますと、恐ろしいばかりの雪です。これだけ一気に降るこ雪は見たことがありません。
明けたなら一体どんな状況になっているのでしょう。
果たして車が出させるのか?道路は?本当に恐ろしいばかりで、朝が心配です。

以下は午前9時ころの仕事場の様子です。

 

仕事場二階から見た様子。

 

カーポート。
一帯でも楽に1メートルは越えたようで、午後も降り続いています。

午前中にあるお宅の老人がベッドから落下されたという電話があった。骨折の有無を診に午後から出かけたが、怖い道中だった。
下の写真の先を右折し田んぼに出てまた右折する。

 

往診した道中を撮ってみた。わだちも見えず、どこが道だか分からない。
すれ違いで下手すると脇の深い雪に嵌まり抜け出せなくなる。

幸い骨折は無く安心したが、こんな日の救急車はさらに大変だろう。

帰り道、この先は行けない、といって中型のトラックがバックしてきた。私が今来た道である。なぜと思ったが坂が駄目だったらしい。バックをして道を空け行き違えたものの、今度は私が坂で横滑りをして肝を冷やした。トラックは二人が乗っていた。確かにこんな日の車には二人は必要だと思った。

夕方出かけようとした妻は、怖いと言ってすぐに戻って来た。
雪のせいか年のせいか、雪の町髙田出身の人が怖がっている。

昭和後半期に2度だったか豪雪があった。この度は時期が早いのではないだろうか。予報によれば明日いっぱい耐えれば、以後一先ず落ち着くようだ。ぜひともそうあってほしい。

大雪の在宅まわり 入所者さんの反応 コロナの感染報告。

2021年1月8日(金曜日)

昨日の大風のあと雪が降り始め、本日は積もった。気温が0度を下回り、昨年とは一転大違いの冬になっている。
比較的雪が少ない沿岸部の当地でも60センチはある。そんな午後グループホームと一軒のお宅を回った。

このような日の道幅は狭く、対向車とのすれ違いに苦慮する。しかも路面、脇の雪、空の三者がいずれも白一色にかすみ、視界は悪く運転は神経を使う。

 

施設で。

 

岩野のお宅前。
車庫の前が広く除雪されていたので駐車が楽だった。

この度のドカ雪は何年振りだろう。
大雪になると建物や木立などが雪をかぶり、丸く盛り上がってくる。車や人影も減ってなぜか風景に昭和の面影が漂う。

都会では緊急事態宣言が出されたが、こちらでは宣言がなくとも雪によって更に人出が減る。
そんななか、新潟市で10日に成人式が予定されている。先日、その着付けに当地からまとまって応援に行かなければならない、と言って美容師さんが顔を曇らせていた。
ドカ雪の中100キロの道のり、式典参加には一定の配慮がされているというが、豪雪とコロナ、、、まったく乱暴な話である。

さて施設のホールで7、8人の方がテーブルを囲み、皆さんとても静かだった。スタッフが一緒のテーブルでノートを付けながら見守りをしている。
あまりの静けさに、
“皆さんは静かで、とても賢く見えますね”と思わず口にした。
すると、パチパチパチと、スタッフが手を叩き、
“良かったですね、みんな賢そうだって先生が言いましたよ”と声を出した。
多くの人に反応が無かった中で、お二人が笑顔を見せて手を叩いた。
いつも無言の方の笑顔に少々驚き、嬉しく思った。
また来ます、と手を振ると数人の方が手を振った。
通路の向こうにも何人かいらして、テレビから「愛して愛して愛しちゃったのよ」という昭和の歌が流れていた。

一昨日、上越地域は12月10日以来報告が途切れていると記載したところ、本日一人感染報告があった。
病院職員ということ、自分もいっそう気を付けたい。

大雪に列島のコロナ。私達は歴史的な冬を生きているらしい。

寒波+爆弾風低気圧 秋ばらの下絵 病院数だけの問題ではない。

2021年1月7日(木曜日)

午前中は嵐の前の静けさで、陽が射していた。
午後は一転、ゴーゴーヒューヒューと、恐ろしい音を立てて風が吹いた。一方雪はさして降らず、そちらは明日遅くからのようだ。

