2020年6月24日

倉石隆が挿絵した「人形使いのポーレ」から高校時代の授業を思い出した。

2020年6月24日(水曜日)

今年の倉石隆展示の挿絵本に「人形使いのポーレ」がある。
文庫本よりも一回りは大きいだけの本ながら、ハードカバーが付いている。じっとこちらを見ているこどもの表情が気になって読んでみた。展示中なので夜に持ち出し、昼には返して読んだ。

著者はドイツの作家・詩人テオドール・シュトルムと言う人だった。
町の少年と旅回りの人形使い一家の少女との物語は、幼少の出会いから青年期の再会を経て、結婚とその後の人生が描かれる。

波乱のあらすじはともかく、著者の名の響き、機械職人を目指す青年の旅と結婚などから、高校時代の恩師の授業を思い出した。
先生は私の担任で、地理と数学を教え、特に地理は印象深かった。
〝いいか、ドイツとフランスの国境地帯の広大な森林はシュヴァルツ・ヴァルトと言うんだ。ドイツ語でシュヴァルツは黒、ヴァルトは森、つまり黒い森という意味なんだ〟というような話をされた。

ある日、〝いいか、ドイツの文学史にはシュトゥルム・ウント・ドラングという時代があるんだ。ゲーテやシラーの時代で、疾風怒濤の時代と言うんだ〟という主旨を話された。
※疾風怒濤:Sturm und Drang:ドイツ語では嵐と衝動。
その折、〝いいか、青年期も一般に疾風怒濤の時代と呼ばれている。理想と現実、善と悪、愛や恋など大人への過渡期の経験は嵐のようなものなのだ〟という主旨が続いたと思う。
さらに、
〝いいか、みんなもにもそんな時期が始まっているんだ〟というようなことが述べられ、何か励ましを受けた記憶が淡く残っている。その折、〝ドイツでは職人をめざす人は青年期になると、修業の旅に出るんだ、というようなことも聴いたように残る。
先生は何かと話の頭に「いいか」と仰った。

卒業後の私にも何かしらの波乱があり、不安の中でこれが疾風怒濤なのか、と先生の授業を思い出すことがあった。
さて「人形使いのポーレ」です。

本の表紙 学習研究社版
インターネットの古書サイトで求めました。

 

 

人形劇はゲーテの作品を上演するなど本格的。
劇に夢中になった町の少年は特に道化の人形が気に入り、ある日楽屋に忍び込みそれをいじったあげく大事な部分を壊してしまう。
家にも帰れず、事情を知った一座の少女と大きな箱に入って眠る。一座はダメージを受けるが双方の親たちに叱られたうえ、許される。

 

仲良くなった少女は次の町へと去って行く。
少年は永遠の別れを実感する。

12年後、成長した主人公は機械職人になるべく旅に出る。旅先で住み込んだ親方のもとで腕を磨き認められる。ある日、惨めな境遇の女性に出会うと、幼い日に出遭った一座の少女だった。この下りでやはり高校時代の授業が蘇った。職人になるための修業の旅が如実に語られている。

小さな一冊は、ドイツの作家シュトルムの名と青年の旅から、若き日の授業が蘇った。
テオドール・シュトルムは1817年生まれと出ている。私の高祖父・玄作は1818年生まれなので同時代の人ということになる。産業革命を経てもドイツでは職人の修業制度が残り、日本の玄作じいさんは幕末の京都で、志士たちによる大規模な襲撃事件を見聞している。

小さな本でしたが興味深い一冊でした。
本にはもう一つ「みずうみ」が収められ、こちらの方が有名らしいので読みたいと思っています。
老化した頭脳はなにかと昔を思い出させ、一方で本は少年少女向けが読みやすいのです。

山崎先生、今でもこんなにして当時の授業を思い出すことがあります。

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