風の音を聞きながら幾つか書類と手紙を書き、バラの下絵を描いてみた。同じ花でも過日のよりも簡易になってしまった。

④「秋ばら」。
花はチューリップのようですがばらです。
秋ばらはどこか弱々しい。その分本画では心込めて描ければと思いました。

東京における新規感染が2447人と報告された。相手も本気であることが窺える。

ところで、
感染数に比して病床が逼迫していることで、数だけ多い病院と質のミスマッチが指摘されている。だが総合として平時の医療は何とか充足し、一定のこまやかさにも応えている。これは長年法によって実態/効果がぎゅうぎゅうに絞られ続けた結果生じたものである。唐突に非常時態勢と言われて即舵を切れるほど現実は軽いものではない。

今日の非常時下であれば重く大きな舵を切れるのは政治しかない。だが建物、機材は急ごしらえで可能だがマンパワーは間に合わないし、ポストコロナも考えなければならない。一方で意識ある機関は、深刻な事態に応じるべく自己研修などで黙々と備えに勤しんでいるはずである。

この件について引き合いに出される欧米であっても、現実は決して数・質およびマッチングが成立しているわけではなさそうだ。病床までたどり着けず、累々と廊下やエントランスに置かれたままの重症者を見ればそれが想像される。逼迫は国それぞれの文化や事情に応じて生じているのである。

十分に詳しくはないが、新型コロナウイルスの重症対応のテクニックは救急医療のそれ+新興感染症対応の複合に準じ、かけ声一つでできるほど容易ではない。
現在卒後の医師研修に基本三か月の救急医療が組まれている。だが新興感染症が重複するこのたびの件は新たなカテゴリと考えられ、戦力には一定の現場期間を要しよう。
現場の責任感は強い。病院や医療者の実状に対して大したアイディアも無くただ加圧するだけでは、当事者のいっそうの疲労→広汎で悲惨な院内感染拡大を招来しかねず、ぜひとも慎重をお願いしたい。

ドカ雪あとの鳥たち なければ無いで緊張。

2021年1月6日(水曜日)

当地の水田は正月寒波がもたらした雪によってすっかり覆われている。
普段なら田で稲の根を食する白鳥や雁はどのように雪を凌いで食餌をしているのだろうか。

久し振りに陽が射した午後、施設回診のあと付近の田を走ってみた。

すぐ近くの田にいた白鳥の小さな群。うずくまるなどして休んでいる。
休む一方、体温で雪を溶かし、下の餌をあさるのか、と想像した。

何カ所か見て廻ったが、僅かの鳥しか見当たらない。水が滲みて雪の少ない田もあったが、姿が見えなかった。

新柿線を下ると、柿崎インターのすぐ近くに大きな群がいた。
雪が少なく容易に食餌が出来る場所だった。
鳥たちはこの先の降雪まで見越して、楽な所から順次手を付けるとしたなら、それは賢いことだと思った。

 

コハクチョウとマガンが混じった群。
すぐ近くを高速道路が走っている。

 

陽を浴びた鳥たちの様子は楽園を思わせた。

 

3,4年前の冬に、遅くまで雪が降ったことがあった。
積もった雪の中で食餌に苦労している雁や白鳥を見たが、一見痩せて気の毒だった。

本日は好天でもすぐ先には再び強い寒波が待っている。
自然の厳しさ対野性の智恵。これから鳥たちはどう対応するだろう。

 

心配をよそにますますコロナが勢いづいている。
新潟県も増加しているが、上越地域は12月10日以来報告が途切れている。なければ無いで緊張せざるを得ない。

明日から仕事、本日除雪 ウイルス対ワクチンが始まろうとしている。

2021年1月5日(火曜日)

12月30日から本日まで1週間の冬休みを取らせて頂いた。
普段の1週間はすぐに過ぎるが、このたびは同じ1週間でもひと月も休んだごとく長く感じた。初詣はおろかどこへも出かけなかったが、お陰様で心身は休まり、諦めかけていた絵に手を付けることも出来た。

3日、4日と続いたドカ雪は昨日からの雨で20センチほどに減った。本日朝、除雪機を動かす方に来て頂き、仕事に備え駐車場を除雪して頂いた。

雨で少なくなった雪をさらに除雪しました。

お陰様で医院周囲三カ所の駐車場は夕方には路面が現れ、すっかりきれいになった。しかし週末には二度目の寒波が来て風雪が見舞う予報が出ている。
幸い助っ人と機械に力がありますので大丈夫だと思われます。

 

列島はコロナが感染拡大し、汚染レベルが懸念されます。配慮を越える市中感染拡大とパニック出現の危惧です。
あそこが悪い、ここは何をしている、メディアが煽る、などと手当たり次第医療や行政あるいはメディアに文句を付けるのは、それ自身パニックの始まりのように見えます。
緊急事態宣言の有無に拘わらず、さらに出回らないこと、ハイテンションで交わらないことのほか、一般的な配慮を各自黙々と励行するほかありません。

あとは来月後半などから、と言われるワクチン接種が鍵です。
具体的な方法については、間もなく知らせがあることでしょう。
先行した国々の成果が気になりますが、多くの人が接種を受け、流行にブレーキがかかることが強く願われます。
接種が行き渡っても真の克服を得るには、当分配慮生活を続けなければ意味がありません。

ウイルス対ワクチンの最終勝負が始まろうとしているのです。
ワクチンは副反応が無視できるレベルで質が良いことが前提です。全体の開始タイミングが間に合っていること、接種遂行にもたもたしないことが、成果の分かれ道でしょう。配慮生活を続けながら是非とも勝利したいところです。

長い正月休み 母校の奮闘 コロナは真の安全保障 絵を描いてみた 来年に個展?

2021年1月4日(月曜日)

終日雨降りだった正月4日。このままなら昨日積もった雪は半分以下、おそらく20センチほどまで減るのではと、予想している。
雨降りで外出ままならぬ本日は終日家にいた。

皆様に我が儘を言ってとても心苦しいが、明日5日まで正月休みにさせて頂いている。今の所二件の電話相談がありお一人にお薬をお出ししただけで推移している。

夜のニュースで母校の大学病院が、新型コロナウイルスナの対応で忙殺される様子が放映された。心づくしのおせちが配膳される場面があり、見ていて涙がこぼれそうになった。田舎で正月休みなどと言っている自分が恥ずかしくなった。

命がけで不眠不休の現場を維持する人がいる一方、不要不急の歓楽に勤しむ人もいる。
とりわけ前者の現実はまさに戦時下の前線に値する。
二年目に入ろうとする世界は、異次元の第三次大戦を戦っているのではないのだろうか。
国には真の安全保障と捉え、ピンとこないメッセージなどは止め、全てにわたり先回りをして真剣に手厚く、手厚く対応してもらいたい。

さて本日7年ぶりに絵を描いた。絵といっても下絵のレベルだった。

①大潟区土底浜の屋敷跡公園で野菊が沢山咲いている場所。
道に人物を二人描き、土手の左部分を高かくするなど、構図を直すつもり。

 

 

 ②椿。手前の葉をもっと工夫しなければならない。

 

③春の水田。
家と木立の部分をもっと左に寄せ、道の遠近法を工夫しなければならない。
水平線の高さが画面の丁度半分位置なのも気になる。
(上か下か難しいところだが上にするのが正解か)

恥ずかしながら2002年以来これまで新潟市で二度、髙田で二度、拙植物画の個展をした。いずれも勧められた上だったが、三回は会場費を払い、売れた作品にマージンが掛けられた。
「せっかく自分の美術館があるのだから、そこでやれば」とずっとスタッフや知人に言われた。

ひたすら試行錯誤を繰り返すだけの絵。本日たまたま下絵を描いてみたところ、まだ描けるのかと思った。風景は初めてであり、苦労はするだろうが何とか楽しめそうでもあった。
本日の分を含め、今年中に10数点のモチーフを決め、全て油彩で描いてみようと思った。

来年80才になる。
なんとも哀れなことであるが、記念にささやかな自らの美術館で拙絵と写真の展覧会が出来るならば、と望みを託すことにした。
手持ちの50点ほどの花に、本日描いたような物を足して実現出来れば幸運だと思う。
長い正月休みのお蔭で生まれた希望に有り難みを禁じ得ない。

何もかも綱渡りであるので、また健康に気を付けなければならなくなった。

恥ずかしながら晦日三が日の食事 新型コロナウイルスはインフルエンザとは違う。

2021年1月3日(日曜日)

予報は侮れない。
雪が少なかった当地沿岸も、静かに夜が明けると豪雪が出現していた。70センチ前後の積雪に見舞われた。二年振りで仕事場の雪掻きをしたが、やるだけ片付くため、つい「雪かきの馬鹿力」風に陥り、やり過ぎを少々後悔した。

除雪の写真を撮り忘れましたので、本日は恥ずかしながら大晦日~正月の食事を並べてみました。例年なら料理屋のおせちでしたが、今年は単品を買い付けし、あとは妻の手作りでした。

 

 

ご近所の方が作ったお蕎麦をとろろダレで食べました。

 

 

標準価格の蟹のほかは、みな自家生産でした。

 

琵琶湖産の鮎の佃煮はネット、伊達巻き、錦玉子は近隣の店です。
琵琶湖の鮎は姿が大変美しく、しかも美味しかったです。

 

四日間は一日二食で過ごしました。

 

さて昨年の今ごろは、柏崎市の天神様巡りでした。寒さは風情のうえ、雪もコロナも無くウキウキしながら回ったのを思い出します。三忠呉服店さんで頂いた鯛飯やご馳走と器の味わいは思い出深く、原惣右衞門さんの銅器、吉田隆介さんの焼き物はいずれも上品で、その後喜んで使わせて頂いています。

 

上越地方はしばらくコロナの報告がありませんので、どうかこのまま、と祈るような気持ちで過ごさなければなりません。
本日雪かきでかなり無理をしましたので、心肺の余力が気になりました。年を考えればやはりコロナは恐ろしいです。

新型コロナウイルスはインフルエンザ並みという人がいますが、
タミフルのような有効な抗ウイルス薬もないまま死亡例は急加速し始めました。医療態勢と経験はまだ浅くワクチンは不確定。私達はいまだに丸腰のままなのが本当の姿でしょう。根尽きて、インフルエンザと同じ、もっと自由にという人にはコロナ以上の恐ろしさと悲しさを覚えるのです。

今こそ医療の前線に耳を傾け、少なくともあと三か月は慎重姿勢が必要ではないでしょうか。
万一大過なく過ぎたなら、その時はじめて喜べば良いのです。

新雪を踏んで海そして県立大潟水と森公園へ。

2021年1月2日(土曜日)

正月二日、いよいよ当地も降った。
昨日元旦は家に籠もりっきりだったので、反省して本日は外出した。

先ず海へ。
私は海育ちのせいか冬であろうが海へ行く。何をするわけでもないがとにかく行く。海はその日ごとに表情があり、行けばそれなりに面白いのである。

 

 

こんな日に来るのは私だけではなかった。

 

ツグミ。

 

カラス。向こうは海。

冬の海カラスを親しく覚えたり
親しく(ちかしく)

 

朝日池の鴨は風を避けて林の陰に移動している。

 

県立大潟水と森公園は朝日池のすぐ近く。
落葉樹に積もった雪がきれいだ。

 

真っ白な花が満開。

 

この建物の裏手の林へと入る。
園路はまだ除雪されていないため、前の人達の踏み跡を歩く。

 

この方としばし立ち話をした。私よりもよほど沢山通ってこられている。

 

元へと戻った。声を掛けて撮らせて頂いた。

 

 

このような方たちはいっそう健康になろう。

 

 

餌をあさりに道路に雀たちが出ている。空腹なのだろう、さほど車を恐れない。

 

本日雪中の樹下美術館。

 

できるだけ体を動かし、野菜を沢山食べて健康な年にしたいと願っている次第です。

さして変わり映えもしませんが、今年もどうか樹下のひととき(樹下美術館館長のノート)を宜しくお願い致します。

 

謹賀新年

2021年1月1日(金曜日)

 

良寛さん出家の謎、小島正芳先生のテレビ出演 ほくほく線電車が上る 樹下美術館の雪。

2020年12月31日(木曜日)

本日午前NST新潟総合テレビで9時50分から30分間、「良寛さん出家の謎」が放映された。今秋樹下美術館で「齋藤三郎と良寛さん」を講演された小島正芳先生が案内役として解説、出演された。

 

 

若き日の良寛の筆跡にすでに見られていた生真面目さを等を説かれる小島先生。
今夏から全国良寛会会長の重責を担われた。

 

領主見習いとして家と地域の諍いに苦労の絶えない良寛。
ある夏の日、出雲おけさを一心不乱に踊り明かし、翌朝光照寺を訪ねて仏門に入る。

 

右・書家泉田祐子さん、左・真保恵理アナウンサー。
このほか光照寺でご住職との対話もある。

 

書物のき覚え書きに見つかった10代のころの筆跡(左)。
右は晩年の書。
青春時代と晩年の書。専門家が見れば変わりなき手筋や人柄が見えるのだろう。
波乱をまじえて光照寺への入門前夜のことがリアルに伝えられ、とても良い放映だった。

 

さて大雪と言われたが本日美術館周辺は10センチ前後積もっただけだった。
昼食を抜き、昼前から鳥たちや電車をゆっくり見に出かけた。時折地吹雪が起こり日中とても寒かった。

 

悪天のなか時間通りに上って行ったほくほく線電車。
(向こうへ走っています)

 

本日の美術館。寒さをこらえている風だった。
あとふた月半したら開けに行きますし、その前には庭仕事もします。

本日は大晦日。新型コロナウイルスに押さえつけられていた1年だった。
開館を二か月半遅らせ、6月は午前のみの営館にした。強力なエアコン導入、思い切った換気、カード対応ほか一般的な備えをした。裏手の庭に椅子テーブル席を新たに設置し、カフェではマイセンとイッタラの食器を加える一方、二種の軽食メニューを中止し簡素化した。

当地も一定数の感染報告があったが、来館者さんは昨年よりも増えた。特に若い世代が伸び、毎月前年比10~15%多く来て頂いた。郊外型施設のイメージが受け入れられたのかもしれない。

展示物も熱心に見て頂き、全ての来館者様には感謝に堪えない。

 


どこかの街のスゥインギーなジャズ・ライブ。
「We’ll meet again(また会いましょう)」
お年寄りのクラリネットとピアニストは歌といい、中々です。
こんな楽しい所があったなら毎日でも通いたい。

皆様、良いお年を。
来年またお会いしましょう。

最後のゴルフで借金 夕食 寄付。

2020年12月30日(水曜日)

冬休みの一日目、午前に年賀状を完成させた。かつて同業の役員などをしていた頃の名残もあり、500通もあったのを減らし続け、今年は350枚まで来た。急に減らすのに失礼を感じるが、役が関係していた時の方々のを中心に止めた。

正月休み中ひどい寒波が予想されている。まださほどではなかった昼過ぎ、ゴルフの練習に行った。
コロナはゴルフにはフォローだったのか、打席はほぼ一杯だった。

このとき迂闊な私は財布を忘れて出て、受け付けで1050円の借金をした。こんなことがこれまで数回あった。来年でいいですよ、私が出しておきます、という優しいお言葉があった。
ウッドの練習をして家に帰ったはいいが、このままでは年を越せない。少々遅くなったが料金を払いに再度練習場へ行った。昼と違ってみぞれ交じりの寒風が吹きすさぶ場内は私一人だった。
せっかくなので打ちます、と言うと、昼のカードにあと100球残っていますと仰る。是非もなくショートアイアンを打った。
今秋からかなり熱心にゴルフをしたが、そんな年に相応しいクレイジーな終わり方だった。

 

誰も居なくなった練習場。
悪天を考え早々に閉まった。

 

以下は寒波前夜の夕食です。

 

野菜炒めには弟が生産したベーコンが混じっている。
赤飯、シャケ、キムチ、ゼンマイは頂戴もの。
簡潔な食事には得に言われぬ幸福を感じる。

弟の豚は人気があり、某有名中華や東京の二つ星フレンチなどから半頭などで引き合いがあるという。

 

最後は来春を思って「小さな花」です。

 

コロナ禍について医療の話題のほか生活困窮を知らせる記事も多くなった。
少額ながらフローレンス財団とYahoo!募金の一人親支援に寄付させてもらった。

一般に20才代の寄付者が多くなっていると聞いた。今年前半の支援金10万円の一部を寄付に回したのがきっかけになったらしい。コロナがもたらしているものの中に「心」への回帰があるのだろうか。

今年もあと一日となった。

今年の表向きの仕事が終わった コロナ 大潟水と森公園の鳥 豪雪予報。

2020年12月29日(火曜日)

本日今年の診療所が終わった。新型コロナ一色の年だった。
自分が罹れば皆さんも罹り、その逆も然り、スタッフおよび家族も同じ。重い三位一体が突然にして現れ、高齢者さんを多く診ているので、感染=重症化のイメージを常に払拭出来ず苦しい課題だった。

当初、臨床の入り口である検査の門戸が異常に固く、果たして先進国なのかと心底悩まされた。初夏のころから比較的スムーズな体制に移行したが、そのころ既にウイルスは小休止を装っていた。
もたついた当初の対応はあたかも国の方針の如く擁護されたが、実際は中央から保健所に至るまで公の体制があまりに貧弱だったためだった。幸か不幸か日本では同じコロナウイルスであるサースとマーズへの関わりが乏しかったことが、響いたのではと考えることにしていた。

感染症の動向は季節因子の影響を少なからず受ける。
間もなく1年、未知疾患の基礎と臨床の知見がようやく揃い始めることになる。この後のワクチンと特効薬の動向は大きいが、それまでは対応の効率化が最重要課題だ。1年の経験をもとに幾つか関連法の整備に手がつけられ、流れの円滑化が期待される。

いずれにしてもこの冬が正念場ではないだろうか。余計な犠牲者を多くしないよう、気を付け、あと二か月少々の冬を何とか無事越えたいと思う。

本日は風雨なくまことに穏やかだった。
在宅訪問が一件だけだったので、その前に大潟水と森公園を歩いた。秋冬の妖精、あこがれのエナガに出合うことは叶わなかったが、40分ほど歩いて以下の鳥を見た。

 

カシラダカ。

 

 

シジュウカラ。

 

 

アトリ。

 

 

コゲラ。

 

 

小さな流れにミズバショウの芽が出ている。

無理を言って1週間休ませて頂くことにした。
しかるに明日から強い冬型となり、正月も豪雪が予報されている。数年に一度という雪らしいが、初詣の寺は決めてあり、唯一の外出予定がそれ。小康があればと望みを託している。

池の靄 雀の群 夕暮れ電車とコハクチョウのハーモニー、飛び立ち前の行進。

2020年12月27日(日曜日)

本日日曜日、風雨も雪も無くお天気は一休みしてくれた。
午前は年賀状の原稿をいじったり刷り増しをして、午後から柿崎を歩き、帰路鳥を探しながら新柿線を走った。

途中で寄り道した吉川区田尻?の池に靄がかかっていて、幻想的な眺めだった。

 

 

靄の一部に強い陽が射していた。

 

ほくほく線高架橋周辺の水田にいくつも白鳥の群が見られた。
家に戻ると妙高市の中1の孫が母親と来ている。一緒にお茶を飲んだ後妻も加わり再度先ほどの白鳥を見に行った。

一帯の群は道路脇にも居て、みなかなり近い。初めて間近に見る白鳥に一同目を丸くして“見学”。
一渡り眺めて一行は帰ったが、鳥と電車が撮れればと思い私一人残った。

背景にうっすら難葉山。

 

近くで雀の群が高架と下の枯れ草を行ったり来たりしている。

 

月がのぼっている。

 

下り電車がやってきた。

 

ややあって群はねぐらに帰る仕度を始めた。

急に食餌を止め、西側の遠い群が一列になって西へと歩き出す。
16:52

 

ねぐらの朝日池は東にある。ひとまず西に歩くのは危ない高架橋から離れる行動ではないかなと思った。
数年前の夕暮れに見た群も、どういう訳か“ほぼ一列”になって歩きはじめ、移動後集合し、暫くして一斉に飛び立った。

西側から次々に歩き始め。東端にいた一群が最後に歩いた。

 移動は次第に列となり、あたかも行進のようだった。

17時頃、西の端、県道わきまできて集合。
{写真は編集ソフトで明るくしていますが、実際はほぼ真っ暗です)

集まるとコウコウ、コウコウと大変賑やかに鳴く。この時高く鳴くものと低く鳴くものがあり、一種ハーモニーが生まれている(普段は高い鳴き声一色)。高低二音の歌声は神秘的な響きがあり、是非再び聴いてみたい。

 

明かりを点けた電車が下ってきた。

このあと暗い中を少数ずつ飛び立ち、最後に大きな群が一斉に飛んだ。
食餌を止めて歩き出す。一体だれが時間や歩く方向などをリードしているのだろう。一部もたつく場面もあるがほぼ整然と行動した。

遅くまで田んぼをウロウロした帰路、自分のほうが孫よりも子どもじみているようで恥ずかしくなった。

二度目の雪は雨に変わった ささやかなクリスマス 虹の彼方に コロナ、今後の笑いと静かさ。

2020年12月25日(金曜日)

雪の予報通りに朝からボタボタと降ったが、夕方には雨交じりになるなどしてさほど積もらずに日が暮れた。

 

仕事場の二階から午前の雪。

在宅回りの雑木林と午後の雪。

 

今夕のケーキ。


以前載せました私の好きな「Over the Rainbow」。
ある意味今どきぴったりかもしれません。

 

さて残念ながらコロナが拡大しています。病院や介護施設における50人、80人規模の感染や4、50人に増えた新規死亡の日報などから新興感染症の本当の怖さが現れ始めているように思われます。

夏から秋の楽観主導が冬春を主戦場とするウイルスを温存播種、活性化させ、都市を中心に列島の汚染的状況を許していると理解されます。専門職や臨床家の必死な助言に耳を貸さず、移動を伴わない経済支援をせず、未経験な出来事を全能感覚に酔ったまま推移させたツケです。

ところでハイテンションになりがちな飲食、なかんずく「歌」や「饒舌」はウイルスを喜ばせるはずです。最近私は「笑い」、とくに「大笑い」もまた問題かもしれないと思うようになりました。笑いは不規則でかなり激しい呼吸を伴います。だれかが感染している場合、笑いでウイルスがまき散らされたり、笑いでそれを深く吸い込むことを恐れるのです。

この先ある日突然ウイルスから解放され、祝杯を上げるように終わるとは考えにくいコロナ禍。
「静けさに耐える」、「静けさを喜び、あるいは楽しむ」生活と文化を受け入れる。振り返れば、静けさは文化の普遍的なエッセンスの一つかもしれません。
YouTubeに小声で漫才をしている動画が上がっていました。耳にして可笑しさとともにさすが、と感心しました。
静かには、得手不得手はあろうと思います。しかし政府なども静かな生活を推奨しました。
今後まだ間に合うと考え、ウイルスで地域が汚染されないよう、「静かに」を重要なキーワードに加えて予防を心がけ、自身と貴重な病院を守って行かなければと願っている次第です。

賑やかに多く交わらず、静かに暮らす。こんなことが果たして歴史にあったでしょうか。
確かに異常です。
しかし半年前、「戦争よりまし」とあるお年寄りが言ったのを思い出しました。
何とか良いワクチンや特定の特効薬が普及し終息するまで、嘗て無い文化文明を新しいものとして受け入れ精一杯生活する。
後は政府に本気で頑張ってもらう。
偉そうに言うわけではありませんが、そんな気持ちで過ごした一日でした。

長くなりました。

怒る海とコロナとチドリ 一応の食卓。

2020年12月24日(木曜日)

午後休診の本日、穏やかな空をみて柿崎海岸へ向かった。
静かな空と対照的に海は数日前の低気圧の名残で大波が打ち付けていた。

波を見ていると計り知れない力を感じる。
例えが合っているか否か自信はないが波を見ていると、ウイルスも斯く膨大な力を有しているのではないか、と思った。
海とウイルスは様子は異なるが、古い兄弟同士だ。一方新参の私達は、高邁にもAIだ5Gとうそぶきながら、遠く小さなウイルスに苦戦している。

 

 

 

歯がゆそうに打ち続ける波は、懲りる様子もない人間に怒りを押さえられない風に見えた。少しは謙虚になれば良いものを、数字は煽りだなどと、偉そうにしながら死者を増やすのに手を貸している人間たちに怒っているのだ。

 


コロナを恐れない人々はこのような歌を、腹を抱えて笑うことだろう。
ベトナム戦争はこの歌などによって終わった訳ではないが、
毎日毎日ラジオから流れ、一種真実を歌っていたことは確か。
今より希望やささやかな幸福があった時代の歌。

人は幸福を実感出来にくくなった代わりに、真実を笑い飛ばす新しい快楽に夢中になっているように見える。

 

 

本日も二羽のチドリがいた。
チドリは海と兄弟だ。養鶏場の鶏とは違う。

 

一応クリスマスイヴらしい夕食
異教徒ながらいささかの反省を試みた。

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